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1/13 京都を歩く

2025-01-24 | 旅行

1/13 彦根は雪でしたが、南下するとすぐに冬晴れのいいお天気。山科から京阪に乗り換え、三条京阪経由出町柳まで。昔、三男とよく待ち合わせたコンビニは健在でした。

橋渡って、下賀茂神社手前の三井家下鴨別邸へ。元は木屋町三条にあった隠居所を、神社へお参りするときの休憩所として移築したそうです。

瀟洒で凝った造りの建物は近年公開されるようになりました。

瀟洒な建具。波ガラスは再現できないので、近寄って破損したら大変です。

庭に廻る。望楼あり。

二階は貸室として営業しています。茶の間3時間1,300円から。お茶会にも使えます。京都で歩いて疲れて、少し足を伸ばして休むのに如何でしょうか?

なんて営業する私。

本宮までは遠いので河合神社へ。確か鴨長明がこちらの神社の神官だったはず。

20年くらい前、方丈の庵を再現していました。

こちらは美貌の願いが叶う神様。丸い絵馬になりたい顔を描いて奉納します。

桝形商店街に行きます。

前を行く同行者。この後疲れたとベンチに座り込むので、私だけ向こうの端まで行って引き返し、右手の和菓子屋で買い物して解散。もう帰りたいそうで。

私は一人で食事。

美味しかった。

コーヒー付。

こちらのお店。お勧めです。

再び引き返して、結局バスで京都駅まで。後は歩いて西本願寺向かいの龍谷ミュージアムまで。

2/16まで「誓願と願い」展。各地の仏像多数。多くの人が手を合わせてたのかと思うと、その思いがこもっているようなさまざまな様式の仏たち。ヘレニズム文明の影響を受けたバタ臭い仏様多数。中国の仏典は今の日本人が使う漢字。意味はともかくすんなりと読める。改めて、日本が中国文化圏の端に位置することを実感する。

西域仏は本願寺の所有でしょうか。普通のお寺がそんなもの持つわけないので、戦前の大谷探検隊が持ち帰ったのでしょうか。そこのところは見落としました。

ヨーロッパ人がエジプトや西アジアから遺跡の文物を持ち帰ったように、日本でも仏教のルーツを求めて中国奥地、インドへ出かけます。

これは撮影可。トルファン・・・だったかな郊外の石窟寺院の壁画は各国によって持ち去られ、近年復元されたそうです。

鮮やかな素晴らしい壁画でした。と、感動しまくり。仏教文化は幅が広くかつ奥深い。そして肌感覚に馴染むのは私が日本人だから?

再び歩いて京都駅まで。後はのぞみで帰るだけ。昔みたいにハードな旅も難しいので、年相応な旅程にしなければと思い知らされた旅行でした。

ホテルのお菓子と「たねや」のお菓子。

桝形商店街で。おはぎとういろう。

土産物の漬物は高い。地元商店街の小さなスーパーで、住民に混じって、その土地特有の食品を買う。旅の醍醐味はこんなところにありそうです。

海外でも教会などはほぼ忘れているのに、リドルやカルフールなどのスーパーで買ったものは意外と憶えている。ちょっとした買い物が好きな私です。

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京都、山科、彦根、冬の旅

2025-01-18 | 旅行

祇園歌舞練場から少し南下すると小さな神社が。人が多いです。

悪縁を断ち切り良縁を得るご利益のある神社。

願い事を書いて・・・元は何でしょうか・・・結びつけて願掛けをします。

くぐるとご利益に預かるそうで、順番待ちをしています。

20年くらい前にくぐった記憶があるので今回はパスです。もうこの年なので、悪縁にも慣れてきました。相手もそう思っていることでしょう。もうこのまま行くしかなさそうです。

京都駅行きのバスがなかなか来ないので、反対側のバス停から三条京阪へ行くことにしました。

地下鉄東西線と途中まで相互乗り入れ。そのまま京阪電車で行けたのに、御陵で地下鉄に乗り換える。山科で降りて改札口出てすぐにホテル。JRも京阪も地下鉄も駅は並んでいるくらい近い?

途中で「山科へは乗り換えて・・・」と車内放送が聞こえた気がしたけど、ちがったかしら?

