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楽しかった一日ツアー

2017-05-31 | 旅行

先日の土曜日は、某団体主催の一日ツアーに友人と参加。

今年で9回目、見知った顔も増え、楽しく旅しました。

友人はその昔、一度旅行しただけだそうで、県庁近くのわが母校を「基町高校みたいなものなんですね」と言いえて妙。

そう、私立も国立もないわが実家地方では、(あることはあるけど)、優秀な子は旧制中学と旧制高校が合併した県立高校に集まる。

多彩な面々、思い出いろいろ。昼休み、休み時間、学校抜け出すのもフリー。45分で県庁の食堂で昼済ませるのが謂わば通のT校生。

県庁は有名な建築家の設計。今見ても斬新でしかも心地よい。いい服を着た時のような心地よさ。

一階ピロティ、通行自由。あの人と子の子と、どれだけ遊んだことか。なんて話していたら、同行の同じ高校出身者「**さんはいっぱい遊んだだろうけど」なんて言うので、いやはや、私ってそんな風に見られてたんだと認識新たにしました。

遊んでたのは女の子と。話題は男の子の話、それとあの人とこの人が付き合ってるとか、埒もないことを。


10時ころ、坂出の製麺所併設の店で軽く一杯、製麺所の見学は社長さんの立て板に水を流すような説明を聞く。土曜日で工場は動いてないけど、いまでも人が踏んで小麦粉こねるそうで。まさにうどんの原点。

中央公園は球場がなくなって、木がうっそうと茂って見違えた。県庁のお役人が待っていてうちわなどのお土産いただいた。

そのあと各自でうどん食べて、買い物。できれば工場見学を短く、こちらはもう30分でも多い方がよかったかな。

県庁からさらに西の有名店へ行く。土曜日で割と空いていた。何度か行ったことがあるけど、あれッ、こんなに麵が堅かったかな思った。案の定、お腹がやや緩くなった。わが体も年相応に軟弱になっているらしい

最近は毎日こちらに立ち寄るのもきつくて、お返事遅れるかもしれません。ごめんなさい。

でもこちらでできた友達にわが青春の地を案内できて幸せだった。最後はとてもきれいな丸亀町グリーンで手洗いお借りして買い物もする。

アーケード街の両側の店を引いて広い空間を作り、二階部分に回遊できる通路をめぐらす。できるのは街の中の広場。人は集まり、出会い、語り、去っていく。そこに生まれる町の物語

以前行ったときには学校帰りの高校生が楽しそうに遊んでいたり、中学生からアンケート求められたり。

人が留まるところに町の文化が生まれる。広島にもぜひ欲しいところであります。

そのあと神社と札所に。


ツアーの景品。

自分でも購入。子供時代からある老舗乾物店。店先の削りガツオの匂いが懐かしい。

親と街へ買い物行くと、必ず立ち寄る店だった。

昆布、炒り子、文担風の柑橘類。おいしかった。うどんに海苔にしょうゆ豆など。

帰りは去年と同じSAへ。バラが名物。

素朴で可憐なのから、豪華なのまで各種。

地元同好会の方が育てているらしい。それ用の通路が裏側にあった。いつも楽しませていただいて、ありがたいことです。

今年も無事ツアーに参加できて結構でした。

実はポーランドへ行く前日、幹事さんから人が足りないので集めてほしいと言われ、あちこちメールしたり、電話して、心配しつつ参加してみると今年もほぼ満席の盛況でした。

来年もまた参加したいもの。

お世話してくださった皆様、ありがとうございました。

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5/13 ワルシャワからヘルシンキ経由、帰国

2017-05-28 | ポーランド慰霊の旅

さて、きょうはいよいよポーランドともお別れです。

朝7時過ぎ、ワルシャワ中央駅まで行くことにしました。

ホテルを振り返ります。わかりやすい建物。

手前は集合住宅らしく、下にコンビニ大小2店舗がありました。

昨日行ったショッピングモール

ワルシャワ中央駅。マックあり。

駅構内。日曜日のせいか人は少なめ。駅構内は写真撮らない方がいいので、二枚しか撮ってません。

どこも警戒が厳しいようで、これからはこんな軽率なことやめなければ。

ホテルに戻り一人の朝ごはん。次の食事はヘルシンキ立って1時間くらい、夕方になるのでしっかりいただきます。

こちらは注文でオムレツ作ってくれたりと、充実の朝食でした。

部屋に戻って集合時刻まで一休み。

まだまだ小銭が余っていたので、駅構内の店で種物買いました。

白いんげんは100円くらい、ビーツ、フェンネル、イタリアンパセリで150円くらい。

インゲン、ビーツは実母に送る。畑仕事大好きの90歳。

10時前の天気予報。いいお天気ですがもう帰ります。

日曜日のワルシャワ。

道は広く

名残を惜しむ間もなく空港へ。

ワルシャワショパン空港です。そう広くない空港でした。

ヘルシンキまでは窓側の席、福岡までは通路側の席、そしてなるだけ後ろの方でと片言英語で頼む。

まもなく離陸です。

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=H-FtsGNv_NI

離陸。空港建物がみるみる眼下に。

この時はとても上品な70代のご夫婦と隣。旅行中、何かと親切にしていただきました。

人柄は一朝一夕にはできないけど、私もガサツな性格、少しでも直したいと思います。

だいぶ上がりました。

https://www.youtube.com/watch?v=RCuBXRJEuWY

とはいえ、2時間弱のフライトなので高度もそう高くないようで。

そろそろヘルシンキ。国際便だけど食事出ません。

昨日買ったパンにコーヒー頼んで昼ご飯替わりです。

ヘルシンキの乗り継ぎは超タイト。45分しかありません。

機械式のパスポートコントロールを無事通過し、途中急いでお手洗い済ませて、搭乗ゲートへ。

もう搭乗が始まっています。

通路側の席だったけど、隣に人がいたので自主的に席替え、向こう端に一人いるだけの席で二席確保。2席あれば膝を折って何とか横になれます。横になって帰ったので、楽なフライトでした。

第1回目の食事。ワインをチョイス。食べた後はもう寝ます。

・・・・・そして帰国。

ポーランド慰霊の旅、完。長い間のお付き合い、ありがとうございました。

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5/12 ジェラソヴァ・ヴォラ、ショパンの生家へ  

2017-05-28 | ポーランド慰霊の旅

ワルシャワを出て西へ54キロ、ショパン生家のある村へ来ました。

まずは昼ご飯です。果物の産地のようです。

コンポートから作るジュースと聞きましたが。

おいしいと言うと、ゴージャスマダム、顔色一つ変えず「冷たい方がおいしい」と一言。

確かに仰るとおりです。海外では日本のように冷えた飲み物、あまり出てきません。

もちろん冷たいのも味のうち、でも常温の方が胃腸にはいいようですよ、マダム。

ピアノ演奏のサービス付き。ショパンの上の鏡に私たちが写っています。

マダム、「チップは10ユーロでいいかしら」

ゲッ、上げすぎやろと思う私。

「それはまあ気持ちですから」(あなたがその価値があると思えばいいのではないでしょうか)

