日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

魚釣り三昧と畑仕事の夏休み

2015年08月23日 | 日記
土日を挟んで、8月13日から8月18日まで、連続して6日間の夏休みをいただきました。

お盆の墓掃除や墓参り、義父の17回忌の法事など、色々とありましたが、それ以外の日には、孟宗竹林の整備や畑の除草作業や畑作物への水やりなどで汗をかき、残りの日には魚釣り三昧(ざんまい)の日々を過ごさせていただきました。

諌早市高来町境川のヤマメ釣り、諌早市飯盛町結の浜での小魚釣りと、ゆっくりとたっぷりと時間を使い、飽きるほど楽しませていただきました。

また、8月22日にも諌早市飯盛町の結の浜にて、一日中小魚たちに遊んでもらいました。

8月23日の午前中には、少しだけ生え出した雑草を、根から引き抜く作業をして汗をかきました。

お日様の下で汗をかき、乾いたのどに冷たい水を流し込む時の幸福感を堪能できるのも、健康な体と平和な世の中があればこそ。

8月18日の釣果(諌早市飯盛町結の浜にて:画像をクリックすると拡大します)


8月22日の釣果の唐揚げ(諌早市飯盛町結の浜:画像をクリックすると拡大します)



反省というものは、末代まで継続し続けることによって、同じような過ちを繰り返さないことに繋がるはずなのに、そうではないのだとの談話を世界中に向って発信してしまった愚かさ。

だいぶ太り気味で、自己管理ができていないと見受けられる、関連法案所轄の○○大臣。

村山談話や小泉談話で、本来のあるべき日本の姿勢は言い尽くされているのに、あえてくどくどと心に響かない言葉を羅列することによって、過去の過ちを少しでも薄めようとする意図が透けて見えるような内容の談話だったと私は思いました。

徴兵制化への懸念に対して、憲法で「苦役・・・・」とあるから、それは絶対にありえないと、憲法違反の法案を解釈の変更によって通そうとしている人の口から言われたとて、信用するわけには行かない。

18歳以上の人たちは、選挙権も有している大人なのだから、お国のために兵隊となって、命を国家のために捧げる事は苦役には当たらないというように解釈の変更をするであろう事は、目に見えている。

軍人が横暴になり、人としての尊厳など存在しないような、人と人とが殺し合い、破壊をしあう世の中など、想像もしたくは無い。

家族団らんの平穏な日常などが、過去の思い出にならないようにするために、政治家をきちんと選ばなければならない時だと私は思います。



豊田一喜




できるんだ!

2015年07月25日 | 日記
公共的な工事でも、トップの人間の一言で「白紙に戻す」ことができるのだという事を、今の総理大臣は示してくれました。

色々と理由を付けて、後戻りはできないと言い張っていた人たちがおりましたが、さて、その人たちは、今度はどのような弁解をするのでしょうか。

きっと、何事も無かったような顔をして、次の計画に参画するのでしょうね。

狡猾な人たちの集団が。


豊田一喜



8目(もく)釣り

2015年07月18日 | 日記
諌早市飯盛町の結の浜に「アジ子」を釣りに行きました。

結の浜マリンパークからは、海水浴客の楽しそうな声が、防波堤を隔てて聞こえてきます。

結の浜マリンパーク東側の漁港の護岸から、アジ子を釣るつもりでサビキ仕掛けの竿を出しました。

港の中には、かなりの広い範囲で「赤潮」のような物が漂っておりました。

アジ子が3匹釣れてからは、あたりもなくなったので場所を移動して、渓流仕掛けの餌釣りに変えました。

青イソメを0.4号のハリスの釣り針につけて、仕掛けを護岸のヘリに投入すると、すぐにあたりがありましたが、上げる途中でハリスが切断されていました。

クサフグなどの仕業である事は分かるのですが、当たりがあるとつい嬉しくなって、その場所に又仕掛けを投入してしまいます。

同じようなハリスの切断を数回繰り返してから、今度はかなり重たい引きがありました。

水中での慎重なやり取りのあと、水面に姿をあらわしたのは、体長20cm程度の「ハコフグ」でした。

そのまま抜き上げると、0.4号のハリスは切れてしまうので、近くの階段の場所まで引っ張ってから、手でつかんで取り込みました。

テレビではよく見る事がある「ハコフグ」でしたが、釣り上げたのは生まれて初めてでした。

甲羅の様に硬い体表面で、手で持つとずっしりと重みを感じました。

そのあとにも、クロの子が強引に引いてくれたり、キジハタの子が釣れたり、アラカブの子、ベラの子、念仏ダイの子、チダイの子と、合計で8種類の小魚が釣れてくれました。

連休初日の半日間、結構楽しい時間を過ごさせて頂きました。

ハコフグは、身も内臓も無毒だということですが、危機を感じると体表面から、他の魚を死なせる毒を分泌するということをインターネットの情報で知りました。

氷を入れたクーラーボックスの中の融けた水が、白濁していたのでなぜだろうと思っておりましたが、ハコフグが分泌した物だということが、情報検索の結果分かりました。

ハコフグは、無毒だと分かり、五島地方ではご馳走だということも分かりましたが、食するのは止めておきました。

本日の釣果の一部(画像をクリックすると拡大します)


ハコフグのアップ写真(画像をクリックすると拡大します)



豊田一喜






白紙に戻す?

2015年07月17日 | 日記
オリンピックに使うための、分不相応な競技場の計画を白紙に戻すそうな。

今頃そのような事を表明しても、白紙になど戻せる訳が無い。

既にデザイン料として、13億円もの莫大な血税が外国人のデザイナーに支払われているという。

また、工夫して補強増築などしても、充分に競技場としての機能を果たせたはずの国立競技場は既に取り壊され、その工事にも莫大な血税が投入されている。

集団的自衛権を容認する法案を強行採決し、さらにあきれるほど莫大な金額の国立競技場建設計画を進めた。

それらの傲慢な、自分の一族の悲願を達成したいだけの輩の横暴ぶりに対する世論の批判にたじろいで、とりあえず片方は「白紙に戻す」ということにしておけば、愚かな国民のガス抜きにはなるだろうという姑息さが見え見えで、私たち庶民を愚弄している。

「白紙に戻す」といったところで、今までに投入された血税に対しては、誰がどのようにして責任を取るのか?