何はともあれホテルに着きました。

ロビーの記念撮影用のセット。

部屋は7階。

JRに阪急の駅がよく見える。

少ししたら部屋に今回の同行者がやってきました。もう16時近いので私はホテルの温泉に入り、ゆっくりしたかったのですが、「古い町並みがあるので見に行こう」と誘われます。

はて、あまり聞いたことないけど、と出かけます。

山科は駅前こそ都会風ですが、少し外れるとついこの間まで農村だったのではと思われる、自然の地形に沿った道が続きます。スマホの案内を頼りにたどり着いたのは、何か古そうなお宅の横。

これのどこが街並み?と突っ込みたかったけど、旅先で喧嘩は厳禁。

しばし思案顔の同行者。

再び引き返します。急速に夕暮れが迫ってきます。行きとは違う道を帰るとき、川の横に「志賀直哉住居跡」の案内板が。志賀直哉はあちこちへ引っ越しますが、一時、山科に居住。「山科の記憶」の作品があります。昔は新潮文庫にありましたが、今は?

高校生の時読みましたが、詳細失念。はっきりした筋はなく、エッセイ風だったのかな・・・????

ホテルに戻る前に駅前で食事。とても疲れたのは朝昼あまり食べていないからでした。食事の後、おやつ色々を部屋で食べてやっと元気が出ます。

このホテルは大浴場は女子のみ。男風呂はありません。女性には優しいホテルです。

京都山科・ホテル山楽でくつろぐ - ブログ

前に泊まったのは2021年年末。人気のホテルで予約の取れないこともあります。

翌朝、山は雪が降っています。朝食後、彦根へ。約1時間の旅です。


彦根の観光地はお城とその周辺に集まっています。

観光地を巡るルートバスは冬季は運休。路線バスで向かいます。

食事に土産物などの店が並んでいます。

人は少なめ。この連休はどこも人は多くありませんでした。京都でさえ、バスに乗って座れたので、お正月休みの長かったお蔭かもしれません。

雪が残っています。

夢京橋キャッスルロードという観光客向け商店街。

庇の雪が解けて落ち掛けています。積雪を見るのも何年かに一度の私には珍しい眺めです。

13時からは琵琶湖のミニクルーズに出発です。

雪を被る伊吹山が見えます。

西岸の向こうには20年以上前に登った武奈ヶ岳が。あの頃は若かった。

竹生島は片道40分、島では坂道が多いとのことなので次の機会にって、その機会があるとも思えませんが。

波はとても静かです。

夕方、宿につきました。

そろそろ日没。

ロビーでは17歳の高校生が弾く津軽三味線を聞きます。

写真OK、拡散希望とのことでした。

多田智大(@tada_chihiro98) • Instagram写真と動画

素晴らしい。若い力が伸びていくのを見ると元気が出ます。有難う~。


1/13朝、雪だあ~しばしの雪国気分を味わいつつ、彦根と別れました。

お城は20年くらい前に行った記憶があります。夫は行く予定でしたが、疲れたとかで結局行きませんでした。こんなことなら、早めにホテルへ行くべきでしたね。年寄りの旅はあまり欲張らずに、宿で疲れを取るのも大切。

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1/11 冬の京都と山科

2025-01-17 | 旅行

恒例、一月連休の旅行です。

いつもは暖かい九州へ行くのですが、昨秋の亀の井ホテル赤穂がよかったので、系列の彦根の方へ予約しました。

赤穂は事前決済のみでキャンセル料は即100%と強気の設定、人気のお宿のようです。

彦根は行くのに半日かかるので、山科前泊、結局、結構な旅行になりました。昔みたいに車で行かないので、歩きまくって疲れたけど、却ってよかったかも。

午前中仕事の夫を残して、朝から出かけます。10時半ころ、京都着。

京都は快晴。そう寒くありません。

伊勢丹の上の方に美術館あり。大階段から行きました。

学割で700円。

これだけは撮影可。

京都大原で農業をしながら、周りの風物を水墨画に描いた画家。

弟子もたくさんいて、みんなで共同生活。楽しそうです。

生活に根差した力強い絵のどれもが見ごたえありました。

人は少なめ。

続いて206系統バスで東山安井まで。混雑を予想していたけれど、清水寺、平安神宮、銀閣寺などは特急バス?ができて、観光客はそちらに乗るらしい。

こちらへ行きます。こちらも学割で700円。

入るとすぐ、前回の都をどりの衣装が。

着物。袖上げは可愛さの演出?

