https://www.youtube.com/watch?v=VU68ECwe2is
昨夜、BS番組でルルドの蝋燭行列していたので、懐かしく、つい動画を探した。
壊れかけの前のPC、もうすぐ駄目になるかも。せめて旅行の写真だけでも取り出しておきたいけど…毎日遊びで忙しい。
https://www.youtube.com/watch?v=VU68ECwe2is
昨夜、BS番組でルルドの蝋燭行列していたので、懐かしく、つい動画を探した。
壊れかけの前のPC、もうすぐ駄目になるかも。せめて旅行の写真だけでも取り出しておきたいけど…毎日遊びで忙しい。
7/1 ルルドの街を出てはるばると国境の近くまで、そこは氷河が作った美しくも雄大な切り立った崖のある景色でした。
到着後、あの向こうにあるはずが頂上は雲。
これは以前にもアップしましたが、防寒具を着込んでいざ出発。
取り敢えず歩いていきます。広いです。
川の横を通って。雪解け水で水量豊富。
もうすぐ晴れ上がりそう。行けども行けども谷の奥には近づけません。
今来た道を振り返る。周りは3,000m級の山々。
同じ場面だけど、露出が違うとこんな感じ。
近くて遠いのが田舎の道。すぐ向こうに見えますが、だいたい二時間歩かないと滝には着かないそうです。
あまりに広くて、24人のツアーなどすぐにほどけてしまいます。
いちばん大きいのが落差422mのヨーロッパ最大のガヴァルニーの滝。その他無数の滝が。山頂から谷底までは高度差1,700mもあるそうですが、一番通りやすいところにスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路があり、昔から人が歩いていたそうです。
ちょっと三蔵法師のヒマラヤ越えを思い出しました。信仰の力は山をも越えて行きます。ガヴァルニーの村は昔から、そのための宿などもあったのでしょう。
帰り道。川を横切ります。
草むらに亜高山帯の花多数。
振り返ると・・・晴れてきました。
雄大な景色にすっかり魅せられました。もう二度と行くことはないだろうけど、好天に恵まれた花の時期に行けてけつこうでした。
本日は月に一度の器の絵付けのお稽古日だったけど、用事で行けず。残念。夜になって帰宅。忙しい一日でした。
午後からミディ運河をクルーズします。運河は17世紀、ルイ14世の命令で、約30年の大工事の末に完成。
これによりフランスの地中海側と大西洋側が直接結ばれ、物流が便利になって流域は大いに発展したそうです。
19世紀に鉄道が発達すると交通機関としての役割は終え、今は観光地として賑わっているそうです。
乗り場はカルカソンヌ駅前。フランスの国鉄は6/10に行ったときにはすでにストライキをやっていて、一週間たったこの時もまだ継続中。
駅のトイレは鍵がかかっていて使用不能。駅中のスーパーでお土産買う人もいました。今回のツアーは本当にお土産買う時間がなくて、SAのトイレ休憩のとき、よく考えず、掴むようにしてレジに並ぶことも再々。その点では不満が残りました。
船乗り場は駅前です。
むこうは切符売り場。観光局のサイトで見ると1~35人までの一グループが同一料金、130€だったかな。うーーーむ、イマイチよく分からない料金体系だけど、船一隻のチャーター料金?
出発しました。
細いです。
堤防の向こうに午前中に見学したシテの建物が。
両側は、船を引くために人や馬車が通る道でした。今は気持ちいい遊歩道に。
途中何隻かクルージング船とすれ違います。船をチャーターして、何日もかけて旅行する人もいるようです。デッキで日光浴しながら本読んでる人がいました。さすがバカンス大国フランスです。
運河はたくさんの堰(閘門)があります。運河は場所によって高度差があり、水面の高度を同じにしながら進んでいきます。
子供たちの遠足のようです。
二つの堰に間に入って、これから進む方向と水位を同じにします。ここでは向こうから水を入れて、水位を高くしています。
途中何度かこの操作をしながら進みます。運河全体では80くらいの閘門があり、場所によっては道路より高いところに水路があるそうです。添乗員さんは琵琶湖東岸の、東海道本線より高い川を例に上げて説明していました。
あれは天井川なので成り立ちは違いますが、ツアーは関西の人が多いので、イメージとしては分かりやすかったのではないでしょうか。
いずれにせよ、フランス革命のまだ前、その技術の高さに驚きます。フランスは運河開削の技術に優れているのか、確かスエズ運河もフランス人だったような・・・
水が増えてきました。もうすぐ通れます。
約二時間の楽しいクルーズが終わりました。午後4時過ぎ、まだまだ日の盛りです。
クルーズ船の船頭さんの一人は何と若い女性。船から陸へ上がると、艫綱をぐいと引いて係留、鮮やかな綱捌きに驚きました。
トゥールーズー帰る途中、カルカソンヌのお城のよく見える橋の上で写真を撮りました。
ライトアップを見に来るのもこの橋だそうです。
昨夜はホテルの中で食事しましたが、最後は街中のレストランです。
前菜のお皿
1969年というと私は大学生。年初め、大学はロックアウト、そのうち講義はほとんどなくなって、集会があって・・・なんてことを極東でしてた頃、この街ではこのレストランが開店してたんですね。
フランスの五月革命前後で、大学町トゥールーズも騒乱の時代だったと思う。
長い時間がたってはるばると日本からやってきた私。
醤油みたいだけどワインです。これで一人分。、ワインはハーフボトルがお得だそうで。でも今までのレストラン、大きなグラスになみなみとワインが注いであり、グラスワインも量としては遜色なかった。
どの店も値段も3.5€から5€くらいまで。おいしくて安くて、毎日ワイン飲んで帰ってみたら太っていた。およよ。
メインはムール貝です。
大鍋いっぱいで二人分だったかな?食べても食べてもなかなか底が見えてきません。
思わず天井を見上げます。おしゃれな絵になっています。
奥には今回初めて遭遇した中国人のツアー客が。最近の日中関係の悪化を店の人は知ってか知らずか、顔合さないよう配慮していただいたようです。
それにしても某首相の暴走です。強い国という妄想はあなたの頭の中だけにしていただきたい。某島で、突発的に衝突が起きるかもしれない。その時どうする?
勇ましいこと言っても何の解決にもならない。今どれだけの企業が向こうに進出しているか。
また日本が最大の貿易相手国と知って、それでも国内の矛盾から目をそらせるために、愛国心を煽る。昔の日本みたいに。
自分が貧しいのは、恵まれないのは、自国の政治の問題ではなくて、外国勢力のせい、それこそが敵だと国民世論を誘導する。
広い視野を持って本当の安定と幸せが何かをかの国の人たちには考えてほしいし、中国は好きだろうと嫌いだろうとそんな感情レベルを超えて、日本の経済活動には欠くべからざる相手だと私は思う。
某国のお坊ちゃま首相、子供が強くなりたいみたいな妄想。それより国の大借金どうする???
