今日は荒川区町屋のムーブホールに映画「花の夢 ある中国残留婦人」を見に行く日です。午後2時からです。何人かの若い友人たちに会えるかもしれないので楽しみです。
●「川越だより」花の夢http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/51d8dd23ebd79ba026b115cd2906a776
10月12日(金)
夕刻になって萩原の兄やん(遼さん)が来てくれた。8月以来のことだが大阪からはるばるありがたいことである。
『木苺』に「ある在日の告白」を連載してくれた元智慧くんに会うのが主要な目的である。やや遅れてその元くんも到着した。
妻は今年も人吉の友人が送ってくれたとっておきの川辺川の鮎を焼いてもてなした。物部川で育った兄やんには懐かしい味と香りだったろう。
会って見れば二人は初対面というわけではないということが分かった。かつて神奈川県であった拉致被害者の集会での出会いがあり、お互い思い合う間柄であったのだ。
「元」がペンネームであるため兄やんが気づかなかったのは当然である。『木苺』の記事を読んで「今時、こんなしっかりした在日コリアンの青年はいない。是非、会わせてほしい」と僕に連絡があり、この日の対面に至った。
●「ある在日の告白」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/585213181621b97215dbe4c7971d5c15
最初の出会いから数年が経っていた。元くんにとっても遼さんはいまもっとも会いたい人の一人だったという。再会を心から喜び合った。
交流は遅くまで続いた。「北朝鮮帰国者の生命(いのち)と人権を守る会」のリーダーとして「北」の独裁者とそれに追随する朝鮮総連に不屈の闘いを挑み続ける兄やんの気概はこのような席でも衰えることはない。
若い「同志」を得て大いに元気づけられたことだろう。
近頃、ピースボートで世界を回ってきた元くんは朝鮮学校で学んだ朝鮮語が世界のどこでも通用しない「総連語」であることに改めて気づいたらしい。韓国から来た若者たちにだいぶからかわれたという。
ウソばかりの「歴史」と総連社会の中だけでしか通用しない「朝鮮語」。朝鮮総連はそれらを「民族教育」と称して若者たちに強制する。それがどれだけ在日コリアンの若者たちの可能性をとざしているか。30を過ぎて元くんは朝鮮語の習得のためにも韓国留学を考えているようだ。
こうした現実を何も知ろうとしないで「朝鮮学校の授業料無償化」を叫ぶ、左派の「知識人」や「人権活動家」たちに自己のやっていることの恐ろしさを知らしめてやりたいと僕も痛切に思う。
萩原の兄やんは朝鮮総連の学校で18歳までを過ごしてきた青年の立ち上がりを心の底から待ち望んでいる。それがいかに困難かを知り抜いているが故に、元くんへの期待も大きい。今日の出会いがどんな風に実を結んでいくのだろう。
北朝鮮の地で飢餓と恐怖にさらされている人々、就中、在日帰国者と日本人妻の救出は私たちの喫緊の課題だ。萩原の兄やんに少しでも力を貸していきたい。本当なら僕もその先頭に立つぐらいでないと社会的責任を果たせないのだが…。
兄やんに「内外の敵に用心して無理はしなよ」と言ったら、こんな言葉が返ってきた。
「この時代に最も必要なのは真実、そしてそれを愛するがゆえにうけなくてはならない受難にたいする情熱である」。
「受難に対する情熱」とはどういう意味だろう。70年代に萩原遼さんが私たちに紹介し続けた金芝河(キムジハ)の言葉だという。
パソコンをひらいて調べてみた。
自由と正義のために (金芝河・「苦行」より)
私たちは何のために闘ってきたのだろうか。人間のためにであった。自由で解放された人間、神が創造した本来の姿に人間を回復するためであった。私たちのこの課題はいかなることよりも優先すべきことであり、いささかの遅滞もゆるされない。
腐敗と特権、独裁こそが赤化への黄金橋なのだ。独裁と抑圧を維持させるのは安保ではない。独裁と抑圧をはねのけ自由と民主主義を守ることが真の安保であることを直視しよう。自由と民主主義を喪ってしまえば、私たちにいったい守るべき何があるだろうか。
あの終わりのない飢餓と疾病、暗闇と侮辱の果てしないくびきを守るために、私たちは生命を賭けねばならなぬのか。「そうではない」と、私たちは声を合わせて叫ぼう。
自由と平和を愛する全世界の良心ある隣人たちは、私たちの孤独で苦難にみちた闘いに惜しみない支援をよせてくれるだろう。この時代に最も必要なのは真実、そしてそれを愛するがゆえにうけなくてはならない受難にたいする情熱である。
人間の自由と解放のために、すべての民衆が胸をこがし待ちわびている民主主義の勝利をめざし、私たちのあらゆるものを捧げようと呼びかけたい。
私たちすべての人びとの健闘のために、私は今日も祈っている。
出典●金芝河の祈りhttp://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori25Kimjiha.htm
