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笠岡、小野竹喬美術館とカブトガニ博物館

2015-08-30 | 旅行

昨日、出かけました。

行く先は岡山県笠岡市、普通列車は糸崎で乗り継いで約二時間ちょっとです。

三原付近で。道路がとても高いところを通っている。

ロシア人ならびっくり。

なんで平地に道、通さない?

だって平地が少ないんだもん。と、自問自答。

今度は海。尾道大橋が見えてきました。

くぐります。橋は二本、一般道としまなみ海道。尾道水道は川ではなく、海。向こう向島。

11:49、着きました。美術館へは徒歩25分、バスだと4分。

バス停で7月から9月の土日祝限定、笠岡いいとこ巡りバスがあるのを知る。これ使えば美術館のほかにカブトガニ博物館も行けるかもと、バスの案内所で聞くけれど、便数少ないので無理ですとつれないお返事。

でも、じっと時刻表眺めるうち、なんとか二つを廻って15:55発のJRに間に合いそうなことを発見。そんなこと誰もしないので、案内の人も知らないのでしょう。地方都市は車がないと大変です。

竹喬美術館は免許証見せたら無料になった。ありがたや。文化勲章受章者、小野竹喬と戦死した長男春夫の合同展です。

父親は当然として、春夫も端正でいい絵を描いています。急速に上手になった印象で、デッサンもしっかりしているし、明るい色を使うし、若々しいです。

出征で画業が中断することを本人はとても残念に思ったことでしょう。

日記や、恋人弥生にあてた手紙など、資料もたくさん。

幹部候補生の試験を受けて将校になれば内地に帰れるからと助言されたのに、長く軍隊に居たくない、と断り、中国の部隊で夜、歩哨に立っていた時、狙撃されて亡くなったそうです。

長く居たくないというのは、一刻も早く除隊してまた絵を描きたい、恋人と結婚したいという思いだったのでしょう。

若くして亡くなった人の話は、いつだって辛いし、それが戦死ならなおさら。

駅→市民会館前 バス150円 12:20→12:24。駅には5分くらい遅れてきました。交通量少ないけど、運転手は決して急がす、お客さんもバス停ついてから財布を開けて両替、とのんびりしています。


 

 

13:39 市民会館前→13:58カブトガ二博物館前 バス190円

うわおぅ、広い公園になってます。ここは無料ゾーン。

池の中にも。

こんにちは~

いらっしゃい~

カブトガニの研究と保護、学習などもできる施設です。捕獲されたカブトガニの一部は識別表を付けて飼われています。

他にも海の生物色々。こちらはヤドカリ各種。

アメリカカブトガニ。白っぽくて小さく、砂にもぐっています。

三葉虫が祖先らしい。サソリとは大昔に分かれた遠い親戚らしい。

笠岡湾の保護地域。ここは潮干狩りなども禁止。環境を守る努力をしています。

25年くらい前、九州の柳川へ子供たちと行ったとき、魚屋にカブトガニ置いていた。売り物なのか、珍しいのが網にかかったので見せているのかは分からなかったけど。

戦前は今の広島南警察署の付近は砂浜で、カブトガニもいたとのこと。

学生時代、笠岡(だったかな)から来た男の子、海水浴に行くと、砂浜にいくらでもカブトガニが隠れていたとのこと。

10年以上前、20年はたっていない時期、能美島の海の生き物の観察会でつがいを見つけたとか。こちらはとても珍しいとのこと。

水質悪化と砂浜の激減でカブトガニは今や絶滅危惧種に。笠岡はたまたま工場もできなくて、いい状態が保てたのでしょう。

広島湾にカブトガニがいたなんて、昔はよほど水がきれいだったんですね。

小さなカブトガニ

トビハゼ。別名ムツゴロウ。

アミメキンセンガニ

魚もいろいろ

土曜日なので、子供たちも来ています。でも都会みたいに人は多くありません。

本日のパンフ二種。茄子の絵は確か、長野県の無言館の所蔵。10年くらい前、巡回展で見て、印象に残っていた。

木陰のベンチで一休み。頭上に木があるだけで、心が落ち着く。

古代っぽく、イチョウ、セコイヤ、カヤなど。遠くで子供たちが走り回っているけれど、ここは静か。たぶん、近隣の子供たちが遠足で来る場所だと思う。

勉強して、遊んで、お弁当食べてにはとてもいい施設。

15:19カブトガニ博物館→15:36笠岡駅。バス代320円。

駅前。店はほとんどありません。駅中にコンビニとパン屋、写真左外にもパン屋が一軒。商店街中ほどにJRの線路をくぐって港へ行く道があります。

いゃあ、とてものんびりした町でした。駅中のパン屋さんのサンドイッチは作りたてでとてもおいしく値段も安くて感激しました。

15:55笠岡→18:17広島 JR代1,980円

昼ごはんは広島駅で買ったおにぎりを行きの電車の中で食べ、笠岡駅で買ったサンドイッチはカブトガニ博物館前の公園で食べる。お茶は家から持参。ロシアでお金使ったので、しばらくは節約します。

