ブログ

 

あなたはホテル派、自宅派?

2015-09-30 | 断想

子供が結婚して、盆正月その他に帰省する場合、子供によってはわざわざホテルに泊まる人もいるらしい。

よそ様の事情はそれぞれなので何とも言えないけれど、我が家の場合は息子たちは家に泊まります。またこちらから行くときも頭下げて泊めてもらいます。

風呂入って部屋に引き上げたら、若い人の邪魔しないようにそこから出ないようにする、部屋にはテレビもパソコンもないし、夫と二人することもなくて退屈だけど、それもまた楽し・・・という心境でしょうか。

帰省してもホテルに泊まるのは息子一家、夫婦であって、娘一家、夫婦はどうなんでしょうか。あまり聞いたことない。

いえいえ、宮島で民宿している知り合いによると、帰省しても年寄りの親に迷惑かけるからとみんなで泊まりに来る人もいるようですよ。確かに年寄りには寝具の準備と後片付け、食事の支度など大変なので、みんなでゆっくり楽しみたいというところでしょうか。下世話な話ですが、費用はたぶん親持ちかな。なんか楽しそうですね。一棟貸切で遠慮ないのがいいですね。

宿やホテルに泊まるのが贅沢だった時代は、遠い親戚や友人でもよく泊めていたように思う。訊ねてきたら有り合わせでも必ず食事出すとか。私の実家ではそうでしたね。

私もいつの間にか旧人間の部類になったので、人が来て食事したり、泊まったりするのが好きな人間になってしまった。

お金出せば立派な部屋、おいしい料理、昼間ならおしゃれなカフェでもいいところを、あえて生活全部見せて、くつろいでもらう。子供もそうだけど、友達もどんどん来てほしい。

ビジネスホテル、無駄がなくてよくできているけれど、何よりも嫌なのは窓が開かないこと。空調だけで適温適湿にするのは難しい。寝るだけと割り切って味気なさも旅情の一つと思うようになればいいのだけど。

来月、またまた旅行の予定。いろいろな流れで、流れには素直に乗っていくことにしている。遊びならなおさら


ついでみたいで申し訳ないけれど

http://blog.tatsuru.com/2015/08/24_0753.php

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

織った布でブックカバーを作った

2015-09-29 | 機織り

今月初めに折り上げて

そのままになっていたこちらの布で

本日、ブックカバー4枚製作。こちら表。紫の糸は友人にいただく。黄色は教室が解散になるとき、先生から購入。

少しずつ柄を変えています。

裏布は近所の人から頂いた古い羽織。

こんな感じになります。

表紙裏。

裏表紙裏。

総柄にしないのは表紙がどちらか分かりやすくするため。

いろいろ忙しくてやっとできました。これでようやく次の作品に取り掛かれます。

とは言え、やることたくさん、いつ次の整経に取り掛かれるかは不明。

気候がよくなると出歩いてばかりの私。しばしの反省。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚二種、描いてよし、食べてなおよし

2015-09-28 | 水彩画

きょうは私がモチーフの当番でした。

花も、果物も、野菜も、景色も描き飽きた。

私はいつも魚を持って行きます。きょうは近所の激安スーパーでセールしていて、内臓は取ってもらい、鯛のうろこはそのままで持参しました。

並べ方が単調、直そうとしたらもう描き始めた人もいたのでそのままです。サバは一匹反対向きにして、鯛も放射状に並べたら動きがあってよかったかも。

サバは2尾で280円、鯛は3尾で317円、小松菜128円、レモン88円で合計は税込879円、いいお買い物ができました。

終わったら各自で持ち帰る。私は鯛1尾、帰ってからおかずにして食べた。おいしかった。

ということで、誠にいい一日でありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水分みくまり峡から岩屋観音へ登る

2015-09-27 | 山歩き

いいお天気です。昼までに帰れる山へ行くことにしました。

8:25自宅発 9:05水分峡Pに車停めて登山開始 

川沿いの遊歩道を行きます。向こうは寺院の敷地で、工事中。

渓谷から離れて登山道へ。涼しい木陰。ん?白い霧みたいなのは何?

