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あわや熱中症に

2013-07-31 | 日記

この私が。

いきさつはこうです。きょうは三か所へ行く用事が。車で行けばいいものを、駐車場を探すのが嫌で、ついチャリンコで。途中、ものすごく暑かった。自転車で走っているときは風を受けて涼しいけど、信号待ちでは焚火に投げ込まれたような熱さ。

帰宅するとすっかり気分が悪くなり、寝ていた。寝ていてもまだ気分が悪く、お茶飲んで梅干し食べて、夫は会合でいないので、食事作る気力もなく、買ってきたお寿司も少しだけ食べてまた寝ていた。

夜10時前、夫帰宅。体を冷やせと言われ、保冷剤を頭と両脇に当てて安静に。それでだいぶ気分がよくなった。風呂に入って水シャワーで体冷やすとやっと生き返ったよう。だいぶ鬱熱してたのかも。

日頃暑さに強いと自慢してたけど、無理は禁物、こりごりです。今は手拭いに保冷剤を包んで、両方の頸動脈を冷やしつつパソコンしています。二日連続で四時ころまで起きてたので体調も悪かったのかも。きょうこそ早く寝ます。

皆様も、私みたいなバカなことはしないと思いますが、なにとぞお気をつけて。

 

 

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眠れないので・・・

2013-07-30 | 日記

宵の口に畳の上で転寝したら、眠れなくなったのでまだ起きています。午前2:52です。不良主婦道、まっしぐら。

織りは八月は夏休みだし、古文書は諸般の事情で止めたし、暑い長い夏、何して過ごそうかと思案中。

今年は長男は遠くの大学に行ってるし、それを話したら三男は帰らないし、その全体のいきさつを話したら近くにいる次男も・・・の反応。

昔はこんなだったのにね。こんなにくっついていたのにね。

後ろのグチャグチャとものを突っ込んでるのは元は床の間。今はフラットな床にして後ろに窓開けてます。最近の家は床の間皆無のようで、よほど大きな家だとあるかもしれませんが。

三男の作った動画、なぜかアップできる。はい、この通りの男でございます。今はほとんど親の思う通りには動かない・・・というのは昔からだった・・・

親に一言の相談もなく土地買って家建てるらしい。どんなローン組むのか心配だったけど、私が借金するわけでないので行っても仕様がないと話すとたった一言、「そのとおりでございますとのこと。

六歳頃の三男。クリスマス会で次男にクラッカーさせてもらえず、開いたクラッカー持って大泣きしています。

2011年元旦、山口県までUFO求めて。変な奴、そして薄着。

県立美術館のトイレで。二年くらい前。大島に塩瀬、ニット帽にニットのバッグ。バッグは毛玉がひどくてもう捨てた。その時楽しむポップなデザイン、遊び心で持つバッグだったようです。着物を普段着っぽく着るのが好きです。


 

 

長男から内祝いが届いた。その一つ。器は自作。

先週のお弁当。別名、手抜き弁当。袱紗は友人からのプレゼント。

先週出かけた時の昼ご飯をパチリ。小さな店のちょっとした定食が最近のテーマ。イタリアンとかもう食べたくない気分。

刺身に天ぷらと和食の基本は押さえている。味噌汁もついてこれで800円。これに茶碗蒸しと赤飯つくと結婚式にも大丈夫・・・な訳はないけど。持ち帰り弁当500円も豪華だった。今度買いたい。

頂きました。小説の同人雑誌です。もう忘れるくらい昔からのお付き合いです。今から読みます。ありがとうございました。

 

 

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「軽井沢の風だより」 早坂真紀

2013-07-29 | 読書

 

 クリックで拡大。R18御代田付近からの浅間山。2008年


 

最近雨も降るけど、夏はまだ折り返しにも来ていない。

近所の公民館に行ったとき、涼しげな題にひかれて借りてきた。少しでも暑気払いできるかなと。

著者は内田康夫氏の奥さんで、自身もエッセイなど書く人らしい。これは10年くらい前の婦人公論に連載した短文を集めたもの。

1985年、軽井沢に二千坪の別荘地を求め、それ以来通年そこに住んでいるとか。子供はなく、愛犬もこの本を出した時点ですでに死んでいる。

軽井沢の四季が読みやすい文章でつづられる。自然の中に暮らすのは誰にとってもたぶん憧れだけど、冬は寒いし、夏は虫が出るし、それを楽しめる人だけが、軽井沢を楽しめるのかもしれない。

軽井沢の歴史だとか、今の時代の矛盾に対する考えだとか、そういうものをこの本に期待してはいけない。あくまでも文字でつづる淡い水彩画、ひととき味わって楽しむもの。人の心を不安で攪乱したり、これではいけないと何かに目覚めるきっかけになる本ではない。

