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「夜想曲集」 カズオ・イシグロ

2017-11-29 | 読書

2009年刊行の、著者には珍しい短編集。

テーマは音楽と、人が別れていくこと。どれも大きい事件があるわけではいけれど、売れない音楽家の悲哀、人の縁のはかなさが無駄なく深く描かれている。

その上に飛び切りのユーモアも仕掛けられていて、「降っても晴れても」では友人と結婚した昔の彼女の家に泊めてもらい、ちょっとした失敗を隠すため犬が暴れたように見せかけろと友人に言われて、言われたままにするうちに元カノが帰ってくる。

鍋で古いブーツを逆さにして煮込んでいるのを見た時の彼女の反応…ノーベル賞作家の作品と構えずに楽しめる作品になっている。おかしくておかしくて、しばらく笑いが止まらなかった。

長編だけではなく短編もうまい。面白かったです。短いけど、仕掛けはあって深く考えるようにもなっている。

 

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「浮世の画家」 カズオ・イシグロ

2017-11-26 | 読書

著者32歳の時の作品。内容は笠智衆が演じたらいいと思われる(もう故人ですが)渋く枯れた老画家、一時はその土地の画壇の中心にいて、市の有力者の売り出した立派な屋敷に、婚期を逃しつつある次女と住んでいる。妻は戦時中の空襲で亡くなっている。

今は筆を折って半ば蟄居する暮らし。戦時中、国策に協力する絵を描いたり活動をしてきたことが、戦後批判にさらされ、自分のせいで戦地へ赴いた若者がいたことへの忸怩たる思いから。

しかしその時には精いっぱいだった。今となってはひっそり暮らすのがせめてもの償い。ただあらぬ風評で娘の縁談に支障のあるのは親として何としても避けたい。

まるで擬古文のような、小津安二郎の映画のように、大きな事件があるわけでもなく、人との交わりを丁寧にたどる。丁寧にたどるのはそうだけど、英国で教育を受け、物心ついた著者は日本的な許しや自然や時間と一体化することで流していくという書き方ができない。

日本風に見えて理詰めである。それが読んでいてまどろっこしく感じるけれど、こう書くしかなかったのだと思う。古臭く見えて、新しいと言うか、たぶんどの国の人が読んでもわかるのではないかと思う。

舞台設定は思いっきり日本。戦後数年したある方都市。著者は日本が大好きな人だと思う。五歳で故国と引き離され、自分の中の故郷の思いを忘れるまいと必死だったと、「知の最先端」では述べている。1960年、イギリスには日本人はほとんどおらず、コミュニティもなかった。イギリスの教育を受け、イギリス人になるしかなかった。じぶんは何者か、その問いのために小説を書き始めたのではないかと私は思った。

自分って何?

自分の中の思いを文字に定着しないと自分が中身のない透明な人間になってしまいそうな不安。それは文学の萌芽で、world wideな広がりを持つ問題意識。だれしも、たまには立ち止まって不安になるから。今63歳くらい?この先どんな作品を見せてくれることでしょう。楽しみです。

 

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オーバーショット織りいろいろ

2017-11-25 | 機織り

今はこんなもの織ってます。ちょっと間違ってます


糸の太さを替えてみました。

9月にみんなで同窓会したとき、先生からいただいた見本。

ちょっとしたことだけど、先生のは柄がきれい。

私のは目と口に見えて、そう見えるとどうしてもそう見えてしまうわけで、気になります。


備忘として

11/8 整経

端を入れて19cmの長さのコースターを14枚織る。前後に今回は85cmの余裕を見て整形長は351cm

34で一模様を二模様半で86本。2本取りにして混羽で通すので172本。

糸巻きは4つしか持ってないので整経は43回転。

11/9 粗筬に通す。

11/10 綾返し、織り機に男巻セット、綜絖通し、筬通しまで一気に済ませる。奇跡的に間違ってなかった!!

