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昨夜の会見の席で、高校の同学年の人が名前を名乗って質問していてびっくりした。新聞記者から大学教授へと転身した人。直接は知らないけど、優秀な人で学年では有名だった。元気そうな声で、まだまだ頑張っているようだった。その点ではよかったと思った。
昨夜の会見、昔の集会を思い出した。教授たちと学生たち。三島由紀夫が東大で学生との討論集会に出たこともあった。
ある程度質問が出尽くすと後は同じことの繰り返し。そこで何かが決まるということは稀だったように思う。問題が明らかになり、違いが分かればいい方で、延々、くどい話が続いていた。それは初期の段階、やがてロックアウトになり、籠城し、封鎖解除になり、・・・・そんな非日常への破れ目をふと見た気がしたけど、それは私の幻影。
今回のことをきっかけに何かが変わることを期待したいものです。今後を見ていきたいと思います。
1/13 彦根は雪でしたが、南下するとすぐに冬晴れのいいお天気。山科から京阪に乗り換え、三条京阪経由出町柳まで。昔、三男とよく待ち合わせたコンビニは健在でした。
橋渡って、下賀茂神社手前の三井家下鴨別邸へ。元は木屋町三条にあった隠居所を、神社へお参りするときの休憩所として移築したそうです。
瀟洒で凝った造りの建物は近年公開されるようになりました。
瀟洒な建具。波ガラスは再現できないので、近寄って破損したら大変です。
庭に廻る。望楼あり。
二階は貸室として営業しています。茶の間3時間1,300円から。お茶会にも使えます。京都で歩いて疲れて、少し足を伸ばして休むのに如何でしょうか?
なんて営業する私。
本宮までは遠いので河合神社へ。確か鴨長明がこちらの神社の神官だったはず。
20年くらい前、方丈の庵を再現していました。
こちらは美貌の願いが叶う神様。丸い絵馬になりたい顔を描いて奉納します。
桝形商店街に行きます。
前を行く同行者。この後疲れたとベンチに座り込むので、私だけ向こうの端まで行って引き返し、右手の和菓子屋で買い物して解散。もう帰りたいそうで。
私は一人で食事。
美味しかった。
コーヒー付。
こちらのお店。お勧めです。
再び引き返して、結局バスで京都駅まで。後は歩いて西本願寺向かいの龍谷ミュージアムまで。
2/16まで「誓願と願い」展。各地の仏像多数。多くの人が手を合わせてたのかと思うと、その思いがこもっているようなさまざまな様式の仏たち。ヘレニズム文明の影響を受けたバタ臭い仏様多数。中国の仏典は今の日本人が使う漢字。意味はともかくすんなりと読める。改めて、日本が中国文化圏の端に位置することを実感する。
西域仏は本願寺の所有でしょうか。普通のお寺がそんなもの持つわけないので、戦前の大谷探検隊が持ち帰ったのでしょうか。そこのところは見落としました。
ヨーロッパ人がエジプトや西アジアから遺跡の文物を持ち帰ったように、日本でも仏教のルーツを求めて中国奥地、インドへ出かけます。
これは撮影可。トルファン・・・だったかな郊外の石窟寺院の壁画は各国によって持ち去られ、近年復元されたそうです。
鮮やかな素晴らしい壁画でした。と、感動しまくり。仏教文化は幅が広くかつ奥深い。そして肌感覚に馴染むのは私が日本人だから?