今度はうまく行きました。土の道を歩くと生き返るみたい~

だいぶ上がってきました。樹間から広島市と宮島が見えます。

ガマズミがきれい。

分岐点まで来ました。

こちら、今来た方角。

岩屋観音への登りにかかります。

と、ここでデジカメのバッテリー切れ。残念。

こちらにいい写真がたくさんあるのでリンクさせていただきました。ごめんなさい。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~junk-ima/tozan_gosaso.html

岩屋観音は20年くらい前に浮浪者の失火で焼失、今は石段や灯篭、古い碑各種、割れた屋根瓦が散乱するだけです。

以前は水が出ていたそうですが、火災の前から水が枯れ、無住になっていたとのこと。残念です。

日曜日で、郊外の手近な山なので登山者も結構いました。

続いて裏山へ行きます。頂上は岩場で、岩の上に立つと広島の市街地のほぼ全域が見渡せます。10:20頃

携帯画像です。

正面うっすらが宮島。その左の三角の島が似島、山は安芸の小富士。

その手前の平たいのが元宇品で左端に広島プリンスホテルが見えます。

我が家は元宇品右端から少し手前あたりでしょうか。

写真には撮れませんでしたが、このずっと右に権現山、阿武山もよく見え、昨年八月の土砂災害で、えぐれた山肌もよく見えました。特に長いのは頂上直下からの土色の跡で、あの下でたくさんの方が亡くなったのだと思うと、災害の恐ろしさを改めて思いました。

この先、呉娑々宇山ごさそうざんまで尾根伝いのロングトレイルですが、きょうは水しか持ってないのでここで引き返します。

駐車場へ戻ったのが11:10頃。昼には帰れそうです。

20年くらい前、植物観察会の仲間でこの付近を歩きました。

間所インター(工事中)から水分峡→岩屋観音(昼食)→高尾山→笹が峠→水分峡→間所インターとロングトレイルでした。

みんな若かったなあ。その時の友達から先日久しぶりに連絡がありました。県立美術館に展示している私の絵を見てくれたそうで。展示はきょうまで。地下のギャラリーです。素人の下手な絵ですが宣伝してしまいました。陳謝。

次はお天気のいい日にカメラのバッテリー確認して、お弁当持参で写真撮りたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「珈琲屋の人々」 池永陽

2015-09-27 | 読書

景気がイマイチの小さな商店街、そこで親の代からの喫茶店を一人でやっている行介。喫茶店にはいろいろな人がやってきて、みな自分のままならない人生を抱えている。行介もまた、人を殺したという過去がある。

一人を一話にして、ワンクールのテレビドラマが作れそうな小説だった。人物はやや類型に流れているけれど、ドラマだとこのくらいわかりやすい方がいいのではないかと思う。読むテレビドラマ。

ところどころ、あり得んだろと突っ込みたくなる話もあった。景気の悪い和菓子屋、景気悪いから自殺して保険金もらえという親の会話を聞いて、売春して親を助けようとする高校生。

ちょっと待ってよ。店の売上落ちたくらいで自殺する?自分の店でテナント料要らないみたいだし、そう慌てなくても。娘も娘、いきなりそんなハードな仕事しなくても、アルバイトいくらでもありそう。だいいち、そのお金、どう言って親に渡すの。

世の中にはお金に困る人もたくさんいるけど、不動産を売るとか、自己破産とか、生活保護とか、生きる手立てはいくらでもある。そう早まらないでもらいたい。

ちょっと単純化して書きすぎ。もっとも娯楽作品としては楽しく読めると思います。


 

今月初め、誕生日のプレゼントに長男のお嫁ちゃんが持ってきた。

金沢のお菓子を取り寄せしてその一つだとか。ゼリーですが、表面は砂糖の結晶でカリッとしていて、咬むと中が柔らかいという初めての食感。おいしかった。

それと家にあったというブドウ一房。「**ちゃんが持って行かないでって言ったんですけど」とのことだったけど、うちでは別のブドウ出したから、孫娘も納得したはず。

そこら辺にあるものをテキトーに持って来てくれたのが、家族らしくて嬉しくも面白かった。

また別の日に上の孫を抱っこしてやったら、ぶあついーーですと。初め、暑いと言ってるのかと思ったら、私の体がぶ厚いんですと。おやまあ、言葉をたくさん覚えたわね。そして、うまく使えること。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯塚、繁栄のあと

2015-09-26 | 旅行

9/21

志賀島の砂浜の松の木陰、車の日よけをシート替わりにしてお弁当食べてから今度は飯塚へ行きます。

貝塚インターから都市高速に乗り、福岡IC手前で降ります。福岡ICまで行くと九州道へ行くしかありません。そんなことを助手席で話すのに運転者は納得できないご様子。でも近付いたら大きく表示していて誘導してくれるので心配いらなかった。

飯塚は遠賀川の川筋で、福岡とは九州の脊梁山脈の深い山で隔てられています。昔の道は峠越えの大変な道ですが、今はR201のバイパスで早く行けます。といっても40分くらいはかかりましたか。

道順逆ですがまずは旧伊藤伝衛門邸へ。以前は気が付かなかった広い臨時駐車場があって大勢の観光客です。

 

