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「たとへば君 四十年の恋歌」 河野裕子・永田和宏

2017-08-26 | 読書

学生時代、短歌のサークルを通じて知り合った二人の歌人、40年間にわたる歌とエッセイでその創作の歴史を自らたどっている。

河野裕子が2010年に乳がんの再発転移で亡くなる直前までの歌が収録され、愛し合い、時には自我と自我がぶつかり合う様子が、歌という、一瞬スパークする言葉でよく表現されている。

生きること、愛することが作歌でより深く体験され、その正直な吐露が胸を打つ。

永田氏は京都大学の教授を務めた人だけど、人生は順風満帆ではなく、若いころは民間企業にも努め、一念発起して無給の研究員となって博士号を取り、研究者としてスタートする。

河野裕子はその歌の中で、良妻は責められるべきものではないと思わず表現しているが、時には夫家族とも同居して苦労したらしく(あまり夫の親族のことは責めていないけれど)、夫がかばってくれなかったと正直に告白している。

こんな苦労って、いくらしても誰も関心を払わないけれど、表現者はそれさえも歌の肥やしになったと思う。しなくていい苦労も、してしまえばそれを生かす。

病気になってからの精神の不安定ぶりが凄まじい。急に怒りだして止まらなくなり、家中の包丁をあちこちに突き立てたりと、家族は手を焼く。

ここからは私の持論ですが、女性に二通りあり。

包丁を調理器具としてだけ使って一生を終える人と、身近な刃物として感情の表現に使うごく少数の人と。私はもちろん器具派。いままでもたぶんこれからもそこまで度胸ないし、怖いし。

でも感情表現として使う人がいるのも事実。そこまでになってしまう人間の抱え込んだ闇。。。。

私もいつか乳がんになった時、精神のバランス崩してこんなことするのかな。それも病気の一種、本人を責めるのは酷なのかも。夫がいつも通り仕事して自分の方に目を向けてくれなかったという気持ちだったそう。辛くて寂しかったのだろう。

その時々の正直な歌が胸を打つ。生きて、もっとたくさん表現したかったことだろう。合掌。



 

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「私にふさわしいホテル」 柚木麻子

2017-08-25 | 読書

イビススタイルシュッド/アビニョン/フランス 2014年3月 フランス的。


新人作家がいろいろなことを経験して、最後は大きな文学賞を取り、映画化されて、女優らとともにカンヌのレッドカーペットを歩く。そしてこれからも前を向いて、したたかに書き続けていく…

一言で言えば、女性作家業界出世双六。面白いけど、筋運びは強引でいささかご都合主義。読む吉本新喜劇という趣き。完全なエンタメ。

このくらい握力が強くないと業界で生き残れないのかと、アクの強さに辟易した。読んで楽しめばいいけど、主人公が平気で人を陥れるところは全然共感できない。

珍しくリアル書店で定価で買ったので、最後まで読みましたが。

キャッチーな題名につられた私が悪い。昼ごはんまでに帰宅しないといけないのに遠くの書店へ行った段取りの悪さ。しばしの反省。

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「建築家、走る」 隅研吾

2017-08-23 | 読書

2008年6月、ロンドン、リッツホテル前で。

ヨーロッパの大きい都市の旧市街は、建築様式が統一されている。新しく建ててもたぶん合わせるのだと思う。

日本人はそれがうらやましいが、様式がごちゃ混ぜの東アジアの大都市の、混沌の由来を考えるのも比較文化論になって面白いと思う。


新国立競技場のやり直しの設計案に選ばれたのがこの人。(突貫工事でもう始まっているらしい。現場のあまりのきつさに先日自殺者が出たのでは?痛ましいことである)

これは建築雑誌か何かに連載されたロングインタビューをまとめたものらしい。話題は多岐にわたるけれど、自伝的建築論という感じ。そして建築家の仕事の内容が私のような素人にもよくわかるようになっている。

大変に面白かった。この人の筆力は文壇デビュー作「10宅論」で楽しませていただいたけど、あちらが皮肉を交えた傍観者の立場としたら、こちらは建築のただなかで日々格闘するその奮闘ぶりが面白かった。

