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方言あれこれ、チミキル、ヒニシル

2021-07-31 | #やれやれ

7/23 大分県、千町無田の水田公園で


前のエントリーで方言のこと書きましたが、私の実家の方言を少し思い出しました。

方言とは別に私の祖父はお菓子=おかしと言えずに「おっくわし」と発音。これは古い「か」の発音の名残ではないかと思います。あと、小皿を「おてっしょ」。これは手塩皿のなまったもの。一部、促音化するのが祖父の、そしてたぶん地元の方言の特徴かと思います。

それで表題のチミキル、ヒニシルですが、標準語ではまとめて「つねる」になるのでしょうか。

指先で、親指と人差し指で皮膚をつまんでひねる。主にお仕置き、いたずら、などでする動作ですが、チミキルはさらにバージョンアップして爪の先で手の甲の皮膚をつまんでひねる

どちらも痛いけど、力を入れずに相手にダメージを与えるのはチミキルの方。攻撃が目立たない利点もある。ちょっと陰険。

こちらへ来て、チミキルに当たる言葉がないことに気が付きました。言葉がないので多分、そんな攻撃もないのかもしれません。

実態が言葉を作り、言葉のないところには実態がないという例かもしれません。それとも当地にもチミキに当たる言葉があり、密かに行われているとか。

方言はまだまだ奥が深い。夏の暑くて長い自粛期間、面白い方言、また思い出したら書いてみます。

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「ハブテトル ハブテトラン」 中島京子

2021-07-31 | 読書

呪文のような題名は、備後地方(広島県東部)の方言で、ふてくされている、ふてくされていないという意味。題名が秀逸で、きっと面白いはずと、中身をよく確かめもせずに買ったけれど、期待にたがわずたいそう面白かった。

内容は、学級崩壊で登校拒否になった五年生ダイスケが、東京を離れて、母親の実家に二学期の間だけ預けられ、地元の学校で人と出会い、行事やお祭りに参加して成長していく物語。

児童文学の体裁で読みやすいけれど、そこはそれ、直木賞作家の作品、どの人物も個性的で存在感があるし、伝統産業、下駄の生産地としての福山市松永町の土地の描写もリアルで、大人が読んでも充分に面白い作品になっている。

この小説のハイライトは、ダイスケが気まずくなったまま愛媛県の今治へ転校したサノタマミに会いに行くところ。

尾道今治間は路線バスがあるけれど、それに乗ったのでは小説にならない。

初めはおじいちゃんの知り合い、訳アリのハセガワさんの車で、エンストしてからはレンタルサイクルで、最後はレンタルサイクルを世話してくれた人の車で今治城で待っているサノタマミに会い、別の車で迎えに来てくれたハセガワさんに連れられて無事帰るところ。

尾道今治間は60キロくらいあるかな。

今年5月、因島の白滝山から見たしまなみ海道。あちら尾道方面、橋は因島大橋。四国はこの写真の背後、まだまだ遠いです。

橋には自転車道が併設されていて、以前は外国人のサイクリストも多かったけど、子供が走るのは、というか大人でも、橋の高さまで坂道を自転車こいで上がるので大変です。

その大変さもよく書けていて、少年の成長物語にもなっている。

三学期はまた東京の学校へ戻るダイスケ。松永で出会った人と出来事がダイスケを大きく成長させ、学級崩壊の学校へ戻ってどう切り抜けていくか、それは読者の創造に委ねられる。

案外うまくいく気もするし、ダメならいつでも戻っておいでと、松永の学校の先生が言ってくれてるので安心。読者も安心。


この本を「ミユキテーブル」の上に放置していたら、夫が「ハブテルは標準語と違うんか」と言うので笑ってしまった。広島県の西部でもハブテルって、年寄は普通に言いますが、違います。もちろん方言です

私の実家地方では「どくれる」というのがありますが、微妙にニュアンスが違う。子供が軽く拗ねるのと、大人が本気でへそ曲げる違いかな。

この作品の中では、ダイスケに恋心を抱く同級生の女の子との言い合い、(お前)ハブテトル、(うちやあ)ハブテトラン、ハブテトル、ハブテトランと続いて行く。アッという間に方言を会得して、コミュニケーションをとるのも子供ならばこそ。

その子は「絶対に東京の大学へ行ってまたダイスケと会う」と口にする。今治のサノタマミは中学生の彼氏ができて大人っぽくなっているし、この年頃は女子がうんと大人。思うように生きていく予兆がして頼もしい。

上の方のミユキテーブルですが、年末、三男が車に積んできた立派なコタツ付き座卓。無垢材の真っ黒な塗装。これは嫁ちゃんの趣味と思うけれど、息子宅、お客さん誰も来ないので邪魔だと、譲ってもらった。ありがたや。

靴はいて玄関で、「ごめん、カメラ取って。ミユキテーブルの上にある」などと使う。

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コロナワクチン、打った方がいいのでは?

