かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

御嶽山上で一泊

2019-09-23 09:30:51 | 日記

希望的観測で完治日は本日の明けるまでと設定したが、見込みは「いまだし」の予想。だが、苦痛の程度は少しづつ和らいでいるようにも思えるので、午後は、外出してみようか。近所の観音様にも手を合わせてきたい。

 

(山の思い出)

活火山3000mの旅、の最終目標は、2014年9月27日午前11時52分に噴火し、63名(うちいまだ行方不明5名)の犠牲者を出した御嶽山(3067m)での慰霊を十五夜の山上で執り行うことであったが、快晴ではあったが、あまりの名月と寒さのため麓から持参した750mlの日本酒をいささか飲みすぎた嫌いがあり、そのような不純なる魂が、今次の疾患を誘ったともいえるのであって、大いに反省している。

御嶽山は、2004年9月に折り畳み自転車オリーブ号にテント寝袋を積んで、木曽福島~御嶽山~野麦峠~乗鞍高原~乗鞍岳~平湯温泉~焼岳~新穂高温泉~笠ヶ岳~飛騨古川、と日本百名山を一気に4座「征服」するという旅において登ったお山。まさか、10年後に大惨事を起こしたとは信じられない、快晴で美しい山上の記憶がある。あの時は、麓の開田高原キャンプ場から、標準タイム往復14時間30分のところを日帰り登山したもので、「ああ、50代前半という時期は元気だったなあ」と感心してしまう。

今回は、木曽福島のお宿に前泊し、標高2150mまでロープウェイのお世話になり、現在登山が許可されている黒沢口登山道から山頂に向かい、2900m地点の二の池小屋で一泊し、翌朝は、三の池を経由し、懐かしの標高1300mの開田高原への道を6時間かけて下るという15年後のオイラにふさわしい企画であったが、開田口登山道「いや、長かったんだなあ、こんなとこ登ったのか」と、15年前のオイラに嫉妬を感じたざるを得なかった。昼過ぎにたどり着いた麓の公共温泉施設「やまゆり荘」の湯は、土色で柔らかく、バス時間までには1時間以上あったが、1週間の疲れをゆっくり解きほぐしてくれたが、露天は日差しが強すぎて、内湯で時を過ごした。

 

御嶽山、乗鞍岳と兄弟分と見えて、山上が複雑で美しい池もある。もっと早い残雪とお花のころ、ほかに日和田登山道、小坂登山道なんかもあるので、また訪ねようぜ。

いずれの登山道も、中山道の長野県木曽福島を起点にできるのだが、数えてみれば、この宿場町にも人生にして、都合5度訪れている。1度目は、上記の折り畳み自転車旅、2度目は、富士登山競争翌日に夕方駅に到着し、夜中に木曽駒ケ岳に登った登山、3度目は、御嶽100kトレイルランで(関門に引っかかる)、4度目は、この街を起点に1回だけ開催された100kマラソンで(最終ランナー)、そして今回。4度目までは、いずれも、40代後半から50代に集中しており、「ああ、なんて元気なミドルエイジだったのだろう。」と、感心せざるを得ない。

この先、健康年齢中に、何度この駅を、この宿場町を訪れることだろう。疾患中のお尻に手をやって考えている。

 

山上の祠は新しく作られるが、右の衣冠束帯の神は、傷つきながらお立ちになっておられた。首が取れた仏様、傾いた仏様もいたが健気に鎮座されていた。

 

鳥居と向かって右の灯篭は、傷つきながらも登山者を迎えてくれている。

山上に至る階段の手すりは、ボコボコに凹んでいた。

 

階段直下には避難豪(シェルター)が三基設けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

頂上から噴火口を眺める。見える限りでは、噴煙、湯気は出ていなかった。

 

 

頂上から周囲を眺めてみる。

 

 

 

 

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お気に入り温泉街から登り温泉街に下る 乗鞍岳

2019-09-22 16:01:46 | 日記

昨日は、アルコールを一切摂取しなかった。家にいての断酒は、インフルエンザと顔のヘルペス発症以来である。それもこれも、G病による患部うっ血をおもんぱかってのことであるが、あまり効果はないみたい。依然として、山を歩ける状態ではない。こっそりではあるが、市内のクリニック検索を始めた。


(山の思い出)

3000m峰の活火山、二番目に向かったのは松本からバスで平湯温泉へ。温泉旅館素泊まりで、朝5時過ぎには山に向かうため、宿に別れを告げた。連休前の平日とはいえ、閑散とした宿で、露天や釜風呂など晩から朝まで独り占め、もっと浸かっていたかったな。

平湯温泉に立ち寄ったのは三度目であるが、どの湯に浸かっても焼岳と乗鞍岳によってもたらされた湯は豊富で、少しだけ硫黄臭を感じるミネラルたっぷりのぬるめの湯は優しく体を包み、長いこと浸かっていたいなという不思議な感覚になるお湯だ。

