希望的観測で完治日は本日の明けるまでと設定したが、見込みは「いまだし」の予想。だが、苦痛の程度は少しづつ和らいでいるようにも思えるので、午後は、外出してみようか。近所の観音様にも手を合わせてきたい。
(山の思い出)
活火山3000mの旅、の最終目標は、2014年9月27日午前11時52分に噴火し、63名(うちいまだ行方不明5名)の犠牲者を出した御嶽山(3067m)での慰霊を十五夜の山上で執り行うことであったが、快晴ではあったが、あまりの名月と寒さのため麓から持参した750mlの日本酒をいささか飲みすぎた嫌いがあり、そのような不純なる魂が、今次の疾患を誘ったともいえるのであって、大いに反省している。
御嶽山は、2004年9月に折り畳み自転車オリーブ号にテント寝袋を積んで、木曽福島~御嶽山~野麦峠~乗鞍高原~乗鞍岳~平湯温泉~焼岳~新穂高温泉~笠ヶ岳~飛騨古川、と日本百名山を一気に4座「征服」するという旅において登ったお山。まさか、10年後に大惨事を起こしたとは信じられない、快晴で美しい山上の記憶がある。あの時は、麓の開田高原キャンプ場から、標準タイム往復14時間30分のところを日帰り登山したもので、「ああ、50代前半という時期は元気だったなあ」と感心してしまう。
今回は、木曽福島のお宿に前泊し、標高2150mまでロープウェイのお世話になり、現在登山が許可されている黒沢口登山道から山頂に向かい、2900m地点の二の池小屋で一泊し、翌朝は、三の池を経由し、懐かしの標高1300mの開田高原への道を6時間かけて下るという15年後のオイラにふさわしい企画であったが、開田口登山道「いや、長かったんだなあ、こんなとこ登ったのか」と、15年前のオイラに嫉妬を感じたざるを得なかった。昼過ぎにたどり着いた麓の公共温泉施設「やまゆり荘」の湯は、土色で柔らかく、バス時間までには1時間以上あったが、1週間の疲れをゆっくり解きほぐしてくれたが、露天は日差しが強すぎて、内湯で時を過ごした。
御嶽山、乗鞍岳と兄弟分と見えて、山上が複雑で美しい池もある。もっと早い残雪とお花のころ、ほかに日和田登山道、小坂登山道なんかもあるので、また訪ねようぜ。
いずれの登山道も、中山道の長野県木曽福島を起点にできるのだが、数えてみれば、この宿場町にも人生にして、都合5度訪れている。1度目は、上記の折り畳み自転車旅、2度目は、富士登山競争翌日に夕方駅に到着し、夜中に木曽駒ケ岳に登った登山、3度目は、御嶽100kトレイルランで(関門に引っかかる)、4度目は、この街を起点に1回だけ開催された100kマラソンで(最終ランナー)、そして今回。4度目までは、いずれも、40代後半から50代に集中しており、「ああ、なんて元気なミドルエイジだったのだろう。」と、感心せざるを得ない。
この先、健康年齢中に、何度この駅を、この宿場町を訪れることだろう。疾患中のお尻に手をやって考えている。
山上の祠は新しく作られるが、右の衣冠束帯の神は、傷つきながらお立ちになっておられた。首が取れた仏様、傾いた仏様もいたが健気に鎮座されていた。
鳥居と向かって右の灯篭は、傷つきながらも登山者を迎えてくれている。
山上に至る階段の手すりは、ボコボコに凹んでいた。
階段直下には避難豪(シェルター)が三基設けられていた。
頂上から噴火口を眺める。見える限りでは、噴煙、湯気は出ていなかった。
頂上から周囲を眺めてみる。