川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

聞き書きをやりませんか。

2008-01-16 17:09:18 | 中国残留日本人孤児
 きいちご基金の忠幸さんが中国残留婦人・孤児の聞き書きを一緒にやろうというかたを捜しています。①意欲がある②暇がある③中国語が出来る、の3条件が整っていれば最高です。然し、仮に③が満たされていなくても①②が有ればなんとかなると僕は思います。
 右も左も「侵略」とか「植民地支配」とか「開拓団」とか「残留孤児」とか…という言葉で歴史が解ったつもりになっている人が多いのが現実です。歴史の証人が隣人としてこの社会で生きているのに、これらの人と会話の一つも出来ない(しようとしない)人が歴史論争をやっていたりするのです。
 私たちは、閉ざされた世界で孤立を余儀なくされているひとびとと友だちになって、私たち自身の現実の生活を豊かなものにすることを目的に活動しています。それらのひとびとの歩みを知ることは、私たち自身が生きているこの時代をよく知ることにつながります。そして私たちの一人一人が歴史を書く人になっていくことが大事です。
 関心がある方が居られたら連絡してください。
 
 忘れない内にお知らせしなければならないことがあります。尋ね人です。
今から7・8年前、中国黒竜江省寧安市民主村(旧寧安県石岩鎮)に肉親の墓を捜しに来た日本人を知りませんか。
 3・4人の日本人(内一人は白髪の男性)が来たのですが、墓は見つからず、「学校の近くだった」という事でそのあたりに花を供えて帰っていったそうです。
 ところがその後、水道工事で穴を掘った際、人骨が出てきました。男女各一体。男は軍人だったようで軍服の階級章と長靴が出てきました。
 このときの工事責任者は1月12日のブログに書いたTさんの奥さんの弟さんです。Tさんご夫妻はそのとき里帰りしていて、偶然この現場を目撃したのです。弟さんは遺骨と遺品をビニール袋に入れ再び穴に埋めたということです。
 Tさんご夫妻はそれ以来、墓捜しに来た日本人の手に遺骨を渡してやりたいと思い続けて来たのですが、どうすればいいのかわからず、気になったまま、今日に至っているそうです。
 
 どうすればいいのでしょうか。どなたか、いい智慧が有りましたら教えてください。

 22日に目黒の祐天寺で日本政府が主催して韓国人の遺骨の送還、慰霊式があると友人が知らせてくれました。韓国から50人の遺族が来日して出席するとのことです。23日にはソウルで式があり、約100人の遺族の手に遺骨が渡るといいます。九州に住むこの友人のようなひとびとの運動が実って、解放独立から63年目にして漸く実現します。あちこちに散らばっているたくさんの遺骨はこれからです。なんと言うことでしょう。
 
 Tさんの奥さんは1941年に河北省で生まれた中国人です。日本軍の侵略をもろに受け、国共内戦、大躍進期の飢餓などを生き抜いて、残留孤児のTさんと結婚しました。「日本鬼子」と一緒になったばかりに文化大革命期の苦労はなみたいていのものでは無かったでしょう。その奥さんが旧日本軍軍人の遺骨のことをここ数年気にかけているのです。なんとかして遺族を捜し出したいと思います。