2021-07-30 | 断想

と言っても、私にはうまく話を展開する能力がないのでリンク付けときます。

ワクチン陰謀論を煽って金に換えたい人々の思惑(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

ワクチンで何人が亡くなったという、週刊誌の見出しを散見しますが、ワクチンのせいでなくなったか、それとも他の原因なのか、はっきりしてもらいたいところです。これだけたくさんの人が接種しているので、悪いものなら、死亡率が有意に上がりそうなものですが。それは隠しているんだと言われそう。隠し通せますか?

ヤフーニュースで、政府に信頼感がない国はワクチンにも信頼感がなく、日本はその信頼度の低い国だそうです。なるほど。今の政府、思いっきり信頼できないですものね。悪いけど。

でも、信頼感とワクチンは別。科学に感情は入れたくないです。

子宮頸がんワクチンも、後遺症が出るということで、今はされてないようです。体がマヒしたという女の子の映像がありました。あの子はその後どうしたのでしょう。続報が待たれます。

早く国民全体のワクチン接種が終わり、また元の暮らしに戻りたいと切望する私でありました。

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洗える紗、半幅帯で食事に

2021-07-29 | きもの

夕方、人と待ち合わせての食事。

着物で行くことにして、半襟縫い付けていたら時間がかかって、おやまあ大変。

大慌てで着替える。

帰宅後、夫に写してもらう。

ポリの絽の半襟が暑そうで、ほどいて手持ちの絽の端切れを使う。

花が逆向きだったのを付け替えたら遅くなって、髪、化粧、着物、帯、大慌てで。

結果、全部テキトーになってしまった。

カジュアルなお店なので半幅帯で。

めったに結ばないので、忘れていて焦った。蝶結びは可愛すぎるので、奴結びで。

草履の代わりにサンダルにした。

全然違和感ないと思いますが、いかがでしょうか。

草履は躓いて転んだら行けないので、ちゃんとした時だけ。しばらくはちゃんとした時も場所もなさそうですが。

バッグは当然、山葡萄。持って出かけられるのが嬉しい。


感想。

部屋を冷房して着付け、車の中も店も冷房、暑くなかった。

洗える紗は軽くて楽だった。この夏、また着てみたい。今度はゆっくり丁寧に。


本日の断捨離。

本各種。少しずつ、オークションに出す。

山折哲雄、吉見俊哉はもう少し持っておく。古い古い岩波新書も。売れなかったら今度こそ捨てる。

 