門。福岡の銅あかがね御殿を移築したそうで。武家屋敷みたいに長屋門になっています。表札は元総理大臣麻生太郎氏の筆。

麻生家も伊藤家も飯塚の炭鉱で財を成した家とのこと。

玄関。西洋風の煙突、マントルピースがあるらしい。

応接室。伊藤伝衛門と柳原白蓮の結婚写真が飾ってある。建物は伊藤家の手を離れて何度か所有者が移り、今は市が取得管理して公開している。

食堂はイギリス風。北向き。使用人が毎日、門司までパン買いに行ってたとか。ホームベーカリーもない遥か昔の贅沢。

座敷はたくさん。ちょっと一休み。畳に座ると疲れが取れます。

本座敷

白蓮の部屋は二階の角部屋。陽当たり通風眺望がいい。几帳は前にはなかった。

庭に回ります。

建物全景。家は南北二棟あり、廊下と二つの部屋で繋がっています。広いです。広いけれど、この家で白蓮はあまり幸せではなかったそうで。

お妾さん替わりの女中頭が家を取り仕切っているし、子供のない伝右衛門が親戚の子を引き取って子供として育てているし。それは行ってみて初めて分かったこと。

深い孤独感から歌を詠むようになり、やがて帝大生の宮崎龍介と恋に落ちる。伝右衛門はわざといじわるしたわけではないと思うけど、何から何まで違う二人、うまくいかなかったんだなあと思った。

白蓮は華族の家の出で、プライドも高かったみたいなので周りも大変だったかも。

先来の花子とアン、白蓮が龍介と駆け落ちした翌朝、真っ赤な長襦袢着ていたのでドキッとした。半襟は真新しい正絹、しかも手縫いで縫いつけてあった。取るものもとりあえず駆け落ちして、白い新しい半襟???・・・それはもちろんNHKの衣装部の人が縫ったことでしょう。

燃えたつ赤。ケイトウにセンニチコウ。


 

続いて嘉穂劇場へ行きます。昭和六年完成。国の登録有形文化財。そして現役の芝居小屋です。

催し物いろいろ

間口十間、トラス構造で中に柱はなし。1,200人が収容できるそうです。

飯塚には最盛期、30以上の芝居小屋があったとか。

10月というのは今年ではなさそうな・・・

1970年代。

2000年代。

今は空調も完備しているそうで、この秋も海老蔵、梅沢富雄などいろいろ公演があるようです。

桝席になっているのがレトロで、芝居見物という感じ。演じる人もお客さん近くて、力が入るのでは?

R200を北上して八幡ICから家に帰ります。ときに午後4時半・・・・暗くなるまで私が運転し、途中で夫に交替。無事家の近くまで帰りました。

晩御飯どうする?

絶対作りたくない。お米洗ってご飯炊いて、おかず作って、あとお皿洗って、絶対やりたくないと頑張り、家の近所に最近できたイタリアンへ。

何でもいい、カロリー補給するだけ。

半個室の店内。腰板と各ブースを区切る布。鶏小屋みたいと言ったら、聞こえると注意されました。

場所は半田屋と廻るお寿司の間。夜のコースで1600円くらい。でも食べられないので単品にしました。

いいお天気で楽しい旅行でありました。

BEST3

志賀島のサーフィンする砂浜と若者がじゃれ合う砂州、菊池渓谷の滝各種、阿蘇の眺望。

夫は九州にいた子供時代の場所へ行けて満足そうでありました。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンピースが欲しい

2015-09-25 | 断想

ワンピースが欲しい。つくづくワンピースが欲しい。

昔はあんなにたくさん売っていたワンピース、最近ではほとんど見ない。いや、あることはあるけど、10代の少女たちが着るような細身で丈の短いものばかり。

中高年はチュニックという名のお腹周りたっぷりしたブラウス、下はパンツという名の伸縮性に優れたズボン、布のショルダーバッグ斜め掛け。もう制服みたいに強制されてるのがとっても嫌。

自分で縫うつもりで生地屋へ行ったけど、今は洋裁の生地、殆ど売っていない。自分の服縫う人も激減しているらしい。

あーーー、ワンピース欲しいなあと、この半月ばかりずっと考えていた。

きっかけの一つは、全国展開の地元某有名ベーカリー本店で、たまたま会長さんをお見かけしたことから。原爆の焼け跡の広島でおいしいものを提供したいとパン屋を始め、一代で大きな会社にした人。ご主人はすでに亡くなっているけれど、時々新聞などで顔を拝見するその人、とすぐ分かった。

お歳は90歳は越えていると思うけど、グレーのジャケットにモノカラーの細かな柄のワンピース、バッグも靴も派手ではないけれど、とてもセンスがいいし、ダイヤをいっぱい使ったシンプルなデザインのブローチをしていた。