ランチョンマットに店の名前が。

ロールチキンのようなおかずだった。付け合わせはニンジンとキャベツ、ジャガイモ。

インテリア

インテリア

インテリア

インテリア

窓辺。販売するらしい。


続いて歩いてすぐのショパン生家跡へ

https://www.youtube.com/watch?v=c_DLkob_yR8

コンサートの間、庭を散策します。

 

広い公園。初夏。遠くでショパンのピアノ曲。

水辺

復元された生家

生家とベンチ

コンサートが終わって今から見学。

部屋数は少し。

ショパンのお父さんはフランス人、ポーランド貴族の家庭教師としてやってきてこの地で結婚したそうです。

第一次大戦後、復元されその後何度も修復されたとのことです。

併設するミュージアムショップではCD、マグカップ、などお土産物たくさん。

でも皆さん早くワルシャワへ帰って買い物したいとのことで、引き返し、ワルシャワには四時半ころ着きました。それから希望者は近くのショッピングモール内のスーパーへ買い物に行きます。私ももちろん、連れて行っていただきました。

パンは激安。20円から高くて50円くらい。そしておいしい。

ここではスープの素など買いました。


ホテル前に集合して6時から食事に行きます。

ピアノの生演奏付き。地下の堅い壁で音が響きすぎてピアニストには気の毒でした。

誰もチップ上げずに、話に夢中です。

隣の席の方が買い物しすぎて飲み物頼めないと言われるので、小銭全部出してもらい、残りは私が足してビール二杯頼むことにしました。

暗くてお金がわかりにくいのですが、数学得意と言われ、きちんと二人分、ご自分の足りない分は私に日本円で渡してくれました。

ビール小で8ズロチ、約280円、嬉しいお値段です。

お客さんの一人がハーモニカ、演奏してくださいました。

何でもプロの演奏者で、大学?でも教えているようなお話でした。

たまに大学の先生がツアーに参加されますが、今まで出会った方は皆さんとてもいい方でした。

物静か、英語は当然できる、服装がきちんとしている(ジャンパーでなくジャケット)、親切で謙虚、たまにカード使わない方もおられてやや浮世離れ。が共通の特徴でしょうか。

こちらにチップ差し上げたいくらいのいい演奏でした。有難うございました。

と、とてもいい雰囲気でツアーが締めくくられるはずが、同じテーブルの男性がひと悶着起こし、ほかの皆さんはとても嫌な気分になったと思います。かく言う私もそう。

なんか変な雰囲気の夫婦なので敬遠していたのに、なぜか同じテーブルになること二度、三度。

この夜はウェイトレスが間違えてビール小を持ってきて、確認せずに一口飲んだ後、ビール大が運ばれてきて本人間違えられたことに気が付き、激怒。

店員呼びつけ怒る。添乗員に文句言う。添乗員が自分が払うと言うのに納得せず、小を下げさせ、大を飲んで大はカードで払っていた。お金は使い切るつもりだったらしい。

間違って持ってきたのも悪いけど、確認せずに飲んだ本人の責任は大きいと思う。

普通ならそこで、小でいいからと飲んでことが収まるはず。私なら両方払う。

だってビール小で280円、大で350円。そのお金が惜しい人がまさか海外旅行なんてしないはず。

人の失敗は許せない。逆らえない人に威張る。ああ、見苦しい。

同じテーブルの私達の嫌な気分、どうしてくれるのよと言いたい。

その口つけたビール、私が買います。と言えばよかったけど、もう小銭ないし、下手にかかわると馬鹿にしたとか、また文句言われそう。触らぬ神に祟りなしでございます。

嫁さんもどこのレストランだったか、私がカードで買い物するので通貨が余ると言うと、顔色変えずに「現金から使わないとね」とえらそげに。ああ、いやだいやだ。

いやいや、はしゃぎすぎる私が目障りだったのかもしれん。旅慣れたお二人様にはこの私が嫌だったのかも。

しかしまあ、それはお互いさま。それを我慢するのが団体ツアーではないでしょうか。

今回は36人と多かったので、皆さん、少しずつイライラしていたかも。それもまあ我慢しないとね。

外へ出ます。まだ明るい。

バスの中から。ここにもコペルニクス。

おっと、午前中に写真撮ってもらったところだった。同じコペルニクスだった。

後で気が付く私。

ホテルへ戻ってきました。ホテル斜め前の横断歩道。

このあと買い物して部屋に戻り、荷物の整理。今回重いもの買わずスーツケースは余裕の20キロ。

やれやれです。

あすはいよいよ帰国。毎回、慣れたころに帰ることに。

ホテルが居心地いいし立地もいいので、最後は楽でした。

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5/12 ワルシャワ旧市街観光

2017-05-28 | ポーランド慰霊の旅

さて、ポーランド旅行の記事もあと一日分となりました。帰国して2週間、そろそろ海外ボケも治り、日常生活が戻りつつありますが、今回感じたのはわが体力の衰え。それと大人数の団体ツアーのリスクいろいろなど。

次行くときは真冬の閑散期、またはハイシーズンの人が敬遠する日かな。いつになるかわかりませんが。

前夜 レストラン。中心部、大通りに面したデパートみたいな建物の一階。

少女趣味なインテリア 

ライト

前菜。白身魚の酢漬け…だったかな

ジャガイモの細切りで肉をくるみ、焦げ目をつけた後、煮込んだような。

私のは適量。大きさは皿によってまちまち。

今夜の宿はワルシャワ中央駅徒歩5分、インターコンチネンタルワルシャワ32階。

ツインの部屋をシングルユース。

普通に申し込んだら結構な値段だけど、団体旅行なのでたぶん安いと思う。日曜日宿泊は特に安いようです。

ベッドも椅子も大きくて高さがある。東洋の老女、ベッドによじ登り、かつよじ降りる。

NHKの国際放送見る。英語。日本は前線が来てお天気悪いようです。日本時間、金曜日の正午?

洗面所も広くてきれい。でも鏡が高くて首から上しか映らない。

向かいの建物はなんだ?