昨日は美術館もさることながら、カブトガニのいろいろがとても面白かったです。

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変形の綾織

2015-08-29 | 機織り

昨日はほぼ一日、機織りを頑張りました。

まず、枷から糸を巻きます。糸巻と管巻機は知り合いにもらう。枷繰機は編み物の道具。ヤフオクで落札し損ねて業者さんに連絡、直接買いました。

二本取りにして小管に巻きます。

シャトルにセットします。

織り始めたけど二本の糸の張力に差があるのか、次第にたくれてきて、直すうちに次に踏む番号を忘れ、一枚目は何度もやり直し、それでも二か所も間違えた。

二枚目は板杼にして、番号を唱えながら、忘れないうちにさっさとやる。まあ何とかできそうです。

こちらもブックカバーにする予定。四枚くらいの予定。

織りは間違えさえしなければ、頑張った分だけ結果が残る。絵はそうは行きませんものね。いくら頑張っても、なかなかいい絵が描けない。最近、停滞気味。

いえいえ、元気でいろいろなことができることを感謝しなければ。自分の中で、納得できるまでは頑張りましょう。

こちら完全組織図。織りのソフトを使って打ち出しました。実際に織っているのは、柄がずいぶん寸詰まり。

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電飾リボンに液体用パック

2015-08-27 | 日記

「保育園の夏まつりに熱があって行けなかったから、貰ったの」

スイッチ入れたらネオンサインみたいにピカピカします。

私「改まったところへは着けて行くみたいよ」

同居人「あんたの留袖みたいなもんかな」

いゃあ、留袖より目立つでしょ。

私も欲しい。私が着けたらこの歳だから一層受けるはず。


 

木曜日は地元で阪神戦でした。仕事終わってすぐ行くというので、私が球場近くまで車で送りました。

ビールは高いので自宅から持ち込みます。そのままの持ち込みは禁止なので、どこからかこんなパック出してきて、移し替え、あらかじめ凍らせて持参。

えらい!!やることが細かい!!私なら二、三百円の節約にそんな手間かけないもん。

「色がよく似た液体を入れて、すり替えとこうかしら」と言って顰蹙買いました。受けると思ったんだけど。

よく似た液体というのはご想像の通り、あれですよ。いゃあ、やってみたいなあ。

 

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クレムリンと赤の広場の見学、そして帰国

2015-08-26 | ロシア旅行

8/15 クレムリンと赤の広場を見学して、いよいよ夕方ロシアを離れます。最後の観光です。

ホテルを出てバスで15分くらい走り(迂回したらしい)、クレムリンに着きました。今から見学者用ゲートに向かいます。

入ってすぐのところにある建物。

クレムリン大会宮殿。1961年完成。かつては共産党大会などしていたが、今はオペラ、バレエなどを上演。建物正面に双頭の鷲が輝く。

客席は6,000席だそうで。威圧的。

ウズベンスキー大聖堂は修復中。ロシア帝国の国教大聖堂。皇帝の戴冠式もここで行われた。地震倒壊後、1479年に再建。

廻り込むとこんな感じ。

イワン雷帝の鐘楼。1543年に完成。

右、武器庫とダイヤモンド庫。今から見学に行きます。左、ポロヴィツカヤ塔。もう一つの入り口です。

蹄の音も高らかに、馬に乗った衛兵が通ります。隊長は白馬、他の兵士は栗毛に乗ります。

大きさも歩調も揃って、目の前を通って行きます。

土日は騎馬部隊の交替式があるそうです。

通った後は清掃。車が排ガスを出すように、馬は生き物ですから。

イワン雷帝の鐘楼前広場で、交替式が始まります。大勢の観光客が待っています。

私たちはこの後、武器庫とダイヤモンド庫の見学。建物の中は撮影禁止。

武器庫とは博物館のことで、歴代王朝の宝物を、ダイヤモンド庫は飛行機に乗る前のような厳重なチェックがあり、出るときも時間を決めてドアが開きます。

クレムリンホームページから写真を拝借します。

戴冠式用のガウン?セーブルの毛皮?

王冠

儀式に使われた食器セット

花嫁衣装。ウェストが細い。昔の結婚は10代半ばだったそうで。

この他には馬車や玉座、武具など見応えたっぷり。


 

このあとダイヤモンド庫に。厳重な荷物チェック。ハンドバッグを開けて、中身を全部確かめられる。

いちばん目を引くのは自然金塊のコレクション。30くらいある。地中に金の塊のままあるのを掘りだしたそうで、それぞれキャベツくらいの大きさ。

「これはそのままの形の方が値打ちがある」と誰かが言っていた。参考に金の延べ板ではなく、ブロックが置いてある。それよりどれも大きい。うわあ~目がくらむ。一度にこんなにたくさんの金塊を見たのは初めて。エルミタージュでも黄金ばかり展示している部屋があったけど、こちらけた違い。

周りはずらりと王冠やアクセサリーなど。宝石の一つ一つがとても大きい。エカテリーナ二世が愛人から送られたという巨大なダイヤもここにあったのかもしれないが、ここはガイドもいないので気が付かなかった。残念!!

照明を落とした部屋でダイヤ他の装身具、煌びやかのをたくさん見て圧倒されました。

出たところで100ルーブルの絵葉書と3400ルーブルの琥珀のペンダントを買う。皇帝一族には及ぶべくもないけど、庶民なささやかなぜいたく。

 

鐘の皇帝

1733年から35年にわたって鋳造される。高さ6.14m、重さ200tの世界最大の鐘。

製作中に火災が発生し、水を掛けたら割れたそうで、一度も鳴らされたことがないとか。

おや、先ほどの衛兵が。パッカパッカとひずめの音も高らか。後ろの工事幕、大統領官邸の一部。きょうは土曜日なので、プーチンさんは自宅にいるのかも。

先ず音楽隊が。

目の前を通ります。

続いて騎馬隊。

きちんと歩くのが訓練のたまもの。脚の黄色いのはサポーター?飾り?