辺りを払うと言うほど大袈裟でも目立ってもないけれど、生き方が服装に顕れるというのは本当だなと思った。人世が寄り道、目移りせず、ぶれていない感じ。

某ベーカリーはちょっと高級なパンを通して、頑張れば手の届くちょっと豊かな暮らしを提案する企業かなとも思う。

私は菓子パンは高いし太るだけなので買わないけれど、この店の大きい食事パンはいつも買ってストックしている。ドイツだと多分200円もしない大きさだけど、日本は高い。高いけど、パンがおいしくないのは悲しいので、なくなる前に本通りの本店まで買に行く。

いゃあ、話がどんどんずれました。

その会長さんのワンピース見てから、久しぶりにワンピースが欲しくなり、先週は二度ほどデパートをはしごしましたが、全然いいのに出会わず、疲れるばかり。

で、方法代えて、ネットでなるだけたくさんのワンピース見ているうち、オンワードのサイトに遭遇。その中でもまあこれならというのに出会ったので、地元デパートの在庫も確認してから出かけました。

あれこれ迷わずすぐ買えましたね。これからはこれで行こう。何買ったかって?

それはこちらでございます。

顔はわたしではありません。と断るまでもなく。値段も安かった。

一昨年、どうしても着る服がなくて、スーツオーダーしたらとても高くついて、泣きました。これからはネットでじっくり探してから実店舗へ行くのもありかな。

ついでに安いネックレス買って色あせた珊瑚の相談したら磨く布をくれた。帰宅後必死で磨いたけど、光沢は今一つ。自分で作った赤いネックレス(材料費1,000円)がずっときれい。残念!!

それにしても既製服のあのサイズ、どうにかならんもんでしょうか。若い人も売ってる服が細身なので、太れないと嘆いていた。若い人は戦後すぐより栄養状態が悪いそうで、それではこの国の先行きが心配。


けさ、ゴミ出した後近所のスーパーへリンゴ買いに行ったら、金曜恒例の魚市。嬉しくてたくさん買いました。

サワラ一尾350円/瀬戸貝(ムール貝)300円/カマス130円/アジ100円/ベロコ(ギザミ)400円/タイ200円で合計1,480円を1,400円におまけしてもらった。

ギザミ大好き。実父が庵治でよく釣って来ていた。あっさりとした白身でとてもおいしい夏の魚。今年もそろそろお別れかな。

きのうはたぶん40年ぶりくらいにピザ作った。新しい電子レンジのオーブン、使い方がよく分からず、ちょっと失敗。また頑張ります。

袋に入れてこねるという手抜きなので、発酵が足りなかったかも。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栄橋たもとでセクハラ発言老人に遭遇する

2015-09-25 | 事件、事故

場所はこちらです。栄橋たもと、栄橋ふれあい広場。

川と住宅地の間の三角の空き地。かなり広く、地元有志が花を作っています。

これは子供のころよく見た花。イヌタデとかいうんでしたか。この花が咲くと運動会。

運動苦手な私は運動会の練習も大嫌い、人と同じようにできない辛さ。団体競技は人の足を引っ張るので、特に嫌だった。おやおや、しょっぱなから愚痴でごめんなさい。

畑の端なんかに放っておかれる花。仏壇にも上げられないし、でも毎年咲く。

ベンケイソウは勤め人の友達の家の庭なんかにあった。元々の住人はちょっとモダンな花は作らない。

ケイトウはこの他にオレンジ、黄色などがあった。花も葉も好きです。身の回りに普通にあった。

ヒャクニチソウは水揚げがよく、花期も長いので夏の仏さん花の定番。祖母が作っていた。

これは八畝(田んぼにはそれぞれニックネームがある。このほかにはけんしょうじ、ながせ、なわしろじ、いまざとじ、まつなわじなど)の畔に毎年咲いていた。緑一色の水田地帯で、とても鮮やかなオレンジ色。ノカンゾウと知ったのは高校生くらいだっただろうか。

などと楽しく写真撮っていたら、このありさま。ヌスビトハギ。

木陰のベンチで雑談していた老人三人、そのうちの一人が取ってやろうと言う。

いいですと断って一人で取っていたら、しつこく同じことを言う。逃げるのもしゃくなので無視して取り続ける。

その間に、この空地は失対小屋があったとか、どこから来たのとか会話する。

別の老人がカボスみたいなのをちぎって来て、上げようと言う。もう一人は花の名前を聞きたがる。

いゃあ、男って何歳になっても、何歳であれ女と分類できるものと話したいのだと、認識を新たにした。

適当にあしらいながらやっと実を取ってベンチから立ち上がる。老人三人、ぞろぞろと私と一緒に引き上げる。おまいら、いったいなんやねん!!

今度こういう場面に遭遇したら、さっさと逃げよう。一つ賢くなった。

「取らしてほしかったのう」と帰り際にまだ言っていた。しつこい!!