おやおや、フランス旅行と全然関係ない話に。
食事していてそのうち・・・
空模様が怪しくなって…突然の豪雨。日本の夕立みたいな雨でした。
急いでバスに乗り、ホテルまで。でもまあ、一週間の観光でナポレオン橋の小雨だけ。お天気には恵まれた旅でした。
バスの中から。ものすごく降ってます。涼しくなりました。
ホテルはHOLDAY IN AIRPORTに連泊。広い部屋でした。
向こうのベッドが少し狭いのかな。
今回は私的にはボルドーのホテルがとてもよかった。QUALITY SUITES BORDEAUXです。
他のヨーロッパタイプのホテルも部屋がいろいろで話聞く限りでは面白かったけど、エレペーターがやや不安。もともとツアー客を想定していないのかも。
翌日はトゥールーズ発10:35でまずパリへ。13:35パリ発、大阪着は翌日8:30頃でした。
エコノミーは自分で機械でチェックインということでしたが、なぜか荷物を預けるのと一緒にチェックインできました。
"Aisle seat please!!"と"My baggage is to Osaka"と叫ぶ。"OK、Madame"と言っているようなので 通じたらしい。やれやれ。
帰りは早い。
バイカル湖の付近でしょうか。
寝るつもりだったけど、周りの人と楽しく話してあっという間に関空に着きました。今回は男性7人に女性17人のツアー、友達同士、姉妹、一人参加の人と多彩で、皆さんによくしていただき、またいろいろな人と楽しく話してとてもいい旅行になりました。
添乗員さんは、JTBで初めてのコースの最初の日程で、何かと御苦労も多かったと思います。各地、英語のガイドさんしか来ないので、いちいち通訳して説明して、時間はかかるし、最後は声が枯れていました。
それでも大きな病気やけが、お金やパスポートの盗難もなく、迷子になる人も一人もいなくて、お天気にも恵まれ、本当に気持ちいい旅になりました。
なによりも89歳の男性が一人で参加されていたのには驚きました。全然迷惑かけることもなく、むしろ教えられることも多く、世間にはいろいろな方がいるのだなあと、少し視野が広くなりました。
皆様お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
自宅へ帰ったのは12:35分頃。夫の仕事場から帰れば、近所の人にスーツケース押して歩く姿見られずに済むと思ったけど、外出するスタッフに見つかってしまった。
今回はお土産、買ってません。買うだけの時間が全然なくてごめんなさい。
台所のテーブルの上に取り敢えず出してみる。手前の白っぽいのは鍋つかみ。
いゃあ、あまり買えませんでしたね。チーズは今回、カルフールで買ったけど、前のモノプリの方かおいしかった。
フランスのポッキーはLUという会社のライセンス製品。Tシャツはカルカソンヌで。
サクランボのジャムはサルラのカルフールで。2€しなかった。激安。その上の小瓶はルルドの聖水を入れるための瓶。1€。
クルミは同じくサルラの教会の中のマルシェで。友人に差し上げました。
絵葉書各種。どれれも0,4€くらい。ニース、プロバンス、モンサンミッシェル、パリ等に比べると良心的なお値段。
日本では最近絵葉書のお土産ってあまり見ないけど、フランスでは各地で売ってました。
左上よりサン・シルク・ラポピー/ラ・ロツク・ガジャック/カルカソンヌは三枚、右下はサン・シルク・ラポピーです。
その他にロートレック美術館でも。
ロートレックはポスター版画が有名だけど、肉筆画の的確なデッサン、過度に描き込まずにすっきりとそれらしく見せる技がとても洗練されていると思いました。
私の中では色物という扱いの画家でしたが、なかなかどうして。長生きしたら、もっともっといい絵を残してたであろうに残念です。
これにてフランス南西紀行はひとまず終了します。半月に渡るお付き合い、ありがとうございました。
空港近くのホテル、午前6時頃。昨夜は10時ころまで明るく、あの場所にお客さんがいました。
ホテルの裏口。8:45にバスで出発、94キロ離れたカルカソンヌを目指します。
今日も好天です。麦が取り入れの時期を迎えています。
少しだけ山に掛かります。糸杉多数。
10:20頃、到着しました。カルカソンヌは昔からの要塞が残っています。
フランス南部、地中海と大西洋を結ぶ大事な場所で、ローマ時代にはすでに要塞が築かれ、その一部も残っているそうです。
右端の女性は、この城に籠城してフランク王国と闘い、撃退した女王の胸像。
13世紀、ルイ9世の時城壁が二重にめぐらされ、以後は難攻不落を誇るそうです。
城壁の内側はシテと呼ばれ、住民もいます。建物の殆どは土産物屋、レストラン、ホテルなどです。平日ですが大勢の人です。日本人観光客は私達だけ。ここでもほとんどがフランス人のようです。
涼しげなレストラン
この店は地図、絵葉書のほかにワインも。フィットウというメーカーのワインがおいしいそうで、赤を一つ買いました。
いちばん奥まで来ました。今から城壁の上の見学者コースへ行きます。
中庭は、籠城に備えて作物の栽培もできるようになっていたとか。
暑くてやってられません。プラタナスの木陰が何よりのごちそう。やれやれ。
城の模型です。城壁内の商店街は省略されているようです。
城壁の上から北を見ます。丘の地形を利用してるようです。
屋根などは19世紀に修復。今の形になりました。それまでは近所の人たちが煉瓦を調達する場所だったそうです。
城内のカフェ
向こうも旧市街です。
城内をガイドさんに連れられて弾丸見学。これは門の下におびき寄せ、敵に向けて落とす石。痛そうーーー
中世の装飾品も少し残っています。
フレスコ画なども。
ホテルがあります。古い様式で建てられた新しいホテルだそうです。
最後は教会へ。城内に教会もあります。
ボランティアの合唱隊。ボルガの舟歌を聞かせていただきました。
食事時間まで30分ほど解散。だったかな。うーーーむ、自由時間が少なすぎる。教会が苦手で初めから付いてこない人、途中で脱走する人も。ツアーの契約上、案内は必要だけど、城壁内では臨機応変に希望者のみというわけにはいかないのだろうか。
このツアーで唯一賑やかな観光地らしいところだったけど、時間がなさすぎ。人と付き合っていたら物が買えないので、「ごめんなさい。買いたいものがあるので」と脱兎のごとく逃げる私。
そのあと、定刻に城壁内のレストラン集合。
名物はカスレという煮込み料理。昔、籠城した時、ハムや肉各種、豆などを持ち寄り大鍋で煮込んでみんなで食べた・・・というのが由来だとか。
柔らかくておいしかったですが、肉の量は皿によってまちまち。私は少なかったので完食しました。
場外のバス乗り場集合までに10分くらいしかありません。アンティークのレース編み買いたかったけど、時間がなくて断念。ああ、ツアーは便利だけど、少しは自由に歩きたい。。。。
城の外へ出て、カルカソンヌ遠景。
左端に城が。古い橋が城と旧市街を結ぶようです。
午後はミディ運河クルーズです。そして長かった南西フランスの旅もいよいよ終わりです。名残惜しいような、もう早く日本に帰りたいような。。。。
やれやれ、無事下まで全員が下りてきて12:40頃、次の目的地トゥールーズに向かいます。170キロ、三時間の予定です。
バスの窓からフランスの田園地帯。
原っぱの向こうに川、なだらかな山は牧草地?
トゥールーズの街へと入ってきました。
道案内
ホテルの案内も。
都会です。
人がたくさん歩いています。
バスを降りてガイドさんと落ち合う。このツアーで初めての日本人。今まではESG(英語を話すガイドね)ばかりだったけど、やっとJSGが来て、添乗員さんもホットとしたことでしょう。
45歳くらいの男性で、トゥールーズの隣の町から来たとのこと。どういう経緯でこのフランスの南西部にいるのかなと想像してみる。
パリのSDG空港でだったか、上品そうな年配の日本人女性が、私たちが乗り継いでトゥールーズまで行くと知ると「私もいたことある、何もない田舎よ」とおっしゃっていたけど、何がどうして賑やかな街でした。
中心部は右へ行くらしい。付いて歩きながら写真撮る。ヴィクトル・ユーゴ駐車場ってどんなんだろ?
日本人ガイドさんと待ち合わせて今から市内の見学です。
ウィルソン広場には移動遊園地が開催中。
賑やかな通りをはぐれないように付いていきます。
パリに本店のあるデパート。こちらは支店のようです。
市庁舎に入ります。
結婚式も行われる広間です。
華麗な装飾の数々。ミニベルサイユ宮殿のような趣き。
反対側。広いです。この他にも絵画を飾った部屋がいくつかありました。
中庭に出ます。
昔、処刑が行われた場所です。プレートがあります。
反対側から。
表へ出ます。EUとフランスともう一つはミディ・ピレネー地方の旗でしょうか。あるいはトゥールーズの市の旗かも。
イベントの準備中。
反対側。広場になってます。右端にあるのは見学用の小さな列車。
アーケードの下は最近の画家がそれぞれ絵を描いています。
さらに歩いていくとジャコバン修道院の鐘楼が見えてきました。
近寄ります。大きな教会です。この地方はいい石材がないので、煉瓦を漆喰で固めて建築しています。
中へ入ります。
ステンドグラス
裏へまわります。ジャコバン修道院の回廊です。
この付近でデジカメのバッテリーが危険信号、予備の二つも残量僅か。昨夜充電したのはスーツケースの中。
だました゜まし、三つを交替に入れては撮り続ける。ガイドさんの説明も耳に入らず。
さらに歩いていきます。トゥールーズは大学が多いそうで、若い人がたくさん歩いています。またこの日はバカロレアの一日目だったそうで、高校生らしい人もたくさん。田舎ばかりを歩いていたので、久しぶりの都会に目をぱちくりしつつ、はぐれないようついて歩きます。
この日もよく歩きました。ルルドほどではなかったけど。
もう一つの教会が見えてきました。サン・セルナン聖堂でヨーロッパ最大のロマネスク様式の教会だそうです。
ロマネスク様式とはゴシック様式が生まれる前の、古い教会の形・・・と高校の世界史の授業を思い出しました。フランス南部はロマネスク様式が多いようです。
入ります。トゥールーズもスペインへの巡礼の道にあたり、この教会も古いそうです。コンクの教会に似ています。
上から見ると十字架の形になっているのがロマネスク様式、古くからの建て方です。
内部は広くて立派。
この大きな建物を煉瓦と漆喰で作るのだから大変です。
煉瓦は石に比べて温かみがあって、ちょっとカジュアルな感じがします。
再び街に戻ります。
17:06頃、まだまだ夕方です。歩道にカフェがテーブル出しています。これから賑わうことでしょう。
再び広場に戻ります。この広場だけを廻る列車の形をした乗合小型バスのようです。
こちらもカフェ。広場とカフェはどこの街でもよく見ました。
トーマスウィルソンゆかりの建物?
