川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

Mさん沢内村への道を開く 1974豪雪

2013-01-15 21:36:36 | 友人たち

 1月15日(火)晴れ

夕方6時、お隣のMさんに呼ばれて恒例の新年会。

秋田から届いたはたはたの焼きもの。

本当は生で食べさせたかったようです。そうはいかないので味醂付けにして軽く焼いたそうです。

Mさんの故郷・岩手県西和賀地方ではこれがなければ正月になりません。若いときには秋田の八森まで行ってトラックいっぱい買いつけ、バケツ一杯いくらで頒布したと聞いています。

奥羽山地の山の幸の煮物をご馳走になりながらMさんの人生物語を聞きました。

雪の武勇伝。昭和49年(1974)1月、豪雪で湯田から沢内村への道が通れなくなったとき、県の土木部の依頼で道を切り開いた。M建設が持つ最新式のブルドーザーを運転して深更の2時から昼近くまでかかったという。難所ではさすがのMさんも恐怖を感じるほどだが知恵と経験を総動員して切り開いた。

 このとき沢内村の人たちから挙がった歓呼と感謝の言葉はMさんの生涯の勲章のようなものでしょう。顔をほころばせて語ります。

黒い箱に聞いてみると当時の記録がありました。

1974年(昭和49年) - 1月25日の豪雪で積雪量3m68cmを観測。(湯田温泉郷)

市街地でこれほどの積雪ですから沢内村方面に向かう山道はいかほどだったのか。土木部の出張所長の文章にも記録が残っている限りでは空前の豪雪とあります。

今年もかなりの豪雪と伝えられています。それでも現在では道路も改良された上に、重機類も整っているので旧沢内村が孤絶することはないのでしょう。

和賀川の源流部から秋田側に抜ける「八郎林道」の工事を請け負ったといいます。その道はどうなっているのでしょう。八郎潟の「八郎」と「辰子姫」の伝説にかかわる道のようです。

いつか訪ねて歩いてみたいものです。旧沢内村は医療の先進地であり、乳幼児死亡率ゼロの村として僕でも知っています。

村長だった深澤晟雄(まさお)さんの資料館があるようです。

深沢資料館●http://www.fukasawa-masao.jp/


旅の夢 2013

2013-01-15 09:36:28 | 父・家族・自分

1月15日(火)晴れ

 雪のまたの日、ベッドから見える青空です。妻が玄関前の道路を雪かきする音が聞こえます。

昨日、雪の午後に今年の旅の計画?を考えました。

①1月21日(月)~23日(水)

癌研有明病院~川崎~横浜(横浜国際ホテル泊)~鎌倉~油壺(?H泊)~城ヶ島~川越

癌研で「通知簿」をもらった足で弘子さん(息子のお連れ合い)のご両親と昼食会(川崎)。ご両親はちょうど定休日で仕事はお休み。お会いできると7年ぶりです。左肺摘出の手術の決まった日に川崎大師近くの居酒屋「樹(むら)」を訪ねたのでした。今回はどんな通知簿を持参できるのでしょう。

 夜は久しぶりに「BAR招福堂」によります。息子夫婦の店です。親たちが勢ぞろいすれば店の雰囲気が台無しになってしまうかな。

翌日以後、好天が予想されれば鎌倉(坂東33観音①②③④めぐり)・三浦半島に遊ぶつもりです。久しぶりに電車とバスの旅になります。

②故郷訪問(高知~室戸岬)

Nさんが同道してくれるというのでまた別の楽しみができました。「これが僕の故郷です」と案内ができます。2年ぶりです。いつになるのかな。これはNさん次第。

中国から来た同世代の方々も行きたいとは言ってくれています。実現すれば夢のようです。

③出雲 出雲大社と出雲神話と古代遺跡の里をあちこちに訪ねるたび。息子夫婦が同道できるかもしれない10月か。1968年、「新婚旅行?」以来45年ぶりです。妻の頭の中に旅のネタが詰まっているはずです。

④長州 萩・長門・下関など。山口県でも旧「周防」は07年にやっと訪ねることができました。父のプレゼントでした。長州はどういうわけか、僕にとっては「秘境」のままです。

「壇ノ浦」「維新の志士」「薩長藩閥政府」‥いろいろな思いがわきあがってきます。萩よりはなぜか仙崎や青海島にいってみたいと思ってきました。安倍さんの「ふるさと」はこの辺りかな?

⑤奥志摩から紀州への海岸

英虞湾は何度か訪れたところですが、ここから紀伊長島あたりまでのリアス式海岸をのんびり歩いてみたいのです。

ほかには⑥国東(くにさき)半島(大分県)⑦五島列島(長崎県)⑧西宇和海岸(愛媛県)が候補地です。

どういうことになるのか。昨年は東北・北海道でしたが今年は「山陰」方面が中心になりそうです。

同道してくださる奇特な方が居られたらどうぞ連絡してください。