最後になって緯糸が足りなくなったので、余った経糸を少しずつほぐしてつなぎ、小管に巻いて使いました。
出来上がり!!
きょうは40cmくらい一気に織り、何とか7月中に完成。やれやれ。
ちょっと休んでから来月もまた頑張ります。
屋上菜園、本日の収穫。
食べきれないので夫が冷凍保存。
最後になって緯糸が足りなくなったので、余った経糸を少しずつほぐしてつなぎ、小管に巻いて使いました。
出来上がり!!
きょうは40cmくらい一気に織り、何とか7月中に完成。やれやれ。
ちょっと休んでから来月もまた頑張ります。
屋上菜園、本日の収穫。
食べきれないので夫が冷凍保存。
何度もほどいては織り直し、やっと65cmまで来ました。
今月中に1mの予定。だけど、できるかどうか。
織るうち、やっぱりほかの色でほかの柄がしたくなったので、二枚織ってうまくできた方を秋の展示会に出す。
きょうは朝、姑様を送り出した後は家事のルーチンワーク各種、涼しい服に着替えて、家中の窓を開け放して風を通しながら、午後から機織り。
台風一過、かすかに秋の兆し。涼しい。
どうしてそんなにぬいぐるみが好きなのかと聞かれるので、子供の頃は家が貧乏で、唯一買ってもらったコアラを大事にしていた…と三男は人に話すそうです。
いつも笑いを取らずにはいられない困った性格。としても、ネタは自分のことまでに留めるべし。
そりゃ裕福だとか富裕層だとかは言えないけど、人並みに近いことはしてやったはず。
それに本当に貧乏な人は、貧乏だと吹聴して歩かないと思う。
悔しいので、お嫁ちゃんにもう使わなくなったヴィトンのでかいボストンバッグ、確かスピーディとかいうシリーズ、上げた。とても喜んでくれた。
ほらね、貧乏じゃないでしょと念押し。
もう一人のお嫁ちゃんにも別のヴィトン上げた。孫娘が私も欲しいと言ったので、別のをヤフオクに出したのがつくづく悔やまれます。
歳とったら重くてでかいバッグはもういらない。ものはなるだけ減らす。
すっきりした風通しのいい部屋で暮らす。夏はそれが何よりの幸せ。
整経したのはいつだったでしょう。今月初め、友達が来た頃、やっていた記憶がある。
整経→粗筬→緒巻(男巻)→綾返し→男巻箱にセットして織り機に取り付け→綜絖→本筬→女巻…とここまでで20日くらいかかってしまった。
織る準備が9割、織るのは最後の仕上げと先生がよく言われてたけど、確かに。
今朝から織り始めました。
配色、散々考えてこれにしたんだけど、うーーーむ、微妙。お寺さんの袈裟みたいな色と柄。
いえ、お寺さんが悪いわけでは決してなく。
夕方までで20cmくらい。根詰めてやればあと3日間くらいでできそう。
でも、糸、1綛しかないので追加で注文予定。
最近はメールなどめんどくさいので、たいてい電話で済ます。
大阪の糸問屋の係りの方、また広島のおばちゃん、ちまちまとめんどくさい人やなあと思っているかも。
友達が大阪へ行ったついでに寄ったら、店はなくて事務所と倉庫だけ、倉庫の奥から糸、出して来たそうです。なんか楽しそう~行ってみたいかも。
機織りしていると楽しい。機織りしていると元気が出る。曼荼羅みたいな柄が次々現れるところ。
いい糸でざっくり織るのも機織りなら、私は安い糸でなるだけややこしい模様を織るのが好き。
あと9月初めまでにもう一つ違うのを織り、どちらかを秋の展示会に出す。
裏のマンションの建設業者の人二人、きょうは話に来た。
お宅の家はもともと8ミニり下がっていて、工事でさらに3ミリ下がった。(だからあまり下がってない)
何ミリとかはどうでもいい。とにかく原状に戻してほしい。
検討します。と言って本日は解散。
3ミリなんて…そんなことはありません。
風呂のボイラーの土台、壁に近い方で13ミリ沈下。
先では23ミリの沈下。
ボイラーはネジで金具に取り付けているので、ボイラーだけ宙に浮いた格好。
何とかしてと夫に言ったけど、何とかしてくれなかったので、私がソーメンか何かの空き箱を割ってとりあえず挟んでいる。