下はこの地方の古い言葉、オック語のようです。オック語はラテン語から生まれ、似た言語がスペインの北部からフランス南西部、イタリアに分布しているそうです。
いわゆるフランス語はゲルマンの影響を受けた北方系の言葉だそうで。同じフランスでも南西部は独自の歴史と文化があるようです。
元の場所まで戻り、ガイドさんと別れてバスに乗り込みます。あとはホテルへ行くだけ。
途中、トゥールーズの駅前を通ります。ボルドー経由で、パリまでTGVで5時間ほどだそうです。
やれやれ、本日の観光も無事終わりました。きょうは展望台で転んだ人がいました。段差が多く、つい足を踏み外されたようです。これからフランスへ行かれる方、いえ、どこの旅行でも足元注意、なんでもないところで転びます。
私は一人で来ているので、腕を使えなくなったらとんでもないので、自分のこととして気を付けようと思いました。
今夜はホテルで食事。そして明日はいよいよ観光の最終日です。明日も天気よさそうです。お天気に恵まれた旅行のようです。というか、日本みたいに大雨は降らないようです。
観光6日目、きょうは標高2,877mの展望台へ行きます。コートレから麓のラ・モンジーまでは45キロ、途中に工事があったりして2時間かかりました。
どんどん山へ向かいます。
小さな集落を抜け・・・
山の麓を通り
フランスのいろは坂でぐんぐん高度を稼ぎ
目もくらむばかりの谷底を下に見て
やがて山岳地帯に
途中の村の役場だったかな?かわいい建物。女性はかわいい建物が好きですよね。
あそこではないようです。もっともっと奥地です。
一時間くらい走ってちょっと渋滞。フランスの田舎のバス停。
バス停前の家
さらに街を外れて走り
あれでしょうか。いえいえ、まだまだ。
だいぶ分け入ってきました。
と思ううち、賑やかなところへ着きました。ここからロープウェーに乗ります。観光案内書の前には・・・家畜か野生か分からないけど、動物が遊んでます。おとなしいです。
この付近で標高1,700mくらい。坂道登ると息切れするのは空気が薄いからでしょう。すぐ慣れたけど。。。。
トイレ済ませてロープウェーに乗り、頂上のレストランで食事して、また降りてきます。時間との戦いです。
あれに乗ります。リャマという人がいました。のんびり草を食べています。
30人くらいが乗れる大きなロープウェーです。向こうの中継点で乗り換えて頂上へ行きます。
時々雲が晴れると山が姿を現します。なんか夏の立山みたいな眺めです。
雪渓が残っています。
展望台が見えてきました。元々は100年以上前に作られた天文台。10年ほど前から観光客にも公開するようになった新しい観光地です。
レストランと、小規模ですがホテルもあるそうです。
遠くは雲がかかっています。
クリックで拡大。展望台からのパノラマ。
このあとレストランで食事をしました。荷揚げがしっかりしているらしく、山の上とは思えないちゃんとした料理でした。
ハムの盛り合わせ、(地元の食材にこだわったという触れ込みの)子羊のソテー(だったかな?半月も前なので忘れました)、ケーキなどです。ワインもあります。暖房もしているし、3,000m近い山の上とはとても思えません。
うーーーむ、食の国フランスの底力。恐れ入りました。
12:30のロープウェーに乗らないと14時まで運休だそうで、女一人旅の四人は皆さまより2便早いので下りることにしました。
下ります。
雲は下に
深い谷も軽々超えて
遠くがよく見えます。
おやあれは何だ?
放牧しているのか野生なのか分かりませんが、羊の仲間のようです。たまに黒もいます。
頂上の土産物コーナーで孫息子に野生動物のぬいぐるみを買ってやりました。先日来たとき渡したら、お姉ちゃんが持って遊んでいます。
「あら、**ちゃんが持ってるの」と聞いたら「++くんが貸してくれるって言った」と申します。1歳になったばかりの弟が物言えるはずがありません。「ほんとに言った?」とつい聞いてしまいました。本人無言。
少しずつ知恵がつくけど、まだまだ子供らしいところがあるのがおかしくて、笑ってしまいました。
我が息子たちもよくおもちゃの取り合いしてましたね。ケンカするからと二人に同じおもちゃ買うと、上の子が二つ持って遊ぶという思わぬ展開。
すみません、退屈な話で。羊を見るうち、はるか昔の子育て時代を思い出してしまいました。
ロープウェーの中で、私たちは陽気なイタリア男性、60歳前後?と仲良しになりました。
シチリア島から来たそうで、「マフィア、マフィア」と胸を張ってました。全然マフィアらしくなかったけど。一緒に写真撮ったりして国際交流。とってもサービス精神旺盛なイタリア男性でした。
下りてきました。ホテルたくさん。シーズンはこれからのようで、店はほとんどが閉まっていました。
鉄平石の石段。平たく割れる。
おーいと四人で手を振りました。あれにツアーのみなさんが乗っているはず。
このあとバスで、今夜の宿のあるトゥールーズへ向かいます。
帰るころ、ガヴァルニー圏谷の素晴らしい姿が見えてきました。朝は小雨だったので、よくぞ晴れてくれたという感じ。
フランス人のハイカーちらほら。これから夏にかけて観光客が増えるでしょう。
私たちは約2時間の散策時間でしたが、片道二時間くらい歩くと谷の一番奥へ行けるそうです。切り立ったがけから滝がたくさん落ちています。あの向こうはもうスペインとの国境です。
元の場所まで各自で帰って来ました。
土産物屋、レストラン、ホテルなどが小さな集落をつくっています。ひつじみたいにモコモコで大きなワンちゃんが遊んでいます。この犬も放し飼いでストレスなくて幸せそうです。
日本の犬は繋がれて、たまにリード付きで散歩して、狭い住宅地で吠えたら嫌われるし、かわいそうかも。
猫ちゃんもいましたよん~
ニャンコちゃん~と呼んでも知らんぷり。「ふん、あんたなんかに用事ないわよ」という高飛車な態度。
でも影が思いっきり猫。。。。
この店で0.8€で水買って、外でモモ一個買いました。量り売りで一つ0.1€。14円くらいですね。新鮮だけど硬いモモでした。
ポンティガールと同じく、ツアーの中で写真撮りまくった私が一番最後です。
つい「ブログしてるから」と言い訳に口滑らせる私。あとでお二人の方が「植物の名前が知りたいのでアドレス教えて」と言ってこられました。うわあ~責任重大。普段からいい加減な性格のこの私、プレッシャーに押しつぶされる思いでございます。
外国のいい植物図鑑持ってないので、主にネットで検索。写真が分かりにくく、自分の写真もまた悪くて、名前については自信ありません。一候補という程度でお願いします。
参考にしたのは前にフランスへ行ったとき、パリの書店で購入したhandyな植物図鑑二冊です。高山~亜高山についてはほとんど乗ってません。針葉樹は花以上に見分けが難しく、初めからあきらめの境地。
こちら2012年にドイツへ行ったとき、ニュールンベルクで買った木と灌木の図鑑。こちらの方が掲載の種類が多く、写真も適当。なんでも完璧を目指すドイツ人、さすがであります。
あとで「あの人は植物の先生らしい」ということになってると知りました。わおう、とんでもない。好きなだけで、先生ではありません。
バスで川沿いに引き返し、今夜泊まるコートレの街を抜け、二時間かけて食事のレストランへ行きます。
途中も一部を除いて山また山。
レストランはこちらです
山の中です。
二つの急流が合流するところに橋があり、それを渡って行きます。ミシュランで星はないけど、取り上げられた店だそうです。
ミシュランと言えばわが地元の「なかしま」、前は知り合いなので気軽に行ってたけど、三つ星になってから未だ行けず。予約は昼間の一時間だけ、電話のみの受付だそうで、落ち着くのは一体いつになることやら。
誰しも権威には弱いからね。まあ、どんなお料理か期待しましょう。
amuseです。これで三人前、ムール貝に、クッキーみたいなのに、ポテトの揚げ物。おいしかったです。
受け皿は石。フランスで屋根材などにする鉄平石でしょうか。
アントレ=前菜 彩りがきれい。真ん中はプディングみたいな食感。ガトーポア、タマネギかけだそうですが。。。いずれにせよ、おいしく頂きました。
プラ=メイン 鱒の白ネギソースムース仕立て他。どれもソフトで複雑な味がしていた。コッペパンのようなのはポテトに魚卵か何かの味がかすかにしたけど、詳細不明。ソースも柔らかくておいしかった。
ディセール=デザート アイス、イチゴ、クッキー、ババロアだったかな・・・そして餃子のようなのはアップルパイ。盛りだくさんでした。見た目もとってもきれい。皆さんはもうgive upしてたけど、私は頑張って完食。ワインも飲んだし。
料理はさすがでした。ちょっと日本で食べるフレンチみたい。若いシェフが最近開いた店だそうですが、フランスの奥地も奥地、この店だけ目指していくというのも大変でしょう。
しかしこの急流の前で店を出すのはよほど自信があるんでしょう。豪雨で店が流されないことを祈っています。ってえらそげに。すみません。
とってもおいしかったです。ごちそうさまでした。
道の反対側も急流。水しぶきを上げて、音を立てて流れてきます。
さらにバスは山中へと分け入り、着いたところはロープウェー乗り場です。
