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徳佐八幡宮のしだれ桜

2013-03-31 | 旅行

ネットでお付き合いさせていただいている方から、見事な桜があると教えていただき、きょうは出かけてみました。

こちらです。中国道鹿野インターからR315を津和野方面へ、R9を右折、300mくらい。きょうは臨時駐車場がありました。

花曇り

 

桜のトンネル

参道の二つ目の鳥居

少し日が射してきました。

古木

降り注ぐ花

老若男女、須く花を愛でぬ者なし。楽しむ心さえあれば、花は全ての者に降り注ぐ。花の下の平等。

おばさんは冬の登山帽がまだ放せません。

寒いので肉うどん400円でお昼ご飯にしました。たくさんの人で賑わっています。山口県の方はゆっくりとして親切でした。

 

 

 

 

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「妻の超然」 絲山秋子

2013-03-30 | 読書

妻の超然、下戸の超然、作家の超然から成る短編集。面白かった。くすぐるような、笑いを誘うような面白さではなく、人生の深淵を覗き込んで納得するような、気が付かなかったことを教えてもらうような面白さ。

この一、二年に読んだ小説では一番面白かった。

妻の超然、40代後半の夫婦。子供はなくて妻は年上の専業主婦、夫は若い女と浮気している。修羅場が展開されるわけではなく、妻は家にいて夫と女のことを冷たくじっと見ている。何も行動を起こさず、やがて夫は女と別れたらしい。能天気でバカな男だが、すでに夫婦としての気持ちは冷めているので、あえて別れない。

そうなんですよね。結婚って若い時は情熱で、中年には家庭を維持するための惰性で、そのあとは敢えて壊すほどではないのならこのままでという諦観で続いて行くもの。

下戸の超然。全くお酒の飲めない30前後の独身サラリーマン。日本社会は下戸に寛容でないので、割を食うことが多い。普通にしていても付き合いが悪いと取られがち。その上飲み会では複数の人を宅送する役割。

そんな男に同僚の彼女ができた。彼女はお酒を飲む。ボランティア活動をしている。誰も反論できない正義、それに前向きの不毛さを感じる男。彼女は結婚に憧れ、少しずつ距離が開いて最後は分かれる。その持って行き方が、無理がなくて秀逸。初めから別れるつもりで付き合う人はいない。それでも少しずつ生じてくる齟齬、人生ってこういうことの連続なんですよね。きっと。

作家の超然。著者を連想させる作家が肩口にできた良性腫瘍を取る。手術の前後に感じた周りの世界との違和感、静かな観察、皆が情報を発信する時代が来て、やがて小説というものも消滅するのではという暗い予測。言葉は意味をなくし、やがては擬音のような断片にまで解体されていく。考えてみれば恐ろしい世界。

すべて物事には始まりと終わりがある。小説が人間の歴史のある時期に生まれてきたものであれば、いずれは無くなっていくものなのかもしれない。誰もが自慢話を発信して、言葉がハイパーインフレを起こし、ものすごく軽いものになればあるいはそうかもしれないが、私個人の考えとしてはお金の取れる文章とそうでない文章の差は歴然とある。

人が言葉で書かれた真実を読みたいと願う限り、作家の書く小説というのは細々とでも生き延びていくのではないかと思う。まるで核戦争や大津波のあとの原野にも細々と草が生え続けるように。でもそこまで考えさせたこの作品はやっぱりぶっ飛んでいると思った。

作家の対談はこちらhttp://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/466904.html

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ワカメの季節が来た!!

2013-03-29 | 日記

きょうは大潮、友達とワカメ採りに行きました。

着きました。女たちの漁場。

ヤマザクラ

ヤマザクラ

ヤマザクラ 花も葉もきれい

ナワシログミ

タブノキ

名前不承 花粉の匂いが強い

ワカメ

ヒジキ

波は寄せ、波は返し。。。

向こうは3/17に登った 似島、安芸の小富士。

不漁 今年は寒かったから?

日もだいぶ傾いてきました。日暮れ前の海はなぜか寂しい眺め。ワカメ採りは明日も続きます。

 

 

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春が来た

2013-03-28 | 日記

とはいえ、まだまだ三寒四温、まだ季節淡く逆戻りの天気もあるわ~ということで、気分も一喜一憂、春は何かと心が騒ぎます。

少し前のいろいろ書いた記事、今読むと自分が嫌になってしまったけど、反省するよすがとしてあのままに。人は自分の合わせ鏡、合わない人には初めから近寄らない。仲良くしたいなら、すべてを受け入れる覚悟で。この歳ではもう柔軟性がないし、ストレス抱え込みたくないので、まあ基本はこのままかな。

