かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

おとめ座のスピカをみて南十字座を探した季節をなつかしむ

2023-12-09 10:48:20 | 日記

2023年12月9日・朝5時、仙台の東南東の空に上からおとめ座の1等星スピカ、新月前二十六夜の細い月、そして-4.2の明るい惑星金星(ヴィーナス)が矢のように斜め並んでいる。

お月様の地球照が現れて美しい。

スピカといえば、石垣島滞在時には夏の宵と真冬の未明に水平線に現れる南十字座を探し当てる手がかりとなる一等星だった。

スピカのやや斜め下方向に目をやると全天で一番小さな星座だという南十字座が姿を現す。真冬ならば、空が明るくなる前に観察できるのだが、すっかり姿を現すのは12月末から2月半ばころまでだったか。

国立天文台の「今日のほしぞら」によれば、本日は朝6時にやっとベータ星の「ミモザ」が現れている程度だから半身を現しているが、今月末には全身を現すのだろう。ただし、南西諸島の真冬は曇り空が多いので、なかなか観察に苦労するのだが。

今朝は暖かいといっても師走の北緯38度線の戸外はとても寒いので、10分もしないうちに室内に避難。(軟弱)

真冬といっても全然寒さを感じなかった北緯24度の南西諸島が懐かしい。未明に目覚めて空が晴れていれば、三脚担いで海岸に降りていた季節が懐かしすぎる。

 

 

   

    金星・お月様・スピカ

   ニコンF750 絞りF2.8、感度ISO400・シャッター速度2秒

 

   

    金星・お月様・スピカ  ニコンコンデジP950のお月様モード(自動)

 

   

    お月様とスピカ     ニコンのコンデジP950のお月様モード(自動)

 

 

 

 

 

 

   SkyView   

    国立天文台「今日のほしぞら」2023/12/09 6:00ころ 石垣島  南十字のミモザ現れる

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12月8日の月

2023-12-08 19:51:24 | 日記

夜明け前の空に茜色の雲が漂っている。その上方に心細そうな二十五夜の月。今日12月8日は太平洋戦争(あの大戦は、まだ正式な名称が定まっていないとのことであるが)のパールハーバー奇襲(国際法違反か?)から82年目になるとか。テレビはほとんど放送しないし、新聞の見出しにもなかったが、かろうじてコラム「天声人語」で知った。

それだけ戦争の記憶は風化しているということなのだろうが、オスプレイの原因不明の墜落事故があったばかりなのに、わが国の為政者が同機の飛行停止を米国に要求しなかった事実は、いまだ敗戦を引きずっているといえよう。あわせて当時の為政者と同じく、為政者が国民の人命財産を第一に考えていないことは、82年前のままなのだろう。

 

12月8日の「大本営発表」は、記憶というよりも朝ドラに何度も教えられ、大事な青年が何度も戦で命を落とし涙を誘った。最近では「カムカム」の「雉島稔」さん、「ブギウギ」では「花田六郎」が大空に逝った。

わが国の為政者が日本国民たる兵士の人命を顧みないことは、映画「ゴジラ-0.1」や同じ監督の「アルキメデスの大戦」で思い知らされた。

 

82年前の未明、西太平洋の空母から飛び立った真珠湾攻撃に向かう青年たちも、あの日、茜雲の雲と細々とした月を眼にしたのだろうか。その月は美しかったのか。

 

     

 

     

 

     

 

明日の未明は、二十六夜のお月様が、おとめ座の「スピカ」と金星に接近するのだという。起きられるか。BS日テレ「深層NEWS」の「裏金疑惑」放送にため息をつきながら、今宵は早く寝よう。

 

 

 

 

 

 

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串田孫一さんの「音の絵本」を残していてくれたひとに感謝します

2023-12-07 12:00:53 | 日記

先日のNHKラジオ「石丸謙二郎の山カフェ」にゲストで出ておられた山岳図書編集者神長幹雄さんのお話から、ひさしぶりに「ク・シ・ダ・マ・ゴ・イ・チ(串田孫一)」の名を聞いた。

登山家・文学者・哲学者・詩人・随想家・山岳誌「アルプ」の創設者であり主幹・・あまりに広大で奥深くこの世界を見つめたひとであるので、いわば「近寄りがたい存在」であり、あまり熱心な読者とは言えなかったが、それでも学生時代に山に登っていた頃、本屋さんで、薄っぺらだけれども滋味豊かな「アルプ」を不定期に買い求めては読んでいた記憶があり、その中に串田さんの高邁な文章も必ず入ってのだろう。

東京から離れる時、ほとんどの書物を処分したからだろうか、もう我が家には一冊の「アルプ」も残っていないので串田さんがどんな文章を書いていたのか忘れてしまったが、彼の文章を読むたびに感じた自然に関する凛とした研ぎ澄まされた感覚だけは残っていた。

 

      

神長さんが串田さんのことを思い出させてくれたので、串田さんが2005年に亡くなってから3年後に出版されたという「アルプ 特集串田孫一 ALP 0 2007-7」(山と渓谷社)というあの当時の「アルプ」と同じような表紙(串田さんのカットだった)だがずっと厚い350頁ほどの本を図書館から借りてきて読み始めた。串田さんの文章も少し入っていて懐かしく読ませていただいている。

 