ポン・デ・エスパーニャとはスペイン橋のことだそうです。橋渡ってずっと行くとスペインへ通じているそうですが、今回はもちろん行きません。
ここからロープウエーとリフトを乗り継ぎ、山上のゴーブ湖を目指します。ここでフランス人ガイドさん二人と合流。
今回のツアーは日本人が殆ど行かないところばかりなので、最終日を除いてガイドは全て英語でした。それを添乗員さんが日本語に直すので、最後はとうとう声が枯れてしまいました。大変でした。ご苦労様です。初めてのコースで時間も読めず、ご苦労があったことでしょう。ついていくだけの私たちは気楽でしたけど。
ロープウェーからの景色だったかな?あとで確認
五分ほどでリフトに乗り換え。きょうは好天。風あったら怖いかも。旅行中ずっと仲良くしていただいた一人参加の方と乗り合わせ、のんびり15分ほど揺られていく。
ん、あれはサルオガセじゃないの!!。左手の遠くに、一本だけ、ぼろぎれが引っ掛かっているような木があり。
遠くて一瞬のことだったけど、いゃあやっぱりサルオガセだわ~。取り留めなく話しながら、心の半分ではめちゃくちゃ感動している私。
野生のサルオガセ、初見です。その前は一度広島市植物園で見ただけ。
菌類と光合成生物(藻類)の共生体で、地衣類に分類される。梅の木の古木に苔みたいについているウメノキゴケがこの仲間です。
栄養は日光から、水分は空気中の水蒸気を利用し、窒素などは不要らしい。木から垂れ下がって生きている。湿気の多いむ亜高山帯にあるそうで、ここら辺は雪解け水で年中そこそこ湿潤らしい。
いゃあサルオガセですからね。はるばると来たフランスで見るとは思わなかった。
リフト下りたところで、フランス人らしい女性ハイカーから、"Where did you came from?"と聞かれました。
"Japon!!"と元気よく答える私。でも後の会話が続きません。
"We came from Osaka international airport,We came from west area in Japan"くらい言えばよかった。でもそのあとまた会話が続きません。いゃあ、外国の人とコミニュケーション取るのは難しいです。
で、あとはこんな道を30分くらい、湖まで歩きます。歩きやすいですけど、列がばらけて、ガイドさんの説明はほとんどありませんでした。
高い崖の上の方にカモシカがいるとのことで、望遠鏡をセットしてくれて見ましたが、「動かないので置物じゃないの」という意見もありました。うーーーむ、どうでしょう?そうだとしたらサービスよすぎる。
私はなんでも面白くて皆さんからどんどん遅れます。
アルペンローゼ。と教えてもらいました。バラではなくてツツジ科の小さなシャクナゲのような花です。色が鮮やか。
ハクサンイチゲに似た花。花びらが円いのが珍しい。ハクサンイチゲに極めて近い親戚とするサイトもありました。
コケモモらしい。乾燥地のようだけど、霧がよく出るのかもしれない。
フウロソウの仲間。鮮やか。
ゴーブ湖に着きました。雪解け水をたたえた湖です。
全員で池の横の公衆トイレを済ませて、再び引き返します。この付近ではガイドさんの説明は全然ないし、添乗員さんは時間が気になってるし、でゆっくり話聞けなかったのが残念でした。まあツアーですからいろいろあります。
今度はロープウェーに乗らずに徒歩で下ります。そうきつい道ではありません。
橋の上流。急流です。
橋です。
谷は深くて
水量豊富。雪解け水で夏は涼しいはず。
バスで再びコートレへと戻り、今夜の宿、「ホテル&レジデンス パルネオアラジン」に着きました。
ピレネーの入り口、山岳レジャーのお客さんが多い街のようです。ホテルがたくさん並んでいます。
クリックで拡大。部屋から通りを眺める。
セルジュさんは明日からまた運転。今日のドライバーさんはどうやって朝の駐車場まで戻るのでしょう。僻地で公共交通機関があるのかどうか・・・
部屋は2タイプ、ダブルベッド+二段ベッド、バスタブとキッチンと鍋釜付きの部屋と、シングル二つベッド、シャワーのみの部屋です。
私はシングルユースなので、ベッド一つ、でもダイニング家具セットや二段ベッドは余計でした。一週間くらい自炊できそうな部屋でした。
すぐ近くにカルフールあり。食事前の15分くらいで大急ぎで買い物に。チーズとレバーのペーストなどを買いました。ツアーのご夫婦に「この缶詰はどういう意味ですか」と聞かれたので「Thonは鯖ですね」とえらそげに。
いえいえそれはマグロのことでした。食事で隣り合わせたので「嘘教えてごめんなさい」と謝りました。「フランス語はどこで勉強されたのですか」と聞かれたので「はいYOU TUBE」でと胸を張る私。そんなん、勉強したと言わんじゃろ、
行かんなあ、外国来てだんだん図々しくなる私。
宿は夕も朝もビュッフェ形式でした。お料理はまあまあでした。毎日食べすぎてるので、だんだん食べられなくなってきます。
ホテルでは日本人ツアーと二度目の遭遇。山歩きのグループのようでした。あちらも女性がたくさん。
いよいよ観光はあと二日になりました。
携帯掛かってきたら面倒なので、関空で借りた海外用携帯、ずっと電源切ってます。我が家では、日本では、私がいなくて困ってないでしょうか。何も言ってこないので何もないと思われます。
皆さんによくしていただいて、この日も楽しく旅行しました。移動が多くて疲れますが、一人ではとても来れないところ。ツアーのありがたさです。
朝は厚い雲のかかっていたピレネーの山々、次第に晴れてきます。遊歩道の両脇にはたくさんの花が咲いています。見たこともないのもあって興味津々。
名前は暫定的。よく似た花もあり、分かりません。間違いがあれば教えてください。
オドリコソウ 日本のより花が三倍くらい大きい。フランス語ではOrutie rouge ラテン名はLamium pourpre
紫はクワガタソウタカネグンナイフウロの仲間、黄色はキンポウゲの仲間、日本ではミヤマキンポウゲが近いかも。
学名はRanunculus repens。ランヌクルス・レペンス。
小さな薄紫はワスレナグサ。
ワスレナグサですね。日本ではエゾムラサキが近い花。左端にクワガタソウタカネグンナイフウロの仲間がちょこっと写ってる。
ハタザオの仲間
あの谷が一番大きい・・・谷。落差???m 山の上はまだ雲がかかる。
ヨーロッパ中・南部からアフリカ北部に分布。標高800~2200メートルの岩礫地の斜面に生え、高さは10~20センチ。葉は楕円形から円形。7月から9月ごろ、すみれ色の唇形花を咲かせ、下唇には白色の斑あり。
学名Acinos alpinos アキノス・アルピノス シソ科
ジャコウソウの仲間 フランス名Thym sauvage 学名Tymus praecoxと思われます。かすかな芳香あり。
ジュウニヒトエの仲間と思われます
ミスミソウはもう花は終わっている。
トウダイグサ
凄いですねえ~山に囲まれて平らな谷底。楽園みたい。
ミヤマオダマキ
イモカタバミの仲間?
雲が沸くところ、高原の初夏。
???
マメ科ミヤコグサの仲間
せり科ハナウド
ハナウド 赤花?
サクラソウの仲間 ユキワリソウ、ヨウシュユキワリソウとしたサイトもありました。Primula farinosaプリムラ・ファリノサ
Saxifraga paniculata サキシフラガ・パニクラタ ベンケイソウに似ているけど、ユキノシタの仲間だそうです。
セイヨウネズ
フウロソウの仲間
フランス名Lamier jaune 直訳すると黄色いイラクサ。キバナオドリコソウと名付けたサイトもありました。
一時間くらい歩くと空がすっかり晴れ渡ってきました。
歩くのも撮るのも簡単だったけど、いゃあ、名前を確認するのに疲れた。知らない花の名前は本当に難しい。
観光五日目、連日の真夏日から一転、本日はお天気がよくありません。ホテルの部屋から見える山には低く霧がかかり、どんよりとして今にも雨が降りそう。
私の部屋は5階。下を見る。ホテルばかり。春から秋まで、毎夜行われるローソク行列に大勢の参拝者がやってくる。ルルドは一大門前町。
今にも雨が降りそうなお天気ですが、8:00にはホテル出発。49キロ先のガヴァルニーへむかっていざ。
まだまだお天気悪いです。
川はドウドウと流れています。
途中の何でもない空き地に車が停まっていて、そこへバスを停めるとdriverさんが交替しました。昨日までのセルジュさんも同乗。決まりで連続しては乗務できないそうで、今日一日だけ交替です。別の人はトゥールーズからはるばると運転してきたようです。
ひょうきんなセルジュさんに、柿の種や酢昆布を渡す人がいました。びっくりしながら、それでも食べてもらえたようです。こんなところからも異文化交流ですね。なかなか面白い体験でした。
どんどん山の中へ行きます。
水力発電所
霧が深く風が強い。
45分くらい走って停車します。橋が見えてきました。
ナポレオン橋です。ナポレオン3世によって、5年の歳月をかけ、1864年に完成した橋。深い谷に掛かっています。
殆ど垂直に切り立つ岸。この地の氷河と雪解け水の浸食がいかに凄まじかったか、実感します。
下流を見ます。川底まで数十メートルはある感じ。もしかしたら100メートル?