誰も責任など取りはしない。

取り壊し工事も発注済だし、取り巻きの利権構造構成員集団にはお金をばら撒くことはできたし、とりあえずは「仕切りなおし」ということにして、次のばら撒きの算段を検討しようということだろう。

元々、工夫して使うという方針で臨めば使えるはずの施設を、強権的に取り壊して、新たに莫大な血税を投入して作り直すという計画を、粛々と推し進めるとした経緯そのものが誤りだったと認めるべきである。

集団的自衛権に関しても、「国民の生命財産を護る責務が自分にはある。」などとのたまわっているが、それも同様に、たかだか一時の総理大臣が、国民の生命に対して責任など取れるはずが無い。

国民の生命財産を護りたいのであれば、先輩諸氏が戦後70年をかけて構築されてきた従来通りの外交姿勢を貫くということに尽きる。

何もしないでいてくれる事が、私たち庶民の生命財産を護ることになる。

一国平和主義でいることの何が悪いというのか。

私たちの単位家庭のそれぞれが幸せであれば、その家庭が所属する集落全体も幸せになる。

さらに集落のそれぞれが幸せであれば、その地域全体も幸せになる。

そのような考え方を推し進めて行けば、「日本」という平和主義国家の理念を隣接国家にも波及できれば、日本を取り巻く地域全体も平和になっていく。

国際的な貢献は、国民の血税を提供するということで充分にしているではないか。

まさに「血税」で賄われている国際協力は、血を流していることと等価であるという認識を持っても良いと思う。

国際的な評価とは、どの国からどのようにして評価されたいというのか。

自国が確固たる信念を持って、平和主義を貫いておれば、他国からの評価など意に介することなど不要だと私は思います。

国家を護るためにとか、家族を護るためにとかいう言い回しで、国民を洗脳して、人殺しのための戦争に、消耗品のような扱いを受けて駆り出され、どこに赴くのかさえも家族にも知らせることもできずに、異国の地で戦死なさった方々を出したような、愚かな過去は絶対に繰り返すべきではない。

集団的自衛権容認の延長線上には、確実に上記のような流れが待ち受けている。

若い人たちは、国家などという実体の無い、一部の支配階層にとって都合の良い言い回しに騙されないようにしてほしい。

家族を本当に自分の手で護りたいのであれば、慎重過ぎるぐらいに臆病であって欲しい。

勇ましい事を言って、戦場に駆り出され、殺されたりしたら家族を護りぬくことなど出来はしません。

また、相手国の人を殺したとしたならば、その殺された人の家族のささやかな幸せを、強奪したことになってしまいます。


白紙に戻して欲しいのは、現政権の存在である。



豊田一喜





竹松遺跡の発掘作業に従事されている方々、いかがお過ごしですか。

2015年07月12日 | 日記
竹松遺跡の発掘作業員のアルバイトとして雇って頂いていた頃から、既に2年4ヶ月が過ぎてしまいました。

平成24年6月から平成25年3月までの9ヶ月間、人生での宝物のような時間を過ごさせて頂きました。

今年もまた、4年目になる竹松遺跡(今の名称がこれで正しいのかは分かりませんが)の発掘作業が6月から始まったと聞いております。

今年は、梅雨らしい梅雨の空模様が多くて、作業を実施できた日数は、あまり多くは無いのかなと思っておりますが、このところの晴れ間の強い日差しには、ご苦労なさっていることと思います。

出勤はしたものの、雨が降り出して1時間や半日で帰宅したりということもありましたが、その急にできた自由時間に魚釣りに興じたりした楽しい思い出がたくさんあります。

その時に知り合った方に、5ヶ月ほど前に、今の仕事関係の現場でお会いした事があり、相手の方が私の名前を覚えていて下さった事をとても嬉しく思いました。

遺跡発掘作業での私の役割は、測距・測角儀(トータルステーション)の視準目標となるピンポールとプリズムミラーを持って、発掘したピット(穴)などの位置を測量するための測量助手でした。

ひとつのピット(穴)の観測が終わると、観測手に向って「チェンジ」という言葉を発していたので、「チェンジ」のおじさんということで覚えてもらっていたようです。

その遺跡発掘に従事させていただいた9ヶ月間で、体重が安定して、体も健康になったように思います。

お日様の下で、汗を流して働ける健康体でいられることに感謝できた日々でした。

何年か後には、新幹線の用地として地中に埋まってしまう場所でしょうが、新幹線の車中から働かせていただいた場所を眺める事ができるように、健康には留意したいと思っております。