日帰りの「ひらゆの森」や公共の「平湯の湯」も素晴らしいが、雨天やキャンプ道具がない場合には、旅館の湯は、何度でも入れて、休養の時間を確保してくれるから、大切な旅の施設だ。気になったのは、閑散度。昨年バスターミナルを歩いてみて、コリアンの登山者が多いなと感じたが、今年は、さっぱりなのだろう。平湯の旅館街、外国客激減にもめげず廃業しないで長く続いてほしい。大好きな、平湯温泉。笠ヶ岳再訪、西穂登頂と、まだまだ、この先、この温泉街をを訪れる機会はあるのだろう。

標高1300mの平湯温泉街から、スキー場経由の平湯乗鞍登山道は、2004年当時の山と高原地図には、一般道としての記載がなかったもので、最近の同地図には載っており、「2005年」開設の登山道と記載されており、ぜひ歩いてみたかった。

おもに下山道として使われているみたいだが、深い針葉樹の原生林を登るにつれ、北に穂高や笠ヶ岳が望見でき、金山岩下の乗鞍権現社という祠からは、北アルプスや乗鞍岳剣が峰などの主要峰の大パノラマを眺めながらの小道となっており、1日ひとりの登山者にも会わなかったし、人ごみ嫌いの偏屈登山者に格好の道であった。

標高2800mの肩の小屋までコースタイム8時間程度だが11時間もかかったのは、リハビリ歩きと肩にかけていたG3Xのシャッターチャンスが多かった証と思いたい。カメラ持参の場合は、標準コースタイムの1.3~1.5倍はかかる。(と、言い聞かせても、体力の劣化は否めない。)

樹幹から笠ヶ岳

奥穂も

前穂も

槍も

乗鞍権現社から乗鞍岳山頂の剣が峰は遠い

遅く山小屋の受付をすませたが、女主人は優しくも特等の部屋にあたる「御来光の間」を個室として割り当ててくれた。盆過ぎ、連休前の宿は、どこもすいてて良し。

御来光の間に至る廊下。東向きの窓には、御来光用のいすが置かれている。

翌朝は、山小屋にしては遅い朝食時間AⅯ7:00のため、AM4:00に小屋を出て、最高峰剣が峰の御来光遥拝登山。すっきりした日の出には出会えなかったが、雲海上に山も見えて、ゆっくりとした時を過ごす。明日登る御嶽山、来夏はぜひ登りたい白山にも会えた。夜明けの山頂は、4,5人程度であったが、小屋に戻る最中次々と登山客がやってくる。朝一番のバスは、AⅯ6:00には、畳平バスターミナルに着いているようで、1時間おきにふもとの岐阜側・平湯と長野側・乗鞍高原から多くの登山客を運んでくるようだ。

蓼科方面に日が射す

  槍・穂の朝

霞沢岳の向こうに常念岳

明日登る御嶽山をバックに山頂で

朝食後、スカイラインを縫うように乗鞍高原に下山。下ること4時間30分。乗鞍高原、お目当ての「湯けむり館」の白濁風呂にどっぷり浸かり、新島々までバス、電車で松本、塩尻を経由し、御嶽の宿場町木曽福島に向かう。

乗鞍高原は、数えてみれば、今回で5回目、折り畳み自転車オリーブとの山旅で、トレイルランで、スノーシュー大会で、木曽100kマラソンの翌日に、そして今回、いずれもこの「湯けむり館」でくつろいだ記憶。白骨温泉と同質の白濁の硫黄の湯。あと何回、「白い湯」を求めて、この湯を訪れるのか。

乗鞍高原スキー場に咲いていたウメバチソウ

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疼痛の日々

2019-09-21 11:52:09 | 日記

ヒトの肉体はなんと強靭で、かつ脆いものなのか。御嶽から帰ってのG痛はいまだ治まらない。身体の中心、付け根の肝心な箇所に腫れが生じ、施薬の効果はいまだ現れず、4日間苦悶している。昨日は、ドラックストアから舌下の粘膜を経由しK門に生じたIGのうっ血を緩解させるという触れ込みの舌下錠というものを買ってきてZ薬やN膏と併用しているのだが、「詐欺まがいのへぼ薬か?」疑いを持ち始めている。

土曜の朝のNHK第一ラジオの山カフェ「紅葉の山特集」を聴きながら、この日記を認めようとしているのだが、ソファに尻を落とすのも、やや額汗である。左手でやや尻を浮かせ、右手でキーを打つ。大雪山初冠雪の報に接し、日々本州の山々も色づきを深めているかと思うと、心に焦りという邪念が生じ、「遅くとも、台風17号の過ぎ去る来週月曜日までは、何とか静まってくれよ」と、体内のマグマだまりに呼び掛ける。

