いつものように車いすでコンビニモーニングをして、8時過ぎに帰ってくると、ソファに座って、しばらくすると、痰がつまったのか、痰を出そうとしているので、
ウエットティシュで口の奥まで手を入れて取ると、結構透明なねばねばしたものが取れてくる。
少し楽になったようだが、なんだか苦しそうである。顔が蒼白になり、手も冷たくなって、病院に連れて行こうと、海南病院の呼吸器内科に電話すると、
「お母さんの判断で、救急車で連れて行った方がいいと思えばそうしてください」ということだった。
9時ごろ、すぐに消防署に電話すると、「今救急車がみんな出ているので、蟹江の消防署から救急車がいきます」と返事。
診察券など用意していると、まず愛西市の消防車で4人の救急隊が来て、夫の救急対応をしてくれ、蟹江の救急車が来ると、3人の隊員が入ってきて、
愛西市の隊員とパッパッと状態連絡をすると、4人で救急車に乗せてくれて、すぐに海南病院運んでくれた。
救急外来ですぐに治療が始まり、私は待合室待たされ、1時間すると、担当医師から、夫が深刻な状態だったことを聞く。
「今ご主人は危篤状態です。合せたい人があれば、合わせてください。
COPD急性増悪、Ⅱ型呼吸不全という状況で、二酸化炭素が貯まり、麻酔作用で呼吸が弱い状態で、
本来二酸化炭素量は40ぐらいですが、元々60~70と高めだったのが間は110となって、身体が酸性状態になっています。
これから陽圧換気、抗生剤、ステロイド治療を行っていきます」と先生がメモをしながら、説明をしてくれました。
レントゲンを見がら「勝一さんはほとんど肺の機能が壊れている状態でよくここまで頑張りましたね」と言ってくれた。
夫がこんな深刻な状態なんて少しも考えていなかった。
7月27日の診察で、2.5の酸素量では酸素量も炭酸ガス量も多すぎるので、酸素量を1にして全体に増やさないようにしてくださいと言われて、
ズ~と酸素量を1にして、少し夫が体調を取り戻してきたと思っていた。
先生には沖縄へは飛行機は無理だが、船があるし、近場では伊勢なんかいいのではないかと言われていたので、
24、25日に伊勢の「日本一のふるさと村」に行く計画していたのに、転んでしまい、中止したばかりなのに。
なんでこうなるの。
すぐ11時49分に長男にメールをして、兄弟に連絡を取ってもらう。(家族ラインで連絡してくれる)
救急外来に入って、夫の様子を見ると、少し意識が戻ってきたようで、「お父さん!」声をかけると、頷いてくれた。
入院手続きに何枚の書類を書いて、延命治療は行わないように頼む。
救急病棟の集中治療で、機械に囲まれた中で、時々苦しそうにうめきながら頑張っている。
「みんなが来るまで頑張って!中国に出張の次男が車でがんばれと励ましながら」夫の手を握りしめると、
「わかった」というように、手を握り返してくれた。
娘が14時15分に涙で目が真っ赤になってやっと来てくれた。すぐの手を握りしめると「よう来てくれた」といっているように「握り返してくれた」と喜んでいる娘である。
モニターの数値が酸素量96を超えると、救急車のようにピポ、ピポとなる。
しばらくして、「酸素量が高すぎますので下げます」と酸素量を下げるくれると、夫も落ち着いてくれた。
まだまだ一進一退で相変わらず苦しそうである。
手を握りしめながら、どうしてもモニターに目が行ってしまう。
夕方友人夫婦が見舞いに来てくれた。1ヶ月前に肺の病気で弟さんを亡くしたばかりで、「弟もこんな状態で4日間頑張った」
娘と交代で食事をして、連絡できるところに連絡する。
7時過ぎに長男家族が来てくれた。
夫の状態に驚いて言葉もないようだった。孫娘が手を握って、「じいちゃん じいちゃん」と声をかけると、
「手をピクピクしていた」心配そうにしていた。
主治医が様子を見に来てくれて、「勝一さんは今までよく頑張った。いつかこういう日が来ると思っていたが、とうとう来た。
今まで入院したことがないんだー(肺気腫で診察してもらってから10年間)100歳の肺だから限界かもしれない」と話してくれた。
月1度の診察に風邪をひかないように」いつも言ってくれたが、10年間風邪らしい風邪をひいたことがない。
夫も私も風邪をひかせないように気を付けてもいたからだろうか。
8時前に豊田の弟たちが3人で来てくれた。顔をのぞいていると「面会時間終了しました」と言われて、
家族控室で、くわしく話しをして、「いつも母の時に来てもらったので」と言って来てくれた。
うれしくって涙がにじむ。
家族も付き添いができないというので、娘と家に帰るが、涙が出てとても眠れない。
夫が頑張っていると思えば、泣き言は言えない。
今日の万歩計は、7,403歩でした。