建築家って、自分の頭の中で考えたことに巨額の予算が付き、目の前に現れ、長い年月、人目にさらされて、表現者としてはとても満足感を得られる仕事だと思う。芸術、工学、歴史、文化、いろいろなことが複合した総合芸術。そして何よりも実用も兼ね備えてなければならない。すごいなあと思うばかり。

育った家はよく増改築する家庭で、子供も自分の案を出して話に参加する。期せずして建築家を養成する環境。そして小学校の時、代々木の国立競技場に足を一歩踏み入れた時の感動から、将来建築家になろうと決めたという。こういう話はいいなあと思う。建築の持つ力。

一つ怖かったのは自作のガラステーブルに右手をついたとたんガラスが割れ、骨が見えるほどの大けがをして手術をし、いまだに手が不自由だということ。

ガラステーブル、一時流行りましたけど、いくら強化ガラスとは言えガラスはガラス。まして自分で作ったテーブルなんて怖い。

事故は何処にあるか分からない。私も気を付けたいと思う。


 

何の脈絡もないけれど、1998年7月ころ、瓶ヶ森の登山道から石鎚を見る。

上山7時間、下山5時間の深い森。一番きつい登山だった。とはいえ、若かったなあと。

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「十五歳の戦争」 陸軍幼年学校「最後の生徒」 西村京太郎

2017-08-16 | 読書

8月は先の大戦の犠牲者に思いをいたし、日本が二度と戦争をしてはならないと誓いを新たにする月。

戦争の体験談は世の中に無数にあるけれど、一人一人の体験はその人固有のものであり、まだ語られていない話もあるはず。そして、この種の体験談はこれで充分、もう結構ということはないはず。

今年87歳の推理小説作家、西村京太郎が初めて著す戦争中と戦後の自伝。そして、戦争への分析と批判。日本人は戦争に向かない民族、戦争をするべきではない、スイスにのように中立国としてしたたかに生き延びていくべきという内容。

新書なので要領よくまとめ、大変分かりやすかった。日本の軍隊にみられる不合理性、極度の精神主義、これはもう戦うための軍隊ではなく、何かを信じたい妄想の集団、私にはそう思えた

たまたまその時代に生まれ合わせだけの若者が、遠い外地で、肉親に別れを告げることもなく亡くなっていった。そのことは日本人の誰もが心に刻んでおくべきことと思う。戦後の日本はその鎮魂の思いの上に築かれたはずだから。

勇ましいこと言う人に、そしていざ戦争になると自分は安全なところにいるはずと思う人たちに、本書をぜひ読んでほしい。


ここからは個人的な話になりますが、子供のころ、毎年7月の21日、我が家では近所のお寺のご住職に来てもらって、ニューギニアで戦死した叔父の祥月命日をしていた。

私が35歳のころ、実父から一度だけ聞いたその叔父の最後の様子。

ニューギニアのホーランジアに昭和18年上陸。19年にサルミまでのジャングルを敗走。二千人の部隊のうちたどり着いたのはたったの17人。その間の悲惨な様子も聞いたけど、ここに書くのは私の神経が持たない。歳とって、私もそういう話がこたえるようになった。

詳細はこちらなどで。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E3.82.B5.E3.83.AB.E3.83.9F.E3.81.B8.E3.81.AE.E6.92.A4.E9.80.80

叔父がそこまでたどり着けたのは「体が丈夫だったけんかのお」と皆で話したとか。しかしサルミへ来ても食べ物がもらえず、その地で昭和年19年7月21日に21歳で餓死したと、父から聞いた。

戦後、部隊が引き上げてくる情報をラジオで聞いて、港に復員した戦友を訪ねて行き「確かに死ぬのをこの目で見たので生きていると思わないように」と言われたそうで。

その話を私が聞いてからでも30年以上がたつ。小学生のころ、南の島で4人の日本兵が見つかったのはこのときジャングルに隠れていた兵士だったと、今日初めてわかった。

私も息子たちにこの話をしておかなければと思う。


で、この本で知ったことは、大本営の、動かずにいるようにとの命令を無視し、米軍の上陸したアイタペへ向けて無謀な戦闘を仕掛けたのは現地の十八軍の指揮官、直接の上司の阿南第二方面軍司令官。楠公精神に生き、結果いかんよりも皇国の歴史に光輝を残すのが部下への愛って、もうめちゃくちゃである。

ニューギニアでの勝敗は決しているので、ここはひとつ動かずに魚とったり芋を植えたりして自活し、戦争が終わるのを待つ。なんでその合理的判断ができん?

