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「かわいい自分には旅をさせよ」 浅田次郎

2016-08-18 | 読書

島根県、由志園で。8/13


 

先日読んだ「帰郷」を買った後、アマゾンを見るうち、お勧めとして出てきたんだったかな。暑くて本屋行く気もしないので、古本をついクリック。

2000年前後に、各媒体に発表したエッセィをまとめたもの。いずれも軽く読めるし、作家の個人生活の一端が分かって面白かった。

三島由紀夫の自殺に影響されて自衛隊に入ったら、そこは浮世から離れた蔵の中のような安息の場所だったとか、子供のころに親の経営する仕事が破産して一家離散、親戚の家で大きくなったとか、初めは極貧の貧乏作家、ある時から巨額のお金が入ってくるようになるとか、いろいろエピソード満載。

特に急にお金が入って来た時に、舞い上がるのではなく、夫婦お二人で、何か悪いことが起きないよう気を付けようと話すのが面白かった。そういう目に遇ってみたいけど、遇えば遇ったで不安になるのかも。

ラスベガスに時々出かけるのもすごい。カジノです。お金はそうやって次の人に流していく。潔いです。

この中の話には一部納得できない部分もあるけれど、いろんな考えが世の中には存在していると勉強になった。

サービスとして、短編「かっぱぎ権佐」が併載。これは面白かった。直木賞作家の面目躍如。


本日、午前中に東光展と安野光雅展へ行く。いずれも招待券いただいていたので、交通費だけで済んだ。県立美術館へはバスで行けば早いのに、何を勘違いしたか、西広島行きの電車に乗ってしまった。本通りで降りて地下道どんどん行くと、ぬあんと市民病院の地下一階まで行けるのでびっくりした。行ったことなかったので。

建物の中を北東方面に行けば、出口もあるらしいけど、本日は正面玄関から出て、美術館まで歩いていく。まあいい運動になりました。

暑くても思い切って出かけると気も晴れるし、運動になるし、結構でした。


 

かわいい自分ではなく、かわいい子に旅をさせた結果、戻って来ずにその地で結婚して家を構えるのはどうよ。本人がよければ親がどうこう言うことではないけど。

左端の車はお嫁さん親族からの借り物らしいけど、二人で出かけるときは乗っているようです。


山陰のきれいな海。手を海に浸けてみて、納得して引き返す。短い夏の旅・・・・

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島根県立宍道湖自然観察館「ゴビウス」

2016-08-16 | 旅行

イングリッシュガーデン出て、宍道湖畔を出雲方面へひた走ります。

快走路。車はほとんどいません。

電車が走っています。

一畑電鉄。松江と一畑薬師、出雲大社などを結びます。

田園地帯を走るさわやかな色。


 

ゴビウスへ行きます。ゴビウスはラテン語で小魚のこと。島根県の河川や宍道湖の魚を展示する水族館。

暑いので外の施設はパスします。

魚色々。涼しげ。汽水湖なので、河口の魚と川の魚が仲良く泳いでいます。

鰻。日本鰻。ウナギは海で生まれて、川で大きくなる。

子供のころは近所の川でウナギの稚魚を見たこともあった。

おいしそう~という声が聞こえてきました。生きのいい魚色々、楽しめました。

宍道湖で採れたコイ

巨大!!湖の主。

草魚など。

宍道湖と中海の説明。いずれも塩分が少ない。宍道湖が海水の10分の1、中海で2分の1とのこと。

広島の川で採れる魚もあれこれと。広島も汽水域、アシの繁る寂しげな場所に城下町を作るに当たり、地形のよく似たこの地、運州平田から商人を呼んできたそうで、以前は広島市内に平田屋町と言う地名もありました。今のパルコあたりでしょうか。

そう思ってみれば、何となく懐かしい気もするのが不思議。

などとうんちくをあれこれ言って、またうるさがられつつ、宍道インターから高速に乗り、家に帰ります。約3時間。渋滞にも遇わず、無事帰れました。思いがけずに出かけられて、義妹に感謝です。


 

本日は午前中墓掃除。姑様はデイケアの日だし、もうどうでもいいとのことで、夫と二人で。

草抜きとお墓磨きで約一時間。終わるころには空模様が怪しくなり車に逃げ込む頃には豪雨。

でも国道へ出るころにはぴたりとやんでいた。極地的豪雨ということですね。

墓地にタカサゴユリが咲いていたので、抜いて帰って庭に植え、一部切り花。真夏の丈夫なユリです。近年、高速の法面などによく見られます。

ということで、けっこう盛りだくさんのお盆休みでした。

 