時々バンジージャンプがあるそうで、したくはないけど、見るのは面白いかも。
セイヨウヤブイチゴかな???
日本のクサイチゴに近い花と思われます。和名は木丈が低いのでそう呼ぶだけで、木本です。クサイチゴの仲間なら、赤く熟した実は食べられずはず。
ヨーロッパナラ。道路の縁の石の間から生えています。ゆくゆくは大木になる木なのにどうするつもりでしょう。
ドイツでは平地に普通に見られますが、南仏では標高の高いところにしかないようです。ちなみに我が家のヨーロッパナラは暑さで新芽を全部落としましたが、そのあとからまた小さな芽が出ています。広島の暑さを乗り切れるか・・・頑張れ。
小雨がぽつぽつ降ってます。とても寒いです。
少し空が明るくなったかな?
山の中にも集落があります。どんなお仕事をされているんでしょう。
9:28 やっとガヴァルニーの集落に着きました。登山やハイキングの基地として、ホテルやいろいろな施設があります。
レインコートを着込んで、いざ出発です。まだまだ厚い雲がかかっています。
この道をまっすぐ行きます。
犬がのんびり歩いています。パンダみたいな顔した大型犬です。日本人ツアーに無関心。
わおう、早速花のお出迎え。小さいのはゲンノシヨウコフウロソウの仲間、大きいのはユキワリソウの仲間と思われます。どちらも日本のものより草丈が高い。山野草と木の大好きな私は興味津々、ワクワク、ドキドキ。きょうはどんな花に出会えるのでしょう。
川の横を歩きます。
谷の奥が少しずつ姿を現してきました。
ゴマノハグサ科の、ラテン名はRhinanthus alectorolophusリナントゥス・アレクトロロフス。フランス名はRhinanthe ariste、日本名はオクエゾガラガラというらしい。名前の通りならば北海道のずっと北にはあるかもしれない。極東ではサハリン以北に主に分布しているらしい。
確かにゴマの花に似ていますね。
道は平たんで歩きやすいです。写真撮るので私だけ、どんどん遅れます。
Anthyllis valesiacaアンティリス・バレシアカ。マメ科。
日本で言うとオヤマノエンドウやレブンソウに近い花と思われますが、まったく同じ花は日本にはないようです。
セイヨウマツムシソウ ラテン名Scabiosa lucidaスカビオサ・ルキダ。
日本のマツムシソウに比べて花期が長く暑さにも強いそうで、日本で売られている園芸用のマツムシソウはこちらの花だそうです。
ヘラオオバコですね。これは日本の都会地の荒れ地にもよく見られる帰化植物ですが、こんなところにも適応しています。
花がはかなげで、ちょっといい風情。
セリ科は種類が多くて難しい。Heracleum sphondyliumヘラクレウム・スフォンディリウム。日本ではミヤマシシウド、ハナウドが近いらしい。
セリ科のマルバトウキ Ligusticum mutellinaリグスティクム・ムテルリナとしてみました。
クリスマスローズの原種と思われます。草色の花なのでアゥグチフォリウスh.argutifoliusとしてみました。本種はコルシカ島を中心としてヨーロッパに分布するそうです。
マーガレットとして知られる花。
Silene vulgarisシレネ・ブルガリス 日本ではフクロナデシコ、シラタマソウなどと呼ばれるそうですが、私は未だかつて日本の山に似た花が自生するのを見たことがありません。
日本で名前だけ付けたのかもしれません。よく見れば撫子ですが、花の根元が下膨れでユーモラス。
アブラナ科 Biscutella laevigataビスクテラ・ラエビガタ
だいぶ歩いてきました。観光用の馬を飼育しています。ハイキングの代わりに馬に乗って行くこともできます。
自然の中で、元気そうな馬です。
とここまで書いたらもう午前四時。さすがにもう寝ます。
名前は素人の私が調べたので間違いも多々あると思います。お気づきの点があればコメントくだされば幸いです。
かつて見たこともないフランス亜高山帯の植物の数々、この後も続きますが、ひとまず中断。
http://free-photos.gatag.net/2014/05/08/190000.html
ヒナゲシのいい写真がないので↑からお借りしました。symphony of love様、ありがとうございました。
フランスの野に自生する、ヒナゲシは燃えるような赤い色をしておりました。これは麦畑や牧草地の周辺、手入れのしていない植え込みなどにごくふつうに生えていて、ちょっとびっくりしました。
赤いヒナゲシと言えば与謝野晶子の歌を思い出します。
ああ皐月(さつき) 仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟(こくりこ)
この歌の半年前、晶子は夫鉄幹をフランス遊学へと送り出しますが、恋しくなってフランスまで追いかけて行きます。
ちようど五月、フランスの野には日本では見たこともない緋色の花が咲き、晶子の心をいやが上にも掻き立てる。
私たちはこの情熱の色に染め上げられてしまったみたいよと、いつまでたっても情熱的な晶子なのでありました。
日本にも同種のヒナゲシが帰化植物として、都会地の空き地などに見られますが、ずっとおとなしいオレンジ色です。
先般フランスに行くまで、このコクリコは広い公園に人工的に植えられたものか、はたまた、オレンジ色を晶子独特の言いまわしで火の色と言ったとばかり思っていました。
違いましたね。ほんとに鮮やかな赤い色が何気に野原にあるので、最初は驚いてそれからじわじわ感動してきました。
サン・シルク・ラポピーの展望台へ上がる石段の途中にこれが一株ありましたが、日差しが強すぎてうまく映ってません。残念でした。
何事も行ってみなければわからないこともある。イギリスの湖水地方で、野原にジキタリスがいっぱい咲いていたのを見た時の感動にも似ているかも。あれもびっくりしましたね。自然に生えているものだとは夢にも思わなかったので、
先日のガヴァルニー圏谷の花の中には、ポット苗として近所のホームセンターで見たような花もありました。明日からしばらく忙しくて更新できませんが、その時の花たちはいずれまた。
いゃあ、楽しかったですよ。イブキジャコウソウに似た花はヨーロッパジャコウソウ、シナノキンバイニ似た花はフランスキンパイとか適当に名前付けて遊んでました。クワガタソウの仲間もありましたね。
あすというか、もう今日だけど、夕方孫が来る予定。それまでにドレス仕上げないといけない。ロングスカートはもうできた。あとはワンピースの部分。頑張ろう。
さて今回のツアー、観光もいよいよ四日目、ちょうど中日です。きょうはボルドーを車窓観光して途中のボーで昼ごはん、そのあとルルドの観光をします。
昨日までの暑さも少し納まり、空は雲も出てきました。雨は大丈夫のようです。
午前七時前、窓から朝日が見えます。夏時間になると夜明けはけっこう遅いようです。向かいの建物は何でしょうか。
この付近は大型ホテルが多く、昨夜は午後10時過ぎまで、プール脇の屋外カフェに人がいました。フランスの夜は長いです。
クオリティースイーツボルドー、大きなホテルでした。
車窓観光だけということでしたが、一カ所だけ停めてくれました。急いで降りて写真撮ります。
ボルドーのオペラ座。パリのオペラ座はこれを真似したとか。
向かい側はホテル。
ガロンヌ川に沿って大きい建物が続きます。ボルドーはガロンヌ川が大きく蛇行するところに開けた港町で、今回、トゥールーズに次いで大きな都市でした。
でもこのツアーは田舎ばかり目指します。私たちがパリへも行かないと聞いて、アルビのホテルの人はびっくりしたそうです。
「皆さん、パリはもう行ってるから。ヴィトンなんて欲しくない人ばかりだから」と添乗員さんが説明したそうです。ヴィトンですか・・・私も欲しくありません。重いバッグはもう持ちたくありません。
4時間かけてポーへ着きます。今からケーブルカーで高台へ上がります。・・・と思ったところで一人がトイレに行くことになり、ついでにみんなが行って結局18分くらいかかりました。
フランスの国鉄はずっとストしていて閑散とした駅のトイレを借ります。無料ですが、慣れないトイレにみなさん戸惑います。
上へ行くとピレネー山脈が見えますよ…という案内版。
乗り込みます。
ぐんぐん高度を稼いで
まあ、歩いて上がれないこともないだろうけど。
さっき手洗いをお借りしたポー駅。緑が多い。きょうはピレネーは見えない。
前菜の寄せハムのようなもの。おいしかったです。
食事のあと、歩いてケーブルカー乗り場まで。
ホテル前のカフェ。屋外カフェの椅子テーブルは濡れてもいい素材。
豪華ホテル。ヤシ?棕櫚?が南仏っぽい。ホテルの前は広い遊歩道になっていて、その名もピレネー大通り。ナポレオン一世がピレネーを見るために作らせたそうです。
国旗いろいろ。日本のもありました。
さらに二時間かけてルルドまで。街中を大きな川が流れています。
ホテルに荷物入れて街の観光です。この日は、この後ものすごく歩きました。
賑やかです。土産物、レストランなど。人も多いです。
狭い道をどんどん行って、
今日のルルドの繁栄の素となったのは150年ほど前、ベルニデットという少女がマリア様を見て、その現れたところを掘ると泉がわき出し、水を飲んだ人の病気が治ったことで、彼女は聖人に列せられ、ルルドは奇跡を求めてカトリック信者の集まる聖地となりました。
彼女の家は貧しく、刑務所だった狭い家に家族で住んでいました。
