ブログ

 

山でミツバとウラジロ採集

2020-12-31 | 山歩き

大晦日です。今年はお節料理、作らないので閑です。その代わり、冷凍のカニ、通販で買い1/3は先日三男と、残りは2日に食べる予定です。

ミツバは鍋に春菊の代わりに入れたいけど、近所のスーパーでは売ってないのかな・・・未確認ですが、ここはひとつ、山へ採りに行きましょう。

家から歩いて20分くらい。

元は小さな島。小さな島にも小さな川があり、その源流部分。流れが窪地になってやがて消滅しています。

その川床に自生するミツバ。川も周りも国有地で営林署の管理。

生態系を壊さないように少しだけいただきます。

イズセンリョウ。

フユイチゴ。

一年前、一緒に山口県の山へ行ったようこさんは今年3月、亡くなった。

イチゴが好きだからと一株抜いて帰っていたけど、今年のフユイチゴを見ることはなかったのでしょう。

これからはフユイチゴ見るたびに、春風のように穏やかだった故人を思い出す。

翻ってこの私、山でも文句たらたら、岩が多いと特に発言多し。

だって歩幅が短くて、岩場を歩くのは一苦労です。

まだまだ頑張るツチトリモチ。

だいぶ木を切っている。島の最奥部は墓地たくさん。

このあたりはベニシダばかり。

ベニシダは日陰に。以前は少しだけウラジロもあったけど、消滅。

小学校の花壇はもう菜の花が。

島の斜面は暖かい。

ウラジロ発見。

ベニシダよりは日当たりがよく湿ったところに。

日当たりのいいところはコシダ。シダ類も棲み分けているらしい。

帰ります。大晦日の空。

しめ飾りにウラジロ足す。

おやまあ、笹がゆがんでいる。明日までに直します。

今日は一転いいお天気です。

気温は低いけれど、いいお正月が迎えられそうです。

今年一年、たくさんの御来訪、ありがとうございました。来年も何卒よろしくお願いします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナを乗り切るために

2020-12-30 | 日記

クロガネモチ。


いろいろな方の健康の心得を参考に、私なりにまとめてみました。

ある医師の方のブログから。

差し当たっては隔離と免疫力。免疫力を付ける方法あれこれ。

質のいい食事、運動、睡眠のほかに

①姿勢を正す。猫背は免疫力を低下させる。肺活量や消化機能のことでしょうか。内臓を抑えるのはよくないですよね。

②よく噛む。

③笑う。

④人の喜びを自分の喜びとする。ボランティアなど。私なりに付け加えて、人にしてもらったことを素直に喜べる人間でいたいと思う。

⑤日光に当たる。

⑥座る時間を短くする。

⑦感謝し、人の悪口を言わない。

⑧3つの間を持つ。心を許せる仲間、ほっとできる空間と時間。

⑨早寝早起き

⑩毎日したいことがある。

⑪夢がある。

⑫孫、草花など成長するものを見る。

⑬水分をしっかりとる。

先生もほかのサイトの引用のようでしたが、そちらになぜかたどり着けないので、引用させていただきました。ありがとうございます。

体を動かし、前向きの気持ちで。参考になりました。ただし、なるだけレントゲンを浴びない、なるだけ薬を飲まないというのはもう少し詳しく説明していただきたかったのが本音です。