帯。作り帯のようです。一度に大勢の帯を結ぶのは大変。

かんざし。桜に菜の花。

舞扇に手拭い。


舞妓さんの月ごとのかんざし。

豪華。

一月は羽子板、二月は梅。

十二月は南座の看板。

履物。

京舞家元、井上八千代氏。

裾を引く着物なので長い。


二階も着物をたくさん展示。奥の芸妓さんの踊りは見学省略。

朝顔に源氏車。

光悦垣と花。

こちらは秋草?

これが好きです。

茶屋辻模様。水辺の景色を描く。

はっきりした柄が多い。色は派手過ず、地味過ぎず。

庭を散策。

左が資料館。右は歌舞練場。四月の都をどりの公演はこちらでします。

舞台の奥で物音が。四月の準備をしているそうです。

その奥は休憩所で、公演の録画の放映とパネル展示。

こちらは「葵」の場面のようです。

廊下を曲がって帰ります。提灯が花街らしいなめまかしさ。

春にはこちらも人が多いことでしょう。

2002年4月、三男の大学入学式に母を誘ったら、前日に高速バスでやって来て京都で待ち合わせ。式の後、本山の納骨所へ連れて行く。3年前、父の納骨をした場所。あいにくの花まつり準備で境内には入れず、母は門の手前で拝んでいた。

その後、納骨のあと3年前にみんなで食事した都ホテルへ行くと、その中華料理店は既に撤退、一人3千円のランチビュッフェをいただきました。海苔巻き3個にあと何食べたでしょうか。きっちり10%のサービス料も加算。ビュッフェのサービス料って?自分で料理取ったんですけど???

田舎者はびっくりしましたが、これもまた京都代、都ホテル代と納得。母がお金は払いました。客は私たち以外は皆無。

こんなことなら、そこらへんの店で、母の好きなラーメン一緒に食べればよかった。と、後悔は先に立たず。

その後、引き返して都をどりの見物、16時ころ、京都駅で解散。今、ずるずるといろんなこと思い出した。

変わらない京都があって、変わる人の身の上があり、歩いているうちにその時にワープして癒される。

この年の三月、入学手続きに上洛し、三男と一緒に大学の長い塀に沿って歩いていると、大昔、尋ねて行った友達と一緒に歩いた記憶がよみがえり、自分がずいぶん若くなった気がした。一瞬の錯覚ですが。

時は過ぎに過ぎ、人は来ては去っていくけれど、変わらないものを見てしばし癒されるのでした。自分が人の記憶にどれだけ残っているかは分からないけれど、とりあえず私はこうして元気でいます。

京都の冬空の下で、そんなこと考えながら歩いていました。


この後、安井金毘羅→三条京阪→山科のホテル→夫と合流して街歩きと続きますが、長くなるので次の機会に。

つまらない話に長々とお付き合いくださってありがとうございました。

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京都、滋賀の旅

2025-01-13 | 旅行

連休は京都滋賀へ。

1/11

京都駅の小松均展鑑賞。祇園、花街芸術資料館見学。

京舞家元のビデオを流していました。人はそう多くありません。


翌日は彦根へ。駅には雪があります。ちょっと北陸のような感じ。

道端に雪が残っています。ちょっと踏んでみます。

たねや彦根店。

歩き疲れて、併設のカフェで一休み。

二泊目ホテルのロビーで津軽三味線の弾き語り。

民謡に尺八もこなすそうで、三つ出来る人は少ないとか。

しかも17歳、現役高校生、素晴らしい。


再び京都へ戻り、下賀茂神社近く、三井家別邸の見学後は出町柳の桝形商店街へ。

活気のあるお店が並んでいます。

前を行く同行人。この後、疲れたと先に帰りました。

ロイとリン 出町桝形商店街

お昼はこちらで。女性客、しかも一人の人も多い。

丁寧に作られた食事、おいしかった。これにコーヒーがついて1,480円と驚きのお値段。

他に古書店が何軒か。筋のいい専門書を扱う店も。

野菜も新鮮。その他スーパーも何軒かあります。

新鮮食品館 アイハート出町店

美味しい漬物を買いました。帰宅後の夕食で1/3くらい消費して残りがこの大きさ。税込み328円。感動。

他にもおいしそうなもの、珍しいものがいろいろありました。

いいなあ、しばらくこの付近に住んで買い物してみたい。

最後は京都駅から歩いて、西本願寺隣接の龍谷大ミュージアムへ。

仏像たくさん、西域の仏像をこんなにたくさん見たのは初めて。見ごたえがありました。

「特集展示:仏・菩薩の誓願と供養者の願い」が開幕(龍谷ミュージアム) 

