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九州お買い得旅Ⅱ

2016-09-29 | 旅行

宿のロビー

さて、同行者は「イビキかくから」と気にして、手前の三畳の部屋で寝てくれました。私はありがたく十畳一人占めです。ごめんね、ありがとう~

朝は大広間で、折り畳み式の学校の机といすみたいなのを向い合せに並べて、そこでいただきます。

演芸などもするらしく、長崎の出島と南蛮船の豪華な緞帳。ナショナルカークーラー、昭和のいい時代の面影。

朝食もおいしいです。白いお椀は自家製豆腐。

左はフグ。


 

ロビー、廊下の書や色紙いろいろ。

徳富蘇峰は明治のジャーナリスト。蘆花の兄でしたか・・・

角川書店主催の講演旅行でもあったのでしょうか。何を話したのでしょうか?

昔は作家が時代のオピニオンリーダー、本もよく売れ、作家の社会的地位は今より高かったかも。

こちら女流。こちらも講演旅行でしょうか。

こちら団体で。最後余白が足りなくて二段重ねに書いている。

この他にも古伊万里などいろいろ展示。美空ひばりも泊まったそうです。各階の廊下にも展示はあるはずだけど、私が見たのは宿泊した3階だけ。残念。

ちなみに同行者はこういうものに一切興味がなく、私が写真撮っている間。ロビーでじっと待っててくれました。

宿はこちらです。http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/28126/28126.html

至れり尽くせりのお宿。帰りに、若女将さんと少し話しました。きりりと泥大島着て、さすがの老舗旅館でした。

皆様もよかったらどうぞ。今は復興割引で1万円引きで泊まれます。


 

続いて一軒目の立ち寄り先。

外でタバコ吸う男性たち。

ツアーバス。総勢42人、ぎっしりです。

海辺です。向こうは長崎でしょうか。


10時半頃、長崎到着。

大浦天主堂はパスしてグラバー庭園に向かいます。以前はなかったエスカレーターで、楽に上に上がれます。

旧三菱第二ドックハウス。園内で一番高いところにある。港が一望のもと。

降りて、次へ行きます。

旧リンガー住宅

テラスが開放的。旧リンガー住宅。

旧オルト住宅。石造りの洋風建築。日本人が建築。

旧オルト邸。遠景。

旧グラバー邸。世界遺産。国指定重要文化財。

遠景。

美しいベランダ廻り。確か、コロニアル様式とか言うはず。暑い植民地に適した、庇が深くて風のよく通る開放的な建て方。

天井格子

晩餐が再現されていました。貿易商だったグラバーは日本人と結婚し、子孫は倉場と名乗って日本人としてと暮らしたそうです。

門の外の、元は何かの施設だった建物。売りに出ていました。


 

あまりに暑くて、三つほど建物見逃した。パンフレットしっかり見て要領よく回るべきでしたね。反省です。

入口へ戻ります。入園料は園内全部回って610円と良心的。

神戸の異人館は高いよねーーーと二人の意見が一致。こちらは公園も楽しめます。


 

