昨日からきょうで、3つ作りました。赤い金魚の花柄は、近所の人にいただいた昔の羽織。
裏。左の鶴と松は逆さになった。。。。
かわゆい~と自画自賛。
勢揃い。日々、増殖中。
元々、古い着物を何とかしようと始めたこと。でもこのくらいでは、古い着物は全然減らない。
古い布との格闘はendlessでございます。
昨日からきょうで、3つ作りました。赤い金魚の花柄は、近所の人にいただいた昔の羽織。
裏。左の鶴と松は逆さになった。。。。
かわゆい~と自画自賛。
勢揃い。日々、増殖中。
元々、古い着物を何とかしようと始めたこと。でもこのくらいでは、古い着物は全然減らない。
古い布との格闘はendlessでございます。
最近読んだわけではありません。読んだのは四半世紀くらい前。今朝の土曜版に映画「ゆきゆきて、神軍」の記事が。この本は既に絶版になってるとかで、本棚の中から探してきました。
私事ですが、会ったことのない叔父がなくなったのも(餓死した)のもニューギニア。今日の記事で、陸軍参謀本部にはイギリスからもらったニューギニアの地図が一枚しかなかったという。それで兵を送るなんて、何と言う無謀と、改めてそのいい加減さに腹が立った。
私事ですが、私は祖母と父の嘆きを繰り返し聞かされて大きくなったので、涙なしには読み切れなかった。今朝はたまたま早く起きて一人で新聞読んでたので鬼嫁の目の涙を見られずに済んでよかった。
同じ部隊が復員するとラジオで聞き、港まで訪ねて行って最後の様子を聞いた祖父に、「確かにこの目で死ぬのを見たので生きていると思わないように」と戦友の方が言ってくれたと、それは父から聞きました。
ずっと、叔父は自分より年上と思っていて、ある時、自分よりもずっと若かったのだと気が付き、きょうはまた自分の息子たちよりもまだ若かったのだと気が付きました。
たった一枚の地図で戦線を拡大する無謀、というか狂気。
シリアの内戦にまたアメリカが介入しようとしています。解決できるのでしょうか。イラクの時のように余計に混乱するのではないでしょうか。
ついでに戦争関係の本、少し引っ張り出してきた。アーロン収容所の元は中公新書か何かだったと思う。高校生のころ、なぜか家にあって面白かったので、友達♂に無理やり貸して読んでもらった。面白かったという感想だった。これはあまり悲惨ではない。
あれからかれこれ…年、会田雄次先生は当時立命館の教授、でもそのあと自分から大学辞めたんですよね。
今は気持ちが軟弱になっているので、奥崎謙三のような人の著書を読み返す心の余裕がない。
しかし、なぜきょう「ゆきゆきて、神軍」?もちろん映画も当時見ましたけど。今見たらまた違った感想かもしれない。
街路樹の植え込み。最近見なくなったケイトウ。懐かしい。
都市高速のランプが近い。エノコログサも穂をつけて、いつの間にか秋。エノコログサは別名猫じゃらし。
おはよう、何してるの?
猫の前に道なく、猫の後ろにも道は出来ない。ただ気まぐれに歩くだけ。変なおばさんには興味もないらしい。
最近、気になるCM。あの例の除菌、除菌とさわぐCM。
除菌って何よ。初めにどれだけ菌がいて、吹きかけてどれだけ減ったかってデータも示さず、大げさに騒いでいるだけに見えるけど。
人間の体の内外をはじめとして、あらゆる場所に雑菌はいる。その中で健康被害を起こすのは稀。やたらシュッシュッと吹きかけるけど、フロンガスは入ってないのかな。
以前はオゾン層を破壊して、宇宙からの放射線が危ないとよく言われていたけど、もうよくなったの?よくなったわけではないけど、福島でもっと大規模に放射能をまき散らしている状態なので、言わなくなったのかしらん?
