宮城県南三陸町、女川町、石巻市、気仙沼市・・・・かつてオイラと係わりがあった町の浜沿いの家々は、あの日の午後に波に消えた。あのあと、町の記憶を取り戻そうと、その場所に何度か足を運んだが、若き日の手がかりは何にもなく、記憶は、ついに戻ってきてはくれなかった。
あの年の1月、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で開催されたマラソン大会に出場したが、その会場となっていたサイクリング施設も、周辺の家並みもことごとく波に洗われ、かき消された。2011年の写真がわずかに残っていて、そのなかに、その年の暮れに、その浜に立ったときの映像が3枚残されていて、それが下に掲載したものである。浜辺のサイクリングロードは、道沿いの潅木がことごとく消えていて、すでに重機のキャタピラーに徹底的に踏みしだかれ、緑の記憶というものは一切戻ってきてはくれなかった。見るに見られぬ3枚ではある。(欝)
だが、まてよ、三陸のリアス海岸には、いつまでも消えそうにない楽しい思い出というものもある。
2000年、あの年は、気仙沼市に住んでいたが、すでに40半ばではあったが、ランニングの楽しさを覚えたばかりで、週末となるとリアスの海岸沿いの美しい浜辺とひっそりとした集落(里浜とでもいおうか)のマラニックを楽しんでいた。
その年の夏には、楽しみの集大成として1週間の休暇を取り、気仙沼、唐桑、大船渡、陸前高田、釜石、宮古、久慈を走ってつなぎ青森まで到達した。あの楽しみは、しかし3.11のあとも鮮明に覚えている。デジカメなどは携帯しなかった時代、たしか「写るんです」に留めたと思うが、写真はどこかに仕舞い忘れた。しかし、写真などなくっていい。
気仙沼に住んだのは、たった1年だったが、100キロマラソン初完走や仙台ハーフマラソン出場権獲得なども含め、あのような充実した日々は、ちょっとないのだろう。気仙沼さまさまなのである。
そのような、楽しい思い出を糧に、オイラはオイラに「心の復興」を呼びかけている。あの楽しかった里浜体験をもう一度三陸海岸でやってみようじゃないか、と。
環境省が、復興事業の一つとして、2000年にオイラが辿った道のところどころを「みちのく潮風トレイル」として整備していることは知っていた。気仙沼から青森の八戸あたりまで、すべてではないが大分整備されているようだ。
今度のGWは、まとめて休めそうであるのだから、「整備状況視察」も兼ねて、ひさびさ走って、歩いてみようか。青い海と緑の松は健在か。
http://tohoku.env.go.jp/mct/route/
砂浜の墓標
サイクリングロードあと
日和山から町あとを望む