来週初めに京都へ行く。この十年ばかり、京都は数えきれないほど行ったので、有名観光地はほぼ網羅。今は「私はどこへ行ったらいいんでしょう?」状態。そろそろ事前学習もしないといけないので、ドイツ紀行はとりあえず本日で終了。
以後はドイツの写真をアップしながら、怪しうこそもの狂ほしく、心に移るよしなしごとを書き連ねる予定です。よろしくお願いします。
前日フランクフルト到着。レーマー広場で市庁舎、歴史的建造物群を見る。現地時間午後6時、日もとっぷり暮れています。
夕食はたっぷりのサラダと
何のフライだったかな?忘れた。鶏肉だったかも。このあとデザートが。
どのレストランもツアー客用の特別メニューらしい。お買い得なツアーなので、そうご馳走は出てきません。そういうものと割り切って、出されたものはきちんと食べるのが吉。
どこのレストランだったか、出たところでつい「地味な夕食でしたねぇ」と発言。それを添乗員さんに聞かれてしまいました。ネガティブなこと言うと、せっかくの楽しい気分に水を差すようで。すみませんでした。
11/14 フランクフルトから64キロ西へ。ライン河畔のリューデハイムにつきます。ここから乗船します。
待ち時間を利用して街歩き。こちら「つぐみ横丁」。行くと思ってなかったので嬉しい。それにしても本日も雨模様。
街は勾配があります。上がって行きます。
上の方はまだ開けていない店が多いです。川沿いは観光客用に店がたくさんあり、そこは開いていました。
ガスってます。両側に次々と古城が現れます。両岸はぶどう畑が多いです。斜面で陽当たりがいい、水面を反射する光もブドウの生育にはいいそうです。
国際河川。運河でドナウ川と結び、北海から黒海へ船で抜けられます。スクラップを積んだ船を写してたら笑われたけど、行かなければ見られないこの光景。橋の下を通るので、船は低め。
船内はまたしても日本の修学旅行生で満員。船内限定のお酒入りコーヒー。私は飲まないので、向かいの方のを写させてもらう。
このほかライン川沿いの斜面で作るワインを利用した地元ワインの試飲あり。甘くて濃厚なワインでした。日本への送料込みで2,000円くらいから。日本の代理店に一括送付、そこから送ってくるらしいです。(以前購入した知人の話)
中州にあるのはプハルツ城。関税を取るための税関で、今は博物館に。
またしてもツアーの方が写してくれました。深く感謝です。後ろは日本の修学旅行生。乗客のほとんどは日本人です。というか、スタッフ以外はみな日本人かも。
右岸にローレライ。以前は中学の音楽教科書に載っていた曲も今はどうなんでしょうか。
この付近は川が急カーブするので操船が難しいのだとか。
ザンクトゴアルスハウゼンで下船。食事してハイデルベルクへ。
簡単なハイデルベルク観光ということでしたが、しっかりと案内していただけました。自由時間もあって買い物もできました。日本人経営の店でお手洗いお借りしたけど、高いので買わず。またしてもスーパーのレジに並び、ジャガイモ団子の素を買いました。
ハイデルベルク駅前。ここで日本人ガイドさんと待ち合わせ。とても説明がわかりやすく、美人のガイドさんでした。
この城は1300年に起工されて以来ライン・プファルツ選帝候であるヴィステルバッハ家の居城として代を重ねながら拡張されてきた。代々の王がその時々の流行の建築様式を取り入れ、出来上がった建物に自分の名前をつけている。王の権力の象徴であり、同時に彼らの芸術意識の表現でもあった。
1622年には30年戦争で、城も町も旧教側の軍隊によって破壊され、1689年にはオルレアン継承戦争でフランス軍の砲撃と火薬を仕掛けての爆破により見る影もなく破壊された。現在も残る破壊の跡はこの時のもの。その後、改修工事が行われていたが、1764年に落雷によって工事は中断されてしまう。
幸い第二次世界大戦では戦火を免れ、いにしえの姿を伝えている。今は州政府の持ち物として管理、運営されている。
