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牛田、安楽寺の大イチョウと工兵橋辺り

2020-11-30 | お出かけ

本日、肌寒いけど、いいお天気です。冬はそこまで。寒くなる前に追い立てられるように街を徘徊します。

牛田の安楽寺、大イチョウです。葉はほとんど散っていました。

落ち葉掃除の奉仕をする人がいます。

境内から。山門の屋根を幹が貫いています。

イチョウが先、山門は後から。

被爆樹。このお寺の前までは原爆で焼失したそうです。

本堂の屋根は爆風で、少し後ろに傾いているそうです。

また外側の柱は表面が焦げたと聞きました。

火災に強いイチョウがお寺を守ったと言われています。

生命力。


続いて工兵橋まで歩きます。

手前、白いのが工兵橋。後ろは新工兵橋とアストラムラインの高架。

新工兵橋の上から工兵橋と京橋川を見る。

工兵橋は市内で唯一の(たぶん)、吊橋です。街中にあるのが珍しいのではと思います。

説明版。

原爆投下の日、「横川には行かれんどうーー牛田へ逃げえーーー」と避難民を誘導していた兵士ありとの証言を、以前聞きました。

たぶん、橋げたの向きが爆風の走る方向と同じで、しかも軽くて揺れる構造が力を受け流しやすく、損傷が少なかったのではと思います。

人と自転車だけ。車は通れません。

この付近は自然がいっぱいで、いつ来ても癒されます。

マガモのつがい。

遊歩道はサクラ多数。

水浴びするカラス。

泳げずに浅瀬を歩いている。

ムクの実を食べるハト。

アシは水質浄化をするとのこと。

マガモたち。

この時は流れに逆らって泳ぎ、しばらくしたら流れに乗って下流へ移動していた。

楽チン、楽チン。

ツバキがもう咲いている。

カモ多数。


そろそろ冬ですね。家を出たのが12時半、自転車とバスで。帰りは途中で買い物して3時。

手軽なおでかけでした。

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母の紬と八寸名古屋帯

2020-11-30 | きもの

11月もいよいよ最終日、さすがに肌寒くなってきました。

きょうは母からもらったチェック柄の紬に、八寸の名古屋帯を合わせます。

帯の柄は菊と牡丹?のようです。

芯がなくて、手先も端だけ綴じているだけ。帯は・・・京都か広島で買ったリサイクル品。記憶あいまい。

帯が柔らかくて締めにくかった・・・

着物で近所の用事を済ませて、午後からは牛田へ出かけました。

古い着物たくさん、仕立て直すほどいいものではないし、ほどいて洋服にするのも袋物にするのも面倒だし、こうしてたまに着てみる。

他の人が洋服でも、着て行ってもいいかなあ~

ちょっと躊躇する私。せいぜい普段に着てみましょう。

今や、着物着る人は絶滅危惧種。

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歩く、食べる、話す、笑う。

2020-11-29 | 断想

今はクリスマス。

お正月には飾りを替える。


昨日会った友達、お店の配慮で斜め向かいに座り、お互いマスクなので話が遠い。遠いけど頑張って話をする。

暗い気分になる話はしない。前向きに、今していること、これからしたいことを話す。

まだまだ頑張ってやりたいことしようねと確認。それから10代の時のことを一昨日のことのように話した。同窓生の誰彼のことを。

頭いい人に限って美人なのよね。とひがんだ発言をする私。でもまあ、頭の中身や顔の良しあしも親から受け継いだ資産。限られた資産で生きてきたこの人生、今さら悔やむのはおかしい。私は私なりに。それはこれからも。


私は同世代や少し上の人との付き合いが多いのだけど、皆さんそろそろ、歩きにくい、あまり食べられない、正座しにくい、階段がつらいなど、不調を訴えるようになった。

その話聞くとちょっと寂しくなる。

うちの姑様は2019年の1月まで、エレベーターのないビルの四階に住んでいて、2018年の一月、年で言うと94歳に大腿骨を骨折するまでは、手すりに掴まりながらも、自力で何とか階段を上り下りできていた。