今はだいぶ人付き合いも改善されたけど、若い時の私は本当に感じ悪い女の子だったはず。ネットでいろんな人と付き合い始めてから、意固地な性格もだいぶほぐれてきたと思う。ネット上で受けるキャラを演じるうち、リアルな自分がすっかりそれに感化されてしまうという・・・それなら表面上は性格替えるのも可能ということになる。いい人の振りをし続けるといい人に近づくのかも。


本日、カメラの写真をパソコンに移す。

公園でリュック背負ったまま走り回る孫娘。

先日の握り寿司、やっぱりお腹壊して翌日午前中は家でじっとしていた。買い物行けなかったので、あるものだけで地味なおひるごはん。まだまだ目に暖かい陶器の季節。

本日はGWの旅行の予約に旅行会社へ。宿は健康保険の補助や楽天のポイント使って、なるだけ安く上げた。昨年は雨と新東名の大渋滞でヘロヘロになったけど、今年こそ晴れて欲しいもの。

歩いて行く途中、花がいろいろ咲いていた。

モモ。三男の担任だった先生のご実家。可愛がっていただいたけど、先生、お元気でしょうか。

三男は平凡な成績だったけど、「優しい子」と褒めていただいた。それが親として嬉しかった。「この子は優しいんだ」と親が思い、そう接するうち、本当に優しい子になったと思う。人の言葉ってすごく力があると思う。

カイドウ

カイドウ

ツバキ 母の実家にこれとよく似た大きな木があった。家を建て替えるとき切り倒したはず。母の実家へももう30年以上行ってない。

一つ年上の従兄はとても優しい子で、野山で遊ぶとき、私の好きな木や花を採ってくれた。会社を経営して、地方議会の議員にもなったけど、今は自宅で病気療養中。少しでも長く生きてほしい。

ウバメガシ 備長炭にするカシ。暖地の海岸に自生する。実家の生垣もこれだったけど、家は15年くらい前に道路工事で消滅。毎年四角に刈り込んで伸びないようにしていた。今は実家付近でも生垣のある家なんてほとんど見かけない。

幼稚園で

幼稚園で。季節はツバキからサクラへ。

七、八分咲きといったところでしょうか。週末には満開かも。

 

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「遍路みち」 津村節子

2013-03-27 | 読書

84番屋島寺から山を下り、湾を左に見ながら向かいの五剣山にある85番八栗寺を目指す。遍路道を行くはずが道を間違えて大回り中。2008年12月23日。快晴、暖かし。帰りに倉敷付近を走行中、長男から「結婚する」といきなり言われ、激しく驚く。あれから4年と4か月。月日の流れるのは早いもの。


人生は楽しいことも多いけど、配偶者の死は最も悲しいことの一つだろう。夫で作家の吉村昭の死から三年、著者は夜の電柱に夫の姿を見、病室での最後の日々、もっと寄り添っていればよかったとずっと後悔している。

回顧展などの打ち合わせ、作品集の打ち合わせにも忙殺されるのは、編集者が作家である彼女を立てて相談をしてくるからである。それをきちんとこなすうちに疲れてしまい、熱海と思われる小さなホテルにしばらく逗留する。一人で街を歩き、夜は近くの居酒屋で魚を料理してもらって時間を過ごすが、東京の編集者からの電話に、再び元の生活に戻ろうとホテルを引き上げる。

人は充分に悲しんだ後はやっぱり普段の生活をこなすことで癒されていく。主人公の為にもよかったと思うし、自分の悲しみから目をそらさず、丁寧に書いた作家魂に感銘を受けた。どれも小品、無駄な言葉がなくて読みやすいです。

今朝の地元新聞の投稿欄に、昨年末、対向車線のトラックから鉄板が落ちて乗用車を直撃、二人亡くなったけど、その方の奥様が「こんなことは二度と起きて欲しくない」と投稿されていた。まだまだ傷がいえるには時間がかかるし、というか、一生悲しみを抱いて生活されると思うけど、今は充分悲しむ時期だと思う。新聞に投稿するのも何かの心の動きがあったことだろう。胸に迫った。

夫に先立立てる。多くの人が経験すること。それを悲しいという言葉を使わず、(少しはあったかもしれないが)難しい言葉も使わず、深い喪失感、後悔などを描いている。先日読んだ「紅梅」の続編。

昨夜は夫とお寿司を食べに行った。夫はお寿司が大好き、私は外でお寿司食べると高い確率でお腹壊す。でも付き合った。40回忌(周年)なので昔話もいろいろ、先日の文集の話も出た。

私の知らない話もいろいろ。40年も一緒にいてもきっかけがないとそんな昔のことなんて思い出さない。先輩のN原さんは就職決まったからと他の子と二人、お寿司おごってくれたとか。いい人だったんだあ。気が付かなかった。

O川さんはブルコメの三原綱木に似たいい男だったけど、学美(広島市学生美術連盟)の方ばかりしていたと聞いた。そうだったんだあ。女子大方面に多大の人気があった。友達が、派手な女の子連れて歩いていたと話していた。今、某女子大の美術部に在籍していた人と知り合いになってるけど、学生時代、学美の会合、行事がどんなに楽しかったかを夢のように話される。

そうでしたっけ????