この他にも写真たくさん、少しずつ整理していきます。

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11/10 赤穂緞通の工房見学

2024-11-12 | 旅行

9月は個人の工房を見ましたが、今回は職人の養成のための施設です。

赤穂市が開設、ここで研修をして一人前と認められたら卒業して個人で織れるそうです。

日曜日で、指導者らしい年配女性と研修中の若い女性がが説明してくれました。

左は織っただけの部分。ハサミで表面を切りそろえて右のように仕上げます。

細い糸を切りそろえてビロードのような艶があります。しっかり打ち込んた糸はへたらず、長く使えるそうです。

ペルシャじゅうたんなど、他の敷物を織るのは竪機で、全体の柄を見ながら織りますが、こちらは高機。織ったのは巻き取るので、最後にほどいて出来上がりを見るときは緊張するそうです。

一枚に数か月、何枚も織らないと一人前にはなりません。他に仕事を持ち、研修に通う人も。熱意がないと続きませんね。

方眼紙に柄を描いて、升目の数の通りに織ります。

間違えたらどうするんでしょう?

間違えたら多分ほどいて正しく織り直す。

一日体験で作る小物。

これは練習用?

少し大きいのやら

畳一枚の大きさは和室に敷くため。

テレビ番組で見た京都の老舗旅館では、玄関に置いているように見えました。

こちらは土足で見学。赤穂駅から歩いて10分くらいです。

複雑な柄です。

指導者らしき人としばし機織り談義をする。一口に機織りと言っても作品はいろいろ。織り方もいろいろ。

究極の手技の緞通が、廃れずに残ってほしいと思いました。

かなり高価ですが、それに費やした時間を思えばそう高くもないのではと思います。

来年はまた友達と赤穂を訪ねる予定です。とても買えないけど、見学だけなら。

 

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11/9 京都と岡山

2024-11-12 | 旅行

11/9土曜日、AM7:45頃、工事完成間近の広島駅が姿を現していた。

電車の中から写す。

字は案外地味。

広島からのぞみで約100分、京都につきました。

まずは烏丸御池の京都市文化博物館で、他の展示に混じって開催中の「陽明文庫展」を見る。展示替えがあるそうで数は多くなかった。学生証提示で400円。

国宝「御堂関白日記」は本物。以前広島市郊外の筆の里で複製を見たことがある。

日記の墨の字は鮮やか。紙もいい物らしく劣化はほとんどなし。

この時代の字は読みやすい。近世になって、たくさんの文書がつくられるようになると、符丁のような崩し字や続け文字が増えて却って読みにくい。

道長の字は素直な感じ。そして筆まめな人だったのでしょう。

続いて地下鉄と京阪で国立京都博物館まで。

本館。

軒下の神像はギリシア神話の神ではなく、日本の神様。

向こうに平成新館。

方広寺の柱の遺構。

方広寺の石垣。今の方広寺との間には豊国神社がありますが、元は広い境内だったことが分かります。

以前、国立博物館の守衛さんに方広寺の場所を聞いたら、「よう知らんけど、豊国さんの向こうと違うかなあ」との返事。地元の人でこのありさま。

今は観光コースからも外れ、ひっそりとしたお寺ですが、鐘は現存しています。

見たのはこちら。

古い涅槃図が多かったのですが、ただ一つ、立体的な涅槃像は高松市の法然寺から出張展示。こんな感じで。

【関西レビュー】特別展「法然と極楽浄土」京都国立博物館で12月1日まで – 美術展ナビ

法然寺では写真撮影禁止ですが、ここでは自由に写していいのに、うっかり見逃しました。残念無念。

でも背景も何もなくて、やや迫力に掛けます。本物はこんな感じ。

さぬきの寝釈迦 涅槃世界へ | 仏生山来迎院法然寺(高松市)

小学一年生の頃、祖母に連れられて、「ぶっしょーざんのおねはん」に行ったことがあります。暗いお堂の中のたくさんの羅漢像?が生きているようで怖かったのを憶えています。嘆き悲しむ姿がとんでもない迫力でした。動物もいろいろ。