続いて有田ポーセリンパークへ行きます。ここで自由に食事します。1600円のバイキングはパスして、和食処で、980円のシチリンライスをいただきます。

それはこちらです。見本ではお皿からあふれるくらいの野菜。でも出てきたのはこんな感じ。

ショボーーーーーン。

一見の客ばかりの観光地とはいえ、これはあんまりです。広島本通りのコーヒーにデザートまでついた、フレンチのランチを見らなってほしい。ブツブツ。

本来はマヨネーズが掛かっています。私はマヨネーズ苦手で断ったら、「マヨネーズないと食べにくいですよ」「いいです」と押し問答に。

出てきた料理は、マヨネーズがご飯にもたっぷりかかっていて、同行者は食べにくそうにしていました。

これから行かれる皆様、マヨネーズは少しにしてくださいとお願いした方がいいかもです。

あとはカレーとかうどんとか・・・しかし、バイキングもなあ・・・・山の中で他に店もないし。

ドイツ、ドレスデンのツヴィンガー宮殿を模した建物の中にはショップと有田焼、古伊万里などの展示があります。

最初に行ったのは25年くらい前の開業直後。宮殿はピカピカで、ショップも高級なのばかり。

二回目は2003年、夫と。コンクリートの建物はすすけてとてもみすぼらしく見えて、店もほとんどなくなっていたし、寂しいものがありました。

今回で3回目。色も安定したのか、そう古い感じはしませんでした。一度表面を洗ったのかもしれませんね。

こちら、ドレスデンのオリジナル。2012年11月、修復中でした。11月のドイツは日暮れも早く、写真はきれいではありません。ヨーロッパは春か夏に限りますね。

ドイツの建物はイタリアと違って砂岩が多く、中の成分が酸化するとかで、とても煤けるそうです。それで、今回はそう古く感じませんでした。よかった、よかった。

この時はスーパー探してお土産買ってたけど、ここへ入って陶磁器の一つでも見学すべきでしたね。またすぐ行こうと思いつつ、たぶんもう行くことはないだろうけど。

もう一度土産物屋に寄り、博多駅から新幹線で広島まで。同行者は四国へ帰りました。

あっという間の二日間、人任せの旅は気楽。お喋り三昧の楽しい旅でした。

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九州お買い得旅Ⅰ

2016-09-27 | 旅行

さて、同行者は我が家に前泊して、日曜朝、広島駅新幹線口集合です。

8:38のぞみ乗車。博多着9:41

さすが、のぞみ、速いです。九州も隣町感覚。

バスに乗り換えて九州道に乗り、柳川へ行きます。

御花について

鰻をいただきます。

場所は以前泊まった建物の二階。

以前の宿泊http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/e5eb5985b30e8f9b09e398cc50d62560

広い宴会場にずらりと並んだテーブル。たくさんのツアーの人たちの昼食会場です。

食べたら今度は川下りです。今回はお花の周りを巡る30分コース。船で元に戻ります。

中国人のツアーとすれ違います。皆さん、ニコニコしています。ニーハオ!!

今度は一般道を通って熊本港まで行き、有明海を縦断してフェリーで島原港へ向かいます。

16時ころ、雲仙温泉の宿着。

窓から雲仙地獄が見えます。

ウェルカムドリンクです。労働集約的接客業の温泉宿、わけてもこの宿はスタッフがたくさんいました。

夕食まで、散策に行きます。

白い粘土のようなものの真ん中がぼこぼこと吹きだしています。

湯けむり。通るだけで暑く硫黄くさい。30年前の旅行では、息子が鼻をつまんで写真に写っています。

同じツアーの方が親切に写真撮ってくれました。

水色の登山シャツが私です。

続いて温泉街を歩きます。

旅行会社からもらった九州パスポート見せると、お菓子がもらえます。

それだけでは申し訳ないので、お煎餅をいただきます。

手焼きの温泉煎餅。

縁のおこげがおいしい。

続いてこちらへ行きます。

坂道を下りていくと地元の人の共同浴場。料金は200円だそうで。

水色のワンピースの女性90歳、毎日来るそうです。

「あんたたち、どこから来んさったと?」

「広島と四国です。長生きしてくださいね」と言って別れました。

地元の方と触れ合うと遠くへ来たことが実感できます。同行者は九州はほとんど来たことないそうで、喜んでいました。

宿へ戻ります。

ロビーの奥の図書コーナー。雑誌、絵本、単行本いろいろ。


 

温泉に入って、19時から食事です。ツアーには珍しいそうですが、お部屋でいただきます。

国内ツアー、あまり行かないけど、個人で行っても食事処の場合もあるので、ポイント高いかも。

氷入りの梅酒、前菜、お造りなど。

茶碗蒸しとか炊き合わせとか・・・

小なべのすき焼きとか・・・

梅肉のパイ包み焼きとか・・・

この辺りからお腹はいっぱいになるし、ビールの酔いは周るし・・・


 

