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9/24 赤穂の宿は眺めよし

2024-09-28 | 旅行

さて、門と塀だけ、スケルトンの赤穂城にややテンション下がりながら駅まで引き返し、バスを待ちます。

今夜の宿は亀の井ホテル赤穂、一人一部屋二食付プランてす。

路線バスの終点になっていて送迎はありません。14:55、駅発のバスは殆どがホテルへ向かう人たち、車内盛り上がりつつ、20分ほどで着きます。

窓に向けて椅子があり、布団はもうセットしていました。

痛恨の空気清浄機は部屋の隅に、これでつまずく心配もありません。よかったあ~

2024年7月8日のブログ記事一覧-ブログ (goo.ne.jp)

部屋からの眺めは抜群。島が見えます。兵庫県の家島諸島とのこと。

ベランダ付。見晴らし良し。

元々はかんぽの宿。2年くらい前、全国のかんぽの宿を別府にある亀の井ホテルが買い、リニューアルして営業しています。高級宿ではないのですが、元は公共機関なので、作りゆったり。内装も新しく気持ちのいいお宿でした。

温泉に入った後、私の部屋でお茶飲みながら話をします。

そろそろ日が傾いてきました。18時半から夕食。レストランで。


料理はスタンダードなコース、それでも量は充分。

前菜は写真撮り忘れ。

蒸し牡蠣は味噌だれ付。柑橘系かよかったかも。

魚は目の前の家島から来るそうで新鮮、量も多し。

そろそろポタージュの季節。

白身魚にキノコに・・・ポタージュも濃厚。

魚が美味。

焼きしゃぶ。

プリン、アイスクリーム。

その他に天ぷらもあったかも。写真撮り忘れ。

一つ一つが量が多くてお腹いっぱいに。ごちそうさまでした。

同行者はこの後、夜泣きソバサービスも利用したそうですが、私はギブアップ。部屋で胃薬呑んで寝ていました。


朝焼け。

7時半からの朝食ビュッフェスタイル。品数多し。私は何でも少しずつ。

同行者はたくさん食べていましたが、私よりうんと細くて羨ましい。私は親から受け継いだこの体質をただ嘆くだけ。(帰宅したら1キロも増えていた泣)


館内には赤穂緞通の作品いろいろ展示しています。戦前に盛んで、その時の古い作品もありそうです。

 

 

並べて。

昔は旅館の玄関などに置いていたそうですが、貴重なので今はタペストリーとして飾ることが多いそうです。

極めつけはこちら。戦前、伏見宮家に納めたらしい。

写真に納まる(当時の言い方で)女中さん達と比べて、その大きさがわかるというものです。継ぎ目はなくて、特大の織り機から作ったと思われます。

夫に話すと「そのじゅうたん、いまどこにあるん?」と聞くので、「東京空襲で焼けたとか・・・」と想像しました。どこかにあれば見たいものです。

一度は緞通の製造が途絶えましたが、その技術を持った人を赤穂市が探し出し、次の世代へ継承したそうです。今は市内に工房二つ。究極の手技ですね。

緯糸をきちんと通してかちりと仕上げているので何世代も持つのでは。


チェックアウトしてロビーで路線バスを待ちます。

同行者はポケモンゴーに夢中で話しかけられないので、一人でそこら辺を散策します。

ポケモンゴー、話しを聞いても何が面白いのか、私の堅い頭では理解できません。理解できないけど、あんなに夢中なのできっと楽しいのでしょう。

この日は・・・・で一位になって・・・・なので、と言っていたので大切な場面だったのでしょう。お互いの趣味は尊重して、私はロビーのお土産見たり、そこら辺を歩いたり・・・