こちらは奇跡の後、家族が住んでいた家だったかな・・・前より少し広い。オレンジの建物は資料館で、見学者が多いです。
正面から。
再び川を渡り聖域へと向かいます。丘の上は中世の城。きょうは行きません。
ロザリオ大聖堂へ向かいます。
聖堂の右手に2万人・・・だったかな収容できる聖ビオ10世地下大聖堂があります。今から行きます。
体育館のようにとても広いです。ミサの前、聖歌隊が準備しています。
ロザリオ大聖堂へ行きます。
中はとても広いです。150年前の奇跡の後に建てられたので比較的新しい教会です。
キリストの一生を表した壁画が多数。私達で言うと親鸞聖人御一代記みたいなものかな。
外へ出ます。
教会の横へ行くといろいろなサイズのロウソクを売っています。
今から奇跡の泉の方へ行きます。
ロウソクをたくさん立ててある奥にマリア様が現れたそうです。その上に教会が立っています。
泉の上には各国語で聖水を飲むことを勧めているようです。
日本語もあります。
水は、色々なサイズの瓶を買って、詰められます。いちばん小さな1ユーロに汲んで飲み、そのあと水を入れて日本まで持ち帰りました。
冷たくておいしい水でした。ピレネーの山懐、いい水の出る場所のようです。
泉の前は一方通行です。同じツアーの男性が、泉の前で頭を下げていました。異教徒ですが、いえ、異教徒だからこそ、人様の信仰するものを拝ませていただくという謙虚な姿勢が必要だと、思い至りました。
他人様のことをあれこれ言うのは失礼ですが、この人にはこの後もいろいろ教えられることが多かったです。英語も達者でホテルの人ともよくコミニュケーション取り、かつ偉そぶらず、お年寄りの参加者にも親切・・・うーーーん、大学の先生かなと思いましたが、詮索するのは失礼というもの。
袖触れ合うも他生の縁、振り返って我が身の足りないところを反省したところであります。
うーーーん、思い込みが激しいと人が見えないものも見えるし、病気が治ったのはたまたまじゃないのと身も蓋もないことを考えていましたが、大きな教会ができて人がたくさん集まる。このことの意味はいろいろあるだろうけど、結局人は人智を超えた救いを求めずにはおれないのだと思いました。
車椅子の人も多数参拝しています。それも奇跡を願ってのことでしょう。
ホテルに帰って、また食事に行って、またホテルに帰って、希望者はロウソク行列の見学にと、とてもよく歩きました。
午後9時前、まだまだ明るいです。希望者だけ、添乗員さんと一緒に夜間のロウソク行列を見学に行きます。
教会の脇から上へあがってみます。さっきのロウソク売り場のところに人が集まってきました。川は急流です。氾濫したこともあったそうです.
次第に例になります。
聖堂の前へと流れて行きます。午後9時前、まだ明るいです。
車いすの人を先頭に、聖職者に先導されて信者さんが広場へ入場しています。
並んでいます。両翼の回廊にも人がいっぱいです。
だいぶ集まってきました。讃美歌が流れ、その合間に司教のミサが挟まり、信者さんは「アベマリア」と歌いながら、手にしたロウソクを左右に振ります。
宗教的一体感からくる陶酔…とでも言いましょうか。不思議な空間です。一緒に入ったツアーの人と別れていい場所を探すうち、偶然人がいなくなった所へ割り込み、上から拝見しました。
10時近くになっても終わりそうにないので元の場所に戻ったらだあれもいません。わあ~、皆さんもうホテルへ帰ったのでしょうか。
それから貰った絵地図を頼りに、たった一人でホテルまで帰る道の心細かったこと。ホテルの看板が見えた時にはホッとしました。
ルルドは今回のツアーに行くまで聞いたこともない街でした。スペイン国境に近い田舎町ですが、毎夜のロウソク行列のおかげで、街はホテルや飲食店などが多く、一大門前町となっています。
病気を治したい。そう思ってお参りするのは古今東西変わらないのだなあと改めて思いました。
人が多く集まるのでジプシー多数。道端に座って物乞いしています。夜道を一人で歩いて襲われないかと、それだけが心配でした。
そのリスクを避けるためには連れとの別行動は慎むべきですが、いゃあ、この私には無理でした。皆さん、ご心配かけました。
「あの人だから大丈夫とみんなで言ってた」と言われましたが、それは買い被りというもの。しかしまあ、何事もなくてよかったです。
あすはいよいよピレネーの山中深く分け入ります。
観光も三日目、だいぶいろんなところへ行きました。場所は私が書き込んだので多少違っているかもしれません。参考になさらないように。
さて、サルラの暑くて寝苦しい夜も明けました。旧市街に近い素敵なホテルでした。初めて日本人ツアーと遭遇。あちらは山をハイキングする長旅のようでした。
朝、ホテルの窓から。山が近いらしく小鳥の声で目が覚めます。ブラインドは電動式、動かなくなって添乗員さんと四苦八苦しているうちに直りました。お世話になりました。
ホテルの庭の花
名前知らず。
キク科の・・・
いろんな花が咲いています。
またまた写真撮っていだきました。「今日がいちばん若い日だから、何年か経つと写真見て若かったなと思う」とのこと。女性の多いツアーで、皆さんとても自立した旅の名人。いろいろ教えられました。
一人参加の四人はとても仲良くなって、ずっとおしゃべりしています。フランスの田舎へ一人で来る。それでもう嗜好は似ているというものです。皆さん、ありがとうございました。今までのツアーで一番楽しかったかも。やっぱり私は一人が合ってる。
本日の衣装は半袖登山服、首に濡らした豆絞りの手ぬぐい巻いて、がばっとした白い麻のブラウスを。これはバスの中で寝るとき体に巻いて冷房除けにもなりました。
今日も暑くなる予定です。
部屋に荷物を置いて、歩いて旧市街を観光します。それは添乗員さんが交渉したとのこと。感謝です。
旧市街は歩いてすぐです。サルラはベネディクト派修道院が中心となってできた街で13世紀には最盛期を迎えたそうです。
その後発展からは取り残されますが、街並みを再生したフランス第一号の街として、今は観光地に生まれ変わりました。
古きヨーロッパの面影が色濃く残る街です。
広場に面してラ・ボエシの家があります。16世紀の作家だそうです。これもすすけた外壁を削って修復したそうです。
正面から。
坂道を登ってサンサセルド大聖堂の東側に上がります。
右の道から上がってきました。
死者の灯明塔。何に使っていたかは分からないとのことです。
下りて行きます。いい雰囲気の道です。
街灯はガスでともるとか。レトロ。
アンティークの店。
フランス南西部、バラはそろそろ終わり。
ノウゼンカツラかな?
ワインなどの店
フォアグラはサルラの名物
市庁舎前のりベルテ広場。フランスの国旗がかかる。カフェは開店前。
少し坂を上がります。
サント・マリー教会の大きな鉄の扉を開けています。
中はマルシェに。開店前。この後みんなで買い物しました。私はクルミを一袋買いました。
さらに細い路地を歩いていきます。
ガチョウ広場。フォアグラ用のガチョウのモニュメント。
世界的には動物虐待ということで逆風が吹いていますが、この地では伝統産業、伝統的な食習慣として認められているとのこと。
頑張れ、ガチョウたち。
こちらはフジらしい。
聖女の泉。昔は街中の貴重な水源だったことでしょう。
サルラは手編みの籠も名産とのこと。
ツバメのマークは郵便局。この先に泊まったホテルがあります。今からホテルに戻り、出発です。
プールはもう使えるようです。運転手さんは泳いでいたとか。
言葉は通じないけど面白い方で、私がSAでクッキー買っていたら「Non,Non」と首を振り、お腹が膨れるしぐさをします。
太ると言いたいのでしょう。
"No,this is present for my friend"と答えました。私も買うなって言われた・・・と言う人もいました。ひょうきんな人です。
トゥールーズのバス会社のようです。
サンテミリオンまでは130キロ、3時間のバスの旅です。どこまでもブドウ畑が広がります。
行けども行けども、ブドウまたブドウ。
畑の横にバラが飢えています。ブドウアブラムシはまずバラに着くとのことで、虫害をいち早く知るための工夫だそうです。
日本のブドウは棚から垂らす、こちらは低く仕立てます。
サンテミリオンではまず昼食です。こちら牛肉の赤ワイン煮込み、マッシュポテト添え。ビーフシチューのようでおいしかったです。
デザートはマカロンの粉を振りかけたアップルパイ。温かくて、マカロンはサクサクでとてもおいしく頂きました。サンテミリオンのワインを注文。普通のグラスワインよりおいしいそうですが、比べられないので。
さすがワインの産地、とてもおいしいワインが次々出てきます。
モノリス教会のテラスから、さっきのレストランを見下ろします。屋外のカフェもありますが、レストランは左側です。
白いテントの下もカフェ、暑いので扇風機でミストを撒いています。この炎天下、列を組んで真面目に観光している日本人を「何してるんかなあ????何はともあれごくろうさん」という顔でフランス人は見ているのかも。
むこうはワイン畑が広がっています。
このテラスでフランスの若者が、「あなたたちは日本人ですか」と話しかけてきました。
つい"Why can you speak Japnese?"と聞きましたが、若者ははっきりと「ボルドー大学、日本語学科ですから」と答えてくれました。なんで日本語勉強してるのでしょう。好きだから?
