昨日は山田八幡神社に詣でたあと川越狭山自転車道に乗り、上尾の丸山公園を散歩するつもりでした。入間川・荒川にかかる入間大橋・開平橋を渡り終えたところで昼食にしました。鍋焼きうどんをいただいてゆっくりしたら、眠気と疲れが出てきたので、長い橋を再びわたって帰ってきました。風もすこし出てきたのでよい判断でした。夕方まで昼寝。夜は三人がお隣に呼ばれて、奥羽山脈の山懐の田舎料理をご馳走になりました。
3日は池袋の中国東北の家庭料理店で杜くん夫妻と新年会、忠幸さんも同席でした。1991年横浜港大桟橋で上海ゆきの「鑑真号」を見送ったのを思い起こします。ビザの延長が認められず、北高校の2年生・杜くんは中国に帰るほかはなかったのです。あれから16年余りがたち、今僕の目の前で杜くんが旧師・忠幸さんと会話しています。本当に嬉しそうです。
当時、中国帰国生徒担当として為すすべがなかった僕も、ようやくこんな喜びの日を迎えることができて、大げさに言えば人生の課題の一つが解決した思いです。
僕が2006年9月23日付けで東京入国管理局長宛に出した「嘆願書」を紹介します。
入国管理行政にかかわる貴下の日頃の努力に対し敬意を表します。
さて、私は都立高校に在職して40余年になる一教員ですが、15年前、都立北高校に在職中に担当生徒であった杜くんの入国に際し、貴下の格段の配慮を賜りたく、以下嘆願する次第です。
私は昨年7月、大連訪問に際し、杜くんとの再会を楽しみに連絡をとったところ同君が不法残留の嫌疑で東京入管に収容されていることを知り、旧同僚らと共に二度、面会しました。その際、妻・Iさんが杜くんのため、逮捕以来長期にわたって尽力していることを知り、感激しました。病身にもかかわらず、夫のためとはいえ、入管に通ったり、弁護士と折衝したり、その尽力は並大抵のことではありません。収容中とはいえ、杜くんの表情がとても豊かで、彼女と出会うことによって、幸福を手に入れたことがはっきりと読みとれました。
事情を詳しく聞けば同情の余地は多々あり、警察や入管の対応が充分と了解はできませんが、法違反は明白であり、偽装結婚などが横行している情況を考えれば、貴職の「退去強制」処分もやむを得ないかもしれません。私は友人であり、この道の専門家であるSさんから、一年経過すれば上陸特別許可の申請ができるとのアドバイスを受けたこともあり、国の処分に従い、杜くんはいったん帰国することを両名に提案しました。二人の事情を考えれば断腸の思いでありましたが他に妥当な道があるとは思えなかったのです。両名も親族も私の提案に賛成してくれ、杜くんは9月16日成田空港を飛び立ちました。
あれから一年が経過しました。この間、Iさんは清掃員として働きながら、5回も大連を訪問したと聞きます。この5回目の訪問に同行して私ども夫婦もいま、杜くんのもとを訪ねています。二人はこの一年間、逆境にありながら、交流を重ね、相互に理解を深めてきたことが、二人と一週間生活を共にして感じたことです。
幼い日に両親を喪い、就学の機会をほとんどもてなかった杜くんの人生は、伯父や従兄弟たちの慈愛に恵まれながらも、けっして幸福だったとはいえません。今、Iさんとの結婚によって、ようやく愛情によって結ばれた幸福を手にいれたことを実感します。
杜くんは日本語が不充分ですから、日本に行っても苦労をすると思われます。しかし、真面目で働くことが唯一の趣味という誠実な人柄です。Iさんはもちろんのこと私たち元教員も心を込めて、この若い友人を応援します。日本でIさんと生活を共にしていくことが、苦労を乗り越える力を生み出していくことと考えます。
以上、私情を交えての報告ですが、貴職が適正な判断をするに際し、参考にしていただければ幸いです。 2006・9・23 (在大連)