今思うと素晴らしい体力だったと思う。階段使えなくなったら施設に入るしかないと自分でわかっていて、必死だったのだろう。

自立心の旺盛な人なので、私たちの援助も受けつつではあるけれど、一人で暮らしていた。

夫は昨年の一月にぎっくり腰になってからずっと調子が悪い。昨年の五月にはあまりの痛さに歩けなくなり、私は旅行で不在、スタッフに車椅子押してもらって近所の整形外科を受診した。

本人は姑様の家での介護、特に中腰でオシメ替えて腰を傷めたのだと言っている。姑様本人の、家族の恥になるのでしょうか?こんなことは。いえいえ、自分自身への自戒として、書き留めておきたいのです。

私は息子が介護するといっても、断るつもり。一人で暮らせなくなったら住み慣れた家を卒業して、年寄りの寄宿舎に入り、同じ境遇の人と介護受けながら共同生活して最後の時を迎える。それでいいと思っています。

夫は体格がいいし、自分の体力を過信していたのです。しかし、一回ずつは大した負荷がかからなくても、毎日何度も繰り返すのがじわじわとダメージを与えたのだと思います。

そういうことにならないよう、今からしっかりと言っておかないと。認知症になって言えなくなる恐れもあり。

夫は、私が反対しても納得するまでお世話したはずだからもう何も言うことはないのですが、私の息子が介護の結果、不調をずっと抱えて老年を迎えることになったら、母親として悔やんでも悔やみきれない。無理はしないように、美談にしないようにと言い続けるつもり。

私は夫に、介護になるずっと前から、お母さんの介護はあんたがしてね。長男の嫁がしたのでは当たり前すぎて誰も目に入らないし、感動しない。息子がしてこそ世間は感動し、お母さんも喜ぶと言い続けてきましたが、今思えば悪いこと言ったなと後悔しています。

感動するような美談にしてはいけなかったのだと。義理の親なら愚痴も言えるけれど、実の親は黙って受け入れるしかないのだから。

お母さんの介護は専門家に任せて、しっかり話し相手になったりするのが大事って、なんで言えなかったのかと後悔している。

昨日の友達、お見舞いに行った友達のご主人に「頑張ってください」と言っていたけど、それは経験がないから言える言葉。私はとても言えなかった。「体に気を付けて、使える制度は使って少しでも楽に」と言うしかなかった。


話がタイトルとどんどんずれてきたけれど、元に戻すと、昨日の友達も食べるのも歩くのもゆっくりになり、合わせ鏡として自分の年齢も自覚せざるを得なくなったということです。

今日は自転車で外出して、以前ほど体の機転が利かなくなり、ちょっと危ない思いもしました。危ないと思えばもう自転車から降りて危険をやり過ごす。そうしたいと思います。

少しの距離でも歩く。三食バランスよく食べる。(食べられないという感覚が私にはわかりにくく、常に食べ過ぎ気味。反省)。誰とでも仲良く、楽しい話で盛り上がると、まあ年寄りの心得としては王道の数々を今日は強く思いました。