皆様も、水分補給、塩分補給、適度な休憩などで、熱中症になどならないようにしてお過ごしくださいませ。



豊田一喜




最近の休日の過ごし方

2015年07月11日 | 日記
最近の休日には、畑仕事をしたり魚釣りをしたりと、とにかくできるだけ体を動かす時間を作るように心がけています。

先週の土曜日と日曜日には、それぞれ半日づつ、川釣りと海釣りに出かけてみました。

川釣り(渓流釣り)の方では、いつものように綺麗に育った高来町境川のヤマメが、程よく遊んでくれましたし、海釣りの方では目的の魚は釣れてくれませんでした。

海釣りの方は、飯盛町の田結川(たゆいがわ)河口にて、ウナギ釣りを試みましたが、あたりすらなく3時間ほどが過ぎてしまいました。

上げ潮の時間帯でしたが、濁りが全く無くて水の底が透けて見えていたので、ウナギも移動しなかったのだろうと思います。

やはり、ウナギ釣りは、雨で川の水が濁っているような時にしかうまく行かないようです。

ウナギ釣りの餌のドバミミズが余ったので、場所を替えて結の浜の船だまりの護岸で、ドバミミズを半分ぐらいに切って、渓流仕掛けで護岸のヘリを探ってみました。

程なくして、あたりがあり、小さなアラカブが釣れてくれました。

ドバミミズでもアラカブが釣れる事が分かりました。

護岸のヘリを少しづつ移動しながら探ると、明確なあたりがあり、引き込んでくれました。

しかし、餌を食い込んだ魚は、護岸にへばりついたらしくて、いくら引っ張ってもピクリともしません。

少し強引に仕掛けを引っ張ったら、0.4号のハリスは切れてしまいました。

少し大き目のアラカブだったのだろうなと思いながら仕掛けを結び、護岸のヘリを探りましたら、またまたあたりがあって、仕掛けが引き込まれました。

先ほどと同じように、魚は護岸にへばりついたようで、仕掛けを引っ張ってもピクリともしません。

先ほどの教訓として、無理に引っ張るとハリスが切れてしまうということが分かったので、今度は持久戦に持ち込むことにしました。

相手の魚は、口かのどに釣り針がかかっていて痛い筈だから、仕掛けが切れない程度の力で仕掛けを引っ張り続けておくことにしました。

その内に、体力を消耗した魚が、護岸にへばりついている力を緩めるだろうという読みです。

案の定、しばらくしてから、一瞬だけ魚の方が中休みをしたようで、仕掛けが緩みました。

しかし相手の魚も必死のようで、再び護岸にへばりついたようでした。

又しばらく仕掛けを適度な力で引っ張り続けると、魚は護岸から離れたようで、通常の水中での魚とのやり取りの状態になりました。

仕掛けが切られないように、慎重に魚とのやりとりをして、魚の口を水面に出させてから、一気に釣り上げました。

体長が18cmぐらいの、私にとってはそこそこ大き目のアラカブでした。

次からも、持久戦に持ち込めば、護岸にへばりついたアラカブは釣り上げる事ができそうだという事を学習しました。

その後も小さなアラカブ1尾が釣れてくれた頃に、雨がポツリポツリと降り出したので納竿しました。

2日間の釣果の唐揚げ(画像をクリックすると拡大します)



本日は、午前中の2時間ほど、妻と二人で畑仕事をしました。

4月に植えたかぼちゃは実をつけていて、そろそろ収穫できる物もあったので、1個だけ収穫してきました。

芽を出したショウガの根元に、乾燥を防ぐ目的で籾殻(もみがら)を撒きました。

5月23日に植えた、実のなる果樹の苗木8本のうち7本は順調に根付いて育っているようですが、1本だけ、八朔(はっさく)の苗木だけは虫に葉っぱを食い散らかされてから元気が無く、枯れてしまったようです。

おえ被っている雑草を根から引き抜き、替地として手に入れた畑はすっきりとなりました。

午後は久しぶりに昼寝をしてみました。

目が覚めると、外は雨が降っておりました。



今の日本、目が覚めて気付いたら敵国を作り、私たち末端の庶民がその渦中に巻き込まれていくという構図に向って進んでいるように思えてしまいます。

国が敵国を作ってしまえば、その敵国とされる国から見れば、私たち庶民も「敵国人」と見做されてしまいます。

決して、国防の使命感に燃えている自衛隊員の方たちだけが戦争行為に加担するのではありません。

私たち庶民も、必ずその渦中に巻き込まれていくということは、歴史が証明しております。

特定秘密保護法、18歳選挙権、マスコミ等に対する為政者の圧力的思考、教育に対するおかしな介入、過去を反省することのできない政治家等の台頭、いたずらに周辺諸国の脅威を流布する姿勢等々、愚かな企てが着々と進行しているようです。

大義名分の無い、某国が仕掛ける戦争になど加担すべきではないと私は思います。

イラクに生物化学兵器が存在するという大義名分で始めた戦争に、日本も後方支援をしましたが、結果として、イラクに生物化学兵器は存在しなかった。

そのことの反省をきちんとすべきであるはずなのに、そのような事は話題にすら載せない。

日本には、敵国を作り戦争などできる国力は無いと私は思います。

この平常時においてさえ、首相官邸の屋上にドローンが落ちていたことにすら気付かず、年金データは盗み取られ、平常時の原発事故の収束もうやむやにするような国家が、敵国を作り戦争に加担した所で、私たち庶民がつらい思いをするであろう事は目に見えていると私は思います。

外国に出向いてまで戦争行為に加担する以前に、まずは自国における真の国防体制をきちんと構築する事の方を最優先に考えるべきだと私は思います。

食糧の自給率を向上させることしかり、海岸線からの不信侵入の警戒態勢しかり、国防体制として整備しなければならない事柄はたくさん存在しているはずです。

勇ましいことばかり言って、国家のためという大義名分で、人殺しや破壊を肯定するような世の中にだけはなってほしくはないと私は思っております。

本当に必要な事は、まさに「専守防衛」に尽きると私は思います。


豊田一喜



除草薬散布→溝掃除→見取り図の作成

2015年05月24日 | 日記
朝から畑の雑草を枯らすために、除草薬の散布を行ないました。

水タンクの容量が10リットルの背負型噴霧器に、葉から吸収して根まで枯らす除草薬を50倍程度に希釈して散布しました。

除草農薬は、10リットルタンク1回分の分量しかなかったので、近くの愛野展望台付近にある「コメリ」に除草農薬を買いに走りました。

ラウンドアップという農薬は結構な値段だったので、それよりも安い値段の農薬を購入して畑に戻り、再度10リットル分の希釈除草農薬を作って、残りの畑面に散布しました。

散布した除草農薬がきちんと効いてくれれば、当面は畑の雑草との格闘はしなくてよいのですが、果たしてどうなるものやら。

散布したあとの午後は、お日様も照ってくれたので、草を枯らす効果はあるものと期待していますが。

昨日植樹した8本の実のなる木の苗木は、おおむね元気に見えましたが、一本だけ、ジャンボ富有(甘柿)の苗の葉っぱだけは少しだけしおれておりました。

除草農薬の散布が終わってからは、畑の脇の市道のU字溝に堆積している土砂の除去作業を行ないました。

距離は15メートル程度ですが、深さ20cmぐらいの土砂が堆積しており、降雨時の水の流れを阻害しておりました。

平スコップを使って、高低差1.0m程度の自分の畑へと、堆積した土砂を掘り上げるのにかなりの時間を要し、汗びっしょりになったので、かなりの運動にはなりました。

そのあとは、替地として自分名義になったその畑の見取り図を作成しました。

登記図面により、所有権移転登記をする前に、現場に筆界点を復元してもらった結果、現況の畑の形状と大きく異なる形状の区域がある事が判明しておりましたので、雲仙市と協議して、雲仙市有地との「等積交換」等の処理をしなければならない状況です。