入管当局に二人の願いも僕の思いも届かず、杜くんの「日本人の配偶者」としての特別上陸許可申請は却下されました。二人にはさらに一年の悪戦苦闘がつづきます。なぜなの?僕にはとても理解ができませんでした。
3日は池袋の中国東北の家庭料理店で杜くん夫妻と新年会、忠幸さんも同席でした。1991年横浜港大桟橋で上海ゆきの「鑑真号」を見送ったのを思い起こします。ビザの延長が認められず、北高校の2年生・杜くんは中国に帰るほかはなかったのです。あれから16年余りがたち、今僕の目の前で杜くんが旧師・忠幸さんと会話しています。本当に嬉しそうです。
当時、中国帰国生徒担当として為すすべがなかった僕も、ようやくこんな喜びの日を迎えることができて、大げさに言えば人生の課題の一つが解決した思いです。
僕が2006年9月23日付けで東京入国管理局長宛に出した「嘆願書」を紹介します。
入国管理行政にかかわる貴下の日頃の努力に対し敬意を表します。
さて、私は都立高校に在職して40余年になる一教員ですが、15年前、都立北高校に在職中に担当生徒であった杜くんの入国に際し、貴下の格段の配慮を賜りたく、以下嘆願する次第です。
私は昨年7月、大連訪問に際し、杜くんとの再会を楽しみに連絡をとったところ同君が不法残留の嫌疑で東京入管に収容されていることを知り、旧同僚らと共に二度、面会しました。その際、妻・Iさんが杜くんのため、逮捕以来長期にわたって尽力していることを知り、感激しました。病身にもかかわらず、夫のためとはいえ、入管に通ったり、弁護士と折衝したり、その尽力は並大抵のことではありません。収容中とはいえ、杜くんの表情がとても豊かで、彼女と出会うことによって、幸福を手に入れたことがはっきりと読みとれました。
事情を詳しく聞けば同情の余地は多々あり、警察や入管の対応が充分と了解はできませんが、法違反は明白であり、偽装結婚などが横行している情況を考えれば、貴職の「退去強制」処分もやむを得ないかもしれません。私は友人であり、この道の専門家であるSさんから、一年経過すれば上陸特別許可の申請ができるとのアドバイスを受けたこともあり、国の処分に従い、杜くんはいったん帰国することを両名に提案しました。二人の事情を考えれば断腸の思いでありましたが他に妥当な道があるとは思えなかったのです。両名も親族も私の提案に賛成してくれ、杜くんは9月16日成田空港を飛び立ちました。
あれから一年が経過しました。この間、Iさんは清掃員として働きながら、5回も大連を訪問したと聞きます。この5回目の訪問に同行して私ども夫婦もいま、杜くんのもとを訪ねています。二人はこの一年間、逆境にありながら、交流を重ね、相互に理解を深めてきたことが、二人と一週間生活を共にして感じたことです。
幼い日に両親を喪い、就学の機会をほとんどもてなかった杜くんの人生は、伯父や従兄弟たちの慈愛に恵まれながらも、けっして幸福だったとはいえません。今、Iさんとの結婚によって、ようやく愛情によって結ばれた幸福を手にいれたことを実感します。
杜くんは日本語が不充分ですから、日本に行っても苦労をすると思われます。しかし、真面目で働くことが唯一の趣味という誠実な人柄です。Iさんはもちろんのこと私たち元教員も心を込めて、この若い友人を応援します。日本でIさんと生活を共にしていくことが、苦労を乗り越える力を生み出していくことと考えます。
以上、私情を交えての報告ですが、貴職が適正な判断をするに際し、参考にしていただければ幸いです。 2006・9・23 (在大連)
入管当局に二人の願いも僕の思いも届かず、杜くんの「日本人の配偶者」としての特別上陸許可申請は却下されました。二人にはさらに一年の悪戦苦闘がつづきます。なぜなの?僕にはとても理解ができませんでした。