これは自分でもう少し調べてみます。

もうお一方、70代の方の最後まで人の手を煩わせず元気でいるための五つの心得。

①歩く力を落とさない。人は歩行ができなくなり、排泄の処理が自分でできなくなり、最後に食事を自分で取れなくなる。

大切なのは最初の努力目標の歩く力を落とさないこと。なるだけ長く自分で歩くことで、元気で過ごせる期間が長くなる。

②自分の歯で食べる。

③社会的なつながりを持つ。仕事、趣味、地域活動など。今は人と会いにくいので、電話、Zoomなども可。

④部屋を暖かく。冬でも18度以上。体が冷えると血圧が上がり、免疫力が落ちる。

⑤エンディングノートを書き、介護と死後の希望を記しておく。

などです。

歩くことの大切さを改めて思いました。歩けなくなると、いろいろなところが悪くなると思うので、私もこまめに体を動かし、自分のしたいことができる体でいたいと思います。

介護については、家にヘルパーさんが来て生活できる間はいいけれど、人の手を煩わせるようになると、子供に頼るのも心苦しい。一人の子供に負担かけて、他のきょうだいとの間がぎくしゃくするのは親として一番辛い。介護で離職し、体を壊し、最悪家庭まで壊れたら、親として死んでも死にきれない。

お金があれば安心して有料の介護施設に入れるけれど、そうでない場合、お金が尽きてもまだ生きていたら・・・どうなるのでしょうか。子供に出してもらうのも心苦しい。

子供のいる人もいない人も、先のことは心配してもなるようになる、なるようにしかならないと考えるしかない気がします。なんか、そんな結論かよ~と思われそうですが。

介護については、皆さんの話を聞いても千差万別、ケースバイケース、いろいろな話から自分の行く末を考えたいと思います。

フユイチゴ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お正月の準備

2020-12-30 | 日記

今年もあと二日、人が集まらない静かなお正月は、伝統から離れて自分の都合のいいように。

と言っても何もないのは寂しいので、少しだけそれらしく。

サネカズラ。

コシダ、サネカズラは山で。

センリョウは庭のを切る。

近くの国有林、樫の木をたくさん伐採して明るくなっていた。

定期的に間引きするらしい。

コシダは日当たりのいいところに生える。以前の場所にはなく、小学校の敷地の法面のを少しいただく。

買った花より、野生の枝の好きな私。

この時期にサネカズラは実はありませんが、赤みがかった葉が好きです。

このほか、今日は先日の孫の忘れ物二つ、車で届ける。

表通りのドアガラスと窓ガラスを磨き、しめ飾りを付ける。

自宅にもつける。

あとは何かなあ~

2日にまた広島にいる息子たちだけで集まるので、それまでしばしの骨休め。

裂き織り一つするかも。展示が決まってから織るなんて、泥縄もいいところ。頑張ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三男が帰って行った~