他に殺菌とか滅菌という言葉があるけど、本当に菌が嫌なら滅菌すればいいじゃないの。でも、何のために。日常生活では少々の雑菌は必要不可欠。それとうまくバランスを取れるよう、人間の免疫機能は出来ている。と、私は思っているんですけど。
寝具などはよく日に当て、部屋は掃除して陽当たりと風通しを良くしていればいいんじゃないの。どうしても気になるようなら、アルコール70%(だったかな?)の水を霧吹きで吹きかけるとか。私、したことありませんけど。
CM、うるさくてやりすぎ。商品が胡散臭いので、考える間を与えないためにも大袈裟に騒ぎ立てるのかな。
あと、夏の終わりに二日くらい現れる着物無料着付け教室のCM。やたらと明るくやたらとpositive。怖いもの見たさに一度覗いてみようかな。いやいや、あちらもご商売、ひやかしはやめとこう。失礼というものである。
涼しくなるのでまた着物でも着ますか。
やっと涼しくなって、街歩き復活。川沿いの木陰を歩く。まだまだ木陰が嬉しい季節。
直木賞作家が交通事後で入院し、退屈な時間を読書で過ごして、興味を持った明治人を造形している。
明治天皇、森銑三、森茉莉と幸田文の四人を選び、資料の間を無理のない想像力でつなぎ、近代初めの頃のそれぞれの生き方が活写され、小説のように面白かった。
明治天皇が侍女と仲良くなって、皇后が機嫌悪くした・・・それを岩倉具視がとりなして、何とか収まり祝宴を上げた。というようなことが新聞に出ていたという。探し出したのはあの星新一、「夜明けあと」という新聞記事を集めた著書にあるそうです。
当時はもちろん天皇は皇后一筋でなくてもよくて、典侍、権典侍という身分の女官たちが侍っていたわけだけど(うわあ、源氏物語みたい)それ以外の女官たちと仲良くするのはタブー、それをあえてした23歳の若い天皇。度々維新の元勲たちから叱られ、また昔の暮らしに戻りますかと言われて、おとなしく言うことを聞いていた天皇。
晩年の疲れ切ったような軍服姿、そしてやっぱり歳とったら生まれ故郷が恋しいのは誰しも同じ。
ひがし山のぼる月みしふるさとのすずみ殿こそこいしかりけれ
という歌には本音が出ていると私は思う。京都へ一度帰ってみたかっただろうなあ。でも帰れないと自分でもわかっていたんだろうなあ。自分に関するいろいろなことが、自分と関係ないところで次々決められ祭り上げられる。
人は皆、役割を持ってこの世に生まれてくる。自分の希望、本心と当時の社会が求める自分のあり方との間にどういう折り合いをつけたのだろうか。
いやいや君主とは自我を持ってはいけない存在なのかもしれない。
森茉莉と幸田文、対象的な育ち方をした明治文豪の娘たち。どちらも破婚のあと、物書きになる。人は別の人の人生を歩くわけにはいかない。それぞれの人生をよく生き切ったと思う。
甘やかされ放題の森茉莉にはハラハラし、露伴の厳しい躾けにも胸が痛くなる。でも人間は結局は厳しくしつけられた方がよかったのではないだろうか。二人の書くものにもその人となりがよく顕れている。森茉莉は私の若い頃はまだ生きていて、エッセィを読んだ記憶もあるが、やはりろうけつ染めの布表紙の幸田文の「おとうと」を読んだ印象の方が強烈であった。
厳しい父、拗ねて不良になり、結核で死ぬ弟。その二人の間に立って、母親代わりに心を砕く姉=幸田文の健気さに高校生の私はいたく感動したものでした。
やはり子供は厳しく育てた方がいいのかもしれませんね。
読みやすく、しかしなかなか深い本でした。森銑三に目を向けたのもなかなかセンスがいいと思います。この人も昔はまだ生きていましたよね。時々名前を見たものですが、昭和は遠くなりにけり。
本日、追加で巾着製作。いい柄を出すのが難しいです。
裏の暈し柄。暈しの染めは技術がいるそうですが、昔の職人さんは偉い。波の向こうに陽が昇るお目出度い柄。
昨日のと並べて、金魚(ナマズ)三兄弟。
留袖の布はほどいて、一部、バザーに出した。もうあまり残っていない。残念。
他の布であとは6枚くらい作りたいかな。頑張ろう!!