京都の展示は迫力にはやや欠けるかも。

前庭。

三十三間堂でバスに乗ればよかったのですが、七条京阪まで歩き、帰りに寄るつもりだったラーメン屋は行列ができていたのでパス。結局京都駅バスチケット売り場で進々堂のパンを買い、のぞみの自由席で食べる。

旅先では空いていたら即入店すべし。京都駅のどの店も混雑していた。

赤穂線に乗る場合、姫路まで新快速、あとは赤穂で乗り継いで岡山方面とめんどくさそうなので、岡山までのぞみ、また東へ引き返しました。

お金は余計にかかったはずだけど、年取って面倒なことが億劫になる。

着きました。

無人駅。


とても静かな宿でした。

お茶を飲んでとりあえず一休み。

夕食は部屋で一人で食べます。若女将が運んでくれました。

子持ち鮎、豚の角煮は柔らかくてボリュームいっぱい。

牡蠣とか

鱧にアナゴとか

全部は食べきれなかったけど、美味しくいただきました。連日の寝不足で宵の口からよく寝ました。

朝食も部屋で一人でいただきます。

箸置きが象嵌になっているとの説明。部屋でゆっくりして9時13分の上りで赤穂へ向かいます。

誰に遠慮もない女の一人旅。好きなもの見て、好きなもの食べて、失敗や勘違いも全部自分の責任。たまにはこんな旅もいいものです。

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岡山のレトロな宿

2024-11-11 | 旅行

9月に見そびれたもう一つの赤穂緞通の工房、それを訪ねるのが今回の旅の目的の一つ。

のんびり寛げる宿と探すうち、たまたまこちらへヒットしました。

ゑびすや荒木旅館

赤穂線のほぼ中間地点、姫路からも岡山からもアクセスが悪く、不便な土地。

今回は京都から岡山経由で宿のある西片上まで。

西国街道に面した宿は安政3年1856年創業。

若女将によると、それまでは片上湾に面した回船問屋だったとのこと。

泊ったのは8畳2室の続き間の部屋。廊下が部屋の外を巡り、突き当りの渡り廊下の手前で施錠する仕組み。他の部屋の気配もなく本当に静かな部屋でした。

長年の旅館業で宿泊者もいろいろ。

ゑびすや荒木旅館 » ゆかりの人々

明治天皇の名前も。

思うにこれは地方巡幸時の宿泊ではないかと思われます。

天皇巡行は昭和天皇が有名ですが、明治初めの天皇巡行も、ご一新で時代が変わったことを庶民に実感してもらう大切な政策でした。

当時は船で移動、宿は港に面した当旅館としたのでしょう。当時は海沿いのこの地方が海路、陸路ともメインのルート、人も物も多く行き交っていたと思われます。

チェックアウトして駅に向かおうとしたら、若女将が二階の大広間へ案内してくれました。

二階の大広間。

2年前、建築家の隈研吾氏がスタッフと泊まってこちらで宴会したそうです。

岡山県の木材の調査に来たとか、そんな話でした。

その他にビッグネームいろいろ。

与謝野鉄幹、晶子は各地に足跡を残しています。

各地で歌会があり、講師として呼ばれたようです。

備前焼の産地が近い当地で、陶芸作家と交流。

不鮮明ですが、昭和の超有名歌手がこの広間で歌ったそうです。

黒光りする舞台。

会館やホールのない時代・・・と言っても昭和40年代。地方ではまだまだそんなものだったのでしょうか。

片上八景の絵にこの宿の前身、回船問屋も描かれているそうです。

といろいろ驚くうちに最後はこれ。

電話室のガラスは当時のオリジナル。町で4番目の番号。

電話機も保存されています。

こんなにいろいろ見どころがあるのなら、もっとゆっくり聞きたかったのですが列車の時刻も迫ってきました。

JR駅まで急ぎます。

無人駅。駅前には店は一切ありません。静かな街でした。つげ義春氏の漫画に出てきそうな、不思議な宿のある不思議な街。

人が静かにほほ笑んで暮らしている、桃源郷のような世界・・・と妄想は果てしなく。

電車は赤穂方面へ。一時間に一本。これを逃すと大幅に予定が狂います。

レトロな宿の昔話から、少しずつ2024年の現実に戻ってきました。

そうですね、当節流行りの温泉旅館とは全く違う趣き、宿も宿の人も今の時代には稀有な不思議な体験でした。

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備前焼の宿

2024-11-10 | 旅行
お宿は備前焼の産地に近いので、部屋にもいろいろありました。




一輪挿し


朝食の器
宿の人に勧められて伊部の備前焼にも立ち寄ることにしました。
20年ぶりくらい?
きょうもいいお天気です。
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一人旅の宿

