保多織りは香川県高松市の特産の織物です。
特徴はその特殊な織り方にあります。
基本は平織りですが、緯糸を経糸が抑えるのは4本に1本だけ、経糸の残り3本分は緯糸を連続して浮かせて織ります。
http://www.botaori.com/tokucyo.html
中ほどに織り目の写真があります。
メーカーでは専用の織り機で生産していると思いますが、手持ちのろくろ式4枚綜絖で織るための組織図をエクセルで描いてみました。
参考にしたのは「手織りの実技工房」、染織と生活社刊です。
私の織り機は真ん4本の踏木がそれぞれ2枚の綜絖と4通りの組み合わせ方でタイアップ、左右が平織りのタイアップですが、2、3、4は踏まず、1も向こうの端だけの綜絖1枚と結ぶだけにします。
それで平織りの変形の織り方=保多織りができるようです。
この織りの特徴は糸が一部浮いて肌に密着しないので夏涼しく、冬は逆に浮いた糸の間に空気の層ができて暖かいそうです。
始まりは江戸時代だそうですが、最初に考えた人は偉いですね。
たいていの手仕事は昔の人の方が優れています。
私も少しでも近づけるよう頑張ってみたいと思います。
姑様が寝ていた部屋の奥で、箱に入った藍染作品を発見しました。
お舅様の死後、70代の作品でしょうか。習っているときいたことはあるけど、こんなに作っているって知らなかった。
たくさんあったので借りてきて写真撮りました。
まずは大物。ベッドカバーまたはソファーカバー。
各枡で染め方が違っていて、パッチワークになっています。木綿。
裏打ちしてありました。
テーブルかけ。麻。
柄アップ。
同じサイズで。麻。
夕闇に浮かぶ人のシルエットのよう・・・または異国のモスク。
布の中に遠い日の物語があります。
テレビ台のホコリ除けに。木綿。
小品。染め分けるのが難しそう。木綿。
同じく小品。習い始めのころでしょうか?
花? 葉? 木綿。
テーブルかけ。これはレーヨンみたい。
縫い縮めて染める?
染めれば染めるほど色が深くなる?
テーブルセンター。木綿。裏を付けて仕立ててあります。
風呂敷サイズ。
このあたりがいい感じ。
風呂敷サイズ。レーヨン。
レーヨン、ラメ入り風呂敷。使いやすそう。
レーヨン。色のグラディエーシヨンが面白い。
逆さ富士ではなく、突き合わせ富士みたい。
大胆な一枚。レーヨン。
テーブルかけ。木綿。
グールぐるぐる。クッションカバー?木綿。
エコバッグでもよさそうですね。木綿。
スカート作るつもりだった?木綿。
ポーチ。青海波。
洋服地。これも染めたらしい。見返しを取った跡がある。木綿。
モチーフ一をベッドカバーに使っている。
大作。藍暖簾。ウーーーむ、和の極み。
涼しげに見える。
雪山のよう。
端切れ各種。
これは既製品らしい。麻。
何かにするつもりで買ったのでしょう。
天然染料?