いつ来ても楽しめる場所のようです。コスパもよさそうで、平日だけとたくさんのお客さんでした。

船が見えます。

どの部屋からも眺めよし。ベランダ付。


坂越に行きたかったけど、次の機会にして織り工房見学の後は岡山に向けて出発です。

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9/24 塩と仇討の赤穂を歩く

2024-09-27 | 旅行

岡山で今回の同行者と待ち合わせ、9:25発赤穂行きに乗車。一時間ちょっとで赤穂着。幾分涼しくなって、旅行日和。

駅からバスで数分、大石神社前で降ります。

立派な櫓と掘り。

門を入ります。

中は昔の遺構を生かした庭園になっていて、建物はありません。人もほとんどいません。

天守台からの眺め。北方向。

外へ出ます。

大きな木がなくて暑かった。最近整備したのかもしれませんが、案内板もなくて詳細不明。

立派な長屋門は大石内蔵助の屋敷跡。

建物はなくなっていて、神社が建っています。その名も大石神社。

向こうの方に資料館がありましたが、今回は行かず。昼ご飯を食べます。

美味しいお蕎麦でした。大根おろしが薬味です。

和菓子も製造販売。立派な店構えで、大河ドラマ?のロケの写真あり。

お城の建物がないので、こちらを代わりに使ったようです。

おそばには和菓子が付きます。どちらも塩味のよく効いたお饅頭と最中。

旅の始めなので一個買うつもりでしたが、バラ売りはないとのこと。残念。

店のインテリア。まさか真剣ではないと思いますが。


ホテルへ行くのは早いので、歩いて駅まで引き返します。

ところどころに城下町の遺構があります。赤穂は上水道が完備、各戸に配水していたそうで、江戸時代、そこまでインフラが整っていたのかと驚きました。

こちらは共同の井戸だったのでしょうか。

釣瓶があるので水をくみ上げて、手を洗ってみました。現役の井戸です。井戸水をくみ上げるのはたぶん70年ぶりくらい。昔はどこの家にも井戸がありました。

この井戸は浅く、水もぬるかったのは酷暑のせいでしょうか。

いきつ起為当=息継ぎ井戸と説明があります。

赤穂事件の折、殿様切腹の一報を知らせに江戸から戻った家臣・・・名前?がこの井戸の水を飲んで息を整えてお城に向かったそうです。

その故事を忘れないため、井戸も残し伝えているのでしょう。

討ち入り。

本当はJRでもう一つ東の坂越さこしまで行き、塩の積出港の古い街並みを見るつもりでしたが、今回は行きませんでした。

近いうちに行きたいなと思います。

宿は後ろのホテルではなく、バスで向かいます。温泉宿ですが、一人一部屋、2食付きのプランです。

それはまた次の機会に紹介します。

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織り工房の見学

2024-09-25 | 旅行

今朝はこちらを見学していました。地場産業の織物です。完全な手工業、高価です。

ギャラリー東浜(higashihama.jp)

9時過ぎに電話して、9時半から伺いたいと急な話にも快く応じていただきました。

バス停の明神木から徒歩数分、静かな住宅街の中にあります。

樹木がたくさん。

一人の方が両方なさっているそうです。

玄関。

ギャラリー。大作から小品まで。

ギャラリー。和室にも敷けるよう、畳一枚の大きさが基本だそうです。

作品はとても買えないので、一筆箋を購入。同行者は右隣りの手ぬぐいを買いました。

和室にも洋室にも合う柄。

細い線を織り出すのは特に技術がいると他所で聞きました。大胆でかつ品のある作品。

今度パリで展示会があるそうです。

隣は工房です。大きな織り機が2台。

お弟子さんの作品。もう8か月織っているそうで、まだかかるとか。

短く切った糸を通し、切りそろえて、さらに白い糸で段を揃えます。型紙は当てずに図案を見ながら織るそうです。前の段に続いているので狂わないそうですが、それも難しそう。

隣は先生の織機。二台とも大きくて頑丈な織り機でした。

工房の大きな掃き出し窓の外は庭です。

雑木が中心、林の中にいるような庭でした。


今日は突然押し掛けたにもかかわらず、とてもいいものを見せていただきました。いいものを見て、自分も少しバージョンアップできたでしょうか。

この経験を活かしたいと思います。

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赤穂の温泉へ来ています

2024-09-24 | 旅行




親族女性と私は、1年違いで誕生日が同月同日、毎年恒例の誕生日旅行に来ています。 今年は赤穂です。
泊まるのは、穏やかな瀬戸内海が目の前に広がる温泉宿です。
温泉に入りたくさんおしゃべりをして、明日まで旅行を楽しみます。
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9/13 豪円山へ登る

2024-09-17 | 旅行

9/13 米子市内の宿を出て豪円山に向かう。こちらは大山を取り囲む山の一つで、30分ほどで登れる年寄りにも優しい山。

大昔、子供たちと麓から少し歩いた記憶があります。

米子市街地を抜けて、大山に向かいます。約30分で山の麓につきます。

閉まっているスキー宿のPに車を置いて、目の前はもう山です。

あちらが頂上方向。

左手から登ります。初めは木陰が続きます。

山野草いろいろ。

イタドリ(赤花)

この季節、ツリフネソウが咲いています。

キンミズヒキ

ツリガネニンジン。

せり科。シシウド?

花の後ろがクルリンと~。

マルバハギ。

ゲンノショウコはよく見る花。

白花も。

やがて木陰も尽き・・・

草原へと。ススキが穂を出して初秋の趣き。

振り返れば大山。夫は40代に何度か登ったのですが、私は未踏。

 

菊の仲間。シラヤマギク?