2020-12-29 | 日記

昨夜は、夫の仕事の後、次男のマンションへ徒歩で。

そのあと、魚料理とお寿司の店でささやかな集まり。

二階の座敷を貸し切りに。行くともうセットしてありました。

年末で材料を使い切りたいとのことで、お任せコースです。

こんなおいしいフグ食べたことないと三男が喜ぶ。確かに。肝もおいしかった。

そこでよせばいいのに、20年くらい前、同業者奥様方の親睦会の幹事の時、フグ料理の店を企画した自慢する私。

一人前、2万5千円、直径80㎝くらいの平皿に厚切りのフグがぎっしりと並んでいて、それが二人前、向かい合った二人でいただく。

15万円くらいの代金、キャッシュで持って行って緊張した。

というような話をしても、息子二人、夫はふうん・・・という対応。

数少ない私の贅沢話、聞いてほしい~と言っても積立金なので、あまり自慢するのもどうかなと。

あの頃の奥様方、何人かはあちらへ行ってしまわれて、人もフグも一期一会。しみじみとする年末。

焼フグ。

蒸し牡蠣は、もう牡蠣屋さんが年末の休みに入っているそうでありつけず。

年明けて落ち着いたらまたリベンジに行こう。

カワハギの煮つけ。

フグもカワハギの仲間。食感は似ている。

二間続きの部屋、貸切。

飲み物は次の間の冷蔵庫から勝手に出して飲む。

あとで計算。

提灯。我が家のインテリアに欲しい。

昔はどこの家にもあった欄間。今は、新築住宅ではほぼ絶滅。

我が実家は今もあるけど。

三男がお祝い渡すと、次男はレモンケーキをお土産に渡していた。それを店に忘れて後で取りに帰るという失態。

昨夜はその後、夫がゴッドファーザーを長々見るので、息子と私は先に寝る。


きょう午前中は、孫が寝た布団を二階に上げてもらい、アルバム全部、下へおろしてもらった。

昔のアルバムは重くてかさばる。

お正月に長男、次男に要るのを渡し、残りは剥がしてなるだけ数を減らす。

ゴミに出しやすいようアルバムを分解する。などなど。

三男は要る写真を10枚くらい持って帰った。

二歳くらい。

二歳くらい。いつもコアラと一緒。

13時半、自宅発で帰って行った。列車を見送るのは線路は残り、線路をたどって行けば会えると思えるけど、車は消えてしまうので見送るのは嫌。

角を出て、次の角で曲がって消えるまでにさっさと引き返す。

遠くで仕事に頑張り、家庭を持ち、幸せにやっているのだから心配することはないのだけど、この胸の欠落感は何?私としたことが。

今回は思いがけずにお嫁さんが来なかったので、二人で昼ご飯を食べに外出したり、ずっと話していて、娘の代わりをしてもらった。

家が古くて寒いのは不満のようでしたが、それ以外では母親を批判することもなく、よく話を聞いてくれた。

玄関で写したコアラがたまにヤフオクで出るので、暇なときチェックしてほしいと頼まれる。あるかなあ~。


高校の恩師の新著が昨日届いた。

3年前、先生を囲んで集まったけど、今回はどうでしょうか。

幹事役の男の子は50年以上前みたいに、また先生のお宅へ行きたいそうですが、今は奥様のお世話をなさっているし、無理はお願いできませんね。

高校卒業の春休み、幹事役の子と、先日の面白い方の男の子と三人で先生の下宿へ押しかけて、すき焼きパーティしたけれど、電熱器でなかなか火が通らず、8時になってもう帰りなさいと言われて解散。ほとんど食べてません。

あの時の続きがしたいのかなあ。もういくらなんでも、切っただけの大量の白菜など、残ってませんよね。先生。

共同の洗面所で、先生の果物ナイフで白菜切っていたのは私です。

送り迎えは幹事役の子が車に乗っていたので、その子の役目。昔は16歳で軽自動車なら運転できたので。この話は一年に一度くらいブログに書くので、食傷気味の方もおられるでしょう。ごめんなさい。

民俗学の、読むのは骨の折れる本です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三男が帰って来た~

2020-12-28 | 日記

船で帰って来たわけではなく・・・

末っ子の甘えん坊が一番遠くへ行ってしまいました。

28年くらいまえ。

玄関でぬいぐるみたちがお出迎え。

お土産は

お菓子が二種類。

一斗缶入りのもみ海苔は、お嫁ちゃんの親戚が海苔の養殖業をしていて、毎年もらいます。

それと巨大なコタツ。

黒はお嫁ちゃんの好み。むく板で重厚。

車長が長いので狭小ガレージには入れにくそうだった。

我が家の車は夫仕事場前に移動。

県外ナンバーが人目に付くのをはばかってのことですが。

今回は渋滞に合わず、新しい道路もできて5時間で帰ってきました。

お嫁ちゃんは会社から、県外移動の自粛要請が出て一人で帰省。

おかげでゆっくり話せました。二人で来るのはもちろん歓迎だけど、一人で帰ると、両方に気を遣わず息子も楽なようです。

例によって家族をネタに漫画の描きまくり。

いただきます。

この座卓、お皿や織物の写真撮るのに映えそう。ありがとね。

兄へのお祝いはこの袋だそうで。

袋がちょっと軽すぎると言うも、ネタだそうで。

それと次男と二人で、子供のころのいたずらしたを白状した。

一年生だったので、思うようにできなかったとか・・・

普段はできない話もした。夜は次男宅訪問と四人で会食予定。

二階の個室、窓開けて、四人以下で。検温、手洗い徹底。それでやろうと思います。

きょうはとてもいいお天気で、昼は海田市まで息子の運転で食事に行った。

夫は家で一人で食べるという。

昨夜のカニ鍋の残り汁でお父さん雑炊して食べた、行かないと言ったのはその予定だったと息子が笑って、それも漫画にした。

中年に差し掛かっても全然変わらないキャラ。子供の時のまんま、というか親の前ではバージョンアップしている。

それは他の息子たちも同じこと。節目の年末年始はそれを確認する機会なのかもしれない。自分が年とったことを自覚する間もなく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫が帰った~