レーニン廟? ツアー客は行かないようです。

赤の広場

左からワシーリー寺院、スパスカヤ塔は公用の入り口で大統領も出入りする。大統領官邸と、小さな三角屋根はレーニン廟。丸い屋根は元老院。

広場は土曜日で大勢の人です。

昔、大統領他の人たちがここに立ち、人民に挨拶していた。。。。のは北京でしたか。。。。

ニコリスカヤ塔と国立歴史博物館

反対側の国営デパート、グム百貨店。

向こうにワシーリー寺院が。最もロシア的風景。設計した二人は二度と他で同じものを作らないようにと、イワン雷帝から目をくり抜かれたそうで。いゃあ、権力者のめちゃくちゃぶりもロシアは並外れているのかも。。。。

 

グム百貨店内部。通路は二本。三階までの吹き抜け。ショップ色々。作りは広島のダイヤモンドシティソレイユみたい。あそこもイオンとかダイソーとかいろいろ入ってますが、こちらはブランド店ばかり。

店の中心、スイカの切り売りにスイカジュース、この手前でまたしてもアイス食べる。50ルーブルくらいだったかな。ガイドさんが通訳してくれた。

地下のトイレはあまりきれいではなかった。残念。

クレムリン全体が丘の上、ワシーリー寺院は通り過ぎて振り返るときれい。

さよなら、クレムリン、さよなら、赤の広場。手前から、スパスカヤ塔、レーニン廟、ニコリスカヤ塔。

広場の外に出てバスに乗って食事に行きます。

 

スープや

魚料理や食べて

・・・・・・・・・

空港へ。いよいよ帰国です。

モスクワ川を渡り

空港へと急ぎます。ロシアの道は広くてまっすぐ、トンネルなし。向こうは火力発電所。

サンクトペテルブルクへ戻るのならいいんだけど、私たちは空港に向かっています。

空港に着きました。

飛行機色々。エアロフロートらしい。

サヨナラ、ロシア

サヨナラ、悠久の大地。

素朴で桁はずれていて、国は広くて、人は大らかで、無愛想で、でもきっと正直で、不思議な魅力のある国でした。

大韓航空、以前はそうも思わなかったけど、食事はやや地味かな。

朝はお粥をチョイス。ふりかけ掛けます。

ソウルでは四時間くらい待つ。トランジット客は無料のシャワー室あり。髪を洗いました。福岡へ向かって飛びます。空は秋の気配。

一時間半のフライト、国際便なので水平になってから軽食配る。忙しいです。

福岡郊外、海の中道。右が金印の見つかった志賀島らしい。

福岡港と福岡市内。

どんどん高度を下げます。市街地の真ん中にある空港まであと少し。

無事着陸。8/16 15:25

お疲れ様。終わってみればあっという間の6日間。強行軍と寝不足、消化器管の不調と、たいそう疲れる旅でしたが、写真整理して、やっとがどんなところへ行ったか理解できた気がする。

何事も復習、大切。

ロシア旅行、長い間のお付き合い、ありがとうございました。

 

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「生きて帰ってきた男」 小熊英二

2015-08-26 | 読書

モスクワ郊外 8/14 朝


気鋭の社会学者であり歴史家、小熊英二氏のお父さんは今年89歳、自分で身の回りのことをして一人暮らしをされているという。

そのお父さんの生まれてから現在までの聞き書きを、当時の社会情勢と合わせて一冊にまとめたもの。

北海道で生まれ、東京の祖父母に引き取られ、中学を出て就職、応召、シベリア抑留、復員後、職を転々としたこと、結核の療養、子供連れの人と結婚して生まれたのが著者。

やがてスポーツ用品を学校に卸す仕事が軌道に乗り、生活もやっと安定する。現役引退後は地域活動や、シベリア抑留会の活動を通じて、朝鮮籍の旧軍人の日本政府への補償問題にも関わる。

決して声高く自分を語ることのない人だけど、息子さんの聞き書きで細部についてもよく思い出したという。感想は全て、実生活からくる淡々としたものだけど、足場は少しもぶれない。

私たちの親の世代はみんないろいろな苦労をしたと思う。ただ戦中の話だけではなく、戦後の長い期間のことも取り上げたのがこの本の特徴。

300ページ以上の本だけど、面白く読みました。

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浴衣からワンピース 裁断図、型紙はこちら

2015-08-25 | 日記

このブログ、浴衣 ワンピースで検索される方が多いので、作り方です。

浴衣から作ったのはこれ。使うのは前後の身頃と衽だけ。袖は枕カバーにでもしてください。

作り方。

襟を外す。

袖を外す。

衽おくみを外す。

衽おくみはそれぞれを縦に二等分して裁断。

前身頃は身幅二枚を縫い合わせる。

後ろ身頃は背縫いを解かずそのまま利用。

型紙でもお分かりのようにワンピースの裾が広いので、身幅二枚分の両脇に衽おくみを足し、型紙を置いて裁断。

こんな感じで。

首、襟ぐりはバイアステープを作って始末。ポケットも適当に。ポケットはあった方が便利。

洋裁慣れた方なら二時間もあればできるのではないでしょうか。もう夏も終わりますが、とても涼しく過ごせました。

こちらは普通の木綿地で。2mあれば何とかできます。一見浴衣地だけど、模様つけが一方向なので、浴衣は縫えません。肩で接いだら、それはもう着物じゃないですもんね。ことほど左様に、着物の作り方、体に染みついているようです。


 

衽おくみって何・・・?

着物の前、衿下に付いた幅が半分の部分です。

夏になってこの記事を検索される方が多いので、タイトルを変更、記事も少し付け足しました。

今も上の写真の、紺色のワンピース着用。昨年までは近所の買い物はいちいち着かえていたけど、今年は麻の丈の長いブラウスを上から羽織って誤魔化しています。

歳とともに、いくらでも自堕落になる私。2016年7月21日 追記


 

番外 孫の甚平

上だけ出来て見せたら、喜んで着て、ズボンはそのまま。

あとで作りました。こんど来たら渡そう。電車大好き、お父さんも反応するはず。

生地屋さんで型紙貰ったら、これもまた肩で接いで、衽も身八ツ口もなし。身八ツ口ないと涼しくないので、着物風に替えました。

生地代は千円ちょっと、とは言え既製品買っても安いのにわざわざ作るのが楽しい。

今度は何を作りましょうか。

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「火花」 又吉直樹

2015-08-25 | 読書

先月、わが地元での花火大会。


今期、芥川賞受賞作。面白かったです。芥川賞というのは芸術性に走るあまり、ふだん純文学を読まない人には???な作品もあるけれど、これは素直に書いたものを素直に読めばよくて、お笑い界の裏側や芸人さんたちが何を考えているかがよく分かり、自分の世界が一つ広がったような気持ちいい読後感です。

