スマートフォン亡失から3日でほぼ原状回復にいたる。端末は、同種の端末が家にたまたま存在していたので購入せずに済んだ。おサイフケイタイ系のチャージ済金銭も新しい端末に引き継いだし、サブスク契約の地図アプリや購入済み英単語帳などは、これも難なくひきついだ。電話帳は親せきや一部の知己の分を手動で引き継いだ。また、これを機会にとかく知らぬ者からの受信が多い米国メタ系のSNSやXといったヒトへの悪態が大半のSNSは引き継がないことにした。おかげでなんか、日常が軽くなった。高齢期を安らかに過ごしたい。
(イヌブナの新緑)
昨日、黄砂にかすむ大気をものともせず1週間ぶりに青葉の森を歩いて驚いた。冬樹の芽という芽が葉を広げ始めている。林床のスプリングエフェメラルたちは早くも役目を終えようとし、初夏に花をゆだねる後塵の草たちが伸びだしている。まさに爆発的な勢いだ。
そして待ちに待った「山の幸」たちも息を吹き返していたので、夕餉の友、一部朝餉の友の分だけ摘んできて、その日は軽い調理をしていただいた。
(伸びだしたコシアブラ)
何種類あるのだろう、「コシアブラ」・「ハリギリ」・「タラノメ」・「リョウブ」・「サンショウ(木の芽)」・「小フキ」・「ウルイ」・「カタクリ」・「ミツバ」・「ヤマブキショウマ」・「桜の葉(名称不明)」
ざっと12種類ほどの命をいただいてきて、丁寧に水洗いをし、天ぷらにしないものはさっと湯がいてあく抜きし、香りを愛してやまないコシアブラとサンショウは少し炒めて、味噌とみりんと砂糖を絡め、少しだけ片栗粉でとろみをつけて二三日分の保存食した。
これから、ひと月ほどこのように「山の幸」をいただいてきて粗食の糧としよう。体内に森の精の生気を取り入れながら、森の恵みに感謝しよう。
カタクリの花が終わって、彼らがそろそろ子房を膨らませタネをはじき出そうとしているころ、あのマッチ棒のようなカタクリ1年生たちがあちこちに伸びだしていた。
この観察を通じてわかったのは、カタクリ1年生は昨年地上に播かれた満1歳児に違いないということだ。カタクリ1年生の伸びだすのがあまりに遅いので、あるいは今年カタクリ卒業生らによって播かれた数え1歳児ではないのかと疑問を持っていたが、まだ卒業生たちが種を播ききらない時期に伸びだすのだから、今年のタネではないだろう。これで何か胸のつかえがとれたが、満1歳児がなんとも頼りないので少し心配になってくるが、風に吹かれながらも元気に伸びていた。「卒業するまで、あと6,7年か、ガンバレー」と思わず声をかけたくもなる。
スミレサイシンの花の蜜を求めて、小さなアリがやって来ていた。こんなアリさんが、カタクリやスミレのタネに付属したエライオゾームという甘い物質を巣まで運んでいくのだという。カタクリ1年生の大方は、こうやってにぎやかなアリの巣の近くで夢を見ているのだろうか。タネそのものがアリさんたちのエサとならないことが条件だが、そこに何か秘密があるのだろう。
アリさんたちも「山の幸さんたち、いらっしゃい!」と、この春歓声をあげているのかもしれない。