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最近の私、着物の波が来そうです。それで、ちょっと出してみました。
用事がたまっているので、他のことに逃げてしばし忘れたいのです。
あらあ、袖に畳みシワ。たまに出して確認しないといけませんね。
真ん中は染大島。一応訪問着だけど、大人しい(地味な)色柄なので、普段着です。
華やかな着物って、着る場所もないし、着物だけ浮いて見えるので、地味なものへと流れる私。
手前二枚は白大島。地味なようですが白は色が強い。着るときは気合を入れて。袷なので4月、5月に着ることが多いかな。
大島とは言え、花柄は少し苦しい。それで最近は全然着ていません。
二番目の雪輪にツタが年相応。最後の千田わっしょい祭から持ち帰る。新品同様の着物も激安。それをさらに500円値切る。フリマは100円単位の攻防なので往復は当然チャリンコで。すみません、びんぼくさい話で。
それやこれやで着物がたまりますが、よほど頑張らないと、着物って着ないままに3年、5年ってすぐ過ぎていきます。
和服着るお稽古事していないので、着物は美術館へ一人で行くときに。汚れたらいけないのでカフェなどには寄らない。直行直帰。
人と出かけるとき、相手が着物でない場合は自分も着ない。お互い居心地悪いので。着るものがなくてつい着ることはありますが。
ということで、本当に着る機会が少ないです。
並べて眺めて自己満足かも。
4月、5月ころ白大島を着るのも、気持ちがすっきりしていいものです。こちらも美術館へ行くとき以外はあまり着ない。
織りの着物には染帯って言われるけど、細かなことは気にせず、好きなもの絞めればいいのではないでしょうか。
数年前、右の唐子の帯と染大島でバス待っていたら、全然知らない人から声を掛けられた。いいもの着ていますねって。嬉しくなってつい、ネットで調達、値段はこれこれと言うとその人は絶句。
「私も紬は持ってるけど、高かったので、とても普段には着られない」とのこと。どうも2桁くらい違うようで、ショック受けてるようでした。悪いことしました。
私は着ていいところはなるだけ着るようにしている。汚れたら自分で汚れを落とす。どうしてもだめな時は、南区役所近くの悉皆屋さんへ直接持ち込む。呉服屋さん経由だと手数料が上乗せされるのかな。経験ないので類推ですが。
着れば着るほどコスパがよくなる。なんでもそうですよね。
もちろん着物着たからって格別美人になるわけではありません。大いなる自己満足の世界でしょうか。
今日は結城に半幅帯締めましたが、帯がちんまりとして背中が広く見え、関取の後ろ姿みたいなので、羽織なしの時はやはり名古屋帯などにしたいと思いました。
午後から近所の知人、友人に修了作品展のチラシを配る。
備忘のために、的、稲、平、伊、谷、二、住、野・・・苗字の中の一文字。
暖かくて汗ばみました。また寒くなるそうですが。
日曜日に着たのはこの組み合わせ。
着物はポリエステルの紗、軽くて涼しかった。
帯も軽くてさすがによく締まり、よかったのですが、きちんと柄を出さないといけないので手間取った。
次はこれかなと思いますが、やはり姑の帯がいいかな。
夏に着物を着たら、外を歩かない、食事をしないが鉄則ですね。暑いし、汚すと面倒。これはいつの季節でもそうですが。
5月ころ、出していて着そびれたのはこちら。単衣ですが初夏には少し暑苦しい。
秋口にこれかな。帯締め、帯揚げはその時考える。
10月でもまだ単衣で大丈夫。11月でもいいかもしれません。
人に会ってあれこれの反応も時には困ることがあるので、ひっそり、こっそり、ただ自己満足でそこら辺を歩いてみる。
これは5月に着たけれど、写真撮るつもりでまだタンスに入れてなかった。
白大島につむぎの帯。織に織ってルール違反かもしれないけど、着物の決まりは時代によってとても変わるので、そして今は緩くなっているので、よほど変でない限り、自分がいいと思ったのを着ればいいのかなと。。。
先週休んだので、昨日はイレギュラーで大学へ。工房は学生さんが多かった。
よその専攻の留学生らしい男女の二人、黒留袖を厚いパネルに仕立てたのを6枚ほど持つのが男の子で、女の子はビニールの袋に黒留袖の端切れを詰めて工房から出て行った。
何にするんだろう?