私達はダサい服装、ダサい髪型、男子学生にもため口で、合同美術展の打ち上げ立食パーティなんてものすごく浮いてた。女子力は最低。んでも肩肘張って、議論吹きかけたりして(これは私だけかも)、最悪。心ある女子は初めからそんなところへは近寄らないものです。

いゃあ、また昔話してしまった。。。。。

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忙しい・・・

2013-03-27 | 日記

24日、孫を預かる。元気いっぱい。ひな祭りの日に息子のマンションへ行ってから三週間ぶり。会いたいなあと思っていたら、気持ちが通じたのが「預かってほしい」と電話が。うわおう、嬉しい。

お天気良かったので公園でボール遊びする。それから大きいお姉ちゃんたちが砂で池を作って水遊びしていたので一緒に遊ぶ。子供は子供と遊ぶのが一番。うらうらと春の日、子供たちが遊ぶのを見ているだけで、和む。人生後半の思いがけない平穏な一日。そのあと一緒に買い物に行ってまた歩いて帰った。歌いながら元気に歩く。二歳と10か月。息子はその年には県名などの漢字読む、でもオシメが取れてなかった。子供もそれぞれ。孫だから気は楽。

25日は小旅行。モンベルのブラウス一枚購入。

26日はお値段手頃な小さなバッグを買う。三越には私の好きなPICARDが入っていた。でもこれというのがなくて買わなかった。

夜は食事に出かける。結婚して40年。今あるのは義父母、夫のおかげ。忘れないようにしなければ。息子たちの結婚40周年なんて私はとても生きていないはず。

と考えてみれば、最近、ああその時にはもうこの世にいないだろうなあと思うことが増えた。仕方ないですね。人生は順繰りだから。キャッシュカード類などは元気にうちに退会して整理、預貯金もなるだけまとめる。品物各種、どうでもいいものは捨てる。

友達が宮島で期間限定の店、袋物、洋服、古布の着物を着たぬいぐるみなどを売っている。行きたいのだけど、私は宮島が苦手。今回はどうしても足が向かない。世界遺産なのに、日本三景なのに、、、、船に乗り換えるのが面倒、立派過ぎて感動を強制されるのが嫌などが理由かな。家族で、友達と、何度も行って飽きてしまったし。

もっとも大聖院から向こう、海岸沿いにどこまでも歩くと広島大学の生物学の研究所があり、日露戦争に備えた砲台や兵舎の跡がある。あの辺りは好きかも。原生林の珍しい植物の数々。

来月、人を案内して宮島へ行く羽目に。行きたくなーーーい。人多すぎ。食事も高い。それで今から落ち込んでいる。

昔ネットでお付き合いのあった京都の方、二条城や金閣寺が嫌いで、何十年と行ってないとおっしゃっていた。それと同じかも。宮島は拝殿に入らなければ料金かからないので、それよりはまあましかも。多宝塔付近から見下ろす鳥居もまあまあいいかな。と少しは気を取り直して案内、頑張ろう。

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i-pad初体験

2013-03-23 | 日記

お友達のブログをリンクしようとしたら、できませんでした。固有名詞は怪我のもと、逆検索の恐れあり、削除しました4/1

昨日は織の教室で、i-padの初体験をしました。詳細は↑の昨日の記事をご覧ください。持ってきたのは先生、71歳。すらすらと入力して使いこなされている。素晴らしい。私は初めて見た。なんか便利そう。でも通信費が高いんだろうなあ。

「先生、すごいね」「私達が何とかパッドって言ったら尿パッドのコナーへ案内されそう」とワイワイガヤガヤ、昨日も手も動かし口も動かして楽しく過ごしてきました。おやつも持ち寄り、たくさん食べて、これで太らなければいうことないんだけど。

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青春とはつまずき転び・・・

2013-03-23 | 日記

2008年1月、宇野?から小豆島へ向かうフェリーで。この時も夫と二人旅。旅行好きの人と巡り会ったことに感謝。


昨日、一昨日の記事を読み返したら、彼女に異性との付き合いを邪魔されたように読めますが、そうではありません。話に割って来られることは多々あったけど、サークル在籍当時は今の夫(前にも夫がいたんかい?と突っ込んでおきます)と付き合ってなかったので、それは他の人の話。それを私が見ていて、見苦しいなあと思ったという話。