しかしテレビというのは力があると改めて思う。著者を知っている気になるもん。いえいえ、隣の挨拶以外あまりしない人よりは親しみがわく。文学賞というのも、結局は業界の販促のためのイベントでもあるわけで、過去にも別な業界での有名人が受賞した例はある。

それに比べても、そん色ないと思う。

熱海の花火大会の日、イベントの舞台に立った漫才コンビスパークの徳永は、先輩コンビあほんだらの神谷に出会う。神谷は、笑いとは何か、漫才師とはどうあるべきかを徳永に語るが、実生活は女性の収入と借金で生活する破滅型の人間だった。二人の付き合いは着いたり離れたりしながら、十年以上も続くが、徳永はその間にそこそこ売れるようになり、街で声を掛けられることも増えた。

神谷は相変わらず、笑いについてストイックな立場を崩さず、現実には女性と別れ、また別の女性とくっつき、借金から逃れるために行方不明になり、やがて再び徳永の前に現れる。

ありえんやろ…という結末は本を読んでいただくとして、芸に掛ける人間の執念、悲しさ、人を笑わすための血のにじむような努力など、知らなかったことばかりだった。

笑うって、人間にしかないと思う。快、不快の表情は動物にもあるけれど、笑いは言葉で構築されたその人なりの世界観を思わぬ方向から突き崩すときに生まれる、意外性だと思う。

言葉で記憶されたものにゆさぶりをかける行為とでも言えばいいのだろうか。

人を笑わせるというのはひょっとしたら、文化的な営みの最上位に置くべきことなのかもしれない。

漫才師になりたいものはとてもたくさんいて、世の中に出られるのはごくわずか。ネタつくりにネタ合わせ、血のにじむような努力の果てに幸運な者だけが世に出られる。大変厳しい世界だと知った。


知人の息子さんがお笑い芸人を目指している、と聞いたのはだいぶ前。彼女はいるけど結婚はまだ。その様子がこの小説で想像できた。無事、望みは果たせたのでしょうか。

我が家の某息子も生まれつきのひょうきんもの、何でもネタにしてしまう。長じては大学の落研に入り、落語に漫才、ピン芸に南京玉すだれまで、授業料を無駄にすることなく芸能全般を修めたが、卒業後は就職した。

今でも面白い男だけど、この小説読んだら、お笑いは遊びでたしなむのもで充分だと思った。

人を笑わせ、自分も幸せに。お笑いの効能これに尽くるはなし。小説の神谷のようになったら本当に悲惨。でも笑いの神の取り付かれた狂気を生きざるを得ない人もいるわけで、その人世は切ない。

なかなかに深い小説でした。

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修道院を見学、モスクワに帰る

2015-08-25 | ロシア旅行

8/14午後、モスクワから70キロ離れたセルギエフポサードのトロイツエ・セルギエフ大聖堂を見学します。

こちら事務棟。日本風に言うと社務所。トイレもあります。

ガイドさんが入場券、買に行ったので待っています。

入場券のほかに、写真撮りたい人は撮影券も購入。100ルーブルだったかな。記念に缶バッジ貰いました。

ウズベンスキー大聖堂。イワン雷帝の命により、1585年完成。

鐘楼と右は何だったかしら?

精霊降誕教会。

僧院の食堂内。たくさんのイコノタスで荘厳な雰囲気。

壁や天井を覆うフレスコ画。17世紀に作られたという。観光客のほかに熱心な信者さんが礼拝していました。

観光客には厳しく言われないけど、男性は帽子を脱ぐ、女性は手持ちのスカーフで髪を隠すくらいの気遣いが欲しいところ。

そう、私たちは異教徒だけど、いえ、異教徒だからこそ、現地の人の信仰するものに敬意を払いたいものです。

外へ出てきました。ロシア正教の教会はどこかアジア的。フランス、ドイツなどの教会とはかなり違います。胸の奥にふつふつと違和感が沸き起こるのは、カトリックや新教の教会を見慣れているからでしょう。

ロシアの教会はカラフルで、屋根が円くて、うーーーむ、インパクトがありました。

今からモスクワへ帰ります。

モスクワ市内。バスの車窓から。車線がありません!!

でも不思議と車はスムースに流れています。

午前中食事したアルバート通りで解散。各自、買い物をします。

通りの入り口に大きなスーパーがあり、そこで最後の買い物をしました。アリョンカのチョコを買い足したけど、チョコはヨーロッパ各地にある正方形のがおいしかったかも。

アリョンカはちょっと柔らかかった。日本か暑すぎるのが悪いんですが。スイカのガムも珍しいので。ロシア人はスイカ好きらしく、道端で山盛りにして売っていたり、デパートでも山盛りしていましたね。