きょうは黒い金魚を作りました。
古い留袖利用。たぶん戦前よりもっと前のもの。極く細かなシボの縮緬です。縮緬は柔らかくて縫いやすいので手芸に最適。
反対側
裏は紅絹裏にしたけど、羽裏の方が生地がしっかりして縫いやすい。
うーーーむ、金魚というよりはナマズですね。次はまた赤で作ろうっと。
屋上菜園、本日の収穫。キュウリ1、ウリ3。葉っぱとツルが面白い。
まだまだ暑さは続きます。皆様なにとぞお大事に。
夏の暑さも一段落、きょうは巾着を作りました。
材料は古い縮緬。お姑様の産着の紐を利用。かれこれ90年前の布。
型紙とって裁断。左列 腹とえら 真ん中 尾、背中、頭 右側 裏布。
出来上がり寸法は本体14cm×18cm。えらは長さ2.5cm×巾3.0cm。
絞りは数年前近所の方に貰った羽織。裏布はその羽裏。
チクチクと縫います。縮緬は、手縫いの方がふんわり手作り風に仕上がるようです。
出来ました。表布の脇縫いは、絞りと縮緬の境から上へ2cmくらい、紐通し用に開けておきます。裏布の脇は、片方だけ、裏返すときのために5cmほど開けておきます。
中表にして口を縫い合わせます。この写真だと右側が開きになっています。
縫っていない脇から表を引き出します。
くるりとひっくり返して、裏布の空きを縫い合わせ、形を整えます。
腹側はこんな感じ。
裏表を重ねて、絞りと地の麺の境、その2センチ上を縫い、二本の縫い目の間に紐を通して出来上がり~
目はボタンで。うーーむ、目って難しい。可愛くなるもならないも目次第。
材料費0円。製作時間3時間くらい。いろいろな布で試したら面白いと思う。これは某ショップの商品を参考にさせていただきました。
「縫い物してると女らしいでしょ」と同居人にアピール。「いや、そんなもん作ってると婆さん臭い。若い女はそんなもん作らん」と、きょうもかわいくないことを言う。はいはいさようでございますか。若くなくてすみません。ふん。。
やがて月の美しい秋がやってきます。
こちらよりお借りしました。
著者は10代で作家デビューし、30年くらい前には青春小説をたくさん書いていた人。少し前、真宗本願寺派のお坊さんになったとのこと。お坊さんになったきっかけ、内幕、葬式のあれこれ、自分の決意などが大変わかりやすく書かれていて、読みやすかった。
初めは正座も三分が限度、葬式の法話で何話していいか分からない、だいいち遺体が怖いと、途中からお坊さんになった苦労などなど。
また愛犬が急死し、葬儀業者の紹介でさるお寺に持ち込んだ時の住職の対応がとても冷たかった話では、今の世相をよく顕していると思った。動物の葬儀による収入は、古くから動物供養をしている寺院以外は課税されるそうな。しかし、その寺は新たにペット専用の納骨堂を建てるほど羽振りがいいのに、境内の隅に火葬用の窯を置いて業者に任せきりで筆者の家族とは目も合わせようともしなかったそうな。
ここから筆者の想像。動物の葬式で儲けるのが後ろめたいからではないか。儲ければ儲けるほど、恥ずかしくなるからではないかと。
しかし、僧侶としての筆者はそこで一言「寂しくなりますね。あとで本堂の方へもお参りください」と言ってもらうだけで、どれだけ気持ちが救われたか、それは人間の救済になっているのではないかと考える。
私も同感である。私は犬猫を飼わないけど、飼う人にとっては、ペットの死って辛いものだと思う。そんなもの自分で乗り越えればいいと突き放すのではなく、ひとそれぞれ、人の悲しみに寄り添うのも宗教の一つの形だと思う。
筆者は居酒屋で顔見知りの人が、「弟の自死のあと、葬儀、法要でいいお坊さんに巡り合え、とてもよかった」と打ち明けられ、葬式をきちんとできるお坊さんになろうと決心したらしい。
最近の葬儀はショーアップしているけれど、お坊さんとしては快く思ってないことなども分かった。