私は仲のいいカップルの間に割って入ろうなんて思わないけど、(そこまで自分に自信がない、そんなことするのは見苦しいし惨めと理由はたくさん)、それを見ると我慢できない人もいるということで、それはまあ性格だから。

夫とはある集会でばったり会って、私はもうサークル止めていたので、久しぶりということになり、解散後、場所を変えて二人で話したのがきっかけ。世の中のこと、大学の中のこと、いくらでも話すことがありましたね。

付き合いだしてすぐだったか、だいぶ経ってだったか、彼女が「用事がある」と夫を呼び出して一度会ったと、今も昔も正直な夫は話しておりました。詳しくは聞いてないけど、特に用事はなかったようです。そのことをほかの友達に話したら、あの人らしいとのお見立て。付き合っている人がいるけど、他の男の子も一応キープしておきたいような話。そうなんだあ。私なら本命の人に悪いのでそんなことしないけど。

結婚してからも40代まで毎年夫宛に年賀状が来ていた。もちろん返すから来続けるんだけど。誰と年賀状やり取りしても私の関与することではないけれど、何かしら自分をアピールする手書きの一文が。正月早々毎年気分悪かった。気分悪いけど、正月早々喧嘩することでもなく、毎年我慢していた。

でもある時、何かがきっかけで我慢が沸点に達し、夫の目の前年賀状を破った。ストーブにくべるつもりだったけど、「火を出すな、やめぇ」と言われてそちらは断念。残念。

「私は20年間我慢した。でももう我慢しない」と宣言。それから来ても返事出さないのかやがて来なくなった。夫にはご褒美に15万円くらいのスピーカー買ってやった。もとはと言えば夫の稼いだお金ですけどね。フン!!私を怒らせるんじゃないよ!!

なんか私ってそういう目によく合うんですよね。こういう性格と容姿なので同性から軽く見られてるのかも。(近所の友達にも○○の奥さんのオーラがないって言われるし。だけど、オーラって何?確かに、辺りを払うような美人ではありませぬ)


高校のときの大親友ともそういうことがあり、今は全然連絡取ってない。卒業後二年間くらいは帰省するとよく会ってたのに、私が彼女の知っている男の子と仲いいと知った途端、「三人で会おう」という話になり、前日になって「都合悪くなった。**クンには私から言う」と言いながら、 一人で喫茶店で待ってたなんて。。。絶句。

彼女に会う一時間前に二人だけで待ち合わせ、そのとき「都合悪いらしいよ」とだけ私は言った。だってそれだけしか聞いてないんだもん。彼はもちろん連絡受けてなかった。あの時二人で待ち合わせの店に行けばよかったのかしら。いえいえ、私はそんなに意地悪ではありません。彼女抜きで、冬休みの地元の街でデート。フリランツ、田園、行った店の名前も覚えている。待ち合わせは宮脇書店本店の社会科学の棚の前。先に入ったものが立ち読みしながら待つ。彼らしい指定の場所。とっても頭のいい人だった。その人とも今は全然連絡取ってないけど。

彼女は大きなご商売をしているおうちの跡取り娘で、お父さんが大学には行かさず、しばらく外で働いてあとは養子を取って店を継げと厳命していて、かわいそうだった。そのことでは悩み、他の人が羨ましそうだった。付き合う男の子にもお父さんがいちいちチェック入れていたようで、たとえその子と付き合っても将来がないことは初めからわかっていた。今こうして書きながら、あのころはいろいろ葛藤があったんだろうなあ、身軽な私が羨ましかったのかなあと落ち着いて考えられるようにもなった。

とっても美人で、いつも複数の男の子がわらわらと寄って来ていた。その時の気分で選り取り見取り、いつも一緒にいた私も何かとおこぼれにあずかってたので、悪く言ったらばちが当たるというもの。楽しい時を過ごさせてもらった。でも自分より格下の女の子=私が自分の知ってる男子と付き合うのは認められない、そう反応してしまったのでしょう。

美人もなかなか難儀な生き物である。美人だからこそ生き難いということもある。美人でなくてよかったと思う今日この頃。何事も平凡が一番。

彼女の顔は同窓会のサイトで時々見かける。就職クラスだったので、地元に残っている人も多く、けっこう同窓会をやっているらしい。やっぱり美人である。お父さんの望みどおりの結婚をして、多分息子さんがご商売を継いでいるのかも。


 