自分でお金を出しては買わないけど、あれば読んでもいいかなと思えた本。それにしても、軽井沢関係の本って、なんで軽く自慢モードが入ってるのかしらと不思議。

カラマツも白樺も結構だけど、そればかり植えるのはどうかな。多様な植物があってこそ、本当の自然。

追分駅から追分宿までの別荘地もカラマツばかり植えていた。辺りは暗く、生き物の気配の感じられない死んだ森。カラマツを植えるという決まりでもあるのかな。管理がしやすいのかもしれない。自然の力って、たまに来るだけではコントロールできないので。

もう一つは雲と霧。雲の一部が地面に接していたら霧というのが一般論だけど、富士山にかかる雲はやはり霧ではなくて雲ですよね。雲の中に人が巻き込まれて、あるいは間近に見る場合のみ霧というのかも。

秋口に広島県の盆地に見られる雲海、中に入る人にとっては霧。徐々に霧が上がると雲になるけど、これもやっぱり人の近くにある場合は霧なんでしょうね。

曖昧模糊とした日本語の、わけても違いのはっきりしないのが雲と霧。それをこの本を読んで改めて考えた。

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遠花火

2013-07-28 | 日記

一湾をかこむ灯淡き遠花火 藤木竹志

遠花火征きて還らぬ人の供華 木内美保子

今年また見られる幸せ遠花火 (筆者駄作)

見えるまま見るだけでよし遠花火 (筆者駄作)

孫生あれて祖父母となりし遠花火 (筆者駄作)


毎年、屋上のさらに上、塔屋に昇って見る花火、今年は友人も誰も来ないので久しぶりに(多分25年ぶりくらいに)、よく見える場所へと出かけました。

場所は元宇品小学校入り口付近。我が家からは徒歩で20分くらい。山道を必死で上がってたどり着くともう始まってた。

この場所から見るのは初めて。そう人は多くありません。なぜか外国人のグループと日本女性数人が来ていて、賑やかに英会話していました。なんか楽しかった。人が楽しそうだったからかな。

一番いい場所はアマチュアカメラマンがたくさん。三脚立てて撮影していました。

夫は庭用サンダルの足元不安定、暗がりで転倒してしまいました。どこへ行くにも足元大切。


 

昔の彼氏、今の同居人に誘われて初めて花火を見たとき、眼鏡橋のところでヘリウムの入った(たぶん、水素なら超こわい)風船を持った男の子が「お母さん、これ炭酸はいっとるんよね」と言ってたことを毎年思い出す。クリクリ頭のかわいい子だった。

三男が四歳くらいの頃、一万トンバース近くの夜店で光る腕輪1,000円を買ってやったが、翌朝には光らなくなった。夜店、なぜか懐かしい響き。

次男は赤ちゃんの頃、花火の音が怖くてバーン、うぇーん、バーン、うぇーんの繰り返し約一時間。これはどの子も泣いてたかな。

私の祖母は、戦死した叔父が小さいころ、夏祭りの夜店の回り灯籠をせがんだのに買ってやらなかったと、ずっと悔やんでいた。現金収入少なく、子供の多い昔の暮らしは、それも贅沢だったのかも。

無駄なものを買わないのは実家の習慣のようで、お祭りでお金使うのは私も抵抗がある。夫は屋台なんか見ると買いたくなるそうだけど、昨夜は転倒してひざを擦りむきtention下がってたそうで。

帰りも大勢の人、電車に人を誘導するのが大変そうだった。数年前、未婚だった長男と花火見物に行ったつもりが、長男は電車大好きなので、二人で花火に背を向けて電車の誘導と客扱いばかり見ていた。なかなか面白かった。

さまざまなこと思い出す花火かな 筆者駄作 これは花火のところに違う言葉を入れたらいくらでもできそう。花見、紅葉、雪景色、山若葉、初鰹などなど。

 

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「風立ちぬ」その他を観る

2013-07-23 | 日記

きょうは久しぶりに朝から出かけました。デパート別館内の八丁座です。八丁堀から名前を取ったと思われます。

以前は松竹東洋座、閉館のあと経営者が替わってリニューアルオープン、全席指定、椅子が楽、いつもここで見ます。

media mixはけたたましくて疲れます。

映画を二本見ます。午前中「風立ちぬ」、午後から「夏休みの地図」です。

デパートのレストランは人でいっぱいだったので、昼ご飯を求めてふらふらと東急ハンズの北のあたりまでさまよいます。細い路地にいい感じで食べ物屋さんが並んでいます。藤棚のあるのは普通のお宅。市の中心部に残る昭和の面影。