山は少しずつ秋。

秋の七草が二つ。

こちらも七草のひとつ。ワレモコウは花にピントを合わすのが難しい。

えーと・・・

秋の山歩き。舗装して歩きやすい。

のろし台跡からの大山。

米子市内と日本海。

途中に避難小屋みたいなのがありますが、何かの作業用の小屋らしい。鍵がかかっていて入れません。

その横から森林地帯へ。

ツルリンドウ。

ヤマアジサイが残っていた。

ブナの木の下、ササを掻き分けて歩く。木漏れ日の登山道。

頂上の説明版。山頂は大山寺別当(住職?)、豪円の墓所とのこと。地元の大名と争い、米子城の見下ろせる場所に葬るように遺言したそうです。

麓には歴代の住職の墓石もあります。

頂上は展望なし。草生した石垣の上に石仏一体。米子の方を見下ろしているようにも見えます。

ここまでゆっくりで30分くらい。勾配緩やかで楽に登れました。

またまたヤマアジサイ。

先ほどの作業小屋の横まで戻る。地面の切れたところは近寄って見るとジャンプ台でした。

急角度で上から見ると怖い。この山はスキーではなくてジャンプをする山のようです。40年以上前にはなかったのかも。

大山山麓。スキー場、たくさん。

どんどん降りて行きます。

大山にかかる雲が刻々変化します。

この付近で若い女性が一人で登るのに出会う。少し話をする。あとから年配のご夫婦も来る。女性、年寄りに優しい山。

大山にかかる雲が刻々変化します。

斑点の多いツリフネソウ。

こちらは淡い色。

株によって色もさまざま。9月の花でした。

今年もツリフネソウ、ヤマアジサイ、ツルリンドウが見られて結構でした。

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皆生温泉の宿

2024-09-16 | 旅行

9/12 皆生温泉「松月」泊。行ったら予想外の広い部屋で焦りまくったのは前にも書きました。

テレビが3台。夜は各自でYoutube見て過ごす。

18時半からの夕食はレストランで。スタンダードコース。他にステーキとカニのつくプランもあるようです。

うさぎの中も何か入っていた。

器は雁行する橋の見立て。気が付かず、杭に見立てたもの、うっかり食べそうになった。

肉一切れとジャガイモなどは後で食べるつもりだったら気が付かないうちに下げられていた。残念、無念。

蛤とマツタケの土瓶蒸し。

サラダには卵の黄身と酢を混ぜたドレッシングが。卵白も入れるとマヨネーズ。

お刺身いろいろ。左手、イサキが珍しい。

厚切りチャーシューみたいなのにいろいろ掛かっていた。

いちばん上はミョウガ?

天ぷら。

デザート。ここでもうさぎ。米子は因幡の白うさぎの地元でしたか。

このあと展望風呂と部屋の風呂に入って、貸切風呂と姉妹館の温泉には行けず。そちらはまたの機会を楽しみにしましょう。


朝ごはん。

小さなノドグロもついていました。

海を見ながらの朝食。波が穏やかでいいお天気です。

ラウンジ。

このあと一眼レフカメラのケースがないことに気が付き、夫に車で待ってもらって海岸まで行くと落ちていました。やれやれ。白い浜で黒い落とし物、すぐ見つかってよかったです。

旅はまだまだ続きます。

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9/12 自宅から美保関灯台まで

2024-09-15 | 旅行

8時40分頃、自宅発。ガソリン入れて、西風IC~広島道~中国道~松江道~山陰道と走り、米子西で下りて境港へ向かう。

いいお天気です。とても暑い。

途中で昼ご飯。

道沿いの蕎麦屋。

お客さんが多かった。

あちらがおいしそう。

お腹が冷えるので私は熱いうどんにした。残念。

境港市と松江市の間の境水道大橋。

とても高いところを走ります。

降りてくぐって・・・

海べりの快走路。まだまだ真夏。雲が少しだけ秋の気配。

美保漁港につきました。美保神社があります。

しめ縄が出雲大社に似ています。

狭い通りの両側に旅館、商店が並びます。昔からの通りのようです。

真昼で、人は少なめ。

古い旅館。

建物の間から港と大山が見える。

港に戻りました。大山は雲の中。

車にいた夫を誘ってもう一度歩き、突き当り左の仏谷寺ぶっこくじまで行く。

後鳥羽上皇が隠岐に流される途中でこのお寺の前身、三明院に滞在したそうです。その時に歌を残しています。

ここまで来れば隠岐はもうすぐ。落剝の思い、都を懐かしむ気持ちを歌に託しています。

約100年後、今度は後醍醐天皇も立ち寄ります。

後鳥羽上皇は隠岐に陵がありますが、後醍醐天皇は島を脱出、味方を集めて南朝を立て、吉野で最後を迎えます。史上まれにみるactiveな帝。その名もgo-dei-go。醍醐天皇に憧れ、生きているうちから諱を付けた信念の人。

隠岐を出て船上山に移りますが、昔の天皇はどんな所へも輿で行く。以前、船上山に登った時、輿を置いた場所を見ました。担ぐ人も大変です。

今夜の「光る君へ」は御嶽詣で。今なら近鉄で京都から日帰りできますが、昔の旅は大変です。剣岳みたいな岩場で落ちそうになって、リポビタンのCMみたいなで楽しめました。

