川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「肝胆相照らす」…  弘松先生からの手紙

2008-01-09 05:35:27 | 父・家族・自分
 手術から2年を経過したので、昨日はガン研有明病院で肺のCT検査と骨シンチグラフィ検査をしました。検査は木曜日にもあります。昼休みに9階の病棟で働いている看護士のKさんに会ってきました。文京高校一年のとき僕がHR担任をした、もと生徒です。看護士としての生活も2年目でいくらか自信がついてきたのでしょう。明るくはつらつとして働いているように感じました。「川越に遊びに行く話があります」というので楽しみにすることにします。

 1950年代の末に高知県室戸市立室戸小学校の教頭をされていた弘松典夫先生からお手紙をいただきました。
 
 先日はご丁重なお便りに添えて貴重な資料をお送りいただき、長寿を全うされたお父上のお元気であられた当時を懐かしく偲びながらゆっくりと目を通させていただきました。
 先生とは、2年間という短い期間でしたが、お互い教育現場を預かる重要な地位にあって、肝胆相照らしながら過ごした当時が懐かしく甦って参ります。
 現場と行政が鋭く対立した勤評闘争が吹き荒れた当時、郡の校長会長として嵐の中、毅然として所信を貫かれ、民主教育を支える大黒柱としての存在は、偉大なものでした。
 安芸教職員友の会から送られてくる会誌の中にいつも鈴木為利校長の消息を気遣っていたことです。先般、室戸のお宅に電話いたしましたところ、昨年、長寿を全うされ、ご他界された旨を報され、驚き入ったことでした。
 さすが太っ肚の大校長だけあっての大往生でした。貴重なものを残して逝かれたみ霊に心から弔意を表したいと存じます。

 弘松先生ははっきりと思い出すことが出来ます。高校生の頃、帰省したとき家の表(の間)で父と語り合っていたのでしょう。校長と教頭としての二人が困難な局面の中で「肝胆相照」らす仲であったことは父にとっても心強かったに違いありません。
 父は身近な同僚や後輩を早いうちに亡くし、晩年は語り合う友が居ませんでした。弘松先生とは7、8歳の違いだと思いますが、お会いすることが出来たらどんなに喜んだことでしょう。僕は父の師範学校時代の親友の弟さんをさがしてその方の墓参りに同道したことがありますが、千葉県の佐倉にお住まいの先生に気づかなかったのです。本当に残念です。それにしても壮年の頃、肝胆相照らして仕事が出来た二人は羨ましい限りです。
 今、中国に赴任中の先生のお子さんは川越住まいだと言います。是も何かの縁です。春になったら、僕には縁のある人がなぜか多い、佐倉をお訪ねして、父の近況(?)を伝えたいと思います。