向こうは水道局か県庁別館の植え込み。木がよく茂っています。日清戦争当時、臨時の帝国議会の建物があったのもあの付近。元は広島城外堀の内側です。

歳とるとこんなものがしみじみと美味しい。江田島直送の魚各種。風立ちぬの主人公は鯖の骨を見て、その形の美しさに感心する場面が。当時の計算は計算尺。それで航空機の設計するんだから素晴らしい。

計算尺は、関東大震災で骨折した菜穂子の付き添いの女中(お手伝いさん)の手当てにも使われます。計算尺は副木にもなる。素晴らしい。

きょうの共同通信への立花隆の寄稿、映画は純愛、反戦、など人によっていろいろな解釈ができるとあった。

飛行機作るだけなら味気ない話、そこに結核で亡くなる人への純愛が加わるのでいい映画になっていたけれど、反戦はどうかな。科学技術は戦争で発達する。科学者、技術者はその用途まで考えて開発するわけではあるまい。純粋な知的好奇心。作中の二郎も飛行機の開発一筋。結果として戦争に加担し、敗戦を迎える。

破壊され尽くしたラストからは、反戦への思いではなく、どんな時代にも自分のやるべきことを淡々とこなすのだという静かな決意。私にはそう見えた。

それにしても結核である。かつては国民病と呼ばれた不治の病。人がなかなか死ななくなった今の時代には、物語の背景としてどんな病気を持って来ればより悲劇性が際立つのだろうか。

というようなことを考えながら、日替わり定食700円をいただく。冷たいお茶飲み放題がありがたかった。店の名前失念。今度辿りつけるかどうか。

午後からは「夏休みの地図」を見て、バスに乗って今から帰ります。

広島の街がいっぱい出てくる楽しい反戦映画でした。本川小学校の子が、山根町でラジオ体操して、中央公園で遊んで、牛田の仏舎利塔へ駆けあがって、広島中を縦横無尽に駆け巡ります。

お父さんの山本太郎、お母さんの奥菜恵も好演。楽しめました。

バスがきたので今から帰ります。

この付近へ来るのは本当に久しぶり。あんまり久しぶりなのでつい写してしまった田舎もの。

いつの間にかデパートは夏物バーゲン最終価格だそうで。でも、なあーーーーんにも欲しいものなくて買わずに済んだ。

花柄のブラウスとか私のキャラじゃないんですよね。花柄着ると空間がだれる。太って見える。太って見えるんじゃない、太っているだけと夫にはいつも言われます。フン、すまんかったのお、といきなりの広島弁。私は広島生まれじゃないのに。。。。

 

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「夕映えの信濃追分」 日達良文

2013-07-22 | 読書

信濃追分からは浅間山がよく見える。2006年10月。写真は以下同じ。

信濃追分の今昔についてのエッセイなどをまとめたもの。1999年刊行。

著者は川崎生まれで戦時中から戦後しばらく長野県諏訪地方の原村というところに疎開し、その頃から幾度も追分を訪ねたという。

その追分への愛がよく感じられる本。話は重複することや、資料の引き写しみたいなところもややあり、話の筋が辿りにくいけれど、戦後の写真多数。それが珍しかった。今は木が茂る追分だけど、30年代は原野のよう。思うに戦中、戦後に燃料として木は伐り出されたのかも。

また明治時代にはまだまだ宿、商店多数。まだまだ交通の要衝だったのでしょう。

著者は今もご存命で、今年も自費出版で本を出されたとのこと。

http://www.shinshu-liveon.jp/topics/node_235638

追分は中山道と北国街道が分かれる宿場が置かれ、昔はたいそう賑わったという。今は軽井沢からしなの鉄道で西へ二駅の静かな町。

中軽井沢の方からが山の形はいいかも。軽井沢からは手前の山が邪魔して見えません。

追分宿の面影

油屋旅館 戦前、文学者定宿だった油屋は火災に遇い、別の場所に建てられた。2013年現在、宿は廃業。建物は催し物などに利用されるていらしい。私が泊まったのは2006年、どっしりとしたいい宿でした。

分去わかされ。右、北国街道、左中山道。向こうは国道18号線。右にかすかに見えるのが旧中山道。車が迷いこまないよう標識があります。この付近も昭和30年頃は原野で、道路も舗装されていない。


 

詩集 風に寄せて

 夏の旅

   I  村はづれの歌     立原道造

 咲いてゐるのは みやこぐさ と
 指に摘んで 光にすかして教へてくれた――
 右は越後へ行く北の道
 左は木曾へ行く中仙道
 私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
 さうして 夕やけを背にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町
 馬頭観世音(ばとうくわんぜおん)の叢(くさむら)に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた

これは昭和10年頃の追分が背景にあると思われます。みすぼらしい故郷の町とは東京のことですね。なんでみすぼらしいと言ったのか、追分がそんなに好きだったのかな。


狩人の「コスモス街道」は立原の詩を本歌取りしていると思われます。脈々と引き継がれる抒情の世界。

コスモス街道歌詞 http://j-lyric.net/artist/a002424/l006f35.html

夏、信州、避暑地、一夏の恋、別れ、風、木、草と小さな花、少女・・・何で引かれるのかな。

暑い街中で雑用に追われ、人間関係に疲れて、しがらみのない高原に思いを馳せるのかな。

白馬山麓という歌もありましたね。 http://www.uta-net.com/song/125376/

白馬岳に行く前、夫の仕事場の階段を五階まで、リュック背負ってトレーニングしていた時、いつも聞いてましたけど、行ったときには豪雨、白馬尻で通行止め、泣く泣く引き返しました。行くときは水量少なかった谷川が轟々と音を立てて、木の一枚板の橋を渡るのも怖かった思い出が。

少しうんちくを許していただくなら、白馬は元は代馬、すなわち代搔き馬のこと。山腹の雪が馬の形に融けた頃に田起こしをする目安にする。だから馬は白ではなく岩の色。

http://www.hakubamura.net/feature/snowmarks/

現在の白馬岳ライブカメラ、15分ごとに映像が替わります。http://www.vill.hakuba.nagano.jp/livecam/livecamera.php?id=1&y=2013&m=07&d=22&h=09&i=00

 いろいろな思いのある信州です。夏になると思い出します。

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息子一家の来襲

2013-07-21 | 日記

もうすぐ長男が国内留学に出発するので、昨夜は一家で遊びに来ました。先月生まれた孫は初めて我が家に来ます。

目を覚ましました。生後46日、会うのは20日振りくらいでしょうか。母乳を一杯呑んで、大きくなりました。

みんなで替りばんこに抱っこします。

ひいおばあちゃんと

 

おじいちゃんと

 

おばあちゃん(私)と

誕生日が長男と6日違いです。夏、肌着一枚でコロンとそこらへんに転がしていたのが昨日のよう。

月日がつたのは早いもの。みんなの愛情をいっぱい受けてすくすくと大きくなあれ。

花火もしました。私の買っておいた、Tシャツにスカートのついたワンピースを着ると大喜びです。今週末の地元の花火大会にも来るそうで、大きくなりました。

昨夜のメニュー、夏野菜いろいろと鶏モモのカレー味煮込み、刺身、冷奴、キュウリのハリハリ付け、トマトサラダなどなど。長男が一言「美味しい!!」と言ってくれました。手抜き料理でも息子にはおふくろの味。

八月末まで、しっかり勉強してきてください。

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内子、大洲、高知・・・夏の旅5

2013-07-20 | 旅行

旅行もいよいよ最終日、きょうは高知県の各地を見て家まで帰ります。

朝、ホテルの窓から高知城を見る。きょうは行きません。

桂浜、坂本龍馬像前で

小6の修学旅行、30代に一度家族旅行で。今日で三回目。久しぶりぜよと龍馬言う。

絶景

五色石。1961年に来た時は海岸はこんなきれいな石ばかりだったが、今はわずか。採りすぎたらしい。

六年生の時にはお土産に拾って帰りました。あんなにたくさんの石がなくなってしまうなんて。。。。

絶景

いざとなったらペットボトルで。波が高くてさらわれることもあるらしい。

ウミガメが産卵したので立ち入り禁止。夏の熱い砂で卵が孵る。自然の不思議な摂理。

足摺岬方面に一時間ほど行くと36番青龍寺があります。この近くの私立中学に相撲留学していたモンゴルの少年はのちにこの寺の名前を取って「朝青龍」としこ名を付けます。何もない寂しいところ。遠い国からきて頑張ったんだなあと。。。

石段急。何の小錦じゃなくてこれしき。昨年行った久延寺を思えば楽。

本堂は古い。木の古び方から見て室町期頃?

白装束で何かの業をしている人がいます。

「何されてるんですか」と聞くと、ご主人曰く「霊を払っている」んだそうで。

「家内はその力を持ってるんです。息子に霊がついて、医者でも治らなかったのを治した」

といいつつ、お孫さんたちの背中にも呪文を唱えて「エイッ」とお祓いしています。

霊ですかあ・・・信じる人には見えて、信じない人には見えないんでしょう。

近代的知性が邪魔して(知性があるとすればの話ですが)、素直に信じられない私。

でもとても珍しいものを見せてもらいました。うーーーむ、四国の果ての果てで、昔からの習俗に出会えたのも旅の収穫。

滝の下がパワースポットらしい。

続いて龍河洞へ。鍾乳洞です。1,000円払っていざ洞内へ。

案内板多数

造化の妙

岩のカーテン

寒い))))))