他に女子留学生もいてドイツ語で何か話していた。
私は9時半から16時20分まで、食事の時間を除いてずっと作業してだいぶはかどった。
途中で、自販機のジュースを飲む。大学は山の斜面にあるので正面からは5階、建物の後ろは山に載っていて、渡り廊下の先には石材の加工場や、金属加工の工房など、ハード系の専攻の作業所が広がている。
そして後ろの山も大学の敷地らしく、漆を植えたり、見るだけで面白いけど、昨日は余りに暑いので手前から見るだけ。
帰りにそごうで夕食の買い物して帰宅。
きょうは、朝早く起きたので、涼しいうちに家の内外片付けて、昼頃、豪雨と雷で幾分涼しくなった。
次は金曜日に大学へ行く。織る糸がないので撚糸もその前にしておかないと。
まだ60㎝くらい。2mへの道険し。
7/6~7/7 写真整理
綴れ織り。京都で。
静岡尾西市、豊田佐吉生家で。
豊田式木製人力織機(複製)ほか。
木製だけど機械仕掛け。動力は???
蒸気ではなくて電力???
説明よく読んでなかった。
裏山の展望台からは晴れたは富士山が見えるそうです。
降ります。静かで深い森。平日は作業する人がいましたが、この日は日曜日で見かけませんでした。
生家の屋根。復元
暑かった。
この後お昼にウナギを食べて、名古屋まで送ってもらって旅は終わりました。
毎日、夏のような暑さ、湿度も低い。
着物の虫干しをします。
といっても、昔みたいにロープ貼って吊るしてとはせず、タンスから出して広げるだけ。
持ち物自慢になったらごめんなさい。高価なものはありませんので何卒お許しを。
リアルな呉服屋で買ったものはほとんどなし。ネット上の呉服屋、はたまた別の手段。
着物は便利。改まった席にその都度洋服を準備するのは大変。
買いに行ってもいいものに巡り合えず、次に着るときは流行と自分の体形が変わっている。お寺の本堂にスカートで座るのも苦手。
上前に柄のない色留袖。椅子席だと裾の柄が見えずに地味。
訪問着。
江戸小紋。柄が分かりにくいけど青海波。
リバーシブルの袋帯。法事用。
絽の色無地紋付と絽の袋帯。遠山模様。法事用。
何の出来心でか10年くらい前に作った。
九月初めに亡くなった姑様の一周忌には初めて着る予定。
帯は一周忌には黒、三周忌にこの袋帯の予定。(三周忌はしないと夫が言いそう・・・)
袋帯各種。右2本は親が買ってくれた。
左の博多織は自分で買った。
この他の紬などはなるだけ着て、改めて虫干しはしない予定。
それでも着ないのはこの先着ることもないはず。どうしますか・・・
まだ届いてないので画像は一部だけお借りしました。
振袖・・・誰が着るのよという話ですが、もちろん昭和20年代生まれの私ではなく、中年に差し掛かった息子たちでもなく、インテリアとして掛けておこうかなと。
先日ラインで写真見せてもらったママ友が、オープンハウスで壁に着物掛けていて、とても素敵だったので。
もちろん着物なので着てもいい訳で。
身丈160 前幅24 後幅30 裄67と今の時代の標準サイズ。
孫娘が中学生になれば着せてみようかな。もちろん要るなら渡すけど、成人式にこれ着なさいと押し付けたりしない。それは本人と親で決めればいい。私は仕上がったのを美容院へ見に行く。そのとき着る着物ももう決めているけど、まだ間があるので変わるかも。
今回の振袖、うちへ来て一度着せて写真撮れば祖母は満足。
長じゅばんと小物も追々そろえる予定。
帯は私の若いころので、一度も締めたことのない袋帯を。
いえいえ一度、人に着せる練習で手すりに巻いて締めてみた。
2017年11月。
女の子のいない私、せいぜい孫で楽しませてもらおう。
来月半ばは四十九日。
葬式は斎条お任せで何もせずに楽だったけど、次回はそうはいかない。
と言っても写経へ行っているお寺の本堂でお経上げてもらって、あとは自宅へ戻り、配達のお弁当を持ち帰ってもよし、うちで食べてもよし。
まだまだ大勢の会食はしない方がいいので、残留組は各部屋に分散してとなりそう。
それだけで段取りあれこれ考えるだけでプレッシャーになっている。
実は私、この年まで法事のこと、一切したことがないんですよね。恥ずかしながら。
いつも姑様が仕切っていたから。手伝いを申し出ても、姑様は前日から義妹を呼んで二人で準備していた。なんで????