それは聞き洩らしました。
教会の内部。
祭壇。
続いて王の塔へ。さっきの教会がよく見えます。
反対側。ブドウ畑に囲まれるサンテミリオン。
ブドウ畑の中の小高い丘の上の街
今から街外れの駐車場まで。
どこまでも続くブドウ、またブドウ。
醸造所に着きました。畑の中の小さなシャトー。
樽は三つ。毎年新調するそうです。
出来上がったワインは小さな樽に詰め替えて冷暗所で寝かせます。いい年もあればおいしくない年もあり、失敗した時には安いテーブルワインとして業者に引き取られるそうです。
その前で、三種のワインを試飲しました。こちらのはどれも新しいワインの味がしました。コクよりもフレッシュさが勝っている気がしました。
別棟のワインセラー。醸造元直営。
庭の花
前庭の百合。日本では見ない色。
一時間ほど走ってボルドーへ着きました。大都会です。川を渡ります。
ホテルは空港近く、アメリカンタイプの広い部屋でした。ソファがすわり心地がよかったです。
巨大な椅子。
空港近くでレストランはないらしく、今夜はホテルで夕食です。ホテルは豪華でしたが、夕食は地味でした。毎日おいしいもの食べてきたので、たまには胃を休めるのもいいでしょう。
やっと観光が三日終わりました。あと四日残っています。駆け足ツアーですが、盛りだくさんで、初めのころのことを忘れそうに。
特に教会はよく似ているので、記憶が混ざってきます。夜、少しずつ旅日記を付けることにしました。
観光二日目、アルビのホテルの前に8時集合、サン・シルク・ラポピーを目指します。
おっとその前に昨夜の写真。
旧市街。食事から歩いて帰る。午後9時前。まだ充分明るい。入り組んだ旧市街。
人にあらず。でもちょっとドキッとする。
こちらお約束の・・・
翌朝、八時前。一昨夜のような無理はせず、全員そろったら大通りまで出てバスに乗ります。
ホテル前は一方通行。カフェがもう開いています。
不動産屋の物件各種。
アクセサリーはよりどり。まだ開店前。
バスを停めてたのは地下道へ入る車線、道をふさがれて次から次へと怒りつつ地下道へと行く。driverさんもフランス語で応酬。旧市街は道が狭く、大型車の停める場所が限られるので本当に大変です。
このあと、この日はdriverさんにとっては大変な日となりました。
目指すは90キロ先のサン・シルク・ラポピー。フランスの美しき村にして、フランス人が好きな村第一位の栄冠に輝く場所。期待が高まります。
途中高速も通りますがほとんどが田舎道、しかもきょうは工事中とかで大きく迂回します。
一面の麦畑。ああー風景モードにすべきでしたね。
この付近はトウモロコシ。なだらかな丘も耕作地。農業国フランス。
牧草地。
途中のSAで。きれいなお菓子。
SAのサクラの実。サクランボではないので苦かったが、まあ食べられないこともない。ヒョウタンボクではありません。
こんなもの食べるのは私以外に少しだけいました。我らcharanger.
さらに行きます。
橋を渡ってようやく目指すサン・シルク・ラポピーが見えてきました。時に11:25。二時間半で来るところが三時間半もかかってしまいました。
どんどん上がって行きます。ボルドー川の上流、ロット川が大きく迂回する丘の上に村はあります。
村の教会です。これもバスの中から。
もうすぐ着きます。
見学時間は11:30~12:15の45分しかありません。はぐれないように気を付けて、公衆トイレのところまで行ってあとは解散です。ああ~忙しい。
屋根は瓦葺き。同じ色をしています。
高台には昔の城跡がありますが、遺構の一部が残るだけです。急な道を上がります。今日も暑いです、、、
丘の上ではベンケイソウの仲間や真っ赤なポピーがありましたが、画像が悪すぎて・・・泣く
与謝野晶子のコクリコとはあの花のことだろうか。途中の道端にも鮮やかに赤い花多数。残念。
さらによく見えます。風景モードに設定すべきでしたね。次行ったときには必ず・・・と心に誓う私。次があるとも思えませんが。世界は広く人生とお金は有限。
下りてきます。こちらホテルかレストラン。なんて可愛らしいのでしょう。
下りてみます。ずっと下り坂。でも行ってしまったら集合時刻に間に合わない。せめて一時間あればなあ。。。
引き返します。さよなら、サン・シルク・ラポピー。また会う日まで。
丘の上の集合場所を目指します。振り返ると美しき村。うーーーん、美しすぎる。
樽はワインを入れていたのでしょうか。
ツアーの仲間の人が親切に写真撮ってくれました。ありがとうございます。
着ているのは白くて丈の長い麻のブラウス。直前に三越のセールで購入。念のために持参したけど、こればかり着用。半袖だと暑くてたまりません。
バッグは軽くて小さいものを。それとペットボトルを入れた買い物袋一つ。残りはバスの中に。中高年には重いバッグは扱えない。
日本だとノカンゾウ。梅雨明けに咲く。フランス南西部はもう夏。暑い。
村の道
バラの影
このバラのところで曲がって集合場所へ。
バラ拡大
レストランだったかな。
集合時間まであと少し、急いで広場脇の郵便局に跳び込み、絵葉書用の切手2枚買う。一枚0.8€くらいだったかな。10€出したら、もっと小さなお金はないかと職員不機嫌。それなら電卓で示してくれればよかったのに、というのは私の我儘。
Non!!と言ったら、しぶしぶ釣銭くれた。花壇の縁に腰かけて急いで知り合いに絵葉書描く。6/23現在、無事着いたらしい。
さらに旅は続きます。途中のきれいな川。
道中のカオールというところで昼御飯です。
山羊のチーズ、クルミのサラダなど。割と食べやすかったですが、チーズの癖のある匂いがダメという人もいました。
朝から時間が押しているので添乗員さんは焦っていますが、結局ここでも一時間かかってしまいます。昼ごはんに一時間はフランスでは普通でしょうが、盛りだくさんの日本人ツアーにはちょっと辛い。
セップ茸のオムレツ。セップ茸はこの付近で採れるらしい。わが故郷のイグチンそっくりの茸。イグチンはその他の茸と一緒に醤油汁にしたら、だしが出てとてもおいしいのです。
母が若い頃は母の実家へ行ってよくキノコ狩りをしましたが、今はもう行きません。従兄も伯父も相次いで亡くなって、この私はフランスの片田舎でイグチン食べてます。
ワインはこの地方の黒ワイン。ブドウの品種で黒っぽく見えるらしい。ワインは3€から5€。コーラより安い。コクがあってバランスがよくて、どれもとてもおいしかったです。
あとはプロフイットロールというケーキ。画像なし。ちょっと食べすぎました。
さらにバスは走ります。次の予定地、56キロ先のラ・ロック・ガジャックの遊覧船の予定は4時です。
何かの記念碑。糸杉は改まった場所に植えられるらしい。今回分かったことはスギではなくて、日本でいうとカイヅカイブキの仲間。
ローターリーへ来るごとにラ。ロック・ガジャツクの方向へ曲がっていましたが、いつの間にかその表示が見えなくなってきました。
あれれ、と思ううち、農機具会社の敷地へ入ってUターンです。元のロータリーに戻って 別な道へ。それもだいぶ行ってからレストランの駐車場で引き返します。
フランスの田舎町、突如現れる日本人を乗せた観光バス。何事?とフランス人も店から出てきてびっくりしています。
私の席はdriverさんの斜め後ろ。両肩をすくめたり、頭を抱えたり・・・「完全に道に迷ったようですが、私が何か言ってもどうにもならないので」と添乗員さんはあちこちに電話掛けて、船の時間を遅くしてもらっています。
道端の温度計表示は35度。農家の庭先で鶏がトットットッと私たちのバスの方へ寄ってきます。ものすごい田舎らしい。さあ、どうする。。。。。
私達には何もすることはありません。黙って乗っているしかない。フランスのこんな奥地へ一人で来られないなら、黙ってついていくしかありません。まあ、最後は何とかなるでしょう。何と言っても天下のJTBですから。
ハプニングは旅にはつきもの。皆さん、旅の達人なので全然動揺しません。
やれやれ、2時間余りかけてやっとたどり着きました。この集落はドルドニュー川に面した洞窟から発展した村です。川が重要な交通手段だった時代、荷物の廻送、通行料の徴収などで栄えたそうです。
岩にへばりつく集落。
船着き場。5時から一時間のクルーズです。
乗ります。
後ろから岩肌が迫っています。
川は流れが速く、自然がいっぱいです。カヌーしたり、泳いでいる人も。何しろ35℃ですから。
船は二隻。途中ですれ違います。