弥生時代の忘れ物。岩と一体化した土器。

実験のため70年前に置いたもの。1960年に来た時は置いたばかりに見えたけど、下の方が少しくっつき始めたとか。

帰りはしまなみに廻らず、瀬戸大橋へ。途中、観音寺市内で讃岐うどんを食べる。

道の駅隣接、観音寺市郷土資料館。大正3年に三豊郡農会農事試験場として建てられたもの。モダンでシンプル、科学の府らしい知性を感じさせる素晴らしい建物。

木の組み方が美しい。明かりとりの窓もある。

帰ります。讃岐富士(飯野山)

瀬戸大橋。橋は三つあり、それぞれデザインが違う。潜ってみると巨大。

刻々と変わる眺めが楽しい。

瀬戸の夕暮れ。右は岡山県児島市の下津井港。

お土産。鳴子と虫

うどんと練り物。

虫はこんな感じで。

長々とみていただいてありがとうございました。亭主敬白。

 

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内子、大洲、高知・・・夏の旅4

2013-07-18 | 旅行

8/14 午後、暑い大洲を脱出、高知へと向かいます。途中は川沿いの山道が多いけど、道は広く信号はほぼなくて走りやすいです。車もそう多くありません。この付近は私が運転。

ホテルに行くには早いので五台山の「牧野植物園」に行くことにしました。

午後五時が閉園、一時間しかありません。

アプローチは高知の自然を復元した森。自然のいい感じに木が茂ります。向こうは高知市内。

受付で「一時間で見られますか」と聞くと「大丈夫」とのこと。でもとても一時間では無理です。最低二時間、ゆっくり見たいなら半日くらいは必要です。またいつか行きたいもの。

ジヨウロウホトトギス 高知県の固有種だそうで。図鑑そのままの指導票がさすがです。

といちいち見ていたらとても時間がありません。

ノカンゾウとカワラナデシコ。夏!!

名前未確認 形はクルマユリ、色はヤマユリ・・・

ヤマユリ?

ヒギリ 緋桐とでも書くのかも。当然、木らしい。

定番 ノリウツギ 涼しげ

カギカズラ これは宮島にもあるはず。

マルバチシャノキ チシャノキは広島城にあり。こちらでは一つ一つ違った種類で珍しい。

ナツロウバイ これも初見。珍しい。

キスゲ 別名ユウスゲ 名前の通り夕方咲いて朝にはしぼむはかない花。山へ行ってもいつも昼間なのでしおれたのしか見たことなかった。今は夕方、時は夏。キスゲの開花に出会えた幸せ。

ヤマアジサイ

イソスゲ

たくさん咲いていた。名前失念。

湿原にはトンボが・・・

駆け足で園内を巡り、やっと下の出口から出て、もう一度高知の自然を再現した森を見るうち、門が閉まって出られなくなった。低い塀に上がり、係員用出入り口から脱出。夏は六時閉園にしてほしい。


 

ホテルにチェックインして、食事はこちらで。

どういうところかというと

生鮮品の市場であり

一大屋台村。通路にテーブルといすが並び、席を確保したら、各自好きな店からお酒や食事を買ってそこで食べるというシステム。

店先や店内の席も、一品買えば持ち込みもOKと、全体が大きなお店のよう。私たちのような年配者は少なく、若い人たちで大変な活気です。

お酒も食事も激安。種類も多くて新鮮でした。この日は生ビール、焼きそば、空揚げ、枝豆、カツオのたたき、鯨のカツ、鯖の寿司などなど。激安。安くて活気があって結構でした。

帰り道の商店街で、鳴子を両手に持って踊るチームが。

こちら高校生。よく揃って上手です。同好会のようです。いいものを見せてもらいました。


南国高知は草も木も人も、エネルギッシュでパワー全開。元気をいただきました。今回で四回目くらいかな。来るたびに都会になっています。

翌日は桂浜、青龍寺、(ここで滝つぼに入り、除霊をしている人に出会う。いゃあ、びっくり。映画みたいだった)龍河洞、観音寺でうどん屋求めてうろうろと、のち帰宅。盛りだくさんの一日でした。乞うご期待。

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内子、大洲、高知・・・夏の旅

2013-07-17 | 旅行

内子からは一般道で大洲まで。まずは大洲城へ。

朝からメチャクチャいいお天気で、Pからここへ来るだけで汗ダクダク。エッ、あそこまで登るのと思ううち、後ろから老婦人に呼び止められ、寅さん映画でこの城と我が家が映ったと親切に説明してくださった。