再び歩いて京都駅まで。後はのぞみで帰るだけ。昔みたいにハードな旅も難しいので、年相応な旅程にしなければと思い知らされた旅行でした。
ホテルのお菓子と「たねや」のお菓子。
桝形商店街で。おはぎとういろう。
土産物の漬物は高い。地元商店街の小さなスーパーで、住民に混じって、その土地特有の食品を買う。旅の醍醐味はこんなところにありそうです。
海外でも教会などはほぼ忘れているのに、リドルやカルフールなどのスーパーで買ったものは意外と憶えている。ちょっとした買い物が好きな私です。
最近の私、着物の波が来そうです。それで、ちょっと出してみました。
用事がたまっているので、他のことに逃げてしばし忘れたいのです。
あらあ、袖に畳みシワ。たまに出して確認しないといけませんね。
真ん中は染大島。一応訪問着だけど、大人しい(地味な)色柄なので、普段着です。
華やかな着物って、着る場所もないし、着物だけ浮いて見えるので、地味なものへと流れる私。
手前二枚は白大島。地味なようですが白は色が強い。着るときは気合を入れて。袷なので4月、5月に着ることが多いかな。
大島とは言え、花柄は少し苦しい。それで最近は全然着ていません。
二番目の雪輪にツタが年相応。最後の千田わっしょい祭から持ち帰る。新品同様の着物も激安。それをさらに500円値切る。フリマは100円単位の攻防なので往復は当然チャリンコで。すみません、びんぼくさい話で。
それやこれやで着物がたまりますが、よほど頑張らないと、着物って着ないままに3年、5年ってすぐ過ぎていきます。
和服着るお稽古事していないので、着物は美術館へ一人で行くときに。汚れたらいけないのでカフェなどには寄らない。直行直帰。
人と出かけるとき、相手が着物でない場合は自分も着ない。お互い居心地悪いので。着るものがなくてつい着ることはありますが。
ということで、本当に着る機会が少ないです。
並べて眺めて自己満足かも。
4月、5月ころ白大島を着るのも、気持ちがすっきりしていいものです。こちらも美術館へ行くとき以外はあまり着ない。
織りの着物には染帯って言われるけど、細かなことは気にせず、好きなもの絞めればいいのではないでしょうか。
数年前、右の唐子の帯と染大島でバス待っていたら、全然知らない人から声を掛けられた。いいもの着ていますねって。嬉しくなってつい、ネットで調達、値段はこれこれと言うとその人は絶句。
「私も紬は持ってるけど、高かったので、とても普段には着られない」とのこと。どうも2桁くらい違うようで、ショック受けてるようでした。悪いことしました。
私は着ていいところはなるだけ着るようにしている。汚れたら自分で汚れを落とす。どうしてもだめな時は、南区役所近くの悉皆屋さんへ直接持ち込む。呉服屋さん経由だと手数料が上乗せされるのかな。経験ないので類推ですが。
着れば着るほどコスパがよくなる。なんでもそうですよね。
もちろん着物着たからって格別美人になるわけではありません。大いなる自己満足の世界でしょうか。
今日は結城に半幅帯締めましたが、帯がちんまりとして背中が広く見え、関取の後ろ姿みたいなので、羽織なしの時はやはり名古屋帯などにしたいと思いました。
午後から近所の知人、友人に修了作品展のチラシを配る。
備忘のために、的、稲、平、伊、谷、二、住、野・・・苗字の中の一文字。
暖かくて汗ばみました。また寒くなるそうですが。
午前中はかねて懸案の源泉票を書く。源泉票は一部だけもらい、後はコピー。そのほかの各種用紙は国税庁ホームページからダウンロード。
昨日は2か月ぶりの大病院での診察。
2か月前、検査結果の数値が悪く紹介されたもの。その時には、病変はない、服薬のせいではとの診立て。薬を変更した結果、昨日は問題ないと言われてやれやれです。もう行かなくていいそうで。あら、嬉しや。
昨日は月曜日で人が多く、検査で待ち、診察で待ち、帰宅は昼前。チャリンコ10分の病院でこのありさま。数年後、統合移転して駅裏になるそうで、年寄りには苛酷な移転となりそうです。
この大病院は44歳の時、結構大きな手術を受けてから本当に久しぶり。当時のデータは残ってないそうです。
何年前だあ~???はるばると来ぬる我が人生かな。
あの頃はコンピュータも未発達、診察予約というものがなく、先着順。早く行っても2時間くらい待つのは普通で、待っていると前の人の診察内容もまる聞こえ、それが普通だった。医師も近寄りがたい感じだったけど、昨日の先生はとてもやさしい。最近の先生は、ありがとうございます、ごめんなさいを多用、職業柄とは言え、緊張もほどけるというものです。ありがたかった。