どうもお昼の鰻のせいろ蒸し、完食したし、全体に食べ過ぎたようで、夫に電話して持参の薬を飲んでいいか聞きます。

「そんなに御馳走でたなら持って帰って」ですって。持って帰れるものなら持って帰りたいけど、とりあえずそれは無理です。

真夜中、あまりのお腹の痛さに目が覚め・・・・朝には治っていましたが。やれやれ、無理は禁物です。

旅行記はまだまだ続きます。

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暑い九州、旅行していました。

2016-09-26 | 旅行

阪急交通社の九州ツアー二日間に、親族の女性と旅行していました。

留守中、お二人の方からコメントいただいてました。ありがとうございます。明日以降、ゆっくりお返事させてください。

国の九州何とか助成金1万円を補助してもらい、博多往復は新幹線。ツアー料金は激安、42人の大所帯ながら変な人もほぼいなくていい旅行でした。

行ったところは柳川、雲仙、長崎、有田ポーセリンパークなどなどです。

宿は期待外れだと悲しいので期待してなかったけど、地獄がよく見える部屋。

地獄って本当の地獄ではなくて、温泉の沸いている場所です。湯けむりに硫黄の匂い、近くへ寄ると熱湯が地面からポコポコ沸いているというこの世でないような場所。

将棋の名人戦をするような老舗旅館で、宿泊した文豪の色紙なども多数展示、徳富蘇峰の揮毫した屏風など、お宝いっぱい。いゃあ、びっくりです。阪急さん、ありがとう~

私は国内の宿泊付きのツアーはほとんど行ったことなくて、何かと珍しかったんですが、結局は海外ツアーも同じ。パスポートが要らないだけ。楽でよかったです。特に人と行くのは二人の考えをすり合わせて旅程組むのも大変だし、費用は掛かるし。

雲仙、グラバー亭などは30年くらい前、息子三人を車に積んではるばる出かけましたが、やはり鉄壁の観光地。今は今で楽しめました。

旅の報告は追々することにして、きょうはとりあえず我が家でゆっくり寝ます。

どこがよかったかと言えば、やはり長崎でしょうか。前はお盆休みの熱い長崎でしたが、今日も30度以上と暑かったです。いったい、秋はいつ来るんでしょうか?

 

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「死に支度」 瀬戸内寂聴

2016-09-23 | 読書

ノカンゾウ・・・かな。昨年広島駅近くの広場で。

 


 

今月初め、本通りフタバ図書で中古本として108円で購入。

内容は嵯峨野の寂庵での毎日を、自分とお手伝いの若い女の子の対話と言う形で、読みやすかった。群像に連載していたらしい。

若いころからの人生のいろいろ、今の思いなどは他の本でも読んだことあるし、以前はテレビにも出てよく発言していたので既視感があるけれど、この本の中に、若き日の今堀誠二先生のことが生き生きと書かれていたので、それにまずびっくりした。

こちらの学校へ来て一年目、今掘先生の東洋史Ⅰを選択。教科書は大部な「毛沢東研究序説」。本は千円くらい。部屋代払って毎月二万円で生活していたので、これは高かった。

だいたい教科書って高いですよね。買うのはそれを選択した学生だけだし、翌年は学校近くの古本屋に出回るので、どういう仕組みか知らないけど、もしかしたら先生の持ち出しだったのかも。

20年くらい前、今掘先生の葬儀に寂聴氏がみえて、弔辞を呼んでいたのでどういうご縁かなあ、北京での知り合いかなと思っていたけれど、破婚のときに先生が出てきた家に行って、立会人を付けて寂聴氏の服を持ちだすあたりは、小説とは言え、ドキドキしながら読んだ。

先生は生涯独身。勉強に忙しくて結婚する暇がなかったそうです。東洋史専攻の友達が言っていた。

教科書は難解でほとんど理解できなかった。講義も内容はすっかり忘れた。時々、アジア情勢を憂うような発言をされていたのを憶えているだけ。

それと先生の服装。地味な服の多い他の先生方に比べて、グリーンのブレザーに明るいグレーのフラノのズボンという軽快な装い。声も高くてよくとおった。

美術部のY村さんと二人で、先生の服装を今堀ルックと命名。偉い先生なのに、私たち、友達みたいに話していました。こちらの能力の範囲でしか人を理解できない例ですね。それにその頃の先生、今の私よりずっと若かったはず。

改めて、ご冥福をお祈りします。

 

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「美の世界旅行」 岡本太郎

2016-09-18 | 読書

コルドバのメスキータ 2016年6月


岡本太郎という人は、私たちの世代だと、あの大阪万博の太陽の塔のデザインをした人として記憶されていると思う。

また晩年、「芸術は爆発だあ」というCMに見られた存在感、天衣無縫のもの言いなど、エネルギッシュな芸術家としての活動も印象に残っている。

この本はまだ海外旅行が大変だった1967年頃、インド、スペイン、メキシコ、韓国などを訪ね、民衆の生活の中に生き生きとした芸術を見つけ出す紀行文である。

親本は1972年、その本が今年夏、文庫本として再版された。その意味を考えてみるに、芸術にはその時々の流行があるけれど、この本の中には普遍的な何かがあるからだと思う。

いわゆる美術史に取り上げられる芸術ではないものに心を動かされる岡本太郎。その視点は独特で、しかし、とても文章力があって、エネルギッシュだけど、説得的なのは今回読んで初めて分かった。