そのあたりの感覚は私にはわからなかったけど、今回突然に、自分の息子たちと嫁ちゃんたち、孫が来るのがとても嬉しいことに気が付き、姑様もきっとこんな気持ちだったんだろうなと腑に落ちた。そんな場所に私がいてはいけなかったんですね。
法事の席でもう私は遠慮しなくていいことにも気が付く。この年でやっとこうなりましたね。今までは夫の身内が多くて私と息子たちは少数派だったけど、今度はこちらが数が多い。法事だから盛り上がらないけど、心強い。
雨でなかったら和服着る。和服の喪服。
前夜は息子たちとゆっくり話したいので、夫側は夫がどこかへ食事に連れて行ってくれるのが希望。もう無理をしない。役割意識に捉われて自分で自分を窮屈にしない。
一周忌はするんでしょう?
せんといけんものかと夫は申します。
しないと息子たちに会えないので、してほしい老母です。
義妹が姑様の家の中を変えないで欲しい、と言っているけれど、その頃には方向も決まっているでしょう。私にはゴミ屋敷にしか見えないけど(失礼)、実家って何歳になっても落ち着く場所なんでしょうね。
夕方、人と待ち合わせての食事。
着物で行くことにして、半襟縫い付けていたら時間がかかって、おやまあ大変。
大慌てで着替える。
帰宅後、夫に写してもらう。
ポリの絽の半襟が暑そうで、ほどいて手持ちの絽の端切れを使う。
花が逆向きだったのを付け替えたら遅くなって、髪、化粧、着物、帯、大慌てで。
結果、全部テキトーになってしまった。
カジュアルなお店なので半幅帯で。
めったに結ばないので、忘れていて焦った。蝶結びは可愛すぎるので、奴結びで。
草履の代わりにサンダルにした。
全然違和感ないと思いますが、いかがでしょうか。
草履は躓いて転んだら行けないので、ちゃんとした時だけ。しばらくはちゃんとした時も場所もなさそうですが。
バッグは当然、山葡萄。持って出かけられるのが嬉しい。
感想。
部屋を冷房して着付け、車の中も店も冷房、暑くなかった。
洗える紗は軽くて楽だった。この夏、また着てみたい。今度はゆっくり丁寧に。
本日の断捨離。
本各種。少しずつ、オークションに出す。
山折哲雄、吉見俊哉はもう少し持っておく。古い古い岩波新書も。売れなかったら今度こそ捨てる。
何を持っているか、記憶と現物を照らし合わせます。
洗える紗、八寸帯。好きな色合いです。
前はピンクが派手だと思っていたけど、最近は年齢に関係なく好きなものを着ればいいので、いい時代になったかなと思います。
絽。
叔母の形見を母がもらってきて私にくれた。
結城や大島は他の叔母たちが持って帰ったとのこと。
青くて派手な訪問着は踊りをしていた従妹の元へ。
帯は姑様が持っていた。
自分で仕立てないといけないけど、いつになるやら。。。。
同じく絽。
毎年出すだけでいまだ着る機会がない。いつかきっと。
縦絽に絽の帯。真夏用ですね。真夏に着れればいいけれど、和風のお稽古事していないし、いつ着るのかなあ。。。
夏用の長襦袢を着易いようにカスタマイズ。
紐をつけたり(邪道だけど)、襟付け替えたり。
夏の喪服出してみたら、一緒に麻の長じゅばんが出てきた。
夏の喪服は、実父の葬儀の時、叔母が「**ちゃん、着崩れとるか思うたけど、着崩れとるんと違う、身幅が短うなっとるんや。縫い直してあげる」と言って持って帰り、長じゅばんと一緒に縫い直して送ってくれた。
あの時は、父のお見舞いに貰った高級ブドウを父に代わって食べまくり、我が人生最大の体重だった。葬儀の写真見たらふっくらと元気そうな私。
そうです、着物の身幅が伸びたり縮んだりするわけない。私が成長したのです。
叔母が縫い直してくれたありがたい長じゅばんも、絽の半襟が黄ばんでいたので取り替えることに。
もう一つ喪服用の長じゅばんがあるので、こちらは普段着に着るつもりで、そこら辺の麻布で代用。