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夏は寝不足

2021-07-29 | 日記

エアコンが苦手で・・・と言うのは年寄りに多いらしい。子供のころ、夏は開け放した広い家で暮らしていたので、閉め切るのも苦手。

夜は眠くなったらすぐ寝ることにしている。夜中過ぎ目が醒めて、することないので本読んだり、パソコン開いたり(ノートなので)。

昔、ホームぺージ始めたころ、古いアルバムの写真をデジカメで撮り直したりして遊んでいた。

それが以前のブログに残っていた。探せばまだありそうだけど、とりあえずこんな感じで。

鯉のぼりと、お宮参りの産着を着た長男と若いお父さん。

20代のお父さん、西部警察に出てくる誘拐犯みたい。

この時は、何事にも豪胆な母が店で一番大きな鯉のぼり買ったそうで、送ってきた。実家付近ではまだまだ昔の風習が残っていた。

息子がだいぶ大きくなっているので、写真は翌年の五月かもしれない。

場所がなくて、その頃郊外の医療機関に勤めていて、その屋上に立てさせてもらった。

鯉のぼりは、経験のある方ならお判りでしょうが、朝、紐を引いて揚げて夕方には取り入れる。雨が降りだしたらその時も取り込む。と、たいそう手間がかかるのです。

雛人形の出し入れはシーズンに一回、それに比べるとうんと手間。そしてひな人形よりうんと空間を取ります。

単純計算で、鯉のぼりの長さを半径とした球形+風による竿のたわみ。

建物、電柱、電線、看板などのない空間が、いくら地方都市だからってそうそうあるはずもなく、この時は苦肉の策。ポール立てるのも人に手伝った貰った。

それに鯉のぼりにとって風は大敵。一度、遠くの方が、「病院の鯉のぼりが飛んできた」と届けてくださったそうで、翌年、夫実家の屋上に上げたのを最後に長らく死蔵。

今では孫がもぐって遊ぶだけとなりました。

風は大敵、鯉のぼりがお腹に大きく風をはらむと、とてもじゃないけど、女手でロープを引いて下ろすのは無理でした。

鯉のぼりは広い空間があり、毎日世話できる男手(≒初孫ができたくらいの若いおじいちゃん)がいないと無理というもの。生活様式が45年くらい前にはもう変わり始めていたということで、我が家にとっても、そして世間でも幻の節句飾りとなったのでした。

しっかりしたポールは捨てたけど、しっかりしたロープは災害の時にいるかもしれないと取っています。屋根にビニールシートをかけて固定するのを想定していますが、その日が来ないことを願っています。


節句つながりで、お嫁ちゃんとお母さんが「ひな人形買う」「いらない」と揉めた後、七段飾りをどうしても買ってやりたいので、我が家に置かせてもらえないかと打診があった。

とっさに断ったけど、孫娘が三歳くらいになり、ひな人形を欲しがったので、安く落札したのがこちら。

中古の人形はよくないという人もいますが、飾って眺めるのではなく、しっかり遊んで壊してもいいつもりで。

息子ばかりだったので、年取ってからのひな人形のあれこれ、とても大変でした。組み立てて飾って半日掛かり。

数年して一部を残して処分しました。

孫二人、小さいころは毎年よく遊んでいた。

私の赤ちゃん時代の着物も、着たいという。

先日、まだうんと早いけど、成人式の衣装を女三人で相談した。本人、着物がいいそうで。それならその時流行りのレンタルでいいんじゃないの。買っても着る機会がないし。と言う祖母。

着付けする美容院に祖母も早朝駆けつける。写真撮る。私も着物着て行って(何がいい・・・羽織付き大島にショールくらいで)、一緒に撮ってもらう。とここまでは計画しています。というか心づもり。この世にまだすることが残っているから元気で生きていける。頑張りましょう。

13年前、軽井沢へ車で出かけた。途中、米原付近で一泊。長旅だった。

軽井沢に旅行するので、気合入れて買ったシャツを着る息子。当時大学生。

何でもネタにして、どこでも笑いの空間に替える三男。

フードにぬいぐるみ突っ込んだのも三男。

自転車で一人でどこまでも行く子だった。今の時期だと虫網持ってあちらの公園、こちらの公園、昼にちょっと家に帰って昼ご飯食べたらまた夕方まで不在。勉強もお稽古事も、押し付けたものは一切せず、こちらも面倒で放置していた。それでも何とか社会人しています。

子育てはその時に楽しませてもらったし、こうして年取ってから思い出すのもなかなか味わい深いし、夫は三男が一番私に似ていると申しますがそうなの?

まあ、親から一番遠くへ行ったということならそうでしょう。遠くにいても元気でいい人生歩んでいたら、それが何よりと思う私でした。


全然脈絡なく、マツタケが高いので自分で作りました。15年くらい前。

材料はティッシュペーパー。

今はガス火がないのでできません。残念。

よい子はおうちの人と一緒に作ってね。


大分県、千町無田の水田公園で。

せんちようむでんと読むらしい。広々とした湿田(=牟田)地帯と言う意味とのこと。

ハスまたハス。

ハスの向こうにまたハス。

農家の方が、一部水田を転用されているようです。

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鉄道と国家─「我田引鉄」の近現代史  小牟田哲彦

2021-07-28 | 読書

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夫が買ってきて、まだ読んでなさそうなので、拝借して読んだ。

大変面白かった。

ざっと言えば、鉄道草創期からやがて国有鉄道となり、近代化を支える大動脈として整備された経緯。

大物政治家が鉄道行政に介入して、経営的側面からだけではありえない紆余曲折のあれこれ。

世界銀行から借款して整備された新幹線。それはやがてシステム全体を輸出する一つの技術体系となっていく。と、ざっとこんなところでしょうか。


鉄道導入期、新政府の財政担当だった大隈重信は、お雇い外国人から「ところでゲージはどうしますか」と聞かれ、「そも、ゲージとは何たるか?」と聞かねばならないほど、それが当時の我が国の状況だった。

日本の鉄道は軌間1067cmの狭軌、輸送力は劣り、安定走行も劣る。世界基準とは違うけれど、当時の財政状況から広軌は難しく、大陸と違って地形の複雑な日本で、少しでも早く鉄道網を整備するためという事情もあったのではと、本書では類推している。

