川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

社会主義

2008-03-12 04:38:30 | 政治・社会
お気に入りにいれて読ませてもらうようになった中平さんの「土佐ローカリズムちや」http://genimakkoto.blog.shinobi.jp/ にこんな文章がありました。

    私たち30代は社会主義をどう見ちゅうか?


イデオロギーに対する見方はどういう時代に生きたかによって
変わってくると思う。

イデオロギー全盛期に生きた戦後世代は
イデオロギーアレルギーのような反応をする。

私たちには理解できん部分がある。

私たちはイデオロギーなき世界で育ってきた人間。

むしろ、指針・ビジョンを示さず、ぬらりくらりとお茶を濁してきた
戦後の支配層には苛立たしさを超えて憎しみのような感情さえ感じる。


ひとつの答えを正解とする軍隊のような教育制度の下で
社会に出ればバブル崩壊後でアメリカの成果主義が導入され
ここでも、まるで共に文明を支える同士ではなく
単なる利益を生み出す人材としての側面としてだけ使用され
人材派遣に至っては、スキルのないものは人間ではないかのような
プロパガンダが人材派遣会社の戦略によって日夜繰り返されている。


私たちにとって資本主義とは社会主義より絶対的なものではない。

単に人間を機械と見て、こきつかい、わりばしのように使い捨てる
そういうイデオロギーを資本主義に見ちゅう。

社会主義がどんなひどいもんであっても
今の資本主義よりはましではないか?
そんな幻想さえ見える。

機会平等なんてあるわけがない。

企業はなにかに理由をつけて人件費を抑えることしか頭にない。

これはテロではないのか?

自分の子供たちを育むがやなくて
自分の子供たちを食い荒らす。

少なくともカルト社会主義にさえ
共に戦うという連帯意識がある。

しかし、現代は個人主義化を推し進めて
共に戦うことさえ許さない奴隷社会。

若者世代の怒りはそろそろ極限に達するやろうと思う。

支配階級は気をつけちょったほうがえい。
何十年もかけて若者を苦しめてきた罰を受けないかん時が来た。

社会主義はこのエネルギーのはけ口として使われるやろう。

感受性の度合いによって感情の度合いも変わってくるとは思いますが
尾崎豊の”支配からの卒業”が現実のもんになっていくでしょう。

支配層という分断概念自体は少し本質から外れますが
それをひとつの括りとして捉えんと時代精神は生まれて来んとは思います。

いずれにしても、社会主義への反動が出ますね、これからは。

現在の資本主義はカルトですから


 30代の人々の世界認識とはこのようなものでしょうか。30代といってもさまざまな人がいます。他の人はこの文章に共感するのでしょうか。僕は彼がとらえる資本主義の現実に共感しながら、社会主義についてこういうとらえ方をする青年が現れたのかと問題提起されたような気分です。このブログを読むみなさんはどうでしょう?

 僕はといえば学生時代に世界観として進んで受け入れた社会主義(マルクス主義)と今なお苦闘中なのです。20世紀の社会主義運動のひどさが僕の中で今日もなお日々、明らかにされつつあり、そのような運動にNO!といいつつ、マルクスの思想を世界認識の方法として維持している部分があります。こういう状態が40年以上続いています。
 日曜日の集会で、鄭大均さん(首都大学東京)が僕のことを「情緒的」な人で、「秀才ではないから」、進歩派の教条的朝鮮人観から自由であり得たと言ってくれました。これはとても的確なほめ言葉だと僕は喜んでいます。秀才だったら40年も悩むことはありません。
 「社会主義がどんなひどいもんであっても、今の資本主義よりはましではないか?そんな幻想さえ見える。」とありますが、僕は社会主義を学んだとき(1960年代の学生時代)にはそう思っていました。今はとてもそんな風には思えません。現実の社会主義運動がロシアでも中国でも朝鮮でも日本でもあまりにもお粗末で、人道に反する要素をもっているからです。
 図書館で『餓鬼ー秘密にされた毛沢東中国の飢饉』を借りて読みました。そろそろ返さなくてはならないのですが、次回のブログでその一部を紹介します。
 
 今日から土曜日まで伊豆高原の保養所にいって遊んできます。