日本軍は外地の戦場の各所でこんなことしてたんだろうなあ。資源のない国は戦争する資格もない。それを精神力でカバーなんて、亡くなった叔父のために、補給もなく戦死した大勢の若者のために改めて怒りを禁じえない。

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「七十歳死亡法案、可決」 垣谷美雨

2017-08-05 | 読書

中軽井沢セゾン美術館。2008年8月。広島は本日36℃(;'∀')

涼しい場所に行きたい今日この頃。


70歳になると日本人全員が安楽死できる法律ができた。法律の執行は二年後、70歳以上の人も2年後には同じように死ねる。。。。

そんな荒唐無稽な話からこの小説は始まる。ありえないと思ったらそれ以上には読み進められないので、ここはひとつ読んでみる。

舞台は東京都内のサラリーマン家庭。寝たきりの姑を一人で介護する東洋子は専業主婦、長男は一流大卒で大企業に勤めたが、続かなくて現在引きこもり中。長女は家を出て介護職で生活している。夫は法律ができたので、早期退職して、妻に介護を任せて三か月の世界旅行に出かけた。

小姑達は財産の相続には目の色変えるけど、普段は寄り付かない。

八方ふさがりの東洋子は、耐え切れずに家を出て自活を始める。

周りの人間は、そこで初めて一人の人間に負担が集中していたことを悟り、少しずつ状況が変わっていく。

最後はこの人らしく、前向きの希望が見える終わり方。


家族の在り方はそれぞれ、外からはうかがい知れない。えてして一人の人間が美談になるまで頑張り、結果としてほかの人は何もできないことになりがち。

それではよくない。少子化の時代、男女の違いを超えて、支えあわないと家庭が、ひいては社会が持たない。

この小説の中では、年金を貰わず、介護と医療は全額自費、そして国に寄付する人は生きてもいいことになっている。

そうだよなあ…私たちの世代、これからは国や自治体、そして家族の(不確定な話ですが)お世話になるばかり。日本は世界一の長寿国でこれからますます年寄りは増えるばかり。年寄りがいなくなったら、財政的にはうんと楽かもしれないけど、年寄りも消費活動をして消費税は納めてるし、社会や家庭がうまく回るように無償で活動しているし、ここまではっきり切り捨てるのも極論。

が、問題提起としては考えさせられた。姥捨て伝説を思い出した。これから10年後、20年後、日本はどうなっているのだろう。

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「先生と私」 佐藤優

2017-08-03 | 読書

市内、京橋川沿い。今年、梅雨明けのころ。そろそろ川べりのカフェのランチタイムです。


自らの生い立ち、家族のこと。そして、小学校、中学校でどんな人と出会い、何を読み、何を考えたかを、自伝としてまとめたもの。

大変に面白く読みました。

一読三嘆、優少年の知的好奇心の旺盛さと、家族、周りの大人たちの見識の高さに感銘を受けた。

両親は大金持ちというのではなく、技術系の勤め人と専業主婦。でも知識への敬意があり、子供のやりたいことには進んでお金を出す。そして子供を一人前の人間として扱い、決して生き方、意見を押し付けない。

旅行にも積極的に出す。長い休み、母親の実家の沖縄や、叔父が議員をしている関西へ一人で滞在して経験を積ませる。

中学時代の塾の先生も素晴らしい人たちばかりで、というか、著者の知的レベルが高いので、先生もそれに応える形でいい面を出してきたのだろう。

塾の国語の先生は受験勉強と並行して、古今の名作を読ませ、考えさせる。中学生で、「出発はついに訪れず」を読んだり、マルクス主義とキリスト教とどちらが正しいかと疑問を持ったりする頭のいい少年は知識をものすごいスピードで自分のものにしながら、受験勉強にも精を出し、埼玉県で最難関の浦和高校に合格し、春休みに一人で北海道へ旅行する。

送り出す親も見識があると思う。

その旅は大雪にたたられて大変だったが、40年くらい前の、若い人の北海道旅行ブームを活写していてこちらも面白かった。

で、この旅行は高一の夏休み、ソ連東欧一人旅の練習だそうで。その時の旅行記もどこかで読みたいものです。

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