いい色合いです。麻ではなくて紬。帯にできるような厚地。
いゃあ、こんなにたくさん作っていたなんて。
染色関係の本も何冊か。それは夫がヤフオクに出しています。
72歳で舅様を見送り25年。この5年は介護を受ける身ですが、それ以前は一人暮らしで自立した姑様でした。
私も見習っていい老後を送りたいものです。
今日は午前中、友人とその娘さんが来訪。
娘さん宅は最近マンションのリフォームしたとかで、インテリアの参考にお宅を見せてほしいとのことでした。
見せるほどの立派な家ではありませんが、娘さんとも何度か遊んだこともあり、来てもらいました。
手土産貰いました。
1時間くらい話して解散。
気の合う人と、おいしいもの食べながら、好きなもの置いた部屋で話をする。いい日でした。
夜に写真追加
木綿のスカーフ。
マンションとビルに囲まれまくった狭い庭です。
欲張っていろんなもの植えているので植物もそれなりに。
朝起きたら藪甘草が一輪。
きのうはまだ蕾だった。
定家蔓。近くの公共施設の植え込みから。
切って挿していたら根付いたらしく、新芽が伸びている。
藤原定家の死後、建礼門院右京大夫を慕うあまり、その墓石に絡みついたという謂れがあるそうですが、じゃそれまでは何と言っていた?と思う私。
半夏生。
山口県防府市の阿弥陀寺には大群落がありました。
https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/216ec45a70893ae3047b77fffac2ef23
東大寺別院の由緒ある古刹。アジサイが有名です。国宝所蔵。
鎌倉初期、南都の所寺院を再建する指揮を執った大勧進重源ゆかりの寺。
天平年間には畿内で調達できた大木も、時代が下がり、やっと周防の山中で見つけたのでした。筏に組んで川を流しあとは瀬戸内海を大和川まで運ぶ。
二度目に行くと境内に、当時の大木の復元模型あり。見ごたえありました。
今度消失したら、もう日本国内では調達できないでしょう。
文化財を大切に。
って、半夏生でどこまで話を持たすんだあ~
姑様の鉢植えもらってきたら、鉢から根を伸ばして庭にいついた。鉢は水切れでとうに枯らしたけど。
擬宝珠
こちらも姑様の鉢。春先に葉を間引いて食べたら、花着きがいい。
ミニ水田の網は猫除け。稲の苗、一晩のうちに齧られたーーーー。
藪柑子 小さな花は冬には赤い実に。
万両、千両、百両、十両とあってこれは一両とも言うそうです。
雪の下
この家を建てる前から姑様が作っていた。
あまりにはびこるので鉢植えににしていたけど、また地面におろしたら元気よくなった。
私より前からここにいる先輩。
葉欄
これも姑様が植えていた。
株分けしてあちこち植えているけど、木漏れ日の射すこの場所がいいみたい。
株が増えている。
スペインでは中庭(パティオ)に鉢植でよく見られた。日本では昔はお弁当の仕切りに必須で、裏口付近に植えていましたよね。と、ばあちゃんの昔話。
美しくない庭をお見せしてごめんなさい。
丸いイガイガは公園で拾ってきたアメリカフウの実。猫除け。これと猫除けの粒剤まいたら最近は糞害はなくなった。やれやれ。
野良猫に餌を与える心優しき人に糞の始末もしていただきたいものです。糞害、憤慨。
午後から織り機周りの整理整頓。
余った糸は全部外して
整理。次織る日までしばしのさようなら。
2015年7月。教室がなくなり、家で織り始める。
手始めの裂き織り。布は姑様からもらった誰かの産着の長じゅばん。もしかしたら姑様のかも。90年以上前?ピリピリと気持ちよく裂ける。
私が機織りを始めたきっかけは、東広島市福富町のイベントで、高機で裂き織りしている人に出会ってから。
教えてくださいとお願いしたら、織り機が一台しかないのでできないと断られ、テーブルセンターを一枚買わせてもらって引き下がった。
次いでネットで機織り教室を探して、少し遠いけど、高機を10台以上並べた工房にたどり着いた。。
通ったのは2009年11月から2015年5月までの5年半。長かったけど振り返ればあっという間の年月だった。
機織りの織り機は高価。途中で外すわけにはいかないので一人一台、他にも道具がいろいろ必要で、広い場所も必須。私の知る限りでは、究極の贅沢なお稽古と思っている。