 

やれやれ、彼岸花で気を取り直し

キンミズヒキまで見つけた。駅から10分くらい歩いて、キンミズヒキに出会うなんて。もう山まで行かなくてもここに来ればこの花に会える。

街の中の空き地には山野草に昔の花、それと変な老人がいるのでした。やれやれ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渓流から青い海へ・・・九州の旅

2015-09-23 | 旅行

9/20

午後、熊本インターから人吉インターまで南下。まずはお城へ行きます。

城跡には神社があるのみ

神社奥の石段から城跡へ登ります。三の丸から球磨川がよく見えます。

二の丸跡

本丸跡。それにしても暑いです。盆地特有の高温に加え、日陰がない城跡、石段、石垣も暑い。

と、自分で求めて来たのに、あまりに暑くてめげます。

早々に街を脱出、球磨川沿いに地道を通って八代を目指します。

急流だそうですが、水量は少な目。

さらさらと気持ちよく。

途中でこちらへ立ち寄ります。1973年、愛媛大学探検部によって明らかになった鍾乳洞です。

入り口のトンネルは涼しい。

鍾乳石

こちらも。一般コースは40分くらい、元の場所に戻ります。さらにハードな探検コースもあります。

あの谷あいに球泉洞はあります。丸屋根の森林博物館は閉鎖して、建物は廃屋になりかかっていました。


 

八代はルートイン八代に投宿。こちらは全国展開のホテルなので、サービスは安心です。温泉浴場もついています。朝食も6,000円を思えばとてもお買い得。スポーツ大会の学生さんなどもいて満室とのことでした。

近所にたくさんお店があり、夜の食事は大丈夫。お魚がとてもおいしかったです。


 

翌日は九州道福岡ICから都市高速に入り、貝塚ランプで降りたらあとは道なりに。

広大な埋め立て地を走り、いよいよ近くなってきました。

海の中道大橋。ひろーーーい。夫は二日市に住んでいた子供時代、ここまで海水浴に来ていたそうです。

博多駅から国鉄に乗って来たことでしょう。今もJR線はあり、福岡への通勤圏のようです。両側松原で家族連れが多そうなのでpassして志賀島へ行きます。

志賀島へは細い砂州で繋がっています。

海で若い人が遊んでいます。

志賀島へ入った途端、道が狭くて通勤圏というよりは漁村の趣。

中学の社会科で四月に習う「漢倭奴国王」の金印の出たと言われる場所に公園があります。

倭も奴も僭称?漢帝国の威光あまねく四海に充つというところでしょうか。

国宝の本物は福岡市内の博物館が所蔵するそうです。

 

向こうは能古島。こちらも20年くらい前に行きましたが、リゾート施設が多くて人が多かった記憶が。

「能古島の片思い」という曲がありましたね。どんなんだったかな。

公文書の封印として使われました。

公園で。

秋の旅


ぐるりと回って国民休暇村前の砂浜で、お弁当食べました。それから波打ち際まで行ってみます。

きれいな砂浜でいい波を待っています。

波乗り最高。

引き返してみるわ。一つ前のカーブまで。いつか海に降りたあの駐車場にあなたがいたようで。BYユーミン

夏は来て夏は去る。何十回と夏を見送ったけど、一つとして同じ夏はない。

どうしてできるだけ優しくしなかったのだろう。二度と会えなくなるなら

後悔はいつもあとからやってくるもの。その時には同じような夏がまた来ると、疑わない。信じるほどの強い気持ちではなく、今日の続きの明日のように、波のリズムのように自然に繰り返すと思っている。

でも、人は別れ、別れるからこそ新しい人に出会い、そうやって一夏一夏を過ごしていく。

孫のいるばあちゃんもきれいな海を見るうち、あの夏、この夏を思い出し、ウルッとしてしまった。

そう、一番身近な人とだって、いつかは別れ二度と会えなくなる日が来る。

海も空もこの先もずっと同じ姿を見せるはずだけど、自分はこの先どうなるのかな。。。。

呆けて人に迷惑かけたりせず、あまり痛い思いもせず、周りの大切な人に感謝しつつfade outしたいもの。

すんません、戯言陳謝。

でも今年は彼岸直前にぶっちぎりで素敵な海を見て、ロシアもよかったけど、いい夏でした。

健康と少しのお金と、運転交替で行ける伴侶に感謝。

しばらく行くと磯も。

さてこのあとR201で飯塚へ行ったあと、帰ります。

九州道では交通事を二回目撃。一度目は追突、二度目はバイクのライダーが担架に乗せられていました。

九州道はバイクのオフ会多し。今まで三度バイクの事故に遭遇しました。バイクの皆様、なにとぞお気をつけて。


追加画像

先月16日、ロシアからの帰りに見た海の中道と右奥の志賀島。

離れているように見えますが、道路一本で続いています。若者たちが遊んでいたのはいちばん細い部分の右側。サーフィンしていたのは右の島の右端。写真の外側です。

右、玄界灘。左は博多湾。海に挟まれた自然がいっぱいの半島と島。大都会のすぐそばにある素敵なリゾートでした。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渓谷から高原へ、熊本の旅