ワルシャワは旧のままに復元されたというけれど、この付近は現代的な建物が林立。もとは何があったのでしょう?街はずれだったのかも。

向こうに見えるのは文科学宮殿。1952年スターリンからの贈り物。会議場、ホール、映画館、劇場など。ヨーロッパ的というよりは社会主義的建物で、市民からの評判はイマイチだとか。

でも遠くからでも目立つし、駅への目印になるのは京都タワーとおんなじ。歴史の各段階ではいろんな事情で、ん?という建物も作られるらしい。


翌朝。インターコンチネンタルワルシャワ。面白い形。部屋のカードキーでエレベターの階数ボタンも押します。


バスでまずはワジェンキ公園へ。夏の離宮だった宮殿はナチスドイツによって内部が壊され、美術品も持ち去られたが、現在は修復。国立博物館分館になっているとのこと。美術品はたぶん、完全には戻ってないことでしょう。

本日は公園内を散策するだけであります。

入ります。

説明版。ボタン押すとショパンの曲が聞こえます。

https://youtu.be/qUhjWjXJo_4

ショパンの銅像。ポーランドではショパン、コペルニクス、キュリー夫人が三大偉人らしい。

北海道くらいの感じでしょうか。サクラが咲いて春が来ました。


続いて旧市街へ。

夏服の上からカシミアのカーディガン。いったいどんなものを着ればいいのか戸惑うお天気。

聖十字架教会。フランスに亡命したショパンは36歳で結核で亡くなります。

遺言通り、姉がその心臓をワルシャワに持ち帰り、この柱に埋め込まれています。

華麗なる祭壇

第二次大戦で1/3が破壊されたそうですが、美しく再建されました。

爆撃跡を保存しています。

旧市街、クラクフ郊外通り(クラクフへの街道筋という意味らしい。昔のメイン道路)を北へ、皆さんと歩きます。

ワルシャワ大学前で、たくさんのテントがあり、催し物が。

日本学科のブース

学生さんが写真に納まってくださいました。

日本語が話せて笑顔のチャーミングな人でした。着物も素敵。

https://www.youtube.com/watch?v=YcoJAqqa95g

手前は日本人留学生らしい。マリアがこう置いて、と将棋を教えている。

いいなあ、若いって。ワルシャワの青春。

ワルシャワ大学。正門?

向かいは芸術系の大学。

マロニエ(赤花)

旧市街。建物はすべて復元されたものらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=ToWVBY4JtcM&feature=youtu.be