その際には、現況の詳細な測量図面が必要になってくるので、その際の測定点の把握のための見取り図の作成をしてみました。

時間があれば、自分で測距、測角儀を用いて、数値測量をしておこうかなどとも思っております。

既設の基準点からの視通状況も良好な場所なので、休みの日に、妻に測量助手をお願いして現況図面作成のための測量をしてみようかなとも思っております。

現況図面ができれば、等積交換の分筆線の位置の検討も自分でする事ができますので。

替地のおかげで、楽しみが次々と湧き出してくるようです。


豊田一喜







実のなる木の植樹

2015年05月23日 | 日記
午後から雨が降りそうだという天気予報だったので、8時前から畑に出て、実のなる木を8本植樹しました。

20リットル入りのポリタンク3個に水を入れて車に積み込みましたが、若い頃には感じもしなかった重さを、20kgのポリタンクで感じてしまいました。

筋力の弱り方で、自分の今の年齢(61歳)を思い知らされました。

高校生の頃に、体重52kg以下級のウエイトリフティングの試合で、95kgを突き上げていたことがあるので、40数年後にこのように筋力が衰えるとは思ってもおりませんでした。

畑では、およそ5m間隔ぐらいに、直径40cm、深さ40cm程度の穴を、柄の長い2本鍬とスコップを使って掘りました。

上層は客土した赤土ですが、深さが30cmより深い層では、水分を含んだ黒っぽい土でした。

その穴に堆肥(豚肥)を入れてから、ポリタンクの水をひたひたになるまで注ぎ、その上に木の苗を置いて、掘り起こしていた土を戻して踏み固めました。

踏み固めた土の上に、植樹した木の苗にかからないように粒状の化学肥料をばら撒き、その上から少しだけ土を被せて、実のなる木の苗の植え付けは完了です。

八朔(ハッサク)、サンプルーン(プルーン)、ジャンボ富有(甘柿)、西条(渋柿)、スイートスプリング(八朔と温州みかんの交配種)、プチマル(種無しキンカン)、多田錦(種無しユズ)、豊後梅(梅)の8本を植えました。

八朔:クエン酸とビタミン類を多く含む美味しい品種。

サンプルーン:生食用から加工用に幅広く利用できます。

ジャンボ富有:秋の風物詩ともいえる柿。甘くておいしい果実は、ビタミンCやカロテンなどを多く含んでいます。

西条:干し柿の定番品種。干し柿として楽しめる柿は、カロテンを多く含んでいます。

スイートスプリング:爽やかな香りとすっきりとした上品な甘みが特徴です。土を選ばず病害虫に強い育てやすい品種です。

プチマル:皮の甘味が強くおいしい。さわやかな香りと酸味を持つ柑橘、ビタミンCがいっぱいのフルーツです。

多田錦:80g前後の小玉ゆず。さわやかな香りと酸味を持つ柑橘、ビタミンCがいっぱいのフルーツです。

豊後梅:説明用の写真はなくなっておりました。きっと、大粒の梅なのでしょう。


以上は、苗木にくくりつけてあった説明用写真に表示してあった文言です。

それらの文言につられて苗木を購入して、植えつけてみました。

きちんと根付いて、実がなってくれる事を祈るしかありません。

何年後になるかは分かりませんが、それまで健康で、世の中が平和であってくれる事を願っております。

他にも畑には、サツマイモの苗、生姜の種芋、かぼちゃを植えておりますが、先週植えたサツマイモの苗は、先日の雨で7割の苗は元気に根付いていましたが、根切り虫にやられている苗も2本ほどありました。

かぼちゃの苗は、順調に育っているようです。

生姜の種芋は、なかなか芽を出してくれません。

赤土で、乾燥しすぎなのが原因かもしれません。

それにしても、植えてもいない雑草の生命力はたいしたもので、乾燥しやすい赤土でもその繁殖能力はものすごいと思います。

葉っぱから入って根まで枯らしてしまう除草剤を散布しなければ退治出来ませんが、日照との関係で、なかなか機会に恵まれません。


いずれにしましても、公共事業による替地によって、畑に作物を作って管理するという、心身の健康維持に効果がありそうな趣味に出会えたように思えます。


ただ、ひとつだけ気がかりなのは、戦前と同じような空気が、国のいたる場面で流れつつあるような雰囲気がしていることです。

今の流れのままで行くと、気付いた時には国家を挙げて戦争に加担していたということになろうということは予測できるように思います。

私が住んでいる市議会では、そのような危惧に対する請願を「全会一致」で不採択としております。

共産党の議員もいるのに、反対多数ではなく「全会一致」での不採択がなされているということは、翼賛的政治の序章の様に感じます。

小さな事件でしたが、大村の自衛隊員の覚せい剤密輸入事案でも、自衛官は不起訴になりました。

なぜなのでしょうか。一般人がそのような事をすれば、確実に起訴されるだろうと思うのですが。

じわじわと、過去の轍を踏み、歴史が繰り返されようとしていることに、皆が気付かなければ、殺し合いの国策のなかに組み込まれてしまうように私は思います。

私たちの国は、食糧の自給もできない、兵器を製造する資源も無い(原子爆弾を製造するための原料は7000発分は保有しているそうですが)、原発から産出される危険な核廃棄物はたくさん現存していて原発を続ける限り永久に増え続ける、国民をその周辺に住む事ができなくするための原子力発電所という標的は50数箇所もある、などなど、戦争など絶対におこしてはならない脆弱な国家だと私は思っております。