岡本太郎が海外で何を見てどう感じたかがよく分かり、なかなか得難い読書体験でした。


昨夕から、夫体調不良。二階で寝ている。

私が下で動く音も気にするので、夫仕事場へ避難。おかげで本一冊、たちまち読了。

これからは何かするときは、空き部屋で集中するに限るようですね。

夕方には少し良くなったようです。やれやれでした。

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「信濃追分文学譜」 近藤富枝

2016-09-18 | 読書

追分の旧脇本陣、油屋。私が一人で泊まったのは10年前の10月。

今、宿は廃業。交流サロンとして利用。希望すれば、曜日を限って素泊まりで利用できるようです。


 

作者は1922年生まれ、初めNHKアナウンサー、のちに文壇史を書いて世に出たドキュメンタリー作家。

親本は1990年、中央公論社発行。こちらは95年の文庫本で解説を大河内昭爾氏がしている。それからでももう20年以上経つ。作家も解説者もまだご存命だろうか。

この本は著者が思いがけずに追分に別荘を持つことになり、夏、そこで滞在して、まだ同時存命だった、昭和10年代の追分の文学者の交流を知る人からも話を聞いてまとめた、追分の文学史という形になっている。

追分に住んでいたのは堀辰雄。面倒見のいい人で、後輩に雑誌社を紹介したり、夏に尋ねてくる年若い人の話を聞いたりして、夏の追分は文学サロンの様相だったたらしい。

戦後いち早く、小諸で編集された「高原」は第一号で福永武彦、中村真一郎、野村秀男などが作品を載せ、戦後の文学史に足跡を残したのも、こうした交流の成果であった。

それにしても結核である。将来のある若い人が次々となくなっている。日本国中でどれだけの損失だったことか。

迫りくる死と戦争の影におびえながら、追分の短い夏、文学者は生きている時間をいとおしむように水晶のようにきらきらと輝く作品を残した。

時代を超えて、それらの作品はこれからも読み継がれることだろう。

実は避暑に行く代わりにと、夏に読み始めた本。生来の怠け者、やっと九月も半ばで読了。

 

 

 

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「住まいと家族をめぐる物語」 西川祐子

2016-09-14 | 読書

昨日は絵付け教室でした。スペイン旅行の写真見て、白い村の道を描いてみました。


京都文教大学での講義録をもとに、学生とのフィードバックも織り交ぜて、近代以後の日本人の住まい、家族の変遷をコンパクトにまとめている。

扱うのは主に戦後で、復興期から高度経済成長期を経て、この本の書かれた今世紀初めまでをたどっている。

以前、この著者の「借家と持ち家の文学史」も面白く読んだけど、この中では当時の学生が、私たちの世代だと当然と思っていることに驚く様子も興味深かった。

家は家族の容れもので、人の暮らすところ。自分がどう暮らしたいか、家族でどう過ごしたいかが、私自身が想像していた以上に、はっきりとと映し出すものだとの認識を新たにした。

ここで取り上げるのは都市の家との、学生の指摘も面白かった。最後の方で北陸の大きな家の間取り図があり、一階は応接室に茶の間、続き間の座敷(これは仏事などに対応)、二階が家族の個室という家があり、その家のにぎやかな暮らしも想像した。

しかし、この家は女性が働かされる家でもある。親戚、地域の集まりでは男性が、取り仕切り、せきにんしゃとして振る舞う家でもある。そんな家に住みたいかと問われれば、今の私にはノーと答えるしかない。

ややこしい親族や地域社会から離れてなら昔の家も楽しいかも。主に都市部で、古民家に若い人が店を出したり、シェアハウスとして住むのはこの本の出た時点での新しい傾向で、それは今も続いていると思う。

いえいえ、えらそげに言いましたが、私には大家族を維持するだけの家事能力が決定的に欠落しています。

人は時代によって生かされ、時代の制約から逃れることも容易ではない、そんなことも考えました。

私の住んできた家を指折り数えたら、7軒目。若い頃は二年ごとくらいに引っ越ししていたけど、もう38年この家に住んでいます。途中で大規模な増改築や細かな手直ししながら、半日日が当たらないのは不満だけど、いつか日当たりのいい老人ホームへ行くまでは(出来たら行きたくないけれど)ここで住みます。