その本の序は詩人田中清光さんの「串田孫一さんの宇宙(コスモス)を歩く」と題されたエッセイだが、彼の記述から「山の絵本」というFM東京(いまのDateFM)の番組のことを思い出した。これはバロック音楽を中心としたクラシック音楽と串田さんご本人による詩の朗読やトークだけの30分ほどの番組であり。たしか日曜日の朝7時30分から流れていた。

その番組も若かりし頃、とくに北海道や青森で働いていた頃に不定期だが山に行く車のカーラジオや家で朝ご飯を食べながら聴いていた記憶がある。田中さんの記述で分かったのだが、この「山の絵本」という番組は、なんと1965年から1994年までの30年間に1500回も休まずに放送されたとのことである。

オイラの聴いた「山の絵本」は、1500分の50にも満たないのかもしれない。たしか北海道でも青森でも仙台でも民放のFMでは流れたいたから東京から離れても聴いていたが、毎回熱心にエアーチェックするというヤカラではなかったので、高い山の1合目付近を歩いている程度のリスナーだったのだろう。

それでもあの串田さんの落ち着いた声とバロック音楽はすこし記憶に残っていて、どうしようもないなつかしさに駆られた。「ああもう一度聞いてみたいな、そして、あの時のようなくつろいだ日曜の朝に戻りたいな・・」との思いに駆られた。

それで、今日たまたま、ためしにYoutubをアップして「串田孫一・山の絵本」と検索してみたら・・・・・

「あった・・・・!」

Mitchio Mochizuki さんというかたがいくつかの「山の絵本」をアップしていてくれた。ああなつかしいヴィバルディのラルゴの出だしと串田さんのお声。まるでチェロかヴィオラのような音色で森の樹木がささやいているような串田さんの冷静沈着なお声だ。音楽は、バロックだけではなかったんだ。

 

貴重な音源を提供してくださったMitchio Mochizuki に感謝しながら、ボォーットしながら、しばらく聞き流していた。

この番組のような音楽を聴きながら老境に入られたころの串田さんが何を考えていたのか、また著作を読んでいこうと思った。

串田孫一さん。1915年(大正4年)11月23日生まれ、2005年(平成17年)7月8日、自宅で老衰のため永眠。89歳。

串田さんほど生きられるだろうかと考えたが、あの方のような深い思索がないかぎり、とてもまともに生きていられないだろう直感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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みゆきさんのキーホルダー見つかる

2023-12-01 19:17:12 | 日記

10日ほど前に青葉山を歩いて来て、午後家に着いた時、家のドアを開けようとしたら、いつも入れているザックのポケットにそのカギが見当たらなかった。

ザックや衣類のポケットをくまなく探したが見当たらないので、青葉山に出かけた際にたどった道路、バス、山道のどこかで落としたに違いない。どこで落としたか分からないので、探しようがないものとあきらめた。あるいは山道のどこかであればどこかに雨ざらしで落ちているのかもしれないし、バスや一般道路であれば誰かが拾って拾得物センターや警察にとどけでがあるかもしれないと思ったが、落とし物の検索をかけても該当はなかった。

よって、紛失したものとあきらめて、家にあった原本キーをもとに合鍵をつくった。ディンプルなので3000円もかかったのが残念といえば残念だったが、それ以上に悔いが残ったのは、キーホルダーが2020年2月26日に大阪で開催されたみゆきさん最後の全国ツアーの会場で買い求めたオリジナルキーホルダーだったからだ。

あれから4年近く、ホルダーの真っ赤な皮が手垢のしみるほど愛用してきたキーホルダーだったので、まことに残念無念だった。

 

ところがである、今日しばらくぶりに青葉山にでかけ、そのキーホルダーをなくした日と同じルートに踏み込むや否や、遊歩道の真ん中に設けられたアズマヤにそのなくしたカギがみゆきさんのキーホルダーとともに(あたりまえだが)置いてあったではないか。

アズマヤのテーブル上に何やら目立ちやすいように鉄板がおいてあり、キーホルダーはその上にちょこんと置かれていた。きっと、近くで拾った親切なお方が、「この鍵の落とし主は、きっとたどったみちを戻って探しに来るだろうから、ここにめだつようにおいておこう。」と考えたのだろう。

山道で拾った拾得物は、財産上の価値がないものであれば、その近くに目立つように置いておくのが、警察などに届けるよりいいのだろう。手垢に塗れたキーホルダーと鍵なんて縁のないヒトにはまったく無価値な財物なんだろう。(数年前古いカシオのプロトレックを紛失した際に、近くの避難小屋の吊り金具に誰かがかけててくれたおかげで発見できたのと同じ思考回路だ。)

どこのどなたかわからないが、「みゆきさんを返してくれた」のであり、感謝してもしたりないくらいだ。このブログを読むことはないのだろうが、「ありがとうございました。」

うれしくて思わず周囲の木々をぐるりと眺めた。なにやら神さびた気配がした。

寒い日だったが、12月1日、幸先よし。ずうっと恵まれないオイラにも、なにやら吉祥の風が吹いたのかしら。寒くても、山に通おう。そして、その名前も知らない拾得者のお方のようなふるまいに努めよう。

 

 

    

 もうこの「みゆきさんキーホルダー」と原本の鍵は家で大事にしまっておこうと決めた。

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