初めの新橋横浜間は、実用というよりも新政府の威光を示し、併せて諸外国に近代国家であることをアピールする意図があったとか。なるほど。やがて西南戦争を経て、その輸送力が次第に軍部にも理解されるようになり、鉄道網は次第に全国へと整備されていく。

昨年読んだ「不思議な鉄道路線」という本では、国防上、鉄道を内陸部に通したい軍部と、採算面から人口の多い沿岸部を結びたい鉄道当局の間の綱引きの歴史が興味深かった。

今でこそ、高速道路網が全国に張り巡らされ、鉄道一択の輸送体制ではないけれど、つい30年くらい前まで、地方では人と物の輸送にまだまだ鉄道の地位が高かった。

そこに政治家の地元への利益誘導という素地があり、私が若いころはよくそのことが話題(問題)になっていた。

田中角栄の上越新幹線、大野伴睦の東海道新幹線岐阜羽島駅、荒舩清十郎の鉄道ダイヤへの政治的介入などなど、今に記憶している。

今回分かったのは、岐阜羽島駅は地元への利益誘導の側面もあるけれど、岐阜県内に駅がないのが不満の地元民と国鉄の間に立って、調整した妥協の駅でもあること。岐阜市まで迂回すると高速性が損なわれ、岐阜と大垣と等距離の場所に作ったそうで、当時はものすごく批判されていたけど、まあ仕方ないかなと。もちろんのぞみは停まらない駅。

中央本線を、木曽谷、伊那谷どちらへ通すかの時は、木曽谷を通る代わりに、岡谷から伊那谷の入り口辰野まで南下してまた塩尻にに戻る。これも地元政治家の力でと言われているが、トンネルを作るのが大変だったという事情もあったそうで。

総じて、昔の人は鉄道が地元を通るかどうかは、その地域が発展するかどうかの分かれ目、死活問題だったのだと改めて知った。


その後、国鉄は巨大赤字で分割民営化、全国の赤字路線は多くが廃線となる。一方、新幹線は世界銀行から融資を受け、政権が変わっても継続して開発し、前の東京オリンピックの確か10日前、1964年9月30日に開業したと記憶している。

オリンピックもそうだけど、この開業に地方の高校生も、新しい時代が来たようで嬉しかったのを憶えている。

鉄道は時代がどんなに変わろうと、社会の基本インフラには違いない。一方、地方では道路が整備されて高校生の通学くらいにしか使われない路線も数多くありそう。なくなれば、住めなくなる人も出てくる。


長男はものすごい鉄道オタク。広島電鉄は各地の中古車両を買い受けたりして種類が様々。我が家は路面電車の音が聞こえる場所にあり、家にいるころは「・・・型」と電車の型番を当てていた。いつの間にか聞き分けられるようになったそうです。

先日、旅行土産を届けたら「子供のころ、鉄道で旅行したかった」と申しておりました。そうだね、子供を後ろへ積んでもっぱら車移動。楽で安上がり。どこへでも行けるし、鉄道は我が家には贅沢だった。

鉄道好きはユニークで、一芸に秀でた人も多いんだとか。三男の友達、東海道本線の駅名が全部言える人もいるそうで、その人のさまざまにエピソード、以前は聞くのが楽しみだった。

私は特に鉄道好きではありませんが、息子たちと話すときのネタの一つも仕入れたくて。夏の暑い時は、出歩かずに本を読むのもまたよし。

7/22 大分県九重町 千町無田水田公園で。ハスの花盛り。

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大分4、湯布院街歩きほか

2021-07-27 | 旅行

モミジ、ケヤキなど。部屋の窓から。木の多い宿でした。

提灯が下がっているのが温泉棟。


翌朝、朝食後、今度は金鱗湖と反対、JR駅まで歩きます。20分くらいかかりました。

川沿いの道。

木の下、草の生えた土の道を歩く。

木影、水面、夏草、細道。

玉の湯の前まで来ました。

帰りに館内の雑貨屋さんを覗きます。買わなかったけど。

由布院駅。土産物店が隣接しています。以前ここで小鹿田焼を買いました。

織りと染の店。

川沿いにまた帰ります。

由布岳が見えます。橋渡って右の道を行きます。

玉の湯。

木漏れ日の中を帰ります。


チェックアウトして別府インター目指します。

盆地の縁へ、ぐんぐん高度を稼ぎます。

だいぶ上がってきました。

もう一枚。

由布岳。

途中にある志高湖。

珍しいサクラの説明。

大木です。遅くに咲くヤマザクラの仲間でいいのかな。

この後、別府インターから高速に入り、広島まで。

山は一つしか登れなかったけど、湯布院でゆっくりできて、高齢者にはふさわしい旅でした。

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大分、山と花、温泉の旅3

2021-07-26 | 旅行

カメラ二台持参、山ではコンデジ、平地は一眼レフ、写真撮り過ぎて整理しにくいのですが、少しずつ。順番はやや不同。

飯田高原から近い水田公園。

この付近は昔は湿原が多く、乾田化したり、牧畜したり。

 