この本は先週、友人と会いに久しぶりに本通りに出かけ、フタバ図書で買ったもの。新本と古本の共存する珍しい本屋です。

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三次・名残の紅葉2009年

2016-09-04 | 旅行



急に思い立って三次へ行きました。
高速バスで行くのは初めて。80分とこんなに近いなんて。。。




三次は川の町。左の西城川と右の馬洗川が、この下流で江の川と合流して日本海へと。霧がよく出ることでも有名。巴橋から



巴橋手前に古い町並みが。向こう側の家に住んでみたい。着物着て旧家の奥さんやりたい。



巴橋渡ると昔の町並みが。「うだつ」のある家が続きます。電柱がないので見た目すっきり。道が広く感じます。観光客少な目。


旧三次銀行の建物で、辻村寿三郎氏の人形展開催中。この地で育ったそうです。どの人形もいい着物を着ています。生地を集めるのも大変だろうなあと。。。


こちら旧広島銀行の建物。現在は洋菓子店。広島で言うとアンデルセン本店というところ?


こちらJR三江線、尾関山駅。無人駅で、乗車券は近くの商店で買います。


尾関山公園は紅葉シーズンも終わり。みごとにだあれもいません。静かで快適。


公園展望台から南方向の眺め。江の川と三江線。線路左の空き地に駅が見えます。修理中の大屋根は常順寺本堂。



三次浅野家の菩提寺、鳳源寺の本堂。屋根に家紋があります。手前の枝垂桜は、大石内蔵助が赤穂へ輿入れする阿久利姫を迎えに来たとき植えたんだとか。


境内には四十七士の木造を納める「義士堂」があります。みんな若くして死んでいます。殿様が短気なばっかりに。。。


出雲大社はどっちだ?!




街角で。取り外した看板と使わないレジスター


街角で。民芸品の三次人形もお出迎え


旭堤(浅野堤)遺構 三つの川の合流する三次は昔から治水に苦心しました。(最近では1972年の大洪水など)これは江戸期の堤防あとです。現代の堤防はさらに高く、向こうは巴橋。




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下関市・長府2010年

2016-09-04 | 旅行

2010・城下町長府/港町下関

 城下町長府/港町下関  

 長府の裏山、四王司山へ登るつもりが街歩き。
 いつも通り過ぎるだけの下関は見所いっぱいの楽しい町でした

                       
                            2010/1/10   
 


下関からJR山陽本線で東へ四つ目、長府は毛利家の支藩のあった城下町。
観光案内所に車を止めて壇具川沿いに歩きます。カモも寒そう)))))


 鯉も寒いはずだけど、餌を求めて寄ってきます


 立派な塀が続きます。こちらのお宅は松も立派!!


塀にからみつく「イタビカズラ」。いまや土にしっかりと食い込み、木まで生えています。
イタビはイチヂクの別名。イチヂクの仲間らしいです。

山口県はイタビカズラを生け垣などにします。オオイタビが茂っているのを見たこともあります。

広島県ではまず見ませんが。



  西洋アンティークの店がよく似合う町並み。スージークーパーの器など、本格的な品揃えでした。(買わなかったけど)  


 下関といえばふぐ、ふぐといえば下関。下水の蓋にもふぐ見っけ~♪


毛利氏の菩提寺、功山寺。鎌倉時代の本堂は国宝です。(このお堂ではありません)
太鼓の音に人の声、何ごとかと近寄ってみると…



高杉晋作の奇兵隊を思わせるスタイルで、ガイドボランティアの方が、幕末の歴史を説明していました。
わかりやすい語り口、なによりも郷土に誇りを持てるのがうらやましい。境内には高杉晋作の銅像もあり。

 長府毛利屋敷。明治時代の建物です。柳川名物の「さげもん」をここで教えているらしく、生徒さんの作品が飾られています。

そぞろ歩き中に見つけた武家屋敷風の喫茶店です。


室内はビクトリア調。手作りパンとクッキーも販売しています。庭も広いです。
コーヒーは450円、クッキー一枚付き。
お腹がすいてきたので、車で下関まで移動。デオデオの駐車場に車を入れて「やぶれかぶれ」というふぐ料理の店へ行きます。
写真はふぐ鍋一人前。夫は名前を「行き倒れ」と言い間違え。が、しかし、食べ物屋にその名前はないんとちやう????