過去の反省と、現状の正しい認識に立てば、誰にでも分かりそうですが・・・・。

「自衛隊」という、専守防衛のためのすばらしい工夫された命名を私たちの先人がされているのに、「わが軍」などととんでもない発言をしたり、侵略の定義とはなどといってみて過去の自国の行為を無かったことにでもするかのごとき発言をしたりと、わざわざ平和をかき乱すような発言をする人が、残念ながら国策決定の頂点にいる現状。

いつの時期にも、必ず世界のどこかで戦争を仕掛けている国に、仲間として引きずり込まれないようにするべきだと私は強く思うのですが。

国策の過ちにより、不幸な目にあうのは、いつの時代でも末端の私たち庶民なのですから。


豊田一喜







竹の子掘り→竹林整備→畑の草払い

2015年04月26日 | 日記
私が管理している標高20メートルぐらいの所にある孟宗竹林の竹の子は、そろそろ終わりに近付きつつあるようで、近頃は真竹の竹の子が出始めたようです。

孟宗竹の竹の子は、太くてどっしりとした風貌をしていますが、真竹の竹の子は、やや細目のスマートな風貌をしており、竹の子の皮に斑点模様があるようです。

真竹と孟宗竹が混在している所もある竹山なので、3月の中旬頃から5月の下旬頃までは、竹の子掘りが楽しめます。

楽しめるといっても、元々は段々畑だった竹山なので、竹の子を探して掘るのは簡単なのですが、その掘った竹の子を袋に入れて、標高の高いところにある道路まで運び上げるのがかなりの重労働に感じます。

今年は、3月中旬以降、ほとんどの休日に竹の子掘りをして、体力の維持と体重の減量につとめておりますが、先週の土曜日に掛かりつけの病院に血圧の薬をもらいに行った時に体重を量ったら、2ヶ月前の前回よりも2.5kgほど減っておりました。

医者から、体重が減った要因はなんですかと問われたので、「竹の子掘りではないでしょうか。」と言ったら、そのお医者さんは、カルテに「竹の子掘り」と記入しておられました。

一通り手ごろな竹の子を12本ほど掘ったあとで、倒伏している枯れ竹を片付ける「竹林整備」の作業を行ないました。

この作業は、枯れて倒れ掛かっている竹を、適当な長さに手鋸で切断して、法肩のところに揃えて積み上げ、竹林の中の通行がし易いようにするための作業です。

本当は、竹の本数を一坪当たりに1~2本になるように間引きした方がよいのだそうですが、チェーンソウを持っていないので、それはあとからの楽しみに取っております。

枯れ竹を脇の方へ片付けるだけでもすっきりとなり、領土を少しずつ広げているような感じがして、知らず知らずのうちに汗をかいており、結構楽しめます。

とりあえず、本日はそのさわりだけの「竹林整備」をして、残りは連休中の楽しみに取っておきました。

全身を動かして作業をし、汗をかく事は、部屋の中でパソコンの画面を見てする作業がほとんどの日常である自分にとっては、心と体のバランスを保持していく上で、とても重要なことだと思っております。

竹林整備予行演習のあとは、「吾妻・愛野バイパス」の用地として買収された土地の、一部替地として取得した畑の「草払い」を行ないました。

赤土を客土してある畑で、2月の半ば頃に現地を見た時には、草は全然生えていなかったのですが、自然界の植物の生命力はすごい物で、1ヶ月ぐらいの間に畑の全面に満遍なく草が生えておりました。

平成27年3月9日に、必要書類を作成して長崎法務局諌早出張所に提出し、登録免許税の1000円だけで所有権移転登記が完了しましたので、私の土地になっておりました。

自分の土地になったのですから、近隣の農地に迷惑がかからないように、草藪にならないように管理しなければと思い、刈払い機による「草払い」を行ないました。

昨日も、近所の方の葬式への参列が終わってから、3時間ほど「草払い」をしていたのですが終わらなかったので、本日、その残りの作業を行ないました。

昨日の作業の際には、無防備にも、ゴーグルもマスクもせずに作業を行なった結果、赤土の微粒子が鼻の穴に入り込んでおり、メガネの表面にも赤土の土埃が付着しておりました。

その事を踏まえて、本日はゴーグルとマスクと、長靴の上には雪除け用の手甲の様なものを装着して作業を行ないました。

2時間ほどの作業で、繁茂している草の土中の根元から切断する除草作業が完了しました。

昨日の夕方に、知人からいただいたかぼちゃの苗を2本植えておいたのですが、それに水をやって、本日の畑の作業は終了しました。

のどかな日常を過ごす事ができて、幸せを満喫しておりますが、自分の意のままになる国だと勘違いしているおろかな指導者や政治屋さんたちが、そのような平穏で平和を堅持している我が国のあり方を変えようと画策しています。

戦争というのは、合法的な殺し合いであり、正しい殺し方も残虐な殺し方も関係なく、人が人として生きていく根本を否定する愚かな行為でしかありません。

受験競争や選挙運動で勝ち抜くような、勝ち負けの問題ではありません。

国際貢献で自衛隊を海外に派遣したいのであれば、ネパールの地震の災害援助に先頭を切って派遣すべきではと私は思うのですが。

アメリカの意向ではないので、そのようなことには積極的にはならずに、医療チームなどの派遣でお茶を濁すのでしょうね。

18歳から選挙権を与えるようにするのだそうですが、徴兵制への布石と考えるのも穿ちすぎた考え方ではないと私は思います。

選挙権を与えるのだからあなた方は大人なのですよ、だから国家のために命を賭して戦うのが当たり前なのですよ、と。

憲法改正の時の賛成勢力としての数の確保要員としての意味合いも強いように私は思います。

若くて血気盛んな純粋な人たちの多くは、アメリカからの押し付けの憲法だから改正すべきだとか、自分たちの国は自分たちで守る事ができるように軍隊を持ち、交戦権も有するようにしなければならないのだとか、というように考えるのではなかろうかという為政者たちの短絡的な期待。