 

どこにも出かけられないから、先週の富士山・乗鞍岳・御嶽山の写真を整理して、すこし記録をしておこう。

 

 

台風15号一過の朝、三島駅からバスに乗って富士山4合目の水ヶ塚駐車場に。本来ならここから緑の原生林を登って宝永山に登っていくところだが、右ふくらはぎの肉離れの完治が気になるので、ここからシャトルバスに乗って富士宮口五合目の登山口に向かう。空気が澄んで、富士が大きい。十〇年前、麓から登る冨士の古道登山のスタートとして、須山浅間神社を起点として富士に登ったが、水ヶ塚公園は、その中間にあり、ここに到達したのは午後4時ごろで、シカの声を聞きながら、宝永火口近くの森林限界あたりでビバークしたのが懐かしい。やはり、富士は麓から登りたい。今度、また須山神社から登り、トイレもあるこの駐車場のかたすみにテント張って仮眠しようかな。

 

富士宮口五合目から富士に直登せず、宝永火口を登り、宝永山経由で御殿場コースに至る道が、現在の天皇がプリンスの時代に歩いたプリンスロード。御殿場コースの小屋に至る近道となる。宝永火口を眺めながらのダイナミックなコースで歩く人は少なく、静かで穴場である。

 

 

二度目となる宝永山頂で、しばし寛ぐ。山頂の方位版がゆがんでいる。山体変位の証左か、と少し不安になる。噴火が近いのか。噴火するとすれば、どの地点か。

ここから2時間登った、七合一勺わらじ館を今夜の宿とする。実は、さらに1時間登ったプリンスが泊まった七合九勺赤岩八合館というところに宿泊しようとしていたが、HP指定の電話が通じないのでいぶかしがっていたが、わらじ館で尋ねたら、なんと先週末で営業を終了しているとのことだった。HPには、9月10日の御殿場コース閉鎖まで営業していると「読める」記載があったのに、である。これを知らずさらに登ったら、すごすごわらじ館に降りてきたことだろう。わらじ館の皆さん、親切でありがとう。コース唯一、閉山後の9月15日まで営業しているとのことに敬意を表したい。

 

 

 

 

 

午後3時過ぎには、小屋に着いたので、冷たいビールと持ち込んだ焼酎をいただきながら、七合目3100mからの夕景と10日の月を愛でて、ほぼ満員の小屋で眠る。(ほぼ眠れなかったが)

 

 

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誰しもがかぐや姫だったんだ

2019-09-19 08:57:57 | 日記

1週間の山旅を終えて、左ふくらはぎの肉離れは、ほぼ完治したものと思われ、痛みも張りもなくなりほっとしたところだが、帰って、例のG病が悪化して、Z薬やN膏を施しても痛みが治まらず、やっかいなGIG核に苛まれたようで、外に出たくない。ものの本、ではなくネットで調べたら過度のアルコール、長時間歩行、長時間座位、辛い物の摂取などに起因するとのことだが、どれにも当てはまるので、因果応報というやつだ。

S血の後とかに、これまでも何度か発症したが、Z薬やN膏のお陰で1,2日で回復してきたが、3日目の今日も思わしくない。ネットでは、患部が引っ込まないステージⅣの場合は、保存ではなく手術によるべしとあるが、何が嫌かといって、K門科やSN器科にいって患部を見せることと、他人に患部を触られることなのであり、「死んでも嫌」なのだ。ここは、薬師寺や新薬師寺の仏様に念仏して、ご加護を期すしかあるまい。しばらく、横になっていよっと。

戦時中に盗まれた新薬師寺の香薬師様のレプリカ像を新薬師寺と東京の深大寺で拝ませていただいたが、あの仏様の笑みを思い浮かべると痛みが引くようだ。

 木曽福島から甲府で一泊、仙台までの在来線に長時間座して、日曜日の「きらクラ」の録音を聴いていたが、そのBGM選手権のお題となっていた「竹取物語」、かぐや姫が月に帰るくだりを聞いて、はっと思った。この、日本最古といわれる物語は、「人は誰しも、故郷の星からやってきて、故郷の星に帰る定めにあり、いかなる抵抗をもってしても、この定めに抗うことはできない」、もっと簡略化すれば「人は死ぬ運命にあるが、またどこかの石ころにでもなって生きている」、という般若心経や宇宙物理学の真実を語っていないか。この物語の最後の下りは、残された翁らにかぐや姫が置いて行った手紙と不老長寿を暗示した不二の薬を富士山頂で燃やすこと。いかなる処方箋や薬をもってしても、少しは生き延びるが、「確実に死ぬ=星に帰る」。という物語なのでなかったか。SFでもなんでもなく、ヒトも地球も生きているものはやがて消滅するが、やがて星となって生成し、またどこかの宇宙をさまよっているという、奥深い物語ではなかったのか。