島根半島が風よけになり、昔からの良港だったことでしょう。北前船の行き来する時代は今よりうんと賑やかで栄えたことでしょう。

古い時代の面影が色濃く残る港町、行ってよかったと思いました。文人墨客も多く訪れ、短歌など残しています。

しかし、暑かった。。。


続いて半島の先端、美保関灯台へ。

駐車場から歩いて行くと見えてきました。

隠岐の島がかすかに見えています。

灯台に周りを歩いて引き返します。途中、外海に面した港へ立ち寄ります。

磯が続きます。

アワビやサザエなどの密猟禁止の看板多数。

イカ釣り船。

このあと来た道を引き返して皆生温泉へ。海岸に旅館が並ぶ温泉街でした。旅館多数。平日でお客さんはそこそこ。海水浴のシーズンは賑わうそうです。

皆生温泉マリンアスレチック 海皆-KAI・KAI-

これはすごい。子供も孫も大きくなって、私達にはもう御縁もなさそうですが。

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米子、大山の旅。皆生温泉。

2024-09-14 | 旅行

12、13日は山陰へ旅行していました。元々は8月に行く予定でしたが、夫の都合で9月になりました。

行く先は島根県の美保が関灯台、大山麓の豪円山、米子城址などですが、今回一番の驚きは皆生温泉の旅館でした。

ごく庶民の私たち、ごく庶民向けの部屋を、クーポンとポイント駆使して安く予約したつもりでしたが、案内されたのは海が正面に見える三間続きの部屋でした。

手前、和室にベッド。真ん中リビング。向こうは和室。その向こうは日本海。

オーシャンビュー特別室 | 皆生温泉の旅館 皆生松月 

全部で105.8平米って・・・何畳分・・・焦る。

反対側から。壁に姿見があったのに今初めて気が付く。ゴミ箱みたいなのは枕元の灯。それも今気が付いた。

三つの部屋にそれぞれテレビ付き。写ってないけど、長椅子の後ろにはマッサージチェアあり。

手洗い二つ、洗面所のボウル二つ、風呂はずっとお湯が流れていて、ベランダ付きで海がよく見える。

海岸歩く人も丸見え。ということは向こうからこちらも見えるのではと、焦る。

きれいな砂浜。真夏は海水浴でにぎわうそうです。この日も泳いでいる人がちらほら。まだまだ暑い。

向こうは美保関のある島根県。夏雲も頑張っています。

各自で散歩。平日で人は少なめ。松に砂浜、日本海の夕暮れ。

温泉、食事の後は各自でYoutube。これはネットに繋がなくてもすぐに見れて便利。

設定がちょっとあれこれあるけれど、あとは操作も簡単でした。

子供も退屈しない筈。ついでに大人も楽しく過ごせました。って、家にいるのと同じみたいですが。

部屋から見る朝焼け。向こうは姉妹館。あちらの温泉にも入れるのですが、行きそびれました。


チェックアウトの時、「グレードアップしていただいたんですか?」と尋ねたら「部屋お任せのご予約でしたので、空いている特別室をご案内しました」とのこと。

そうだったんだあ~安心しました。感謝、感謝。

広い部屋で心がゆったりして、日常のわずらわしさをしばし忘れました。いい部屋で過ごせたのは本当にラッキーでした。

今度は別の人(女性)と行って見たい。普通の部屋だって充分素敵です。

ご宿泊客室 | 皆生温泉の旅館 皆生松月

一人旅の人、ビジネス利用の人向けにシングル部屋もあります。

一人で夕食食べているお客さんもいました。私も一人でもひるまない胆力をつけたいものです。今年の一月、玉造温泉で出会った年配女性、楽しそうに生き生きと一人旅を楽しんでおられました。

山歩きなどは次の機会に書きたいと思います。

コメント (2)
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8/22 涼しい上帝釈峡を歩く

2024-08-27 | 旅行

9時前、宿を出て上帝釈に向かいます。

今までの私、帝釈峡と神龍湖を混同、帝釈峡はダム湖の部分の別名と思っていました。

そうではなくて、帝釈川に大正13年にダムを作って出来たのが神龍湖、帝釈峡はその部分も含めてうんと広いエリアと今回ようやくわかりました。

子供が小さいころ、その頃はまだ中国自動車道しかなくて、岡山へ旅行した帰りに寄り、遊覧船に乗りましたが、名前の付いた断崖絶壁を見るばかりで、子供は退屈。

数年前、友達と紅葉を見に行きましたが、11月末ですでに落葉。いい出会いに恵まれず、今回もそう期待はしていませんでしたが、宿も帝釈峡もいい方に期待が外れていい旅行になりました。

上帝釈峡には歩いては行けません。車で上流に回り込みます。

入口には立派な駐車場と昭和感満載の食堂兼土産物屋さんが。写真撮り忘れましたが、古くからの景勝地だったことが偲ばれます。

同じ県内で、今まで御縁がなかったのが残念です。

渓流沿いに歩きます。

入口にいきなりキツネノカミソリが。この花は渓谷の入り口によく見られます。彼岸花の仲間。夏の終わりを告げる花ですが、暑さにちょっと傷んでいます。

続いてイカリソウシュウカイドウが。

涼しげ。

ベゴニアの仲間。

夫はこの日は背中の調子がよく、先へ歩いて行ってしまいました。

大丈夫、やがて追いつく私。

せり科。

ゲンノショウコの仲間?

渓谷は緩やか。道は平坦。木陰は涼しく、聞こえるのはせせらぎの音だけ。

シラヤマギク?

