川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

杜くんのこと(下)

2008-01-06 06:33:10 | 友人たち
 杜くんの生まれは黒竜江省方正県です。開拓団関係者など日本人の多いところとして知られています。伯父さんのお連れ合いのNさんが、いわゆる「残留婦人」です。敗戦のとき13歳以上だった中国残留日本人女性を後に日本政府がこう呼んで、「残留孤児」と区別しました。13歳以上の人は大人だから自分の判断で中国にとどまったとして、肉親捜し、帰国などに際して差別的取り扱いをしたのです。
 Nさんの帰国に伴って家族は来日し、今は全員が日本国籍です。伯父さんの商才が秀でているのか、中国食品の製造販売が成功し、東京と大連に工場があります。杜くんは幼くして両親に先立たれたため伯父さんが養育し、従姉妹たちと共に育ったのです。しかし、一家が来日する際、Nさんと血縁のない杜くんの渡日は日本政府が認めませんでした。
 伯父さんは杜くんを「養子」とし、短期ビザで日本に呼び寄せ、葛飾区の中学を卒業させたあと、中学の先生の世話で北高校に入学させたのです。このときは高校に入学が決まったのだからと、入管がビザを一年間延長してくれました。
 中国でほとんど学校に行ってなかった杜くんは、日本語を理解できないばかりか、中国語の読み書きも苦手でした。私たちは杜くんのために特別の日本語指導チームを作りました。ほとんどの授業をマンツーマンで行うのですから破格の扱いです。このころは都教委も理解してくれて、そのための教員配置を認めました。
 しかし、入管は養子縁組を認めず在留延長を固く拒否しました。そのため杜くんが2年生になったとたん、横浜港で別れる始末になったのです。私たち教師も入管に出向き、一年間の取り組みを理解してもらい在留延長をお願いしたのですが、ダメでした。
 それ以来、杜くんのことは僕のアタマのどこかに記憶され、中国に行くときには彼が住んでいる大連を訪ねようとか思うようになったのです。
 杜くんは04年Nさんの病気見舞いのため来日した際、Iさんと出会い、05年4月には婚姻届を提出します。しかし、同月29日結婚祝いの帰途、「不法滞在」の疑いで逮捕されたのです。「親族訪問」の在留期限がすでに過ぎていることは両名とも知っており、入管に在留延長の手続きをするはずだったのですが、ある事情によりそれが遅れてしまっていました。
 深川警察は彼を23日間も拘留したあと、東京入管に送りました。僕が大連に旅行することになったので杜くんの消息を尋ねるべく伯父さんの会社に連絡し、この事態を知ったのは7月の末でした。15年ぶりに大連で会えるかと思った杜くんは東京の入管にもう何ヶ月も閉じこめられていたのです。病身を押して救出に駆け回るIさんもくたくたです。僕ははじめ裁判闘争を考えてIさんが依頼していた弁護士にも会いましたが、勝訴、放免への道は遠く、当事者への負担が大きすぎると判断し、いったん帰国する道を提案したのです。あとは昨日の(上)に書いたとおりです。
 僕は入国管理行政の任務の重大さを理解しているつもりです。犯罪目的を持って入国をはかる集団が日本人との偽装結婚を策略し、社会を不安に陥れるなどということは阻止する必要があります。しかし、深川警察も東京入管も、杜くんとIさんのことは調べ尽くしているのです。
 外形だけを見れば「交際が短期間」「年齢差」など不審に思うことがあるかもしれません。だからこそ、考えられないほどの長期間にわたり拘留し、自宅を調査し、関係資料を集めたのではありませんか。
 僕が書いたようにオーバーステイは事実であり、仮に退去強制処分がやむを得ないものであったとしても、その処分に従った果ての再上陸許可を却下したのはどうしても納得できません。民間の一私人であっても元公務員のときに知り合った者の責任として、僕は大連を訪ね、この夫婦が愛情によって結ばれていることを確かめ、嘆願書という形で情報提供しました。入管の側にもさまざまな判断資料が届いているはずです。
 不許可の理由を聞きに行ったときに驚いたものです。係りの女性は紙に書いてあるとおりだと言ってなんの説明もしないのです。いくら何でもと思い、僕はいくらか思いを込めて諭しました。そうしたら、一番大切な本人の文章が無いからではないかと言いました。再申請をするなら、当事者の思いを書いた文章を必ず出しなさい、と言うのです。
 最初からなぜそのことを教えないのか。杜くんが文章を書けないので僕はIさんに頼まれて申請文書を作り、嘆願書まで書いたのです。不充分なら、こんな文書を出しなさいと途中で催促もできるはずです。僕は怒り心頭に達しながらなんとか我慢して、忠幸さんなどの協力を得て二回目の申請ということにしたのです。
 入管というところは日本人にはほとんど関係のない役所です。ですからそこで行われていることに私たちは無知です。犯罪に立ち向かい治安を維持することは大切な仕事ですが、この日本にやってくるさまざまなひとびとはほとんど皆、大切な客人です。中には杜くんのように日本人の家族と見なしても何ら不思議でない人も居ます。
 よく調査することは必要でしょう。しかし、アタマから疑ってかかり、人間扱いしないことは許されません。この役所で漢系日本人であるIさんが受けた恥辱についてはまた別に書くことにします。
 二年余りの(僕から見れば)理不尽な仕打ちを我慢して、杜くん夫妻はようやく安定した生活を獲得しました。この間のIさんの苦しみと献身はただならぬものです。そのことは関係者の誰もが深く心に刻んで置かなくてはなりません。杜くん夫妻は「先生のおかげだ」といい、僕は「先生」から「神様」に昇格しそうです。しかし、それは事実ではありません。
 Iさんの明るくて誠実な人柄と献身が杜くんを励まし、困難に耐えて今日を迎えることになったのです。僕が杜くんのことを忘れたことがないのは事実ですが、やったことは友人たちと協力してできることを無理なくやっただけなのです。その間に杜くんたちに大連や瀋陽を案内してもらい、本当に心に残る旅をすることができました。Iさんという杜くんのお連れ合いは、私たちにとってはすてきな新しい友だちです。お二人が協力してあたらしい人生を切りひらいて行くことを期待しています。