それはこちらでございます。
某信者団体の新聞か何かに連載されていたようです。
アマゾンでは歌人の書く小説、山場がないと星三つですが、私はなかなかどうして面白く読みました。
どうしてかって・・・著者とは短い期間でしたが、近所付き合いし、お互いの家を尋ねあってお茶しながら、時には夕食に招待したりされたりしながら、いろんな話をしたからです。市内、山の麓のマンションにも一度お邪魔しましたね。
もちろん小説ですから、作り事として読まないといけませんが、この中のエピソードのいくつかや、主人公の夫は、現実のかつてご主人だった人を彷彿とさせます。
また、ご主人の田舎の家族とのやり取りなども、当時リアルタイムで聞いていたので、彼女がそれを消化して書くまでには40年近い時間が必要だったのだなと、思った次第です。
著者はよくご主人に仕え、賢くて優しい人だったのに、何で別れてしまったのかと謎だったけど、この本で少しは理解できました。
妻に文才があり、勉強していい作品を残したいと頑張っているのに、それに嫉妬するなんてなんて小さな男でしょう。医者なんですからね、美しい妻は自慢の種。世間から認められるほどの能力のある妻を持つことは、それ以上に自分の価値を上げることにはなりませんか。
Q先生、女を家に閉じ込めてはいけませんね。って、やっぱり小説と現実を混同する私。
それに当地を去ったいきさつの一端も分かりました。卒業した学校、学科、専攻の封建的支配がずっと続く業界。理不尽なことも呑みこんで耐えるか、出ていくか。去るも地獄、残るも地獄。彼女は=小説の主人公はとても頑張り、しなくていい苦労もしたと思う。
別れる前の修羅場では思わず涙が出た。
広島、チェルノブイリ、福島、インドのペレナス。主人公は各地を訪ね、生きること、死ぬことについて考えを深めていく。人生は一つの橋、誰もがそこを渡って行く。
大学時代の男友達と再会し、たまに会って話をし、被爆二世の彼がもう予後もあまりない時、自分もまた同じ病気になったことを告知される。
訪ねたガンジスの岸辺で、大勢の沐浴をする人の中に、亡くなった父母に似た顔も見つける。
そこは此岸と彼岸が接する場所。大きな自然を前にして、自分が生かされるのも死んでいくのも、自然の中の現象。怖くはない。精いっぱいに生きればいいんだと、私なりの読後感でありました。
おそらく書店にはないと思い、中区図書館まで借りに行く。
いいお天気です。電停から歩いて行きます。萬代橋の上から平和大橋方面を見る。元安川にかき料理の船が浮かんでいます。
到着。いいお天気です。ついパチリ。
本借りて裏へまわります。梶山俊之文学碑は25年くらい前に地元有志で建立。何でもこの辺に生家があったそうで。私も一口くらい参加した気がする。
向こうは本川と神崎中島橋。
川の見える一階はレストランに。
原爆投下時までは県庁、あとは青果市場、そのあと県や市の施設色々。昔は広島藩の船屋敷があり、水主町と呼ばれてましたが、いつの間にか加古町と字が替わっている。
それじゃこの土地の来歴が分からん。字だってむやみに替えてはいけないと私は思う。
もう一度返しに行くのが邪魔くさいので、図書館の近く、河岸のベンチでで読むことにしました。
目の前を宮島行きの遊覧船が。
鷹野橋まで行って遅い昼ご飯食べて、ぶらじるでコーヒー飲んで、また川岸まで。
だいぶ日が傾いてきました。元安川と新明治橋。ここで最後まで読んでその足で返却、帰宅。
借りずにアマゾンで買えばいいのですが、すぐ読みたかったし、ちょっと複雑な思いもあり、今回は借りることにしました。M浦さん、大作、お疲れ様でした。
川と橋の広島。河岸は木がいっぱいでくつろげる場所。寒くなるまでせいぜい外出を楽しみたいものです。