堀の上の橋を渡ると王宮が。こちらも復元されたもの。

地元産、陶器店。

素朴なポーランド陶器、日本でも人気だそうです。

旧中央広場。にぎやかです。ここでしばし解散。

https://www.youtube.com/watch?v=xNKgsKOCaeQ&feature=youtu.be

https://www.youtube.com/watch?v=ADp4sGZLZDQ

1ユーロ貸してと言った人が、一緒に土産物買いに行こうと私を誘うけど、何のかんのと逃げる。

せっかく一人で来ているので、一人で好きに動きたい。ごめん遊ばせ。

丸いのは絵葉書。郵便局で切手買って日本へ出す。

机がカシ類の無垢材。ヨーロッパの木は成長遅いけど、硬くていい材木になる。

さらに歩いてトイレへ。皆さんを待つ間、向かいの骨董店が気になる。。。。

揃ったところでキューリー夫人生家跡へ。博物館になっているけど、ただいま修復中。

さらに歩いてバスに乗る手前で。社会主義時代の建物のようです。説明してもらったけど…失念。

ポーランドの複雑で悲しい歴史を象徴するような…

続いてバスに乗ってワルシャワから西へ54キロ、ショパンの生誕地、ジェラソブァ・ヴォラへ。

それはまた次回にしたいと思います。 


そうそう思い出した。この日の朝、日本の友達から電話。

「**さん、今日暇あ~??」と明るい声で。

「ごめん、今ワルシャワにいるの。通信料高くなるので切るね」

相手びっくり。私もびっくり。帰国してからも「びっくりしたあ」と言われた。

遊びのお誘いだったとか。日本では土曜日の昼過ぎ。聞けば楽しい遊びのはずが、ヨーロッパにいるのではいかんともしがたし。

しかしまあ便利になったものです。とてもクリアに聞こえました。

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5/11 中世の街、トルンを歩く

2017-05-25 | ポーランド慰霊の旅

5/11 ポズナンから東へ150キロ、世界遺産トルンの街へと向かいます。

トルン近くでは森の中を走ります。

https://www.youtube.com/watch?v=HnU6HbxyuSU&feature=youtu.be

森の境界の柵がアウシュビッツと同じなのでギョッとしますが、この付近では昔からこのデザインなんでしょうか。

ヴィスワ川を渡ります。

この町はバルト海でとれたヒスイをワルシャワやクラクフへ運ぶ街道の街として発展し、中世にはドイツが出城を置いて支配したそうです。

バスを降りて川沿いを歩きます。遊覧船の船着き場です。雲が多くて風も強く、寒いです。

旧市街への入り口が見えてきました。

入ります。石段のある建物で昼ご飯を食べました。

もう午後三時に近いです。だから朝はしっり食べておかないとね。

キュウリのスープ…というのはピクルス入りのスープのこと。酸っぱいです。

付け合わせ野菜、一人分。ビーツの漬物、ザワークラフトに半分生キャベツを混ぜたもの、生ニンジンの細切りほとんど味ナシ。というのが一人分の野菜。量は多いです。

きょうはロールキャベツ。じゃがいもはmust

ライトの飾り。

イノシシ。黒くてでかい。

フェルメールもある。サービス満点。

左は神戸で、右はルーブル?ドレスデン?で見たような気がする。

デザートはミスタードーナツみたいと皆さんに好評でした。

旧市街を歩いて

細い路地を通って…

ドイツ騎士団の城の方へ向かいます。

1454年、トルン市民の蜂起により城は破壊され、そのままになっています。

https://www.youtube.com/watch?v=dE_Lirx29bU&feature=youtu.be

この日も寒かった。添乗員さんに撮ってもらう。細いコードはトラベルイヤホン。

失くしたら5,400円弁償です。

2012年ドイツへ行ってホテルに忘れた時は予備を貸してもらい、弁償なしでしたが、次第に厳しくなっているようです。これからも気を付けたいものです。

この付近は後から足したのかも。

ガイドさんがトルン名物、ジンジャーブレッドを分けてくれました。

この後、皆さんとスーパーへ行って買いました。専門店もあります。

旧市庁舎とコペルニクスの像。

聖母マリア教会。

広場まで戻ります。こちら郵便局。シックな建物です。

ここで解散して有志でスーパーへ。ジンジャーブレッドとピクルスのスープなど買いました。

この噴水前に集合。早めに行って待っていました。

でも集合時刻になっても、三人足りません。焦りまくって、走って探し回る添乗員さんと現地ガイドさん。皆さん静かに待っています。

私も、もし自分だったらと思うと胸がバクバクしてきました。

15分くらい経って、バスのドライバーさんから、三人が先にバスに帰ってきたと連絡が入り、全員えーーーっと驚き、かつ脱力。なんでえ?しかまあよかった。

全員でさっきのレストランでお手洗いをお借りし、これも人数多いので時間かかりますが、お互いさま、我慢です。

横道へ入ってコペルニクスの生家。銅の商いをする裕福な家だったとのこと。

観光客が多いです。

城門の外へ出ます。向こうの傾いた砦はドイツ騎士団時代のものでしょうか。

ドイツの作ったものなど、わざわざ修復したくないのかも。

ポーランドはドイツにひどい目にあってますが、最近はドイツから観光客も来るし、ドイツへ働きに行くし、お互いいい関係ではないかと思います。

やれやれ、観光終わってからの迷子騒動だったので、ホテルに着くのは少し遅れるでしょうが大したことなくてよかったです。

左手にバスが待っていました。


で、出発前、一人の男性が、「人を待たせたんだから謝りなさいよ」と言っていました。

たぶん皆さんも同じ気持ちだったと思います。私は迷惑というよりも、心配しました。

三人のうちの一人が近くの席に座っていて、その人の話だと、フリータイムの時トイレ行きたくなってガイドさんと一緒に五人でトイレに行った。出てみると、二人とガイドさんがいなくて、どうしようもないので、三人で駐車場のバスまで戻った。私も被害者。私は自分のするだけのことをしたので謝らないという言い分でした。

放置した現地ガイドはもちろんよくないけど、慌てずにそこでじっと待っていた方がよかったのでは。旅慣れた風の三人だったので自分たちの判断で、「最後はバスに戻るから」と先にバスに戻ったようです。

男性は「皆さんトイレ行きたいの我慢して待ってたのに。迷惑かけて謝らないんだから」とさらに言っていました。

まあまあと宥める添乗員さん、ガイドさんの手落ちという結論でその場は収まりました。

うーーーむ、置き去りにされた三人は焦ったことでしょう。何とか自力でバスまでたどり着いたのに責められて不本意かもしれませんが、理由はどうであれ、人を待たせたのは事実。

自分が悪いと思わないのなら謝らないという選択もあるけれど、あそこは一つ、「どうもご迷惑かけてすみませんでした」と一言謝れはよかったと思う。それが日本的予定調和の世界。ついでに簡単ないきさつも説明すればよかったのに。

初めに謝ればそう追及はされないものです。15分とかそのくらいなので、誤差の範囲内。謝ればよかったですね。

しかし、人に謝るのは難しいもの。自分だったらどうしたかなとちょっと考えました。

最後のアンケートには「迷子になったと気づいた時点でその場を離れず救援を待つ。それを徹底してほしい」と書きました。

自分がそうなったら焦ってうろうろするかもしれないけど。

 

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麗しの古都・ポズナン

2017-05-25 | ポーランド慰霊の旅

さて、前日ロングドライブの後たどり着いたポズナン、宿泊はホテルノボテルポズナンセントラム

窓の下は大きな交差点。路面電車も走っています。

午前五時過ぎ。どうしても早く目が醒めてしまう。

六時半、朝食をいただきましょう。

窓の外は駐車場。再開発されたところらしい。ツアー御用達のホテルはだいたいこんなところが多い。

ヨーロッパ的風情はないけれど、サービス過不足なく、泊まりやすいです。

7時半ころ。陽が高くなってきました。

廊下の端まで行ってみる。公園になっている。

ここは一泊しかしないので、名残り惜しいです。

ポズナンの通勤風景。

旧市街に近付いています。

ポズナン大聖堂の塔が見えてきました。

ポズナンは千年前に都がおかれたポーランド建国の地。

大聖堂はポーランド最古の教会だそうです。今から見学します。

内部は簡素

ステンドグラスとパイプオルガン。

それにしても…毎日教会があるので、次第に記憶が錯綜してきます。

自分で苦労してたどり着いたならそれぞれ憶えられるでしょうが、人に連れてこられると全然定着しません。

お四国参りのツアーに行った人が、記憶の中でお寺の区別がつかないのと同じ。

ひそかにポーランドお四国参りと名付けた私。でも教会は入場料払わないし、寄進もしないし、内部はきれいだし、椅子に掛けて休めるし、ツアーでは大事な立ち回り先。

ポーランドはどの教会も立派で、人々の信仰の深さを感じました。まだまだ地縁血縁が大切にされているのでしょうか。

ポーランドのいいところはこれからも残ってほしいと思った旅でした。

教会内の礼拝所。有力者、貴族などは専用の祈りの場をお堂に付属して作ります。

そこは立ち入り禁止です。

https://www.youtube.com/watch?v=o4FpjsyuyBM

立ち入り禁止ですが、司祭?の方が私たちを祝福してくれました。

バスで少し走ります。

もう少しでつきそうです。

歩いて旧市街へ。向こうはお城らしい。本日行きません。街のさわりだけ。

あの先でトイレお借りして、少しだけ散策の時間があります。

土産物を売っています。キーホルダーやバッジのようなものなど、小物中心。

見るだけで楽しいです。

トイレは、各地1ズルチ~1.5ズルチくらいの有料。小銭なくてもおつり貰えます。

日本では有料は見たことありません。日本ではトイレは無料、しみじみとありがたい国であります。

広場と建物。壁の色、デザインの組み合わせが絶妙。

https://www.youtube.com/watch?v=zdGPlBPX2Gw

ポズナンの広場。うーーーむ、ヨーロッパ的。

カフェもそろそろ店開き。

最近では日本にもオープンカフェ増えましたが、雨の多い国ではこれからは大変です。

バスに乗って、今からトルンへ向かいます。250キロ先、4時間かかります。

ワルシャワへは高速に乗るといいらしい。

ポーランドの平原

ポズナンで小箱を二つ買いました。1つ14ズロチ、500円くらいでしょうか。

土産物なのでやや高い。一つは木彫りが趣味の人にあげる予定。

草野心平 一面の菜の花、一面の菜の花、一面の菜の花…原文平仮名だったかも。

山村暮鳥 「風景 純銀モザイク」 いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな…でした。

https://www.youtube.com/watch?v=bStrRN30QLo

どこまでも続く菜の花畑。

昨年のスペイン、一枚も動画とってないのでした。残念です。

トルンへ

カルフールはどこにでもあるらしい。フランスのジャスコみたいな店。

この日はバスの席替えで前方一人席。楽でした。36人だといろいろな人がいるわけで、次の食事の時、ちょっと…と思うことがありました。それはまた次の機会に。

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ブロツワフ 賑やかな古都

2017-05-24 | ポーランド慰霊の旅

 