秋の準備。

再びシュウカイドウ。

歩きやすい道。

サルオガセ。地衣類。湿気の多いところに見られる。木の枝に着生。空気中の水分を取り込む。

木に髭が生えたような眺め。

参考画像

2019年8月

沖縄ちゅらうみ水族館隣接の植物園で。

2014年6月

南フランス、ゴープ湖手前で

6/15 午後からピレネー山中のゴーブ湖とスペイン橋へ行く - ブログ (goo.ne.jp)

さらに下流に向かいます。

人少なし。

ミズ(ウワバミソウ)の群落。

先日の「ポツンと一軒家」で、調理して取材スタッフに振る舞っていたけど、国定公園なので採集は遠慮します。それに軸の皮とって手間がかかりそう。

名前不明。葉が、牛や羊の爪みたいに先で二裂。

オニアザミ?

有名な雄橋まで来ました。

石灰岩が川の流れに削られて出来たそうです。

この付近は瀬戸内側と違って、山は石灰岩でできているそうです。ばあちゃん、この年まで知りませんでした。

瀬戸内沿岸は花崗岩でもろい。それで度々、土砂災害。

先を行く夫と較べてその大きさが雄大。

くぐります。

振り向いたところ。

昔はこの上を道が通って橋として利用していたそうです。

キンミズヒキ。

サルオガセたくさん。向こう岸にもたくさん見える。

八月のマタタビはやや色づいている。

帰り道。上流へ戻りますがほぼ平坦。

途中に小規模な鍾乳洞があります。

中は11度、涼しいというのが触れ込み。入場料300円。

老人の管理人がやってきて、開けてくれました。

左の木戸から入ります。

中は狭い。とても涼しい。

行き止まりの先にまだ小さな穴が開いていて、涼しい風が吹き込んできます。

広島県に鍾乳洞があるなんて知らなかった。まだまだ知らないこといっぱい。


戻ってきました。

食堂裏手の水田。

手前の空き地は、冷たい山の水を少し温めてから水田に入れるための部分と思われます。

水田地帯によくみられる植物が生えています。

白い花のオモダカ。小さな葉はスベリヒユのようです。

街中でも湿った所にスベリヒユはありますが、オモダカは今年初めて見ます。

稲にとっては厄介な雑草ですが、葉の形が面白いのがオモダカ。家紋にも使われるので昔から身近な植物だったことでしょう。


近くに古刹、永明寺があり、帝釈川はその本尊、帝釈天から来ているようです。今回は行きませんでした。もう行くこともないかも。

帰るに早いので三次ワイナリーに行き、お土産各種を買います。

昼ご飯食べて、美術館も行く予定でしたが、駐車場がないので行きそびれ、そのまま帰宅。

近くの旅行でしたが、まだまだ知らないことたくさん。

落ち着いた宿と涼しい渓谷に癒された夏旅でした。

「道の駅遊YOUサロン東城」で、柿みたいな色のトマト。新鮮でおいしかった。

夫は辛い物好き。10本で150円。吊るして少しずつ消費。


初日8/21にまず行ったのは庄原市七塚原の、県の酪農試験場。

ポプラ並木。

ワルナスビの実。

棘があるのでこの名前ですが、実は愛嬌があります。

絵になりそうな眺め。

1985年ごろ、阿妻山山麓の貸しコテージへ行く途中、立ち寄った記憶があります。

長男、次男は虫取り網で昆虫採集。三男は3歳くらい。半ズボンに布のサンダル履き。手を繋いでこの付近で写真撮った。懐かしいなあ~

今日は暑いので牛も牛舎にいるようです。あのずっと向こうまで行きたかったけど、夫がギブアップ、引き返します。

何か絵に描きたい景色。北海道みたいな眺めでした。

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8/21庄原市、湖を見る静かな宿

2024-08-26 | 旅行

8/21 公園を後にして東城まで。広島県の北東の端、高速の中国道を少し行けばもう岡山県です。

東城インターから神龍湖に向かって南下、30分ほどで着きました。今夜の泊りは錦彩館さんです。

ロビー。

ごく普通の和室にベッドあり。

7月、愛知県の宿で布団に躓いて、空気清浄機もろとも床の間に倒れ込んでから、布団は止めることにしました。

部屋は12.5畳と広め。

窓から。

大浴場も食事処もすべて湖に向いています。深い山と深い湖。静かです。

まだまだ日が高いです。この後入浴して食事へ。

この日はお客さんは3組のみ。静かでした。

6時半から一階の食事処で。

きれい。

夏らしく鱧。

田舎料理でもなく、創作和食でもなく、ちゃんとした懐石コース。

夜は早く寝ました。


夜が明けてきました。

月が見えます。

十六夜くらい。一晩中月あかりで明るかった。普段は月を見ることもない暮らし。

水面にはっきりと見える月。

夫が寝ているのでそこら辺を歩きます。

宿。

名前。

振り向いたところ。

深い山の中の一軒宿。

夫はまだ寝ているはず。

遊覧船乗り場まで行って見ます。

昔のトンネルに、展望台?への遊歩道。