2020-12-27 | 日記

11時ころ送り届けました。約24時間の滞在。

みんなでお弁当。いただきま~す。

もう大人と一緒のものを食べます。

**おじさん、マンション引越し、おめでとう~💛

新居訪問。

うわあ~

この後、カラオケ行くとぐずって困ったけど、家まで連れて帰ると諦めたのか、他の遊びをする。

息子(長男)夫婦は夕方帰る。

通勤用のリュックだそうで。

通勤は自転車で10分くらい。歩いて25分くらいかな。

川の多い広島、それでも二つの川を渡ります。元安川に本川(旧太田川)、初め広島に来た頃は川にとうとうと水が流れているのが珍しかった。

その話をするといつも笑われる。

ウサギ餅、一つ持たせる。

次男が持ってきたクッキー、開けてみました。

どれにしようかな~天の神様の言うとおり~

夜は二人がベッド、私は畳の上に敷いた布団で寝る。

朝は近所の西松屋でおもちゃ、ぬいぐるみ、服、タイツ買う。

自分のためには節約するけど、孫には言われるままに買う甘いおばあちゃん。

自分の子供に対してよりも甘い。行かんなあ~

そのほか、家の前で縄跳び三昧。賑やかな年末でした。

年明けの第二波に備えて、体力温存に勤めます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫が来る~

2020-12-26 | 日記

午前中、息子より電話。

昼前全員で行って、夜は孫だけ泊まらせたい。

きょうは次男の引っ越し祝い。お店を変更して家でお弁当食べて解散の予定。

ギクッ、いい。。。よ。。。。全然遠慮しなくて))))

こんなことなら、今朝ゆっくり寝ておくんだった。元気いっぱいの小学生二人、頑張りま―――す。

昨日のお餅、切りました。

硬かった。この歳までナマコ餅切ったことなかったので。

今朝作ったのは夕方には切りましょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末いろいろ

2020-12-25 | 日記

午前中、パン焼き機で3合の餅つき。

餡餅は4個、一個食べた残り。

ウサギの形のお餅は鏡餅のつもり。

ササの葉は、近所の元運河、今は埋め立てて道路などになって、最後にわずかに残る水路跡に生えているのをもらってくる。

目は小豆。つぶらな瞳。

鏡開きまで待たずに、あと何日かしたら切るつもり。切り餅にしてそのまま飾っておく。

これは夏に見た本の中の、神奈川県平塚の鏡餅を参考にした。平塚はどの家もそうなのか、たまたまそのお宅だけなのか、本が英語なのでよくわからない。

雪でウサギは作るけれど、お餅でウサギがなんか楽しい。

こういうご時勢なので、何からでも楽しくしないとどんどん気分が落ち込みそう。


午後から、審議会?の前首相の説明のテレビ中継見ながら、年賀状書く。

まあ、筋の通らないことをしどろもどろに。

3年くらい前まではパソコンでしていたけど、プリンターの調子が悪かったり、途中でインクが切れたり、うっかり表に印字したりで、ほとほと嫌になり、最近は手書き。

一応ユズのつもり。ユズに見えますか。一枚描いてコピーすればいいのだけど、途中で引っかかったり、まず差し入れるのも面倒。

来年はさらに初心に戻って、芋版とか、レンコンに絵の具着けてペタペタって、保育園のお絵かきみたいに。

一時期年賀状止めたのだけど、来ないと寂しくなって、それ以後に知り合った人やずっと昔からのコアな付き合いの人との間は続けている。せいぜい20枚。

夫もだいぶ減らした模様。連名で出すことがないので、知らない。

広島市では新たに介護施設でクラスターが発生したと、夫が言っている。(未確認情報)