●「川越だより」花の夢http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/51d8dd23ebd79ba026b115cd2906a776
10月12日(金)
夕刻になって萩原の兄やん(遼さん)が来てくれた。8月以来のことだが大阪からはるばるありがたいことである。
『木苺』に「ある在日の告白」を連載してくれた元智慧くんに会うのが主要な目的である。やや遅れてその元くんも到着した。
妻は今年も人吉の友人が送ってくれたとっておきの川辺川の鮎を焼いてもてなした。物部川で育った兄やんには懐かしい味と香りだったろう。
会って見れば二人は初対面というわけではないということが分かった。かつて神奈川県であった拉致被害者の集会での出会いがあり、お互い思い合う間柄であったのだ。
「元」がペンネームであるため兄やんが気づかなかったのは当然である。『木苺』の記事を読んで「今時、こんなしっかりした在日コリアンの青年はいない。是非、会わせてほしい」と僕に連絡があり、この日の対面に至った。
●「ある在日の告白」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/585213181621b97215dbe4c7971d5c15
最初の出会いから数年が経っていた。元くんにとっても遼さんはいまもっとも会いたい人の一人だったという。再会を心から喜び合った。
交流は遅くまで続いた。「北朝鮮帰国者の生命(いのち)と人権を守る会」のリーダーとして「北」の独裁者とそれに追随する朝鮮総連に不屈の闘いを挑み続ける兄やんの気概はこのような席でも衰えることはない。
若い「同志」を得て大いに元気づけられたことだろう。
近頃、ピースボートで世界を回ってきた元くんは朝鮮学校で学んだ朝鮮語が世界のどこでも通用しない「総連語」であることに改めて気づいたらしい。韓国から来た若者たちにだいぶからかわれたという。
ウソばかりの「歴史」と総連社会の中だけでしか通用しない「朝鮮語」。朝鮮総連はそれらを「民族教育」と称して若者たちに強制する。それがどれだけ在日コリアンの若者たちの可能性をとざしているか。30を過ぎて元くんは朝鮮語の習得のためにも韓国留学を考えているようだ。
こうした現実を何も知ろうとしないで「朝鮮学校の授業料無償化」を叫ぶ、左派の「知識人」や「人権活動家」たちに自己のやっていることの恐ろしさを知らしめてやりたいと僕も痛切に思う。
萩原の兄やんは朝鮮総連の学校で18歳までを過ごしてきた青年の立ち上がりを心の底から待ち望んでいる。それがいかに困難かを知り抜いているが故に、元くんへの期待も大きい。今日の出会いがどんな風に実を結んでいくのだろう。
北朝鮮の地で飢餓と恐怖にさらされている人々、就中、在日帰国者と日本人妻の救出は私たちの喫緊の課題だ。萩原の兄やんに少しでも力を貸していきたい。本当なら僕もその先頭に立つぐらいでないと社会的責任を果たせないのだが…。
兄やんに「内外の敵に用心して無理はしなよ」と言ったら、こんな言葉が返ってきた。
「この時代に最も必要なのは真実、そしてそれを愛するがゆえにうけなくてはならない受難にたいする情熱である」。
「受難に対する情熱」とはどういう意味だろう。70年代に萩原遼さんが私たちに紹介し続けた金芝河(キムジハ)の言葉だという。
パソコンをひらいて調べてみた。
自由と正義のために (金芝河・「苦行」より)
私たちは何のために闘ってきたのだろうか。人間のためにであった。自由で解放された人間、神が創造した本来の姿に人間を回復するためであった。私たちのこの課題はいかなることよりも優先すべきことであり、いささかの遅滞もゆるされない。
腐敗と特権、独裁こそが赤化への黄金橋なのだ。独裁と抑圧を維持させるのは安保ではない。独裁と抑圧をはねのけ自由と民主主義を守ることが真の安保であることを直視しよう。自由と民主主義を喪ってしまえば、私たちにいったい守るべき何があるだろうか。
あの終わりのない飢餓と疾病、暗闇と侮辱の果てしないくびきを守るために、私たちは生命を賭けねばならなぬのか。「そうではない」と、私たちは声を合わせて叫ぼう。
自由と平和を愛する全世界の良心ある隣人たちは、私たちの孤独で苦難にみちた闘いに惜しみない支援をよせてくれるだろう。この時代に最も必要なのは真実、そしてそれを愛するがゆえにうけなくてはならない受難にたいする情熱である。
人間の自由と解放のために、すべての民衆が胸をこがし待ちわびている民主主義の勝利をめざし、私たちのあらゆるものを捧げようと呼びかけたい。
私たちすべての人びとの健闘のために、私は今日も祈っている。
出典●金芝河の祈りhttp://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori25Kimjiha.htm