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晩秋の平和大通り

2020-11-29 | お出かけ

いいお天気の日曜日、自転車とあとは歩きで買い物に。

街は少しずつ秋から冬への装い。暑くなく寒くなく、穏やかな一日となりました。

比治山のふもとの、私だけの秘密の場所に駐輪する。

少し上がって山の様子を確かめる。

古い家、祠、山へ続く道、わずかな里山的光景と勝手に命名。

鶴見橋の上から京橋川上流。

渡ると平和大通り。

川べりを行きます。

向こうで若い人のグループがバーベキューしています。

今の季節は虫も来ないし、暑くなくていいですね。

若いお母さんが、木2本に括り付けたハンモックに、三歳くらいの子を載せて揺らしています。

中央通り、クリニックビルの前。

花屋さん。

イルミネーションは昼間見ると骨格標本みたい。

各県の被爆者団体が寄付した県の木があります。

ナンブアカマツって東北にあるんでしょうか。

新潟の県の木はユキツバキ。でも広島では育たないのでモッコクにしたのでしょうか。

トチノキ。ベニバナトチノキかもしれない。

広島はちょっと山へ行くとたまに、県北には普通にある。

子供のころ見たことない落葉樹が広島にはたくさんあるので、ちょっと嬉しい。

戦後、緑化のために海外からも苗木の寄付があったそうですが、これもそうかも。

マツに似ていますが、葉が細くて長い。


こんな感じで織っています。独特の織り目は同系色の糸では目立ちにくい。

それと横向きに糸が浮くはずが、どうしても縦になる。エクセルで何度も組織図書き直して分かったことは、機織りはすべて織る時は裏が出ているという基本以前の基本。

鏡で裏を映したらちゃんと織れていました。やれやれ。


前にブログがばれて引っ越ししたのは、数人の前で、止める間もなく堂々と言われてしまったから。

その前にブログ見つけた~とメールが来たので、くれぐれも他言しないよう頼んだのに。いえいえ、自分が一度ネットに載せたもの、人に広めないでと頼むのは無理というもの。

今回はそこまでにはならないと思うけど、固有名詞と人の話、くれぐれも気を付けたいと思います。

で、引っ越しはしばらく見合わせます。

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3か月ぶりに友達に会う

2020-11-28 | クッキング・ランチなど

今日は友達と待ち合わせてランチしました。

http://couvercle.net/

南区役所近くのフレンチの店です。

ランチはスープ、サラダ、メイン、パンまたはライス、ドリンクで1,200円でした。

写真はホームページからお借りしました。

メインは肉か野菜が選べますが、半分ずつでもいいので、そうしてもらいました。

野菜たっぷり、薄味で優しい味でした。

自転車で行ける距離なので、カウンター席もあるし、これから時々一人で行こうかな~

こちらレシート。

この後、共通の友達の家に行く。

彼女は自宅で長期療養中。ご主人が面倒見ておられる。

10月にも私一人で行ったけれど、今回は二人で訪ねて、玄関先で失礼するつもりだったけど、勧められて上がり、30分ほど話してお暇する。

そのあと我が家で二人で歓談する予定だったけど、体調悪いと彼女は帰って行った。

彼女の、同じ専攻だった友達が今年亡くなったそうで、私たちもいつ何があるか分からない、会える間に会っておこうねと言って解散。

冬は駆け足でやってくる。冬が終わって、また暖かくなるころ再会を約束。

さて来年の春、どんな私たちで、どんな世界の姿でいることでしょう。いい方になってほしいと願っています。私たちは現状をキープするのが当面の目標だけど。

ランチ一緒にした友達のご主人お手製の、白菜の漬物と生姜の佃煮。大学の先生だったけど、今は悠々自適とのこと。

どちらもおいしそう、おいしくいただきたいと思います。

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藍大島を着てみる

2020-11-27 | きもの

昨日届いた藍大島、着物と羽織のセットは男性用生地を女性用に仕立てたもの。

元々の好みで着る人と、親や夫の形見として仕立て直す場合もありそうですね。

さてどちらでしょう。

また、着てどんな気分になるかなあ、落ち着かないかなあと。それも確かめたい。

帯は縮緬の染帯。帯締めは鬼縮緬の飛び絞り。横綱にならないよう、しっかり締めます。

着物10分、帯5分~という無料着付け教室があったけど、最近とんとCM見ませんが、それもコロナの影響?

垂れがゆがんでいます。粋ではなくてただのミス。最後の詰めが甘い私。

羽織着てみます。

うんうんご隠居さんみたい。

髪はもういつからか伸ばしっぱなし。パーマ掛けるとすぐバランス悪くなるし、髪が傷む気がして。

たまに千円カットに行き、間で自分でテキトーに切る。髪も自分で染める。

着物の時はねじって留める。これで済ませる。

訪問着などの時は昔買ったウィッグで。誰も何も言わないのに、孫に指摘される。「おばあちゃん、それカツラでしょ。すぐわかったよ」って_| ̄|○

ああ、なんか節約自慢しているかも。

着物も、見る人が見たら身幅が・・・・

でも気にせずどんどん着ていく。意地悪言う人は相手にしない。

羽織脱いで、木綿のハーフコート着て、この後買い物に行く。

柄のない着物なので完全に普段着。心も平常心。着ていて気持ちがとても楽でした。普段着物はすべからくこうありたいもの。

自分を写しているのか、部屋を写しているのか・・・

鏡の中なので左前はお許しを。

少しでも赤い絞りを見せないと、明治神宮奉納土俵入りみたいになりそう。

結論。

着物着てとても楽しかった。

明日もまた着よう・・・と言いたいところだけど、明日は友達に会う。居心地悪い思いしたら行けないので、洋服着ていくけど、ほんとは和服を着たい。

 