工房は先生の持つ貸家。2DK2戸の境の壁を取り、広い空間に織り機を並べていた。千巻をする部屋、お昼を食べる部屋もあり、お稽古をする環境としてはとてもよかったと思う。お稽古代も格安で、今でも当時の友達同士、いい教室だったと懐かしく話すことが多い。
朝10時から午後3時まで週に一度たっぷり教えてもらった。月曜日と金曜日が教室で、両方行ってもよく、そこで機織りを習い、心配事をあれこれ相談し、教室を離れて遊びに行き、楽しい年月だった。
閉鎖になったのは、先生が障がいのある人たちのグループホームになさったから。とても残念だったけど、その時教えてもらったことと知り合った人たちはこれからの人生、私の得難い宝物になった。
やめるときに一人一台の機織り機、筬通し、綜絖通し、綾棒、筬60/10㎝と70/10㎝などもつけて全員に下さった。感謝してもしきれない。
先日友達と話していて、雛人形の時期に人が来ることが多いのでついでに機織りしてもらうと漠然と考えていたけれど、これを定期的にサロンみたいにできないかなと妄想膨らまている。
コロナ自粛は振り返ると退屈だった。これからは年取っていくので自分から求めないと人付き合いは減っていくばかり。体の元気なうちに、ちょっとやってみたくなった。
いきなり知らない人がどやどやと家に来るのは困るので、まずどこかで個展のようなものして、希望者募り、身元もはっきりしている人数名から。お稽古代もちょっと高くしたらいいのかな・・・
織り機一台のわが教室は、ふた月に一度、事前に予約取って、15センチ幅くらいのコースーター織ってもらう。
初めは毛糸などで平織り、次いで簡単な模様など。
観光地の機織り体験みたいに、一枚織ったら糸を切って手前で結びなおしてまた別の人が織る。という感じで。
今年は出す予定にしていた展示会が流れたので、来年年明けまで5枚くらい違う柄のものを織り、教室は見てもらってからですね。
できるかどうかわからないけど、二月に一度、我が家の居間と機織りしている4畳半開放するくらいならできるかも。
と、考えるだけでちょっと元気になった。進捗状況、またこちらで報告させてください。
18時20分頃、完成。
最後は糸が開きにくいので、平たい板杼で。
あとは縁をざっとかがって経糸を切り、織り機から外す。
織り始めて一週間くらいでしょうか。
手織りの組織図事典、P125の4を参考にしました。自分でアレンジして少し柄を変えています。
黄色い部分が平織り、柄の部分は4本の踏木で。
オーバーショットと違ってタービー(平織り)が一本ごとに入らないので織るのは楽ですが、一部糸が浮くのが特徴かなと思います。
さすが体系だった和書。わかりやすく参考になりました。
合体ロボ
孫が持参。
それぞれパーツごとに名前があり、全体でまた名前があるらしい。
組み立て方も教えてもらったけど、ばあちゃんはとても憶えられない。
それにしても今のおもちゃ、よくできている。
おじいちゃんに登ったり、飛びついたり、遊具と化す72歳。
足腰立たなくなるまで、頑張れおじいちゃん。
夕食一緒に食べて午後8時ころ解散。
お姉ちゃんは算数が苦手。おやまあ。
小1の弟が横で見ながら900÷3なら普通300じゃろと言われ、面目立たずに大泣きしたと、昨夜、お嫁ちゃんがこっそり教えてくれた。
この弟は副詞を自在に操るのがごく小さい時からの傾向。
普通が付かなければそこまで悔しがらなかったのでは。
元気すぎる孫に活性化されまくる私。
83センチまで織りました。せめて1メートルは織りたい。
途中で色を変えたので短くなりました。
グレーの糸がよく合います。
昔、友達に貰った糸。レース編みの糸?
時々アクセス数が増える。
理由はわからない。これは昨夜。
広島検察庁の、河井杏里担当の若い検察官が、昨年末自殺していたとか。遺書がなく理由はわからない。起訴に向けて準備する立場だったとのこと。何かよほどのことを知ってしまい、職業上の良心と上からの圧力の板挟みになったのかな・・・と、あくまでも類推ですが。
大きな事件ではで、こういうことがしばしば起きる。早く全容の解明をしてもらいたいもの。でも本当に自殺?