次にもし誰かの葬儀にかかわることになれば、業者さんの話に流されず、静かに名残を惜しみたいと思った。
先月、息子が送ってきた画像。愛知県某所。入り口は駐車場になるらしい。いゃあ、自然がいっぱい。
吉沢久子さんは、時々新聞に登場する家事評論家で、最近は老いに関する本も出している。ふくよかな方で、とても若く見える。拝見するだけで、私たちのおばあちゃんという安心感。
この本は昭和19年の11月、初めて東京に空襲警報が出された日から始まって、敗戦後8月21日までの東京の市民生活の記録である。
当時彼女は速記者で、評論家古谷綱武の秘書を務め、古谷の出征と家族の疎開で空き家になった家の管理をしながら、鉄道関係の教科書会社に勤める身でもあった。勤めのないものは徴用されるので、つてを頼っての就職である。
毎日毎日の暮らしの記録、これが大変面白かった。空襲警報ははじめのうちは避難していたけれど、あまりに度々なので慣れてしまっていちいち防空壕に避難しなくなったこと。これは逃げたって爆撃されるときにはされる。うんと不運の分かれ目なんて、自分でどうしょうもない。いうなれば、しょっちゅう雷が落ちるような感覚なのかもしれない。
食べものは配給、これがものすごく少なくなってくる。家には新聞社の寮を焼け出された弟綱正(この人は私の若い頃ニュース番組に出ていた)と同僚が転がり込んできて、三人の共同生活が始まる。乏しい食料で工夫して調理するのは吉沢さんの役割。食料は店で買うよりも、配給、知り合いが持ってくる、会社の誰かがどこかから手に入ったと持ってきたものを買うなどが多い。庭の野草や木の芽のようなのも活用し、誰かが来たら食べさせてあげる。また隣へ料理のお手伝いに行って御馳走を呼ばれるなど、市民が助け合ってサバイバル生活をしていたのがよく分かった。
会社も殆ど仕事がなく、電車も停まるので通勤も不便で、末期には空襲を受けたところを整理して会社として開墾を始めるが、野菜を作る前に戦争に負けてしまった。
当時は生産も流通もめちゃくちゃで、田舎に親戚のない都会の人は食べものの確保に、本当に大変だったことだろう。
望みはゆっくり寝ること、家が焼かれませんようにとそれだけ。20年の初夏のころになると、戦争に敗けるのではないかと何となく不穏な感じがするのは、綱武氏から話を聞いていたからだろう。
戦中派も本当に少なくなった今、声高にではなく、戦争を告発する良書だと思った。
きょうは午前中出かけたけど、午後から雨ということで家にいた。閑なので三つも記事書いたじゃないの。結局、夕方小雨が少々、余計蒸し暑い。ガックシ。。。
を目撃したのは1972年頃の冬。
場所は高松市内の繁華街。ベージュ色の普通っぽいコート着て、マネージャらしき男性と話しながら歩いていて、不思議と誰も気が付いてなかった。
当時私は嫁入り前、親の家から仕事に行っていた。
本人手ぶら。そのあたりがスターらしい。その時はテレビで見るのと違って髪をショートカットにしていて、それで騒がれなかったのだと思う。
しばらくして週刊誌に、高松市内の美容院で髪切ったって記事が載っていた。髪切った直後だったのかも。
芸能人を目撃すると、なんか得したって言う感じがありますよね。一般人は。 なんでだろ。多分、お金出してしか見られない人を間近に見たというお得感かな。こちらは無名、あちら有名、見物するというさもしい心。
何が人間にとって幸せなんだろうかと、きょうはふと考えました。
10年ぶりくらいにミシン出して、私的には洋裁の波が来ているので夏生地をいろいろ買いました。
半額のもあり、ついつい買ってしまった。
ちょっと地味かも。薄地だからギリギリよそ行きですかね。
更紗って若い頃ものすごく流行った。洗えば洗うほど体に馴染んで涼しい。シャツに仕立てたいけど、ボタンホールが邪魔くさい。やっぱりワンピース?