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恐るべし、google

2020-11-27 | 断想

まったくもって、便利と言えば便利だけど、昨日は本当に焦った。

たぶん、このブログ見つけられたかも。悪いことは書いてないつもりだけど、それでも私のしょぼい暮らしと、シンプルな思考が丸わかり。

8年前にも、前のブログが人の知れるところとなり、こちらへ引っ越してきたんだった。

明らかにした人は全然悪気はなく、応援してくれていたと思う。公開しているのに知っている人に見られるのを嫌がるのは、その人にとっては理不尽。嫌がる私が悪い。

でも、その人とはその後普通に話していてもわだかまりがある。

固有名詞は書かないこと。これ、鉄則。

それでもたった一つの言葉を手掛かりに、どこかから探ってくるのがgoogle。一度ネットに乗ってしまえば、探し出そうという気さえあれば、防ぐのはほぼ不可能。

昨日はそれを実感しました。それでせっかく見ていただいた記事のいくつか、下書きに移しました。申し訳ありません。

このブログも、自分の記録にとって置いて←そういう未練が禍いの元!!また人知れずどこかへ引っ越そうかなあ。。。。

私としたことが気になって、夜中過ぎに目が覚めてこれ書いてます。

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晩秋の比治山

2020-11-26 | お出かけ

紅葉を求めて比治山へ。

比治山は、近世初めには南側は海に面していたそうですが、今は埋め立てた市街地に取り囲まれ、街中の貴重な緑地帯になっています。

元々モミジなどはありませんが。

クヌギかな。

ケヤキ

サクラはもう散っている。

ユリノキ。

陸軍墓地。最近まで、入口に仏像を安置していましたが、今は宗教色はありません。

説明

墓石多数。

南端まで行くと海が見えます。

秋の終わり。

南東方面。

島がたくさん。

我が家はあの付近。よりもっと南かな・・・。

慰霊碑。

対馬丸の犠牲者の慰霊碑としては最北端だそうです。

慰霊碑は、沖縄に続く、南の海が見える丘の上に建っています。

続いて放射線影響研究所前へ。

原爆被爆者の医学的データーを集めています。

人はどの程度の放射線に耐えられるか、広島、長崎のデータをもとに基準値が決められた・・・と聞いたことがありますが。

いわば二つの被爆地は、壮大な放射線障害の実験場だったわけで。

放影研の下へ降りていくと・・・

正岡子規の句碑。

市の中心部。

さらに北を向く。

放影研前の夾竹桃。

夾竹桃は、古い建物の庭などに今も残っています。


元々、サクラ以外に色づく木が少ない山。

それでもはっきりと冬の訪れを感じました。ことしもあと一月。残り少ない暖かい日を大切に過ごしましょう。

 

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機織り、夕方にここまで

2020-11-26 | 機織り

朝、全部ほどいて筬の通し直し。少しだけ織る。

で、午前中は庭の落ち葉を掃除して、午後からここまで。

経糸のこれから織るところがまだらになっているのは、絞り染めしたからですが、織り機に掛けるまでにずれまくって、波みたいになっています。

白い糸を入れてみましたが、これは織り目を見て楽しむ織物なので柄は余計。白までほどくつもりです。

何にするかなあ~

肌触りがいいので枕カバーにでもしようかな。と言って出来上がった試しなし。

(botaori.com)

織り目は今はまだ裏になっています。裏返すと本来の織り目が。

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着物が増える。付け下げに大島紬

2020-11-26 | きもの

向こうは、はんなりしたピンクの付け下げ。

手前は女仕立ての、大島紬の羽織と着物のセット。

姑様の着物は全部捨てて、タンスは分解してそれも捨てると夫が言います。

その前に要る着物、取っておくようにと言われました。

古いのばかりでしたが、唯一、これだけは比較的新しいもの。新品ではなく、手入れして仕付けが付いています。

寸法は見ていませんが、合う帯が見当たらないので、たぶんの貰い物ではと思うのです。

形見分け?

10年くらい前、60代で亡くなった夫の従姉のものでしょうか?

