室温は、12.7度(7:00)。

生垣の真っ赤なアカメが芽吹いて、サクラのピンクとのコントラストが素敵だった。
なかなか花見に遠出することは難しいが、結構近場のサクラで十分楽しませてくれました。

今はLINEなどで写真を送りあったり出来るようになってとても便利になり、アッチコッチのサクラ簡単に見られるようになりましたね。

昨日の冷たい風の成果か、今朝はグーんと冷え込んで寒い朝だった。
3月に亡くなった友人の家にお参りにいくと、息子さんがピンクの折りたたみのテーブルとアイロン台を若い男の人には要らないようで、ゴミ袋に入れてゴミに出そうとしていたので、頼んで貰ってきた。
午前中は、蟹江のヨシヅヤに行き、買い物をしてくると、すぐ近くの川沿いにサクラが満開で、昨日の風で川面に花筏がとても綺麗だった。

生垣の真っ赤なアカメが芽吹いて、サクラのピンクとのコントラストが素敵だった。

なかなか花見に遠出することは難しいが、結構近場のサクラで十分楽しませてくれました。
友人からも天王公園の桜もラインで送られてきた。

今はLINEなどで写真を送りあったり出来るようになってとても便利になり、アッチコッチのサクラ簡単に見られるようになりましたね。
やっと西條奈加さんの「銀杏手ならい」を読み上げる。

「銀杏堂」の一人娘の萌は、嫁入りしたが、3年経っても子どもに恵まれないということで離縁されて、実家の父親が隠居して旅立ったのを機に父親の代わりに「銀杏堂」の手習いを母親と一緒に手伝うことになる。
10歳の悪ガキども相手に手を焼いていると、母の美津が助け舟を出して、悪ガキ共も大人しくなる。
美津が武家の出で、礼儀作法にはひときわうるさく、小言となると誠に辛辣でやかましいと悪ガキも承知をしていた。
父の嶋村承仙は、生糸問屋を営む裕福な商家の次男として生まれ、18歳の時に江戸に出て、高名な学者の門を叩いて、学問三昧の日々を送り、美津とともに「銀杏堂」を開く。
御家人や町人の子ども達が集まってきているが、父親が居なくなって他の手習い所に変わる子ども達もいたが、どうしても困ったときには、同じ手ならい所を開いている近くの飲んべえの椎葉哲ニが時々悪ガキを懲らしめてくれるので大いに助かっていた。
ある日、「銀杏堂」の前に赤ん坊が捨てられて、近くの女房に乳を貰い、手伝って貰いながら、萌が育てることになった。
萌も同じように捨て子で美津が育てた娘であった。
子ども達と色んな事件が起こるが、逞しく寺子屋を切り盛りする萌の姿が面白くていつの間にか読み上げる。
今日の万歩計は、14,840歩でした。