お城の反対側の瀟洒な二階建て、昭和10年代の建物、窓のレールを供出して今は竹のレールだとか。

寅さん映画は、30年以上前の、嵐勘十郎が殿様の末裔に扮するものです。若い人にはわかりませんよね。

説明聞くうち、あまりの暑さにクラクラッとしてきた。老婦人は何回、その話を通りかかる観光客になさって来たことか。郷土愛ここに極まれり。

天守閣は最近再建されたそうで、周りは見事に何もなくて暑い。大きなムクノキの下で、子供が二人、遊んでいました。

草もないので虫もいなさそう。虫は草むらへ。これ虫獲りの鉄則。

虫はこんなところにいました。臥龍山荘への近道で。すべて棕櫚などで編んだもの。

ご主人が自己流で作っておられます。冷やした夏みかんもいただきました。虫は100円、みかんはサービス。

臥龍山荘入り口。肱川が蛇行して淵を作り、その切り立った崖に面して建つ。元は殿様の別荘。荒れていたのを明治時代、当地の実業家が京都から職人を呼び寄せ、桂離宮などのイメージで再建したそう。広くはないけど、凝ったつくりの建物でした。

室内撮影禁止。庭ならいいとのこと。きちんと座ろう愛媛県。

一番奥は川に乗り出すように離れが。建物は投入堂のような柱で支えられている。見晴らしよくて気持ちいい。

ここで月見をしていたそうな。中秋の明月の夜、川面に反射した月がこの部屋の天井に移りこむそうな。風流にして贅沢な空間。

hanging room

川中の小島からさっきの離れを見る。とても高いところにあることが分かる。

再び街の駅に戻り、街歩きをする。連続テレビ小説「おはなはん」のテーマ曲が聞こえる。

「おはなはん」?樫山文枝と高橋なんとかという俳優さん、あの人の信長が私的にはいちばんよかった。男性俳優はみな信長やりたいんじゃないだろうか。みんなが「殿、ハハッー」って頭下げるんだもの。

話がそれました。フリマか何かのイベント、暑そうです。

裏に廻れば昭和レトロの骨董店。見るのは好きだけど、ここにあるのと我が家にあるのといかほどの違いやあらん。ものは増やさず、思い出だけを写真に収める。

この日はひたすら暑さとの戦いでした。高知へ向かう山中の国道には道の駅が三つほど。ひたすら土佐の国を目指します。

梅雨が早く開けたので今年はこの時期旅行したけれど、いゃあ、暑かった。

このあと高知の牧野植物園見学しますが、次のページにします。

see you soon

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やれやれ

2013-07-17 | 日記

以前活動していて今は解散している被爆証言を聞いて本にする会 

http://homepage2.nifty.com/hiroshimaaozora/

解散して5年も経つけど、いまだに内容や残部について問い合わせがあるらしい。公民館で活動していたので、とりあえずそちらへ連絡が来て、元代表に問い合わせが廻るけれど、証言者とはその後連絡取ってないし、故人となられた方も何人かおられる。

**さん、ホームページのトップ直しておいてと元代表から言われたけど、それからが大変。

ホームページ作成のソフトを新しいパソコンに入れ、手許にhtmのファイルがないのでネット上からとって来て再編集→転送・・・あれれ更新できない。これを繰り返すこと十数回、思い余ってプロバイダーのサポートを仰ぐ。

インターネットのオプションを開いてどうたらこうたら、そんなことがこの私に分かるはずもない。接続をいったん外すなんて、そんな恐ろしいこと、できません。あとで繋がらなかったらどうすんのよ。

ふと思いついて、転送するhtmファイルの名前をindexに替えたらすぐできた。何だ、こんなに簡単だったんだ。

index・・・index・・・忘れないようにようにしなければ。

今朝はテレビのアンテナ調整に来てもらったはずが、二台目、三台目にはリコーダー経由で行く設定のそのレコーダーのコンセントが繋がってなかったという、年寄りのような間違い。いえいえ、こんなことするんだから、もう立派な年寄りです。

話を元に戻すと、証言してくれた方たち、どうされてるのかな。一緒に活動した仲間も散り散りになったけど、みんな元気でいると信じたい。

ホームページ作成は私が一人でやっていた。若かったなあ。ページデザインなど、ブログよりも自由度は高いけど、時間がかかるし、IDやらパスワード入れて転送するのが邪魔くさい。今はほとんどブログでカバーできると思う。

プロバイダーのホームページ作成のサービス、いつまで続くかは不明。

昨日は息子に送金。通帳確認しなされとメールしたのに返事なし。仕事が忙しいのだといいように解釈しよう。

ついでにこちらも復活できた。

http://homepage2.nifty.com/hiroshimaaozora/4kaigenrei.htm

私の署名は外した。前に試したのが2010年、その時はアクセス権がないと言われていたけれど、今日はなぜかできた。良かった。

それにしても、月日が過ぎるのが早いこと。

 

 

 

 

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内子、大洲、高知、夏の旅・・・2

2013-07-16 | 旅行

14日、日曜日。朝の内子の街並

二階の手前の部屋に同行人がまだ寝ています。早く起きれ!!

