ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2024-8-5(月)、弟の通夜 ☁時々☀

2024年08月06日 05時30分03秒 | 兄妹
室温は、
今日は少し曇り空が望み、気温も少し下がった1日であった。

朝、バスで富吉に行き、電車で名古屋駅に行き、早めに快速に乗り、大垣、米原で乗り継いで、2時間掛かって長岡京に到着。

姪が迎えに来てくれて、取りあえず自宅マンションに到着すると、弟の家族が皆集まっていた。

弟が子供の頃の昔懐かしい写真を見ながら、幼い頃のヤンチャな弟の姿を思い出す。

15時過ぎに式場に行くと、もう式場の用意がされていて、花に囲まれて弟の写真が入ると、優しいおじいさんの顔が映し出された。

弟が好きだった味噌煮込みうどんを名古屋で買ってきたので、ビール、タバコ、コーヒー、好きな海老せんべいをお供えしました。

持ってきた写真に孫達が作った折り紙を並べました。

18時に家族だけのエレクトーロンの音楽葬が始まると、弟たちが孫達とシッカリと遊んだ姿が思い出されたのか、孫達も全員が涙が溢れて、弟を偲んだ音楽葬になりました。

弟が好きだった「吾亦紅」「イマジン」「また君に恋してる」「乾杯」などが演奏され、最後に「川の流れに」が演奏されるまで思い出は尽きませんでした。

しばらくすると、豊田の甥が参列して、通夜式は終わりました。

お寿司の会食が並び、甥の父親の想いが溢れて挨拶で、会食が始まり、小さな頃に弟に遊んでもらった話がつきません。

好きなお酒も供えて、今頃一緒に飲んでいるかもね。

我が息子たちも焼香にやって来て、ゲームを教えてもらったこと、自転車で京都に来ると5千円やると言われて、小5と中2の兄弟で、自転車で鈴鹿峠を越えて行ったことなど思い出話に、会場の写真からじっと嬉しそうに見ているようです。

自分中心の弟だったけれど、甥や孫達のサングラスの姿は憧れの的でカッコ良かったのでしょう。

写真を見ながら、笑いのある思い出話に花が咲きました。

弟よ甥達に、孫達に思い出をたくさん残してくれてありがとう。

タバコに酒に溺れて、71年のちょっと早い人生だったけれど、本人は好きなことをやって、甥や孫達に愛されて、満足して旅立ったのでしょう。

大好きだったおじさん、大好きだったおじいちゃんありがとう!

今頃母や夫と出会い、お前ちょっと早すぎないか、もっと外界で楽しんでこいと言われているかもしれませんね。

今日の万歩計は、4,513歩でした。




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2024-8-3(土)、弟の告別式決定 ☀

2024年08月04日 03時49分59秒 | 兄妹
室温は、31.2度(5:30)。

朝から31度では、蒸し暑くとても散歩に出掛けられない位の気温であった。

エアコンを一晩中入れないと眠れない!

家の掃除や洗濯をして、家事をしていたら、義妹から連絡からあって、弟の通夜、告別式の日程と会場の案内がラインで送られてきた。

直ぐに兄や弟、息子たちにラインで送って、兄や弟は告別式に行き、私と息子たちは通夜に行くことになり、私は式場で一晩泊まって告別式に出ることになった。

そして、義妹からの連絡では、警察から検視の結果、弟の死因は、虚血性心筋症ということで、心不全という形で亡くなっていたとのことで、
苦しんで玄関まで来て息絶えたのでしょうか。

弟の人生を思い返すと、涙が出てきます。

でも、最後は息子たちや孫達と穏やかな生活を過ごすことができたことは、幸せだったかもしれません。

弟の冥福を祈るばかりです。

直ぐ下の豊田の弟も健診の結果心臓に欠陥があり、今月末に手術をすることになったと、聞いてビックリ。

母の最後も心不全だったが、我が家の血統は心臓の病気と切っても切れない関係に合ったことを思い知らされました。

私は今のところ特定健診では異常もなく、健康であるが、詳しい検査を一度して貰うほうがいいかもしれないかな。

でも異常もないのに医者に行くのも嫌だなあ何て考え込んでしまった。

今日も友人たちとランチ

とても暑いので、近くの「みるく」で友人たちとランチしました。

オムレツがメインのランチで、私はそぼろのオムレツで友人たちは明太子オムレツに、サラダがついて、コーヒーと手作りケーキが付いて、650円のとてもお値打ちなランチでした。

