3月4日(日)☁入院13日目、変わったことはない。
珍しくTVを見た。TV朝日の討論番組、びわこマラソン、「新婚さんいらっしゃい」。
討論番組のテーマは「女性宮家の創立」。出演は桜井よしこさんと田原総一郎さん。
天皇の話になると桜井さんはどうしてこうも神がかってくるのか?過剰な敬語の乱発はともかく天皇制に2700年の歴史があるとさらっというのには驚いた。(対談相手の田原さんをはじめ誰もそれを問題にしないのにも呆れる)。
僕は去年の4月鹿児島での体験を思い起こした。霧島市福山の宮浦宮を訪ねた時の若い神官の話。
●宮浦宮http://www.genbu.net/data/oosumi/miyaura_title.htm
大銀杏があるというので連れて行ってもらった。錦江湾近くに簡素な作りの新しい社が完成したばかり。若い宮司さんの説明が面白かった。
「神武天皇はここから東征の船出をなさった。2600数十年前のことです。戦勝を祈念して植えられたのがこの銀杏です。もっともこの木は2代目ですが…」
まじめな顔であたかも歴史的事実のように話すのが「面白かった」。この方は神武東征は2回あって、宮崎からのは2回目に当たるという。ヤマトでの国の基礎作りが整ってから再度出発したのだという。
川越だより●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/f18700b35dd212ef015518e1ff977ba4
この時は「ご当地」の若い宮司の説明として「面白」くきいた。こんな話を真面目に受け取る人もそうはおるまいとも思った。
桜井さんは「国家基本問題研究所」の理事長であり、TVへの出演をはじめ社会的影響力の強い人である。そのような人が「BC660年、神武天皇即位、以来皇統は2672年連綿として続いている」と認識し、主張しているのか。
いくらなんでもひどすぎないか?天皇制について意見を述べるのはいい。しかし、史実からは程遠く、間違いであることがはっきりしている「歴史認識」を恥ずかしげもなく述べる人をTVに登場させ、たしなめもせず、批判することもしないとは‥。
僕は「建国」の神話やその故地を訪ねたりするのが好きな方である。神話にどういう歴史的記憶が投影しているか、などと想像することは楽しい。
しかし、明治国家の創生期に作られた「皇紀」なるものがいかなる歴史的根拠をももたないことはとうの昔から明々白々たる事柄である。
「天皇」という称号が使われるようになったのは「日本」という国号と同じく7世紀後半以後‥僕の頭の中では概ねそんな具合だが‥・。
戦前戦中の一時期、「世界に冠たる神国日本」の文部省は「紀元は2600年」と嘘の歴史を教え込んだ。その時代に憧れる人がいるのは自由だがTVなどを通して嘘の歴史をばらまくのを放置してはならない。
参考資料
昭和15年(1940年)は「紀元2600年」とされ、国民精神総動員の一環として盛大な祝典が行われた。こんな歌がラジオを通じて連日連夜流された。僕が生まれる前年。翌昭和16年12月8日に「大東亜戦争」に突入する。
奉祝國民歌「紀元二千六百年」
内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定
増田好生 作詞/森義八郎 作曲
金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて
いまこそ祝へ この朝(あした) 紀元は二千六百年
あゝ 一億の胸はなる
歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて
はるかに仰ぐ大御言(おほみこと) 紀元は二千六百年
あゝ肇國(ちょうこく)の雲青し
荒(すさ)ぶ世界に唯一つ ゆるがぬ御代に生立ちし
感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年
あゝ報國の血は勇む
潮ゆたけき海原に 櫻と富士の影織りて
世紀の文化また新た 紀元は二千六百年
あゝ燦爛(さんらん)のこの國威
正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん
力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年
あゝ彌榮(いやさか)の日はのぼる
金鵄(きんし) 神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭(はず)にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦(ながすねひこ)の軍を眩(くら)ませたという。
歌付き・奉祝歌●http://www.youtube.com/watch?v=eezkRncFCvw&feature=related