一冊の文集からいろんなことを思い出した。一生に出会う人の数はわずか。いい思い出の人もいるし、会いたくない人もいる。しかし、どんな体験の中にも教訓と自分を成長させる糧は詰まっているということで、また元の生活に戻り、昔のことは忘れて暮らそう。 

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45年前のことを思い出して

2013-03-22 | 日記

 

スターフルーツってこんな形らしい。味はリンゴよりもあっさり目。これは沖縄の市場らしい。


 

昨日は文集を見ていろんなことを思い出したんだけど、そのころの私、あまり大人ではなかった。

自分のことしか話さない変わった人と遠ざけずに、少々のことは目をつぶって仲良くしていればよかった。案外いい人だったかもしれない。何よりも学生時代の知り合いが一人増えて、いい思い出も残ったかもしれないのに。嫌っている人からは好かれるはずがない。ずっとぎくしゃくしたままだった。ぎくしゃくしたままで縁が切れた。

彼女はサークルの中で自分の居場所がなくて、焦っていたのだと思う。女の子はたいてい、一番仲のいい女の子と二人ずつで行動、そんな二人組がいくつかできたのに、彼女は仲のいい子がいなかった。サークル活動で、同学年の同性に受け入れられなかったら、自分からいくら異性や他学年にアピールしてもそう楽しくはなかったはず。

集団のルールよりも好悪の感情が前に出るサークルがうまくはいくはずがない。みんなあまりやる気がなく、絵もそう描くわけでもなく、二年目にはかなり低調になっていた。サークルの中にいくつかのグループができて、反目とまでは行かないけれど、やることがバラバラで、全体の行事は嫌々こなすような。

給料が出るわけではないけれど、大学のサークル活動って会社とおんなじ。集団で何かをするときには和が大切。自慢や妬みや、男女の気持ちのもつれや、能力のあるなし、やる気のあるなしなどいろいろあっても、一つの目標に向かって適材適所で突き進んでいけば、達成感と連帯感も生まれたかもしれない。

上手くいかなかった責任の一端は私にもある。私は異性に甘えたり、女らしさをアピールするよりも、ズケズケと言いたいことを言う性格。でもどこかで注目されたいというさもしさも併せ持つ。屈折している。そのうち自分が何を望んでいるかもわからなくなるような。。。。

なんかこのころはもう絵など描きたくなかった。自分を支える言葉をひたすら探していた感じ。いつも本読んでいた。文庫本を持ち歩き、昼間の空いた時間に半分、残りは夜にという感じで一日一冊のペースで本読んでた。←自慢?ではなくてそうしていないと自分が空っぽで落ち着かない感じ。

昨日の文集はその直前、部の中も外も不安定な時期。部長が彼女に編集委員をさせたのは、彼女の居場所を作ってやりたいという配慮だったと思う。編集後記も、彼女の精いっぱいのアピールだったことだろう。

でも同性と仲良くしたければ、同性への自慢話をやめ、自分から歩み寄ってくれば良かったし、私がこのサークルで一番の女性と思うのは勝手だけど、ふるまうのをやめるだけでよかったのではないだろうか。そんなことは自然に出来上がってくる雰囲気。自分から求めて作るものでもあるまい。

仲のいいカップルを見ると、自分に目を向けて欲しくて取り敢えずは壊しにかかるなんて、一番嫌われること。なんて言うのも私のさもしい気持ち。お互いがお互いの居場所なれない不幸な間柄。

ずっと忘れていたのに、物持ちのいいお姑さんのおかげでそのことに気が付いた。まあ人生あとになって気が付くことばかりですよね。まさに青春の墓標。苦い経験もまた人生の貴重な糧。

ときれいにまとまったところでもう風呂入って寝ます。22:55です。

 

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45年前の文集を見る

2013-03-21 | 日記

当時私は19歳、某大学の某学部に学び、サークルは美術部でした。みんなが短文を寄稿した文集です。

私のページはこれ、タイトルは「疎外された者への想像力」。うわおうっ、思いっきり恥ずかしい。のけぞり、身を悶えつつ、しばし心行くまで恥ずかしがる。内容は拾い読みしただけだけど、タイトルから推して知るべし。ああ、恥ずかしい。

当時、新潮社から大江健三郎全作品というシリーズが、確か10巻で出ていて、それを読んだ感想を書き連ねているらしい。ガリ版刷りで、字もところどころかすれて読みにくいので、確かに自分が書いたものだけど、とても読み返す気にならない。

19歳、いったい何を書いているのやら。しかしまあ、未熟とは若さの謂い、二度と帰らない、帰りたくない青春の墓標としてしばらくコタツ周りに置いておき、退屈したらあちこちめくってみよう。冷汗かいて少しは痩せるかも。