2024-11-09 | 旅行

京都へ行き、岡山まで戻って、赤穂線西片上駅近くの宿に投宿。
八畳二間続きのレトロな宿です。

古くてもいい。広いの大好き。

柴田錬三郎がこの部屋に泊まり、この地に題材を取った小説を書いたそうです。





二間の外を廊下が巡り、その先は後付けの水周り。
静かです。

この後、部屋に食事がきます。

宿の前は旧西国街道とのこと。微妙に曲がった古い街道の面影。
無人駅で駅前には何もなし。
でもさらに歩いてマックスバリュで買い物しました。
今の時代、奇跡のように残った古い宿。
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9/25 西大寺~帰宅

2024-09-29 | 旅行

9/25 昼前 赤穂から岡山へ。西大寺で途中下車。

駅から歩いて15分くらい、住宅街の先にありました。

立派な山門。

真冬の裸祭りは本堂右側の場所で行われるようです。

案外狭い。観覧用スタンドがあります。

裸祭りの様子。岡山観光webよりお借りしました。

すごい迫力ですね。けが人は出ないんでしょうか。

西大寺会陽(はだか祭り)

この日は静かで殆ど人はいませんでした。

彼岸花。今年は遅れ気味。

この後、食事して今回の観光は終了。お彼岸過ぎてやっとしのぎやすくなり、何とか二日間の日程をこなしました。

お土産少し。左端は織り工房で買った一筆箋。

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9/24 赤穂の宿は眺めよし

2024-09-28 | 旅行

さて、門と塀だけ、スケルトンの赤穂城にややテンション下がりながら駅まで引き返し、バスを待ちます。

今夜の宿は亀の井ホテル赤穂、一人一部屋二食付プランてす。

路線バスの終点になっていて送迎はありません。14:55、駅発のバスは殆どがホテルへ向かう人たち、車内盛り上がりつつ、20分ほどで着きます。

窓に向けて椅子があり、布団はもうセットしていました。

痛恨の空気清浄機は部屋の隅に、これでつまずく心配もありません。よかったあ~

2024年7月8日のブログ記事一覧-ブログ (goo.ne.jp)

部屋からの眺めは抜群。島が見えます。兵庫県の家島諸島とのこと。

ベランダ付。見晴らし良し。

元々はかんぽの宿。2年くらい前、全国のかんぽの宿を別府にある亀の井ホテルが買い、リニューアルして営業しています。高級宿ではないのですが、元は公共施設なので、作りゆったり。内装も新しく気持ちのいいお宿でした。

温泉に入った後、私の部屋でお茶飲みながら話をします。

そろそろ日が傾いてきました。18時半から夕食。レストランで。


料理はスタンダードなコース、それでも量は充分。

前菜は写真撮り忘れ。

蒸し牡蠣は味噌だれ付。柑橘系がよかったかも。

魚は目の前の家島から来るそうで新鮮、量も多し。

そろそろポタージュの季節。

白身魚にキノコに・・・ポタージュも濃厚。

魚が美味。

焼きしゃぶ。

プリン、アイスクリーム。

その他に天ぷらもあったかも。写真撮り忘れ。

一つ一つが量が多くてお腹いっぱいに。ごちそうさまでした。

同行者はこの後、夜鳴きソバサービスも利用したそうですが、私はギブアップ。部屋で胃薬呑んで寝ていました。


朝焼け。

7時半からの朝食ビュッフェスタイル。品数多し。私は何でも少しずつ。

同行者はたくさん食べていましたが、私よりうんと細くて羨ましい。私は親から受け継いだこの体質をただ嘆くだけ。(帰宅したら1キロも増えていた泣)


館内には赤穂緞通の作品いろいろ展示しています。戦前に盛んで、その時の古い作品もありそうです。

 

 