麻生圭子さんが京都に住んでいたのは20年以上前から。その後ロンドンに移り、今は滋賀県の琵琶湖畔に定住しているとのこと。
何があったのかな。
京都に疲れたのかも。
京都人もよその土地の人が来て、京都風に暮らすのを見て、好意的な人ばかりではなかろう。
例えばあなたの隣に遠い土地から誰かが移り住み、ちょっと前のあなたの地方の暮らし方を真似ている。自分にとっては昔は当たり前すぎた暮らし、でも今は便利な生活している。
合わせ鏡で見せられる自画像。相手が、いいとこどりで本当のことは知らないと思うか、真面目な暮らしに戻るべきと責められていると思うかは人それぞれ。
麻生さんが京都に疲れたのと同じように、京都人は結局麻生さんを受け入れなかったのかなと思った。真似しているのを笑っているとか。
京都に暮らしたことないのでわかりませんけど。
確かなのは蜜月期間を過ぎ、いいとこ、悪いとこが分かってくると、やっぱり馴染めなかったのかなと思う。
著者は九州生まれだそうで、小さいころ、東京に移ったのでしょうか。
一時の京都ブームも落ち着き、人の関心はもっとレアな場所へ向かっているのかもしれませんね。
先日のこの雑誌・・・
大きな波のようなのは何かなあ~???
と、引っかかっていました。
タケノコみたいだけどオシドリがいる水辺にあるのがおかしいし。
で、昨年自分で縫った雛飾り用の布団に同じものがありました。
手前の方に一つ見えますね。
これは網干あぼし紋と言って、昔からある着物の柄のようです。
竹を円錐状に組み、網をひっかけて干している様子だとか。うーーーむ、納得。
夏の着物に使うことが多いそうですが、留袖にしているのもあります。
https://kimono-pro.com/blog/?p=1590
知らなかった。
涼しく見える和服のお約束なんですね。
網干見るだけで、砂浜に網干して、漁村で砂浜が広がって自然がいっぱいっでって、昔の人は瞬時でリゾート気分になったのかもしれません。
私はこの年までそんなこと全然知らず、やっと一つものを知りました。
そいえば兵庫県内の赤穂線に網干という駅名がありますよね。山陽本線が分岐して赤穂へ。向こうは明石?から来るのかしら。そこで両側へ折り返すはず。
のんびりとローカル線の旅もしてみたい夏の初めです。
作者は1980年代、歌謡曲の作詞者として一世を風靡し、1999年末から京都市内の古民家を改装して、その家に合った暮らし方を始めた。
当時はその様子がメディアにもたびたび登場したと記憶している。昔からの暮らし方を大切にする著者はしかし東京生まれ。流行の最先端にいて、却って京都の暮らしにほっとしたのだと思う。
京都の人はよそ者に意地悪とよく言われるけど、懐に入ってしまえば皆さん親切で京都の暮らしを楽しんでいる。
言ってしまえば、家をも含めた大掛かりなコスプレとも見えるけれど、その生活は京都人よりも京都らしいのではないだろか。
こういう京都好きな人がいるのが、京都の持つブランド力。そこでの季節事の暮らし方を丁寧につづったエッセィ集。これを読んであこがれる人もいると思うけど、軟弱な私は京都の厳しい暑さ、寒さをエアコンなしで乗り切るのがもう体に応える年になっていると思う。
こんな暮らしも50代までかな。
極楽のあまり風とは、夏、ふと吹いてくるかすかな風のこと。それがしみじみありがたいという表現。京都の家は通風をよく考えてあるそうで。間口狭く奥行き長いのは都会ならよくある造り、その古い台所で着物姿で料理する著者はしみじみと楽しそうである。おばに貰われた養女で、難聴気味と正直に書いている。
京都で今も心安らかに暮らしておられることだろう。この温暖化、一層大変とは思いますが。
一つわからないのは「町家」という言葉。いつから言い出したのだろ。京都人はまさか自ら言わないだろうから、京都の暮らしがほかの土地の人の目で見られるようになった時期でしょうか。
讃岐うどん、広島焼きも認知される過程は同じかもしれませんね。地元民は讃岐うどんとか広島焼きなんてもちろん言いません。
おうどん、お好みで通じます。
我が家の極楽のあまり風。はじめそよそよと
最後は強風。昨日夕方。
隣のビルとの境のブロック塀を低くしたら、駐輪場の窓の向こうからはるばると風が吹き込んでくる。あまり風ではなく、強風。
風の吹き方に気を取られるのも、歳を重ねたからのようです。
違う色も入れてみました。
白が案外目立ちます。
柄を変更して41㎝、残りは60cmくらいの予定。
太い糸がないので、3本、2本と一緒に巻いて太くする。これに結構手間がかかる。
できたら何にするかなあ~
またタペストリーですね。タペストリーばっかり。
袋物縫って持ち歩けばいいんだけど、仕立てるのが面倒で袋未満のもの多数。
次は保多織り。これは布巾にするので縁かがりだけ・・・と自分を追い込んでみる。
屋上菜園の収穫。
食べきれません。
夫はぬか漬けにすると言ってますが、はてさて????