11/14 織り始め。糸が細くて柄が寸詰まり。めげる。あまりたくさん糸を持ってないので細い糸を2本取りにしたりしてしのぐ。

考えてみたらコースターや花瓶敷、たくさんできた。人に差し上げたいけど、手芸品はすべからく迷惑かも。

私は細い糸で複雑な柄を織るのが好きかも。次はまたそういうのをやります。

一つの通し方で、違う踏み方で柄は14通り。これはこれで面白そうです。

今年中には終えたいけど、はてさて。

 

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岩国・名残の紅葉

2017-11-23 | 旅行

今年は全然紅葉見ていない・・・と言うので岩国へ行くことにしました。

我が家からはR2バイパスと広島岩国道路、山陽道経由で約一時間です。

錦帯橋は渡らず、奥の紅葉谷を目指します。

お寺が道沿いに並んでいます。

秋の陽

静かです。観光客はここまでは来ません…と言う私も観光客。

京都まで行かなくても、石庭もあります。

さらに谷あいの奥へ。

陽だまり

冬はそこまで。

公園の奥へ。

東屋は戦時中に韓国より移築。

絨毯

吉香神社

快晴

ムクロジと紅葉。ムクロジの実は羽根つきの重りにする。


続いて岩国市玖波町の食事処「山賊」へ。

祝祭空間。

店内。

名物、山賊結びに山賊焼き。

こちら「天下大平」。こういうのをインスタ映えというのかしら?

外で食事もできます。

家族連れが多くて、食の遊園地みたいなお店です。

午後3時には帰宅。夫は姑様に日課の歩行訓練、私は洗濯。あともいろいろと。

時間を作ってしっかり遊んだ一日でした。紅葉もそろそろ終わって、冬はそこまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金髪碧眼・ウェルカムパーティー

2017-11-20 | きもの

姫様と。

食よし、器よし、会話楽し。

テンノーはんの使わはった器各種。

メイジエンペラー、ユーズド、ジィーズディッシュズ。

ウワオゥ!!

盃洗。遊び心と技と。 

当地にあったさる料亭、廃業時の払い出し、輪島塗だそうで。

値段に仰天。私は公民館バザーで100円?50円?で買った春慶塗の重箱にフルーツ各種詰めて持参。

昨日の着物は、京都のさる骨董市で1,000円。言わなきゃいいのについ安かったと自慢して、人に何と思われるか…ついでに300円の着物もネタにする。

皆様、ビンボー臭い話でごめんなさい。

いえいえ、昨日の参加者、人に貸してもらった着物(訪問着または色留)で結婚式に行ったら、今は亡き作家の作品で流通価格一千万以上と言われたという豪勢な話もありました。

金髪のお姫様に説明するのは私の役目。

オー、シィセッズ、シィーウェアド ザキモノドレス 。ザプライスワズアバウトオゥヴアテンミリオンエン。

ウァオウ!!

