川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

石巻・日和山  宮城の旅④

2009-10-26 05:22:50 | 出会いの旅
 10月21日(水)晴れ

 朝、宿近くの旧北上川の中州を散歩。橋の中央に立つと滔々たる流れに圧倒されそうだ。
 中州の川上側の先端部に行ってみた。船の舳先のようだ。秋葉神社がある。水面はすぐそこにあり、ちょっとした増水で水没しそうだ。近くの畳屋のおばさんに聞いてみると昨日も水が出たという。なるほど道がぬれている。

 長い年月にわたってそれでもここに人々の生活がある。すごいことだ。長男は埼玉県新座市に住むが次男の方が跡を継いでいるという。 

 小高くなった橋のたもとに「岡田劇場」がある。歴史を感じさせる建物で石巻の大衆文化のセンターになってきたところだ。由利徹はここから生まれ、石ノ森章太郎は映画を見に通ったという。

 岡田劇場http://www.sukima.com/16_hanamaki01_05/08okada.html

 私たちが泊めて貰った水沢屋旅館はこの劇場に近い。島倉千代子、フランク・永井、などなどの宿舎になり,女将さんは裏口から入って実演を見せて貰ったと語る。
 ついでながらこの旅館はホテルのようにこぎれいとはいえないが、廉価で部屋も風呂もさっぱりとしている。海の幸が食べきれない。
昔は修学旅行のこどもたちが多く泊り、従業員が手分けして市場などをガイドしたという。


 今日からは二人きりのレンタカーの旅。宿近くの日和山公園に登る。石巻市街はもちろん昨日訪ねた猫の島も指呼の間だ。

 日和山公園。http://www.youtube.com/watch?v=DMyrD8ofkwA&feature=player_embedded

 ぼくにとってはなじみのある人々の碑があった。北上川を船で下って初めて太平洋をみた10代の啄木と宮沢賢治の作品が興味深い。

   石川啄木の歌碑

    砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋

 明治35年5月28日、石川啄木が盛岡中学5年生の修学旅行で石巻を訪れ、長浜海岸を詠んだ2首中の1首。


   宮沢賢治詩碑

われらひとしく丘に立ち
青ぐろくして ぶちうてる
あやしきものの ひろがりを
東はてなく のぞみけり
そは巨(おお)いなる 鹽(しお)の水
海とはおのも さとれども
傳へてききし そのものと
あまりにたがふ ここちして
ただうつつなる うすれ日に
そのわだつみの 潮騒の
うろこの國の 波がしら
きほひ寄するをのぞみゐたりき

宮沢賢治(明治二十九年岩手県花巻町(現花巻市)生まれる。大正三年盛岡中学校卒業、大正六年盛岡高等農林学校(現岩手大学農芸化学科)卒業、詩人、童話作家、農業科学、鉱物研究者、童話では「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」、詩「雨ニモマケズ」は代表作、賢治が明治四十五年五月二十七日中学校四年の修学旅行に北上川を川蒸気で下り、石巻の日和山から生まれて初めて海を見て強い感動を受け、その折の印象を読んだものである。

 
 釈超空の作品はまさにこの地に立って昨日私たちが訪ねた田代島・網地島(あじしま)方面を遠望したときの感慨である


  釈 超空 歌碑

  海のおも いよいよ青し このゆふべ
  
        田しろあぢしま かさなりて見ゆ

釈 超空(本名 折口信夫)明治二十年大阪に生まれる。同四十三年国学院大学を卒業、慶応大学、国学院大学教授、文学博士、歌人、国文学者、民俗学者として著名。詩集「古代感愛集」は昭和二十三年芸術院賞をうけた。三十二年「折口信夫全集」全三十二巻を刊行 日本芸術院賞受賞。昭和二十三年四月神社庁の仕事で石巻を訪れ、前掲の歌はその折の作品三首中の一首である。

出典 日和山公園 碑巡りhttp://members.jcom.home.ne.jp/urawa328/hiyoriyama.html

 遠い昔、ぼくの祖父たちが船を泊めただろう川沿いの市場は今はなく湊町という地名だけが残っているだけだという。