唐戸魚市場のあたりは再開発されたらしく、買物やレジャーが楽しめます。
大道芸を披露する人も。



 注連飾りツリー。ここにもかわいいふぐが。




赤間神宮は壇ノ浦の戦いで、海に沈んだい安徳天皇を祭っています。 
本殿の隣には耳なし芳一を祀る「芳一堂」が。1962年建立。像は山口出身の彫刻家の作。

陸地にありながら、海底を思わせる赤間神宮の門のすぐ先には海が。
細い海峡を挟んで向こうはもう九州です。
二位の尼が 「波の底にも都の候ぞ」と幼い天皇を抱き、入水したのはどのあたりでしょうか。
先月、京都の寂光院へ行ったばかり。母親に代わってお参りしたような不思議な縁を感じました。 



車で火の山展望台まで。昔はのろし台でもあったような名前。
旧軍の見張り小屋のようなものもあり。向こうは展望台。



夕方になりました。関門海峡大橋、右手の島の手前、長い小さな島が巌流島だそうで。
本州西端、端へくると人はどうも雌雄を決したくなるようですね。
今度はゆっくり長府だけを歩いてみたい・・・そう思いました。
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福山市鞆

2016-09-04 | 旅行

 福山市鞆  



 町並みひなまつりへ行きました。大勢の人でした。
 ボランティアで雛人形を公開されている皆様、本当にありがとうございました。
 鞆の架橋に関しては賛否あるようですが、私はたまに遊びに行くだけなので発言は控えます。
  

                     
                                          2010/3/3 


広島~福山 高速バスで二時間弱。福山~鞆は路線バスで30分。どちらも便数は多いです。


まずは腹ごしらえ。鞆シーサイドホテルのひな御膳、1,500円
このほかに散らし寿司、蛤の土瓶蒸し、デザートがついています。
バス降りて、歩きながら携帯で予約。電話が終わる頃にはホテル着。
三階の座敷でいただきます。部屋からは仙酔島がよく見えます。





食事会場に飾っていた子供用の「かいまき」





鞆港では魚の加工をしていました。サヨリと対潮楼。





雛人形の道具。いろいろ揃っています。手前は七輪。



今からこちらのお宅へ伺います。





元は廻船問屋、明治期以後は魚業用の藁網製造をされていたそうで。
旧家の薄暗が似合うご主人は、このイベントのために紬の着物と羽織を誂えたとか。
貴重なものを見せていただいて、本当にありがとうございました。





漆に金蒔絵、立派な雛のお道具です。




こちらにはバイオリン、三味線があります。




医王寺へ行く途中、以前はなかったギャラリー兼カフェで一休み。眺めがいいです。




医王寺から鞆港の全体が見渡せます。



こちら2004年の写真です。あわせてどうぞ


赤ちゃん


赤ちゃん




仲良し



 


みんなで






時代雛







ハイカラ






虫篭




舟だまり

見ていただいてありがとうございました。管理人敬白

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山口県柳井2010年

2016-09-04 | 旅行
山口県柳井  

 少し暖かくなったので今度は柳井のひなまつりへ。平日なので人は殆どいません。
 昔は港町として繁栄、今も当時の面影があちこちに。
                       

                                                                     2010/3/11 





広島~柳井はJRシティライナーで70分くらい。近いです。
(現在はダイヤ改正でシティライナーは減便)
山陽本線下りは一番ホーム、改札口すぐ。いざ出発。





本日はこれで。心はいつも青春18~♪





周防大島が見えてきました。大島大橋でつながっています。





みごとな白壁の町並み。犬矢来は京都と違って木製。





五人官女。潮汲み?やペットの散歩と、こちらでは外回りも完璧。





文具店で。105円のぽち袋を買って撮影させてもらいました。
玄勝園製墨、仁丹インキ、白菊便箋の格調ある看板





大黒印の鉛筆、寶玉印の鉛筆





京都鳩居堂精製/線香薫香筆墨/取次所・・・何代か前の経営者のお名前

銀座の鳩居堂は、以前に日本一地価の高い場所として知られた店。
おそらく、元は宮中御用達の文具商。明治維新後、東京へ移動、または出店?





スワン萬年筆、白菊便箋、不易糊。
招き猫もお店番。にゃお~~ん♪




明治頃から戦前まで、糸の取次ぎと、織物工場を営んでいたという商店
これは荷箱に名前を入れる道具。これを箱に当てて?塗ると字などが写るという仕組み。
「磨いたら銅でした」(右)と言われるので、「緑青が皮膜になってるし、古びた感じはそのままに」とおせっかいな私。



凧揚印/優良綿糸之魁 (魁=さきがけ)
NIPPON OSAKA FUWA(大阪の地名?)
軍服を着た日本の子供が大陸に向けて日章旗を挙げ、中国の子供が旭日旗を手にしている。
看板は、日本が中国大陸で戦争を始めた頃のもの? 時代をあらわす看板。