彼女は英語は母国語ではありませんが、英語は普通に話すようです。

おばあちゃんがフィラデルフィアというお菓子を作ってくれて、それが好きだそうで。話聞くとシュトーレンみたいなお菓子のようでした。

着付けと英語、気が張ってたけど、過ぎてみれば楽しかった~

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金髪碧眼・大振袖

2017-11-19 | きもの

ごめんなさい。緩んだーーー

裄は足りなかったけど、おはしょりなしで身丈充分。

聞いたら175cmだそうで。腕の下をくぐって前に回って着つける私。

一緒に

ありがとう、みなさん。楽しかった~

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紅葉だより・岡山

2017-11-17 | 旅行

高速バスで岡山へ。四国の人と待ち合わせて、紅葉を見ます。

あちらへ行きます。穏やかなお天気。

だいぶ色づいています。

人出はまあまあ。

藩主の休憩所。特別公開。

展望台から。

鮮やか。

撮影。

振袖。

帯結び。

街道筋。

イタリアンレストラン。ステリーナ。電停「城下」と公園の間。

サラダ。フルーツいっぱい。

パスタとピッツア。パスタは撮り忘れ。

嬉しいデザート。飲み物、パンがついて1,500円。リーズナブル。店内女性観光客でほぼ満席。

いい雰囲気のいいお店でした。

あとはひたすら商店街、天満屋、駅まで歩く。私たち、歩くの大好き、しゃべりながら。

今日の話題は着物のこと。横綱の豪勢な大島のアンサンブル。幅が広いので高い。お母さんの白大島の訪問着、多宝塔の柄、でもお茶会で着た。娘の振袖、袖切ってる。喜寿の祝いに着る。見たことないような豪華な振袖、フリマで売りたいんですって。売ってたら買うけど、知り合いからは直接は買いたくない。孫に着せるたって押しつけになったらいけない。一生に一度の成人式、本人に選ばせないと。それに孫は大女になる予定。身丈150では合うはずもなく(縫い直せばいいんですけどね。そのくらいの値打ちはある。千總かも)…などと言ううち、時間はあっという間に過ぎ解散。

いい一日でした。

よく歩きました。

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「遠い山なみの光」 カズオ・イシグロ

2017-11-08 | 読書

静かに感動した。

初め文体は静謐、川端康成や志賀直哉風かなと思ったけど、でもやっぱりイシグロ風。日本人を描いても、きっちり説明すべきところは外さず、たぶんどこの国の人が読んでもわかりやすいと思う。

小説の中では二つの時間が流れている。イギリスの田舎、イギリス人と再婚した悦子。上の子は日本人との間にできた子、引きこもりの後、家を出て、その地で自殺する。二人目の子はロンドンで気ままに暮らしている。結婚する気もないらしい。これが今の時間。

もう一つは戦後しばらくしたころの長崎、出産を控えた悦子は近所の母子家庭の二人と知り合う。母親の佐知子は戦前はいい暮らしをしていたというが、今は借家暮らしで暮らし向きはよくない。女の子も気まぐれでこだわりが強く、つかみどころがない。

悦子の舅は戦前は教育界の重鎮で、皇国主義教育をしたことを後輩に論文で批判され、憤慨して反論のために福岡から長崎に来て、息子のアパートに逗留し、機会をうかがっている。

佐知子にはアメリカ人の愛人がいて、結婚してくれることを待っている。まず神戸に行って、愛人だけ先に帰国し、呼び寄せてくれるのを待つという。なんとも頼りない話である。佐知子は言うことがいちいちあいまいで、英語がよく喋れたり、謎の多い女性。

娘の飼っている猫は神戸に連れていけないので、悦子は飼育箱ごと川の水に浸けて殺してしまう。流される箱を追いかけていく娘。ほっとけばいずれ帰ってくると投げやりな佐知子。川の水は汚く、着物の袂が濡れる…汚いなあ。それも猫を殺すため。細部もうまいんですよね。

短い作品だけど、深く感動した。小説読んで感動すること、長く忘れていた。あれこれ考えずに素直に感動できる。いい景色見たり、旅に出たり、いい人に出会うのに匹敵する、いえそれよりもずっと大きな感動。

 

 

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尾道街歩き

2017-11-07 | 旅行

尾道へ行きました。JRは片道1,490円で約90分。宮島へ高速艇で行くより安い。

広島駅リニューアル。

片面から採光して、シャルルドゴール空港みたい・・・は言い過ぎかも。

尾道駅下りて、先ずは昼ごはん。

路地の向こうは狭い海、そして対岸の島。

店先

 

久しぶりです。相変わらず賑やか。

汐待茶屋花あかりさん。確か最初は尾道に住む夫親族と来たんだった。

照明

帯、造花、ぬいぐるみ

海至近。

汐待御膳。以前はこれにコーヒー、デザートもついていた。

リノベーション

テラス

看板。電子計算機は今の電卓のこと?