和柄がやはり好きですね。朝顔、桔梗、蜻蛉、金魚・・・と字面だけでもう涼しい。
こちらは古いちりめんと組み合わせてお細工物に。
とは言え、今年作った最初のワンピースは数年前に買った布。すべて近いうちに活用できるかどうかは不確定。
http://photo.yu-travel.net/ フリー素材写真集、旅Photo/鉄道よりお借りしました。
「負け犬の遠吠え」の酒井順子さんは鉄道に乗るのが好きだそうで、日本各地のJR、私鉄から砂防工事用のトロッコ列車にまで乗った体験記。一人の時もあるけれど、編集者とか知り合いの人と乗ることもある。
長らく男が占有していた鉄道趣味の世界に、最近は女子も参入しているらしい。しかし、この本を読んだ私の想像だけど、女はオシャレやグルメ、友達との付き合いと他にお金を使うことが多いので、男の鉄道趣味と違って求道的ストイックさはないのではないか。
男の場合、日本全国の駅名を憶えたり、時刻表をコレクションしたり、部屋いっぱいに模型電車を走らせるなど、並外れたマニアが多いらしいが、この本では「私も鉄道たしなみます」という程度。電車乗ったらよく寝るそうで、それって本当にマニアなんかなと、思ってしまった。逆に言うと、女はそこまでのめり込まないバランス感覚を持っている。女の方が賢いのかもしれない。
男の世界に女が足を踏み入れると、初めはお客様としてチヤホヤしてくれる。それは心地よいことだろうけど、そこに留まっていては本当の楽しさが得られないというのは何の趣味においてもそうではないかな。
もう少し踏み込んだ見聞、踏み込んだ感想を期待したけど、ちょっと期待はずれかな。
とは言え、この本で教えられたこともあった。男の子は鉄道派と自動車派に初めから別れているそうで。わが息子を見ても確かにそう。自動車好きが高じて、とうとう自動車会社で働いている。鉄道好きは鉄道会社では働いていませんが、鉄道の話をするときは幼稚園児と同じ嬉しそうな顔。
真ん中は戦隊もの、恐竜など強くて勇ましいものが大好き。とっいって戦隊にも恐竜にもなってませんが。
すみません、自分の話ばかりで。
私ならどう書くかな。女と鉄道の歴史とか。
祖母の話、横須賀や佐世保の海軍に面会に行ったことがある。遠かった。田舎の女がとても遠いところへ行くことになったのも、戦争があったから。当時はものすごい人の移動があったはず。楽しい旅行だけではなく、やむにやまれぬ移動の方が多かったのでは。
姑の話、鹿児島から東京まで二週間くらいの鉄道を利用しての修学旅行。当時は女学校へ行くのは少数派、卒業して家庭の入る前の一世一代の大旅行だった人もいたことだろう。
いやいや、こんな古臭い話、今の人に受けるとも思えない。若い女の子がローカル線に乗って旅行することがあるのだろうか。それよりは海外が楽しそう。ローカル線に乗って降り立った駅前には何もなくて、という世界。
その中で女として鉄道を究めるってどうしたらいいんだろう。謎。
夕方出かけて、慌てて帰宅したら家はもぬけの殻。テーブルの上には菓子箱一つ????誰かに頂いたのかな????
ん、今夜は会合で不在、ご飯も要らないということを忘れていた。慌てて帰って損したようーーーー
必殺一人ご飯。赤米少し入れて赤飯風に。イトヨリで鯛素麺風に。あとはテキトーに。
えー本題に。Hanakoという雑誌の連載エッセィを一冊にまとめたもの。面白かった。食は人なり。何をどう食べるかということはその人らしさがいちばんでるのではないだろうか。だって、誰でもご飯は食べているので。
あまりに当たり前すぎる食事を改めて文章にし、しかも、おいしさもまずさも表現するのは案外難しい。また、誰とどのようなsituationで食べるかも、食事の味と楽しさを左右する。
作家はスタンダードな各国の料理を自分なりにアレンジして、いいこと悪いことをいろいろと考える。こういう作品は語り口も大事。エッセィのほかの諸作品同様、男前の書きぶりが痛快。
暑くて、最近めんどくさい本読みたくない。本屋行っても新刊書ばかりだし、あまり出かけないので、だんだん私自身が袋小路に入って行く感じ。涼しくなればね。ああ、早く涼しくならないかなあ。。。。
きょうはこれを作りました。
六月にフリマで買った浴衣。一、金参百円也。
着た形跡なしの手縫い。しっかりした生地です。
作り方、浴衣をほどき、身頃と衽おくみを利用します。
背縫いは解かずにそのまま利用。
前身頃は縫い合わせる。
衽は一枚を二等分し、それぞれ裾の両脇に縫い着ける。
広くなった部分に、ワンピースの裾が来るように型紙を置いて裁断。
残り布で、衿と袖の始末用のバイヤス布とポケットを取る。
四時間くらいで完成しました。
私はめったに洋裁しないし、ジグザグも使わず袋縫いで始末するので、慣れた方ならもっと早くできるでしょう。
軽くて涼しくて着てて楽です。ゴミ捨てくらいまでならこれで大丈夫かな?