さて10時過ぎにチェンストホバを出て、一路ヴロツワフを目指します。

ポーランドは高速道路が少ないそうで、一般道を四時間近くかけて走ります。


旧市街でバスを降り、今から遅い昼食です。レストランに向かいます。

教会の横を通って…ここは帰りにまた通りました。

小人のモニュメントがあります。

消防士。日本で言うと水木しげるロードみたいなものでしょうか。

旧市街の広場へ出てきました。第二次大戦でドイツに破壊され、こちらは復元されたとのこと。

きれいな色の建物です。


今日の料理

バルシチ。ロシア料理のボルシチからきているのでしょうか。

ビーツそのほかを煮込んだ具沢山のスープ。ビーツは漬物を使うようで酸味があります。

寒いところで野菜を保存する知恵でしょうか。

メインは鶏肉だったような…ザワークラフトに半分生キャベツを混ぜたのと、ニンジンの細切りサラダ、ジャガイモは定番です。

旧市街地を歩きます。町がつくられたのは10世紀、以後、各時代にオーストラリア帝国、ドイツ、プロイセン、ボヘミアに併合され、1945年からはポーランドになりました。

ポーランド人の誇りのような街、忠実に復元した熱意にそれを感じます。

華麗な装飾の市庁舎前で。広場は観光客多し。このあと向かいのスーパーで買い物して、サフラン一箱16.5ズロチを1.65と勘違い。7箱も買ってしまった。。。。急に現地通貨が心細くなる_| ̄|○

スペインではサフランとても安かったけど、この国は産地でないので値段は日本並み。

華麗な装飾の…ここは酒場です。

呑んだくれの主人と迎えに来た奥さんのレリーフ。ユーモラス。

噴水

小さな建物二つは「ヘンゼルとグレーテルの家」という観光施設。

小さな門が付いています。

続いて百年記念館へ。

ポーランドがナポレオン率いるフランス軍に勝利して100年後、20世紀初頭に建てられた鉄筋コンクリートの大きな建物。

建て方もさることながら、様式が当時はとても新しかったことでしょう。古典様式を脱却して、セセッション(分離派)という様式ではないかと思います。

複雑な装飾を廃し、直線などを多用したすっきりとしたデザイン。世界的に流行し、日本にもこの様式の建物が残っているようです。

ただし二つの大戦のころの建物なので、特にセセッションの建物はナチスの行進の背景などとして映像に残っているので、私的にはぎょっとする。

しかしまあ、20世紀の輝かしいモニュメントとして、巨大なホールを鉄筋コンクリートで作る建築学的に意味からも重要な建築と思います。

大きいです。窓がたくさんあって、緯度の高いこの地で、光を取り込む工夫がされているようです。

裏に回ると大きな噴水。この付近は大きな庭園になってますが、もう閑散としています。

すでに16時過ぎ。今から3時間半かけてポズナンまで。

この日は特に移動距離の長い日でした。

このあとまたしても菜の花畑。行けども行けども、畑ばかり。

https://www.youtube.com/watch?v=bStrRN30QLo&feature=youtu.be

ボズナンのホテルには午後7時半に着き、8時からバイキングの食事でした。

ツアーの皆さんとも少しずつ話をするようになります。今回は一人部屋の追加料金が安くて、一人参加の人が多いです。

「みなさんは、もう他に行くとこないからポーランドへ来たんですよね」と添乗員さんに言われたとおり、外国旅行が初めてという方は皆無。皆さん旅慣れています。

私は自分のことおとなしい人間と思っていましたが、動画見て見方を変えました。けっこう好き勝手にしゃべっている。反省。

皆様、おやかましゅうございました。失礼しました。

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5/10 チェンストホバのヤスナグラ修道院見学

2017-05-23 | ポーランド慰霊の旅

さて観光中日のこの日は、クラクフを7:00に立ち、チェンストホバ、ヴロツワフを経由してボズナンまで、北へ500キロ、バスで8時間の長旅です。

車窓から。朝もやをついてバスはひた走ります。ポーランドは平原の土地という意味。

山はありません。どこまでも続く平原と低い丘陵。

二時間走って午前九時前。バスから降りて、今からあの教会へ。

この日はとても寒く、皆さん防寒具を着ています。

9時に案内の神父さんと待ち合わせの予定。でもなかなかお見えにならないので、入り口で30分待ちました。寒いです。

この教会はマリア様をお祭りしています。スウェーデン、モンゴルの侵攻から町を守った聖画「黒いマドンナ」を見学します。

まず宝物館の見学。

古文書。封印が立派。

聖書とイコン

宝物各種

奉納された楽器。ストラデバリウスもあるとのことでしたが。。。。空耳だったかな。

もしそうなら保管するより、使った方が楽器のためにいいのではないでしょうか。

文書や奉納品。

信者の寄進した貴金属など。聖母子像ははきらびやかな王冠を付けて飾られます。

こちらはスペアの額各種。人々の信仰が篤いことがわかります。

祭壇が立派です。

ロマネスク様式でしょうか。軽やかな色彩、華麗な装飾のパイプオルガン。

この後、ミサの見学。

https://youtu.be/monDAxurWLA

この日は9歳になった子が教会にお参りをする日で、たくさんの女の子がみな真っ白なドレスを着て頭には花の髪飾り、お父さん、お母さんに連れられて来ていました。

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=uwZT7rE_Suw

男の子はあまりいなかったので、ドレスを着るのが楽しみな行事になっているのかも。

10時過ぎ、修道院を出ます。だいぶ暖かくなってきました。

黒いマリアの説明。

https://www.youtube.com/watch?v=VVPMV-g6bXQ


こちらもカトリックの聖地で、ヨハネパウロ二世がミサをした時にはたくさんの人が集まったそうです。

大変に見ごたえのある修道院でした。社会主義の時代を経ても、人々の信仰心はゆるぎないものだったのでしょうか。

などと、感慨に浸る間もなく、次の観光地、ヴロツワフを目指し、バスはひた走ります。

どこまでも続く平原。菜の花は畑にすき込んで肥料にするという話でしたが。

午後からはヴロツワフ見学です。

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5/9 世界遺産カルヴァリア・セブジドフスカ観光

2017-05-23 | ポーランド慰霊の旅

 

さて、食事の後はバスに一時間ほど揺られ、カルヴァリア・セブジドフスカへ向かいます。

この地は17世紀初め、地元有力者がゴルゴダの丘に見立てて、礼拝所を作ったことに始まり、以後反宗教改革、カトリックのポーランドでの拠点として教会や礼拝所が増えたそうです。

景観全体が1999年、世界遺産となりました。

バスは山に向かってどんどん上がっていくと思ったら、急に空がかき曇り、お手天気不安定。ポーランドも、今年は春がななかなか来ないそうです。

教会に向かいます。みぞれが降ってます。サブーーー))))

聖母教会内部。金多用。日本のお寺に似ている。

信者の寄進した貴金属

裏山。お堂がたくさんあるそうですが本日は見学なし。

教会に付属して特設の台があり、そこでポーランド出身パウロ二世がミサをした時には、この教会周辺、150万人が集まったそうです。

カトリックの聖地。

表へ廻ります。インフォメーションらしい。入りません。

教会周辺の模型。ルネッサンスのあとのマニエリスムの建物群だそうです。

日本で言うと、山内にお堂がたくさんあった比叡山みたいなものでしょうか?