毛糸

おもちゃ

ゲストハウス

やっと着きました。ロープウェー乗り場近く。

遺作展だそうで、ご自宅をギャラリーにしています。

温かみのあるいい絵ばかりでした。

絵葉書三枚、頂きました。水彩画です。うまいなあーーと思いました。


ロープウェー代節約して登山します。本日がけ崩れの補修中で、大回りして千光寺まで。

尾道水道と尾道大橋。絵になる風景。

向島と造船所。

美術館前

秋の猫

置き忘れ

再利用。元は魚の行商用。

山陽本線の電車が通るのを待つ親子。

40年近く前の息子(現在も引き続き鉄道好き)と自分のようで、ついウルッとする私。

子育て頑張って。いい子に育ててね。って老婆心そのもの。失礼しました。


本日のお買い物

ネックウォーマー、カーディガンなど。カーディガンは広島に戻ってから駅ビルで買う。

この格好で歩いているおばあちゃんがいたら私です。声かけてくださ~い。

スプーンを入れてみました。


きょうはデイケアの日でしたが、夜はいろいろありました。毎日いろいろなことがあります。子供が日々変わっていく逆の方向へ。自然の流れだけど、本人も周りもそのことになかなか慣れていけません。

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「わたしたちが孤児だったころ」 カズオイシグロ

2017-11-04 | 読書

長編である。文庫本で本文だけで530pもある。がしかし、読みやすいので毎日寝る前と、朝、夫が起きてくるまでに少しずつ読んで、約一週間で読了。

1910年代、辛亥革命の後、上海の租界に両親と暮らしていたイギリス人のクリストファー・バンクス少年。近所の日本人アキラと探偵ごっこをして遊ぶ幸せな少年時代。父は貿易会社の上海駐在員。母は聡明で美しく、アヘン撲滅運動をしている博愛主義者。

が、ある日突然父が失踪し、しばらくして母も行方不明になる。少年は帰国し、伯母の庇護の元、ケンブリッジ大学を卒業して私立探偵になる。

探偵として成功をおさめ、社交界にも出入りするようになったバンクスだが、どうしても父母のその後の消息が知りたくて、上海に戻る。

青年時代に知り合った社交界の花、サラ・ヘミングスは年配の貴族と結婚して、一足早く上海に出発していた。

1937年秋の上海は、満州事変から上海事変へと日本軍がずるずると大陸での戦線を拡大していた時代。遠くで爆撃の音や銃声が聞こえる街で、クリストファーは昔のつてを頼り、必死で父母の消息を探して歩く。

そして、昔、腕利きの刑事だった老人に巡り合い、ある事件の捜査で、軍閥からの圧力でどうしても調べることのできなかった家のあることを知る。

そこに父母は今も幽閉されているに違いない。爆撃で破壊され、戦闘の続く町を、クリストファーは捜し歩く。

サラ・ヘミングスは夫に愛想をつかし、一緒にマカオに逃げる約束までしているのに、ちょっと行ってくる、大切な用事と言い残し、結局それが永遠の別れとなる。

が、しかし両親は見つからなかった。1958年になって、やっと昔、母親の誘拐される日、子供だった自分を連れ出した老人と再会する。

彼の口から語られるのは驚くべきことだった。香港へ向かったクリストファーはさる慈善団体の施設へと向かう。。。。

前に読んだ「日の名残り」が淡々と物語が進むのに対し、こちらは一見推理小説、犯罪小説のようでもあり、読者も一緒に謎に付き合う仕掛け。話の運びが強引なところは作家の力不足ではなく、その不安定さが孤児としての情報の少なさ、つながりの希薄さを描写しているのだと思う。

二作しか読んでないのだけど、カズオ・イシグロは子供のころの、昔の失われそうな記憶、暮らしぶりをせめて心の中だけでも大切にしたいという思いの強い人ではないか。そう思った。

五歳で日本を出て、ついにはイギリス人になってしまった作家の経歴に安易に結び付けてはいけないけれど、記憶や思い出をとても美しく書ける人だと思った。

「日の名残り」ではホールと呼ばれる貴族の大邸宅での暮らしが読んで面白かったけど、この小説では上海の日本軍と中国国民党、共産党との闘いと破壊の場面が秀逸。その中を父母のいるかもしれない家を捜し歩く。絶望的で残酷で、やがて死にゆく人間の断末魔の叫びは民族国籍に関係なく共通のものだと思いつつ、がれきの街をさまよう。

おそらく今、シリアで行われている殺戮と破壊もこんな感じなのだろう。いくらニュース映像を見てもわからない迫真の描写に戦慄した。

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