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鳥取、島根夏の旅

2016-08-15 | 旅行

8/13 米子市のアジア博物館、井上靖記念館へ行きます。

井上靖は鳥取の出身ではありませんが、中央アジアを題材にした小説があり、また1960年代ころからモンゴルや西域へも日本人の研究者が出かけたりして、その時の資料を保存しています。

米子から境港へ行く途中の海辺にあります。

展示は何棟かに分かれ、まずは地元弓浜絣に関する展示館です。きょうは休みなのか、それとも織る人が高齢になったのか、誰もいません。ひっそり。道具類に静かにホコリが積もりつつあり。天然藍で染めた糸はだいぶ色あせています。

鶴亀の絵絣。

絣糸を作る道具。

これも絣の一種?織りかけでいつ再開?

座布団各種

パッチワーク

庭は広大。スタッフ以外誰もいません。

モンゴルの民族衣装、ペルシャ絨毯などの展示もありました。細かな手仕事にびっくりです。

でもお客さん誰もいません。どうしたのでしょうか?

モンゴルの移動式住居・パオ

内部。広いです。材質は羊の毛をフェルト状にしたもの。だったかな・・・

羊は衣食住すべての材料になるのでした。

昔、日本人は北方から来たという騎馬民族説を唱えた江上波夫の寄贈した資料もありました。あの説は今はどういう扱いでしょうか。

戦後、世の中が落ち着き、朝鮮半島、中国大陸へまた行けるようになると古代史ブームが起きました。仮説を立ててそれに見合う資料を集めてくる。いろんな人がいろんなことを言って賑やかな時代でした。

私は舅様から「邪馬台国はどこにあったと思うか」と聞かれ、たいそう困った記憶があります。嫁としてどう話せばいいのか、難しい話題です。

今は奈良盆地南部ということで落ち着いているようですが。。。。とまたまた長話を。


歩いて海へ行きます。

だれもいません。白砂青松、そして寄せる波。寄る年波に抗いつつ、サンダルで浜辺を歩く昔の少女。

走る水辺のまぶしさ、息もできないくらい・・・それはきっと日頃の運動不足。

砂がとても熱かった。。。。。

続いて中海に浮かぶ大根島へ行きます。

大根島は暖かくて、昔から花の栽培が盛ん、特にボタンが有名です。

由志園では温度と光の管理で、年中ボタンが見られます。

エッシャー的。涼しげ。

出雲の自然を再現したそうで、深山幽谷の趣。

滝が涼しげ。

昼は、夫の大好きなそばを。蕎麦湯がおいしかった。


 

続いて松江イングリッシュガーデンへ。こちらは以前ルイス・C・ティファニー庭園美術館という名前で、アールヌーヴォーの作品いろいろ展示していましたが、松江市と民間美術館の間でいろいろあって、美術館は撤退したようです。

今は無料の庭園になっています。

ポットマンのお出迎え。

バラとベンチ

ラベンダー?とベンチ。

向こうは宍道湖。日本でないみたい。

東屋から海を見る。暑いせいか誰も来ない。

海辺へ出る。向こうに民家。見慣れた日本の家。なぜかホッとする。

泳ぎたいなあ~汽水湖だからあまり浮かばないかも。


このあと自然館ゴビウスというところへ行って、帰ります。

本日、被爆証言転載していたら、リンク切れ発見。ファイルはパソコンの中にも保存しているメディアにもネット上にもどこにもない。ガックリ。

幸い写真の少ないページだったので、本見て手入力ですかね。ガックリして、まだ立ちあがれそうにありません。いつから切れていたのでしょう。当時ホームページふたつ管理していて、ファイルがごちゃ混ぜになったようです。

ホームページの転送、いちいちパスワード入れて、バイナリモードとか何とかを選択して、面倒だった。レイアウトも全部考えないといけないし。よくもあんな面倒なことしていたなと、今になったら呆れるばかり。

リンク切れ、せっかくお話してくださったのに申し訳ないことです。しかも知り合いの方だし。

 