過去の村山談話において、日本の戦後のあるべき姿は明確に表現されているのにもかかわらず、自分がどのように考えるのかを主張するなどと、過去の反省をなかった物にするがごとき発言は、せっかく日本が国際社会の中で築いてきた外交戦略の成果を台無しにしてしまうような愚かな発言だと私は思います。

過去の反省を踏まえて、現在と未来があるべきは当然過ぎて、それを否定すれば過去と同じ轍を踏むことになっていくでしょう。



豊田一喜







初竹の子と墓参りツアー

2015年03月21日 | 日記
午前9時より、妻とふたりで墓参りと墓掃除。

愛野町の光西寺の室内にある、2つの縁者の墓に庭の花をあげてからお参り。

その後、そこから車で2分ぐらいの所にある我が家の墓の掃除を1時間半ほどかけて済ませた。

いつものように、よそ様の墓所を通らなければ我が家の墓まで到達できないので、その通り道の土の部分に生えている草は、刈払い機で綺麗に刈り取るという作業を実施。

その間、妻は花立等の水替えと細かい箇所の手鎌による除草作業。

昼少し前にお彼岸の墓掃除と墓参りは終了。

福岡から、光西寺にある縁者の墓のうちの1つの縁者(いとこ)が、墓参りに来たので、我が家で一緒に昼食。

午後1時半頃まで歓談。

福岡から墓参りに来たいとこが帰ってから、妻と共に、隣町にある妻の実家の墓と他の2つの縁者の墓にお参り。

その後自分が管理している孟宗竹林にて竹の子掘り。

まだ目視で見つけられるほどの竹の子は出ていなかったので、靴の底の足の裏の感覚で笹の葉に覆われている地面を探る。

靴の底を水平に動かしながら、少しずつ丹念に探っていく。

すると、とがったような感じのものを足の裏に感じる。

積もっている笹の葉を除けると、そこには2cmほどの竹の子の先端が地面から出ている。

その周りを、少し広めに専用の長柄のクワで掘り進める。

竹の子の根の部分付近まで掘ってから、弓形に湾曲している竹の子の弦に相当する部分の根元の方にクワを打ち込んで、竹の子を切り取る。

そのようにして、初竹の子を7本収穫する事ができました。

休日は、ヤマメ釣りに竹の子掘りと、平和で忙しい時期が到来したようです。

桜のつぼみが膨らみかけた穏やかな季節が訪れようとしておりますが、強権的な支配者たちの横暴さが目に余るような世相になっており、末端の私たちのような庶民の平凡で幸せな時の流れを、悪しき方向へ変えようとしているように思います。

私たちは、選挙での1票でしか意思表示はできません。

大切に1票を投じたいと思っています。

平和な時間の流れの中で、桜の花を眺める事ができる日本人でありたいと願っております。


初竹の子(画像をクリックすると拡大します)



豊田一喜



春到来

2015年03月14日 | 日記


愛野町から眺めた多良岳は、春霞により白い煙幕を張ったように見えました。                                                 気温も高くなり、春到来と思えるような暖い1日でした。

朝からは少し強い雨が降っていましたが、9時ごろには雨もやみ、庭の花々を眺めてみました。

川端の梅の花は満開で、畑の水仙も程よく開いており、ラッパ水仙は見事な黄色い美しい花を今年も見せてくれております。

ゆすら梅の若芽や紫陽花の若芽も萌え出して、我が家の庭は、春到来の様相を呈しております。

雨上がりで気温も高い日には、高来町境川のヤマメも活発に採餌活動をしているはずだと思うと、じっとしている事はできずに境川へ走りました。

10時半ごろには轟の滝の近くのお店のところに到着しました。

先々週のヤマメ釣り解禁日にもとまっていた、佐賀ナンバーの大きな車が止まっていたので、本日はその付近からは入渓せずに、もっと上流部から釣り始めることにしました。

上流部のキャッチアンドリリース区間が始まる橋の少し下流側に、小さなトイレが一つあり、車数台分の駐車スペースが有りますが、そこに車を止めて下流側へ向って歩き、連理の木(相思相愛の木)というがある付近から入渓して、そこより上流側へ釣り上がりました。

細身ではありますが、綺麗なヤマメが適度に釣れてくれました。

春の日差しと木々の緑をを体中に浴びながら、足元に注意して川原を歩き、ここぞと思ったポイントに、シマミミズを付けた仕掛けを落とす。

水流に従って流下する仕掛けの目印を注視して、仕掛けの振込みを数回繰り返す。

目印がツツーと動いた瞬間に、手首で軽くあわせる。

心地良い魚の感触が、竿を通じて伝わる。

中には針がかりが浅くて、水中で銀色の魚体をくねらせて、ばらしたヤマメは、比較的大き目のヤマメが多いように思います。

ばらしたヤマメは、釣り残しておく楽しみということで、次回に来た時の楽しみに取っておくのだという風に思えるようになりました。

境川の上流域でも、放流稚魚あるいは天然孵化したヤマメは、今年も順調に育っているようです。

昨年から、落合いというバス停(夏休み期間中だけバスが運行している)付近で、境川本流と合流する境川の支流(クロニタという集落から入る)へは一度も行っていないので、今年は入ってみようかとも思っております。

釣り人もあまり多くなく、ヤマメはうじゃうじゃと生息している自然の釣り場が、車で30分の所にあるという幸せに、ただただ感謝しております。


川端の満開の梅の花(画像をクリックすると拡大します)


開いた水仙の花(画像をクリックすると拡大します)


綺麗な黄色の花を開いてくれたラッパ水仙(画像をクリックすると拡大します)


本日のヤマメ釣りの釣果(画像をクリックすると拡大します)



