朝方4時に深夜便で、「日本最後の帰還兵深谷義治とその家族」の著者深谷敏雄さんが出演して父親の深谷義治さんの人生を語ってくれました。
今年は終戦70年。戦争を知る世代は年々少なくなって、その言葉に触れる機会も減っていく。長い間埋もれたままになっていた歴史に光を当てる貴重な証言のひとつです。
著者の深谷敏雄さん(66)の父、義治(よしはる)さん(99)は、終戦後の中国で極秘任務を続けた「最後のスパイ」だった。
義治さんは戦時中に中国人の奥さんと結婚し、中国人として潜伏していた。「子供の頃、私は自分を中国人だと思っていた。父が逮捕されたとき、母が『父は日本人』と明かした。それからは貧しいうえに『鬼の子』だといつも差別されてきました。
上海に潜伏していた1958年に逮捕されてから約20年間、拷問や虐待を受ける獄中生活に耐え、78年に特赦により帰国。
しかし、苦難は終わらなかった-。
やっと日本に帰ってきても、父の祖国なら、こんな差別は受けないのだろうと思っていましたが、軍人恩給ももらえず、帰国中国人として見られ、大変な生活苦の中で、「父は命を懸けてこの国の名誉を守ってきた日本の侍です。戦争の犠牲者の一人。10年前に父が倒れて以来、無念をはらすことが私の使命だと思って、娘と一緒に6年間かけて、父親の人生を本にしました」
戦後70年になっても、まだまだたくさんの戦争を引きずっている家族がいること。絶対に2度と戦争する国にしてはならないとおもいました。戦争の恐ろしさを、怖さを、愚かさを、何十年たっても後世に引き継いでいくことが大切だということを肝を銘じました。
朝起きは三文の得といいますが、それを感じた朝でした。
今日の万歩計は、7,205歩でした。
今年は終戦70年。戦争を知る世代は年々少なくなって、その言葉に触れる機会も減っていく。長い間埋もれたままになっていた歴史に光を当てる貴重な証言のひとつです。
著者の深谷敏雄さん(66)の父、義治(よしはる)さん(99)は、終戦後の中国で極秘任務を続けた「最後のスパイ」だった。
義治さんは戦時中に中国人の奥さんと結婚し、中国人として潜伏していた。「子供の頃、私は自分を中国人だと思っていた。父が逮捕されたとき、母が『父は日本人』と明かした。それからは貧しいうえに『鬼の子』だといつも差別されてきました。
上海に潜伏していた1958年に逮捕されてから約20年間、拷問や虐待を受ける獄中生活に耐え、78年に特赦により帰国。
しかし、苦難は終わらなかった-。
やっと日本に帰ってきても、父の祖国なら、こんな差別は受けないのだろうと思っていましたが、軍人恩給ももらえず、帰国中国人として見られ、大変な生活苦の中で、「父は命を懸けてこの国の名誉を守ってきた日本の侍です。戦争の犠牲者の一人。10年前に父が倒れて以来、無念をはらすことが私の使命だと思って、娘と一緒に6年間かけて、父親の人生を本にしました」
戦後70年になっても、まだまだたくさんの戦争を引きずっている家族がいること。絶対に2度と戦争する国にしてはならないとおもいました。戦争の恐ろしさを、怖さを、愚かさを、何十年たっても後世に引き継いでいくことが大切だということを肝を銘じました。
朝起きは三文の得といいますが、それを感じた朝でした。
今日の万歩計は、7,205歩でした。