姑様の施設ではないかと心配しているけれど、もしそうなら内々に家族には知らせてくるのではないかと思う。

明日は義妹がネット使ってリモート面会するそうです。分かってもらえるといいんですが。


朝、ゴミ出したついでに近所のスーパーで早めに買い物。

瀬戸内で獲れるメバル。小さな地元の魚がこの歳になるとおいしい。

5尾中、3尾から釣り針が出てきた。エサはコイワシらしく、喉の奥に残っていた。

合掌。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれこれ忙しかった

2020-12-24 | 日記

最終確認。

絵付けしたお皿を壁に掛ける。

両端の絵を外す。

真ん中の絵も飽きたけど、また次の機会に。

柱からはみ出すお皿。

昼休み、ニトリへ椅子を見に行く。

そこら辺にあるものを着て行く。ワイドパンツと袋は自作。

帰りは一人で徒歩で帰る。

まだまだ頑張る。

本が届く。いつ読めるやら。

夕方、アップルパイを作る。

出来上がり。

右上のお団子が一つ転がり落ちたーー

イチゴ載せないのかと夫に聞かれ、載せないと答える。

アップルパイです。イチゴは不要。

いただきます。

今年は孫も来ず、去年はケーキ持参でやってきて、我が家で飾り付けしてみんなで食べた。来年はどうなるでしょうか。

静かにクリスマスイヴの夜が更けて行きます。

皆様もいい夜をお過ごしください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの冬、故郷の街で

2020-12-24 | 断想

ローテンブルク 2012年11月


ちょうど今頃の時期だったと思う。

大学の冬休みに帰省して、高校で同じクラスだった男の子と、待ち合わせて街を歩き、途中でお酒を出す店に入った。夜だったのかもしれない。

カウンターに座り、バーテンダーにカクテルを注文し、何を話したのか。。。。

小説の話、東京の話、怠惰に流れる今の生き方では自分はだめだという内省的な話。

その時はその男の子が一番好きだったので、一生懸命話を聞いた。

また翌日、今度は別の男のから連絡があったので待ち合わせて街を歩き、何と同じ店に入ってしまった。

たった今思い出した。それは大きなキャバレーをリニューアルして、昼間からお酒出す店だった。ちょっと大人ぶりたい時に入る店はそこしかなかったのだと思う。

時効だから言います。私は19歳、一日目の男の子は18歳、二日目は・・・多分その子も18歳。お酒飲んでいい訳ないけど、昼間から飲みました。その頃はカクテル飲むのが流行っていて、憶えたばかりの名前で注文して大人びたい年頃。

二日目の男の子は、大学で出会う面白い人たちの話、いかに勉強をさぼっているかという武勇伝、そして京都の話。自分は今のままではいけないという自省的な話は一切出ず、面白い話ばかり。

昨日と同じ女の子が、違う男の子と来て、バーテンダー氏は素知らぬ顔していたけれど、男の子の話があまりに面白いのに、職業柄、笑いを堪えなければいけないのが、それでもつい笑ってしまうのが、見ていて楽しかった。

二日目の子は他に好きな女の子がいるって知っていたから、そしてそれは私の知っている子だったから、私はただの友達として気楽に話をして、二日目の方がうんと楽しかった。

比べて悪いけれど、こちらが真面目な気持ちだから緊張して楽しくないのか、と思ったけれど、その時は毎日、違う子に会うて、私はそんなん好かんと母に注意されたら、弟が、何も結婚するわけと違うけん、そのくらいは構わんと味方してくれた。

そりゃそうです。10代で結婚相手を決められるわけがない。その年頃では、いろいろな男の子と付き合ってみて、自分に合うのはどんな人か、お勉強する時期です。


何かモテ自慢に聞こえるかもしれませんが、全然そんなことはありません。私の高校はベビーブームで一学年約千人、男650人、女350人の学校でした。女の子は普通にしていたら、まあ声くらいはかけてもらえる。そんな感じです。