今朝の地方紙。
同じ県民として恥ずかしい。
まるで田舎の選挙。というかこんなことしているのが田舎。
理念で人は動かず、情実、さらに言うなら金銭で動く節操のなさ。自分の判断力は棚上げ。もともと判断する能力に欠けるのでは。と、人のことならあくまでも厳しい私。
アベ秘書がアポイントなく会社を訪ねて行って、アベ秘書だと言えば社長も会うそうです。新人候補を頼むと言えば、党全体で、現職から新人に応援を鞍替えしたと勘違いした企業もあったとか。
私は恥ずかしながら会社勤めの経験がないので、企業が候補を推すということは社員が会社が支持する候補者に投票するということ?
アベからのお金と言って渡された地方議員もいたようです。今応援して、自分の時にはまた助けてもらいたいと期待して受け取ったことでしょう。一番力のある人につながっていれば安心と思ったことでしょう。受け取った方はやむにやまれずと、被害者みたいな言い方していますが、同罪では。
市長や議会議長に頼むと、どういうからくりで票が動くのか、一度も声かけられたことがないので私には全然わからない。
1億5千万ものお金、どこにどう消えたのでしょうね。解明してもらいたいもの。
機織りと全然関係ない話になりましたが、党本部の関与もしっかり調べて。そうしないとこの国にまたがっかりする私。
今ふと芽生えた恐れ。
お金の流れを本当に知っている人が、・・・・あとは考えたくない。
こうなれば早く逮捕された方が安全かも。大きな事件になりそうな予感。ロッキードの時も、少し前の森友でも、現場をよく知っている人が耐えきれなくなるのではないでしょうか。
一刻も早い全容解明が待たれます。
孫二人、なかなか写真に収まってくれません。
これは昨年9月の数少ない写真。
飼っていたカブトムシのオスを近くの森のクヌギの木の下に放しました。
「カブくん、さよーなら」
今から結婚相手見つけて子孫が残せるか、息子は心配しています。
大きいサイズの写真も同時にアップしたので、こうしていると探しやすいかと。
すみません、うちわネタで。
元宇品の、旧陸軍砲台跡の広場に大きなクヌギの木があります。
もう一本は元宇品小学校へ、上の道から行くときのグラウンド下、右側斜面に。
他にもあるはずですが、近寄りやすいのはこの二か所。
今年の夏、カブくんの子供に出会えたらいいね。
午前中、友達が二人来ました。
さわやかな好天、窓を全部開け放して風を通します。
花とグリーンはあるもので。特には買わない。
テーマは、見た目涼しく、六月のインテリア。
自分で絵付けしたミルクピッチャーは中が埃だらけ。
牛乳入れるのは中止してお出迎え要員。
ようこそと、コガモたちも。
アジサイ2種。
テーブルの上。
あったものと自分で織ったもので。
アジサイの花一輪の記憶かな。偶成。
ハンゲシッョウとズッキーニの葉。
花瓶は昔、R54沿い、吉田町付近の山野草の店で買った。
ベゴニアはこの後挿し木にするかも。
見た目涼しげ。
この花、好きだったみたい。
水揚げのいい花のようです。
ヘデラは伸びる、伸びる。
今日からスダレしました。
外は強い日差し、家の中は涼しい。
葉焼けしそうなのは室内に。
機織りの話や
器の絵付けの話をして正午過ぎ解散。
明日からはまた雨、お天気いい間にいい集まりになりました。