ただ待つだけなのに疲れて、昼休みは夫の外出ついでに西広島まで出かけて振り込みの用事も済ませ、あとは休んでいた。
一日に一つの用事しかできない。するべきことは山積。その山の間でぼんやりしている。これからは少しずつ、暖かくなることを期待。
良弁椿 春はそこまで。ネットよりお借りしました。
県人会の友達から「うどん、食べに来て」と誘われたので、久しぶりに男子駅伝スタートゴール地点付近の県別コーナーへ出かけます。
平和公園はあちら。
一度入りたいと思いつつ、未だチャンスなし。
準備いろいろ。
空気を入れます。
場所取り。
人が多いので裏からうどんに近寄る。
社長さん、今年も頑張っておられます。
列に並んで、順番待ちます。
メニューは4種類。
私はこれ。
「うっかり食べてしまったので写真撮らせてください」とスマホをかざす人あり。
温かいうどん、ごちそうさまでした。
スタート時刻までには帰宅。
各県の選手の皆さん、頑張れ。
ばあちゃんは家でゆっくり応援。
祇園歌舞練場から少し南下すると小さな神社が。人が多いです。
悪縁を断ち切り良縁を得るご利益のある神社。
願い事を書いて・・・元は何でしょうか・・・結びつけて願掛けをします。
くぐるとご利益に預かるそうで、順番待ちをしています。
20年くらい前にくぐった記憶があるので今回はパスです。もうこの年なので、悪縁にも慣れてきました。相手もそう思っていることでしょう。もうこのまま行くしかなさそうです。
京都駅行きのバスがなかなか来ないので、反対側のバス停から三条京阪へ行くことにしました。
地下鉄東西線と途中まで相互乗り入れ。そのまま京阪電車で行けたのに、御陵で地下鉄に乗り換える。山科で降りて改札口出てすぐにホテル。JRも京阪も地下鉄も駅は並んでいるくらい近い?
途中で「山科へは乗り換えて・・・」と車内放送が聞こえた気がしたけど、ちがったかしら?
何はともあれホテルに着きました。
ロビーの記念撮影用のセット。
部屋は7階。
JRに阪急の駅がよく見える。
少ししたら部屋に今回の同行者がやってきました。もう16時近いので私はホテルの温泉に入り、ゆっくりしたかったのですが、「古い町並みがあるので見に行こう」と誘われます。
はて、あまり聞いたことないけど、と出かけます。
山科は駅前こそ都会風ですが、少し外れるとついこの間まで農村だったのではと思われる、自然の地形に沿った道が続きます。スマホの案内を頼りにたどり着いたのは、何か古そうなお宅の横。
これのどこが街並み?と突っ込みたかったけど、旅先で喧嘩は厳禁。
しばし思案顔の同行者。
再び引き返します。急速に夕暮れが迫ってきます。行きとは違う道を帰るとき、川の横に「志賀直哉住居跡」の案内板が。志賀直哉はあちこちへ引っ越しますが、一時、山科に居住。「山科の記憶」の作品があります。昔は新潮文庫にありましたが、今は?
高校生の時読みましたが、詳細失念。はっきりした筋はなく、エッセイ風だったのかな・・・????
ホテルに戻る前に駅前で食事。とても疲れたのは朝昼あまり食べていないからでした。食事の後、おやつ色々を部屋で食べてやっと元気が出ます。
このホテルは大浴場は女子のみ。男風呂はありません。女性には優しいホテルです。
前に泊まったのは2021年年末。人気のホテルで予約の取れないこともあります。
翌朝、山は雪が降っています。朝食後、彦根へ。約1時間の旅です。
彦根の観光地はお城とその周辺に集まっています。
観光地を巡るルートバスは冬季は運休。路線バスで向かいます。
食事に土産物などの店が並んでいます。
人は少なめ。この連休はどこも人は多くありませんでした。京都でさえ、バスに乗って座れたので、お正月休みの長かったお蔭かもしれません。
雪が残っています。
夢京橋キャッスルロードという観光客向け商店街。
庇の雪が解けて落ち掛けています。積雪を見るのも何年かに一度の私には珍しい眺めです。
13時からは琵琶湖のミニクルーズに出発です。
雪を被る伊吹山が見えます。
西岸の向こうには20年以上前に登った武奈ヶ岳が。あの頃は若かった。
竹生島は片道40分、島では坂道が多いとのことなので次の機会にって、その機会があるとも思えませんが。
波はとても静かです。
夕方、宿につきました。