この説明文はhttp://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Germany/heidelberg_new.html様より拝借しました。
ハイデルベルク城までバスで上がります。エリザベス門はイギリスから来た王妃の為に造ったそうで、イングリッシュな雰囲気。
門
橋の上から堀を見る。戦時には水を入れたそうです。
ゲーテがスケッチした場所には碑文がありました。
門内
城からの眺め。ネッカー川とカール・テオドール橋が見えます。
反対側。洪水防止の水門が見えます。対岸は高級住宅街だそうで。ヨーロッパでは歴史的な家ほど高級らしい。
城内のワイン樽。横の階段から上がれます。二階へ上がったくらいの高さ。税がワインの時代もあったそうで、もう一つ大きな樽がありました。
橋から城を見ます。
赤い服は中国人のようでした。中国人のツアー客も多かったです。
街を歩きます。デジカメのバッテリー、予備を忘れてあまり撮れていません。残念。学生牢という、謹慎用の建物も見学。ビスマルクの子息も体験したそうで。
以下は携帯画像です。
破壊された城の一部。
バスの駐車場の近くの花。高山植物のチングルマみたいな実をつけるGewöhnlich Waldrebe。直訳すると普通のボタンヅル。ボタンヅルって。。。。今度は花の時期に見たいもの。
マルクト広場と聖霊教会。ここもクリスマスマーケットで賑わうそうです。
クネーゼルを買う。女子学生が思いを伝えやすいよう、19世紀に作られたそうです。バレンタインチョコの走り?
カフェクネーゼルは中国人でいっぱい。掻き分け掻き分け、買い物しました。
フランクフルト二連泊でした。とても広い部屋でベランダ付。
森と教会。
市の中心部方面。高層ビルの立ち並ぶ現代都市。フランクフルトは空襲後も街は元のようには修復されず。それまではとても美しい街だったそうで、つくづく残念。
これは部屋の向かいのラウンジのベランダから。前夜、ラウンジには中東系の男性数人。
「あんたは日本人かい?私はイラク人。日本にも行ったことあるよ。ジャスコで買い物した」
と話していた。
このホテルにも日本の修学旅行生が多数宿泊。荷物は自分で運ぶとかで、エレベーターが混雑していた。ツアーだと早目に行動するのがよさそうですね。
バスタブのない部屋もあると事前の案内でしたが、二人参加の人の部屋は今回はすべてバスタブ付。シングル利用は最後の二泊だけがシャワーでした。部屋は暑いくらいに暖房しているので、湯船で温まりたいとも思わず、特に不便はなかったです。
往復に3日、観光7日、前泊1日。11日も家を空けましたが、とうとう帰国の日です。
フランクフルト空港。スーツケースが重すぎて、急遽手荷物に入れ替え。関空の税関では「たくさんですね」と疑われる始末。
お土産は重さ、容量を考えて選ばないとね。めったにヨーロッパ行かないので舞い上がっていた私。ツアーのほかの皆さんは旅慣れていて、教えられたり、助けられたりしました。
飛行機は東へ。やがて夕方。
窓際の、京都の大学院生にカメラ渡して撮ってもらう。少し話する。「帰ったら就活、大変、不安」と言っていた。「頑張って」と励ます。「うちの母も、一人でヨーロッパ行くように」言います。とのこと。
学生さん、その節はありがとうございました。
やがて夜明け。
二時間半くらいで関空到着。
飛行機の中はとても乾燥していて、飲み物もそうくれないし、のどが渇いて気分悪くなった。
後ろへ行き、I'ts very dry、please give me w・・・(冠詞はどんなの付けるんだったっけ?)と頼みかけたキャビンアテンダントは、あっ日本人。あとは「水下さい!!」と叫ぶ。この航空会社配りものやや少なめ。食事が8時間も開くので、なんか持ち込めばよかったかも。行きはワイン頼んだらDo you go on a party?と笑いかけられたのでNoと言いましたけど、それ以上に気の利いたことが言えない貧弱な英語力。
海外旅行から帰るといつも、英語ができたらなあ…としばらく思う。構文よりも、正確な発音の単語羅列で何とかなりそうだけど。