2015-09-22 | 旅行

9/19 

仕事おえて自宅発。九州道南関インターを降りて、大牟田市の甘木山頂上、おおむたハイツに投宿。

宿は少し前の作り方、若い頃、研修なんかこんな宿でしていた。部屋に風呂なし、トイレなし。でもお値段リーズナブル。料理もレトロ。スタッフさんは皆さんとても丁寧。家族連れや、孝行旅行の人たちなど、賑やかでした。

9/20

8時過ぎ、宿発。南関インター通り過ぎて、阿蘇外輪山手前の菊池渓谷と、草原の展望台を目指します。熊本インター手前で昼ごはん済ませ、九州道を人吉まで。そこから球磨川沿いに八代まで戻り、宿泊。

途中の道の駅。果物豊富。ブドウ一房買ったら、新鮮でとてもおいしかった。

阿蘇外輪山の中にあり、伏流水が流れます。うっそうとした原生林が続き、とても涼しい場所です。

九州のツリフネソウは色鮮やか。

また滝

水しぶきが上がります。

黎明の滝。水しぶきが太陽の光に照らされて朝靄のように見えることから名づけられたそうです。


 

しばらく行くと高原の快適なドライブコースになります。

遠くまでとてもよく見えます。

西湯蒲園地展望台からの眺め。噴煙が上がっています。遊覧飛行のヘリコプターが飛び立ちました。

説明版

左方向に涌蓋山わいたさん(尖っている山)と九重連山(雲がかかっている山)が。登ったのは7,8年前でしょうか。懐かしい山々です。

さらに行くと一部草を刈ってとても眺めのいい場所が。雄大な阿蘇の眺め。

名残惜しいけど、熊本へ向けて降りていきます。外輪山の縁がくっきりとした姿を見せています。


 

九州道で約一時間、宮崎県との境、人吉へ。盆地の中の城下町です。

城跡に小さな神社一つ。城は石垣を残して何もありませんが、礎石などが当時の建物のようすを留めています。

盆地のためか、とても暑く、本丸跡まで上がってちょっと疲れてしまいました。以後次回に。乞うご期待。


今朝は夫と二人、墓掃除に出かけ、墓所の後ろの木を切ったりしてとても疲れました。姑様が元気なころ山を切り開いて墓所を造営。

今は管理は私たちの役目。草も木も自然の摂理に従って元気よく育つ。その勢い止めがたし。管理すべき墓地を持たぬ者こそ幸いなれ。

いえいえ、不必要な不動産はすべからく持たぬが吉。不動産を資産として持つには、長い目で見たキャッシューフローを考えられるだけの能力が必要。

起きて半畳、寝て一畳、遺灰は海の見える丘の上から風に向かって振りまいてもらう。これが理想かも。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州へ旅行してました

2015-09-21 | 旅行

土曜日午後出発、その日のうちに大牟田まで。急に決めて宿が全然なくて、山の上の公共施設みたいなところに泊まりました。

宿の下はソーラー施設。その向こうに夕日が沈みます。

朝です。部屋から大牟田市内と有明海、雲仙岳まで見えます。

六畳一室に一人泊まっても二人泊まっても同じ値段なので、二部屋予約。なぜか九畳の部屋にグレードアップされていて、宵の口は一つの部屋で話した後解散。広い部屋でゆっくり寝ました。

この歳になるとお洒落な部屋より、広い和室がくつろぐ。

菊池渓谷というところへ行きました。谷沿いの木陰の道から水辺に降りてみます。

こちら黎明の滝。涼しそう。

阿蘇外輪山、兜岩展望台近く。噴煙を上げる中岳。

福岡市志賀島。玄界灘でサーフィンしています。

志賀島、金印公園で。

飯塚の旧伊藤伝衛門邸は二度目。なぜか赤毛のアンの扮装用セットが置いてあるので遊んでみました。

そうそう、テレビドラマ以来お客さんが増えたそうで、広い駐車場ができていました。


 

二日半、交替で車運転して今夜9時前帰宅。山に登ったわけでないので、疲れてはいませんが、連日とても暑くて、日焼けしたかも。

連休はあと二日あります。皆様もいいお休みをお過ごしください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達の家に遊びに行った

2015-09-18 | 日記

昨年の今頃、八幡湿原で。マツムシソウとススキ。


 

