
中世鰐口展をおこなって・・・じつは、その前までは手書きで鰐口の「鰐」も書けませんでした。今回のことで、「鰐」を何度書いたか分かりませんが、今はすらすらと書くことができるようになりました。これだけでも今回‘鰐口展’を行った成果の一つになると思います。
人吉新聞にも寄稿することもできました。いまの段階で自分の中でまとめることもできました。せっかくの機会なので(人吉球磨の中世鰐口)というタイトルでまとめたものを冊子化しようとも思っています。(どうなることやら)
その続編を手掛けています。お堂巡りをして鰐口の存在と確認をしています。中世の鰐口の存在と近世(江戸時代以降)のものを調査していきたいと思っています。
① 市町村史等で鰐口存在の確認 ② 実際にお堂等に出かけて鰐口調査 をはじめています。18日は(下戸越阿弥陀堂)、今日は(永田観音堂)と(清水観音堂)・・3つのお堂とも江戸時代の鰐口が掛けてありました。文化13年(1816年)と文化14年(1817年)のは形状がたいへん似通っていました。もうひとつは無銘と思いましたが帰って写真を見たら何か書いてありました。もう一度見にいきたいと思います。(やり直しです)
もう少しの間、鰐口を追いかけてみたいと思っています。
今日の天気(