現在は和ものの雑貨屋。何も買わないのも悪いのでこれを購入。\525
14日には倉敷ツーデーマーチ20キロコースに友人と参加。
リュックにつけて歩いたら、知らない人に受けた(汗)



 


柳井名物「金魚ちょうちん」
和紙で作ります。







「西の蔵というイベント会場では明治時代に盛んだった「柳井縞」を有志が復元しています。






機織体験ができます。「これを織りたい」とお願いしたら「無理です!!!」とひとこと。





コースターを織ることに。途中で縦糸が切れたのでインストラクターの人が調節しています。





できました!!350円だけど、糸がよれたので300円にしてもらいました。
見ていただいてありがとうございました。
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山陰の旅2006年夏

2016-09-03 | 旅行

寄生虫の 帰省中の三男と三人で山陰日帰り旅。2006年8月6日

山陰本線、海水浴場、いい一日だった。

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岡山・鬱金と琺瑯の旅2006年

2016-09-03 | 旅行

 岡山・鬱金と琺瑯の旅

      岡山・鬱金と琺瑯の旅 06/4/14              



広島~岡山は高速バスで2時間20分くらい 倉敷JCTで瀬戸中央道(瀬戸大橋)が分岐



吉備路文学館前庭の鬱金(うこん)。駅から徒歩で10分くらい。まだ六分咲き


初めて見たのは2001年、色は控えめ、花は豪華


白、黄、緑、薄紅、茶・・・深みのある色のハーモニー



ベネッセ本社の前を通り旭川へ。後楽園が見えてきました。まさに錦織り成す春の長堤


ここからはマニアックな収集

マニアの方、持って帰らないで!

種苗店で。店の人も忘れていた看板

こちら邪魔者扱い

引き出して写し、またもとの場所へ


岡山は桃の産地、高速バスからは斜面を覆う桃の花が・・・

 
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 名古屋、松阪、伊勢 年末急ぎ旅2007年

2016-09-03 | 旅行

 引き続き、昔のホームページ移動中。レイアウトが崩れてるところもありますが、なにとぞご容赦ください。

 名古屋、松阪、伊勢
           年末急ぎ旅
 
                       2007 12/8~9
 いろんなことがあった2007年、名古屋の学会に出かける連れ合いに、一緒に行かないかと誘われた。
 「サンキュー♪誘われて乗らぬ手はなし、遊びなら」と、午後にはハンドバッグ一つで新幹線に乗っていた私。

 私は学会に用はない。翌日かねて行きたかった松阪、伊勢へ。う~~む、三重県は広くて暖かくて暮らしやすそう。
 帰ればたまった用事が待ってはいても、年末の旅行も捨てがたい。終わりよければすべてよし。
 来年もいい年でありますように。











「ノリタケの森」

四時過ぎ名古屋着。あちら学会&懇親会へ。こちら夕暮れ迫る「ノリタケの森」へ。     
名古屋駅から地下鉄&徒歩で15分くらい  



食器を見るのは大好き。で、つい買ってしまう悪いくせ。
夏用の涼しげなトリプルセットを

 













名古屋駅のイルミネーション

 
おとぎの城が刻々変化する。
駅前で見上げる人、人、人、交通整理の警察官。
二階ベランダは光の森をくぐりぬける大勢の人。
歳末気分いっぱい 









  
 
 
松阪 

近鉄名古屋発8:40、松阪着10:16 ¥1,230
静かな城下町を徒歩で見物する。
旧参宮道、向こう京都方面、手前伊勢方面。
橋の向こうには、色町があったとか。
信仰と遊びはワンセット。
見聞を広めて遊んで・・・旅は今よりずっと楽しかったことだろう。
 





小泉見庵宅跡


松阪と言えば本居宣長、本居宣長といえば松阪。 
日本史上に燦然と輝く国学のビッグネーム。
向かいの親友の家が医者で、(あの程度なら?)自分もできると京都に遊学。小児科などを修める。
京都ではだいぶ遊んだとのこと。

昼間は診察、夜は古典のお勉強。晩年には全国に五百人以上の弟子を持ちながら、乞われると気軽に診察していたという。
 
宣長の家は松阪城内に移築保存。こちら向かいの小泉見庵宅跡

 















旧宇治山田郵便局部分

JR松阪発11:44 伊勢市着12:04 \400 

外宮前の大正12年建設、旧宇治山田郵便局増築部分。
(本体は明治村に移築保存)
こちらは現在、レストランなどに。お洒落!!