帰ります。お天気回復してきました。

振り返ります。たくさんの人がお参りしています。

https://www.youtube.com/watch?v=pLfIc96_M-E

下の方で草刈りをしています。ポーランドにもやっと春が来たようです。


ホテルに帰ったのは15時半くらいだったかな?

夕食まで間があるので、添乗員さんと有志で歩いて10分くらいの地元スーパーへ。

品数豊富。今回はジャム、はちみつなど瓶入りはやめて、軽いものをひたすら買いまくる。

お菓子とか

スープの素、ゼリー、サフランなど。


17時半、バスでレストランへ向かいます。

広い通りで下ります。ポーランド建国の王様らしい像があります。

トマトスープ…だったかな?

パンから作ったお酒を一杯頼み、同じテーブルの人とシェアしました。

支払いは私です。ポーランドは物価がとても安く、お金がほとんど減らなくて焦る私。

大きな買い物はカード払いです。

グラスワイン8ズロチなど。280円くらいでしょうか。これもそのくらいの値段。

メインは大きなお皿にニンジンの細切り、ジャガイモ、魚一切れ。前菜かと思った。。。。

でも昼のピエロギが多すぎたので、日本人には適量です。

アイスはおいしくいただきました。幸せ~♪

バスを待つ間、像の前に。

向こうに城門が。旧市街への北の入り口、フロリアンスカ門です。私たちは門の外のレストランで食事しました。外はまだ明るいけど、三泊したホテルを明日の朝は引き払うので、早めに部屋へ帰ります。

部屋は4階で、窓の外にカエデの木がありました。湯沸かしポット付き。水はエレベーター前に水タンクがありますが、早朝はまだ補充していないので、朝食会場でいただきました。

総じて、ツアー御用達のホテル、全然不便はありません。ないのは練り歯磨きにスリッパくらい。

私は使い古しのビーサン持参。濡れてもいいし、最悪靴代わりにも。

ホテルの前庭、鑑賞用リンゴ。

ホテルの朝食。ハム、チーズなどが種類豊富。豆のトマトソースはおかずに添えるらしいけど、私はスープのつもりで。ごちそうさまでした。

昼夜、何が出てくるかわからないので、朝はとりあえずしっかりいたただきます。

 

三泊したクラクフともお別れ。5/10は5時半起床、7時にはロングドライブに出発しました。

ポーランドは広いです。去年行ったスペインよりまだ広い。まだまだ旅行記は続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5/9 ヴェリチカ岩塩鉱へ

2017-05-21 | ポーランド慰霊の旅

さて、寝苦しいアウシュビッツ見学の日の夜も明け、本日、郊外の岩塩鉱の見学です。

クラクフ南東15キロ、バスで30分ほどで着きました。ツアーが36人と大所帯なので、添乗員さんが毎日席替えをしてくれたので、気持ちいい旅になりました。感謝です。

入り口前。朝ですが、見学者がもう並んでいます。

ユネスコ世界遺産

10人ずつくらいがエレベーターに乗り、一気に地下へ降ります。

https://www.youtube.com/watch?v=0f5uuCuhPWA

騒々しい私。反省。

展示

坑道。木で補強。金属は錆びるので不適。

ポーランド建国神話?らしい塩の像。全体を彫り出したものらしい。

塩の結晶

吹き出す塩

塩がしみ込んで木組みは頑丈になるらしい。

触ってなめてみる。ミネラルたっぷり。まろやか。

坑内、暑くなく寒くなく、湿度低く、ミネラルが浮遊しているのか、気持ちいい。

展示

大きな結晶と塩水のたまり


さらに降りていくと大きな空洞に教会がありました。

塩の壁を掘ったレリーフ

レリーフ

シャンデリア。ガラスに見えるのは塩の結晶をつづったもの。

上がっていきます。

大きな池。向こうへ洞窟が続く。

酔っぱらって船から転落死した人がいて、現在は遊覧船は運航していないとのこと。

塩の結晶と濃い塩水

地底の土産物店。ガイドさんはここで買わないようにと言ったけど、それは特定の店からバックマージン貰うからのようでした。

塩の入浴剤など。


地上で買い物して、外へ出ます。

色彩にほっとします

見えていたのはツアー客御用達のレストランでした。

スープです。寒いのでおいしかった。

ビエロギ。ポーランド風餃子。中国からロシア経由で伝来したとか。

ケーキはしっかりとした生地、甘くて半分くらい残す。

この日の昼食、向かい合わせは、我が家と同業者らしいマダム風奥様。

食事時の話題、ペットのワンちゃんはホテルへ預けてきたとか、昔はアメリカへ行くとレストランでインド人並みの扱いを受けて差別されていたけど、安部さんが何度もアメリカへ行ったから扱いがよくなった・・・・などと。

安部さんって前の内閣の時?とお聞きしたら、そうだそうです。

安倍さんが日本人差別しないでほしいと頼んだ話、寡聞にして知りませんが、そうだとしら何と親切な国民思いの人でありましょうか。しかし、いったい誰に頼んだんでしょうか。謎??

マダムにはそうですか?それはありがたいですね。とでも言えばよかったかな。

旅に出ると、普段決して出会うことのない人と隣り合わせになったりするわけで、これからの人生の指針となるような方、世間の広さを思い知らされる場面、などいろいろあります。

私はかねてから「**の奥様のオーラがない」と言われ続けてまいりました。その言葉は私にとって、永遠に解けない謎でしたが、今回、オーラとはどういうものか、その一端がわかりました。大変参考になりました。

しかしまあ猿真似は見苦しい。いまさら変えられないし、自分は自分らしく暮らすだけ。かな。

イタドリ。

ポーランドにもあるんだあ。折って齧りたかったけど、人様の敷地に生えてるので断念。

ヨーロッパまで行ってもやっぱり野草に反応してしまう、オーラとは程遠い私。

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君はアウシュビッツを見たか

2017-05-21 | ポーランド慰霊の旅

昨夜苦労して書いた記事にYou Tubeの動画をはめ込んだら、それ以後の部分が飛んでしまったので、がっくり。今夜再チャレンジです。それにしてももう帰ってから6日も経つのに観光半日分だけのアップ。いったいいつ完成することやら。


アウシュビッツ公式サイト日本語版

http://auschwitz.org/en/more/japanese/

最後の行をダウンロードすると、あなたのパソコンに日本語のPDFファイルが保存されます。

現地で私が撮った写真はすべて、二度とこのようなことがあってはならないという強い思いで公開するものです。展示資料の写真は情報源:www.auschwitz.orgに拠ります。

