9/20
午後、熊本インターから人吉インターまで南下。まずはお城へ行きます。
城跡には神社があるのみ
神社奥の石段から城跡へ登ります。三の丸から球磨川がよく見えます。
二の丸跡
本丸跡。それにしても暑いです。盆地特有の高温に加え、日陰がない城跡、石段、石垣も暑い。
と、自分で求めて来たのに、あまりに暑くてめげます。
早々に街を脱出、球磨川沿いに地道を通って八代を目指します。
急流だそうですが、水量は少な目。
さらさらと気持ちよく。
途中でこちらへ立ち寄ります。1973年、愛媛大学探検部によって明らかになった鍾乳洞です。
入り口のトンネルは涼しい。
鍾乳石
こちらも。一般コースは40分くらい、元の場所に戻ります。さらにハードな探検コースもあります。
あの谷あいに球泉洞はあります。丸屋根の森林博物館は閉鎖して、建物は廃屋になりかかっていました。
八代はルートイン八代に投宿。こちらは全国展開のホテルなので、サービスは安心です。温泉浴場もついています。朝食も6,000円を思えばとてもお買い得。スポーツ大会の学生さんなどもいて満室とのことでした。
近所にたくさんお店があり、夜の食事は大丈夫。お魚がとてもおいしかったです。
翌日は九州道福岡ICから都市高速に入り、貝塚ランプで降りたらあとは道なりに。
広大な埋め立て地を走り、いよいよ近くなってきました。
海の中道大橋。ひろーーーい。夫は二日市に住んでいた子供時代、ここまで海水浴に来ていたそうです。
博多駅から国鉄に乗って来たことでしょう。今もJR線はあり、福岡への通勤圏のようです。両側松原で家族連れが多そうなのでpassして志賀島へ行きます。
志賀島へは細い砂州で繋がっています。
海で若い人が遊んでいます。
志賀島へ入った途端、道が狭くて通勤圏というよりは漁村の趣。
中学の社会科で四月に習う「漢倭奴国王」の金印の出たと言われる場所に公園があります。
倭も奴も僭称?漢帝国の威光あまねく四海に充つというところでしょうか。
国宝の本物は福岡市内の博物館が所蔵するそうです。
向こうは能古島。こちらも20年くらい前に行きましたが、リゾート施設が多くて人が多かった記憶が。
「能古島の片思い」という曲がありましたね。どんなんだったかな。
公文書の封印として使われました。
公園で。
秋の旅
ぐるりと回って国民休暇村前の砂浜で、お弁当食べました。それから波打ち際まで行ってみます。
きれいな砂浜でいい波を待っています。
波乗り最高。
引き返してみるわ。一つ前のカーブまで。いつか海に降りたあの駐車場にあなたがいたようで。BYユーミン
夏は来て夏は去る。何十回と夏を見送ったけど、一つとして同じ夏はない。
どうしてできるだけ優しくしなかったのだろう。二度と会えなくなるなら。
後悔はいつもあとからやってくるもの。その時には同じような夏がまた来ると、疑わない。信じるほどの強い気持ちではなく、今日の続きの明日のように、波のリズムのように自然に繰り返すと思っている。
でも、人は別れ、別れるからこそ新しい人に出会い、そうやって一夏一夏を過ごしていく。
孫のいるばあちゃんもきれいな海を見るうち、あの夏、この夏を思い出し、ウルッとしてしまった。
そう、一番身近な人とだって、いつかは別れ二度と会えなくなる日が来る。
海も空もこの先もずっと同じ姿を見せるはずだけど、自分はこの先どうなるのかな。。。。
呆けて人に迷惑かけたりせず、あまり痛い思いもせず、周りの大切な人に感謝しつつfade outしたいもの。
すんません、戯言陳謝。
でも今年は彼岸直前にぶっちぎりで素敵な海を見て、ロシアもよかったけど、いい夏でした。
健康と少しのお金と、運転交替で行ける伴侶に感謝。
しばらく行くと磯も。
さてこのあとR201で飯塚へ行ったあと、帰ります。
九州道では交通事を二回目撃。一度目は追突、二度目はバイクのライダーが担架に乗せられていました。
九州道はバイクのオフ会多し。今まで三度バイクの事故に遭遇しました。バイクの皆様、なにとぞお気をつけて。
追加画像
先月16日、ロシアからの帰りに見た海の中道と右奥の志賀島。
離れているように見えますが、道路一本で続いています。若者たちが遊んでいたのはいちばん細い部分の右側。サーフィンしていたのは右の島の右端。写真の外側です。
右、玄界灘。左は博多湾。海に挟まれた自然がいっぱいの半島と島。大都会のすぐそばにある素敵なリゾートでした。