後ろの岩が突然崩れて何人か犠牲になったこともあったとか。それでも故郷を離れません。
尾道みたい・・・
岩山なので秋でも暑いと添乗員さん。
遠くのお城。川を行く船から領主が税を徴収しました。
バイカモ梅花藻かも。未確認。
今度は順光で。午後五時過ぎてギラギラと照りつける太陽。フランスは暑いです。スペインからの風がピレネーを超えて、熱風となっているのかも。くらくらするほどの暑さです。
「焚火にあたっているみたい」と私が言ったら少し受けました。
一時間の遊覧を終えて船着き場に着きます。
やれやれ、暑くて長い観光2日目が終わりました。今夜は13キロ北のサルラに宿泊です。
投宿後、レストランへ。前菜はサルラ名物、フォアグラのテリーヌです。高級食材のはずが、なぜか砂糖味。甘くておかずにならず、この私としたことが残す。
ポークはあまり味がなくて、私としたことが残す。お皿がきれい。
ホテルへ帰る前、希望者だけスーパーモノプリへ行くがすでに閉店。こちらは途中のお菓子屋さん。ショーウィンドウのきれいなお菓子。
この奥にレストランはありました。昼間暑かったのでワインではなくビール5€飲んだけど、これが間違いの元。(後述)
街は明るいけど、もうひっそりと。
テレビで天気予報やってます。明日も好天のようです。
部屋は二階。窓からプールが見えます。夜間は風呂の蓋みたいなのをしています。これは翌朝6時前の写真。
このホテルは部屋タイプいろいろで、一階の人は部屋に中二階があり、上にダブル、下にシングルのベッドがありました。
二階で寝て、風呂とトイレは下へ行くと言っていました。ヨーロッパのホテルは面白いですね。ちなみに私の部屋はダブルベットとシングルベッドがあったように思う。広くて使いやすかったです。
夜は昼間の暑さにビールの酔いが加わって、暑くて暑くて体も熱くて全然寝られません。冷蔵庫の中から缶入りのジュースなどを出し、「飲んだのではなく両脇に挟んで寝たら冷たくて気持ちよかった」と翌朝、人に言うと受けました。すみません。よく洗いましたので。
旅先で熱中症になるのかと、思いは千々に乱れ。でも何とか大丈夫でした。
旅はやっと二日が終わったばかり。あと五日、フランスの南西部を巡ります。乞、ご期待。ああ、それにしても写真が悪い。悪すぎる。
コンクへ行きます。いいお天気です。前日の寝不足でバスの中で熟睡。気が付くとシートベルトがきつくて気分悪くなってます。
コンクは中世の巡礼街道の通る村。昔の建物がそのまま残っています。二つの塔を持つ大きな建物が、世界遺産サント・フォア教会です。
谷あいの村を村はずれの高台から見下ろします。
菩提樹たくさん。
村の説明版。
涼しい木陰をバスまで戻ります。
再びバスで移動、村へ入ってきました。
少し歩きます。
薄い石で屋根を葺いています。
バラの絡む建物
すぐ近くに山があります。
サント・フォア教会。
ロマネスク様式の古い教会。入り口の上には最後の審判のレリーフが。12世紀の製作。昔の字の読めない人のために、キリスト教の教えを分かりやすく顕しています。
右半分は人間の犯したいろいろな罪を顕しています。素朴な造形にはユーモアがあります。
教会前の広場。広場に面したレストランで昼御飯です。暑いけれどエアコンなし。窓から涼しい風が入ります。
砂肝のサラダ、七面鳥だったかほろほろ鳥だったかのもも肉、チョコレート系統のデザート。この私としたことが気分悪くてどれも一口ずつしか食べませんでした。
それにしても・・・暑いです。
古い建物いろいろ。暑いです。
教会の中は涼しい。ステンドグラスは20世紀前半に入れ替えられたシンプルなもの。
教会の庭。改めて山中の村だと気が付きます。
絵葉書各種
ホタテ貝はこの土地のシンボルで、巡礼者の目印。
この日もリュックの後ろにホタテ貝の殻を付けて歩く人を見ました。はるばるとピレネーを超え、スペインの整地まで巡礼に行った人の家はホタテの目印を付け、巡礼者を泊めたり接待したりします。
村の建物
一階は何かの店。でもこの暑さでひっそり。たぶん夕方から賑わうことでしょう。
村の道は狭くて急。花は壁にそって咲かせます。
手すりと壁が一体化した家。たぶんあとから部屋を広げたのでは?
さらに上がります。
小さな窓
バラと建物
教会へと降りる道
どこからでも見える教会の塔
向こうには山
ひっそりとした村。
暑いです、、、
村はずれの革細工の店。ホタテガイのペンダント。
観光客ばかりが歩いています。
同じく村はずれのキリストの像。
再びアルビに戻り夕食です。
普段は清涼飲料水など買うことはないのですが、あまりの暑さに。
午後8時ころ、まだ宵の口という感じ。中庭で食事。蚊も居なくて快適。
美食家ロートレックにちなんだメニューだそうです。
暑くて長い観光一日目が終わりました。今夜はアルビにもう一泊して、明日はフランス人が一番好きな「フランスの美しき村」サン・シルク・ラポピーへ向かいます。
アルビはフランス南部、ミディ=ピレネー地方の都市で、タルヌ県の県庁所在地。ローマ時代に開かれたと言われ、中世にはローマカトリックから異端とみなされたアルビジョワ派の中心都市でした。現在人口は約5万人。
十字軍の後、ローマ教会はアルビを攻略してこの地に二世紀の長い時間をかけ、サン、セシル大聖堂を建設。石材の乏しい土地柄、煉瓦造りの世界最大級の要塞のような教会が残っています。
市の中心部は中世の面影がよく残り、2010年に世界遺産になっています。
朝食の後、一人で散歩することにしました。7時半くらいです。広い通りに出ます。人通りはまだ多くありません。
BARは居酒屋のようなもの?歩道が広くプラタナスの木陰が気持ちいい。とりあえず川まで行くことにしました。
あちらは開店の準備。
どんどん歩いていきます。一人で歩くこの解放感!!
こちら県庁。フランス人は自転車好きらしく、このあとよく見かけました。
路線バスがたくさん走っています。
タルヌ川まで来ました。
わあ、きれいと思わず口にしていました。川を挟んでレンガ色の街が広がっています。2010年、アルビの司教都市として世界遺産に指定されました。
中世にできた橋はこの街の交易を支え、繁栄をもたらしました。
クリックで拡大。パノラマ画像でどうぞ。左手にサント・セシル大聖堂とロートレック美術館はあります。
この後、急いでホテルまで戻り、市内の見学の準備をします。
ホテル玄関に8:20集合。徒歩で旧市街へ向かいます。
古い街並みが残っています。
チューダー様式の建物。建坪に税金がかかるので、上へ行くほど床面積を広くしています。
広場
さらに奥へと歩きます。
入り組んだ建物を中庭から見上げます。
通りへ出て行きます。
サンサルヴィ教会回廊
屋内のマルシェ。桃が平たくて珍しい。このあと別な場所で0.1€で買って食べました。甘かったけど、硬いモモでした。
フランス人はモモを柔らかくして食べないようです。
サント・セシル大聖堂は写真の露出に失敗。残念。只今外壁工事中。
サント・セシル大聖堂内部。
要塞のような巨大な聖堂。入り口の彫刻が複雑で凝った造りです。
続いてロートレック美術館へ行きます。ロートレックはこの地の生まれ、36歳で早世した後、母親がこの地に絵を寄付してそれをもとにして美術館ができました。
建物は昔の司教の館を利用しています。
美術界内部は撮影禁止。ロートレックの作品約1,000点を収蔵しているそうです。ロートレックは20世紀末のパリの退廃的、享楽的な版画などで知られますが、初期の作品もなかなかに見応えがありました。
何かを断念した後に咲く花…とでも言いましょうか。母親を描いたのは抑えた色調で、寂しそうな絵ですが、とても雰囲気のある絵でした。もっともっとゆっくり見たかったけど、時間に追われるのはツアーの宿命、走るように見学して、庭に出て、手洗いも済ませて集合です。ああ忙しい。
ミュージアムショップで絵葉書三枚買う。一枚0.4€。春の有名観光地は1€が多かったので、ちょっと嬉しい私でした。
庭に出ます。フランス式庭園。
庭の南端は遊歩道に。ブドウが植わっています。
川が見えます。朝見た方向を写します。
館を振り返ります。
遊歩道のモニュメント。
南仏の明るく強い日差しの下、ブドウがよく育っています。
川の反対側、自然がいっぱい。
煉瓦に生える草。
美術館を後にして、これから110キロ離れたコンクへ。二時間のバスの旅です。昼ごはんはコンクで。
私たちが出るころ、人が増えてきました。とても暑いです。いやあ、こんなに暑くなるとは。