サクラの開花が告げられて二日、 東北大学片平の桜たちは、もうずいぶんと花を開かせていた。ここの花はさまざまな種がありそうだが、いちいち名を言い当てることはできない。ソメイヨシノは少ないようで、サクラの古来種やウバヒガン、シダレなどもう旧制二高時代の明治からだから100年以上の時を生きてきた古参たちだろう。この古参たちは、一世紀もの間、花の下を生きかうさまざまな学生や市民を目撃してきたのだろう。今は、とうにこの世に存在しない者たちの映像を撮りためながら生きてきた老木たち。
空一面に咲きはじめた花もさることながら、この花の時季、オイラは、花たちを生かし続ける水脈ともいえる黒く偏屈にくねった太い幹や枝ぶりを下方から眺めるのが好きだ。なにか一株一株に人間的な意思や熱情といったエネルギーを感じて不思議に圧倒されるのである。これらの水脈は、花が散って葉が生い茂るともうどこかに姿を消してしまう。この時季だけ、古い桜たちは木に宿された命のたくましさを表す。無数の花を咲かせるエネルギーの根源のような姿は春のいっときだけ姿を現すようだ。
開花して間もないのだが、低気圧が近づいて来て今日は曇り空。だが、「白の背景に薄い桜色」、曇り空こそ花たちを美しくさせているようで、こんな日がオイラは好き。
「花曇り」の季語を調べたら、「養花天」ともいうらしい。日差しを押さえて、すこし湿気を誘うところが花を養い、永らえさせるということか。風もなく、少しも冷え冷えとしない。こんな日に、どこかの公園の「さくら祭り」とは無縁な、ここのような静かなキャンパスに寝っ転がってしばらく目を閉じていたい。ザックから、紙パックの「日本酒」を取り出してこっそりやるのもいいのだろう。