所変われば品変わる、ゆっくり買い物できなかったのが残念です。

夫は屋台大好き、夕方から開く屋台で蜂蜜の試食などしたとか。大道芸も見たそうです。

こんなのを買った方も。有名なおみやげらしく、日本で買うと激高らしい。残念!!知らなかった。

写真撮らせてもらう。

ホテルはモスクワマリオットグランドホテル。クレムリンに近い高級ホテルとのこと。ツアーの最後はたいていいいホテルへ行きますよね。

食事はホテルのレストランで。肉は厚かったけど、とてもかたくて、ナイフでギコギコ切り離す。ケーキは、スーパーの山崎製パン製風。

とは言え、私は、出された食事の文句は言わないと躾けられた世代なので、黙っていただきます。

フランスのツアーでは食事もいろいろあり、おいしかったので、期待しすぎてました。こんなものと割り切れば、ロシアの旅もまた楽し。

ドイツは、とても塩辛くて食事も単調。北へ行くほど食事は質素かな。ロシアは最近観光客増えたらしいので、まあ頑張っていると思う。

テーブルに水は各自一本ずつ置いてあるし、コーヒー紅茶は無料だし、こちらは嬉しいサービス。

翌朝、窓から。

ロビーから見ると地下階には噴水が。

ガラスの天井で明るい。

さよなら、お世話になりました。15日朝。きょうはクレムリン見学して、夕方の飛行機でソウルへ、明日の午後福岡に帰ります。名残惜しいロシアの旅です。

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モスクワからセルギエフポサードへ

2015-08-23 | ロシア旅行

8/14 午前九時前、列車はモスクワに着きました。きっとサンクトペテルブルク駅というはず。

駅前。第一印象は雑然として、ビルが威圧的で、北京に似ているかな。

ここでガイドさんと落ち合います。ガイドさんは、モスクワ大学日本語学科の院生の若い女性です。

朝ごはん食べにレストランへ行きます。

ハードロックのライブハウス。午前中、ツアー客を受けているようです。夜は当然、がらりと様子が変わることでしょう。二階へ行きます。

アーティストゆかりの品が。

食事はビールのつまみ的な・・・

まさか来て歌ったわけではないでしょうが。

レストランはアルバート通りにあります。向こうは外務省だそうです。

プーシキンがしばらく住んでいた家。

プレート

家の反対側の銅像。

こちらがお店。店名ハードロック?

外務省前でバスを待ちます。

道は何車線?とても広い。向こうは銀行。

このあとバスで二時間ほどで、古都セルギエフポサードへ行きますが、寝てしまって途中の記憶も写真も一切ありません。モスクワから北北東に70キロとのこと。

次にバスを降りたのはこんなところ。今からマトリョーシカの工房見学です。

ロクロに、二年間乾燥した菩提樹の木をセット、ノミで削り出します。経験と勘だけの一発勝負。

きょうは職人さんは夏休み、「おかみ」が説明してくれました。この「おかみ」、なかなか向こう意気が強く、ツアーバスの運転手と大声で言い合いしてましたが、ロシア語なので内容は分かりません。

工房は菩提樹の森の中にあります。

ボダイジュ。

ヤナギラン。北半球の寒冷地に広く分布。日本も長野県のスキー場や道端など、今の時期よく見られる花。

日本で言うと、アキノキリンソウ。左下はキツネノマゴ。赤いのは初見。名前不承。

????

絵付け体験。

バスで移動。トロイツェ・セルギエフ大聖堂へ向かいます。

バスを降りて。。。先ずは昼ごはん。

修道院の一部を改装したような建物の中でいただきます。

こちら蜂蜜酒。蜂蜜味の発泡酒でほのかに甘くてさわやか、おいしゅうございました。

ヌードル入りスープ。

壷焼き。カップの中にジャガイモと豚肉。それをパン生地で蓋してオーブンで焼くらしい。

店内。宗教的場面の壁画。


 

店の外のバラ各種

さていよいよ、世界遺産、大修道院の見学です。立派な教会の中はどうなっているんでしょうか。

 

 