花は何かなあ、夾竹桃のようにも見えます。

私が広島へ来た53年前、川岸はどこも夾竹桃がたくさん植わっていました。早く大きくなる木だそうで、原爆被災後の緑化に使われたそうですが、今はほとんど見ません。川岸はクスノキなど、本来の植生にあるものが植えられています。

木は大体どれでも好きなのですが、熱帯や乾燥地帯の外国の木は見ていて心が休まりません。子供のころに見なかったからでしょうか。

夾竹桃の付け下げ・・・胸の途中にある塊を飲み下すような違和感が。

夫の従姉のものと仮にするならば、本人を知っているだけに着物が身代わりのような気がして、触るのも躊躇する。

被爆者でした。学齢期以前に被爆。近所にお手伝いで買い物に出て、たまたま細い塀の間を歩いていて助かったそうです。被爆地は平野町付近。

母方の祖母、母、弟は建物の下敷きになり、焼死。父(夫にとっては伯父に当たる人)は勤め先にいて無事。家の焼け跡に三人分のお骨が見つかったそうですが、従姉だけがなくて、やがて救護所にいるのを知らせてくれる人がいて、無事家族と再会。

何歳だったのでしょうか?4、5歳?

救護所の外には、収容されている人の名前が貼りだされていて、たまたま通りかかった父親の同僚の方が会ってみると、「おじちゃんの帽子の印はうちのお父ちゃんのとおんなじ」と言って、身元が分かったと、これは夫の祖母(故人)から、私が直接聞きました。

聞いたのは一度きりですが。

夾竹桃から思い出した従姉のこと。その人の着物かどうかはわからないけれど、生きて何か語り掛けてくるような気配・・・こちらの勝手な妄想ですが。

義妹に、持って帰ってと三回くらい頼みましたが、要らないそうで。とは言ってもあとで気が変わることもあるので、それまで預かっておくつもりです。

藍大島は百亀甲の男物の生地。それを女物に仕立てています。

羽裏は花柄。

八掛は抑えたえんじ色。

織り目は揃ってないところもあって、手織りだから?

というか、染めの段階でラフがある。それを手仕事と有難がるか、熟練してないと感じるかはそれぞれ。

夫はやはり大島の羽織と着物のセットを持っている。着たのはこの47年で3回くらい。縫ったのは私の母親。裄が長いので、広幅一匹分使ったと思う。隣のD井さんのおばさんに嬉しそうに見せていて、あれが母の人生の山場だったのかな。いえいえ、まだまだ山場はあったと思いますが。

花柄の苦手な私は、自分用に、ずっとシンプルな紬の着物探していた。時々立ち寄る和服のリサイクル店(広島の本通りではなくて、パソコンの中に店があります)で7割引きセールをしていて立ち去りがたく、ついクリック。はい、お財布に優しい着物です。

10月に一緒に旅行した人は、昔、娘に100万円の振袖買ったそうですが、この紬なら何枚買えることやら。

いえいえ、節約大好きな私はひそかに満足していればそれでよし。


姑様の引き出しから。

縮緬の戦前の留袖。袂が長く、寸法は全体に小さい。紋が大きくて、手芸の材料としてならまだ使えるかなあと。

私はしません。黒字にエッジの立った柄がきつすぎる。これも義妹に聞いてみる。

胴裏、未仕立ての帯地、ポリの長襦袢地。

ポリは、裏地などに使えるかなあ~

私のじゃないのに持って帰って、置いているのが気にかかる。


着物は女の自己表現、センスも財力も着物を通じてわかるという。

執着や嫉妬や虚栄心や、いろいろな気持ちを引き起こしていたのもつい最近まで。

だから人が着物着ているの見ると、つい気になり、自分が着ると、人にどう見られるかつい気になる。それを押しのけて平常心で。なんたってもうこの歳ですから、怖いものは何にもないはず。