豊田一喜






初ヤマメ(ヤマメ釣り解禁・諌早市高来町境川)

2015年03月01日 | 日記
諌早市高来町の境川では、本日(3月1日)よりヤマメ釣りが解禁となりました。

昨晩から今朝にかけて雨模様でしたが、10時頃からは小雨になり、雨合羽をつけていればヤマメ釣りはできると判断して、境川へ出かけることにしました。

諌早湾干拓の堤防道路が、昼間はしばらく通行止めになっているので、不知火橋経由で境川に行くことにしました。

餌のシマミミズも用意していなかったので、どの道諌早市内の釣具屋さんで買っていかなければヤマメ釣りはできない。

一箱400円のシマミミズを釣具屋さんで買って、5ヶ月ぶりにヤマメ釣りができることにワクワクしながら車を走らせました。

11時ごろに釣り場に到着しましたが、境川右岸沿いの道路には、佐世保ナンバーの車が、ある程度の距離(200メートルぐらい)を置いて2台止まっていました。

ヤマメ釣りに来られた人の車であろう事は想像ができました。

轟の滝近くの駐車場には、佐賀ナンバーの大きな車が1台止めてありました。

この車の人も、ヤマメ釣りの人であろう事は想像できましたが、いつも自分が入渓する場所はだいたい決めているので、その付近から入ることにしました。

入渓して上流側を見ると、人影は見あたらなかったので、先行者の人はかなり前に入渓されて、既にだいぶ上流まで釣り上がっておられるのだろうと思い、そうであれば場荒れもだいぶおさまっているのではなかろうかなどと思いながら目印を注視しておりました。

つり始めてから100メートルぐらいの間では、あたりが無かったので、先行者の人が丹念に釣り上がっていかれたのだろうと思いながら、キャンプ場の近くのつり橋の下で竿を出して上流側を見ると、自分の場所から40メートルぐらいの所で竿を出している人がおられました。

その方にお話を聞くと、上流まで釣り上がってから、また上流から釣り下がって来られたとのことで、テンカラ釣り(毛ばりを使う渓流釣り)をされているとのこと。

これから帰られるとのことでした。

先行者の方の釣り方が、餌釣りではない事が分かったので、安心しました。

よほどの場荒れがしていない限り、ヤマメが釣れる可能性があるからです。

その方と別れて3分も経たないうちに、今シーズン初の細身の綺麗なヤマメが釣れてくれました。

その場所から30メートルほど上流側でも、体色が白っぽい銀化ヤマメが釣れてくれました。

次は、キャンプ場へ渡る道路橋の道路面から仕掛けを下ろして釣ってみたら、体表面にパーマークのほかに紅い斑点のある「アマゴ」が釣れてくれました。

おそらく昨年の稚魚放流の際に、ヤマメの稚魚に混じってアマゴの稚魚が紛れ込んでいたのではなかろうかと私は推測しております。

30年ほど前の境川のヤマメ釣りでは、10尾の内に2~3尾のアマゴが混じっておりました。


その後もその場所より上流部で、ヤマメ一尾と銀化ヤマメ一尾が釣れてくれました。

体長15cm未満のリリースサイズのヤマメもそのほかに5匹、釣り針に掛かりましたが、大きくなってから釣れてくれるように念じて放してあげました。

ほかに、唐揚げにするとビールのつまみになる「アブラハヤ」も15尾ほど釣れてくれました。

午後3時頃に納竿しましたが、ヤマメ釣りの解禁日を楽しく過ごさせて頂きました。

境川のヤマメは、順調に育っているようです。

豊田一喜

初ヤマメ(諌早市高来町境川)解禁日釣果(画像をクリックすると拡大します)
1番上がアマゴ、上から3番目と4番目が銀化ヤマメ
内臓を出して塩をしたあとなので、若干体色が変化している




後藤田正晴氏が残した言葉

2015年02月22日 | 日記
朝からテレビのBS放送で、時事放談というのをやっていました。

その中で、故 後藤田正晴氏が、自らの遺言として聞いておいてくださいということで残された言葉が心に残りました。

以下はその内容を表示しているネット情報からの抜粋です。

― 強者と弱者

 「今は強者の論理が強すぎると。やはりどんな時代になっても立場の弱い人、気の毒な人は出ている。ならばそういう人に対して政治の光をどう当てるかということは、政治を担当する者の大きな責任だと思う」

― イラク戦争

 「この戦そのものがね、間違った戦だったと思いますね。それにまあなんと言うか、いち早く支持して自衛隊派遣と、いう決定をなさいましたけどね、これをまた私は間違った判断だったなあと、こう思いますね、いわばまあ、過去の歴史をみますと、やはり他に方法がなかったがなかったとかね、何とかなるといったことで始めるんですよ。ところがね、どういう出口にするかというね、兵を退くと、いう決断をなかなかできないんですね」

 「戦後60年振り返ってごらんなさいよね。アメリカぐらいね、戦争している、あるいは海外派兵している国はありませんよ。これにね、いつまでもあんたお付き合いできますか?だからやはりね、ここは日本というのはもう少し、自主的なね、日本であってほしいなと。本当にそう思いますよ」

― 米軍再編

 「日米安保、日本はまた強化をしてですね、兵力を減らすということもきかんしね、それから基地も縮小せんというんでしょ。おかしいじゃないかと。韓国でさえね、後2年たったら1万2500縮小するって言うんでしょ。日米安保というものはね、これはその、軍事力を強化するのでなしにね、政治的な関係の方に重点を移していくと。そのきっかけにね、今度のアメリカの戦略変更に対応して日本も対応していく必要がある。逆じゃないかと戦後に出てんのは」

― 世界の中の日本

 「世界の中で日本が平和に生きていくと、いうことを考えますとね、それはアメリカの関係ってのは重要ですよね。だけれども同じようにですね、それはやはり日本はアジアの中の、日本なわけですね、動くことはできないんですね。やはり中国との関係、あるいはまた朝鮮半島との関係、そして日本との関係、東アジアの安定という事をはかる…」