友人が老人福祉センターで温泉に入るというので、センターで新聞や本をマッサージ機で読んでいたら、いつの間にか眠ってしまった。

今日は佐屋地区の盆踊りがあるけれど、夕方も暑くてとても行けそうにもなかったので、友人に行けないとの連絡をすると、がっかりしていた。

散歩に出るが、生暖かい風が吹いて、蒸し暑い夜であったが、日が落ちると夕焼けがとても綺麗だった。


今日の万歩計は、5,245歩でした。







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2024-8-2(金)、弟の死 ☀

2024年08月03日 04時56分51秒 | 兄妹
室温は、30.1(7:00)。
今日も1日中猛暑日。
朝からこんなにも暑いと何処にも出掛けられない。

朝方、大山崎の弟の嫁から「弟が亡くなった」と電話が入ってビックリ。

一緒に大山崎に行ったが、30日に孫の世話のために一人息子の家に帰って、弟一人で大山崎に残り、昼間は携帯にも出たが、夜になって携帯が繋がらなくなって、心配して1日に甥と一緒に大山崎に行くと、玄関で倒れて亡くなっていたとのこと。

警察の検死のために5日しか遺体が戻ってこないので、それから葬式のことを決めたいとのことでした。

直ぐに兄に連絡したが、携帯を忘れて出掛けてしまったというので、姉に弟の死を連絡するとビックリ。

豊田の弟の嫁にも連絡して、誰もが弟の突然の死に驚いていた。

今は弟の遺体が戻ってこないので、どうにもならないので義妹から連絡があるのを待つしか仕方がない。

昨年姉が亡くなったときにも連絡したが、体調が悪くて来れなかったし、今年に入ってからも私が甥の所に行くと、連絡したが、断られてしまって会えなかった。

しばらく弟に会っていないのが悔やまれて仕方がない。

こんな突然の兄弟の別れがあるものですね。

やはり弟も71歳になり、2〜3年前から肺気腫にかかり、体調を悪くしていたが、何とかウォーキングに心がけていると言っていた。

父と夫が肺気腫で亡くなっているので、タバコを止めるように言っているが、止められなかったようである。

お酒もタバコも止められなかったようなので、随分体を壊していたようですが、突然の弟の死はショックでした。

麻雀仲間の食事会

11時頃麻雀仲間で車に迎えに来てもらって、蟹江の「元海」に食事会に出掛ける。

日替わりランチを頼むと、刺し身もついた豪華なランチをお腹一杯になる。

老人福祉センターに戻って、麻雀をすることになって、1時間一人勝ちでなかなか親も変わらなかった。

もう少しで上がりそうで上がらなかった。

今日は弟の死が堪えて、とても何をやっても、調子が出ない。

夕方、兄から驚いて電話が入るが、兄も6月から大腸の調子が悪く、医者通いであったが、体調も良くなって、久しぶりに近くの公園に出かけていたようである。

免許も更新してまだ車に乗るつもりでいるが、警察官に「次は免許は返納してください」といわれたようである。

88歳の兄が健在なのに、71歳の弟の旅立ちは早すぎて、悔やまれて仕方がない。

今日一日は弟の死で頭がいっぱいである。

去年12月に姉が亡くなり、8ヶ月後には弟が亡くなる何て、一人一人兄弟が欠けていくのは淋しいものですね。

今日の万歩計は、5,271歩でした。





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2024-2-18(日)、母の命日にお参り ☁️のち🌂

2024年02月19日 05時57分59秒 | 兄妹
室温は、13.2度(6:00)。
曇り空で時々パラパラと雨が降る日であったが、意外に暖かい1日となった。

9時に「道楽の郷」でイチゴを買って、そのまま自転車で永和駅に向かい、母の命日の1週間遅れでお参りに豊田に向かいました。

永和駅9:49の電車で向かい、八田で地下鉄に乗り換え、伏見で豊田行き10:25に乗り、11:13に豊田に到着。

弟が駅のローターリーに迎えに来てくれました。

初めて電車での豊田行きであったが、1時間20分程で到着しました。

車で来るよりも早く到着しました。

まず、仏壇にお参りをして、母が亡くなって、早いもので8年になりました。

母の最後の20年間は弟家族と過ごしました。

母がいつも言っていましたが、O型の娘や嫁と一緒に住む定めのようだ。

お互いに血液型の違いか性格の違いか、良く意見が合わなくて喧嘩したものです。

でも母も義妹も愚痴を私に殆んど言わなかったことが、20年一緒に暮らせた秘訣のだとつくづく思います。

丁度お昼になったので、野菜たっぷりの蕎麦をご馳走してくれました。

偶々弟も休みで一緒に、食事をしながら、弟はピアノの調律をしている人で、退職した高齢者の人対象に100人位の人にピアノを無料で教えていて、毎日忙しく過ごしているようです。