 

 

 


やまなみハイウェイ沿いのキスゲ。

雨であまりしおれてなかった。夕方咲いて昼までにはしぼむ。ユウスゲとも。

一日だけ咲くはかない花。

これは長者原の湿原で。

やまなみハイウェイ沿いに。

だいぶ湯布院に近づきました。野菜市がにぎわっています。

飯田高原でバジルとキュウリ、こちらでトウモロコシとブドウを買う。

こういうこともあろうかとクーラーボックス持参。

やれやれ、質素な旅です。


湯布院の手前に骨董店が続いている場所が。

こちらの店が一番多い。800円で見学。SNS発信OKとのこと。

見学せずにお手洗いだけお借りする。

大量のアンティークに在庫です。大型家具なども。

店先から見る湯布院盆地。この付近、昔、来たことがある気がする。懐かしい。


湯布院の新しい宿は郊外に多い。金鱗湖近くのこの宿は老舗・・・らしい。こちらも雑木林の中の宿。

亀の井別荘と山の井の間くらい。川に面して静かでいい場所。ただし道が細く、車で近寄るのに苦労した。

部屋は二間が一続き。三方に窓。夜、開けて寝ると寒かった。

この宿のいいところは露天風呂入り口にビールサーバーがあり、滞在中ビール飲み放題。私はそんなに飲めないけれど、同行者はよく飲んでいたようです。私は隣室で早々に寝たのでよく知らない。


夕食まで金鱗湖、そのほかを散策です。

亀の井別荘前の橋を二つ渡り金鱗湖へ行きます。

この付近は雑木林になっている。

昔は下ん池と呼んでいた湧水。大分川の源流の一つだそうで、きれいな水でした。

湖から川沿いに歩きます。

川沿いの道を行き、しばらくして街の方へ。

ケヤキなどの広葉樹多数。

夏は木陰になり、冬は裸木がアクセントに。

軽井沢みたい・・・と言いながら歩いている人がいました。

新しい施設。

食事処。

キャラクターグッズの店。建物の一つ一つでぬいぐるみなどを販売。

木製品の店。この日はお休みだった。

花いろいろ。高原で花も元気。

こちらも複合施設。ショップいろいろ。


行くたびにおしゃれにバージョンアップしている湯布院。乙女心をくすぐられますが、ばあちゃんは何も買うものがない。。。。

かろうじて地酒の店で、年寄りらしく、大分特産のシイタケを二袋買いました。

そろそろ夕食の時刻です。宿に帰りましょう。散策は翌朝も続きます。

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大分、写真いろいろ

2021-07-26 | 旅行

大分県は夫が特に好きで、昔からよく言っていた気がする。夫は一人でもよく山に行っていた。別府の裏山へ走って上がるレースに参加したり。しみじみと若かったですね。


最初は1979年頃かなあ。親二人30代初め、息子二人は4歳と2歳とか。

湯布院はじっくりよく思い出したら、今回含めて5回宿泊。

昔は高速道路がないので、山口県の徳山からフェリーに乗り、国東半島の竹田津まで。そこから国東半島の古寺と摩崖仏見学。幼児には不評。

湯布院はブームになるはるか以前。宿もほとんどなく、静かな町だった。

国民宿舎に泊まったら、長男は「おうち帰ってブロックするう・・・・」と泣くし、次男は部屋にある二段ベッドが気に入って、自分で上がれないので抱え上げてまた抱え下ろして、エンドレスで疲れるし・・・