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器でクリスマス

2020-11-25 | 絵付け

クリスマスの器、いろいろ出てきました。

転写紙というシールを水に濡らして貼り付け、乾燥したら窯で焼きます。

それで柄が定着します。転写紙はお稽古事用のものもありますが、廃業したメーカーが売り出すのもあり、それも珍しい柄があります。

ただ、人に教えるためにはたくさんの柄を抱えねばならず、どうしても在庫が出てしまうので、絵の具で描くのを教えるよりは大変です。

一時ブームになりましたが、今は淘汰されて教室の数は少なくなっているようです。

これは窯持ってないことには作れないし、教えられない。

教えていただく私は、楽しく、手軽にいろいろな器ができてよかったのですが。

だいぶ人に上げたけど、まだ残っています。

ツリー型の器。

ハートは蓋物の器。左上のサンタさん、リアルでちょっと怖い。

ホールのケーキを大きなお皿の上で飾り付け、小さなお皿に乗せて食べる。

昨年は孫とお嫁ちゃんがケーキ持参でやってきて、楽しくデコったけど、今年はどうかな~

これは公民館祭りで展示した。

時計とサンタのブーツ。

壁掛け。和室に。

長押風横板はホームセンターで板買ってきて、自分でつけた。

素人の工作って、写真で丸わかり。

でもこれがあるとフック掛けて、何でも掛けられるので便利。

クリスマスも日本風に、我が家風に変移していますが、自分が楽しくて人に迷惑かけないなら、何してもOK。そう思うことにしました。


番外。

これは自分で描いた。3年くらい前。

オランダの焼き物をまねして。

うんうん、なかなか頑張っているじゃないのと自画自賛。

今ならもっとうまく描けるかな~描けないかな~

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保多織りは一歩前進のち二歩後退

2020-11-25 | 機織り

今朝8時ころから織り始めました。

端の平織りしていて、空羽(あきは=一か所とばして糸を通している)発見。

通している時は気が付かない。織り始めると、織り目がそろってないので一目瞭然。

納期のない仕事なので、間違いに気がいたらそこまで戻ってやり直し。間違ったまま織っても楽しくない。

やれやれ、平織りから保多織りへ。懐かしい織り目が見えてきました。

私の勘違いで糸が浮くのは経糸、平織りにはない風合い。

昔、こんな織り方の浴衣持っていた。今は裂き織りのマットになっている。

と、喜んでいたら一か所、糸が盛り上がっている。

またまた失敗。今度は込羽(一か所に2本通すところを4本通す)になって、織り目が盛り上がっている。

もうーいゃーーー、気を取り直してする気になるまで、これからしばしの休憩。

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ああ、紅葉が終わるー、縮景園で。

2020-11-24 | お出かけ

今年はのんびり構えていて、紅葉の盛りを見逃したようです。

広島市内ならまだ大丈夫かなあと、午前中、チャリンコとバス、帰りは電車と自転車で街中の「縮景園」へ。広島駅南口から徒歩15分くらい。

浅野家が作庭させた大名庭園です。

広島は毛利氏、福島氏、浅野氏と変わって明治維新を迎えます。広島は播州浅野家の本家筋に当たります。

平日で人は少なめ。一人なので足早に。30分程度で巡れるコンパクトな庭園です。

ドウダンツツジ。

マツも多い。

もう菰巻している。

この付近は石を固定して海岸をあらわしているそうで。

夜はライトアップします。

静かです。

あと一週間くらいは何とか持つかな・・・

青いモミジもまだ少しありました。

まだの方は是非どうぞ。


続いてお約束のさかい橋ふれあい広場へ。

街中の、ぽっかりとあいた広場。目的もなく広いのがのんびりできて好きです。

草の上、樹の下を歩くと心が生き返ります。

クスノキの大木。若い二人がお弁当食べていた。

広島は、大きな川が市内に6本も流れていて、川べりが公園になっているので、自然がいっぱい。

ムクノキの大木。猿猴えんこう川と広島駅付近。

左側の駅は只今工事中。

クスノキの枝を拾う。

たきぎ採りの媼ではなく、インテリア、またはエクステリアに。

途中から自転車、郵便局でJAFに振り込み、ささやかな配当をもらい、ついでにカレンダーももらい、地元の第一公園のアメリカフウの紅葉も確かめてから帰宅。夫が昨夜の残りのおでんで昼ご飯食べていた。


気が乗らなくても、一日30分でも作業しないと前に進まない。

本日はとりあえず小管を巻いてシャトルにセット。

緯糸になります。

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友人と日帰りツアー11/23

2020-11-24 | 旅行

朝、広島駅を快速列車で出発。中国山地の山あいの、備後庄原まで2時間弱。友達二人に会うのは9か月ぶりで話が弾む。

コロナでなかなか一緒に旅行に行けなかった。

昼食は「かんぽの郷庄原」。

昼食は比婆牛の焼肉、三種のご飯など。

窓の外に残る紅葉。

続いて山の中の峡谷へ。

窓の外を流れる里山の景色。

野焼きの煙が立ち、秋も深い。

着きました。少しだけ残る紅葉。

有名な和菓子店。

建物全体がレトロ。二階窓のすりガラスなど。

ダム湖を今から遊覧します。約40分。http://taishakukyo.com

小さなダムですが、貯水量は多いとのこと。それだけ渓谷が深いのです。

紅葉の見ごろは10月半ばから11月半ば?