本芳我邸の鬼瓦に鏝絵

骨董屋

山野草の盆栽

実業家の屋敷跡。今は地区の催物に使われている。

宿へ戻りました。坪庭で明るい。

朝ごはんです。ウィンナーはドイツで修業してきたご子息が作っているとか。spicyでおいしかったです。道の駅内子フレッシュパークKARARにも置いてあります。

道の駅で。

奥は川に面して休憩する場所

森の中のレストラン

川べりを歩いて吊り橋を渡ります。

上流

下流

水辺。

リゾート地のような白い椅子とテーブル、そして木陰。

立ち去り難い内子ですが、そろそろ大洲へ向かいます。

 

 

 

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内子、大洲、高知、夏の旅・・・1

2013-07-16 | 旅行

7/13 午後から出かけます。広島都市高速→山陽道→しまなみ海道→松山道と走って、目的地は愛媛県内子です。宿に行くにはまだ早いので、小田川を遡り、大瀬まで行きます。

集落のT字路。魚屋さんが鯖を丸ごと焼いています。いい匂いの煙が漂い、近所の人数人が雑談しています。

家の後ろは川、国道、そしてすぐそばまで迫る森。

反対側の山裾には「大瀬の館」、旧村役場の建物を集会や宿泊の施設として再生しています。

 

藩政時代から製紙の材料、ろうそくの材料などの集積で栄えた村の面影がよく残っています。歩いて10分くらいの短い街並みですが、酒屋数軒、魚屋などもあり、豊かな地方だったことが想像されます。

この道は内子から久万高原町へ行く主要な通りだったようです。ビールケースの向こうがノーベル賞作家の実家です。土間で犬がずっと鳴いていました。

新聞販売店の軒下には、各紙取り混ぜて、家ごとに入れてあります。新聞は配達されるのではなく、ここまで各自で取りに来ます。車で来た人もありました。

種物各種。野菜の種類が多い。

大瀬小学校。山がすぐ後ろまで来ています。

この後お寺へ行く途中で女の子に話しかけられました。

「きょう、クワガタ獲った。水の上で泳いでいたので手で獲れた」と嬉しそうです。

「そう、よかったね。何歳?」

「六歳」

「一年生?」

「うん」

「もう夏休み?」

「ううん、19日から」

「そうなんだあ、一年生は何人?」

「十人。おばちゃんたちどこから来たの」

「広島よ。知ってる?」

「知ってる。結婚式で行った。車で行って遠かった」

「そう、またおいでね」

「うん」

それから女の子は家族が待つ軽トラの助手席に乗り込んでいきました。

「ばいばい、またね」

「またね」と手を振る私。かわいくて人懐っこい女の子でした。


 

万延元年のフットボール、芽むしり仔撃ち、同時代ゲーム、飼育・・・深い森に囲まれた谷沿いの集落が舞台になった小説の数々。村には、昔は砂利道の旧国道しかなかったのでしょう。

東京からシュトロエンで谷間の村へ帰る鷹四、万延元年の印象的な場面です。いまでも外車で乗りこんだら超目立つ集落、ましてや作品の発表された1960年代に置いておや。そうだ、あれもまた妊娠小説だった。

自分が大瀬に行くなんて夢にも思っていなかった。便利になったものです。長生きはするものです。


内子町の古い街並みの中に今夜の宿、月乃屋さんはあります。約束の18時に遅れること2分、ご主人は家の前で待ってくれて駐車場へ誘導してくださいました。

よくいらっしゃいました。我が家の畑で今年初めて採れた西瓜です。色はこんなですけど甘いです。

甘くておいしい西瓜でした。

お風呂の後、一階の坪庭に面した部屋で夕食をいただきます。新鮮な野菜たっぷり、野菜とコメは自家製だそうです。とてもおいしかったです。肉は養豚をされる親戚からの仕入れだそうで。