車はスピード出して通りますが、人は誰もいません。早朝なので涼しかったです。

朝食。きれいでおいしかった。

眺めもいい食事処。コーヒーのセルフサービスもあります。

どこかから子供の声が。はて子供連れのお客さん?と思いましたが、経営者の子供さんのようでした。

元は東城の宿場で宿を営んでおられたと、ネット情報。家族経営とのこと。若女将は着物ではなく、ブラウスにスカート。

宿全体の印象は派手ではなく、しかし料理は抜群で、アメニティも充実、久しぶりにいいお宿に出会いました。

こちらの二人分は、7月に息子と行った宿の一人分(¥44,000)より、ポイントとクーポン使って一万円以上安い。感動しまくって帰ってきました。

JR東城駅まで送迎もあるので、初めは一人で行くつもりでした。一人旅のプランもあります。

旅は道連れ世は情け、一人で楽しく、二人ならなお良し。ケンカせずに楽しく行きましょう。

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8/21「ひばの里」つづき

2024-08-26 | 旅行

8/21 庄原市の国営備北丘陵公園で、再現された里山風景を見ます。

さとやま屋敷の先には農家が二戸、こちらは移築したのかも(未確認)

軒下の農具各種。

草取り器は、水田に発生する浮草を取る道具。

真夏に稲株の間を歩いて浮草を引っかけます。

田植え用の綱は、畔から畔に渡して固定し、それに田植え定規を当てて植えていきます。

苗代で作った苗の束を籠に入れ、天秤棒で前後に吊るして田まで持って行きます。苗を適当な間隔で水田に放り込みます。

それを拾い上げつつ、田植えをしていきます。

足踏み式縄ない機。

ハの字形の樋状ものの間に座り、藁を数本ずつ入れて足で踏んで撚り合わせます。

これは農閑期に作りためておきます。近所の農家でない人が買いに来ることもありました。

昔のニュース映画で、東京の国立競技場で「全国足踏み縄ない競技大会」を見たことがあります。昭和30年代前後でしょうか。まだまだ農業で頑張っていた時代。

それにしても昨今の米不足です。

近い理由としてはインバウンド客の増加とか、地震に備えてとか言われていますが、米の生産量が長期的に減少しているのも原因では。

米は日本人の常食、国民が食糧の心配なく暮らせるのが政治の基本。抜本的な農業政策の改革を期待したいものです。

竈。

我が実家では焚口は一つで、前後に3つ鍋釜が掛けられる仕掛けだった。

沖積平野のど真ん中で近くに山はないので、燃料は稲を脱穀したあとのもみ殻。それで一年分が賄えていた。今はやりのSDGs。風呂は豆などの軸を乾燥させたものや紙類全般。薪は見たことない。それで何とか賄っていたのでしょう。その他には炭を常備。ちょっと牛乳を沸かすとかは七輪に炭。なくなると近所の店から炭俵で配達してもらう。

我が家は乳牛もいたので自家製の牛乳を飲む。牛乳はクリーム色で、沸かすと真ん中に黄色い脂肪の塊が集まります。

竈や七輪はやがて石油コンロになり、プロパンガスになり、都市ガスになり・・・

昔の家事は火の管理が大切。燃料を効率よく使って煮炊きに風呂。うまく回すのが主婦の裁量だった。寝る前には火を落として一日が終わる。

台所横の保存部屋。台所道具、調味料、漬物などの保存。

暗くて温度変化があまりない部屋。

我が実家では間口半間、奥行き一間、内側を黒い漆喰で塗り固めた「鼠入らず」と呼ぶ保存用の部屋があった。開きのドアで縁は・・・油紙のようなものを巡らし、密閉できるようになっていた。

ある夏、青物市場で西瓜をたくさん買って保存し、毎日一個ずつ井戸で冷やして食べた記憶が。一個だけ傷んでいたけど、あとは食べられたはず。

すみません、婆ちゃんの昔語りが止まりません。

そば打ち、竹細工などの体験ができるようですが、真夏の平日、誰もいません。スタッフの人たちが静かにお客さんを待っています。

さらに行くと焼き物体験。

展示館もありましたが、そこは写真がありません。

次に見えてきたのは神楽をする施設です。

前は広場になっています。秋まつりに、筵と弁当、酒持参で鑑賞します。今でもやっているのでしょうか。

軒下に龍!!

藁細工。迫力満点。生きているような顔が怖い。

このあとたたら製鉄、木の工房などありますが、夫はこの日は背中が痛くてあまり歩けません。それでここから引き返します。

さっきの農家。

座敷で休んださとやま屋敷。

暑い街中にいて、水田が見たい、涼しい景色が見たいと思っていたので、願いが叶い結構でした。

おっと、手前の電気柵にご用心。

ヒゴタイと稲。


公園はこのほかにもいろいろな施設があってとても歩いては回れないので、車で周回し、今夜の宿へと向かいます。

花は広い花壇に季節ごとに植え替えるらしいです。出来たころ一度来て、日陰のないところを歩いても歩いても同じ花が続くので、それからはご無沙汰でしたが、年寄りも楽しめる公園でした。