5/8 午後 クラクフから一時間余り、アウシュビッツに着きました。

バスを降りて今から強制収容所の見学です。

https://www.youtube.com/watch?v=l0AdDBX_WRc

入り口

高校生くらい?平和学習に来ているようです。

本日のガイドさんは中谷剛氏。ただ一人の外国人ガイドで、日本人専門にガイドされるそう。

しかし日本人の団体でも、時間が重なるとESGになるようです。

立派な方でした。

著作は「アウシュビッツ博物館案内」凱風社など。

入り口ゲート

https://www.youtube.com/watch?v=EVhUymkYNm4

当時は、高圧電流の通る有刺鉄線が二重に張り巡らされていた。

広いです。入場料は無料とのこと。

建物は元兵舎

珍しい花が。葉が合わさっています。寒さに適応したのでしょうか。

勝手に「ポーランドツキヌキナズナ」と名前つけてみました。

展示を見ます。ヨーロッパ全体からユダヤ人が連行されました。

駅に降ります。

働けない者はすぐ殺害。働けそうなものはわずかな食事で強制労働。2、3か月で絶命したそうです。補充は欧州一円からいくらでも。

初め銃殺。後に薬殺。使ったのはチクロンBという殺虫剤。個体で、水蒸気と反応して猛毒ガスになるそうです。

その空き缶の山。

アウシュビッツが狭くなり、ビルケナウに収容所を増設。

連行されるユダヤ人は、手に持てるだけが全財産。後で返すと言われ、トランクに名前を書く。

食器。食器は食べ物を受ける器。命の綱。

携帯コンロなども。

ブラシ各種。小さいのは石鹸を泡立てて髭剃りに使う。

このあと、教室三つ分くらいの広さの部屋いっぱいの女性の髪。毛布や毛織物にしていたそうです。

お下げ髪を切ったのも別に展示。持参の念珠で思わず手を合わせました。

髪の毛の写真は撮っていません。

髪の毛はこちらにあります。→ http://4travel.jp/travelogue/10152639

死の壁。この前で8千人くらいが銃殺されたそうですが、殺す方の負担が大きいとして、ガス殺に変更されたとか。

この先には拷問をした部屋などもあるそうですが、この日は見学しませんでした。

通路は石交じりの堅い土。収容者が整地したそうです。

ローラーが残っています。

所長官舎跡。真ん中やや右寄りのシダレシラカンバの先に屋根が少し見えています。

ここで家族で暮らしていたとか。

立ち入れません。

戦後、所長を処刑した絞首台。

ガス室へ行きます。

ガイドさんに案内されて今から入ります。

 

当時は照明はあったのでしょうか。天井は低いです。

シャワーを浴びると言われ、服を脱いでここに入ります。

チクロンBを投げ込む穴。人間の体から出る水蒸気と反応して青酸ガスが発生、2~30分で全員死ぬそうです。

隣は焼却炉。灰は川に流したり、原野に捨てたり。

主な見学は終わりました。

ガイドさんについて元へ戻ります。


バスに少し乗って、次はビルケナウの見学です。

向こうに見えてきました。

引き込み線が向こうに続きます。

あの先で、ユダヤ人が貨物車から下ろされた。

有刺鉄線の囲い、見張り台、収容所など。向こうが見えないほど広いです。

この建物はトイレだったそうです。用便は指定された時間だけ。

このトイレに新生児を隠し、現在まで生き延びた人が何人かいるとの話でした。

収容所内部。藁を敷いて布団代わりにしていたそうです。


https://www.youtube.com/watch?v=0KCPu9J7l_0&feature=youtu.be

外へ出て見学は終わりました。流れ解散になってしまいましたが、全員で中谷氏にお礼言う場面がぜひ欲しかった、残念です。

ポーランドにわたってガイドの資格を取り、立派な案内をされることに感銘を受けました。そのおかげで、虐殺の内容の一端と平和への思いを新たにしたわけですから。

今でも時々、あの髪の毛を思い出す。心の中で手を合わす。気持ち悪いとは思わず、成仏してくださいとも言わない。思いは受け継ぎます。それだけです。それ以外に何がある?


見学終わったらもう夕方。それからまたクラクフまで帰ります。この日はとても寒く、最高気温が8度くらい。

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クラクフの中央広場とオシフェンチム(アウシュビッツ) 5/8

2017-05-19 | ポーランド慰霊の旅

クラクフ中央広場は4万㎡、中世から残る広場としてはヨーロッパ最大級。

花屋さんもたくさん。向こうは織物会館。色遣いがシック。中は土産物各種。歩いて楽しいプロムナードでした。

観光乗合馬車も楽しそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=8mKJyutg2cM


食事の後はアウシュビッツへ移動。セキュリティチェックの後、大きな荷物を預け、専用のトランシーバーを借りて見学です。

ガイドは唯一の外国人ガイド中谷剛氏。分かりやすくてとてもいい解説でした。同じ時間帯、関西の電鉄系旅行社のツアーもいたので、私たちはラッキーでした。

強制収容所入り口。ARBEIT MACHT FREI

ここで28の民族、150万人以上が殺害されたと言われている。(地球の歩き方2017~18 中欧より)

今から見学します。緊張します。

https://www.youtube.com/watch?v=EVhUymkYNm4

中谷氏の紹介など

http://www.huffingtonpost.jp/ibuki-saori/post_9105_b_6738410.html

なぜ安全検査があるのかと言う人がいました。

現在の世界情勢に引っ掛けて、反イスラエル勢力があるいは…と私は思いましたが、ここでは主義主張、政治的立場を超えて、人間の罪深さを知る場所だと思います。

きれいな花も景色もなく、ただ荒涼とした景色とむき出しの残酷さだけ。それを感じる場所。

日本には「善人猶もて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という宗教があります。しかし、彼の宗祖もここまでのことは想定していなかったでしょう。原爆投下を正当化する軍人もしかり。

このことを知ったなら、その宗教観も再構築せざるを得ず、もっと深化せざるを得ないでしょう。

果たして弥陀の本願はそこまで面倒見てくれるのか、一瞬も悔い改めることがないものにさえ。

今、所長だったロドリゴ・ヘスの供述調書読んでるけど、とっても気分悪くて読み進めるのに苦労しています。

全体に思うのは思考に柔軟性がないこと、相手のことを思う想像力がないこと。全部読み終えることができたら、またこちらで報告させてください。

 

 