うーーーむ、あまり涼しそうに見えないのが難点かな。
昨年yokoさんの葬儀の時、喪服出してみたら袖口に染みが出ていたので着るのは断念。今の時代、和服の喪服なんていらないのだけど、気が付けばいつの間にか昔人間になっていた私、着ないにしても持っていないと落ち着かないので、ヤフオクで落札した。
仕付けのついた一度も着ていない夏冬セット、長じゅばんに帯も二本ついて5,500円だった。昨日はせっせと夏喪服のしつけを外したり。でもまあ、夏は自前のがあるのでそちらを着るかも。
すみません、長々と。
梅雨の葬儀だと、昔は単衣の喪服ってあったのかな。梅雨明けまでに必要ならもう洋服ですね。
自分ではいい考えだったと思った、自作のなんちゃって長じゅばんは身頃の上半分が木綿で暑い。
今度は登山用の極薄のTシャツに麻の長じゅばんにするつもり。裾除けの代わりに、和服用のステテコ。きっとその方が涼しい。
今年も地元の花火大会はないらしい。しばらくないかも。さて、着物、どこへ着て行きますか。
この土日、バイトの予定だった夫、予約者が少なくて市の方からキャンセルしたいと連絡あり。本人は張り切っていたのでがっかりしていたが、それ以上に私もがっくり。土日、のんびり遊ぼうと思っていたのに。。。。
その代わり・・・
ン?その代り?・・・
似島へ行ってヤマモモ採る。
おやまあ、何とピンポイントな。少年自然の家の入口付近に木があるのは知ってるけど市の施設なので今は休んでいるかも。
じゃん、午前中に近所の公園で。
午後から夫が同じ木から採集。
木は円形の一段高くなった土の上にあり、その上に上がって手で採ったそうな。
このあと、果実酒を仕込みました。エキスが出やすく、すぐにきれいに色になります。
楽しみです。
母のお下がり、バチ襟。単衣。普段着。
一応着ているということで。自撮りは苦手。
紬でバチ襟、着易かった。
普段着物の着付けは、雑誌の写真みたいにきちんとせず気楽にを心がけています。
衣紋は今の時期は抜いたほうが涼しい。前も合わせすぎずにゆったりと。
昔も今も、自分サイズの着物ばかり持つ人はそう多くないと思う。昔お下がり、今リサイクルにオークション。それは着付けで工夫する。これもなかなか面白いことで。
正しく合わすのは、帯から上の背中心の縫い目と帯から下の上前の端の線だけ。帯から下の背中心は左右にずれていてもOK、と思って着ています。
着丈は多少大きくても腰ひもで調節できるけど、身幅は大きくても小さくても着にくい。大きい方が余分な布の始末が大変そうですが、おかげさまで身幅が余り過ぎる着物にいまだ出会ったことありません。ありがたや。
着丈が中途半端に短いのは適当な部分で揚げをして、男物みたいに対丈で着てもいいと思っています。面倒でしていませんが。
昨日考えたこの組み合わせ、今朝、着てみる。
単衣の織柄は麻の葉模様。
帯は白の袷、しっかりした芯入り。締めやすいけどお腹周りが暑かった。
どうも私は華やかな花柄より、柄のないのを好む傾向にあるようで。
着てみます。
昨夜のテレビ番組でタレントさん、サッカー選手などが着物にたすきをかけていたけれど、たった一人を除いて全員出来てなかった。
背中がクロスせずに漢字の「二の字」、駅伝のたすきにしてしまう人も。
唯一例外は大衆演劇の梅沢富美男氏、端を口で咥え、きれいな所作であっという間に結んでいました。
さすが。
考えたら、たすきをする場面なんて、今の時代に皆無。時代劇でも仇討ちとか、非常時、はたまた大掃除。
今朝はこの格好で洗濯干したりして、せっかくなのでたすきは外して、港のパン屋さんまで買い物に。
緑地帯に草。向こうはチガヤたくさん。手前、ヨモギ。
手前の電車は、今はなき京都市電の車両。京都時代、ドアはベージュ一色だったけれど、広電では車体と同じ色に塗っている。