境界線も測量しなおさず、私たちも立ち会うこともなく境の工事してしまった。
地面があちら側にせり出したので、印も移動。目で見てわかるほど向こう側に湾曲してコンクリート打ってしまっている。
おかしくないですかと言っても、目の錯覚と言われてしまった。
こちらにせり出してるなら抗議するけど、あちらにせり出していてあちら様がこれでいいと言われるのだから、どうすりゃいいのよ。
北側とは言え、マンション建つから、崖の前に住んでるみたいになるのかしら。
一生ここにいるつもりだったけど、やれやれ。
実家地方の盆灯篭。8月のお盆の三日間、お墓の前に細い竹で二本の支柱を立て、横に渡した竹に灯篭を吊るす。
中に蝋燭立てがあり、墓参の間だけともす。買って帰ると、先ずは家の仏様にお供えする。その時、火はともさない。
白い大きい灯篭は初盆の時だけ。普段はもっとカラフルで小さいのを買う。
広島地方の盆灯篭は支柱の上に蝋燭を立て、朝顔形の風除けで囲む。ところ変われば品変わる。
5つの話からなる短編集。軽く読めると侮ると、いえ、実際軽く読めるのですが、怪談めいた仕掛けもその奥にあり、なかなかに深いものばかりでした。
泉鏡花賞を受けたそうで、言われてみればどれも「高野聖」っぽいものを感じるのは私だけでしょうか。
主人公は旅をしたり、亡くなった人の家の整理に行ったり、変わった人に変わった頼まれごとをしたりして…そこに異界への入り口がぽっかりと口を開けていて。
なかでもぞくっとしたのは「ハクビシンを飼う」。ひとり者だった叔母には晩年一緒に暮らしていた人がいて、ハクビシンを飼っていたと、たまたま事情を知っていると言う青年に知らされる。意外に思う主人公。そして、不思議ないきさつで、叔母の古い家で一夜の情を交わす。
あとから振り返れば、その話全体が奇譚めいていて、本当にあったのかどうかもあやふやになってくる。この滲ませ方、淡々しいトーンがこの作者特有のもの。読むこちらの肌がちょっと鳥肌立つ。小説の醍醐味。
表題作「妻が椎茸だったころ」はシュールだけど、人は何かしら植物や動物に似たところがあると言う最後への持って行き方がうまいと思った。
「リズ・イエセンカの…」は落ちにちょっと無理があると思った。次々男を替えて、前の男が行方不明になって騒ぎにならないのが、いくらアメリカの田舎でも無理なんじゃなかろうかと、ちょっと白けた。
しかし、ちょっと偏屈なおばあさんがよく書けていた。
と言うことで、楽しく読めました。
今月末に仕上げる予定が、大幅に遅れています。
柄の間違い、組織図の読み間違いはいかんともしがたし。
やり直しです。
綾の作り直し。
平織の踏み方で、開いたところ差に棒を差し込みます。
この時は糸を緩めてましたが
しっかり張った方がうまくいくようです。
交互に踏んで、交互に棒を通します。
ほどきます。逆に織るなんて悠長なことしてられません。
糸はゴミになるけど、切ります。
経糸の隙間を竹串で開けて…
何か所かカット。緯糸を引き出します。
気を付けていたつもりだったけど、経糸1本切ってしまいました。
こんな時は無理して継がず、新しいのと入れ替えます。
全部ほどきました。
このあと、さらに作業していて、なんか暑いなと思ったら、天窓からの太陽光を擦りガラス窓越しに浴びていたのでした。頭痛くなったので中止。保冷剤を頸動脈に当てて横になっていたら多少良くなったけど、午後3時過ぎ、まだ頭痛い。
老女、家の中であわや熱中症!!というお粗末。
昼休み、夫が窓をふさいで部屋が暗くなったけど、まあ仕方ないかな。
夕方孫が来て、いよいよソーメン流し機を使いますが、どうなることやら)))))
さて、暑さの中、頑張って今日から織り始めました。
緯糸、20番3本を上から各3本、2本、1本。
展示するので遠くからもはっきり見える方がいいので、最低3本取りですね。
しかし3本になると小管に巻いてもたくれてうまくいかない。
夕方、生川商店に電話してコットンキング注文した。
コットンキング2本取りくらいでないと柄が寸詰まりかも。
よく見ると柄がおかしい!!