その男女比でクラスが編成されるのではなく、男ばかりのクラスと男女が同じ数だけのクラスとがありました。男ばかりのクラスは男子クラスとか野郎組と呼ばれ、教室の前の廊下も通りにくいのです。

当時私は校内新聞を作る部活をしていて、ある男子クラスで「野郎組哀歌」と言う歌を作った子がいて、それが男子組各クラスで流行っていて、遠足のバスの中で歌っていると聞いて、もう一人の女の子と作った本人に取材に行きました。

行ってみると、本人には会えず、しかも男の子が10人ぐらい教室から出てきて「何しに来た、帰れ」と言う対応で引き返しました。記事は本人の取材なく、伝聞と流行っているということだけで書きました。

今もその一説は歌えます。「いゃじゃありませんか、野郎組、餓えた男が50余人、戦時中でもあるまいに女抜きとは情けなや」以下10番まであるそうですが、2番からは知りません。

軍歌の替え歌ですね。嫌じゃありませんか、軍隊は・・・という。

作詞者は朝日新聞にも投稿して、「若い教師の恥じらいで性教育がすっ飛ばされたのはよくない」とトップで掲載されていて、ちょっとした話題になりました。まあ一種の才人でしたね。今はどこでどうしておられるのか。


一日目の男の子はその時の私を見て憶えていた、とあとで話していました。男子クラスに女子が訪ねて行った稀有な機会だったのかと思います。

自慢話みたいですみません。でも全然自慢話ではありません。それは私が美人でなかったからです。先日の森永卓郎さんの本によると、若い時から美人でちやほやされ、結婚してからも贅沢をする女性を妻に持つのも男の甲斐性だが、自分はその道を選ばなかったと言っていました。

男子の多い学校で男の子から普通に声かけられるくらいは、モテるのでも何でもない。本当の美人は私には想像もつかないことがいろいろあると思いますが、私にはわからない。

その代わり、カジュアルな、ユニクロを着る用に気軽に話ができる立ち位置だったのかなと、思います。まあ、それはそれで楽しかったですけど。


私の母は、いろいろ欠点も多い人ですが、子供のころからずっと、私のことをきれいで頭がいいと言ってくれたのはとてもありがたかったと思います。私は飛び切りきれいでも、飛び切り頭がいい訳でもないのですが、基礎的な自己肯定感を持っていると、若い時には人と付き合うのが楽だったし、引っ込み思案にならずに済んだし、感謝しています。

子供は褒めて育てよと昔の人は言うけれど、私の子育てにはそれが欠けてたかもしれません。

また戦争中に女学校を中退したという学歴なので、私の勉強にも一切口出しせず、高校の間は一度も成績表を見せず、(親の認め印、勝手に押していた。もう時効だけど、何かの犯罪?)、受験先も進学先も誰にも相談せず勝手に決めて事後承諾。

まあ、親の話は今回は枝葉ですが、クリスマスイヴにどこへも行かないばあちゃんはしみじみと昔のことを思い出してしまいました。


一日目の男の子とは別れた。二日目の男の子は、ありがたいことにいまだに年賀状をくれる。昔、我が家に、広島に学会があった時に尋ねて来てくれたこともある。夫とは同業者。私の分からないことをいろいろ話していた。

今からは深い縁を結べるような出会いはないかもしれないけれど、それでも出会った人との縁は大切にしたい、そして、嫌な人とは、もう無理して付き合うこともないのだと、思う。