並べて。

昔は旅館の玄関などに置いていたそうですが、貴重なので今はタペストリーとして飾ることが多いそうです。

極めつけはこちら。戦前、伏見宮家に納めたらしい。

写真に納まる(当時の言い方で)女中さん達と比べて、その大きさがわかるというものです。継ぎ目はなくて、特大の織り機から作ったと思われます。

夫に話すと「そのじゅうたん、いまどこにあるん?」と聞くので、「東京空襲で焼けたとか・・・」と想像しました。どこかにあれば見たいものです。

一度は緞通の製造が途絶えましたが、その技術を持った人を赤穂市が探し出し、次の世代へ継承したそうです。今は市内に工房二つ。究極の手技ですね。

緯糸をきちんと通してかちりと仕上げているので何世代も持つのでは。


チェックアウトしてロビーで路線バスを待ちます。

同行者はポケモンゴーに夢中で話しかけられないので、一人でそこら辺を散策します。

ポケモンゴー、話しを聞いても何が面白いのか、私の堅い頭では理解できません。理解できないけど、あんなに夢中なのできっと楽しいのでしょう。

この日は・・・・で一位になって・・・・なので、と言っていたので大切な場面だったのでしょう。お互いの趣味は尊重して、私はロビーのお土産見たり、そこら辺を歩いたり・・・

いつ来ても楽しめる場所のようです。コスパもよさそうで、平日だけとたくさんのお客さんでした。

船が見えます。

どの部屋からも眺めよし。ベランダ付。


坂越に行きたかったけど、次の機会にして織り工房見学の後は岡山に向けて出発です。

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9/24 塩と仇討の赤穂を歩く

2024-09-27 | 旅行

岡山で今回の同行者と待ち合わせ、9:25発赤穂行きに乗車。一時間ちょっとで赤穂着。幾分涼しくなって、旅行日和。

駅からバスで数分、大石神社前で降ります。

立派な櫓と掘り。

門を入ります。

中は昔の遺構を生かした庭園になっていて、建物はありません。人もほとんどいません。

天守台からの眺め。北方向。

外へ出ます。

大きな木がなくて暑かった。最近整備したのかもしれませんが、案内板もなくて詳細不明。

立派な長屋門は大石内蔵助の屋敷跡。

建物はなくなっていて、神社が建っています。その名も大石神社。

向こうの方に資料館がありましたが、今回は行かず。昼ご飯を食べます。

美味しいお蕎麦でした。大根おろしが薬味です。

和菓子も製造販売。立派な店構えで、大河ドラマ?のロケの写真あり。

お城の建物がないので、こちらを代わりに使ったようです。

おそばには和菓子が付きます。どちらも塩味のよく効いたお饅頭と最中。

旅の始めなので一個買うつもりでしたが、バラ売りはないとのこと。残念。

店のインテリア。まさか真剣ではないと思いますが。


ホテルへ行くのは早いので、歩いて駅まで引き返します。

ところどころに城下町の遺構があります。赤穂は上水道が完備、各戸に配水していたそうで、江戸時代、そこまでインフラが整っていたのかと驚きました。

こちらは共同の井戸だったのでしょうか。

釣瓶があるので水をくみ上げて、手を洗ってみました。現役の井戸です。井戸水をくみ上げるのはたぶん70年ぶりくらい。昔はどこの家にも井戸がありました。

この井戸は浅く、水もぬるかったのは酷暑のせいでしょうか。

いきつ起為当=息継ぎ井戸と説明があります。

赤穂事件の折、殿様切腹の一報を知らせに江戸から戻った家臣・・・名前?がこの井戸の水を飲んで息を整えてお城に向かったそうです。

その故事を忘れないため、井戸も残し伝えているのでしょう。

討ち入り。

本当はJRでもう一つ東の坂越さこしまで行き、塩の積出港の古い街並みを見るつもりでしたが、今回は行きませんでした。

近いうちに行きたいなと思います。

宿は後ろのホテルではなく、バスで向かいます。温泉宿ですが、一人一部屋、2食付きのプランです。

それはまた次の機会に紹介します。

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織り工房の見学

2024-09-25 | 旅行

今朝はこちらを見学していました。地場産業の織物です。完全な手工業、高価です。

ギャラリー東浜(higashihama.jp)