この編集係は同学年。男の子には人気があったけど、女の子には嫌われていた。仲のいいカップルを見ると、必ず男の方にちょっかいを出し、自分をアピールするから。つまりはいつも自分が中心でないと耐えられない人。それは性格だから仕方ないと今なら思えるけど、当時は女の子全員で共同戦線を張り、彼女を遠ざけていた。合宿の部屋割では誰も一緒になってあげなくて、彼女は一人だけ上級生と同じ部屋になっていた。

それでもめげなかった彼女は、今になればしっかりものだったと思う。私達は、何時も自慢モードの彼女に対して心が狭くなっていた。何時もかぶっていたベレー帽さえかげで笑っていた。何かぶろうと本人の自由なのに悪いことをした。このときの編集後記にはきついことを縷々書いている。彼女なりの反撃のつもりだったのだろう。今でも私のこと恨んでいるかも。

わーーー、もうとうに縁の切れた人なのに、こんなものが出てくるから、思い出したじゃないの!!

なんでこんなものと今頃再会する羽目になったかというと、私の5ページ前に「サークルの政治参加について」という一文を書いた人が、昨日、お姑さまから子供時代の作文から成績表、その他もろもろ貰ってきたから。

兼ねて、物持ちのいい家とは知っていたけど、当時の夫実家はすでになく、今は同じ場所に建て替えたもの。それでも残っているのが素晴らしい。

成績表もたくさん出てきた。息子たちは約30年後に相次いで、同じ中高一貫の男子校へ通ったが、成績表の体裁が全く同じなのにびっくりした。私にとっては見慣れた成績表、見方も通暁している。

ふむふむ、案外地味な成績。勉強と相性の悪かった次男は別として、ほかの二人の方が成績良かったぞ。かねてから息子達が何かいいことになると「**の血筋」ということになってたけど、ここらあたりも揺るぎかねない今回の新資料の発見。いやいや、大学入試直前で成績のびたのだろうと一応のfollow。

昔は大学へ行くのも大変、ましてや6年間も行くなんて成績ではないほかの条件に左右されていたという証拠と思う。よくできる人は東大とか京大とかへ行ってたんじゃないでしょうか。

いやあ、すみません、だんだん話がくどくなって。

「こんな成績だったなんて知らなかった。今までへりくだって損したあ~」と言うと「あんた今まで一度だってへりくだったという歴史があるんか」と言われてしまった。すみません、ありません。ないと思います。

息子の成績いいと母親は強気。昔、息子たちの学校の父兄会ではおのずと上下関係ができていましたよね。今となれば懐かしいけど。

来年度から古文書購読、退会するので今日は最後の講義。皆さんにお礼のお菓子を買ったついでに自分のおやつも買う。シュークリームがそうです。ゆめタウン北、電車通りに面した公園のまだ先のビルの地階、おいしいです。

帰宅後食べる。手前は春季限定、白粒あんのお餅。あわしま堂製。近所のセブンイレブンで四個で108円。おやつがあればこの世はパラダイス~~

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雨のお彼岸

2013-03-20 | 日記

午前10時ころから雨が降り出した。昨日と一転、肌寒い。

夫は朝からお姑様を連れて墓参り。我が家ではお盆は全員で、春秋のお彼岸は夫とお姑様で。いつの間にかそうなった。

親子でないとできない話もあろうし、私は遠慮している。義母はお墓参りのあと、近くの親戚に寄り、話をするのを楽しみにしている。いつまで続くかわからないけれど、元気なうちは一日でも余計に楽しい日を過ごしてほしい。

午前中は着なかった冬服の処分。ついでに一階をちょっと片づけて、ついでに記念の写真をば。

家を建てたのは1978年、すぐに手狭になって1989年には早くも増改築。家の周りにマンション、ビルがあるのでせめて明るくと数年前、壁紙白くしたらなんか落ち着きません。いつか変えたいけど、もう面倒だからこのままで行くかも。

 

午後は古文書の予習の予定だけど、いまいち気が乗らない。空き箱に一式入れて、気が向いた場所で。

今読んでるのは幕末の武士の日記。150年前の字がこんなに読みにくいのなら、150年後の人たちは今の時代の字なんてやっぱり読めなくなってるかも。

今読んでるところは一月。寒くて、風邪がなかなか治らず、毎日お城に病欠。水風呂に入るとあるのは湯を入れた風呂、普段は蒸し風呂か何かだったと思う。燃料も貴重。

 