草を刈った裸地を放置して植物の変化を観察、極相林に至るまでを追跡するコーナーがあればいいとメールで投書して、「貴重なご意見ありがとうございました」と返事をいただきましたが、その後どうなったかは未確認。

25年くらい前なので、もし始めていれば今は雑木林でしょうか。

自然界の草花も木も、そこにあるのは自然の姿。管理しなくてもおのずと景観を作る。そんな場所も欲しいと、若い私は考えていたのでした。

今はもう人さまが楽しければ、私の好みなどどうでもいいという境地。

長話失礼しました。

公園は楽しめました。JR庄原駅から路線バスもあるようです。

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ひばの里で昔に浸る

2024-08-23 | 旅行

2日間、県内を旅行していました。広島県を四角形とすると広島市は左下の隅、今回行った三次、庄原市は右上の部分になります。日帰りも出来ますが、帝釈峡内神龍湖湖畔の宿で一泊しての夏旅です。

ひばの里は、庄原市の国営備北丘陵公園内に再現された昔の里山ゾーンです。

この付近は昔は比婆郡だったので、その名前が由来と思われます。

21日9時頃自宅発、広島高速、広島道、中国道経由、庄原で下りて、まずは県の畜産試験場「七塚原牧場」ヘ。画像は後日に。


続いて国営備北丘陵公園へ。

トップ|国営備北丘陵公園 (bihokupark.jp

広いのでとりあえずひばの里へ。

ひばの里|国営備北丘陵公園 (bihokupark.jp)

私の世代では懐かしき眺め。楽しんできました。

さとやま屋敷

公園開設時に新しく作った建物。

昔の豪農のイメージだそうです。

蚊帳体験あります。

中は座敷が10以上並んでいます。

小さな部屋がたくさんあるのは昔風というよりは、各グループの休憩のためと思います。平日で私たち以外は誰もいません。

庭に面して座敷が並びます。

寄せ植え。

土間に隣接して囲炉裏あります。お茶と漬物サービス中。

私はこちらで。

「いただきまーす」

どこかから親戚の人が現れそうな錯覚。

こちら、裏庭側。

行ってから振り向いたところ。くつろいでいます。

このあと、眠いとか言ってほんとに寝てしまいました。

右は二階への階段。

箱階段も新設。

階段の手すりは山葡萄の幹ではないかと思うのですが。

広島県には稀で、山奥にたまーにあるそうですが、あるいは山藤かも。

私としては山葡萄であってほしい。写真見て気が付いたので、当日はスタッフの方には聞いていません。

山葡萄と言えばこれですね。ネットからお借りしました。

実は食べられるそうです。野葡萄は不食ですが。

あんな太い山葡萄が、昔は広島県にもあったのかもしれないとロマンを膨らませておきましょう。

ヤマブドウ - 広島大学デジタル博物館 (hiroshima-u.ac.jp)

三か所で発見されたことがあるようです。やはり稀ですね。

「広島県芸北町の鳥類」という学術論文で、1993年、臥竜山にヤマブドウの群落があったことが分かります。

https://www.town.kitahiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/12037.pdf

写真は379ページ、27-Eの図版です。やっと見つかりましたが、太いのはちょっと無理かも。

二階の農具。これは足で踏んで田に水を入れる道具。

田植え用定規。全国各地、形はいろいろと思いますが、広島県ではこれが一般的のようです。

あちらは離れです。行ってみましょう。

蚊帳が吊ってあります。

昼寝しようかな・・・

風、渡る。

夜、蚊帳の中に蛍を何匹か放して電灯を消す。小さな明かりが蚊帳の中を移動する。それを見ながら眠る。

朝起きると蛍は動かなくなっていて、小さな地味な虫だと気が付く。

今年の6月、九州の、蛍の出る宿へ行ったけれど、あいにくの雨。

最後に蛍を見てからもう何十年も経つ。


母屋に戻ります。

NATIONALテレビ。

映りませんでした。残念。

もう家に帰らない、ここの子になる。と口に出してみましたが、そうも出来ないので30分くらい休ませてもらって、さとやま屋敷とはお別れ。


隣は水車小屋。長くなるのでこれ以降は別のページにします。

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懐かしの蚊帳体験

2024-08-22 | 旅行


昨日、広島県の県北、庄原市の国営備北丘陵公園へ行きました。
広い公園にキャンプ場やサイクリングコース、花畑などありますが、暑いので里山を再現したゾーンの庄屋風屋敷で休んでいました。
広い座敷にたまに風が吹きます。


蚊帳の体験コーナーもありました。
私たちは蚊帳を使った世代、白いのは客用で普段は藍色や緑の蚊帳。
今の子供には珍しいでしょう。
孫が小さい頃、姑の蚊帳を借りてさんざん遊びました。閉鎖空間は自分のおうちで子供の国。
でも何のために道具かわかってなかったかも。
夏休みに、母の実家で、いとこたちと同じ蚊帳で寝るのが特に楽しかった記憶が。
年寄りの昔語り、夏の暑さに免じて許されよ。
公園の花は季節ごとに植え替えるので、今はコスモス。暑さに喘いでいた。
来月は少し見栄えがよくなることでしょう。