この時は長者原までドライブして昼過ぎ別府まで引き返し、今度は広島行きのグリーンフェリーに乗る。

写真はあるはずだけど、押し入れの奥に埋もれている。探し出すのも大変。


2005年には由布岳登山。駅の近くの宿に泊まる。東九州道は未完成。九州道から鳥栖インター経由して行った。

宿から見た由布岳だったかな。頂上は火口跡、ぐるりと回れる。

東峰から湯布院盆地を見下ろす。

このころにはもう湯布院もにぎやかになっていた。

亀の井別荘のカフェが満席で金鱗湖畔のテラス席で一休み。

先日、まだその店があり、テラス席もそのままで若い人が休んでいた。

見渡す限りの人の中、最高齢者の私たち。同世代の皆さん、どこでどうしておられるのでしょうか。

この時は翌日九重山に行く予定だったけど、私の登山靴の底がいきなり取れてハンカチで縛って下山。そのあとどうしたか記憶にない。。。。


2007年には二日市温泉に泊まって涌蓋山へ登り、帰りに湯布院に泊まった。

旅館はうんと増えて、退職金で宿泊業に参入した感じの町はずれの小さな宿に泊まった。

久大線の線路の近くだった。久大線は湯布院歩を通すためにものすごく湾曲している。

この時は霧が深くて久重山は断念。五月連休、まだまだ寒そうだった。


2013年、一軒宿の九重観光ホテルに泊まり、早朝から登山。

そのあと湯布院へ。この宿は夫が勘違いして素泊まりで予約していたけれど、何とか朝食だけはつけてもらえた。やれやれ。

町はずれの個人経営のいい宿だった。敷地内に風呂が3つくらい。鍵がかかっていなかったら自由に入って由布岳を見ながら湯につかる。

まだまだ写真ありそうですが、探すのも大変で。

なんでこんなに湯布院ばかり行くのかしらと、しばし考えた。山の中で楽しそうだから?

昔は別府の奥座敷。やまなみハイウェイができる前から、泊まり切れない人を受け入れてきたらしい。

やまなみハイウェイができて、別府から湯布院、九重山のふもと、阿蘇の北側を通り熊本までが結ばれ、九州観光の黄金ルートに。両親の農協からの団体旅行、弟の修学旅行。話聞くだけでワクワクしていた。

昔は観光バスや路線バスとよくすれ違った気がするけれど、今は皆無。廃業したドライブインなどもあり、見た目は寂しいけれど、一本道なので迷わない。

以前、黒川温泉へ行った時、九重インターからナビが変な道ばかり誘導してものすごく大回りした。とナビのせいにする。

今は古いナビに頼らず、スマホさんの言うとおりに運転する。

次行くことはあるんだろうか。と言いつつ、お盆にも似た場所の宿予約している。

昨年、氷ノ山へ行くつもりで梅雨が明けてなかったので、用心してのことですが。さて、どうする?

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大分、山と花 温泉の旅2

2021-07-25 | 旅行

筋湯温泉の宿は敷地の中に宿泊棟が点在。

建物を取り囲むのは、雑木と山野草の自然いっぱいの庭。癒されました。

夕食は18時から。17時が最終チェックイン時刻。

部屋に帰って家族風呂に一人で入り、それでも寒いので葛根湯呑んで早々に寝る。

翌朝も一人で風呂へ。

あの付近が部屋の風呂。通路を回らず斜面よじ登れば速い。

庭の山野草いろいろ。

 

 

 

 

 

 

