1月15日(火)晴れ
夕方6時、お隣のMさんに呼ばれて恒例の新年会。
秋田から届いたはたはたの焼きもの。
本当は生で食べさせたかったようです。そうはいかないので味醂付けにして軽く焼いたそうです。
Mさんの故郷・岩手県西和賀地方ではこれがなければ正月になりません。若いときには秋田の八森まで行ってトラックいっぱい買いつけ、バケツ一杯いくらで頒布したと聞いています。
奥羽山地の山の幸の煮物をご馳走になりながらMさんの人生物語を聞きました。
雪の武勇伝。昭和49年(1974)1月、豪雪で湯田から沢内村への道が通れなくなったとき、県の土木部の依頼で道を切り開いた。M建設が持つ最新式のブルドーザーを運転して深更の2時から昼近くまでかかったという。難所ではさすがのMさんも恐怖を感じるほどだが知恵と経験を総動員して切り開いた。
このとき沢内村の人たちから挙がった歓呼と感謝の言葉はMさんの生涯の勲章のようなものでしょう。顔をほころばせて語ります。
黒い箱に聞いてみると当時の記録がありました。
1974年(昭和49年) - 1月25日の豪雪で積雪量3m68cmを観測。(湯田温泉郷)
市街地でこれほどの積雪ですから沢内村方面に向かう山道はいかほどだったのか。土木部の出張所長の文章にも記録が残っている限りでは空前の豪雪とあります。
今年もかなりの豪雪と伝えられています。それでも現在では道路も改良された上に、重機類も整っているので旧沢内村が孤絶することはないのでしょう。
和賀川の源流部から秋田側に抜ける「八郎林道」の工事を請け負ったといいます。その道はどうなっているのでしょう。八郎潟の「八郎」と「辰子姫」の伝説にかかわる道のようです。
いつか訪ねて歩いてみたいものです。旧沢内村は医療の先進地であり、乳幼児死亡率ゼロの村として僕でも知っています。
村長だった深澤晟雄(まさお)さんの資料館があるようです。