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年々歳々花相似たり 

2013-03-20 | 日記

歳々年々人同じからず。今は無人の近所のお宅。時々息子さんが庭木の剪定に。花蘇芳に去年の鞘一つ。

ここで近所の人と立ち話。亡くなった方、今は介護施設にいる方のことなどを。

一足早く開花宣言

春の鳩は、ホームセンターの精米コナー前に集まる

今はなき国鉄駅のホーム。日清戦争直前、わずか17日(18日説もあり)で広島駅から4キロ余りを敷設した線路の終着地点。向こうは糧秣支廠倉庫の壁。

兵隊は列車に乗らず、駅裏の練兵場から隊列組んで歩いて来ます。歩けない荷物だけが列車に乗せてもらえます。

実父は、軍港の遺跡の多いこの付近を、喜んで見ていた。しっかり案内すればよかったけど、その時には親というものは永遠に生き続けていると思っていた。だって、気が付いた時にはもういたから。

BMI(Body Mass Index)=体重÷身長÷身長

オシャレな家具と小物、カフェの店。久しぶりに行ったらiittalaの食器があった。いったら、イッタラ

向こうはマツダの車両運搬船。だからマツダにしなさいってあれほど言ったのに。家から歩いていけるくらい近いのに。

地元で試験があって、翌日は大阪で役員面接があったんだよね。一泊だけしてもう帰ってしまったのも今頃だったかな?

子供だって、ずっと家にいると思っていたけど、もうみんないなくなった。。。。。

頑張って古い実をつけている。やがて新しい花に替わられるはず。

季節の変わり目は、おばさんだっていろいろなことを思うのでありました。

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「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安にこたえてください」 上野千鶴子 古市憲寿

2013-03-19 | 読書

長いタイトルですねぇ。名は体を顕す。本書の内容はこのタイトルに尽きている。1985年生まれ、東大大学院在籍中の古市氏が、社会学の大御所にして元東大大学院教授、上野千鶴子氏とこれからの介護について語り合う体裁。

すぐ読めるけど、自分の子供のような歳の後学に対して、上野氏の明快な(身も蓋もない)分析が面白く、かつまたわかりやすかった。

介護保険で介護を社会化した意義は大きく、再び家族介護には戻らない。家族は介護のプランを立てる当事者、介護保険は介護されるものの為ではなく、介護する者のため、制度を利用しつつ、親のお金も使いつつ、自分は仕事を辞めずにその時期を過ごすのが一番いいとの助言に、若い世代の古市氏が、うなずく様子が手に取るようだった。

20歳代ではまだ介護は現実的ではないし、親の面倒は見たくないけど、財産はしっかり残してほしいという本音も伺えて面白かった。漠然とした不安を抱えているけれど、何とかなるのではと先のことを考えないようにしているのが今の時代、介護される側、する側の実情だと思う。

制度はまだまだ不十分だけど、子供に何も残さない覚悟で介護の専門家にゆだねる流れはもう変わらないだろうと私も思う。

問題は延命治療。それは尊厳を持って死にたいという話ではなく、延命治療自体がものすごくお金がかかるので、家族に負担だということ。「昔は食べられなくなったら自然に死んでいたんです。今でも医師に連絡せず家に置いておけばそんな死に方ができる」。今の時代は自然に死んでいくのも許されない時代になったのだろうか。

もう意識がないのなら、生きていても意味がない。私は延命治療はしてもらわなくてもいい。残るものの都合にいい時にやめてもらえればいいんじゃないの。

昔は死はもっと身近にあった。私のささやかな経験だけど、小学校一年の時、隣のお祖母さんが亡くなって、お坊さんがまだ来ずに、なぜか私が呼ばれて枕もとで「白骨の御文章」を上げることになった。絣木綿の布団、お祖母さんの白髪、泣いている家族。。。。

人の死に初めて接して、「ああ、これが死ぬってことなんだあ」と子ども心にも納得した。生まれるのも死ぬのも、嫁ぐのも嫁を娶るのもすべて共同体の中の出来事。時間はゆっくり流れ、人は今よりゆっくり生きていた。

こんなこと言えるのは私が介護の苦労を知らないから。そして家で介護されるのも辛い。今の流れでいいんじゃないの。

 

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「京都人は変わらない」 村田吉弘

2013-03-18 | 読書

京都祇園で 2007年10月 お茶屋が並ぶ


 

高台寺からまだ山の方へ上がった料亭「菊乃井」、木屋町の「露庵 菊乃井」の主人が著す京都文化論という趣。

初めは自分の家への誇りが前面に出てちょっと読みにくいけど、中ほどから京都の人たちがどんな原理原則で生きているかという話になると、なるほどと思うことがたくさんあった。

要するに「自分が何者であるかを確実に把握する。相手が何者でどういう人で、自分とはどれくらいのつきあいで、どの程度の付き合い方をしたらええか。よく考えれば、そないにアホなことはでけへんというのが分かる」というのが人付き合いの原則。分をわきまえ、礼を失しないようにという最高級の気配り。その気配りが京都ではわかりやすい形で網の目のように張り巡らされている。そういうことだろうと思った。