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大山鏡ヶ成かがみがなるの湿原を歩く

2016-08-14 | 旅行

さて桝水高原でジャージ乳のアイス200円を食べて、続いて南麓の鏡ヶ成高原へ向かいます。

こちら桝水高原のヨツバヒヨドリ。

鏡ヶ成へは車で30分ほど、大山環状道路を下ります。キャンプ場、スキー場、国民休暇村などがあり、どの時期も楽しめます。

休暇村の前、マツムシソウ。30年以上前の夏、子供たちと泊まりましたが、それから建物は一新。子供たちは憶えているでしょうか。あの時は大雨で、大変でした。

時は移り、人は老い、変わらぬものは高原の花と涼しさ。過ぎたことを追うなかれ。きょう一日が、大きな心配事もなく終わればそれでよし。

それでいい、いざとなったら頑張れるはず。人を傷つけず、嫌なことは笑って流し、心と体が健康であれば、それ以上何を望む。

そして、帰って行く家と心を許せる何人かの人。

時は少しずつ過ぎ、周りの景色も変わっていくけれど、高原で花を見たというささやかな喜びが、きっといつの日か、辛いことがあっても私を支えてくれるはず。

高原に風は吹き、マツムシソウは咲き出でて、いざでもなく、まあでもなく、そろそろと生きていかれればよし。


サワヒヨドリ。後ろは象山。山は以下同じ。6年前には登ったけど、きょうはパス。

オミナエシ

オオバギボウシ

ノアザミ・キンミズヒキ

アブラガヤ

キンミズヒキ・オカトラノオ

ヌマトラノオ

コオニユリ

名前不承

広い湿原。人は少な目。夏の旅。

オタカラコウ

オタカラコウ

トモエソウ

バイケイソウ?花は終わっている。

ハンゴンソウ

ハンゴンソウ

サワヒヨドリ。赤花と白花。赤いのは茎も赤い。

スキー場。右はスキー場の営業所。夏場は閉鎖。


 

前日に宿探したので、大山近辺には無し。米子駅前のビジネスホテル、シングル部屋ふたつとって、夜は食事に。

酔っぱらってます。顔隠してハイポーズ。山が案外早く済んで、湿原も見て、さて、明日はどこへ行きましょうか。

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「帰郷」 浅田次郎

2016-08-09 | 読書

八月は、先の戦争とその犠牲者について思いを致す月である。

私が子供のころには、特に夏は、周りに戦争の話があふれていたが、気が付けばもうそんな話を聞くこともなくなった。

著者は戦後生まれだが、戦争の中にこそ、人間の本質が見えるドラマがあふれていると考えているのだろう。

短編集だが、全編、戦争の話。南の島の戦場、自衛隊の中に見る旧軍の幻、戦後の混乱した社会で行き場を無くした復員兵、などなど、どれも鎮魂の八月に読んで心にしみた。

理不尽な死を前にして魂が純化される。生きるも死ぬもほんのちょっとした偶然、生き残った者も、帰れたものもまた困難な戦いが待っている。それを体験記ではなく、人の心の中まで描写する小説で読むことで、たいそう迫力があった。


 

この話は小説とは外れるが、原爆の体験談はいまでも地元紙には引き続き載っているけれど、外地での戦争体験などは、最近ではまず目にすることもなくなった。果たしてこれでいいんだろうか。

原爆に体験伝承者ができたように、戦争体験も語り継ぐことが必要ではないかと思った。遠い外地で、非業の死を遂げたたくさんの日本の若い人たち。そこへ思いを致し、不戦の誓いをする。この国の戦後はそれから始まったはず。そのことをまた思い出した。


蛇足ながら、表題の「歸郷」。玉砕した部隊の奇跡の生存者、帰ってみたら、戦死公報が届いていて、「未亡人」になった妻と弟が再婚し、家を継いでいる。義兄が駅で待っていて、お金を持たせて家には帰るなと追い払う。切ない話であるが、玉砕した者を「きっと生きていると思った」と毎日駅で待つ設定は無理があるのではなかろうか。

私なら、帰ってきた鹿児島なり、舞鶴の港から家にハガキを書くという風に書く。家では大騒ぎになり、義兄が駅で復員兵を待っている。この方が話がスムーズ。

というのは戦後音信不通だった伯父は中国で捕虜になっており、一年後くらいに「帰れそうだ」とハガキが届いたと母が言っていたから。外地で書いたのか、内地か聞きそびれたけど、それからしばらくして実際に復員してきたそうです。

そしてもう一つ、東京へ出てきて、行き擦りの女性と所帯を持とうと話すところで終わるけど、ちょっと待って。まず出身地役場へ出向いて戸籍を復活しないと社会で生きていけないのでは。たぶんこの小説が終わった後、その手続きして、物陰から自分の子供も見るのかもしれないけど。