初め、ブルーのツートンカラーにしたら、鉄道ファンから残念がる声が出て、オリジナルに近い塗分けにしたと、昔、何かのサイトで見ましたが・・・
京都の年配の方なら懐かしいかもしれませんね。
あちらの病院に姑様が入院中。
広場に来ました。避暑地風にケヤキとベンチ。
呉に寄港して松山まで。トラックは呉から乗る場合が多い。
2018年の土砂災害の時は広島呉の通勤ルートにもなりました。
呉線沿線は山が海まで迫っていて、よく崩れます。今年も何事もありませんように。
掲示板に自分の姿を映す。
きょうは曇りで、楽に歩きました。足元は草履ではなく、紐のないスニーカー。恰好よりも転倒するのが何よりも怖いお年ごろ。
パン屋さんは6/21まで休業中、がっくり。
次はこちらを。
単衣ですが、9月のお彼岸前後から10月第一週までくらいが適期かと。今は見るだけで暑苦しい。母のお下がり。いつ頃着ていたのでしょうか。
という決まりを、自分に課すことにしました。いつまで続くかは不明。
4月は何度か着たけど、5月はうかうかと忘れていた。昨日、袷の最後の日?
とりあえずこれを。
白い大島に、紬のパッチワークの袋帯。初夏に着るはずが、昨年はコロナでどこへも出かけず。
二年ぶりに出したら変な折り皴が_| ̄|○
テキスタイル詳細。大島は絣模様だけ。
袷の着物に、自作のなんちゃって長じゅばん(肌着と長じゅばんを一枚で済ませる)は、胴は木綿、袖は他の袖、こちらも袷を縫い付けている。めちゃくちゃ暑かった。
五月は袷ということらしいけど、この温暖化、そして冷房の完備で、着物の着る季節、昔ほど厳密に考えなくてもいいのでは。
GW明けたら単衣、6月も27度くらいなら夏の着物でもいいことにするとか。結婚式場では真夏でも袷とか。
一日明けて、本日は6月。単衣の着物。
うーーーん、何かなお召しかな。詳細不詳。
薄い色ばかりでぼやけて(太って)見えそう。。。。
これにしました。
こんな感じで。
これで電車に乗って鷹野橋まで行くと、目当ての店は定休日。他でちょっとしたもの買った帰った。
帰宅後、ついでにこれ着るつもりで出したけど・・・
小物、ピンクや赤ばかりもそろそろ飽きた。
着るのは明日以降にしましょう。自作の長じゅばん夏バージョンは麻の袖。歩いていると袖口から風が通って涼しかった。
納税資料を片付けしていたらこんなものが出てきました。27年前ですね。
サッカー、男子マラソン、引き続きの閉会式は同じ日に同じ場所で。夫と二人で。
新体操、体操は私一人で。自転車競技はたぶん次男か三男が学校行事で見たと思う。
ヤフオクで売れる?と聞いたら、売れんじゃろとのことでこちらも処分の予定。
昼休み、月初めなので夫が姑様の病院へ保険証持参。ワクチンを二回打っているので、頼んだら面会させてくれたとのこと。
ソルデム3Aだけでもう一月近く。スマホで撮った顔はそうやつれてなかったけど、体は痩せていたとか。50キロが47キロになったらしいけど、家にいるときは42キロしかなかったはず。不思議。
夫は写真を探していた。少し前だけどいいのがあったので、それにするらしい。あとは誰に知らせるとか。必要最小限、会食も必要最小限、香典はもらわない。とかそんなつもりらしい。
喪服は今の時期はさすがに絽はまずいけれど、袷は暑いし、梅雨明けたなら絽?もちろん洋服でいいのだけど、ストッキング穿くのが暑い。それならまだ着物の方がまし。と思う私でした。
着た写真、撮りにくいのでこれでご容赦を。
花だけならおたいこが多少曲がってもいいのですが、花瓶が歪むとみっともない。
締めるときは気合入れて。
山茶花みたい。11月ころから、2月いっぱいはぎりぎり大丈夫でしょうか。まだ山茶花、少し咲き残っている。
次はこれ?