 












伊勢神宮外宮


長いアプローチ、玉砂利、白木の鳥居、照葉樹の原生林・・・
行って初めて分かったのだが外宮と内宮は全く別の神社。
六キロ離れてるそうで、祀られる神様も違う。知らんかったあ~~


下宮前~内宮前 バス\410 約10分


 











伊勢神宮内宮


どんな人も?はるか手前からここまで徒歩で。
最後の石段も当然自力で。画面右、足の悪い年配女性が息子さん二人に抱えあげられていました。
 
賽銭箱なし、絵馬堂なし、おみくじなし、ないない尽くしのシンプルな神社。写真の建物は門の役割?白い布で遮られ奥の奥の本宮は見えない。

白木の掘建建築、草葺き(材質未確認)で日本文化の古層を連想する建物。
以前テレビで見た雲南省の奥地の農家のような、あるいは東南アジアの・・・

どこかモンスーン地帯の匂いがする伊勢神宮。
 


         

 
神鶏 
という言葉があるのかどうか、鶏が玉砂利の中をつついておりました。       
クオッー、クォクォとは鳴かずに静かに。神社の鶏はお行儀がよろしい。            
           



 














 伊勢おはらい町通り


 内宮の門前町。とても賑やか
 妻入りの伊勢独特の商家が軒を連ねる


 お参りを済ませた人はどこか晴れやかな顔



 








赤福本店


只今「無期限営業禁止処分中」
 














伊賀組ひもの店 「平井」


帯締のほかにキーホルダーなども販売。
自分用に絹のマフラーを買いました
 


















おかげ横丁


江戸末期から明治初期の門前町を復元
こちらは洋風建築


神宮会館前~伊勢市駅前 ¥320 約10分



 















高島屋のクリスマス


携帯を切っているらしく、連れと全く連絡がとれない。
ムカついて一人で帰るつもりの新幹線ホームでバッタリ。やれやれ。

今回またしても珍道道中のお粗末(完)
   


 
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小豆島 冬の旅 2008年

2016-09-03 | 旅行

 小豆島 冬の旅

近くてもなかなか行けない小豆島、今回20年振りに出かけました。お正月の混雑も終わり、静かな島には暖かい冬の日差しがいっぱい。
オリーブと素麺と醤油と、自由律の俳人と…本土から少し離れただけで温かい人情もいっぱいの島旅です。 2008/1/13~14
                                                                                   
 
新岡山~土庄はフェリーで カモメが船を追ってきます
 
 
オリーブ園で 風車はギリシャミコノス島のイメージだそうです
 
 
百年前、日本へ初めて導入されたオリーブの木 たわわに実をつけていました
 
 
道の駅小豆島オリーブ記念館で アテナはオリーブの女神だそうです
 
 
ハーブ喫茶「グリース ハーブ入りパスタ
 
 
オリーブだけが小豆島ではない。こちら伝統的な島の暮らしと産業と・・・・・
 
 
島には大小の醤油工場が。丸金は資料館を見学するとお土産に醤油の小瓶がいただけます
 
 
地元では下駄と呼ぶ舌平目。冬の風に当てて干物を作っています 二十四の瞳映画村近くで
 
 
素麺の天日干し 小豆島ふるさと村で
 
 
小豆島八十八か所 十四番清滝寺で 建物は前だけ 後ろは岩の中です。               
こちらへお参りすると四国八十八か所と西国三十三か所へお参りしたのと同じご利益があるとのこと


 
島のサルたち
 

ハイ、なんでしょう?

おい!!
 

おかあさ~~ん♪
  
         モグモグ、ムシャムシャ…
 
 
大坂城残念石
 
 
島の北側、小海地区には大坂城改築のために切り出された石が残っています
 
 
 

突如現れる巨大な観音像。 帰りのフェリーからも島影に上半身が見えていた。一体これは何なんだ!!!!
(小豆島大観音仏歯寺)







宿から見る朝の海 旅情満点~♪





寒霞渓から星が城山へ登る。左から八栗山、屋島、高松市街、五色台 女木島、男木島など。奥は四国の山々絶景

 

放浪の俳人 尾崎放哉(ほうさい)は結核で亡くなるのまでの八か月を小豆島で過ごします。
形式にとらわれない独特の俳句には、孤独と向き合う厳しさがひしひしと感じられます
    

尾崎放哉記念館
 
 

放哉の過ごした西光寺内の「南郷庵」は記念館に。現在の建物は復元された三代目
 

障子あけて置く海も暮れ切る


いれものがない両手で受ける


咳をしても一人


翌ハ元旦がくる佛とわたくし 

放哉

 

 

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