29日は、午後から運動推進委員の研修会で「笑い気功エクササイズ」がありました。
最近、笑うことで、免疫力アップ、血圧、脈拍が適正値に、脳の血行がよくなり、痴呆が防げる、血液がサラサラになるなど、笑いの医学的な効果があるといわれています。先生のおしゃるには、「笑いは天から与えられた最高の健康法」だということです。2時間「ワハハ、ホッホホ、ヒッヒヒ、フッフフ、ヘッヘへと笑って最後に、「福笑い音頭」をすると、体中がポッポッポして、とてもさわやかになりました。本当に「笑う門には福来る」ですね。しっかりと覚えてまたみんなとやりたいなあ。ワッハハ。
28日は、海部水道談合裁判があり、4人で参加。11時の開始時間より、20分前に着いたが、一番乗りであった。今日結審する予定であったが、海部水道幹部職員の「報告書」が、9月5日付けで裁判所に提出されたことで、裁判が継続されることになりました。
幹部職員の「報告書」は、設計単価表を管理していた元建設課長が残したもので、退職後に公開する条件で、原告団弁護士に託していたものです。9月1日に病気のため死亡退職となり、提出されたものです。その主な内容は、単価表が指定工事店協同組合には事務員が着て書き写していた」ということを明らかにしたものです。マスコミ3社(中日、朝日、読売)にも掲載され、大きな話題となっています。今後、裁判も大詰めとなりますが、勇気ある幹部職員無駄にしてはなりません。企業団、組合は談合があったと認め、速やかに解決するよう求めていきたい。
27日、いつものように5時には目が覚め、友達と二人で、早朝散歩にでかけました。ホテルの周辺は宜野湾市の体育館、野球場などのスポーツ関係の建物が多く、歩いていても沖縄ならではの南国の亜熱帯の木々や花がとてもきれいで、一つ一つ写真を取りまくっていた。今日は自由行動で、3人であまり観光地化していない沖縄を見ようということになり、レンタカーに嫁さんの運転で、北のやんばる地域に行く。
まず、今アメリカの基地問題で有名になったジュゴンのいる海辺野古まで足を伸ばしました。ナビでは、うろうろしてしまったが、地元の人に聞くと、親切に教えてくれました。
今も毎日テントを張って、基地を建設反対のおじいやおばあや若い人たちが海を監視しています。話を聞くと、長い歴史を語ると、止まらなくらい必死の訴えに涙が出ます。
また観光バス会社のガイドの新人研修にベテランのガイドさんが新人のガイドさんを数人連れて、辺野古の基地反対の歴史を研修しているののは驚きでした。
フェンスには数え切れないくらいの全国から支援の横断幕が100m.位張られていました。「もう絶対これ以上沖縄には基地を作らせない」という住民の怒りの現れです。沖縄の現状を子どもたちに、孫たちに伝えていかなければならないと決意しました。
国指定天然記念物の慶佐次湾ヒルギ林(マングローブ林)を見て回りました。体は親指くらいで、はさみが体くらい大きなコメツキガ二がとてもかわいく、巣穴から出たり、入ったりしてウジャウジャいました。近くでゴーヤチャンプルを食べて、私だけが飛行機で帰路に着きました。久しぶりの遠出で少々疲れました。
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26日、27日の二日間、CPコスメティクス名古屋営業所のキャンペーンに協力したということで、沖縄旅行のご招待があり、友達とお嫁さんの3人で、6時30分集合で中部空港から沖縄に出発しました。少しお天気が悪く、飛行機が多少揺れたが、何とか無事に那覇空港に到着。まずバスで、首里城見学を1時間ほど行い、5年ぶりにいくと、すっかり見学しやすいように整備されていました。「テンペスト」を読んでいる最中ですので、首里城の琉球王国の栄華を思い描きながら、書院、正殿、北殿を1時間ほどであわただしく見て回る。昼食は那覇の新しい町で3人思い思いのものを頼んで、取り合って食べました。
夕方、それぞれの衣装と化粧で着飾って、表彰ディナーパーティに参加。若い人が多い集まりなので、華やかで、艶やかな雰囲気に圧倒されてしまいました。「きれいの輪を広げよう」と社長の挨拶が印象的でした。食事が待ち遠しくって、一気に食べたという感じでした。もう9時を過ぎると眠くなって、しばらく部屋に行って横になっていた。
戻ってくると今度はロック調の音楽に合わせたダンスパーティの真っ最中。若い人に混じって、しっかり踊ってしまった。夜は疲れてすぐに眠ってしまった。寄る波に歳を感じた夜でした。