かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

春から捲って歳時記の旅へ

2018-02-09 09:07:25 | 日記

この角川版「合本 俳句歳時記 第三版」は、いつ購入したものだろう。平成9年初版とあるから、1997年以降であることは間違いないが、とにもかくにも、20年くらい手元にあって、ときおり旅のお供にもしている。ちょっと厚いが文庫本サイズであって携帯の苦にならず、とっても丈夫で、春夏秋冬の言の葉・感性の缶詰のようでもあり、いつも「日本人の感覚のインデックス」(寺田寅彦)として重宝させていただいている。

歳時記は、開くと「春」から始まっている。二十四節気の立春(2月5日)から「春」、時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の配列にしたがった多くの季語と現代の代表的俳人の句が例句としてちりばめられている。

ごく当たり前のことではあるが、ヒトは、ある季節に、ある大空の下で、ある所に立ち尽くして、食うか寝るかなどの所作を行いながら喜怒哀楽し、年中行事が訪れれば、また一つ歳を取ったと嘆き悲しみ、その苦しみを動物や植物に癒され何とか、かろうじて生をつないでいる存在に過ぎないともいえる。

オイラが、これまでも、これからも続けていこうとしている、山歩き・海歩き、神社仏閣の巡礼の旅路のどこかで雲のようにわいてくる感覚と同じ感覚が、この歳時記のどこかにも仕舞われているのだろう。それを発見するのが句を読む楽しさの一つなんだろうな。

とにかく、季節も生まれ変わったことだし、これからも手元に、枕元に置いといて日本人の感覚というものを教えてもらおう。まずは、「春」、「二月」、「旧正月」、「寒明け」・・・・から

(注)たしかに亜熱帯に住んでいては「日本人の感覚」と大きなずれを生じることも否めないが、だからといって、季節の微妙な運行というものは感覚を研ぎ澄ませば感じ取れるのであり、現代を生きるわれらは、リアルな皮膚感覚以外にも映像やSNSでのヴァーチャルな体験も日常となっており、歳時に乗り遅れることはないだろう。

 

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%90%88%E6%9C%AC%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E6%AD%B3%E6%99%82%E8%A8%98-%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%89%88-%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%9B%B8/dp/4046211679

現在は、第四版となっているが、買い換えるつもりはない。それにしても、20年前と価格が変わっていない(税別2300円)。出版界も、大変なんだね。

 

コメント