何にしても切ない話である。


若い頃の知り合いのさる男性、兄姉は戦死した伯父さんの子供、自分の父親はその弟で、それを知ったのは高校のころだと話していた。

「昔はよくあった話だったらしいけど・・・」と、しんみりと話していた。それ以上は聞かなかったけど、戦争はいろいろな人の人生を変えたのでした。


 新幹線もない小学生のころ、列車は向かい合わせの座席で、大人の男の人はよく戦争の話をしていた。出征はどちらへ、というのが話のとっかかり。うちの父も誰彼となくそんな話をしていて、舅様にもまずその話を振っていた。

軍医で上海にいて、そのくらいしか私は知らない。私の父は横須賀から佐世保へ移動した後、敗戦。8月末には復員したそうなので、幸運な方だった。叔父はニューギニアで戦死(餓死)、母方の伯父は中国から無事帰還、叔父は潜水艦に乗っていて東シナ海かどこかでなくなったらしい。

人一人の命は地球よりも重い筈だけど、若い命がむざむざと殺されたのが戦争。それを避ける努力ならしてし足りないということはないはず。大丈夫ですか。日本の政治家の皆さん。

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「逆襲、にっぽんの明るい奥さま」 夏石鈴子

2016-08-04 | 読書

ロシア、セルギエフポサードの修道院に咲くバラ 2015年8月


主婦のいろいろ、生態各種の短編集。どれも短くてすぐ読める。主婦とひとくくりにされても主婦だって人、そして人はそれぞれ。典型的な主婦など初めから存在せず、自分の抱えた現実、困難と闘いながら生きている。それがよく書けている。

この分野は男性作家には初めから書くのが難しく、女性作家にとっても、あまりに日常に過ぎてドラマも生まれにくく、まだまだ未開拓の分野だと思う。

著者は出版社で編集者として働く一方で、小説も発表し、現実には一児の母。売れない映画監督の夫は最近別れたそうな。

本編と同じくらいにあとがきも面白い。賢い人だと思った。これからはもっと長いものも書いていただきたいというのが私の感想。

一つ注文出すと、どの主婦も考えがネガティブ、自分で自分を不幸にしていることもありそうで。とろい自分の子供にイライラするって、そりゃ勉強できて、なんでもテキパキできる子が自分の子供なら周りに対して鼻が高いし、人生も楽しいだろうけど、そうはいかないのが人生。そしてそれだからこそ面白いのも人生。

とろい子供でも自分の子供なんだから、もっと愛情を持てばいいのにとつい思った。

うーーーむ、次読むかと言えばどうかな。どうせなら、楽しくなるものを読みたい。

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「なにたべた? 伊藤比呂美+枝元なほみ往復書簡集」

2016-08-03 | 読書

元本は1999年、マガジンハウス刊。料理家と詩人のFAXによる往復書簡集。内容は作った料理、食べた料理と時折の身辺報告。

二人は物事にとらわれず、自由な生き方をしていて・・・と言う言い方もとても陳腐で、二人を説明することにはならないけど、料理も自由にアレンジして、読むだけで楽しく、かつおいしそうである。

食べることは生きる基本。どんな料理をどのように作るかで、その人の生い立ちから、性格、暮らしぶりから仕事の進め方まで分かってしまうというものであろう。

枝元なほみさんは劇団の賄いから料理家になった人、テレビの料理番組にも出る人らしい。雑誌の記事は自宅で料理するところを取材、撮影してもらうそうで、面白そうだけど大変だなと思った。

伊藤さんは現在アメリカに暮らし、ポーランドにも住んでいたこともあるらしく、珍しい料理の説明が面白かった。

私の知らない素材、調味料や香辛料、料理法など、とても面白かった。自分で作るものって、もちろんいろんな制約もあるけれど、ついワンパターンになりがちとしばしの反省をした。

ちなみに我が家の今夜の夕食です。

料理のテーマは私の場合、常にお金と時間の節約。あるもので、チャッチャと作る。

カップに入ってるのはモズクです。右下はとろろ昆布の冷たいすまし汁。

トマト、キュウリ、ゴーヤ、シソは自家製。スダチはもらい物。あとは冷蔵庫の中を探して。

時間は30分で。暑いので煮炊きはなるだけ簡単に。


昨日の絵付け教室のおやつ。おいしいものと楽しい話でいい一日でした。この他にクリームぜんざいを持ってきた人がいて、冷たくておいしかったけど、この時にはもう食べた後でした。

みなさん、ごちそうさまでした。

コメント (2)
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