次はインテリアに興味のあるお嬢ちゃん同道で来てくれるそうです。
物が多いのに多く見えない・・・と言うのが感想。
褒められているのかなあ。だとしたら嬉しい~
今日の話で、三月に我が家に雛人形見に来る人が増えて、
https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/m/202002/1
手土産貰うのも悪いので、一人百円、お茶飲み放題。
機織りでコースター作りたい人はプラス百円で体験してもらう・・・と考えてると言ったら、友達がお茶出し手伝ってくれるとか。
初めてなのでどうなるかわかりませんが、やってみようかな~
ゆくゆくは月に一度くらい、手芸とおしゃべりの工房みたいなことやりたいなあ。無理のない程度に。
とりあえず織っていれば時間は過ぎていく。
無為に過ごすのも、糸を布に変えるのも長い目で見ればおんなじとしても、迷いがあり、葛藤があり、反省もあり。機織りとは人生と同じかも。
つまらないこと言わずに、とりあえず今日も織る。
織り糸、変更しました。ほどくの面倒なので、そのまま続けて。
間の平織りは経糸と同じにしたら、柄がはっきり見える気がします。
黄色が元々派手な色なので、合う色が難しい。
オーバーショットと違って、間に一本ずつ平織り入れなくていいので楽と言えば楽。
同じ踏み方を二段続ける場合は、端で緯糸を経糸に絡ませます。
一応展示用に織りますが、さてどうなりますか。
私の勘違いでした。落選した前職を応援したとばかり思っていたら、対立候補の応援!!
一緒に選挙カーに乗って応援している。情勢見てどうにでも動く人なんですね。
自分の派の重鎮なのに。落選した方の候補はやるせなかったことでしょう。
真ん中の人、前職がなんか一言言ったのをずっと根に持って、掟破りの強引なテコ入れ。これ、どうなんでしょうね。私怨を政治に持ち込んでいいのかな。
大金は、他の党の票をもらうためにも動いたのではという意見があります。政治の裏は私のような素人にはわかりませんが、お金の流れ、解明してほしいものです。
知り合いで、杏里議員の顔が嫌いという人がいました。県会議員の頃です。もともとは美人で顔立ちもいいのでしょうが、いろいろなことが顔に出ますよね。最近はどんどん人相悪くなってきてた感じ。
女性議員、権力に近いほど顔が下品になるのはなぜ。
元々きれいな人も政治家やり続けていると、なんか顔にケンが出るというか。
真ん中に立つ方、何か歴史に残ることしたいと思っているんでしょうね。
プーチン大統領に山口県の(田舎の)温泉宿に来てもらって平和条約の糸口作りたかったのはこけるし、そのあともこれと言った実績残してないので、焦っているのでしょうか。
あの旅館、本当に田舎の一軒宿で、横通ったことあります。中はもちろん豪華なんでしょうが、ロシアの大統領をわざわざ泊まらせるにはちょっと、ではないでしょうか。
一にも二にも自分の選挙区だから。そこで合意ができたら「長門条約」と呼びたかったそうですが、ダメでしたねぇ。
日本史上では下関条約というのがありますが、それと並びたかったのかな。
今までの仲間内重視のあれこれ、膿を出しきるのが引退の花道。私はそう思います。最後だけでもきれいに。
コメントは認証制です。あなた様の貴重なご意見を反映しないこともありますので、何卒よろしく。