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奥滝山峡で山野草を見る

2015-08-23 | 日記

さて、ロシアから帰国して一週間、疲れも取れたので、出かけることにしました。

行く先は北広島町の奥滝山峡です。

加計の町を抜け、温井ダムも過ぎ、やがて道の左側の急斜面に小さな水力発電所が見えてくると、その手前に車を停めて山道へと入ります。

この道は島根県との境、大佐山に源を発する大佐川沿いの町道で、未舗装とはいえ、古来から旧芸北町方面へ抜ける主要ルートの一つだったらしく、よく整備されています。

これは降りて来た時の写真ですが、向こう島根県方面、手前加計方面、三台くらいなら何とか駐車可。

看板はないので、入り口が分かりにくく、発電所が見えたら通り過ぎてます。私達もだいぶ行ってから引き返しました。

左手前へと歩いていきます。全長は7キロ、深入山近くのR191に出られるようですが、本日は途中で引き返します。

詳しい場所はこちらでどうぞ。http://photo.site-j.net/tubuyaki/vol376.html

本日の目的

自然の中を歩いてリフレッシュする。季節の花や木を見る。渓谷を見る。

では出発いたしましょう。季節は夏の名残を残しつつ、秋の気配も感じられ、晩夏にふさわしいウォーキングとなりました。

カンボク?とは違うような。。。

ヤマアジサイ。クサアジサイ。

ヨメナ。もう秋の花が。

 ウド

キンミズヒキ

マムシグサ。有毒。

ヒノキ林の中を通る。涼しい。

ヤブムラサキ。紫になるのはもう少し先。

岸へ下りてみます。

岩の上にトンボが一匹

隧道

えとうらず・・・という場所らしい。

深い淵

ボタンヅル。有毒。

カエデの仲間?名前不承。

チヂミザサ

風知草があるわけもなく。でも似ている。

ヤマジノホトトギス

アカソ

ツリフネソウ。これを見たかったのだと気がついた。

夏の終わりから秋の初めに咲く。

ホウセンカの仲間。ゆらゆら揺れて涼しそう。

ホウセンカはヒャクニチソウなどと並んで、夏の仏壇に欠かせない花。我が家では家の前の菜園で作っていた。

祖母が採って仏壇に飾る。夏は亡くなった人が語られることの多い季節。とうとう帰らなかった息子を祖母がいつどう諦めたのか。

朝起きたら、今日こそ帰るかと思い、夕方になったら、広い道へ出て、街の方から歩いて帰ってくるかと待っていた。。。。。

ラジオで同じ部隊が復員してくると聞いて、港へ行って話を聞いた。確かに死ぬのをこの目で見たから生きていると思わないようにと、元戦友に言われた。。。。。

21歳で、遠い南の国で、補給もなくて餓死するなんて、あんまりである。息子を持つ身としては、戦争なんて大嫌い。何で戦争したがるのか、まったくもって不可解。

おやおや、ツリフネソウから思いがどんどんワープして。すみません。読みとばしてください。

可憐。クサアジサイ。

ヒヨドリバナ

ミズヒキ

渓谷

ノアザミ。

自宅出たのが8時半くらい、歩きはじめは10時過ぎ、往復3時間歩いて、15時前帰宅。

涼しい山道を歩いて元気が出ました。途中であったのはバイク1、軽自動車1、しわいマラソンのコース下見の女性2だけの静かなウォーキングでした。

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食事のあとモスクワへ

2015-08-22 | ロシア旅行

8/13 夕方、再びサンクトペテルブルクに戻り、夕食です。

昨日見た血の上の巡礼教会が見えます。

独特の造形。

パワフル。今回内部の見学がなかったのが残念。日程tite。


 教会近く、半地下になったレストランへ。

サラダ

夕食はフォークロアーショウを見ながら。民族衣装を着た女性二人、ご高齢の方と体格のいい方。いい声でロシア民謡を歌います。

客が指名されて踊ります。焦る同行人。振り回されそう~

このあと、私も指名されてよさこいの鳴子みたいな楽器持って踊りました。

旅の恥は何とやら、固辞したのでは場がしらけます。

でもそんなことなら初めから言ってよね。奥の方の出にくい席に座るから。

ロールキャベツに・・・

フルーツ盛り合わせ。ロシアの料理は素朴なのが多かったです。

飲み物サービス。良心的。

外へ出るともう午後8時過ぎています。まだ明るい空に虹が。

しかも二つ。三角の屋根の上、見えるでしょうか?


 

 

このタイミングだったか、夜の列車出発が23:43と知らされる。まだだいぶ時間があります。

お土産物屋に寄ったり、自由時間もたっぷり。でも寝不足その他で体調悪いです。

芸術広場に立つプーシキン像

その後ろのロシア美術館

お土産物屋さんではだいぶ休んだ。店の前の飾り。


 

やれやれ、モスクワ駅(モスクワへ向かう路線の出発点なのでこう呼ばれる)近くのショッピンクセンター手前で、爆弾テロの恐れがあって今閉鎖中との説明。でも30分くらいで解除になりました。

皆さんは買い物に行きましたが、私と佐賀からのご夫婦はトイレへ。迷ったらいけないとワーシャさんがずっとついていてくれました。本当に感謝です。一人でトイレに行って迷子になった人が過去にいたのでしょうか。

やれやれ、やっと列車にに乗り込みます。

左の寝台車で、モスクワには明日8:40ころ着きます。

 

モスクワとは直線で650キロの距離。列車は途中何度も停まりながら、9時間かけてモスクワへ。

二人一部屋。コンパクトですが、機能はいろいろ。ベッドの下にスーツケース入れます。

窓際に頭を持って行くと寒かったので、ドアの方へ向いて寝ました。トイレに行く時も施錠して行きます。

夜が明けてきました。

軽食サービス。

ロシアの接客業の方は一切笑顔がありません。業務外のことも一切しません。これはお国柄。日本人から見たら無愛想で怖そうに見えるけど、案外いい人かも。

ワーシャさんみたいにおもてなしの心のある人は例外のようです。ワーシャさんとはモスクワ駅で別れました。モスクワもワーシャさんに案内されたかったなあ。

 

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ピョートル大帝夏の宮殿へ

2015-08-22 | ロシア旅行

8/13午後、ピョートル大帝夏の宮殿を観光します。

食事のあと、40分くらいバスで移動します。茫漠たるロシアの平原。広い国です。

着きました。ここは北方戦争に勝利したピョートル大帝が、大国にふさわしい宮殿をと、晩年、心血を注いで作らせたという。

写真、左下が入り口です。

宮殿は、フィンランド湾に面した斜面の地形を生かして作られています。

何よりの特徴は噴水がたくさんあること。

シャワシャワ、ジャバジャバ・・・・惜しげもなく滝に水が流れ、ゴージャス。この場所だけで37の銅像、64の噴水、142の水の吹き出し口があるそうです。

この噴水はポンプなどは使わず、22キロ離れた水源地から水を引き、宮殿後ろの上の庭園から落差を利用して噴出しているという。

冬は凍るので、噴水は止められているとか。

中心にあるサムソン像。ライオンの口を引き裂き、その口から参ったーーーというように水が20メートルも吹き上がる。

これは、対スウェーデン戦争勝利25周年記念として1734年に建てられた。スウェーデンの国旗にライオンがあしらわれていることから、そのライオンをも打ち負かす力を誇示している。

