児童文学者協会会報、zb通信の冒頭「物語のぐるり」を書かせていただいた。
ひでじぃさまからこのブログにご依頼の書きこみをいただいた。
そして、生源寺美子(しょうげんじ・はるこ)氏を初めて知った。
生源寺美子氏は、福島県生まれ、自由学園卒業。
50歳を過ぎてから創作を始められ、1966年『草の芽は青い』で講談社児童文学新人賞および産経児童出版文化賞、
1977年『雪ぼっこ物語』で野間児童文芸賞受賞(Wikipediaより)。
ポプラ社から、自叙伝に近い三部作が出版されている。
78歳で「やさしく川は流れて」
79歳で「きらめいて川は流れる」
82歳で「そして今日も川は流れる」
ひでじぃさまからご依頼を受けたのは「きらめいて川は流れる」。
大正時代の秋田の生活が描かれたこの作品を、地元の風景に合わせて読んだ。
大正時代の秋田市なんて遠すぎる世界だなと思って読み始め、ふと、気付いた。
私のひいおばあちゃんは秋田の土崎出身。
土崎から新潟へお嫁に来たという。
ひいおばあちゃんがここに住んでいたんだ! と思ったら、物語が自分に近づいてきた。
結局、三部作全部を読んでしまった。
藤田のぼる先生からのお手紙に、生源寺美子氏がこの1月で百歳を迎えられたとあった。
「児童文学」の大先輩たちの活躍があったから、私たちは今、こうして書いている。
作品は、いつまでも残って、次世代に受け継がれる。
心をこめて書かなければ、と思ったのだった。
zb通信は、今号もお仲間のエッセイがたくさん。
読みごたえあります!
朝の創作は頭が回っていいな。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
ひでじぃさまからこのブログにご依頼の書きこみをいただいた。
そして、生源寺美子(しょうげんじ・はるこ)氏を初めて知った。
生源寺美子氏は、福島県生まれ、自由学園卒業。
50歳を過ぎてから創作を始められ、1966年『草の芽は青い』で講談社児童文学新人賞および産経児童出版文化賞、
1977年『雪ぼっこ物語』で野間児童文芸賞受賞(Wikipediaより)。
ポプラ社から、自叙伝に近い三部作が出版されている。
78歳で「やさしく川は流れて」
79歳で「きらめいて川は流れる」
82歳で「そして今日も川は流れる」
ひでじぃさまからご依頼を受けたのは「きらめいて川は流れる」。
大正時代の秋田の生活が描かれたこの作品を、地元の風景に合わせて読んだ。
大正時代の秋田市なんて遠すぎる世界だなと思って読み始め、ふと、気付いた。
私のひいおばあちゃんは秋田の土崎出身。
土崎から新潟へお嫁に来たという。
ひいおばあちゃんがここに住んでいたんだ! と思ったら、物語が自分に近づいてきた。
結局、三部作全部を読んでしまった。
藤田のぼる先生からのお手紙に、生源寺美子氏がこの1月で百歳を迎えられたとあった。
「児童文学」の大先輩たちの活躍があったから、私たちは今、こうして書いている。
作品は、いつまでも残って、次世代に受け継がれる。
心をこめて書かなければ、と思ったのだった。
zb通信は、今号もお仲間のエッセイがたくさん。
読みごたえあります!
朝の創作は頭が回っていいな。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)