糸を緒巻に巻き取り、最後に筬に通します。
筬は筬框から外して水平に。
物差し2本、マステなど、あるものを駆使して、落ちないように。
昨日もたついたのは櫛筬の固定がいい加減だったから。
櫛筬が何度も落ちて、自分のとろさにめげる。
痛恨の通し間違い。
青の中にピンクが1本見えたのは、4321と通すところを4421としていたから。
間違いから右を全部やり直さず、タコ糸で綜絖を作って通し直す。
今回は間違いが4か所もあった。つくづく残念な私です。
織り始めはクラフトテープで織り目を安定させる。
大学で習った方法です。
で、ここまで来て、黄色が透けて見えるところ、一目が空羽あきはになっていた。
筬を一つ飛ばして通したのはどうしょうもないので、織ったのは全部ほどき、黄色から右を通し直し。
間違いはその時には気が付かないけど、織り始めたら一目瞭然。すべて糸が教えてくれる。
と、本日もあっという間に一日が終わりました。果たしてきれいに織れるでしょうか。
信仰心のない私ですが、どこかに織りの神様がいるなら、以後行いを慎みますので、何卒いいものができますようにと祈りたいところ。
先日私が言いたかったのは、姑の世話をしても亡くなった時に「有難う」と改まって言える夫は、私の狭い見聞からは稀、ということ。言えない夫に不満をためず、過ぎたことは忘れる方が自分のため。あなたも早く忘れなさい、と。
けど、すぐそばにその礼の言えなかった我が夫がいるので、言えなかった。残念!!
夫はもちろん、義弟妹からも何の挨拶もなかった。これはどうしたことかと、釈然としなかったけど、人の考え、行動を私はコントロールできないのだから、ほぼなす術がない。
こんな時どうしますか。私はあなたの親の世話をしたのでお礼言ってほしいと言いますか。そんな人もいるでしょうが、言えない人も多いと思います。
同世代の人と話していて、その納得できない部分を心の中に抱えていて、何かの時に聞かされることもある。そういう時は、大変だったねと、聞くことにしている。同情からではなく、それも少しはあるけど、その話しぶりにその人らしさが集約されていて、それぞれに個性的、汲めども尽きない人の面白さがあるからです。
若ければ、それをもとに何かまとまった文章でも書きたいところですが、もうそんなめんどうなことはしたくない。
このネット時代、どこかに思いの丈を吐き出す掲示板でもあるのかもしれないけど、読むのは毒気に当てられそうで近寄りたくない。
私にとっては済んだこと。完全なるボランティア。自分の数ある経験の一つ、どの経験も無駄になることはない。それをこれからの人生に生かすのが介護を経験した意味。
先日の人の姿を見て、その思いを強くした。嫌だった経験もいいように生かす。それしかないように思います。
ついでに思い出したけど、2002/3/23の夜、一時間くらい自分の舅姑の話を聞かされた時には、私も今より若かったので、「相手を変えるのは難しい。自分の考えを変える方がまだ簡単」とアドバイスしたけど、真意が伝わらなくて、同じ話を繰り返されたのには閉口した。
私もあなたの親である我が舅姑の愚痴を言えばよかったのでしょうか。そんなことを普通はしないですよね。それに私は一度も婚家の人の悪口を実家で言ったことがありません。自分のプライドもあるし、言えば百倍にして心配するのが親の常。言わないのが何よりの親孝行。
なんで日付を憶えているかと言えば、翌日は、京都日帰りで、三男の学部卒業式に行く予定でした。用意していたところへ話を聞くことになり、時間がなくて焦ったのでした。
三男は修士課程へ行くし、男の子なので「来なくていい」という対応でしたが、京都に他に用事もあるとか何のかんのと言って会場へ。
その頃はホームページをしていて、その中の日記コーナーのネタに、仮装の多い卒業式を見たかったのでした。時事ネタ、戦隊もの、女装する大男、大きな自作らしい椰子の木(意味不明???)を抱える学生さん、などなど。楽しませてもらいましたが、訓示をする学長さんはごく普通に、式も滞りなく終わり、さすがでありました。
式後待ち合わせた息子は「親が来るなんて」と、終止不機嫌、しかし強引に一緒に食事して別れる。この時は、卒業記念のあるパフォーマンスを時計台の前でして、友達に動画撮ってもらう予定だったけど、みんな寝坊して誰も来なかったと後で聞かされた。食事中もずっと携帯いじっていたのはそんなわけがあったのです。
休みも殆ど帰ったことのない親離れした息子と、それを追いかける子離れしていない母親。人のことは冷静に見られても、自分は変なことしている母親でした。そして今もおそらく。
この時には毎度毎度の話に姑がギブアップしたらしく、嫂の私に全部話して聞いてもらいなさいと言ったと、姑が後で話していました。
私はその任にあらず。私が信頼されていたのではなくて、姑も持て余していたのではないかと思います。
私が母の立場ならどうするかな。「嫌で別れるのなら相談に乗る。そこまで決心してないならよく考えなさい。誰と結婚しても似たようなもの」と言いつつ、やはりものすごく心配すると思う。
晩年まで、実母が「あんたが息子三人連れて帰ってきている夢をたまに見る」と言っていた。それは母の恐れか、隠された願望か分からないけど、親は心のずっと深い所まで親なのでしょう。
「帰るって夢の中で私の息子は何歳?」
「うーーーん、小学生くらいかのお」
で私は30台で、母は50歳くらいだそうです。夢の中で。息子たちはもうおっさん、立派な中年なのに。
過去の嫌なことに足を取られていたのでは、楽しい未来へたどり着けない。
仕事、子育てから解放され、まだまだ元気で動ける今が人生の最後のご褒美。うんと楽しみましょうと言いたいけど、まあ言わなくてもいいかな。