はじめは船で宮殿に着けるため、これら噴水はなかったそうです。

下へ下ります。いろいろな噴水があります。子供が喜びそうなアヒルの噴水。

ナチスドイツの破壊跡。エカテリーナ宮殿よりもひどかったそうです。

水路から宮殿を振り返る。

突然の豪雨。傘を持たない観光客が東屋で雨宿り。ガイドさん曰く、「サンクトの天気は美人の心と同じ。変わりやすい。一日の中にすべての気候が入っている」

雨が降って涼しいというか、寒くなりました。

海まで出ます。風もあります。

向こうにサンクトペテルブルクの町が見えます。ここへ来る観光用の船もあるとのこと。

広い公園です。前を行くワーシャさん。ホスピタリティ溢れた方で、とても楽しい旅になりました。ありがとうございます。

もう雨が上がりました。変わりやすいお天気です。

これは面白い。ロシアンルーレットみたいないたずら噴水。上手く走り抜けられたらOK、どこかを踏むと、いきなり水が出てきます。このお嬢さんたちは当たりでした。

花壇に来ました。日本のノカンゾウに似た花。

バラ園も。涼しい気候で、バラはよく育つのでしょうか。

またしてもサムソン。今度は魚?手前はオオバギボウシ、日本原産。花壇の縁取りとして欠かせない花。

とても広くて豪華な宮殿と庭園、ロシア帝国の栄光を今に伝えているようでした。

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エカテリーナ宮殿

2015-08-21 | ロシア旅行

観光二日目8/13 いよいよエカテリーナ宮殿の見学です。

ホテルは8:30頃出ました。鍵の開かなくなった部屋があり、解除するのに時間がかかったそう。でも無事出発できました。

高速道へ入ります。あいにくの雨です。

ロシアの平原。

一時間ほどで宮殿近くのバス駐車場に着きました。歩いていくと向こうに見えてきました。

向こうに見えるのは出口。開門までしばし待ちます。風があってとても寒いです。11月頃の感じ。夏服の上にジャケットを着ます。

もうすく゜門があきます。

やったあ、一番乗りです。誰もいません。開場は10時くらいからでしょうか。ちなみにここもナチスドイツが破壊し、近年ようやく修復されたとか。

夏場はツアー客優先で、個人で行ってもなかなか入れないそうです。

1724年、ピョートル大帝の妻、エカテリーナ一世のために建設される。夏の宮殿として利用したそうです。日本で言うと吉宗とかあの時代ですね。質素倹約と言われた時代、倹約の対極にある宮殿。

1752年には、女帝エリザベータがバロック様式に改築し、この時、外回りの金の装飾にペンキを塗ったそうです。エリザベータは派手なのが嫌いだったそうで。

さらにエカテリーナ二世の時、クラッシック様式に改装され、現在両方のスタイルの豪華な饗宴が見られるそうです。私には様式の違いは分かりませんが、ともかくも豪華絢爛らしい。ドキドキ。

建物の反対側は緑地になっていて、カラスがいます。コクマルガラスです。以前イギリスでニシコクマルガラスというのを見ました。あのカラスに比べて、首のあたりの色がより薄いのが特徴です。

翌日、佐賀県から参加の方が、佐賀にはカチガラスというのがいると教えてくれました。

カチガラス…初耳です。

「広島の方なら知らないですね」とのこと。

こちらです。http://worldjc.com/3934/

カチカチと鳴くのが縁起がいいので、秀吉の朝鮮出兵の時、九州へ連れ帰ったのだとか。厳密に言うとカラスではなく、カササギのようですが、佐賀県の県の鳥にもなっているとか。いゃあ、勉強になりました。ありがとうございます。

入ります。ペンキで塗るより、金の方がよかったのにと、個人的には思います。

宮殿内土足禁止。土に着いたバクテリアやカビが宮殿内に棲みついてもいけないしね。

入ってすぐの階段

壁に古伊万里の壷などを飾っている。当時は船で運んで、とても高価だったとのこと。

大広間。ベルサイユ宮殿、鏡の間によく似ている。あそこよりは狭いけど、両側窓で光がたっぷり。

金が・・・☆☆キンキンキラキラ~☆

一番乗りなので、目の前に誰もいません。この贅沢感。ワーシャさんいわく、皆様方、運がいいですよ。いつもは人が大勢でとてもゆっくり見られませんから。

少し人がやってきました。

鏡に金が映り込んで、豪華さ、二倍、三倍、四倍増し。

次の部屋へ

豪華な部屋が続きます。水色のはオランダ焼きのマントルピース。一枚ずつ違う絵が描かれています。

豪華に食卓を再現。

何気に置いてあるマイセン。

椅子も豪華。緑の壁材も高価なはず。何でしょうか。黒人の飾りは、実際にアフリカに植民地がなくとも、帝国の版図が大きいことを示すためと思います。

エカテリーナ二世。元々はドイツ人、姑エリザベータに請われて、王妃としてロシアへ来る。エリザベータ亡き後、夫を暗殺させて帝位につく。

己の運命を生ききった人と言えるかも。

緑の食堂。古代ローマ風の浮き彫り。

琥珀の間は撮影禁止。琥珀自体は高価と思うけど、色合い的には地味。部屋がほんのり暖かいのは琥珀の持つ暖かさだそうです。

ショップには琥珀の装身具たくさん売っていたけど、買う時間がなくて、クレムリン内で買いました。

こちらも第二次大戦中、ドイツ軍によって破壊、略奪され、2003年にようやく再現されたそうです。それから観光客がとても増えたとか。

つくづく、戦争の罪深さを思いますね。アメリカの手助けして、世界の果てまでも軍隊出そうなんて、気が狂ったとしか思えない。

出てきました。まだまだ修復は続きます。

今度は気持ちいい木陰を歩いて・・・

こちらへ行きます。

キャメロン、ギャラリーです。エカテリーナ二世の時、思索するための散歩用に作られたそうです。

庭が見下ろせます。夏の花がいっぱい。

先端の階段下りた先には池があります。

ぐるっと公園を廻ると、むこうにさっきの宮殿が。

雀。日本のより少し色が薄い。

説明するワーシャさん。

お昼は郊外のレストランで。ツアー客が増えたので、レストランも増えた模様。

メインはシャシャリクという串焼き。肉が固かった。ロシアはどこでも肉が固かった。日本人が柔らかいのを好みすぎるのかも。

午後からピョートル大帝夏の宮殿へ行きます。いいお天気ですが、やがてとんでもないことに…

 

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ロシアバレエを鑑賞する

2015-08-20 | ロシア旅行

子供のころ、松島トモ子、小鳩くるみといった少女スターが活躍していたころ、バレエは憧れの習い事でした。

でも近くにそんな教室ないし、あぜ道駆けまわってツクシを採っていた少女も、老人になってやっと、ロシアで本場のバレエを見たのでした。長生きはするものです。

子供の自分に言ってやりたい。大丈夫よ、見られるからねと。

実は旅程に入っているって知らなかった。4月に申し込んだときにはオプションで23,000円のバレエ鑑賞が付いていたけどパスして、夜はホテルでゆっくりするつもりだった。