そろそろ日没。
ロビーでは17歳の高校生が弾く津軽三味線を聞きます。
写真OK、拡散希望とのことでした。
多田智大(@tada_chihiro98) • Instagram写真と動画
素晴らしい。若い力が伸びていくのを見ると元気が出ます。有難う~。
1/13朝、雪だあ~しばしの雪国気分を味わいつつ、彦根と別れました。
お城は20年くらい前に行った記憶があります。夫は行く予定でしたが、疲れたとかで結局行きませんでした。こんなことなら、早めにホテルへ行くべきでしたね。年寄りの旅はあまり欲張らずに、宿で疲れを取るのも大切。
恒例、一月連休の旅行です。
いつもは暖かい九州へ行くのですが、昨秋の亀の井ホテル赤穂がよかったので、系列の彦根の方へ予約しました。
赤穂は事前決済のみでキャンセル料は即100%と強気の設定、人気のお宿のようです。
彦根は行くのに半日かかるので、山科前泊、結局、結構な旅行になりました。昔みたいに車で行かないので、歩きまくって疲れたけど、却ってよかったかも。
午前中仕事の夫を残して、朝から出かけます。10時半ころ、京都着。
京都は快晴。そう寒くありません。
伊勢丹の上の方に美術館あり。大階段から行きました。
学割で700円。
これだけは撮影可。
京都大原で農業をしながら、周りの風物を水墨画に描いた画家。
弟子もたくさんいて、みんなで共同生活。楽しそうです。
生活に根差した力強い絵のどれもが見ごたえありました。
人は少なめ。
続いて206系統バスで東山安井まで。混雑を予想していたけれど、清水寺、平安神宮、銀閣寺などは特急バス?ができて、観光客はそちらに乗るらしい。
こちらへ行きます。こちらも学割で700円。
入るとすぐ、前回の都をどりの衣装が。
着物。袖上げは可愛さの演出?
帯。作り帯のようです。一度に大勢の帯を結ぶのは大変。
かんざし。桜に菜の花。
舞扇に手拭い。
舞妓さんの月ごとのかんざし。
豪華。
一月は羽子板、二月は梅。
十二月は南座の看板。
履物。
京舞家元、井上八千代氏。
裾を引く着物なので長い。
二階も着物をたくさん展示。奥の芸妓さんの踊りは見学省略。
朝顔に源氏車。
光悦垣と花。
こちらは秋草?
これが好きです。
茶屋辻模様。水辺の景色を描く。
はっきりした柄が多い。色は派手過ず、地味過ぎず。
庭を散策。
左が資料館。右は歌舞練場。四月の都をどりの公演はこちらでします。
舞台の奥で物音が。四月の準備をしているそうです。
その奥は休憩所で、公演の録画の放映とパネル展示。
こちらは「葵」の場面のようです。
廊下を曲がって帰ります。提灯が花街らしいなめまかしさ。
春にはこちらも人が多いことでしょう。
2002年4月、三男の大学入学式に母を誘ったら、前日に高速バスでやって来て京都で待ち合わせ。式の後、本山の納骨所へ連れて行く。3年前、父の納骨をした場所。あいにくの花まつり準備で境内には入れず、母は門の手前で拝んでいた。
その後、納骨のあと3年前にみんなで食事した都ホテルへ行くと、その中華料理店は既に撤退、一人3千円のランチビュッフェをいただきました。海苔巻き3個にあと何食べたでしょうか。きっちり10%のサービス料も加算。ビュッフェのサービス料って?自分で料理取ったんですけど???
田舎者はびっくりしましたが、これもまた京都代、都ホテル代と納得。母がお金は払いました。客は私たち以外は皆無。
こんなことなら、そこらへんの店で、母の好きなラーメン一緒に食べればよかった。と、後悔は先に立たず。
その後、引き返して都をどりの見物、16時ころ、京都駅で解散。今、ずるずるといろんなこと思い出した。
変わらない京都があって、変わる人の身の上があり、歩いているうちにその時にワープして癒される。
この年の三月、入学手続きに上洛し、三男と一緒に大学の長い塀に沿って歩いていると、大昔、尋ねて行った友達と一緒に歩いた記憶がよみがえり、自分がずいぶん若くなった気がした。一瞬の錯覚ですが。
時は過ぎに過ぎ、人は来ては去っていくけれど、変わらないものを見てしばし癒されるのでした。自分が人の記憶にどれだけ残っているかは分からないけれど、とりあえず私はこうして元気でいます。
京都の冬空の下で、そんなこと考えながら歩いていました。
この後、安井金毘羅→三条京阪→山科のホテル→夫と合流して街歩きと続きますが、長くなるので次の機会に。
つまらない話に長々とお付き合いくださってありがとうございました。