― 日本が誇るべきこと

 「戦後60年の間ですね、日本のこの自衛隊によってですね、他国の人間殺したことないんですよ。それからまた他国の軍隊によって日本人が殺されたこともない。先進国でこんな国はね、日本だけですよね。これは本当にね、誇るべきことだと思うね」

― 最近、腹立たしいこと

 「腹立たしい・・・。それは、この世の中が少し国家主義的な傾向が強くなってきている。しかも強者の論理、全てがね。これはちょっと心配だなと、気をつけてもらわないといかんなってそんな気がしている。ただこういうときには、やはりこの年になると時間がないということですよ。時間がない。これが一番つらい。だってやらないといかんなって個人的に思うことがいくらでもある。調べないといけないこともあれば、本も読まなければならない。時間がない。ここが若い人とは全然違う」

※衆議院解散の直後の8月21日放送の番組で、事前の打ち合わせの時に
後藤田さんが「どうしても言っておきたい事がある」と、「これは僕の遺言だよ」
というような事を仰いました。
悲しい事にこれが事実になってしまったわけですが、その言葉を遺しておきます。



以上、複写。


勇ましい言葉を発信する首相が率いる今の我が国の内閣支持率が上昇しているという。

危険な風潮だと思うし、過去の徹を踏もうとしている流れのように思えて仕方が無い 。

内閣支持率を上昇させているそのような人たちは、自分たちの身の上にこれから降りかかるであろう事態に対する予測ができているのであろうか。

国家は国民を守ってくれはしないし、国民は国家から消耗品の如く扱われる。

そして戦争状態になったならば、自衛隊員だけが戦争に赴くわけではなく、全ての国民が相手国側にとっては敵国民と見做され、攻撃の対象になり、若者たちは国家から徴兵されて消耗品のように扱われることになる。

すなわち、自分や自分の子や孫が、合法的人殺しの加害者や被害者になることとなり、多くの破壊や殺人を犯した者が評価される世の中となる。

私たちは人殺しをするために生まれてきたのでもなく、人に殺されるために生まれてきたのでもない。

自由民主党は戦後70年の間、国家の平和を維持し続けるということに関しては、一貫してその努力をして来たし評価できることである。

しかし、今の内閣は違う。

不用意な発言や政策が、国の行く末を決めてしまうこともあり、国民を不幸にさらすことにもなりかねない。

自分たちの国家は、脆弱な国家であると言う客観的な事実を肝に銘ずるべきである。

今の内閣の方針の行き着く先には、家族が共に暮らし共に食卓を囲むというような、当たり前のつつましい私たち庶民の日常が奪われることになるということに繋がっていく可能性を秘めている。

戦争という合法的殺人を容認する国家にだけはなってはいけない。



豊田一喜









遮光性シートの効能

2015年02月11日 | 日記
五島市出身の友人が、庭の片隅に立てかけている椎茸の種駒を打ち込んだクヌギの木を見て、助言をしてくれました。

「椎茸は、影にしとかんば出んとぞ。」と。

早速、ホームセンターに行って、遮光率50パーセントの黒いシートを500円分(2メートル)買ってきて、椎茸のホダ木に被せておきました。

すると、1週間ほどしてから、椎茸のつぼみがたくさん出始めました。

五島出身の友人は、彼が子どもの頃、五島市の実家で椎茸の栽培をしていたのだという。

経験者の言う事は、素直に聞き入れれば物事はうまく行く事が多いという一例。

おかげで最近は、通称「ドンコ椎茸」と呼ばれるような、小さくて丸っこい椎茸を、頻繁に食する事ができるようになりました。

立春も過ぎ、三寒四温の気候になりつつあるようです。

日差しが強い時間帯の車中は、少し暑く感じるようになりました。

今年は、生まれて初めて「インフルエンザA型」というのに罹り、昨年の年末からの休みも含めると、9連休を2回経験させてもらいました。

勤め先に対しては、大変申し訳ない気持ちはあるのですが、医者から「他の人にうつす可能性があるので、最低でも5日間程度は出勤しない方が良い。」と言われたので、仕方なく休ませて頂きました。

発病したのが年休をいただいていた月曜日だったので、その後の金曜日までが出勤停止で、土・日の休みを加えて9連休になりました。

メジロの鳴き声が庭の木から聞こえ、春の気配を諸処に感じられるようになりました。

61歳の誕生日も無事に迎える事ができ、亡父よりも2年長生きできております。

健康で平和な世の中に暮らして行けていることに感謝。

ただ、気になるのは、我が国のリーダーの不用意な発言です。

歴史が繰り返されつつあるような、不穏な世相の様に感じてしまいます。

我が国のリーダーの口に、遮光性シートを被せてあげればよいのかもしれませんね。



豊田一喜




あと1ヵ月と雑感

2015年02月01日 | 日記
諌早市高来町の境川でのヤマメ釣りの解禁日まであと1ヵ月となりました。

昨年の10月1日から今年の2月末日までの5ヶ月間の禁漁期間のうちの4ヶ月が過ぎました。

防波堤などでの海釣りの休日を過ごすのもあと1ヵ月。

うじゃうじゃといる境川のヤマメの稚魚が、どの程度まで大きくなっているのか楽しみです。

春がゆっくりと、南の方から歩いてきているような気配を、庭の草の芽を見て感じる事ができます。

小屋で飼っている猫のモエちゃんも、陽だまりで気持ちよさそうに日向ぼっこをしています.

命を粗末にする、まさに「平和ボケ」の典型のような日本人がいて、海外の勢力にいいように利用されているような現実を見ると、哀れであるとしか表現の仕様がありません。

非力な個人が、わざわざ戦争状態の地域に行って、敵と見做されて捕まり、国益に反するような利用のされ方をしている。

生後3週間の子どもと妻を残して、戦争状態の地域に行かなければならない必然性は全く無いはずだ。

人間として、親として無責任の極みだと私は思う。

自らの甘い判断が招いた結果だと思う。


豊田一喜