年に一度ピアノ演奏会をとても楽しみにピアノ練習に励んでいるようです。

88歳でビアノに初めて挑戦する高齢者もいるようです。

義妹は、毎週野菜の朝市を駐車場で行うための野菜作りを楽しんでいます。

しかし、義妹は足を痛めて歩けないのが、何だか心配です。

22年も長生きをしている飼い猫のハナは、小顔の黒のトラ猫で、腰が曲がったようにヒョコヒョコと歩く姿がとても可愛い。

昨年はもう動けなくてダメなのかと思ったら、水を飲ませると生き返ったように少しづつ元気になってきたとのこと。

庭にピンクの枝下梅が満開。メジロやヒヨドリが花の蜜を啄みに来ていました。

直ぐ隣の家に中1の孫息子と小4年の孫娘と息子夫婦がいるので、集まればとても賑やかな様子である。

義妹はスマホで無料のコミックを読み、弟はゲームを楽しんでいるようです。

毎年子供達とお盆にお墓参りの序でに母の誕生日8月15日にお参りにくるが、去年はお参りにくることができなかったが、今年はみんなで来れるといいなあ。

3月には滋賀県の日野町の末っ子の弟の家に行こうかな。

兄弟の中で一番元気な私が兄弟に会いに行ける身軽な身分だから。

帰りの電車の中で、向かいの親子連れの2歳位の子どもがチラチラと私の方を見ては、恥ずかしそうに顔を隠すのを電車を降りるまで楽しんでいました。

帰りはあっという間に帰ってきました。

毎日がボケボケ生活

今日は今まで何処に失くしたのか探していた小さなお茶入れのポットが自転車の中から出てきました。

ボケボケ生活もこんな嬉しいこともあるものですね。

今日の万歩計は、6,095歩でした。
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2024-1-23(火)、姉の49日 🌞

2024年01月24日 07時33分02秒 | 兄妹
室温は、8.2度(7:00)。
今日は姉の49日で、早めに母の着物の着付けをして、着付けの先生に来て貰い、母のお経を織り込んである帯を2重太鼓に結んで貰い、車で永和駅まで送って頂きました。

9時19分で名古屋まで行き、中央線に乗り換えて、鶴舞で地下鉄で荒畑まで行き、弟に迎えに来て貰って、昭和区の西福寺まで送って貰いました。

西福寺は村雲幼稚園を併設されており、甥や姪も通園していた幼稚園でした。

1200年前のお寺であったが、本堂は明治12年に建立されたもので、彫り物にも金箔が張られて、立派なお寺でした。

寒い日であったが、本堂にはしっかりと暖房され、椅子でお参りが出来るのは、高齢者に優しいお寺であった。

お茶と上用饅頭の餡がとても美味しく2つも食べてしまいました。

11時になると、住職お話では49日法要は満仲陰法要ともいい、亡くなってあの世に行かれた故人が無事に極楽浄土へ行けることを祈って執り行う「追善供養(ついぜんくよう)」を行うことだそうです。

住職のお話は通夜の時から、心に残るお話で、お経はとてもいい声でゆっくりと行ってくれるので心が穏やかになります。

お経の間に甥から順番にお焼香を行い、姪の孫達もキチンとお参りをしていました。

休憩を挟んで、お経が終わったのは12時過ぎでした。

バスに乗り、堀田通りの「木曽路」での食事でした。

会席のフルコースで、霜降のしゃぶしゃぶはとても柔らかくて美味しかった。


姉の影膳も写真と共に出された配慮に感動しました。

余りアルコール飲む人はないけれど、姉のお陰で兄妹4人が久し振りにゆっくりと食事をすることができました。

長男は88歳、亡くなった長女は81歳、次女は78歳、私は77歳、次男は75歳、次男の嫁は70歳、末っ子の3男は71歳、兄妹全員70歳以上になりました。

お互いに写真を取り、LINEで送りあったりして、来年の1周忌にも元気で合いましょうと別れました。

義兄は18日の鶴舞近くの施設に入所して、落ち込んでいるようであるが、早く施設生活に慣れて、元気になってくれるのを祈るだけです。

今日の万歩計は、4,449歩でした





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