スペアリブがまたおいしい。こちらも内子産の豚だそうで、味が濃くてジューシィ~♪

アジとか

デザートもおいしいです。

田舎の親戚のようにくつろぎます。扇風機があるとぐっと家庭的。

囲炉裏もあります。蚊遣を炊いています。向こうが通りに面しています。

家の造りは通り庭に坪庭、奥にまた部屋と、京都の町中の家の造りとよく似ています。坪庭があることで、奥の庭にも光と風が通ります。

部屋にはぬあんと蚊帳が。もう使ったことない世代も増えたことでしょう。あんまりにも懐かしいのでつい吊るしてしまいました。蚊なんていないのに。

天井の明かりがぼんやりとして、そうそうこんな感じだったと、体の緊張がほどけて行きます。

内子の街は夏まつりでした。大勢の人が街に繰り出して楽しんでいます。子供は浴衣を着て、お小遣いでかき氷を買ったりして、嬉しそうです。

木蝋の取引で栄えた芳我家は立派な作りです。

うろうろしているうちに宿のご主人夫妻と出会いました。お二人もお祭り現物です。誘われて川のところまで行き、花火大会を見ることにしました。奥様が高校生のとき以来、何十年ぶりに復活したそうです。

川の手すりにもたれ、ご夫婦といろいろ話します。団扇を一つ貸してくださって、虫よけスプレーも貸していただきました。これはもう旅館の経営者と客という関係ではないでしょ。言うならば、親戚か知り合いの家に泊まりに行ったような感じ。ちなみに客は我が家の二人だけ。全館貸切。くつろぎます。

地元の人に交じって、よそ者扱いされることもなく、川の向こうに上がる花火を見ている。花火見て腹立てたり、悲しがる人はいないはず。みんな幸せそうです。その幸せが私にも伝わってきて、幸せな気分になります。

これはもう太宰の「津軽」の世界ですね。偶然だったけど、夏祭りに行き合えてよかった。

川の向こうの川原で打ち上げます。10分間だけだけど、すぐ目の前に見えて迫力満点。

涼しい風も吹いてきて、また来た道を宿へと引き返します。こんどまた別な人と来てみたい、そう思った癒しの宿でした。旅はまだまだ続きます。

月乃屋さん

http://www.youtube.com/watch?v=EZ_-ubYVr6U&feature=youtu.be

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国民を守ってきた日本国憲法

2013-07-16 | 日記

http://blog.tatsuru.com/2013/07/12_1234.php

内田樹氏のブログはたまに読むけど、いつもなかなかに深い。

内田氏は、ブログを小さな出版社に見いだされて出版、それ以後刺激的な論考を次々世に問うてきた。ブログ出身のライターが、紙の媒体で出すのは大出世。ネット社会がいかに進もうと、この原則は変わることはないと思う。羨ましい。

この論の中で膝を打ったのはこのような趣旨の一節。

日本国憲法が施行されて以来、日本人の誰一人として戦死していないし、一人の外国人も殺していない。

私が思うに、なんという鉄壁のありがたい憲法であろうか。

こんなにはっきりとわかりやすいことに、なぜ改憲論の人たちは気が付かないのか。あるいは気が付かないふりをするのか。

軍事面で、アメリカの世界戦略に組み込まれてきた戦後の日本。朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本は極東の重要な基地として位置づけられ、戦争に利用された。忸怩たるものがあるし、片棒を担いだ、担がざるを得なかったことは悔しいけれど、それでも日本人が戦争に参加しなかったことは、もっと誇りに思っていいと思う。

改憲論、なんか急に言わなくなったけど、巧みに論争を避けつつ、参院で多数を得たなら必ずや改憲に向かって猛進すると思う。勇ましいこと言うと自分が偉くなったように錯覚する、幼児的誇大妄想。国の指導者がそんな単純なことでいいはずがない。ほかの国々はもっともっとしたたか。

膨大な国家財政の赤字と、いまだ反応をし続けて放射能をまき散らし続ける原発事故、それなのにさらに借金を積み重ね、原発を再稼働へと向かう狂気。とてもまともな国と思えない。

選挙というのもまどろっこしくてイライラするけれど、取り敢えず政見をよく読み、勉強しておかなくては。

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googleの功罪

2013-07-13 | 日記


 

昨日は織りのお稽古、最近、先生はipad持参で、雑談しているとすぐ調べてくださる。

昨日はgoogleのstreat vieawで各自の実家を見ることになり、たいそう面白かった。まるでその家に行き、周りを散策している感覚。

みなさんけっこう田舎だけど、田舎だからこそ、とても広い実家でびっくりした。白壁の塀をめぐらした旧家とか、何棟もの建物が建っているとか、現在地から車で何時間かかるまで表示される。

こんな情報が瞬時に得られるなんて、一昔前ならあり得ないこと。私も実家の画像見るうち、今にも母が出て来そうに錯覚した。

今度母が来たら、見せて驚かせようかな。


 

昨日は賞与を出した。最近、計算と振り込みは夫に頼んでいるけれど、今年は連休になるので12日、あわただしかった。しかしまあ無事に出せて一件落着。今月はまだ給料もあります。 

 

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