お金や教養のあることを見せびらかすのははしたないこと、ないふりをしつつ、相手がどの程度の人か探り、それにふさわしい付き合いをする。なんかねえ、私のような田舎育ちには難易度高そう。

でも引っ越していって、自らの素性を明らかにし、何でも教えてくださいと頭を下げると、京都の人はそう意地悪はしないそうで、よかったあ。どこの土地へ行っても大なり小なり、その態度は必要ですもんね。

言わず語らずその場の雰囲気でことが運ぶのは、皆が同じ考えで生活しているからこそ。相手は尊重しつつ、過度に干渉しない、よそはよそ、うちはうちと世間に流されない、なんか賢いですねぇ。恐れ入りました。

京都で、一見さんお断りなのはお茶屋以外にはないそうで。お茶屋はお客さんの花代、飲食代、すべて立て替えてそれぞれの店に払う。素性の知れない、回収できるかどうかわからない人は断られるそうですが、これはシステムだと分かれば、意地悪との見方も払拭されるのでは。

もっともどの店でも自分のふさわしくないと、断られはしなくても「今あいにく予約がいっぱいで。また来ておくれやす」とか言われそう。その京都風に変な納得をするのもよそ者の悲しさ。

京都の食事は安くて気軽に食べられるものと、財布を握りしめて気合を入れて行く店とに二極分解していると思う。

こちら気軽な方。京都大学の学食、時計台に一番近いおしゃれなカフェテリア。ハンバーグランチ570円。2011年11月。

もちろん一見さんお断りではありません。日本円さえ持ってれば誰でもOK

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似島(にのしま)登山

2013-03-17 | 日記

きょうは港に9:20集合、似島へ登りました。他地区の公民館行事、近いので友人と二人で参加しました。

似島学園から登ります。元宇品、黄金山、金輪島などが見えます。浮かんでいるのは牡蠣筏、赤い屋根が学園?

もうすぐ頂上。花崗岩が崩壊しつつある登山道は、ざらざらと滑りやすい。ストック持参が正解。気の短い私は出したり入れたり、伸ばしたり縮めたりが面倒で近くの山ではまず使わない。

もうすぐ頂上。

着きました。低い山だけど、高度感いっぱい。

矢野、天応方面。

宮島方面。静かな春の海。

帰りは家下へ降りて、船に乗る。あの山から降りてきました。登山道は一部急なところもありますが、40分くらいで登れます。


 

本日はお天気も良く、友達と会うのは二か月ぶり、先週、滋賀、三重へ一泊二日のバス旅行に行ったそうで、効率よく回れば伊勢神宮まで行けるらしい。

本日は34人の大所帯、女性がほとんど、お世話してくださった役員の方、ありがとうございました。

で、一人変な女の子(20歳くらい?)がいて、放置すればいいんだけど、最近とみに気が短くなった私、つい注意してしまった。

私の友人のすぐ後ろを歩いていて、黙って背中をなでたり、手に持った枯れ草で首筋をくすぐったりしたそうな。友人は穏やかな人柄なので、「やめてね。どこから来たの?」と優しくたしなめていた。

それで止めるかと思ったら、今度は私にいたずらするので「止めなさい!!」ときつく言い、「私はそんなことされたくない。そんなにしたいのなら、一人一人にしていいですかと聞いて、いいと言う人にしなさい」と最早ケンカ腰。でも本人へらへら笑うばかりで反省の色なし。

そばのシダを折って、その子に後ろに回り、同じようにしながら「ほら、こんなことされたら嫌でしょ」とたしなめたつもりだけど、「全然いやじゃないですう~」ですと。ああ腹立つ。いきなり他人の体に触るなんて、失礼もいいところ。私はとっても嫌です。何考えてるんだあ。

今こうして書いていても、まだカッカしてるけど、もしかしたら、社会性の身につかない何かの病気があるのかも。むきになって大人げなかったかなと、しばしの反省。


以前私の着物にいちいちケチ付ける人がいたけど、あの人もずーとしゃべり続けるとか、料理するのにものすごく時間がかかるとか(二品で一時間、ちらし寿司だと午後中かかると本人が言っていた)、注意散漫とかちょっと変わった人だった。腹立って最後はケンカになったけど、だいぶ時間も経って、あの人はそういう性格なんだと思えるようになった。

そうと分からず付き合っていた私の咎でもあります。人は自分の合わせ鏡、相手に自分の姿が映っているということで、いやあ、ブログも書きながらいろいろ発見があるものです。

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