ドイツ、バンベルク。2012年11月。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ年末進行で

2020-12-23 | 日記

もうすぐクリスマス。

ニュルンベルクで。2012年。


片付けないといけないのだけど、家でじっとしているだけでは気が滅入り、気合が全然入らない。

とは言え、本日は午前中、計算いろいろ。昼前、階段下の一間幅の物入の整理。

午後から二階のコタツで本読んでたけど、公民館で借りてきた貧乏な話のオンパレード。これからの希望を見つけるためにって、岩波の本ですが、今は世に出て有名になった人の、子供時代のあまりに悲惨な話、ただでさえコロナで気が滅入っているのに、この本は辛い。辛いけれど、それをばねにして頑張る話。人は体さえ元気なら、生きていける。。。。感想はいずれまた。

今はアルバイトしようにも、人と接触したらいけないし、仕事も減っているし、見えない貧困がこれから見えるようになってくるのかと思う。

コロナで仕事がなくなって、餓死する人が決して出ませんように。またいつかのような年末年越し村も必要なのかも。

国際ニュースで、ドイツのレーゲンスブルクでクリスマスに親族が会えないと嘆く人が。

レーゲンスブルク、教会の多い落ち着いた街でした。

ドイツのクリスマスの飾り、いろいろ。場所はあちこち。2012年。

来年こそは世界中でいいクリスマスを迎えられますように。

ネルトリンゲンで。

ローテンブルク。

ジャムなどの店。レーゲンスブルク。

ニュルンベルクの職人市場。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「モテなくても人生は愉しい」 森永卓郎

2020-12-22 | お出かけ

 クリックで拡大

公民館で借りてきた。著者はテレビでよくお見掛けする経済アナリスト、コラムニスト。コメンテーター。

私この方、割と好きです。威張ってないところが。口先だけでごまかしても、テレビというのはちょっとした表情、しぐさにその人となりが顕れるもの。

気取りのないいい方だとお見受けました。

で、内容ですが、モテない話はほとんど出て来ずに、自叙伝という趣き。モテない人が何かヒントをと思っても、あまり参考にはならないかもしれません。

しかし、旧専売公社に就職し、いくつかのシンクタンクを経て独立、今は大学教授もしている著者の経歴は波乱万丈。その話は期待をいい意味で裏切られて面白かった。

ものすごく貧困な時代、本が売れて莫大な収入のある時期、どの時期にもめげることなく、おごることなく、生活のスタイルを変えない。これはなかなか出来ることではない。

これは奥様の功績が大きいと思う。決して贅沢しない堅実な方のようです。

本の中では、ちやほやされて贅沢が身についた美人の妻を持ち、そのために働くのも男の喜びかもしれないがと断りつつ、そうでない妻がどんなにありがたいか、よくわかっておられるようです。

しかも、体が動かず認知症も進む自分の父親の自宅介護を八年間もしてくれたなんて。いい奥様ですね。私なら到底できません。

著者はミニカー、その他のコレクター。コレクションに5千万は費やしたそうで。

だから(お金があれば)モテなくても人生は(そこそこに)愉しいと、いうことかなと思いました。

全体に正直で、子供のころ、ヨーロッパに住んだ頃の体験談なども面白く、いい本でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナと太平洋戦争

2020-12-22 | 断想

昨夜、ニュース番組(民放BS、19:30からの)で、ノンフィクション作家の保阪 正康氏が、新型コロナ感染の現況を、太平洋戦争を例に引いて、誠に正鵠を得た分析をしていた。

備忘のために書いておきます。

太平洋戦争の敗因は三つ。敵の実態を知らない、戦略や戦術がない、現状と経過を国民に正確に伝えていない。

言われてみれば確かにそうだと思った。国民には「欲しがりません勝つまでは」と犠牲を強いるが、自粛の要請ばかりで政府の覚悟が見えてこないことも同じ。

問題はGo Toトラベルを続けるかどうかではないと私は思う。もちろんやめた方がいいけれど、それでも旅行する人はする。

政治がするべきことは、今、何が起きていて、今お金と人員をどこに投入するべきか考えること。それを知れば、国民も協力しなければと思うけれども、最高責任者がGo Toやめないと頑張って、支持率下がれば説明なく撤回、しかも二週間後からって、初めにきちんとした方針を立てていないから迷走するんだと思う。