ツバキが派手だけど、もう地味とか派手は超越した年だと思うので、締めて出かける。
ついでに頭も染めるの止めて、帯に合わせて白くしてもいいかな。
なかなかそこまで勇気がありません。
今日は一人で車運転して坂まで。車置いて一人で山歩きしました。夫は用事で在宅。
山はすっかり春でいい汗かきました。
出かけていたらお嫁さんから連絡が。
宿題終わったので連れて行っていいかって・・・おやまあ急な話。
私は出かけて帰るところ。電車の中。結局15時半ころ来る。
おばあちゃんの振袖、着る?
うん、着る。
ふくら雀をするつもりが失敗。後ろ省略。
一緒に写る弟。
脱ぎます。しぐさが女の子。男の子しか産まなかったばあちゃんは珍しい。
成人式は着物着たいそうで。
レンタルでいいよ。自前は保管が大変と、押しつけがましいばあちゃんでした。
これじゃ何着ているか分からない。
塩瀬の帯、大島の着物、羽織など。襟巻は便利。防寒と襟もとの乱れ隠し。
写真追加。今度は大きすぎる(^^;)
広島駅から徒歩往復で伝統工芸展へ。
縮景園の梅も見る。
今が盛り。
帰ります。知事公舎?の前。
ミラーに写る私。
これじゃ何着ているか分からない。
向こうは幟町中学校。
広島駅の駅ビル。ほぼ消滅。重機がいい仕事ていました。
習字の道具。袋縫う予定だったけど、風呂敷に包んでいく方が早い。
硯箱を風呂敷に包んで尋常小学校みたい~
ぼかしの色合いが好きです。小紋ですが、あまり柄がないのがすっきりしていていいかなと。
一月に着る予定でしたが、ほら、例の「おじいちゃん食堂事件」であまり浮かれる気分にならず。
でも藍色の紬にも飽きて本日はこれを着てみました。
細い線は初めに糊を置いて、後で洗うのでしょうか。
染色は二色を手作業でぼかすのかも。
呉服屋で買ったのではないので詳細不明。
あん、もう、写真撮るのが邪魔くさい。
温泉足袋にビーサン。おうち着物の足元は着物の格に合ってないとどうのこうの・・・自分で突っ込んでおきます。
この姿で、午前中、先月分の経費帳仕上げる。昼は各自自由に。夫は自作のパスタ。私は昨日の残りのしっぽくうどん。はい、冬の香川の郷土料理です。
月末の例会に向けて夫はスピーカー製作に入った模様。コーナンで板をカットしてもらったとか。
午後から庭掃除。狭い庭なのですぐ終わる。ヤブカンゾウの新芽がもう出ていた。若葉の時に、食べるとおいしい。ギホウシも同じ。
夕方、夫がゴミ袋を買いに行く、あんたの洋服ダンス壊したでとのたまうので、えーーーとびっくり仰天。壊すと聞いてはいたけど、今日とは思っていなかったので。
これは2016年、絵付けの先生と古民家カフェに行き、帰ってきてら庭木が全部切られていた衝撃以来。あの時も事前に知らなかったので驚いた。
扉。アーチ形の細工あり。塗装は木目を生かして薄目。この方が傷が分かりにくい。
側面、底板など。
下の引き出しは家で使っているけれど、上のロッカー部分は大きくて、1991年に家を増改築して二階各部屋にクローゼットつけてからはずっと、夫実家、二階の風呂場に突っ込んでいた。それから30年、途中で一回くらい見たけれど、あとは放置。
もう捨てる時期ではあったのですよね。
タンスの来歴。
1973年年明け、結婚が決まり、両親と一緒に己斐駅前にあった・・・家具店(名前失念。今はもうない)で婚礼セットとして買ってもらった。夫も一緒で二人で相談して決めた。夫24歳、私も24歳。どんな顔してどんな服着ていたのだろう。すべては忘却の彼方に。
新幹線は岡山までだったかな、瀬戸大橋もまだなくて、在来線使っての四国高松からの日帰りはとてもきつかった。
父が「前、出張の帰り、糸崎行きに乗ったらそこから岡山までがまた遠うて、晩になって駅弁はないし」と広島駅で何か食べたのかな。
特急でなくて急行に乗ったのかも。特急で広島岡山が二時間、急行だと二時間半、宇野線に乗り換えて、今度は船だあ。全部で乗り換え時間含めて片道6時間くらいかかった。