7,8月出発にはバレエまたはオペラ鑑賞が付いているんだそうで。これはラッキーというかお買い得。日本で見たら1万円くらいするのかな。見たことないけど。

6時からホテルで食事(ハイキング)、7時ホテル出発、8時開演、終演は23時過とtiteなスケジュール。でも流れに乗っていきましょう。

会場はこちら、アレキサンドリンスキー劇場。客席は1,378人、素敵な劇場です。

道を挟んでピンク色のビル。

一階は焼き鳥屋。寿司店とともに市内各所で見かけました。ロシアも日本食が一定程度根を下ろしているようです。

チケット貰います。二列目の41番です。いい席かも~

夏場の、観光客対象の公演らしい。夏は本当はオフシーズンとのこと。

オーケストラが音合わせしています。観光客多し。

玉座もある劇場内。でもピョートル大帝(だったかな)は舞台袖の、客席からは見えない席で鑑賞し、踊り子たちと楽しく過ごしたとか、どうとか・・・いゃあ、皇帝はやりたい放題。

またしてもガイドさんに写真撮ってもらう。二人で写真に納まるなんて気恥ずかしい。

公演中はもちろん撮影禁止。これはアンコールで最後のあいさつの場面。

指揮者も舞台に上がってきました。

 

すっかり夜も更けました。ものすごく眠くて半分くらい寝てしまった。残念。

外へ出ると小雨でした。バスまで急ぎ、今の劇場を振り返ります。海沿いなので、雨はけっこう多いそうです。

向かい側のビル、ライトがとてもきれい。

ホテルへ帰って風呂入って寝たのは12時ころ、明日は郊外を観光するので、スーツケースを各自でバスに積み込んで8:15発です。忙しいです。あれこれ考えず、一刻も早く眠りましょう。

コメント (2)
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エルミタージュ美術館へ

2015-08-20 | ロシア旅行

午後からエルミタージュ美術館の見学、約3時間の予定です。

はじめは皇帝が冬の間を過ごす宮殿として建てられ、その後エカテリーナ二世は、美術品を購入してそれを鑑賞するための建物を建設。隠れ家という意味のエルミタージュが現在の美術館の語源となっているという。

収蔵品は300万点に及び、一点30秒ずつ見るとして飲まず食わず眠らずで7年だか9年だったか。展示されているのはごくわずかで、しかもツアーではそのまた一部しか見ません。豪華な内装も見るので、人ごみ掻き分け掻き分け、美術鑑賞というよりは名所めぐりの趣。

美術館内は人の熱気で蒸し暑く、時たまの窓からの風が嬉しい。そんな美術館でした。

収蔵品がデータベース化されてるそうです。http://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/

 宮殿広場前でバスを降り、今から見学です。真ん中に立つのはアレクサンドルの円柱。

あちら入口です。

めったに二人で写真撮ることがないけど・・・

豪華ですね。ロシアの宮殿が明るい色なのは、冬のお天気にでもきれいに見えるようにと考えたからだそうで。夏でももちろんきれいです。

入ります。

入ってすぐの大使の階段。城の正面玄関です。

豪華なシャンデリア

シャンデリア/白の間

ピョートル大帝の間。(小玉座の間)

「ピョートル大帝とミネルヴァ」という絵が飾ってある。

紋章の間

ブロンズ製のシャンデリアにロシア各県の紋章がデザインされているそうです。

1812年のギャラリー。ナポレオン戦争に参加した300人の将軍の肖像があります。

こちらストロガノフ将軍。歳とって堅い肉が咬めなくなったそうですが、若いときは美男子。

聖ゲオルギー(大玉座)の間は皇帝に拝謁する部屋。人が多いので全体を撮れなかった。残念。

天井と同じ柄のモザイクの床。

パヴィリオンの間。元は四部屋。エカテリーナ二世の愛人が暮らしていた。孔雀の時計は愛人からエカテリーナへのプレゼント。時刻が来ると鳴き声がします。

象嵌のテーブル。

きれい。

窓から川を見る。風が涼しい。

続いて美術品を見ます。

ダヴィンチの聖母ブノワ

ダヴィンチの間。天井。

こちらもダヴィンチ。リッタの生母。

この二点の前は人が多く、鑑賞は順番待ち。

ラファエロの回廊。ラファエロが描いたヴァチカンのフレスコ画を摸写したもの。

アントニオ・カノーヴァ作 三美神 

古代絵画史の回廊?

天使像。どちらへまわっても目が合う。

この他に各地で発掘された黄金の美術品を展示した黄金の間、見学。照明を落とした部屋でロシア語の案内が付きます。

印象派以後の近代の絵画は別館にあり、見学しません。そちらは大変すいているそうで、いつかまた・・・があればいいけど。

十月階段。1917年10月、レーニン率いるポルシェヴィキがこの階段を駆けあがって宮殿になだれ込んだのがロシア革命の始まり。とガイドさんの説明。

記念のプレート。でも突入したのは大使の階段とするサイトばかり。詳細不明。 

オランダ美術の部屋

 

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レンブラント フローラに扮したサスキア

レンブラント 放蕩息子の帰還

美術館には印象派以後の近、現代絵画も展示していますが、今回は行きませんでした。残念ですがツアーの宿命、仕方ないですね。諦めることといたしましょう。いつかまたサンクト・ペテルブルクに還ってくることがあれば、その時には見たいものです。

階段下ります

弾丸見学終了。解散してしばらくしたら再集合。午後は私がアイス。

もう疲れてしまって、歩きたくありません。このあとホテルへ戻り、食事してバレー鑑賞です。

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