6日は暖かさに誘い出されて散歩に出かけました。川島町の八幡橋下流(越辺川)に飛来している白鳥を見学したあと、鳩山の農村公園の森を歩きました。クヌギやコナラの落ち葉の上を歩くと体がすこし軽くなってきました。コンビニでおにぎりなどを買い、高野倉の八幡神社の前で昼食とします。イチイガシの巨木の側です。トライアスロンの選手が休養中で僕の質問に快く答えてくれます。国分寺から来たそうですが今日はこの付近で自転車の練習です。会話して疲れがとれたと言って、再び練習に出かけました。息子と同じくらいの年頃の感じのよい青年です。夕方、隣の昭四郎さんが雉汁を差し入れてくれました。
さて、父の日記です。今からちょうど80年前の1928年2月20日に衆議院議員の総選挙がありました。この選挙から25歳以上の男子に選挙権が認められました(被選挙権は30歳以上)。是を「普通選挙(普選)」と呼んでいます。父はまだ、20歳で選挙権はありませんが、時代を画する重大な意味を持っていると正月の日記に書いていました。是に関わる記事を紹介します。
2月20日(月)晴 寒
総選挙はいよいよ本日行はれる。昭和新政の劈頭に当たり、代議政治の実質を整ふる為に必要なる参政権をシッカリとツカミ得た国民は其の一票を投ずるに当たっても慎重で無くてはならぬ。政友会内閣を信頼して是に政権を託するか、将又、他の政党に他の政治家に政権を託するかは一つに国民の一票の投じ方によって決まるのである。
与えられたる尊い権利を尊重して飽く迄、此を正しく行使する事は国民の尊い義務であり、是を放捨する事は代議政治治下に於ける国民としては許すべからざる罪悪である。
2月21日(火)
今日行はれている各種の政治上の病弊の原因は如処にあるか。我国立憲政治の運用は何が故にかく失敗しているのであるか。此の問題に対する率直な答えは「日本の政治形式は立憲政治であるが国民多数の政治思想は未だ専制時代を脱していない」と言ふ点に存せねばならぬ。
言ふ迄も無く専制政治は百官有志の政治であって、国民自身の政治ではない。封建的専制政治は将軍の政治であり、大名の政治であり、武士の政治であって、国民自身の政治ではなかった。憲法政治になって初めて国民自身の政治を行ふべき形式ができあがったのである。そして、普通選挙によって其の形式は完成せられたのである。
此くの如く立憲政治は国民自身の政治を行ふべき形式であるのに、国民の多数は国民自身の政治を行ふ目的のために今日の立憲政治を運用しているかどうか、此処に…諸弊の病根はひそめり。
2月22日(水) 晴 暖
彼等の政治か 我等の政治か
封建時代においては武士階級の政治であって国民自身の政治ではなかった。即ち彼等の政治であって我等の政治ではなかったのである。現在においては…国民が代議士を選挙している…普選では大多数の者が投票はする…しかし、立憲政治の精神たる国民自身の政治、我等の政治が実現するか…
なるほど国民は投票はする、しかしそれは自分の政治を自分がするために投票するのではない。封建時代には武士の政治であったが現在においては政治家の一団、政党員の一団が昔の武士にかはって政治をやっている。国民自身の政治ではなくその人たちの政治である。
勿論、国民は投票するが自分たちの政治のために自分たちの代表者を出すためにやるのではなく、彼の人たちの為にあのひとに頼まれてやるのである。相変わらず、彼等の政治であって我等の政治ではない。
此くの如き幼稚な思想では選挙権は只、恩恵として与えられた私権に過ぎない。政治の実質は依然として彼等の政治である。利害問題で投票、売買選挙。形式は立憲政治であるが精神は専制政治である。
さて、父の日記です。今からちょうど80年前の1928年2月20日に衆議院議員の総選挙がありました。この選挙から25歳以上の男子に選挙権が認められました(被選挙権は30歳以上)。是を「普通選挙(普選)」と呼んでいます。父はまだ、20歳で選挙権はありませんが、時代を画する重大な意味を持っていると正月の日記に書いていました。是に関わる記事を紹介します。
2月20日(月)晴 寒
総選挙はいよいよ本日行はれる。昭和新政の劈頭に当たり、代議政治の実質を整ふる為に必要なる参政権をシッカリとツカミ得た国民は其の一票を投ずるに当たっても慎重で無くてはならぬ。政友会内閣を信頼して是に政権を託するか、将又、他の政党に他の政治家に政権を託するかは一つに国民の一票の投じ方によって決まるのである。
与えられたる尊い権利を尊重して飽く迄、此を正しく行使する事は国民の尊い義務であり、是を放捨する事は代議政治治下に於ける国民としては許すべからざる罪悪である。
2月21日(火)
今日行はれている各種の政治上の病弊の原因は如処にあるか。我国立憲政治の運用は何が故にかく失敗しているのであるか。此の問題に対する率直な答えは「日本の政治形式は立憲政治であるが国民多数の政治思想は未だ専制時代を脱していない」と言ふ点に存せねばならぬ。
言ふ迄も無く専制政治は百官有志の政治であって、国民自身の政治ではない。封建的専制政治は将軍の政治であり、大名の政治であり、武士の政治であって、国民自身の政治ではなかった。憲法政治になって初めて国民自身の政治を行ふべき形式ができあがったのである。そして、普通選挙によって其の形式は完成せられたのである。
此くの如く立憲政治は国民自身の政治を行ふべき形式であるのに、国民の多数は国民自身の政治を行ふ目的のために今日の立憲政治を運用しているかどうか、此処に…諸弊の病根はひそめり。
2月22日(水) 晴 暖
彼等の政治か 我等の政治か
封建時代においては武士階級の政治であって国民自身の政治ではなかった。即ち彼等の政治であって我等の政治ではなかったのである。現在においては…国民が代議士を選挙している…普選では大多数の者が投票はする…しかし、立憲政治の精神たる国民自身の政治、我等の政治が実現するか…
なるほど国民は投票はする、しかしそれは自分の政治を自分がするために投票するのではない。封建時代には武士の政治であったが現在においては政治家の一団、政党員の一団が昔の武士にかはって政治をやっている。国民自身の政治ではなくその人たちの政治である。
勿論、国民は投票するが自分たちの政治のために自分たちの代表者を出すためにやるのではなく、彼の人たちの為にあのひとに頼まれてやるのである。相変わらず、彼等の政治であって我等の政治ではない。
此くの如き幼稚な思想では選挙権は只、恩恵として与えられた私権に過ぎない。政治の実質は依然として彼等の政治である。利害問題で投票、売買選挙。形式は立憲政治であるが精神は専制政治である。