ホウノキは株立ちなので、植えたのかも。

朝ごはんをいただいて・・・

また入ろうかな・・・と思いつつ、宿を後にします。


長者原まで、昨日の山の裏側を通ります。

高原の朝。雨模様で寒い。

長者原は九重連山の北の登山基地。登山者多し。いろいろな施設がありますが、今回は湿原を歩きます。これも二回目くらい。

遠くにオオハンゴンソウ。

クサレダマ。

シモツケ。

オオハンゴンソウ。外来種。繁殖力旺盛。

チダケサシ。

ヒゴタイ

ヒゴタイ。

続いて九重夢吊橋へ。渓谷に架かる観光用の橋。往復500円。天気悪いのでパス。

この橋は九重山の中岳からもよく見える建造物。

周辺は団体客も立ち寄れる観光施設多数。

その先、九重インターまでの道は通行止め。再びやまなみハイウェイに戻り、飯田高原で持参のおやつ類で昼ご飯にする。野菜も少し仕入れる。

初めてやまなみに来た40年くらい前はレストランなども各所にあったけど、今はほとんど消滅。残念です。コンビニもないし・・・

続いて千町無田の水田公園へ。

この付近は湿田だったのを乾田化して稲作をしていますが、一部、湿地帯の花を植えて公開しています。

蓮の盛り。夏。

ミズアオイの仲間。

ホテイアオイの仲間だけど、根は地中にあり、水は酸欠にならない。在来種は稀と聞きましたが。植えたのかな。

こちらは写真いっぱい撮ったのでいずれまたまとめます。

続いて崩平山くえひらやまを目指すも登山口手前で、林道崩落の為通行止め。雨も降りだしたし、夫は腰痛だし、登山は断念。湯布院歩目指します。やれやれです。

なんか行き当たりばったりの高揚感にやや欠ける旅行になるのかも。。。。いえ、年寄りには静かな旅もまたよし。

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大分、山と花、温泉の旅1

2021-07-24 | 旅行

思いがけない連休、梅雨も明けたので九州に行きました。

7/21 自主休業して朝、自宅発。東九州道が全通して別府方面は近くなりましたが、この日は日出JCTで湯布院方面へ行くはずが、日出バイパスに迷い込み、国東半島南部を迷走して約1時間のロス。

何とか復帰して大分道へ。湯布院からやまなみハイウェイを走るとやがて行く手に九重連山が。

台風が沖縄付近に滞在中。雲が出ています。


こちら2009年8月。まだまだ若かった。

2009年9月には浅間山の見える黒斑山まで。

浅間山は入山禁止。

まだまだ若かった私。


やまなみ最高地点、牧ノ戸峠に車を置いて展望台まで。

目指す黒岩山はあちら。

頂上はあの向こう。

40分ほどで泉水山への分岐へ。

九重山

阿蘇山方面。

途中で涅槃像の姿に阿蘇全体が見えたけれど、すでに雲が。このあと二度と全体像は見られませんでした。

阿蘇の涅槃像 2015年8月。


台風がらみで強風。もう下ります。

所々にロープあり。

下りてくるのは同行者。気を付けてね。

牧ノ戸峠からショートカットの山道下りて筋湯温泉へ。

筋湯は二回目。町営の立ち寄り温泉を含めたら3回目。

登山に便利な温泉地です。

宿泊する建物は敷地内に点在。庭を通っていきます。

最近の流行らしい。

部屋が二つに・・・

温泉付き。

ぬるかったので、あとで一人で家族風呂へ行く。

山の上で気温は28度くらい。寒い。

コロナ禍ですが8室しかない宿は満室。大分県はこの日は二人の感染者。

風が強くてお天気下り坂です。明日の相談するも、気が乗らず。はてさて。

長くなるので残りは次の記事で。

 

 

 

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涼しくする工夫いろいろ

2021-07-22 | 日記

梅雨が明けていよいよ夏になりました。

今年も35度くらいが毎日続きそうで、子供のころよりだいぶ気温が上がっています。小学生のころは30度超えるのは7月末からせいぜいお盆まで。

お盆過ぎると日暮れも早くなり、涼しくなったものですが。

いえいえ、昔を懐かしんでもしようがない。私なりの涼しくする工夫いろいろ再確認。


先日、冷凍ご飯を首に当てて涼しくする方法、ご紹介しましたが、それと同じくらいの費用をかけない涼み方です。

★服装は浴衣地から縫ったワンピース。

普通の木綿地より涼しいのは、生地の織り方がしっかりしていて糸の間に空間がないからでしょうか。隙間の空気は体温を吸収して暑いように思います。

浴衣は手持ちの古い浴衣のほかにフリマで調達。しっかり裏まで染料の通ったのを買う。最近のミシンで縫ったのは染が甘く、ついでに生地の織りも甘いように思う。

フリマで100円から300円くらいだと買う。1,000円は高い。フリマですもの。最近はフリマも激減。寂しい。

しっかり洗ってからほどき縫う。

浴衣から涼しいワンピース - ブログ (goo.ne.jp)

7、8枚縫ったでしょうか。

ゴミ出しと近所の買い物はこの上から、体型がばれない麻の大きなジャケット着て、知り合いに会わないよう素早く行動。


★窓を開けまくる。

古い昭和の家。窓いろいろ。全部空けておく。裏にマンション二棟。その建物の隙間から強い風が吹き込んで、反対側へと抜ける。

寝る部屋は窓が三方、全部空けてそのまま寝る。

不用心?かもしれませんがこの家を建てて40年以上、ずっとこれで。家の中に男という生き物がいる安心感。それが支えです。夏には感謝。

夫は腰が痛くてベッドに寝なくなったので、私一人で2台のベッドを使っている。


★庭に水を撒く。

撒きすぎると庭木によくないそうですが、傷まない程度に。寝る部屋の前のコンクリートの部分は念入りに。ここは夫がコンクリ打って、素人なので当然水平でない。所々水たまりができる。その水たまりの気化熱を頼りに。