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ワルシャワで風邪をひきました

2017-05-17 | ポーランド慰霊の旅

連日10度以下の低温、最後二日くらい、やっと暖かくなりました。

5/13 10:00前の天気と気温の予報。テレビ画面より。

帰国する日、歩いて10分くらいのワルシャワ中央駅に出かけました。

駅前から周辺を見渡してみます。

https://www.youtube.com/watch?v=tryrZDPi5m0

寒かった~ ホテルの中が暖かいので油断していました。

で、風邪ひいて、帰国して3日たつけどまだ治ってません。というか、日本へ帰ると乗り物の中、冷房が効いていて、よけいに悪化しました。夜中に咳がひどくて眠れません。

毎日寝たり起きたりしているのに、明日はイレギュラーで姑様の通院の付き添いです。

帰国したら、頭打ってました。

一人で屋上に上がり、プランターの花を摘もうとして転倒、コンクリートに頭打ちつけたそうです。内出血で、額から目の周りにかけて青くなっています。軽い頭痛のほか症状はないので、そのうち納まるだろうと夫も思っていたそうですが、本日、包括支援センターの方との定例会合、その場で念のための受診の話になりました。

姑様は何かにつかまらないと歩けないのですが、時々きちんと歩ける気がするようで、手放しで歩いては転倒します。そのたびに、骨折、脱臼、打撲、手術したこともありますが、本人は忘れています。

自分の親なら、必ず何かにつかまって歩きなさいと強く言うところだけど、夫は「歩こうという気になっただけで、元気になっている証拠」と喜び、私の考えを姑様に言ってくれません。自分の親はひいき目に見たいのでしょう。

そんな姑様放置してヨーロッパをうろうろしている不出来な老嫁ですが、転ぶのは一瞬のこと、私が日本にいようが海外にいようが防ぎようがないことであります。防ぐ手立ては唯一、本人が常に何かにつかまって歩くしかありません。

住んでいるところは手すりつけていますが、最近一年以上、屋上なんかに行ったことないのに、五月の気持ちいい風にあたりたくなったのでしょうか。

不出来な老嫁は今月、来月、遊びの予定いろいろ、早く風邪を治して、姑様の打撲も大したことなかったという流れになってほしいものです。

インターコンチネンタルワルシャワに二泊しました。32階の部屋から、ライトアップした文化科学宮が見えます。社会主義時代の建物だそうです。

おりしも満月、月がとても低い。月の軌道は夏には低くなるんでしたっけ?

それにしても、風邪、早く治さないと。

 

 

 

 

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ショパンのピアノ曲を聴く

2017-05-17 | ポーランド慰霊の旅

https://www.youtube.com/watch?v=c_DLkob_yR8

ショパンの生家が復元され、記念館と公園などになっています。

緑の美しい庭を散策しているとピアノの音が聞こえてきました。繊細な感性がはぐくまれた地に立ち、音楽家の心に寄り添ってみる。

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5/8クラクフ歴史地区観光

2017-05-16 | ポーランド慰霊の旅

さて、5/8から観光です。9時半(だったかな)ホテル発とゆっくりですが、一人参加は寝過ごして迷惑かけたらいけないのでそう眠れません。6時までには目が醒めました。

ホテルのフロントで紙幣をコインに替えてほしいと頼みましたが、20ズロチを10ズロチ二枚に替えてくれただけ。それならコンビニへと尋ねると大きな交差点へ出て、右へ曲がれと。

散歩を兼ねてホテルの周りを歩きます。

鑑賞用のリンゴらしい。北国の遅い春。

マロニエ(セイヨウトチノキ)はどこにでもある。

大きくてわかりやすいホテル。

連接バス。付近は大学が多いそうです。

ホテル近く。

再び部屋に戻って、フランスの大統領はマクロン氏で決まりらしい。


9:30? バスでホテル発。前夜知り合った同郷の女性と隣り合わせに座った。きょうはこの人と一日お付き合いする。

前夜は、枕チップはユーロでもいいと添乗員から聞いて、いきなり私に向かって1ユーロ貸してと言うので戸惑った。貸してあげればよかったかもしれんが、私は人にお金は貸さない主義。しかし、120円で両替してと言われたら応じたかも。いつどのように返すか言わない人には、たとえ少額でも貸しません。

だいたい枕チップですが、皆さん置いてるんでしようか。2000年ころはいざ知らず、最近のアメリカ系のホテル、お金置いててもそのまま。忘れ物に手を付けないということになっているのかも。個人的見解ですが、不要と思います。何か特別部屋を汚したとか、頼みごとがあれば別ですが。

などと考えるうち、世界遺産、クラコフ歴史地区に来ました。

お城の下でバスを降り、坂道登ります。寒いです。朝は2度くらい。日本の真冬の寒さ。

向こうヴィスワ川。対岸に貴族の日本美術コレクションを展示した博物館があり、鯉のぼりが翻っていましたが、本日月曜日で休館。

1386年から1572年までポーランドの首都だったクラクフ、王宮のヴァベル城とヴァベル大聖堂を今から見学します。

王宮の中庭で、明日までのスルーガイドの日本人男性。クラクフだけの女性ガイド。

朝、石畳はひどく冷えていて、体調悪いです。

16世紀初めころ?の王様がイタリアルネッサンスにあこがれて作り変えたそうですが、ポーランドの気候には合わず使いにくかったとか、そんな話です。

教会は宗教行事で入れません。

ゆっくり歩いて、ヨーロッパ最大級と言われる中央広場へ向かいます。

ポーランドは田舎だと思っていましたが、なかなかどうして、瀟洒な建物が続きます。

添乗員さんに写真撮ってもらいました。完璧、真冬のスタイルです。

大きなパンを売る屋台。寒そうです。

黄色いコブシが珍しくて。

広場へ来ました。向こう、織物会館。中世は織物の取引をしていたそうですが、今は土産物店が入ってます。

立派な建物です。あまり威圧的でないのがポーランド風?

中はショップたくさん。私はここで琥珀のペンダント、買いました。バルト海沿岸は琥珀の産地とのこと。いろいろありました。

特産の陶器店。重いので買わず、横から写真撮るだけ。素朴な手描きの絵付けです。

観光馬車がお客さん待っています。嵐山の人力車みたいなものでしょうか。

再集合して聖マリア教会へ。正面祭壇。華麗な装飾。

堂内撮影は5ズルチ≠175円支払って服にワッペン貼ってもらいます。商売上手。

キリスト教のいろいろな場面のレリーフなど。

外へ出ます。気持ちいい五月の公園。

このあと食事して、いよいよアウシュビッツに向かいます。

田園地帯が続きます。アウシュビッツへはバスで1時間以上かかります。

アウシュビッツはドイツ人が勝手につけた地名で、本当はオシフェンチムというらしい。

見たくない人は行かなくてもいいけれど、結局全員参加。

観光というのは不謹慎だけど、ポーランドではぜひ見ておくべく場所。

道はオシフェンチムへと続きます。

強制収容所の詳細は明日以降にご紹介したいと思います。 

 

 

 

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