海を渡って故郷へ。左、櫃石島までを埋め立てて一大石油化学コンビナートが。今はかつての勢いがない感じ。
着きました。
窓口で、さぬきうどん駅まで乗車券一枚、で買えるのでしょうか。試したことないけど。
14時過ぎ、駅前のめりけん屋で昼ご飯。
しっぽくうどんも海老天も私で最後。よかったあ~
海老天はこの店では「観音寺」と言います。産地の名前と思われます。
うどんは小だけど、野菜ゴロゴロでお腹いっぱい。好きです。しっぽくうどん。冬の定番。金時人参が実家風。
駅で母と待ち合わせ。いいお天気です。
でも、母がいくら待っても来ません。携帯にも出ません。来ないと置いて行くからねと前もって言ってありまが、一体どうしたのでしょうか。
そうこうするうちに、とんでもない方向からやっと来ました。
駅は海の方やと思ってーーーーずっと向こうまで歩いて行っとったーーーーよう歩いたあーーー。
駅が海の方って、いったいいつの話?瀬戸大橋ができてから駅は移転したでしょ。(瀬戸大橋は30年前に完成、国鉄本四連絡船が不要になり、そのあと、この付近は大々的に再開発したはず)
来たことないけん、知らんかった。(いえいえ、何度も来たはず。忘れているだけ)
まあ、タクシー下りて元気に歩いてこられるだけまし。これからの旅行、波乱の予感。。。。
宿に着きました。
三人で三部屋。母は一階の洋室、私たちは三階の和室です。
母は自分が起きると必ず同室者を起こします。朝、人が、自分より遅くまで寝ているのが許せない性格で、寝かせてくれません。それが分かってからは、旅行はずっと別室です。
マイペース一筋に90年以上、もう怖いものはありません。
夕食まで、散策します。ポケモンゴーを頑張る同行者。
宿はシーズンオフでお客さん少なめ、ゆっくりできました。
このあとも母のマイペース炸裂。いちいち書ききれませんが、大浴場に体をいきなり洗わずザブッ!!とつかるのにはびっくり。
「洗ってから入りなさい」と言ってもあとの祭り。前はこんなことなかったのに。
しかもタオルを首に巻いて結び、肩までつかるのでタオルが湯船に浸かっています。他のお客さんの手前、申し訳ないので、後ろからほどこうとしたらすでに濡れているので、タオルごと母の首をずるずると引いてしまいました。
母は喉を抑えつつ、湯船の中で引きずられるという漫画的光景。
「湯に入る前に体をよく洗うこと、タオルは湯船に浸けないこと」と説教すると「洗った、洗った」と見え透いた言い訳を。
この後すぐ、団体旅行で白浜温泉へ行くそうな。そこでもそんなことしていると嫌われてしまうのに。どこまで分かってくれたのかな。
人に文句言うのは好きだけど、注意されるのは大嫌い。いゃあ、その性格、私も受け継いでるわけで。気を付けないと。
翌朝の海岸。
反対側。
宿は、朝夕うどんが着きます。お腹いっぱいです。
で、レストランで改めて母の顔を見ると、眉を気合い入れて描きすぎです。
柔道漫画イガグリ君です。ちょっと古いけど。
受ける同行者と私。
お母さん、描くのはいいけど、左右同じにしようね。という私。
翌朝はさらにバージョンアップして、イガグリ君のお父さんみたい。
見かねて同行者がナプキンで拭いてくれました。いやあ、もう眉がどうこう言う段階ではないけど、太い眉は意思の強さの表れ。マイペース一筋の母にはふさわしい描き方でした。
私も90歳になるとあんな化粧するのかしら。それまで生きていればの話だけど。
離れて見れば、元気のいいおばあちゃん、でも身内にとっては存在感のある、ありすぎる人。
今朝はゆっくり雛人形飾りました。このほかにもまたまだあります。
飾りながら、母の両親がすでになかったので、実家から私の初節句の雛人形がもらえず、人形を一体自分で買って、里帰り中に着物縫って着せて、「貰った」と持って帰ったという話を思い出した。
すみません、ややこしい話で。私の雛人形がなかったという話です。
この歳になって、ヤフオクという結構な制度もできて、ひな人形を集めまくる私。
「お母さん、ありがとう」と心の中で言うと、鬼娘の目にも涙。ぽろぽろといくらでも涙が出てくる。でもこれは子供の頃の思いを流してくれる心地いい涙。
大きな不幸に遭わずこの歳までこれたことにただ感謝。