★ややこしいことをしたり考えたりしない。

夏は自然と一体化する気持ちで、難しいこと、人工的なことをなるだけしない。昔の暮らしをするのは無理でも、ゆっくり流れる時間に身を任せる。

私が子供のころの年寄りは、仏壇とお墓に供える花を作り、夏野菜を作り、孫を背負ってそこら辺をうろうろ、近所の人と立ち話。

半世紀前に年寄りしていたら、私もきっとそうしていたはず。そう思って心の中から涼しくなる。

2017年8月、屋上菜園のトウモロコシ。

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台所のワックス掛けー終了

2021-07-21 | 日記

ワックス掛けるのは、7畳くらいの広くない台所なのでそう時間かからなかったけど、床の上とテレビ台にしているテーブルの下の棚に夫がいろいろ置いているのを移動するのが手間取った。

果実酒各種、それと姑様の台所から持って帰ったもの各種。古いハチミツ、古いお茶、古い味の素、古い茶筒・・・人のものだから廃棄しない。要るの?と聞くのも嫌味に聞こえたらいけないので黙っている。

夫にしたら、私の持ち物のいろいろ、場所塞ぎと思っているはずなので。

まあ暑いときだし、話も暮らしもシンプルに。


昨日よかったことは、台所と居間で使う椅子の脚の底に全部、分厚いフェルトをくっつけたこと。その数6脚。動かして使うのだけ。ソファなどにはつけない。

適当な大きさに切ってボンドで貼り付け、乾いたらきちんと切り整える。滑りがよくて、床も傷つけないので、もっと早くすればよかった。

夏は暑くて汚れも落ちやすく乾燥も早くて掃除のシーズン、これからもいろいろ頑張ります。

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台所のワックス掛け―未遂

2021-07-20 | 日記

梅雨が明けて気温は高いし、湿気もない。

きょうこそワックスがけするつもりで、家具をどけて掃除した後、近所のホームセンターにワックス買いに行ったら、艶アリしかなかった。

ピカピカは好かんです。

昼休み、夫がちょっと遠くの店へ別のワックス買いに行ったらしい。黙って車出していたので深く問い詰めもせず。

最近は腰がずっと痛いので何も頼めません。私がする流れになりそう。

午前中、よく働いたので夕方かな。頑張ります。

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「若き友人たちへ」ー筑紫哲也ラスト・メッセージー

2021-07-19 | 読書

先日、段原イオンのブックオフで中古本を一気買いした時の一冊。

筑紫哲也氏は1945年生まれ、早稲田大学卒後、朝日新聞社に入り、記者、ニューヨークにも駐在後、今はなき朝日ジャーナルの編集長、退社後は長い間ニュース番組のキャスターを務めていた。

2008年、73歳で死去。

この本は、早稲田大学と立命館大学の院生に2003年から5年間講義した講義録がもとになっている。

全体に、社会を見る目の基本になるリテラシーを身に着ける大切さを、若い人に噛んで含めるように話しているのが印象的。

単純な言葉に流されることなく、自分で考えることが大切と訴えている。自分の知や経験をひけらかすことなく、学生の地平にまで下りていく姿勢がお人柄かなと思った。

末尾には死後見つかった高校時代の文章が併録。すでに客観的に物事を見ようとする姿勢が見られて、ジャーナリストの素質が垣間見えるようでした。


付け足しとして。

昨年、大分県竹田市の滝廉太郎記念館を訪ねて、筑紫哲也氏が名誉館長だったと知りました。

学芸員のお話によると、滝廉太郎の妹の孫にあたるそうです。滝廉太郎の家系は、豊後日出ひじ藩の家老の家柄だそうで。日出藩は秀吉正室、高台院の甥が秀吉の養子になって木下姓を名乗り、関が原では東軍についてその功績から日出の地を与えられました。

豊臣家は大坂夏の陣で滅んだのですが、それは淀君、秀頼ライン、血縁関係はないけれど、木下家として江戸時代も豊臣家が残っていたことは、滝廉太郎記念館へ行くまでは知りませんでした。

生前、一度も滝廉太郎が大伯父だと言ってないところが氏のお人柄かと思います。

滝廉太郎の話を先日夫としていたら、日本のために残念だったと話しておりました。私が「本人は生きていっぱい曲作りたかったはず」と言った返しに。

ドイツに留学してすぐに結核を発病、帰国して大分で亡くなるんでしたか。

しかしその曲は今に歌い継がれているのが素晴らしい。人の命に限りはあるけれど、芸術は永遠。

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