もう一人の実力者が観光族議員だそうで、自分に話を通さずにキャンペーン止めたと激怒、まあまあと手打ちのステーキ会食だったのではと、私は思っています。

あの人たち、国民のことより、支持率や自分のメンツの方が大切なんですね。政治家なんだから、もう少し勉強して広い目で政治やってほしいもの。

保坂正康氏は、あの人は国民が選んだ人ではない、一選挙区の人に選ばれただけと言っていました。そうですよね。その上、一国の最高権力者になる過程が、その時の都合でかつ不透明。

これで果たしてコロナ禍に勝てるのでしょうか。

太平洋戦争は、どうしていいか分からず、誰も責任を取ろうとせずにいたずらに長引き、大きな犠牲を出したうえで、無条件降伏しました。降伏して許してもらえ、そこから戦後の復興は始まりました。

しかし、新型コロナ相手に無条件降伏はありません。勝つまで戦うしかないのです。あるいは何もせずにたくさんの犠牲者を出して、自然消滅するのを気長に待つという最悪のシナリオ。

政治の大胆な指導力を切に希望します。


ある方のブログを拝読していたら、Go To利用しての旅行がいいか悪いか話題になっていました。

私も踊らされた口なので、それを前提に言いますが、コッテージ式の宿泊棟に泊まり、他の人と顔を合わさないのなら、感染のリスクは低いと思うのですが。

都市部のホテルに泊まり、夕食は外で、その後、接待を伴う店へも行く、そんな旅行が感染を広げたのでは?

編集しているとは思いますが、インタビュー受ける人の危機感のなさにも驚きます。それはステーキ会食する人と対をなしている。

感染を封じ込めた国に学んでほしいものです。

日本では三密回避と言ってますが、中国では三早。早期発見、早期隔離、早期治療だそうです。まずはPCR検査、無料で徹底的に行う。なぜそこに力を注がなかったのかと、私は思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しい餅つき

2020-12-22 | 断想

今年二回目のお餅は、一年間お世話になった方に、菓子折りと一緒に届けました。

写真はその残り。

パン焼き機で作ります。3合のもち米で9個の丸餅ができます。

もち米を洗うところから丸めて出来上がるまで、全行程が2時間弱です。

搗くのはパン焼き機、その間は他の用事をしています。昔の餅つきに比べてうんと楽。

何よりもつきたての柔らかいお餅が食べられるのが嬉しい。餡餅は夫の好物。

夫は、実際に餅つきをしたことも見たこともないので、自分で搗けないかなあと夢のようなことを言っています。

年寄り二人では全然無理です。あれは大家族のころの年末行事。我が実家の餅つきのようすを説明する。子供は丸め要員。西日本なので、どんなに量が多くても餅は丸める。

いえいえ、四角な木箱に入れた豆餅、海老餅も作り、数日後に祖母が切り分けていた。火鉢で焼いて子供のおやつ。

餅つきは旧正月前にもしていた。旧正月のころには日差しも明るく春の気配。新春という言葉がぴったりでした。

年内にあと二回くらいは作りたいもの。もち米買って、その都度搗く方がうんと安上がり。冷蔵庫に保管する前に食べてしまうので、楽。餡も買ってくる。

何事も楽に流れる私。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き続き展示準備

2020-12-21 | 機織り

パネルは150×177、おおよそ建具二枚分。幅が20センチくらい狭い。

棒を通して吊るしてみる。

真ん中。

左側。

以上藍染め。続いて織り。

藍染めからの続きで同じ色持ってきたけど、迫力負け?

マフラーいろいろ。

最後のパネル。

棒を通すために絣を足した。

色のグラデーションが好きですが、会場では地味で目立たないかも。

初めてなので、どんな用具があるかいまいちわからず、展示する日は道具いろいろ持っていきましょう。

姑様のはまだまだあるし、私も頑張って織って、3年後くらいにまたできればいいなあと、まだ始まってもないのに妄想する私。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村