今日は友達の家に遊びに行った。郊外の山の斜面にある団地、バスセンターから40分くらいバスに乗り、降りたところから5分くらいのはずが道に迷い、10分以上団地内をさまよった。

同じような家が並び、人通りがない。やっと向こうから坂道を自転車押し押し上がってきた、私と同年配の女性に道を聞き、辿り着く。

予想した通り素敵な家だった。15年くらい前に建て替えたという。ということはご主人の定年を機にリニューアルということでしょう。いいなあ、お勤めの人は。我が家は定年もなく、退職金もなく、どのように仕事を終えるか未確定。

でも先のことは不確定なことも多いので、今現在、体に気を付けて無駄なことにお金を使わないと、そのくらいかな。

しかし、大規模な団地にスーパーが一軒もないという。あったのだけど、撤退したので、家族の一人一台車がないと生活も不便そう。

まあいろんなことはいいこと悪いことが表裏一体、人をうらやむことをせず、自分の暮らしの中で、より良い方法を考えるということかな。

お喋りしていたら、あっという間に3時半、街へ出るという彼女の車に乗せてもらって、帰りは半分くらいの時間でバスセンターまで戻った。

来月またお出かけの約束して、解散。

外国暮らしをしていた彼女はとてもいい食器をたくさん持っていた。日本では売っていないような大ぶりのサイズもあった。あちらでは大勢のパーティなど、大きな食器の出番もあることだろう。

珍しいお料理もいただき、私はお寿司屋や、京都の竿菓子など持参、とてもいい一日だった。

先日お嫁ちゃんと話しているとき、私が友達と遊びまくる話になり、大丈夫よ、縁さえ切れてなければ、子育て終わったらまた付き合うようになるから、今は子育てに頑張ってねと言ったりした。

子育ての日々にあるときは、一日一日が終わるのがやっとだったけど、振り返ってみれば遠い景色。後期高齢者になる前の凪のような時間、大切にしたいものです。

彼女の家の写真はありません。よその家でブログネタ探すのも失礼なので。帰ってから、日頃の生活を反省した私。。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川辺のオープンカフェ

2015-09-17 | クッキング・ランチなど

きょうは用事で出かけ、お昼は京橋川の堤防上のオープンカフェで。名前はteagarden Pul Pulです。

google Mapにはなぜか猿猴川えんこうがわと間違っているけど正しくは京橋川右岸、稲荷橋たもとにあります。

向こう京橋。広島城京口門より東へ向かう最初の橋。西国街道が通っていたそうです。

水辺が嬉しい季節になりました。暑くなく、寒くなく、ちょうどいいお天気です。

名前は洋風、でもご飯が付いてます。野菜いっぱいで嬉しいワンプレートランチ。

この付近は他にも川の見えるオープンカフェがいくつかあります。どれも素敵な店ばかりです。すべて広島駅から徒歩圏内、出張のついでに、観光の仕上げに、広島ならではのきれいな川べりで食事したり、のんびりお茶してください。

こちら広島市のサイト

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111583774214/index.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山のパンセ」 串田孫一

2015-09-17 | 読書

2010年8月立山ツアーに参加。後列左から三番目。この時も一人で参加した。元気な女性ばかり、男性はガイドの方とあと一人だけ。

数日のツアーの間に各自ニックネームがついた。私はどう呼ばれていたかは不明。アミューズ、今でもあるんだろうか。

後ろは最高峰の雄山と思う。連日の雨、雨、雨・・・・


 

登山リュックに入れて山小屋で読むのにいい本らしい。文庫本で、どれも短いので読みやすいとのことだったが、ふだん、エッセィを読まない私にはとても時間がかかった。

随想なので、山の具体的な姿が思い浮かないのが原因かも。文章には5W1Hが必要と子供のころ学校で習ったけど、これはそういう約束事を超越した文章が多く、近年老化が激しくて想像力が枯渇しつつある身には読み切るのがつらかった。

1960年代初頭、各雑誌に掲載した短い随想が殆どらしい。その当時の山装備や山小屋、山行のようすなど、当事者には当たり前すぎて書き残す気にもならないようなことが、今になっては知りたいと思う。

山の本は、まずどの山へいつの時期に入り、何日で踏破したこと、装備、登山道のようすなどの記述が期待されるのではないだろうか。その上に立っての感想である。あまりに山の描写が少なくて、私的には不満足だった。別な方はまた別な感想だと思うけど。

ただ一つ、エーデルワイスはよかった。外交官の親とスイスにいたことのある女性にエーデルワイスのドライフラワーを貰い、額縁に入れて大切に保管していたが、虫に食われてしまった。女性はまたスイスへ行ったという話を聞いただけで、その後の消息も分からない。額は友達の弟にあげ、弟はとても喜んだらしいが、会うこともないまま、戦争のころに死んだ…とだけある。