母は当然和服。和服だとよそ行き感が出て、母は遅くまで着物着て出かけていた。
私が某早稲田大学受験した1967年に東京まで同行、洋服着て行くのが足元が寒いとぼやいていた。
その頃、地方から受験するのは女の子だと親も行くことがよくあった。手ごろなホテルはほとんどなく、大学近くの旅館へ。部屋は暖房なし。寒かった。
親も数少ない旅行のチャンスなので、それにかこつけて上京するのが嬉しかったのかもしれない。
母は41歳くらい?控室で男の子のお母さんと長話したそうだから、男の子も親同伴もあったようです。その子は千葉大学も受けるんやって・・・とか。遠い昔のほんの短いご縁でした。
この洋服ダンス、若い時は引っ越しが多くて5年間で5回移動。その後13年間家で使い、最近の30年間は死蔵。もう捨ててもいいかな。さよなら。ありがとう。
とは言え、引き出しはソファーの下に突っ込んで物入にしたいので持ち帰る。
桐の無垢材に桜を貼り付けている。昔の手仕事は確か。全然狂ってない。
どこの親も、娘の嫁入り支度するときは人生の一つの山場。きっとわが親も。
遠くへやりたくないと父は猛反対、母は遠くで結婚式するのは大変とまた反対。その頃は式場に美容師持ち込みもよくありました。まだ専用の式場のない時代でしょうか。
今はホテルや式場に美容室があるので、それを利用しない美容師持ち込みは稀。その場合、宿泊する部屋を借りて着付けするそうです。美容師の友達が話していました。お嬢ちゃんの式の時、自分が支度して大変だったって。
この歳になると、しみじみと親のありがたさが分かる。昔はことさらにお礼の言葉、言ったことない。親が元気なうちはそんな他人行儀な。でも言われたら嬉しかったと思う。
いつも黙ってニコニコしている父だった。怒ったところ見たことない。タンス見てそのこと思い出した。
夫は自分の親に嫁入りダンスの値段まで言ったとかで、その値段に目をむいたとか。それをまた私に話す。24歳の幼い夫ではありました。
あんたは子供かあ~。その幼さを純真さと読み替える私も幼い。
この一件、その後の結婚生活を予感させるようなエピソードです。
値段ですか?
普通ですよ。私の親が高いもの買えるわけがない。もっと高いのもあったと思う。
42歳で嫁いだ義妹は、店で一番高いセット買ったと姑様が言っていた。
ねぇそうでしょ。自分の娘になると力入りますよね。ダブルスタンダード。私は娘がいないので、娘と嫁さん比べたり、競ったりせずに心は安らか。
義妹もいろいろ苦労したけど、私と違うのは婚家の愚痴を姑様に聞いてもらっていたことかな。「あまりに私が言うのでお母さんが癌になった」(その後完治、不死身の我が姑様)とめげていたけど、そんなの理由じゃないと励ます私。聞いてやれる姑様も優しい。
私は泣き言は一切親に言わないタイプ。言っても心配かけるだけ。先回りして心配するのが親の常。
と、タンス一つから限りなくよみがえる記憶とあふれる思い。
長話、失礼しました。
汚れの目立たないスマホケースにしました。
元の絵はこちら。
ゴッホ、「夜のカフェテラス」
描いた場所が観光地になり、モニュメントも設置。
フランスのアルル。2014年3月末。
日本の花火の絵を見て夜を描いてもいいとゴッホが気付いたそうで。夫が言っていました。もとS道高校美術部長。
ん、衆道?
男子校ですがその字ではありません。
用事のない限り、何が何でも着物着る。着物着たら、何でもない一日も昭和のあの日にタイムスリップ、1965年頃まで、祖母も母も冬は和服だった。
旧正月のころ、何していたのかなあ・・・
藍大島、博多帯、半幅帯など出してみる。博多帯は未仕立て、結べない・・・
花柄?
結局こちらで。
何の柄?
歩いて遠くのジャスコまで。
三本の波線は広島の川の流れを現わす。
雨水。
着膨れ。
孫が来るのでお菓子など買って帰る。
来るのは二週間ぶり。歩いて帰ると、しばらくして息子と孫来訪。