2019年6月30日の朝、予定であれば富士山の奥庭荘から御中道を経由し五合目にたどりつき、そこから、ゆっくりゆっくり歩き、次第に薄くなる空気を楽しんで深呼吸を繰り返し、行く先々の山小屋の前で休憩を取りながら、山頂には翌日7月1日の午前0時ころには到着して、岩陰に身を寄せビバークスタイルでポンチョをかぶり、防寒服に身をつつんでウイスキーでもちびりながら、午前4時過ぎの山開きのご来光を待つという「図式」であったが、如何せん、ふもとの御中道入り口でさえ、下記のごとく猛烈な風が吹きまくっていたの早々と登頂をあきらめた次第である。
御中道入り口から五合目までは小1時間。幸い西風だったので東に方向を取る登山者の追い風となり風をまともに受けることはなかったが、吹きさらしの場所にあっては、何度か体を浮かされ、「飛ばされるんではないか」、「石が飛んでくるのではないか」といささかの命の危険を感じ、持っていたストックに力が入った。
御中道の散策路は風がないと日本庭園みたいな場所なのであって、森林限界地帯間近な位置にあり、溶岩の砂礫にコメツガ、カラマツ、ダケカンバ、ミヤマハンノキ、シャクナゲなどがしっかり根を張り、猛烈な風に耐えていた。冬の季節風や台風襲来時はこんなもんじゃないだろうが、それでも生きて、子孫を残そうと必死の様相であった。(樹のこころは分からないけれども、・・全然平気なのかもしれない。)
だが、おお、よく見よ、カラマツは植林されたノッポのへなちょこと違い、背が低く、幹をどっしりとさせ、山おろしの偏西風の風下となる谷側に枝を張り、今にも倒れそうな姿勢に耐えながらも、この環境でで安定的に生きる術を習得しているし、ダケカンバは、何度も折檻を受けた子供が背骨に変異を生じて育ったかのように、幹が痛々しい曲線を描き、古木は木肌がぼろぼろと化しながら風に対峙している。まるで、百戦錬磨の老いた兵士のようでもある。どの樹も尋常ではないスタイルで生き永らえながら、一族の繁栄に懸命であることに、感銘せざるを得ない。
カラマツ
ダケカンバ
ダケカンバ
ダケカンバの古木
富士山麓の樹々は、新しい溶岩の上のわずかな表土に根を張るものが多く強風に弱いのだという。船津林道の二合目から三合目の間は、昨年の台風の影響だろうか10メートル置きといってもいいくらい倒れた木々が道をふさいで、そのたびに迂回を余儀なくされ、1.5倍は歩かせられた。
ダートのコースだが、スバルラインができるまでのバス道路だとかで道幅が3、4メートルくらい広い林道なので、林道に倒木が多いのは、隣同士の間隔が広く、枝同士で支えあう樹がなかったということか。道端の古木は不運であったが、それでも仲間の大方は台風に耐え、命永らえている。
とてつもなく生きにくい世界に種を落とされても、何の愚痴もこぼさず、生きる知恵をはたらかせ、静かに百年、二百年の時を眺め、倒れても「完全な死」までには、なおしばらくの間、緑を残そうとする富士の樹々の生きざまに、神々しさまで感じ、信仰に近い何かしらを感じざるを得ない。