かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

もう真相は分かっている

2018-03-13 05:57:29 | 日記

昨年来、「森友問題」で、国会の審議時間が膨大に費やされ、議員の人件費や資料のコピー代といった膨大な国費が費やされ、他の切実な法案の審議がうっちゃられてきたことに、おじさんは怒ってるのだが、何が真相か、きょうのでもう分かった。

要は、「日本会議」の存在と「内閣人事局」の存在なのである。

誰がどういう指示をして誰が変造した、などは結果に過ぎず、上の二つのキーワードが、現在進行形の権力基盤の代名詞であって、官僚にとっては、「この紋所が眼に入らぬか!!」なのである。

亡くなった近財職員を「公務災害」と認定していただきたい。不条理な死は、ここでも起きている。

 

            暗雲よりいずる日光菩薩の光背  3月12日午前7時03分

              暗雲よりいずる月光菩薩 3月13日午前5時15分

 

    めったに政治のことは口外しないのだが、怒り心頭に発する時だってある。

 

 

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それでも命をつないでいく

2018-03-12 06:17:17 | 日記

2018年3月11日、東日本大震災から7年目の午後2時46分、オイラは、暖かな海岸を散歩しながら、その時間には、静かな海に向けて眼を瞑った。震災関連を含め2万人以上が犠牲となったという。前日には、1945年3月10日の東京空襲で10万人が犠牲になったという報道。シリアでは、今でも空襲がやまず、無辜の市民がわずか数日で1300以上死んだとの報道、天災・人災問わずこの世のどこかでつづく不条理な死。どのようなコメントもむなしい。なんの力にもなりえない。神も、仏も、観音も阿弥陀も押し黙る春。

が、春の草むらを観察すると、美しく開花したノアサガオの蜜を毛虫が必死になめている。ラジオでは、さかなくんが、マンボウの話をしていた。「何億の卵を産んでも、親になるのは2匹から3匹、それでも種の保存に成功している。」とのこと。

この世は不条理だらけだが、この世のあらゆるところで、いつも宇宙の摂理にしたがった命のリレーが無意識にも懸命に行われているのも事実。あるいは細く、伏流のように目には見えないのかもしれないが、そちらの方が主となる流れ。

いつかどこかで、どうにもならない出来事があるんだという覚悟に生きながら、本流の流れを信仰のように祈っていくしかあるまい。

 

石垣島 午後2時46分の海

 

ノアサガオの蜜をなめている毛虫君(同定不明) 

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心の復興  みちのく潮風トレイルに向けて

2018-03-11 01:41:12 | 日記

宮城県南三陸町、女川町、石巻市、気仙沼市・・・・かつてオイラと係わりがあった町の浜沿いの家々は、あの日の午後に波に消えた。あのあと、町の記憶を取り戻そうと、その場所に何度か足を運んだが、若き日の手がかりは何にもなく、記憶は、ついに戻ってきてはくれなかった。

あの年の1月、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で開催されたマラソン大会に出場したが、その会場となっていたサイクリング施設も、周辺の家並みもことごとく波に洗われ、かき消された。2011年の写真がわずかに残っていて、そのなかに、その年の暮れに、その浜に立ったときの映像が3枚残されていて、それが下に掲載したものである。浜辺のサイクリングロードは、道沿いの潅木がことごとく消えていて、すでに重機のキャタピラーに徹底的に踏みしだかれ、緑の記憶というものは一切戻ってきてはくれなかった。見るに見られぬ3枚ではある。(欝)

だが、まてよ、三陸のリアス海岸には、いつまでも消えそうにない楽しい思い出というものもある。

2000年、あの年は、気仙沼市に住んでいたが、すでに40半ばではあったが、ランニングの楽しさを覚えたばかりで、週末となるとリアスの海岸沿いの美しい浜辺とひっそりとした集落(里浜とでもいおうか)のマラニックを楽しんでいた。

その年の夏には、楽しみの集大成として1週間の休暇を取り、気仙沼、唐桑、大船渡、陸前高田、釜石、宮古、久慈を走ってつなぎ青森まで到達した。あの楽しみは、しかし3.11のあとも鮮明に覚えている。デジカメなどは携帯しなかった時代、たしか「写るんです」に留めたと思うが、写真はどこかに仕舞い忘れた。しかし、写真などなくっていい。