なんで、なんでと考えるうち、なんと組織図の読み違い、だから通し間違い。
これ、全部ほどいて、筬から糸を外し、綜絖もほとんどやり直し_| ̄|○。
こういうことを防ぐために前もって組織図のフリーソフト使えばいいんだけど、前にExcelが壊れたのでもうしない。
暑い夏、家に籠って機織りする。それもよし。
夏空
アジア太平洋戦争に関する本は無数にあると思うけど、この本では兵士の現実に肉薄し、どのような軍隊生活だったかを具体的に明らかにする。その意図に貫かれている。
今までありそうでなかった本。鳥瞰的ではなく虫瞰的に描く。
先ずは兵士に虫歯が多かったことに触れている。類書にはない新鮮な視点、戦争体験のない若い学者の目の付け所に感心した。
戦争しているから何日も歯も磨かず顔も洗わない。虫歯になっても治療できない。虫歯などと言うなかれ、歯が悪いとしっかり食べられないし、しっかり食べられないと体力も落ちて戦うどころの話ではない。
一事が万事、資源に乏しく国力の劣る日本は不足する分を精神力でカバーすると言っても、先の見通しもなくやたら戦線を広げてそれを維持するだけの力もなく、つくづくと愚かで無謀な戦争をしたものだと思った。
そして最近、ゲーム感覚でミッドウェーで勝っていたらこうなったとか、ありもしない話がもてはやされる傾向に危惧を抱いたことが巻末には触れられている。
日本万歳、日本偉い、日本をけなすものは反日、というレッテルを貼ったりするけれど、私に言わすれば本当の愛国とはこの国に生きる一人一人の人間が大切にされる方法を考えることだと思う。
先の大戦もさっさとやめればよかったのです。投資の世界にも損切と言う言葉があるではありませんか。負けると分かったら、いかに損害少なくやめるか、それが外交力、政治力であります。
統帥権が独立するように制度設計した明治憲法は、時あたかも政党政治の台頭期、天皇の権力を侵害されないようにとの意図があったと言う。初めて知った。
最後の一年で戦死者は急増、つくづく早くやめればよかったですね。
この本の中では兵士の過酷な様子が、繰り返し語られ、胸が詰まる。車を持たない日本軍は兵士一人一人にいろいろなものを分担して運ばせる。何十キロという荷物を背負って行軍する兵士たち。
今の私の息子たちよりもまだ若い命の一つ一つが本当に可愛そうで、涙が出る。もっともっと、私たちは過去から学ばねばとつくづくと思った。
梅雨明けから八月末頃まで、冷房が苦手な私には苦難のシーズン。
昨日は用事で電車で外出、乗った途端ものすごく寒くて、気分悪くなった。降りるころには何とか体が慣れるけれど、帰りはまた同じことの繰り返し。
冷房が寒くて逃げ場のない場合、はおりもの必須。いつも持ち歩いている。
夜は仕事場のパソコンで遊んでいる夫が、最近、なぜか家にいてエアコンと扇風機の二段構えで室内を冷やしつつ録画したテレビ番組見てるので、昨夜は風呂入ってさっさと寝た。
体感温度は人それぞれ、どちらがいい悪いではないので、健康のためには無理に折り合わず別な場所にいる。夏の間はこれしかないでしょう。
で、困るのは同じ部屋で寝なければならないとき。
来月、姑様をショートステイに預けて旅行することになってますが、せっかく誘われたのを断るのもかわいくないので有難くついて行きますが、エアコンかけまくるはずなので、寒いやろな))))
子供の頃からの習慣で、夏は家中を開け放したい。
海に南面する広島の夏は南風、南側を開け、北に風を逃がす。夜は流れが反対になる。我が家は海に近いので、開け放すと実家より涼しいと思う。