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6/19 熊本県田の原温泉へ

2024-08-04 | 旅行

あちらのブログから持ってきました。


息子が宿泊券をくれました。故郷納税の返礼品ですが、土日は予約が取れないそうで。

それで、私たちは月火と仕事を休んで熊本県まで行きました。

振り返ってみたら、自分では決して行かない筈の宿。

古き良き温泉情緒いっぱい、癒されてきました。

宿はこちら。黒川温泉のはずれで少し日田寄り、数件の宿がある鄙びた温泉街の、鄙びた宿でした。

博多まではのぞみで約1時間。そこから黒川温泉行高速バスで2時間半、バイパス田の原下車、徒歩数分で宿があります。

宿泊棟。部屋数は7つ。

各部屋、ベランダ付。外は深い森です。

夫は腰が痛くて少し休むそうで、一人で宿泊棟から川べりまで坂道を下りて行きます。雨が降りそうです。

貸し切り温泉は6タイプ。空いているところに、中から鍵をかけて入ります。

あの先が温泉棟。

かわせみが見晴らしがいいそうですが、あいにくふさがっていたのでめじろへ行きます。

一人温泉。屋根はありますが素通しで、向こうは川。

川音が絶え間なくしています。温泉に水を混ぜて冷やしています。

静かです。野趣満点。

生えているのはタニワタリ?南国です。

建物の横にサクラソウのような花が。

この色は初見です。地元では見たことありません。

園芸種?

ウバユリのつぼみ。

水たまりにイモリたくさん。

葉はサジオモダカ?

期せずして一人動植物観察をするばあちゃん。

坂道を上がって宿泊棟へ帰ります。もうすぐ雨になりそうです。

部屋で食事を待っています。

雨が降ってきました。大きなガラス窓で、夜は寒かった。

冬はいっそう寒そうですが、雪が降ると風情があることでしよう。

 


休憩室。この日はお客さんは3組だけ。

人も殆ど出会わず、静かな静かな山の中の宿でした。


この温泉街は昭和53年の、男はつらいよのロケ地だったそうです。撮影は別の宿だったそうですが。

男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 

男はつらいよ「寅次郎わが道をゆく」 (youtube.com)

「少年老い易く学成り難し」 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく - YouTube

翌朝、宿の周りを歩いていたら畑仕事をしていた年配女性にどこから来たのかと聞かれ、「あの時は倍賞千恵子が来た」と映画の話をしてくれました。

長くなるのでこの後は次に。

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パリ、エッフェル塔の風景

2024-08-01 | 旅行

久しぶりにパリの写真を見返した。

写真はいずれも2014年4月。

エッフェル塔対岸の広場。パノラマ写真。先日の開会式、この場を使っているようでした。

向こう岸がよく見えます。

両側はシャイヨー宮。大型の展示場とのこと。1937年パリ万国博に合わせて造られた。

観光客の写真スポット。気恥ずかしくて芸をする10年若い私。


パリも郊外は高層ビル。

セーヌ川沿いに立ち遠くからもよく見えます。

橋をくぐる遊覧船。

トラファルガー広場から見るエッフェル塔。

セーヌ川まで行って見ます。

コンコルド橋から見るエッフェル塔とブルボン宮(国会議事堂)。

ついでに。

ツアーバスから見たミラボー橋。


ミラボー橋   ギョーム・アポリネール

詩集「アルコ ール」(1913)収録  堀口大學訳   
   

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
      われらの恋が流れる
     わたしは思い出す
   悩みのあとには楽しみが来ると

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
       かうしていると 
     われ等の腕の橋の下を
  疲れたまなざしの無窮の時が流れる

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   流れる水のように恋もまた死んでいく
      恋もまた死んでゆく
     生命ばかりが長く
   希望ばかりが大きい
                                    

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   日が去り、月がゆき
       過ぎた時も
     昔の恋も 二度とまた帰って来ない
   ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
 
      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

https://www.youtube.com/watch?v=E_NvpzZsAl0

またいつかパリに行くつもりで、長い年月が経ってしまった。

もう行くこともないかもしれない。何事にも時あり。人生でパリを経験したことを幸いとしよう。

この時はルフトハンザが長期のストライキ。帰りはヘルシンキ乗り継ぎで帰る予定が、エアーフランスの直行便になり、楽に帰れた記憶が。

シャルルドゴール空港で搭乗を待つ。建物は木を多用。

お洒落な空港だったと言ったら夫がひがんだので、「光の取り入れ方は広島駅と似ている。広島駅を少し大きくした感じ」と言い直す。比べ物にならないくらい大きいようだけど。

昨日は打ち出した今月分の通帳、一部謎の引き落としが。

これ何?と聞いたら、「分からん、あんたも分からんじゃろ」と言う。

分からないから聞いているんです怒

「分かるわけない」と開き直るので、どれが何の引き落としかメモする、止めるときはどこへ連絡するかも書き出しておく。と頼んだけど、はてさて。

コメント (2)
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