燃やされた薬の煙は、今も富士山頂から立ち上っているとか。富士山頂の爆発的噴火は2400年前とのことだが、物語が作られた平安初期には、まだ山頂から噴煙が上がっていたのだろう。富士も、生きているのだ。

2019年、御嶽山の噴煙は収まりつつあり、この10月16日まで頂上に立つことを許され、天気にも恵まれて2014年9月27日の犠牲者に祈りをささげてきたが、月を眺めながら、「そう遅くない頃合いに、オイラもそちらの国の住人になるんだな」、「あそこから眺める青い地球でのことを思い出しながら、お月見ならぬお球見でもしているのか」。煌々とした満月を酔いながら眺めていると、そのような思いにとらわれたが、古人も月を眺めては、そのような思いの虜になった輩が、何人かいたのだろう。

 

 

 

 9月14日御嶽の月

 

 

 

午後7時過ぎの東空

朝、4時過ぎの西の空

 

9月17日の朝の月(家に帰って)

 

竹取物語原文と現代語訳

www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori.html

 

 

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活火山巡礼

2019-09-18 08:32:40 | 日記

1週間の間に、日本の活火山3000m峰三座、富士山(3776m)・御嶽山(3067m)・乗鞍岳(3026m)を巡ってきて、雲海上の浄土世界という場に身を置き、それぞれの山の霊気をいただいてきたのであるが、共通点は、独立した山岳であり、孤高の秀峰として、そして霊山として、古来ひとびとの信仰の対象とされてきた山なのだ。

これら山岳にひとびとが聖なるものを感じた理由は、その美しい山容ばかりでなく、古来から噴火を繰り返してきた活火山に畏敬を感じてきたからだろう。怒りの神々を鎮めるためにも、祈りを深く捧げてきた。記録上は、噴火という形跡はないような乗鞍岳であっても、地質学者に言わせれば、2000年前に恵比寿山域での噴火した事実が認められ、今でも湯川上部に噴気が認められ、あの東日本大震災以降、北麓付近で地震が活発に起きているのだという。1万年尺度の地質時間にとって2000年前は、最近なのだ。

雲海上にそびえたつ城郭の一角立ったような感覚にとらわれた日本の活火山の高峰。改めて天地の凄みを感じたのであり、「最近」の噴火にもめげず、立ち直り、回復しようとする生命の森。足の動く限り、これら三座を奉っていこうではないか。深田さんが言うように、スカイラインやロープウェイで大衆化された故に、周囲や麓にはひそやかな自然が残されているのであり、御嶽も、乗鞍も、麓から登るコースと下山コースのバリエーションは、まだまだ尽きぬほどある。かつ、活火山ゆえ、麓には素晴らしい温泉が湯気を立てている。

御嶽二の池から黎明の富士。手前は、中央アルプスの空木岳か。

御嶽二の池から朝の乗鞍岳(中央)

乗鞍剣が峰から御嶽山

乗鞍岳山頂から、西を眺めていて、もう一座ありました、独立した活火山の高峰。「あ、すみません、忘れていました。」3000には少し届かないけれど、日本で四番目に高い活火山・白山(2702m)が。昭和と平成のはざまの年に1度訪れたきりで、いつか、じっくり歩いて(住んで)みたいと思っていた旧懐の霊山が。

この山は、残雪とお花の夏がいいな。来夏、旧白鳥町の石徹白(いとしろ)から加賀禅定道をつなぐロングトレイルなど歩こうか。白川郷までの道も捨てがたい。書棚にあった昭和62年発行の山と高原地図「白山」を眺めながら、もう脳内は来夏の白山。(オリンピックチケット外れたので、もう夏の東京興味ありません。)

乗鞍剣が峰から白山。手前は権現池、歴然とした火口池である。

乗鞍剣が峰から白山を望遠で、あの白いのは雪か、それとも火山灰?

(追伸)

この1万年の間に活動している火山を活火山だという。気象庁によると、北方領土を入れて日本には111.数えてみたら、そのうち45ポイントは、すでに行ってみた。伊豆諸島ほかの島嶼は、まだほとんど手つかず。111ポイントのうち、今後、100年以内に噴火するかもしれないと監視を強めている山が50.富士も乗鞍も御嶽も白山も、この50座に入る。御嶽は噴火してしまったが、他も心して入山すべし。

(日本の活火山111)

http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/katsukazan_toha/katsukazan_toha.html

活火山と地震との関係を調べるべく、プレートの状況を調べると、上記の火山帯とほぼ同じ曲線を描いている。

(日本周辺のプレートと地震分布図)

https://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/jishin/about_eq.html

プレートの沈み込みがマグマの活動を活発にさせていることが分かった。

(プレートに平行した火山分布の理由)

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/2-4.html

地球も、生きているのだ。

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