気仙沼に住んだのは、たった1年だったが、100キロマラソン初完走や仙台ハーフマラソン出場権獲得なども含め、あのような充実した日々は、ちょっとないのだろう。気仙沼さまさまなのである。

そのような、楽しい思い出を糧に、オイラはオイラに「心の復興」を呼びかけている。あの楽しかった里浜体験をもう一度三陸海岸でやってみようじゃないか、と。

環境省が、復興事業の一つとして、2000年にオイラが辿った道のところどころを「みちのく潮風トレイル」として整備していることは知っていた。気仙沼から青森の八戸あたりまで、すべてではないが大分整備されているようだ。

今度のGWは、まとめて休めそうであるのだから、「整備状況視察」も兼ねて、ひさびさ走って、歩いてみようか。青い海と緑の松は健在か。

 

http://tohoku.env.go.jp/mct/route/

 

 

 

砂浜の墓標

サイクリングロードあと

日和山から町あとを望む

 

 

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1日1花

2018-03-09 19:22:33 | 日記

毎週金曜日に届けられるメールに「週間ヤマケイ」があるが、今週届いたそれには、2月23日に訪れた秩父のセツブンソウ自生地において3月3日に愛好家が撮影した写真が届けられていた。

あの雪の中でやっと眠りから眼を覚めた愛らしい一群が、みな元気に輝いているのを確認し、安堵の胸をなでおろした。

あと8日スケジュールが遅くなっていれば、その場に立てたのかもしれないが、自然というものは、機械やコンピューターと異なり、不正確なのがいいのであって、まったく後悔していない。来年は、いつ出かけるのか、早割りとのタイミングで、また「不正確な」計画となるのだろう。そういう旅がいい。

1日、10分でいいから、野の花々を名前と姿を覚えるためのスケッチを始めようと思い立った。絵は下手なのであるが、中学以来まともにスケッチを行っていないから、あたり前と言い聞かせ、まずは、手元にある平凡社の「山の花1200」をめくって、キンポウゲ科からはじめよう。スケッチしたら色鉛筆で少し色づけていこう。

100均で買った150枚もあるスケッチブックと24色の色鉛筆。三菱ユニHB鉛筆と鉛筆削。これで十分ではないか。

臨場しなくても、早春は、鉛筆の先に訪れている。

 

週間ヤマケイに届けられた奥谷晶さんというお方の写真を撮らせて頂きました。ありがとう。

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松本マラソンと秋の北アルプス

2018-03-08 05:47:00 | 日記

夕方、少し晴れ間があるので、ベランダに出て南の空を見やると、カノープスが張り切って光り輝いている。全天でシリウスについで二番目に明るい恒星ということだが、今、ここ石垣島の北緯は24度、南の水平線から10度以上(握りこぶし二つを重ねた高さ以上)の高さに悠然と輝いているのだ。

カノープスの日本での北限は37度ということで、東北の仙台は北緯38度なので、平地では拝むことができない。緯度が1度下がるたびに1度程度上に見えてくるということなので、石垣島では14度ぐらいの高さまで上がる計算なのだ。

古来より見えると長生きできるという「南極老人星」=七福神の「福禄寿」にたとえられているありがたさは、たぶんに北緯30度圏内に暮らすヒトビトの気持ちなのだろうが、こうもこの季節のこの時間帯に簡単にお目にかかれる石垣島ではご利益薄いということなのかもしれないが、それでも低空のためキラキラ輝くマイナス0.7等星を仰ぐと、「生きよう」という気持ちにさせてくれる、オイラにとって寿の星なのだ。

那覇のTさんたちからのお誘いで、9月30日に長野県松本で開催される「松本マラソン」にエントリーした。Tさんの仲間たちはアラカン世代であるのだが、皆さん元気で、マラソンは今も4時間台で完走できる能力の持ち主なのだが、その元気が有り余って、マラソンにあわせて前々日に北アルプスの涸沢を訪ね、始まりだした紅葉を満喫したいとのことだった。欲張りすぎる計画なのだが、そのような計画が「嫌いではない」ので、その計画に乗った。

Tさんたちとは異なり、暇だけはあるので、マラソンのあとさらに1週間の休暇を取って、北アルプスに再び登って、錦秋の秋を楽しもうというひそかな計画を立てている。重い三脚を担いで、北アルプスに降り注ぐ星空も撮影しようかとのロマンも抱いている。その節は、何が見えているのだろう、秋の星座で。

 

https://www.matsumoto-marathon.jp/about

 

 

 

 

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