エーデルワイスを巡って、人は出会いかつ別れ、久しくとどまりたる例なし。そしてそれにも戦争が影を落としている。。。。

今まで私が読んだ山関係の本、印象に残ったものをいくつか挙げておきます。

日本アルプスの登山と探検」 ウェストン 日本に近代登山を導入した先駆者の好著。明治時代・・・だったかな日本にきた宣教師。山が好きで、好きで、ついには宣教師をやめて登山家になった。

平坦なイギリスから来ると、日本の険しい山がとても魅惑的だったことだろう。装備は原始的だけど、各山には案内人や強力(ヒマラヤのシェルパみたいな人)がいるので、今より楽な面も。ワクワク感が伝わってきて読んで楽しい。お勧めです。

山と渓谷」 田部重治 こちらも名著。古典。八月初めの白馬岳に登るが、誰もいない。出会うのは水晶を探す人や、珍しい植物を探す人くらい。登山道を外れてはいけないという規制もないし、本当に山懐に抱かれる感じがよかった。この百年で、登山は本当に大衆化した。

百年前の山を旅する」 著者失念。ヤマケイ社。確か雑誌「山と渓谷」の編集者だったと思うが、昔の山岳紀行と同じように山を歩いてみる。これもなかなか面白かった。

若狭から京都の出町柳まで24時間で歩くというチャレンジ、やってみたら本当にできたのに著者は驚き、私も驚いた。ルートは今のような平地ではなく、尾根伝いに行く。途中であった人にどこへ行くかと聞かれ、京都へ行くと自慢したら、「まあ、あんたならいけるやろ」と軽く言われた下りが面白かった。

あとはニュージーランド人の山岳案内人、クレイブマクラクラン氏の「ニッポン百名山よじのぼり」。友人と車で登山口まで行き、あとはひたすら登山。山であれこれ考えない。登って降りて、食事して宿を探して、その繰り返し。その潔さやよし。白山だって駆け上り、駆け下り、半日で下山しているのにはびっくり。私は15年くらい前、二日掛けて登って下りました。

あとは新田次郎の強力伝などですか。でも山の本は小説にするよりもデータを書いた方が読む気になるのも事実。登山は事実を書くだけで、充分読ませると思うので、小説にするのはなかなか難しいのでは。

また、山に行きたくなったかな・・・でも寝つきが悪いので、山小屋で8時ころに消灯するのは辛い。全然眠れない。もう歳だし、遠くの山はそろそろ卒業の時期かも。


昨日のお茶。最近買った器。

古い家具にはブルー一色の器が納まりいいような気がする。

昨夜お嫁ちゃんが孫二人連れてきたので見せたら、和風ですねと言っていた。そう、日本のメーカーです。世間的には地味かも。暈しの繊細さが日本的。

本通り歩いていたら可愛い服を見つけたので即購入。今の時期、別に理由もないので、「たまたま見つけたから」と言って渡す。

昨夜はお嫁ちゃんとお喋りしていたら21時前、下の子は寝てしまうし、慌てて解散。またおいでね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷を描く

2015-09-16 | 水彩画

 

水彩サークル、先週のお題は倉敷でした。モチーフ当番の人が写真撮って来て、好きなのを描きます。

私は定番の、水路の遊覧船。

二時間くらいで描く予定が、結局、昨日6時間もかかってしまった。

途中、家事が入るし、ご飯食べる人がいるし、で、出来上がったのは夜の8時過ぎ。

いゃあ、体動かすわけではないけれど、背中が痛い。

高校の恩師の言葉を思い出す。人生は短い、本当に自分のやるべきことをやってください。

やるべきこと・・・私の場合なんだろう。あれこれ手を広げて収拾のつかない状態。健康だけには気を付けよう。

上の絵では強弱のバランスがまだまだ、あとまだ手直ししの予定。

しかし、こういう絵葉書的画題、とても気恥ずかしい。富士山の恥ずかしい太宰治と同じというのはおこがましいけど。


 

疲れたのでしばしのティーブレイク。冷蔵庫の中から、夏の名残の水羊羹。でも結局食べずに他のおやつにした。

器は近くでイオンが開店したときの記念セールで。とても安かった。エンズレィのバラのマグカップはヒビが入ったので、スプーン入れにしている。

イギリスの器、好きです。スポードがいちばん好きだけど、とても高くなった。20年くらい前は広島のエクセルにも置いていたけど、今はどこにも見かけない。たまにデパートのイギリスフェアなどで見るくらい。

三男夫婦が私の誕生日にわざわざ送ってくれました。毎日おいしいお茶しています。ありがとね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村