昨日の歩数 15,591歩 よく歩きました。
連休明けたら、なんとなく年末気分。何をするわけでもなく、でも忙しい一日だった。
ケーキ焼きました。一部、お姑様に届けます。きょうは一日デイケアに行っています。初めは嫌がってたけど、気分も変わるらしく、今は元気に出かけています。変わったことして、違う人に会って、それもまた刺激になっているようです。
きょうは二つも焼いてしまった。これはうっかり強力粉入れて、粘りまくって、蒸しパンみたいな食感になりました。
本日、長野県飯田市の友人からフジが、昨日、母から柿が届く。
飯田市の方は10年くらい前に一度お会いしただけ、でもこうしてご縁が繋がっている。ありがたいことです。
柿は、伯父が亡くなり、従兄も亡くなり、今は退職した従弟が作っているという。人はいなくなっても、植えたカキの木は毎年忘れずに実を付ける。
今夜は、夫が会合で留守。自分の好きなものを好きな時間に食べる。ああ、幸せ~
讃岐の郷土料理、しっぽくうどんです。野菜いっぱいの煮込みうどん。金時人参をバスセンターで買ったので作ってみました。金時人参でないとおいしくありません。
夫は具だくさんのうどんが嫌いで、一人の時に食べることが多いです。
増改築して25年、屋根の吹き替えをすることにして、今朝、業者さんが見積もり持ってきた。家はメンテナンスにもお金かかるから、建てれば安心というわけでもないんですね。
人も歳とり、家も古びる。しんみりと寂しくなったりして。
きのう小説読んだ後、いろんなことを次々と思い出した。週に一度、職員住宅の我が家で、M浦さんと二人で着物着る練習していたんだった。彼女は子供がなかったので、一歳にならない長男のいるうちへ来てくれていた。
子供が出来たら・・・という名前を付けるの。土曜日、我が家の三人でボウリングに行ったら、彼女もご主人と来ていて、そんな話をしたこともある。カンロ飴貰ったんだった。
海が近くて、夕方一時間くらいでバケツ一杯のアサリが取れていた。でも死んでしまったの。それは砂を吐かせないと。彼女はおっとりしたところもあった。私の方が田舎者。
それからそれからたくさんのことを話した。20代後半、まだまだ学生気分が抜けず、よく二十歳前後の頃の話もした。私が受験し、結局行かなかった東京の私大の一年上と分かり、その話もよく出たかな。とにかく大変な時代だったということで意見が一致。
職員住宅は一階が台所と六畳くらいのダイニング、四畳半。二階は六畳が二つ。でも充分な広さだった。二軒長屋だったので、一軒置いた彼女の家は我が家と間取りが全く同じ。
小説の中にあるロッキングチェアーが、彼女の家にも置いてあった。
主婦が文学に走るとどうなるか。家庭生活と折り合いをつけながら書き続けるのは至難の業。
書くことは始めると途中で止めるわけにはいかない。アマチア時代には、勉強会に出ることもあり、時間を作るのが大変。
理解のある夫ならいいけれど、小説の中の夫は遅く帰ると鍵かけて家に入れてくれないし、大事な資料や本、原稿などを家の外にばらまくなんて、そんな人とはやっていけないわなあ。
書くことは生きることと同義だから、死んだつもりでいい主婦するのはもう無理だったのだろう。自分が何をしたいか分かってしまった後には。
いゃあ、相変わらず、現実と小説、ごっちゃにしています。
私の話。地元同人誌に来ていた女性達、独身や結婚していても子供のいない人、年配の人が多かった。ご飯作って食べられるようにして、着替えて、子供を頼んで、それでもそこで文学に触れることで、やっと息ができる様な気がしていた。
上の子二人が小学生の頃、日曜日に家族で出かけることは稀。私はいつも家にいて机に向かっていた。夫が車でいろんなところへ連れて行っていた。遊べるのはあの時しかなかったのだけど、その時はそれどころではなかった。今になれば、後悔しているけれど。
私の場合、夫に頼めたのは幸いだった。そして大成しなかったのも、結果オーライということにしよう。
世の中には妻が外で文学活動するのが気に入らない人もいるって、昨日の小説で初めて分かった。夫のモデルの人を知っているだけにちょっとショツク。
人は誰だって、幸せになりたいと願っている。でも、もうここに居ては幸せになれないと分かったら、思いきることも大切。何も持たず、新幹線に乗って実家へ帰り、三か月後だったかな、荷物取りに行ったら、荷物を部屋の真ん中に盛り上げて、紐で囲み、これ以外は持ち出すなと札がぶら下げてあった・・・
それを書くのに長い時間が必要だった・・・