実家は子供の頃はよかったのだけど、私が20歳くらいに建て替えて、真ん中廊下、風の通りが悪くなって、途端に暑い家になった記憶がある。今はその家ももうありませんが。
南北に窓を付ける。これは私の中で鉄則。今の家は増改築した時、そう考えた。(最初の時はそこまで考えが及ばなかった)。あれこれちまちまとした仕掛けを家に施さない。家はどのようにもアレンジできるニュートラルなのが一番。
夏は風の流れる部屋で、肌につかず離れずのワンピース一枚で過ごす。疲れたら横になって軽い文庫本を読み、眠くなったらそのまま眠る。
目が醒めたら元気になっているので、掃除、片付け、ハガキを書いたり、機織りしたり。エネルギーが枯渇したら、また横になって本読む。
今、4:54、昨夜あまりに早く寝たので2時には目が醒めた。今の時刻、ノースリーブのワンピース一枚では肩口が寒い。
昨日は西隣のビルとの境のブロック塀、上を撤去してもらったので、これで一層涼しくなるといいのですが。
10日、綜絖通す。糸が余る。
もうあんたらは数が数えられんのじゃけぇと、どこからか天の声。いえ、先生の声。
でも厳しく言われたから今の私があるのです。先生有難う~
12日、筬を通す。
模様にする緯糸、色がイマイチなのでまた買うかも。で、うまく織れたら九月の展示会に出す。今月ももう半分過ぎた。今、荷物の配達が遅れているそうなので、注文しても、糸、いつになるか不明。
人生の節目、成人式、結婚式、葬式、お盆の行事を四つの短編としてまとめたもの。
どれも洒落ていて、深く、ほろりとさせられたけど、私の好きな順番は祭、婚、葬、冠の順番。
三年前に亡くなった母親が住んでいた田舎の家、いよいよ売れることになり、最後のお盆を姉妹三人ですることにした。
母親もそこに長く住んでいたのではなく、義兄夫婦が亡くなった後、自分も未亡人になって、最後の日々をそこで過ごしたのである。
次女皐月が一足先に行って家を掃除し、準備していると、街へ出て何年かぶりにたまたま帰って来た幼馴染が、灯りが付いていたからと尋ねてくる。
あとから来た夫に道を教えてくれたのは、叔父と昔、結婚話もあった人で、その叔父は昔ブラジルに行き、今は音信不通になっている。
母の義兄夫婦には子供がないと聞いていたが、小さいとき水死した女の子がいたことを。あまりに悲しい出来事だったので、誰もがそのことを封印していたのである。
三女香代の子供たちもやってきて、田舎のお盆の行事を夏休みの自由研究の題材にすると言う。近所の子供たちとも川遊びをしてすっかり田舎が気に入った勉は「来年も来る?」と聞く。
もう家がなくなるのでこれが最後と皐月が言うと、ヨウコちゃんと来年も会おうと約束したのだと言う。ヨウコちゃん?ヨウコちゃんって誰?そんな子いたかしら?でもそれ以上聞いては行けない気がしたまま、車で帰る香代一家を見送る・・・
末尾の解説には、昔から続くお盆の行事をしていると、亡くなった人と過ごしたその時々のお盆を思い出し、傍にいるような気になる。それがご先祖が帰ってくるという意味だとあり、なるほどと思った。
家族が一人減り、新しい家族が一人加わり、それでも連綿と続くお盆の行事。
子供の時、若いときはダサいなあと特に気にもしていなかったことが、この歳になると懐かしい。一緒にお盆を過ごした人はあらかた向こうへ行ったけど、またお盆には思い出してみよう。最近とみに老化激しく物忘れもひどいけど、いろいろな事を頑張って思い出してみよう。
土曜日、引き続き(勝手に)姑様の不用品置き場の整理。趣旨は今使えるものをよりだし、使えないものはゴミに出す準備。
