3つめのボケは、なんだか忘れてしまった‼️
12月22日、着つけ班会。着物を着て、大須観音でも行きましょうかと予定していたが、先生がなかなか来ない、電話しても通じないが、やっと通じると、時間を間違えていたということである。まあ珠にはこんなこともあるわいと、あわてて飛んできてくれたけど、来年にゆっくりいくことになる。もう名古屋帯の結び方を忘れてしまっている。もう一度しっかり覚えなくてはいけないね。二人で久しぶりに十四山の「ほっとハウス」にいき、着物を店に行く。障害者の人が「ワアーきれい」とうれしそうに見つめてくれる。いつもの違う格好で行くと、私にもうれしそうに声をかけてくれる。
昼食用にパンを買って帰ると、夫が「ずいぶん早いんだな」と驚いていた。午後からは、写経をして心を落ち着かせようとするが、いま生死をさまよっている彼の顔を思い出すたびに涙が流れてくる。人生ってわからないものですね。先日東北で瀬戸内寂聴さんが被災地を訪問して「人生は定められているんです。その人の生死を止めることはできない。生きている人がその人の分まで元気に生きていくことが供養になる。神や仏は目に見えない。心の中に生きているんです」そんなようなことをいっていた。人間つらいこと、悲しいことがあると神仏の頼ることがよくわかるようになりました。友人いわく「宮本さんも悟ってきたんだね」ですって。年のせいかもしれませんね。
今日の万歩計は、8,342歩でした。
朝食が終わって、今日から始まった朝のテレビ小説「カーネーション」を見ていると、夫が「毛布を出してくれ」っていうんです。毛布を出せば、「毛布に包まって、眠ってしまう癖に」と思いながら、知らん顔をしていると上着を取りいき、着込んでいる。私も立ったついでに、毛布を取りに行きました。母と二人が、やっぱり案の定、母はベットで、夫はソファで毛布に包まって横になっている。私が出かけるまで同じ状況です。いっぺんに寒くなったせいでしょうね。
母が我が家に来てから、半月がたちました。豊田では、「いつも食事するときは1人で準備して、1人で好きなものを食べている。何にもないときは、コンビニで5個入って250円のお寿司を買って食べている」と話している。我が家では、毎食夫と母と3人で、昔の事や思いついたことを、何度も繰り返しながら、おしゃべりしながら、食事しているのに、「もう豊田に帰らず、ここで一緒に暮らす?」というと、「私は豊田に人だから帰る」と毎日のように我が家にいるように声をかけても、いつも同じ言葉が返ってくる。
弟と嫁と孫は働きに行き、隣の家に、孫の嫁はいても声をかけるのでもない。どこか食事に行くときは、母に黙って出かけてしまう家族なのに。どうしてそんな家にこだわっているのでしょうか。弟は母にとって長男だから。私は娘で宮本家に嫁ついだから。よそへやった子だから。息子が3人もあるのだから、息子にはそれぞれ1軒家を持たせているのだから、面倒見るのが当たり前。こういった建前で「私は豊田の人」とガンと受け付けない。
私は母も夫にも「1人見るのも、二人見るのも一緒」といっているんだけれど、なかなか母がウンといってくれない。弟には、「どうしても困ったときはいつでも見るからね」といってあるのだが、母が妥協してくれない。頑固というのか。プライドが許さないのか。91歳の母の強さを知る私である。母の頑固さに負けます。
21日は、昨日からの台風15号が大雨とともに、東海地方に上陸するということで、朝から大雨が降ったりやんだりしている。各学校も暴風雨警報が出て、休校になっている。
しかし、午後からは、雨も風も止み始め、台風は静岡県に上陸。おかげで私ども地域は被害もなく、一安心。大雨が降るたんびに、ゼロメートル地帯だけに、とても心配になります。天白の兄や、近江八幡の弟から心配の電話がありました。ここら辺は、日光川が氾濫すると大きな被害になりますが、庄内川は影響はありませんと伝えました。
しかし今回の台風も迷走台風で、多治見市、名古屋市の守山区、春日井市など庄内川流域に88万人の避難勧告が出され、2000年の東海豪雨匹敵する雨量になり、浸水など大きな被害の爪あとを残しました。