http://photo.yu-travel.net/ この写真は「フリー写真素材集 食べもの」よりお借りしました。ありがとうございます。
以前この人の「女装するおんなたち」という新書を読んだ記憶がある。切り口が新鮮で、なるほど都会で働く女性ってこんなことになってるのかと思った。
雑誌二誌に連載したものを、2004年に単行本として出したもの。内容はズバリ、女一人でいろいろな寿司屋へ行って食べてみた体験記。
ひとり寿司のきっかけは、仕事のあと、気晴らしに寿司屋へ行き、とてもひどい扱いを受け、その仕返しのつもりとのこと。一人で出かけた店で、味、雰囲気、客層など、しっかり観察しているのが面白い。
寿司屋には、常連客と店主が醸し出す一種の雰囲気があって、いきなり飛び込んでも上から下まで値踏みされるだけで、とても入り辛い。それをあえてした勇気。えらい。
初めはこわごわ、でも一流店ほど、客の緊張を解き、味と雰囲気でいい感じにして帰してくれるらしい。客層は接待に使うビジネスマン、水商売の女性とそのパトロンが主流で、東京の高級住宅地の店などは家族で来て、子供も各自注文して寿司をつまむんだそうな。
女が一人で寿司を食べるときのルールは三つ
予約を入れて女一人だと告げる
自分についた職人にいい感じを持ってもらう。
敵は二通り、おばはん主婦(夫か友人と来ているのかな。一人ではなさそう)と若い女連れの、三十代~四十代の男だそうで。専業主婦と自分で稼ぐことのできる女との宿命的な対立、あとの方は若い女の関心がひとり寿司している女に向いてしまうんだとか。なるほど、場数を踏んだだけに鋭い観察。
寿司屋とは、庶民には分からない高級なものを出し、それを享受する高級な客が醸し出す、一種スノッブな雰囲気。女子供は初めから締め出されている。男におごられ、男の威張るのを受け入れる場合のみ、女も行っていいところだった。
その常識に風穴をあけた功績は大きい。どのくらい大きいかというと、この本に触発されて上野千鶴子が「おひとりさまの老後」を書いたそうな。面識ないけど本を送ったら、行きつけの隠れ家レストランに招待され、のちにその店がミシュラン三ツ星になったとか。さすがと褒めていた。いい店を見分ける嗅覚は超一流。
で、この二人がレストランで「おひとりさま」について語り合う。いいなあ、こういうの。
私はこの中ではおばはん主婦というカテゴリーだけど、隣で女の人が一人でお寿司食べてても敵意は持たないと思う。かっこいいなあと感心すると思う。この人と私と、どこでどう違って今の境遇なんだろうかと、ちょっと考える。
でもそれぞれいいときもあるし悪い時もあるし、羨んでもしようがない。自分の人生を生き切るしかないんだと、気持ちを新たにするかも。だからたまには違う立場の人と出会うのも大切。
私など、高級寿司屋にはとてもひとりで行けない。夫と行っても家の延長でときめかないし、それならジャスコの盛り合わせを30%オフになってから買って家で食べればいいし、話するだけでいい、という山羊さんみたいな大金持ちのお爺ちゃんに誘われたら行くかもしれないけど、そんな場面あるわけないしね。
で、最後に思ったのはつくづく飽食の時代だなと。食べ物のちょっとした差異で人は一喜一憂し、高級寿司店で差別し、差別し返すそのシビアな世界。逆に、身構えて入った寿司屋で親切にされてホッとするなんて、考えてみたら寂しい時代でもあると思った。