9時過ぎに電話して、9時半から伺いたいと急な話にも快く応じていただきました。

バス停の明神木から徒歩数分、静かな住宅街の中にあります。

樹木がたくさん。

一人の方が両方なさっているそうです。

玄関。

ギャラリー。大作から小品まで。

ギャラリー。和室にも敷けるよう、畳一枚の大きさが基本だそうです。

作品はとても買えないので、一筆箋を購入。同行者は右隣りの手ぬぐいを買いました。

和室にも洋室にも合う柄。

細い線を織り出すのは特に技術がいると他所で聞きました。大胆でかつ品のある作品。

今度パリで展示会があるそうです。

隣は工房です。大きな織り機が2台。

お弟子さんの作品。もう8か月織っているそうで、まだかかるとか。

短く切った糸を通し、切りそろえて、さらに白い糸で段を揃えます。型紙は当てずに図案を見ながら織るそうです。前の段に続いているので狂わないそうですが、それも難しそう。

隣は先生の織機。二台とも大きくて頑丈な織り機でした。

工房の大きな掃き出し窓の外は庭です。

雑木が中心、林の中にいるような庭でした。


今日は突然押し掛けたにもかかわらず、とてもいいものを見せていただきました。いいものを見て、自分も少しバージョンアップできたでしょうか。

この経験を活かしたいと思います。

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赤穂の温泉へ来ています

2024-09-24 | 旅行




親族女性と私は、1年違いで誕生日が同月同日、毎年恒例の誕生日旅行に来ています。 今年は赤穂です。
泊まるのは、穏やかな瀬戸内海が目の前に広がる温泉宿です。
温泉に入りたくさんおしゃべりをして、明日まで旅行を楽しみます。
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9/13 豪円山へ登る

2024-09-17 | 旅行

9/13 米子市内の宿を出て豪円山に向かう。こちらは大山を取り囲む山の一つで、30分ほどで登れる年寄りにも優しい山。

大昔、子供たちと麓から少し歩いた記憶があります。

米子市街地を抜けて、大山に向かいます。約30分で山の麓につきます。

閉まっているスキー宿のPに車を置いて、目の前はもう山です。

あちらが頂上方向。

左手から登ります。初めは木陰が続きます。

山野草いろいろ。

イタドリ(赤花)

この季節、ツリフネソウが咲いています。

キンミズヒキ

ツリガネニンジン。

せり科。シシウド?

花の後ろがクルリンと~。

マルバハギ。

ゲンノショウコはよく見る花。

白花も。

やがて木陰も尽き・・・

草原へと。ススキが穂を出して初秋の趣き。

振り返れば大山。夫は40代に何度か登ったのですが、私は未踏。

 

菊の仲間。シラヤマギク?

山は少しずつ秋。

秋の七草が二つ。

こちらも七草のひとつ。ワレモコウは花にピントを合わすのが難しい。

えーと・・・

秋の山歩き。舗装して歩きやすい。

のろし台跡からの大山。

米子市内と日本海。

途中に避難小屋みたいなのがありますが、何かの作業用の小屋らしい。鍵がかかっていて入れません。

その横から森林地帯へ。

ツルリンドウ。

ヤマアジサイが残っていた。

ブナの木の下、ササを掻き分けて歩く。木漏れ日の登山道。

頂上の説明版。山頂は大山寺別当(住職?)、豪円の墓所とのこと。地元の大名と争い、米子城の見下ろせる場所に葬るように遺言したそうです。

麓には歴代の住職の墓石もあります。

頂上は展望なし。草生した石垣の上に石仏一体。米子の方を見下ろしているようにも見えます。

ここまでゆっくりで30分くらい。勾配緩やかで楽に登れました。

またまたヤマアジサイ。

先ほどの作業小屋の横まで戻る。地面の切れたところは近寄って見るとジャンプ台でした。

急角度で上から見ると怖い。この山はスキーではなくてジャンプをする山のようです。40年以上前にはなかったのかも。

大山山麓。スキー場、たくさん。

どんどん降りて行きます。

大山にかかる雲が刻々変化します。

この付近で若い女性が一人で登るのに出会う。少し話をする。あとから年配のご夫婦も来る。女性、年寄りに優しい山。

大山にかかる雲が刻々変化します。

斑点の多いツリフネソウ。

こちらは淡い色。

株によって色もさまざま。9月の花でした。

今年もツリフネソウ、ヤマアジサイ、ツルリンドウが見られて結構でした。

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