山はもう冬の装い。

ダムができたのは大正年間。重機も充分でない時代、さぞ大変だったたことでしょう。

湖畔に点在する観光施設も全体にレトロで、昭和時代に迷い込んだ感じ。

我が家族でここへ来たのはもう35年くらい前。前は屋根のないボートみたいな遊覧船だった。

紅葉橋の下をくぐって

もうすぐ船着き場です。40分間の遊覧でした。

続いて道の駅で買い物、東城の古い町並みを見学。

街並みの中心にあるのは、豪商保澤家住宅。呉服業、醸造業を営む家で、建物は約130年前のもの。

国の登録有形文化財。旅館だった時代もあったそうで、二階の客室が保存されていました。

昔、子供を連れて吾妻山方面へ行くとき、インター下りてこの街並みまで行くと、T字路に大きな店が。何度も前を通ったけど、見学は初めてです。

県北の山深い里ですが、その土地土地で経済の循環があり、財を蓄えた家があったことを改めて認識しました。

このT字路を右折して、街並みが途切れるといよいよ中国山地の山深くへ。

最後のよろずやの軒下に、虫網と虫かごを置いていた記憶がある。家から車に積んでいくので買ったことないけど。

ロッジに泊まって、料理と風呂、自分でして大変だった。翌日は高校野球見る長男を残して吾妻山登山。

三男は三歳くらいで、長ズボンがないのでパジャマのズボン、元々ちょっと行くだけのつもりだったので、スリッパのままとうとう頂上まで。途中からずっとお父さんにおんぶされていた。親は若く、子供は幼い。

1985年か6年ころ。35年も前ですね。

どこへ行っても思い出すことかある。どこへ行っても重ねてきた歳月を感じる。

東城から庄原まで、高速で30分もかかった。いつも通しで走るのでこんなに離れているって感じてなかった。

広島県は広い。広島市が南西端、東城、庄原は北東端。

新しくて小さな駅。

ここから高速乗り合いバスで広島まで約2時間。

三人で場所を替わり合いながら、話したり、眠ったりとメリハリつけて、楽しく情報交換しました。

以前、一緒に楽しくお稽古していた時の、喜びも悲しみも、おやつも分かち合った楽しい日々が一日、蘇ってきました。

この日の友達の1人は、昨年、私の方からあることがあって距離を取っていたのですが、昨日はずっと以前のように話ができて、これからもこの程度の頻度ならお付き合いが続けられそうでよかったなあと思いました。

最大の失敗は、彼女は早くにご主人を亡くされているのに、夫のネタで笑ってもらおうとしたこと。あまりにも無神経でした。

バスセンターでトイレから出ると彼女がまだいて、お弁当が安くなっているよと教えてくれたので買って帰る。

夫はご飯炊いておでん作って自分で食べていた。私の分もあったけど、彼女に合わせて私もお弁当のご飯とオカズ、チンして食べる。


地元の観光推進機構主催のツアー。旅行業者とは一味違ったツアーだった。

JRの旅があまりにレトロで、湖の周りの古くからの旅館などもレトロで、高速道路ができて観光もうんと変わったのだろうなあと、想像した。

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本日は日帰り旅行へ

2020-11-23 | 旅行

友達に誘われて三人で日帰り旅行のツアーに参加。

県北のモミジは完全に落ちていて残念でしたが、久しぶりに会った二人といろいろ近況を話して楽しい一日となりました。

写真はまだカメラの中で、詳細はいずれまた。

今日は旧友とラインができるようになったり、いろいろ収穫の多い日でした。写真はいずれまた。

最近、睡眠が不規則で、今日は疲れているのでよく眠れるといいんですが。

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