天袋にぎっしり詰まった箱をいくつか開けてみる。タオル類各種、シーツ、タオルケット、毛布に電気毛布などなど、進物でしょうか。いつかは使おうと大切にしていたのでしょう。私が10年位前に母の日にプレゼントしたタオルセットも包装紙さえ開けずに仕舞っていた。シーツは何十年もすると、茶色のシミが出ている。
早く使うなり、人に上げるなりすればよかったのに、何という物持ちのよさ。昔の人はものを大切にするんだけど、大切の意味はため込まずに使うことではないかしら。
で、サーッカー地のような凝った織りのバスタオル二枚発見。水色と白で夏向き。持ち出して姑様の枕カバーにした。毛布カバーもさっそくかけた。
枕カバーはミシンを持ち出すまでもなく、現場で大体の寸法確かめて手縫い。ポリ混紡の枕カバー外して、さわやかな色と手触りの枕カバーに交換。開きは安全ピンでとめる。
姑様はもうものがほとんど言えないけど、泣きださんばかりに喜んで、何度も何度も私に手を合わす。私は人間、仏様ではないので、人に手を合わされて戸惑ったけど、ジーンとというかぐっと胸に迫るものがあった。
今の姑様は体も自由にならず、思うことも言えず、本当に寂しいのだと思った。この歳になってもまだ不出来な嫁が、テキトーにチクチク縫ったのでも感謝されるなんて、このくらいならお易い御用です。
この土、日は夫弟妹が来ることになっていたけど、大雨と土砂災害で交通がマヒ、来週以降になりそうです。
木曜日、粗筬を通すのにつくづく疲れる。畳の上に卓上機を置き、その上で前傾姿勢でしたから。
きのうは背中がバリバリに痛かったけど、男巻に巻き取り、綾返しまで。短いので却ってやりにくく、もたもたするうち綾がいくつか落ちた。
これってかなりのダメージ。でも、次の工程で何とか辻褄合わせるしかない。
男巻に芯棒入れて織り機に取り付ける。
しっかり締まるよう、各部材、結構重い。何の木でしょうか?外材かも。
糸をぐっと引き出して、綜絖の向こうに綾棒固定して、いよいよ次は綜絖に通します。2本取り、両端だけ3本にして552本、間違いなく通せますように。
おりしも今日は七夕、天の織り姫様にお祈りする。
とは言え、経糸短いのでもう終わりが見えている。
多すぎても少なすぎても直すのは容易。何とかなる。何とかする。
20本くらい、綾があやふや。これもあまり遠くから糸引いてこなければ、テンション(張り)の強弱見ながら何とかなりそう。一人だから何とかするしかないのです。
頑張ります。
織り始めたら短いので、今月末を目標に。
話変わって、こちらは昔流行ったレース編み。
姑様不用品置き場よりお借りした。
洗濯して、孫たちのおもちゃと絵本を入れる籐の物入れに掛けてみました。
インテリアのささやかな夏バージョン。
170cmと短いけど、552本の整経です。
卓上織り機の裏にスティック立てて整経台にします。
途中でスティックの高さいっぱいになり、とりあえず外して置いておきます。
まだ半分もできていません。
午後から夫不在なので、15時頃、姑様のところへ行ってお世話した。
直立するのが、させるのが難しくなり、最初の一歩が踏み出せず、キャスター付きの椅子に移るのも難しく、結局ベッドで寝たままおやつのメロン食べてもらった。
いきなり器に口を付けるのでびっくりして、あとは私が食べさせる。少し食べた後、きょうは「もういいです」とちゃんと言葉が言えて、よかった。
きょうは昼間、比較的よく起きていた。
大したお世話はできていないけど、なるだけ長く家にいていただきたいって、こちらの自己満足?
でも遠くの施設にいたら、どうしているのかなと気にかかると思う。それとも目に触れないから忘れる?
何をすれば楽しいのかなと思うけど、そういう境地はもう卒業しているのかもしれません。