日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

教育評論家?

2006年12月09日 | インポート
いじめ問題の対処策として、いじめを行った者を登校停止処分にする案が教育再生会議で議論されていた。

その事に関して、民放テレビで「教育評論家」という肩書きの人が、自分の考えを述べていた。

「そのような事をすると、その事が記録に残り、一生涯そのレッテルを貼られる事になるので、とんでもない事だ。教育的配慮が欠如している。」と。

私に言わせれば、そのような「教育評論家」の考え方こそが、とんでもない間違った考え方だと思える。

教育的配慮は、まずいじめられて悩んでいる子どもに対して向けるべきで、いじめている子どもを擁護するための教育的配慮は、犯罪的行為を容認している事と同列の様に思える。

元々、教育者であったであろう「教育評論家」だと思うが、そのような物事の順序を正しく認識できていない者が、教育の現場で職についていたことの弊害もあるように思える。


簡単な事である。
いじめをする者がいなければ、いじめられる者もいない。
物事の順番として、まず、いじめを行う者がいなければ、いじめ問題は存在しない。
要するに、いじめをしなければ記録にも残らず、いじめを行った者としてのレッテルを貼られることも無い。
レッテルを貼られたくなければ、いじめをしなければ良いだけのことだ。
現にいじめをしている者は、いじめていた者に謝り、即刻いじめをやめれば良い。

結果として、いじめを行っている者を登校停止にするという案は、教育再生会議では見送られたが、私は、本当にいじめを無くすためには必要な事だと考えている。

ただし、いじめられていた事を理由に自殺するなどという事は、愚かで卑怯な事だ。
冬の後には必ず春が巡って来るという事を信じて、辛抱強く生きるべきである。



豊田かずき